教会のご公現

2016年1月3日主の公現
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ60・1-6)
・第2朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙 (エフェソ3・2、3b、5-6)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ2・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 まだ正月三日ですから、改めて、「あけましておめでとうございます」と申し上げましょう。
 そして、今日はご公現の主日(※1)ですから、とりわけ、 この「星に導かれて」というフレーズに(※2)、大きな意味を見出して、今年も、神さまが輝かせてくださる「星に導かれて」、安心して、信頼して、歩んでまいりましょう。
 ・・・と、話しながらふと見ると、今日はFEBCの録音レコーダーが置いてないですね(※3)。ここ何カ月かで初めてです。お正月だからですかね、録音に来てないみたいですね。ふふふ・・・い〜いですねえ。(笑) 今日は気楽です♪ ラジオ放送は、全国の人が聴きますからね、下手なこと言えない。・・・今日は下手なこと言おう。(笑)

 じゃあ、そうですね、大好きな星の話をしましょう。
 学者たちがね、占星術の学者だから、星を見てやって来るわけですね。もちろん、他の人もこの大きな星を見てるんだけれども、誰一人、それがイエスさまがお生まれになったしるし(・ ・ ・)だなんて、知らないわけですね。知ってたら、みんなもイエスさまのところへ詰めかけてくるはず。さすがに学者たちは、この星の意味を読み取ります。・・・そうして、3人だけ、東の方からやって来る。
 この、星の意味を見破る目っていうのが大事なんです。
 これ、別に「星」に限らず、神さまは素晴らしいみ(わざ)を、ありとあらゆるところで現してるんだけど、それを見破る「目」が必要なんですよ。だって、それがなければ、せっかくの神の業を感じ取れないわけですから。大きく輝いてるこの星を、大勢の人が見てるんだけど、みんな、「おお、明るい星が現れたな・・・」で終わるわけですよね。でも、3人だけ、イエスさまのところに来る。
 同じものを見てるんだけど、同じことを聞いてるんだけど、みんなそれが、神さまからのしるしであることが分からない。・・・「神さまからのしるし」っていったって、別に複雑な話じゃない。「お前を愛してるよ」「お前を救ってるよ」「もうだいじょうぶだよ」っていう、神ご自身からのメッセージです。そういう救いのメッセージじゃなかったら、聞く必要ないですもんね。「おまえは嫌いだ」「お前を滅ぼすぞ」なんていうメッセージだとしたら、星なんか見ない方がいいわけですからね。
 3人の博士は、「ああ、これで世界が変わる」「ついに人類が、神の王国に変えられていく」、そのような希望のしるし、新しい世界の始まりとしてこの星を見て、はるばる旅してきたわけですね、危険を冒して。だからこそ、その星がパッと現れたとき、「その星を見て喜びにあふれた」(マタイ2:10)。その喜び、・・・うらやましい。

 ・・・たまには、星を見上げたらいいですよ。今、星、きれいですからね。日本の冬は、ホントに星が美しい。日没が早いっていうのもあるし、空気が澄んでるっていうのもあるけれど、なにしろ冬は、一等星の数が圧倒的に多いんですよ。いろんな色の一等星が揃ってるっていう意味でも、非常に美しい。この辺は、都内よりもっと見えますからね、ちょっとこう、高台に出て、暗い公園の真ん中あたりで、星空を見上げてください。今の時季、ホントに美しいです。
 なんと言っても、ポイントはシリウスですね、やっぱり。全天で一番明るい星です。誰が見ても分かる。南の空の下の方に青白く輝いてます。右側にオリオン座があって、その左下です。シリウス。これをまず見つけてください。 で、オリオン座の左肩のところ、これがべテルギウスっていう星ですね。赤く光ってるからすぐわかります。このシリウスとべテルギウスを結ぶんだ線の左上、ちょうど正三角形になる位置にプロキオンっていう星があって、この三つがいわゆる「冬の大三角形」。・・・きれいですよ、ほとんど正三角形。神秘的です。(※4)
 とまあ、ここまでは、よく言われてるんで、知ってると思うんですけど、実は、このべテルギウスを中心にした六つの星でできた、大きな六角形があるのをご存知ですか。この冬の大三角形を含めて、三角形が六つくっついて、六角形になってるんです。・・・ほら、あれですよ、雪印の「6Pチーズ」。(笑) 三角形のチーズが六つ入ってるでしょ、あれと一緒。あれの真ん中がべテルギウス。で、その周囲に六つの星がある。すべて、一等星です。
 これ、シリウスから見ていくと、時計と反対周りにリゲルっていうのがあって、次にアルデバランっていうのがあって、次にカペラっていうのがあって、次にポルックスっていうのがあって、そして、プロキオン。さっき言った通り、このプロキオン、べテルギウス、シリウスを結ぶのが冬の大三角形ですけど、他にも三角形が五つあるってわけです。・・・見れば分かりますよ、言ってる意味が。パッと開いた傘みたいに見える。・・・美しい。
 ちょうど、今だったら、カペラが天頂付近にあって、きれ〜な六角形が、南の空に広がってて、・・・美しい。
 この星を眺めて、「ああ、神さまが私に語りかけてくれてるな」って感じられたなら、すばらしい。普通は、「ああ、星だ」って、ただ思うだけですよね。まあ、もしかすると宇宙の神秘くらいには思いを馳せるかもしれないけれど、これを、「神は私を愛している」っていうふうに見れたら。「神の愛がこの世に現れ、私たちのもとに来られた。この世界はもう救われている。私は今、救われている」って、そう、見えたら、すごいですよね。・・・毎晩、外に出て空見上げるだけで、神さまの愛を感じられるんだから。

 3人の博士は、人生をかけて、その愛に出会うために、その愛を「拝むために」(cf.マタイ2:2)やって来たんですね。・・・この「星を見る目」っていうのは、すごく大事です。
 ついこの前も、ある牧師先生に、「晴佐久神父さんの説教は、宇宙の神秘から、すごく身近な話題まで、いろいろ出てきますね」って言われましたけど、私に言わせると、ぜんぶ「身近な話題」なんですよ。どれほど遠い宇宙の端っこも、目の前の手を伸ばせば届くところの出来事でも、ぜんぶです。太古の昔から、たった今のことまで、ぜんぶです。・・・ぜんぶ、「この私への神さまの愛のメッセージ」であり、神さまほど身近な存在はないんだから。すぐ身近で、ちゃんと語ってるんです、神さまは。みんな、それをまったく聞き逃している。見逃している。聞いているのに聞いてない、見ているのに見ていない。だから、不安にもなるし、恐れるし、自分を守ろうとして、争って・・・っていうことになっていく。
 目を開いて見ましょう。耳を開いて聞きましょう。信じればすべてが、救い主の現れなんですけどねえ。

 昨日のミサで、赤ん坊が泣きだしてね、結構すごかったんですよ。で、お父さんが抱いてたんですけど、かわいそうじゃないですか、お父さんもね。外へ連れ出そうか、どうしようかって迷ってる様子だったから、ちょうど説教が始まったとこだったんで、私、身近な話題、大好きですから、詩編8をね、引用したんです。「今、赤ちゃんが泣いてるけど、いい声ですねえ」って。
 ・・・皆さん、ときどき詩編とかも読んでみてくださいね。詩編8なんか、短いですから。ダビデの詩ですけどね。昨日の説教でも、その場の思いつきで聖書開いて、読みましたけど。今日も読みましょうか。えーと・・・。いいですねえ、レコーダーがないって。(笑) 気楽で。詩編8、・・・あった。ちょっと端折(はしょ)って読みますね。

主よ、わたしたちの主よ 
あなたの御名は、いかに力強く
全地に満ちていることでしょう。

天に輝くあなたの威光をたたえます
幼子、乳飲み子の口によって。
あなたの天を、あなたの指の業を
わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう
あなたが顧みてくださるとは。   ― (詩編8章から抜粋)

 ・・・美しい詩ですね。
 神さまのみ名は、「いかに力強く、全地に満ちて」(詩8:2)いるか。「天に輝くあなたの威光をたたえます」(詩8:2)と言っておきながら、それを、「幼子、乳飲み子の口によって」(詩8:3)
 確かにね、大人のしゃべることっていったら、汚いことばっかりですもんね。まあ、ろくなことしゃべってないですよ、大人たちは。ホントにこう、自慢話か、攻撃する話か、欲望にまみれたことしかしゃべってないわけですけど、「幼子、乳飲み子」は、純粋に泣きわめいてるわけでしょ。でもその「幼子、乳飲み子の口によって」、つまり、一番弱い、まったく、何も語れないような無知こそが、神さまの「威光を」(詩8:2)語る。赤ちゃんが、わんわんと泣いているのが、一番、「お前を愛しているよ」「すべてを救うよ」って言っている神さまの言葉に近い。・・・「そう聞くならば」ね。
 泣いてると、周りの人が、「うるさいわね」って顔で見たりするじゃないですか。だから、赤ちゃんを応援しようと思って、昨日はそんな話をしたわけですけれど。実際、その声をただ「うるさい」って思う人には聞こえないわけでしょ。神からのメッセージを排除しちゃうわけですよね。・・・一番大切なメッセージを遠ざけてしまうなんて、これほど悲しいこと、ないじゃないですか。たとえ「ちょっと煩わしいな」「ちょっと違うな」って思ったとしても、そこにも、「神さまの威光が」(cf.詩8:2)表れていると信じる。それを見る目が必要ですよ。それを聞く耳が必要ですよ。
 「月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心(みこころ)に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは」(詩8:4-5)って言ってるけど、もう、「何もの」かっていうのは、はっきりしてるんです。これはもう、旧約の詩編では疑問形ですけれども、新約聖書では、これがはっきりする。
 「人間とは何ものか」、それは、「神さまのみ心(・ ・)を知るもの」「神の愛を受け止めるもの」ですね。
 ・・・神さまのみ心を知り、その愛を受け止めて、生きるもの。だから、人は素晴らしい。
 星を見て、愛を知る。それが人間。まあ、渡り鳥なんかも、星を見て方向を決めたりするなんて説を聞いたことがあるような気がしますけど、人は星を見て、「神は愛だ」とか、「私はもう救われている」とか、感じとることができる。
 もちろん、究極の星はイエス・キリストですけど、それを見いだす準備というか練習というか、まずは星ひとつ見ても神の呼びかけを聞き取るのが、 人間の素晴らしさです。これこそはホントに、人間らしさっていうことですし、 まあ、遠い星から、目の前の赤ん坊の声に至るまで、神さまの愛の語りかけであると聞きとって、深く安心してほしい。

 この前の聖劇ミュージカル(※5)でも、3人の博士が、星を見上げてましたでしょ。ちなみに、今日、答唱詩編をお歌いになったのが、「博士A」ですね。(笑) 最近はもう、3人の博士が週替わりで歌っているわけです(※6)。(笑)
 3人の博士が、星を見失って嘆いていて、でも、イエスさまが「だいじょうぶぅ〜!」って言ったら、パッと星が現れて。で、「あ〜っ! あの星だ〜!! これでふるさとに帰れる!」って喜びにあふれる。まさに、さっき福音書で読んだシーンをもとにしたお話を、聖劇でもやりました。
 劇の中で、「その瞬間、パッと星が現れてほしい」っていうことで、前回聖堂でやった時は、クリスマスツリーの上の星が光るしくみにしてあったんだけど、練習の途中でツリーがバッタリ倒れちゃったりしてね、(笑) うまくいかなかったんで、「今年はホールだし、思いっきりピカピカ光らせてよ」って、照明係に頼んだら、ミラーボールを回してくれたんです。(笑) ・・・やりすぎたかなって感じでしたけど、まあでも、キラキラ光ってね。・・・「あの星だ!」って。その喜びを表現したかった。
 それはもう、ホントに遠い、シリウスだかプロキオンだかの輝きであっても、見る目があれば、真の喜びにあふれることができる。
 今回、帰り際に博士が、「すいません、贈りものを渡すの、忘れてました〜」なんて言って、イエスさまに贈り物の宝物を渡すっていうシーンを入れたんですけど、そのときに、博士Aが出したのは、「鳩サブレー」の缶。(笑) やっぱり、贈り物といえば「鳩サブレー」でしょう。(笑) 最初は泉屋のクッキーにしようかと思ったんだけど、(笑) 大きい缶がなかったのね。泉屋のクッキー缶、ちっちゃいでしょ、わりと。その点、鳩サブレーの48枚入りは、デカいんですよ。黄色に白の鳩が付いてるやつ(※7)。これならステージから遠くっても見えるでしょ。ともかく見せたかった。すぐ身近に宝があること。
 遠い星から、すぐ身近なクッキーの贈り物に至るまで、ぜんぶ、神さまの愛の現れとして見るっていう、こういうのが、私、大好きですね。みんなついつい、中途半端なあたりを見るでしょ。・・・何だろう、政治だとか、経済だとか。まあ、大事は大事だけど、中途半端だとぼやける気がするんですよ。教会でも、会議ばかりしたり、神学論争したり。それも大事だけど、まずは一番遠い究極のところと、一番身近な今ここの現実を、きちっと見るならば、中途半端なあたりも、ちゃんと見えてくるんです。
 聖劇もまた、神の愛の現れですから、 究極の愛をすごく身近に感じてもらうために、本気で頑張りました。

 究極の存在である神さまの愛が、すぐ目の前に現れる、これが「ご公現」です。
 今回の聖劇は、この前もお話ししましたけど(※8)、「教会家族」をテーマにしました。教会家族こそが、究極の神の愛を、最も身近に、分かりやすく表しているからです。
 普通の家族が愛し合う話なんて、いくらでもあるでしょ。「家族的」な仲のいいチームだって、世の中にいっぱいありますよ。「よかったね」って話ですね。でも、「教会家族」は、これは神さまが結んだ永遠の家族であって、神の愛の現れであり、キリストそのものなんです。教会家族を見たら、神さまがホントに愛であることが分かる。教会家族を体験したら、私たちは救われているっていうことが分かる。そういう、神の愛の、目に見えるしるしを見せたいんですよね。
 つまり、教会家族って、ただ仲良くしてるだけじゃだめなんです。それを、人々に見せないと。どんなに素晴らしいことが書いてある本だって、開かなきゃ意味がないでしょ。どんなにおいしい鳩サブレ―だって、 缶のフタを開けなきゃ意味がないわけです。食べれなきゃ、なんの意味もないじゃないですか。・・・この聖堂の中に、どれだけ教会家族が詰まってても、これを見せないと。前の道行く人にも味わってもらわなきゃ。意味がないんです。・・・教皇が主張しているのは、そのことです(※9)。「あなたたちは、幸せでいいよ。だけど、それだけでいいわけないでしょ」と。見せてあげてください。表してください。
 クリスマスに、コンサートをしたり、聖劇したり、まさに教会家族として、教会家族そのものを表現してたんです。あの舞台は、それをよく表せていたと思う。アンケート用紙を読んだら感動しますよ。見た人たちがみんな感動してるし、「教会家族って、そういうことか。よく分かりました」っていうのも少なくない。まあ、そりゃあそうだ。だって、あの日、あの劇場は、ほとんど「教会家族洗脳空間」でしたからね。(笑) 現実の教会家族が力を合わせて、実際に教会家族という内容の劇をやっていて、それによっていっそう教会家族になっているという姿を、誰が見ても分かるほどにはっきりと見せていたし、観てる方も、それを見ているうちに、自分も教会家族の一員だって感じ始めてしまう、そういう仕組みになってるんですよ。なんか、マルチ商法かなんかの人たちに、教えてあげたいくらい。(笑)
 だけど、マルチ商法だったら、高い商品買わされるだけだけど、これは最高のことでしょ、「神は愛だと知る」とか、「私はもう救われていると知って安心する」とか、「教会家族という現実に励まされて神の国への希望を持つ」とか。・・・それを見せてあげたいっていう熱い思いがあるのが、教会です。
 ぼくらも、星を仰ぎつつ、「星」になるべきなんです。・・・キラリと輝く多摩の星にね。
 それをみんなに見せない限り、ここに教会がある意味はありません。 それを見た人たちが、「ああ、ここに教会があってよかった」って、そう思ってくれなければ、意味がありません。

 新年にあたり、今年の標語っていうのを決めました。
 ・・・私が勝手に、元日に決めたんですけどね。ちなみに去年の標語、覚えてます?(※10) ・・・みんな、忘れちゃうんですよね。今回は、絶対覚えていてくださいよ、今年の標語。お元日のミサの説教でお話しして、 その後のお祝いで、乾杯のときに唱和したんです。
 これは、青年会の会長がつい先日、口走った言葉です。
 今、青年会はね、この前もお話ししましたけど(※11)、仲間を増やすために、初めて来た青年に、勇気を持って声を掛けてるわけですよ。・・・勇気はいりますよ、知らない人に声を掛けるのは。でも、勇気を持って声を掛ける。そうすると、教会家族のメンバーが増えていく。実際に、そうして声を掛けられて、見てのとおり、青年がこんなに増えちゃった。・・・「増えちゃった」っていうのは失礼ですけど、まさにそんな感じです。どんどん増えちゃう。
 で、その言葉っていうのが、
 「一瞬の勇気で、一生の家族」
 ・・・残念だったね、今日、全国放送がない。(笑) これこそ、みんな聞くべきでしたからね。
 「一瞬の勇気で、一生の家族」、韻を踏んでるとこがいいね、「一瞬」、「一生」。
 ・・・覚えときましょう。ちっちゃな勇気です。「一瞬の勇気」で、きらりと輝く多摩の星が光ったとき、「一生の家族」になる人が現れる。その人にとっては、「あそこに出会わなかったら、今、いったいどうしていただろう」っていうような、そんな喜びが生まれる。ぜひ、この一年の標語として、ご公現の日に、心に刻んでいただきたい。

 「ご公現」って、それは、「多摩教会の公現」なんです。
 神はご自分を現します。教会こそがその現れです。教会はイエス・キリストなんだから。「イエス・キリストのご公現」、イコール、「教会の公現」なんです。・・・イコール、「多摩教会の公現」。隠しておく必要は何もない。

 3人の博士は、遠い星を見ながらはるばるやってきて、うまやの近くまで来たとき、いくら空に星が光ってたにせよ、さてどの家かまでは分からなかったはず。「どこがその家だろう?」「どこにその幼子がいるだろう」って探したはず。暗闇の中、「いったい救い主はどこだろう?」って。
 でも、近づくと、イエスさまの泣き声がしたはず。「ふえ〜ん」ってね、闇夜の奥に。その小さな、小さな声を、博士たちが聞き取ったとき。これが教会の始まりでしょう。
 ・・・私たちも、一人ひとりが、主キリストとなって、小さな声であっても、神の愛を現します。
 「教会のご公現」
 今年、どれだけの人が救われるでしょう。楽しみです。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1:「ご公現の主日」
◎「公現の主日」 (主の公現)(既出)
 「公現の主日」は「公現の祭日」ともいわれる。
 この日は、キリストの人類への最初の顕現(出現)である、東方の三博士来訪の秘儀を祝う祭日になっている。
 本来は1月6日だが、日本のようにキリスト教国でない国では、1月2日から8日までの間の日曜日に祝われている。(文中へ戻る
===(もうちょっと詳しく)===
 「公現の主日」は、エジプトで冬至に当たる1月6日に祝われていた、太陽神の祭りやナイル川での祭りに起源があるとされているが、2〜3世紀からは、この日にキリストの降誕、洗礼、カナの婚礼などを記念するようになった。
 4世紀以降、西方教会と東方教会(正教会)との間の交流が進み、12月25日に主の降誕を祝う西方教会の習慣が定着すると、東方教会でもこれに従うようになった。
 西方教会では東方教会の影響を受けて、1月6日を、全世界に対するキリストの顕現を記念する日とし、東方三博士の来訪(マタイ2:1-12)を記念することが一般的となった。
(参考)
・ 「公現祭」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
・ 「主の公現」(「教会カレンダー」ラウダーテ)
**********
【この日の福音朗読箇所】
2016年1月3日(「主の公現」の祭日)
 マタイによる福音書2章1〜12節
  〈小見出し:「占星術の学者たちが訪れる」〉
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※2:「この『星に導かれて』というフレーズに」
(参考):この日の福音朗読箇所から。
占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」 (マタイ2:1〜2)
――――
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 (マタイ2:9-10)
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※3:「今日はFEBCの録音レコーダーが置いてないですね」
 FEBC(キリスト教放送局)は、昨年(2015年)7月初めから、カトリック多摩教会で、晴佐久神父の説教を録音し、番組公開に向け、準備している。
――――
◎FEBC(Far East Broadcasting Company)  既出
 「イエス・キリストとはどのようなお方なのか」ということを伝えるための、キリスト教放送局。2014年、放送開始60周年を迎えた。(>>>「FEBCについて」)
 カトリック、プロテスタントの枠を超え、番組は、礼拝、聖書の話、信仰入門講座、祈りや黙想、対談などいろいろで、それぞれの教派から、神父や牧師、シスターや信徒など、いろいろな方が出演している。
 ラジオ放送は、AM1566kHzで、夜9時半から10時45分まで毎日放送(>>>「AM1566FEBラジオ」)。また、スマートフォンからでも、パソコンからでも、聴くことができる。(>>>「聴き方ガイド」)
 晴佐久神父は、過去に、FEBC主催の講演のほか、「あなたに話したい」という番組名で、2006年4月3日から9月25日まで、また、「あなたは救われた」という番組名で、2013年2月2日から9月30日まで、ミサ中の説教が録音され、番組の長さに合わせて編集したうえ、放送されている。
(参考)
・ 「FEBC Online (キリスト教放送局 日本FEBC)」(ホームページ)
・ 「全国の皆さん、お待たせしました」(2015年7月5日説教)
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※4:(参考)冬の星座
  
        © 国立天文台                 © 国立天文台
               ( 画像はそれぞれクリックで拡大 )
(参考)
・ 「ほしぞら情報2016年1月」、「ほしぞら情報|2014年1月」(国立天文台
・ 「冬の星座を楽しもう」(AstroArts
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※5:「この前の聖劇ミュージカル」既出
◎ 聖劇ミュージカル『みんなの家』」
2015年12月27日(日)開催(於:稲城市立iプラザ ホール)
(参考)
・ 「12/27(日)聖劇ミュージカル「みんなの家」☆チケット完売御礼」(カトリック多摩教会HP:ご案内ページ)
・ 「信じ合う教会家族」(2015/12/27説教)
   (参照)※2:「ミュージカル『みんなの家』
・ 「一瞬の勇気で、一生の家族」(2016/1/1説教)
   (参照)※1:「先週の聖劇
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※6:「3人の博士が週替わりで歌っているわけです」
(「3人の博士」/聖劇ミュージカル「みんなの家」より)
 
             ( 画像はクリックで拡大 )
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※7:「泉屋のクッキー」と「鳩サブレー」の缶
◎「鳩サブレー」で、一番大きそうな缶は、
   48枚入り(配送重量:2400g)という、約34.4×22.8×16.7cmのもの。
◎「泉屋のクッキー」で、一番大きそうな缶は、
   750g入り(配送重量:1400g)という、約31×25×6cmのもの。
(参考)
・ 「鳩サブレー」
 ・・・ 「鳩サブレー :商品のご案内」>「鎌倉 豊島屋
 ・・・ (サイズ参考) 「≪鎌倉 豊島屋≫鳩サブレー 48枚入」(東急百貨店)
・ 「泉屋」
 ・・・ 「スペシャル・クッキーズ」>「泉屋
 ・・・ (サイズ参考) 「≪泉屋東京店≫スペシャルクッキーズ」(東急百貨店)
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※8:「この前もお話ししましたけど」
(参考)
・ 「信じ合う教会家族」(2015/12/27説教)
・ 「一瞬の勇気で、一生の家族」(2016/1/1説教)
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※9:「教皇が主張しているのは、そのことです」同様既出・以下再掲)
 フランシスコ教皇は、2015年9月9日の一般謁見演説のなかで、「福音に真に従う教会は、いつも扉を開いている、もてなしの家のようになるに違いありません。閉ざされた教会や小教区、教会組織のことを、教会と呼んではいけません。博物館とでも呼ぶべきです」と述べ、教会がいつも外に向かって開かれているようにと呼びかけた。
(参考)既出
・ 「教皇フランシスコ、2015年9月9日の一般謁見演説」(カトリック中央協議会)
・ 「家庭とキリスト共同体の絆を考察、教皇一般謁見」(2015/9/9 15:01「バチカン放送局」)
・ 「教会、排他的なら『博物館』」(2015/9/18 「カトリック新聞オンライン」)
・ 「排他的なら博物館 ‐教皇 教会に『扉開けて』と要望‐」(『カトリック新聞』2015年9月20日 (2))
・ 「教会と呼んではいけません」(晴佐久神父:『多摩カトリックニューズ』 2015年9月号‐主任司祭巻頭言)
・ 「教会と呼んではいけません」(2015年9月20日説教)
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※10:「ちなみに去年の標語、覚えてます?」
◎2015年標語
 「荒れ野(砂漠)のオアシスとなる教会を目指して」+「私は今年、もう少し優しくなります」
(参考)
・ 「私は今年、もう少し優しくなります」(2015年1月4日説教)
・ 「もう少し人に優しくなります!」(『多摩カトリックニューズ』2015年1月号主任司祭巻頭言)
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※11:「この前もお話ししましたけど」
・ 「一瞬の勇気で、一生の家族」(2016/1/1説教)
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2016年1月3日 (日) 録音/2016年1月16日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英