2015年11月8日 年間第32主日
・第1朗読:列王記(列王記17・10-16)
・第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ9・24-28)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ12・38-44)
【晴佐久神父様 説教】
先週の報告などをいたしましょう。
先週は、鳥取県
大歓迎していただきましたよ。「キャ〜、本物に触っちゃった〜♡」なんて、(笑)言う方たちがいっぱい来てくださって、まあ、嫌われるよりはいいだろうとは思いますけど、ちょっと、なんか面はゆいというか・・・😅。
会の代表の方が
で、「もう一つ」。・・・「セブン‐イレブンができる」と。(笑) これも、ついに鳥取県初のセブン‐イレブンが出店するということで、大変喜んでおられました。
そして、「三つ目に」。・・・「ついに晴佐久神父が来た!」と、(笑)そう言ってくださった。まあ、うれしいことですね、歓迎されるっていうことは。
ですから私、まあ、それを受けてね、お返事しました。今出た話をそのままネタにするのは、得意中の得意ですから、講演会の頭で申し上げた。
「スタバ、おめでとうございます。セブン‐イレブンも、おめでとうございます。しかし、晴佐久神父が来たことの方が、ずっと格上です」と。(笑)
「スタバでは、福音を出しません。セブン‐イレブンでも、福音を売っていません。しかし私は今日、福音を持ってまいりました。福音が
米子っていう所、鳥取県ですね、・・・まあ、全国みんなそうなんでしょうけれども、ここでも信者さんがやっぱり減ってるんですね。高齢化も進んでいて、なかなかこう、教会をやっていくのは大変な状況ではあるわけです。しかし、私はいつものとおり、「本当の福音を本当に伝えれば、どんどん信者は増えていきます」と、その事実を、はっきりと申し上げた。
今日も、転会式(※3)ということで、カトリック教会以外で洗礼を受けた方を4名、カトリック教会にお迎えするわけですが、これは、プロテスタントの方がカトリックに変わったというよりは、本当の福音を聞けないでいた人が、本当の福音を語り、本当に福音を生きているところを求めて移動してきたってことなんですね、人々が。・・・人は、「福音」のもとに集まります。
では、「福音」とは何か。
神さまは私を愛している。
もう私は神さまに救われている。
キリストが、キリストの教会が、今ここにあるこの集いこそが、その目に見えるしるしだ。
神さまが出会わせてくださったこの教会で、私たちは本当に神さまの愛に目覚め、神の救いを深く味わえるし、ここで受けた福音をみんなにも分けることができる。
救われた私は、この世界を救うこともできる。
・・・これが「福音」。
その福音のもとに、その福音が語られているところに、人々は集まってまいります。
「日本の教会はこれからだ!」と、そう言って、米子の方たちを励ましてまいりました。
私、人生において「初鳥取」なんですね。で、翌日は松江教会(※4)もお訪ねしたんですけど、松江は島根県ってことで、これも「初島根」でした。
この「初鳥取」「初島根」で、私ついに、日本の全都道府県を訪問したことになりました。「全国制覇」ってやつですね。(笑) ただこの鳥取、島根っていうお土地柄は、なかなか宣教が難しいんだと、地元の方はそう言うんです。松江教会に行きましたら、松江の信者さんが、この方は前日、米子で講演会を聴いてた方ですけど、私に言うんですよね。
「神父さまは、『日本の教会はこれからだ』なんておっしゃるけれども、私のふるさとの地域では、キリスト教の宣教は、まず無理だ」と。とても閉鎖的で、保守的で、土地の人の警戒心も強くて、「まず、キリスト教は難しい」って、そう熱心におっしゃる。でも私は、絶対譲らなかったですね。
「絶対そんなことない。・・・絶対にそんなことない。ホントにみんな、福音を求めてるんだ」と。そして、「その求めてるものを、私たちは持っているし、そのホントに求めている人、つらい思いに耐えながら、今、その救いを渇望している人に、私たちはそれを与えることができるんだっていう、その自信、確信をね、持ってほしい。その信仰からすべてが変わっていく。そこはどうしても譲れない」と、まあ、そうお話しいたしました。
う〜ん、・・・今の教会、本当に、きちんと福音を語っているか。
今の教会のキリスト者たち、自信を持って、福音をみんなに分け与えているか。
先日、「司祭集会」というのがありました。
これ、15年ぶりに開かれたんですね。確か岡田司教さまが東京教区の司教になったころにあって、その後はずっと、「司祭研修会」っていう形で続いていましたけれども、今回、15年ぶりに、まあ、この15年の「総括」っていうような意味も兼ねてでしょうか、教会の現状を、司祭みんなでもう一回問い直し、話し合おうということで集まりました。100人以上、東京教区に関わる司祭が集まって。
こんなに多く集まったことには、ちょっと感動しましたね。本当に多くの司祭が集まって、熱心に話し合った。分科会もあって。ただ、まあ、その雰囲気は、・・・暗かった。
というのは、東京もやっぱり、「信者が減り始めている」って言うんですね。だから、「教会経済も右肩下がりで・・・」とか、まあ、そんな話が最初にあって、「ちょっとこれ、どうしたらいいの?」っていうような話だったんですよ。
しかし私は、神父になって28年、目の前で信者が減っていくっていう経験が一度もなく、信者が減る原因も明確に理解しているので、その危機感をあまり共有できないんですね。
・・・「どうしたらいいの?」って、答えはもうはっきりしてるんです。本当の福音を本当に伝えたら、今、それを求めて絶望してる人が山のようにいるんだから、少なくともその人たちはみんな集まって来て、「一緒に仲間をやっていこう!」って言ってくれるはずだし、「はず」どころか、私はそれを実際にず〜っと体験してきたし、自信もある。だから、「みんなで、それを、やっていこうよ!」って呼び掛けたいし、かつては呼びかけたこともあったんだけれども、東京教区の雰囲気的には、もうそれがちょっと難しいっていうような雰囲気になっちゃってるんですね。これはやっぱり、「悪霊の働き」っていうしかないんじゃないでしょうか。・・・みんな、恐れちゃってるんですよ。
冒頭、幸田司教さまが、ちょっと現状分析みたいなことをしてくださったんですけれども、とても暗い言葉が、いくつか出てきました。
一つは、「敗色濃厚」っていう言葉でした。敗色濃厚・・・。
司教様なりの真剣な思いを語ってくださったんでしょうけれども、ふと思うに、「敗色濃厚」っていう言葉は、われらがキリストの教会に当てはめていいんだろうか。
・・・「負け」って何だろう?
教会に「負け」なんてあるんでしょうか。そもそも、負けてる現場を「教会」と呼んでいいんでしょうか。イエス・キリスト、負けませんよ。イエス・キリストは、「わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と宣言した。「勝利の王、キリストよ」と、先週も「復活の続唱」で歌いました(※5)。
・・・私たち、
「勝ち
もう一つ、すごい言葉も出てきた。「座して死を待つのか!」 (・・・笑) これもすごいですね。・・・「座して死を待つのか」。
「そうあってはならない」ってことなんでしょうけど、キリスト者が、「座して死を待つ」なんてこと、あり得ない。キリスト者を通して、神は働いているし、私たちの、この「福音の力のすごさ」っていうものを、まだみんな知らないだけ。第一、われわれは「死なない」はずですよね。「もはや死はない」んであり、永遠の命をもたらす福音を生きてるわけですから、そもそも「座して死を待つ」人は、キリスト者ではないんです。
もしも、われわれの気持ちの中に、「敗色濃厚」「座して死を待つしかないのか」、そんな恐れが忍び込んできているとしたら、それは、私は、悪霊のささやきだと思う。悪霊はいつも恐れさせ、そして、「せめて現状を守らせよう」って気持ちにさせるんですね。この現状維持を願う気持ちのせいで、かえって、悪循環が始まるんですよ。これが、悪霊の思うつぼです。今を守ろうとすると、閉鎖的になり、排他的になり、どんどん狭くなっていく。事実そうやっておかしなことになっていく企業とかチームとか、私たちいっぱい見てきてるはずです。・・・現状を守ろうとして滅んでいく。
さっき、イエスさまが福音書の中で(※6)、「律法学者に気を付けろ」(cf.マルコ12:38)って言った。
「長い衣をまとって歩き回ったり、挨拶されることとか、上席、上座に座ることを望んで」(cf.マルコ12:38〜40)とか、そういう人たちっていうのは、結局、現状を守ろうとしてるんですよね。自信がないから。怖いから。
「ローマの侵略を前に、座して死を待つのか!」
「われらがユダヤの神殿だけは守らねばならない!」
「敗色濃厚な中、われわれの伝統だけは滅ぼされてはならない。なんとか守らねばならない!」
そうやって、内向き、内向きになって、「すべての人の救い」とか、「今、本当につらい思いをしてる目の前の人を救う」とか、そういうことから、目をそらさせてしまう。これが一番怖いことだっていうのが、イエスさまの教えでしょう?
それに比べて、イエスさまの目の前で、「1クァドランス」って、ここの説明(※7)では「100円足らずぐらい」ってありますけれど、まあ、「100円足らず」っていうことは、50円玉2枚っていうことでしょうかね(※8)。・・・このエピソードで、なぜ「2枚」かっていうと、1枚は自分の分として取っておくこともできたのに、2枚とも入れた、つまり全部入れたっていうことを強調してる。・・・「ぜんぶ」。
このやもめは、さわやかです。信じてるんです、神を。神にすべてを委ねてるんです。全部差し出すことで、すべてを手に入れる。さらには、自分の持っているものすべてを信じて差し出すことによって、多くの人の救いを生み出す。・・・それは、神さまがなさること。
現に、このやもめの話、二千年たっても語り継がれてますもんね。今日も、この多摩の聖堂で、このやもめ、お名前も知りませんけど、こうして語られて、「そうだ。私たちも、『今あるものを守ろう』じゃなくって、ぜ〜んぶ神さまに委ねて、自分の持ってるものをどんどん差し出して、神さまのご用に役立ててもらおう」って気持ちにさせてくれてる。「100円」が二千年後になおも救いに用いられ続けている。
委ねて差し出せば、神さまが働いて、仲間も集まっていく。どんどん増えていく。私はそうありたいと願い続けてきましたし、多摩教会もそういう教会でありたい。このやもめは、その模範です。
司祭集会で、岡田司教さまが、「一隅を照らす」っていう言葉をお使いになったんです。仏教の言葉ですね。
最澄さんの言葉で、「一隅を照らす(※9)」っていうのは、「一つの隅を照らす」って書くんですけど、「一隅を照らす者でありたい」っていうような、まあ、そういう使い方をしますけれども、その意味は、この世で本当に価値ある宝は、宝石のような宝物ではなくて、小さく貧しい者でも、自分が置かれた場所で精いっぱい、自分の働きを差し出す、自分の輝きを輝かせる、すなわち「一隅を照らす」、そのような人こそが真の宝だ、そのような人こそが、大きな実りをもたらすんだと、そんな意味です。
今、マスメディアを利用してとか、もっと効果的なシステムでとか、ついつい「楽して効率よく」みたいな思考法で危機に対処しようとしちゃう風潮の中で、「一隅を照らす」っていう仏教用語を使って、岡田司教さまは、「なすべきことは地道な福音宣言だ」「一人ひとりへの救いの証しだ」「どんなに小さなともし火でも、キリストの光を、あなた自身が輝かせてくれ」「一隅を照らすキリスト者になってくれ」と、そうおっしゃってるんです。「まずはあなたが、キリストの復活、永遠のいのち、神さまの愛の証人となってくれ」と。みんながそれをしたときに、そこに仲間が集まる。そして、長い目で見たら、世界が変えられていく。
「何かドーンとデカいことをして、ドーンと変えよう!」とか、「うまいプログラムで、情勢を変化させよう」なんていうのは、結局みんな消えてってしまう。そうじゃなくって、誰も見てなくても、置かれた現場で、精いっぱい。一人、一人。
岡田司教さまが、この司祭集会で、いろいろお話しくださったときに、私、思わず目頭が熱くなったシーンがある。
・・・司教さまが、謝られたんですね。「この15年間、私は力が足りませんでした」っていうようなことをおっしゃった。
私はそれを聴いて、思わず、「あなたのせいじゃない、私たちのせいです!」って、情けないような、恥ずかしいような気持ちになって、目頭が熱くなってしまいました。
岡田司教さまが司教になられたとき、2000年ですけれども、就任のミサで説教をなさったんですよね(※10)。私、もう、その説教に感動して、もう、事あるごとに、その話をあっちこっちでしてきました。・・・シンプルな説教だった。それは、
「東京教区の司教に就任するにあたり、私は、一つの決意を新たにします」と、
「私たちの教会が、すべての人に開かれた共同体になるように、私は努めます」と、
「特に、弱い立場に置かれている人、圧迫されている貧しい人に、慰めとなり、励ましとなり、安らぎとなり、救いとなり、力となり、希望となる、そのような共同体を育てていくことを、私は、ここに決心いたします」と、そして、最後に、
「そのような決心を、私が実現できるように、どうか、この私を助けてください」と、
そうおっしゃった。・・・何度もあちこちでお話したから、もう覚えちゃいましたよ。
・・・「どうか私を助けてください」とおっしゃった。
私は感動したし、はい、私は一司祭として、お助けしますと決心しましたし、そもそも司祭なんて、司教から叙階され、司教の手足となる者ですから、もう、それこそ、やくざの親分のために身を捧げる子分みたいなもんですよ。「親分がそうおっしゃるならもう、私は、それをやりましょう」と、この15年間、力を尽くしてきたつもりです。
でも、その司教さまが、「私は力が足りなかった。申し訳ない」って謝っている姿を見て、「司教、それは違う。私たちが、ちゃんとお助けしなかったんだ」と、そう思わされました。
現に、司教さま、こうもおっしゃったんですよ。
「実は、私のところにも、うつの人たちが訪ねて来る。この私自身も、うつ気味になって、すごく苦しかった時期があるから、そのうつの人の気持ちがよく分かる。だから、うつの人が訪ねて来るときに、なんとか対応してあげたいけれども、それができずにいて、とてもつらい」と。
でもね、そんなこと言ったって、一教区の大司教ですよ、しかも今、埼玉教区も兼任しておられる。そんな、一人ひとり、対応できっこなじゃないですか。だからこそ、司祭がいるわけでしょ。
実際、「司教と司祭は一つです」と、そうもおっしゃった。つまり、彼が言いたいことは、はっきりしてますよね。
「頼む。あんたたちがやってくれ」と。
で、同じことを私も、・・・司教ではないですけど、皆さんにも言いたい、
「みんなでやってこうよ」と。
司教さまにそんなことを言わせちゃったことは、ホントに申し訳ないと思うし、私、司祭集会の合間を見計らって、司教さまに申し上げました。
「司教さん、私は、司教さんの就任のときのお説教に感動したし、そのおっしゃるとおりに頑張ってまいりました。それなりの実りももたらしております。だから司教さま、司教さまのこの15年間は、ちゃんと使命を果たしておられます」
そう、お励まししたのですが・・・。
今日、転会式ということで、私たちの教会家族も仲間が増えますけれども、「一隅を照らす」者になっていただきたい。持っているものをぜんぶ、神さまに差し出しても、かえってそのために神さまが働いてくださって、大勢の素晴らしい仲間に奉仕することになって、そこに真の喜びが生まれる。そのような、教会の仲間になってください。
この転会式で、堅信式(※11)も授けられますから、聖霊が降ります。その聖なる霊の働きに導かれて、共にやってまいりましょう。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)
※1:「カトリック米子教会」
◎カトリック米子教会
場 所: 〒683-0815 鳥取県米子市東倉吉町76 (JR山陰本線米子駅下車徒歩約15分)
ミサ時間: 日曜日9時30分、金曜日10時
(左の地図は、マウスのカーソルで、拡大縮小、東西南北への移動などの操作ができます。また「詳しい地図で見る」をクリックすると、別ページに拡大地図が表示されます。右の地図は、クリックで拡大できます。)
歴史:
1897(明治30)年、「パリ外国宣教会」のデルイ神父が、米子市灘町の民家を借りて布教開始
1929(昭和4)年、松江教会から、イエズス会のハマヘル神父が布教再会
1933(昭和8)年、米子教会献堂式
1958(昭和33)年3月、淳心会(スクート会)に移管
1981(昭和56)年11月3日、米子教会創立50周年祝賀ミサ
1995(平成7)年4月、広島教区司祭へ移管
(参考)
・ カトリック広島教区HP(鳥取県「36.米子教会」)
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※2:「記念ミサと講演会があって、お話を頼まれて行ってまいりました」
そのときの様子が、「カトリック岡山鳥取地区広報室」のfacebook(フェイスブック)に掲載されています。
(参考)
・ 「カトリック岡山鳥取地区広報室」11月4日0:19 〔facebook(フェイスブック)記事〕
・ 同上の画像1(ミサの様子)、画像2(講演会の様子)
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※3:「転会式」
キリスト教で、カトリック以外から、以後、カトリック教会に籍を置く方は、「改宗」ではなく、「転会」という。また、転会するための式を、「転会式」という。
この日、4人の方の転会式が行われた。
(画像はクリックで拡大表示)
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※4:「松江教会」
◎ カトリック松江教会
場所: 島根県松江市母衣町47(JR山陰本線松江駅下車タクシー約10分)
ミサ時間(変更の可能性あり・要問い合わせ): 日曜日9時30分、第1日曜日14:30(英語)、平日6:30(イエズス孝女会)金曜日10時、土曜日18時30分
(左の地図は、マウスのカーソルで、拡大縮小、東西南北への移動などの操作ができます。また「詳しい地図で見る」をクリックすると、別ページに拡大地図が表示されます。右の地図は、クリックで拡大できます。)
歴史:
1890(明治23) 年、神戸下山手教会のペラン神父が松江地方布教に尾谷伝道婦を派遣
1897(明治30) 年、パリ外国宣教会のアングレル神父が初代主任司祭となる。
個人宅を「講義所」とし、出雲・石見・隠岐もあわせ布教
1898(明治31)年、講義所移転
1907(明治40)年、講義所が現在の母衣町に移転。司祭館とコック住宅2棟竣成。信者数50余名
1917(大正6) 年、信者が自費で伝道場を新設
1922(大正11)年、パリ外国宣教会からイエズス会に移管
1963(昭和38)年、スペインの姉妹の助成により、教会新築。信者数460名
1974(昭和49)年、広島教区司祭へ移管、以後、教区司祭が主任司祭を務める
(参考)
・ カトリック松江教会
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※5:「『勝利の王キリストよ』と、先週も『復活の続唱』で歌いました」
「だから私たちも復活する」(「福音の村」2015年11月1日説教)の下から2番目の段落(この辺)をお読みください。
★歌詞(一部) (すべての歌詞は、上記説教に掲載しております)
キリストを信じるすべてのものよ 主の過ぎ越しをたたえよう
子羊は羊をあがない 罪のないキリストは罪の世に 神の赦しをもたらされた
死といのちとの戦いで 死を身に受けたいのちの主は 今や生きて治められる
(中略)
共にたたえ告げ知らせよう 主キリストは復活された
勝利の王キリストよ いつくしみを私たちに
アーメン アレルヤ
[典礼司教委員会編(1980)『典礼聖歌』 351番 あかし書房](赤字強調は引用者)
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※6:「イエスさまが福音書の中で」
2015年11月8日の福音朗読箇所
マルコによる福音書12章38〜44節。
〈小見出し:「律法学者を非難する」12章38〜40節、「やもめの献金」12章41〜44節〉
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※7「ここの説明」
『聖書と典礼』という、日本のカトリック教会共通の小冊子にある注釈のこと。発行は、オリエンス宗教研究所。この冊子は、B6版のものと、少し大きめのB5版のものがあり、通常は8ページ程度から成る。
ミサは典礼書に従って進められるが、聖書の朗読箇所や、答唱詩編、アレルヤ唱、共同祈願などは、ミサのたびに異なるので、この小冊子が会衆(参加者)に配布され、それに添って進んでいく。
下の小欄には、参考になるような注釈や、共同祈願の意向などが記されている。
(参考)
・ 「オリエンス宗教研究所」
・ 『聖書と典礼』(オリエンス宗教研究所)〈表紙絵が美しく、その解説は、過去の分も載っています〉
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※8:「『100円足らず』っていうことは、50円玉2枚っていうことでしょうね」
この箇所の福音書には、以下のようにある。
「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨2枚、すなわち1クァドランスを入れた」(マルコ12:41〜42)
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※9「一隅を照らす」
◎「一隅を照らす」
この言葉は、平安時代、比叡山延暦寺で日本天台宗を開いた宗祖、最澄〔後の伝教大師〕(767-822)が著した『山家学生式』(さんげがくしょうしき)(818年)の冒頭部分にある。
*****
【『山家学生式』(冒頭)】
国宝とは何物ぞ(国の宝とは何か)
宝とは道心(どうしん)なり(宝とは、道を修めようと求め、努める心である)
道心ある人を(この「道心」を持っている人こそ)
名づけて国宝と為す(国の宝といえる)
故に古人(こじん)言わく(だから、昔の人は言った)
径寸十枚(けいすんじゅうまい)(金銀財宝/直径一寸(約3センチ)もあるような珠10枚)
是(こ)れ国宝にあらず(それが宝なのではない)
一隅を照らす(今、あなたがいる、その場所を照らす)
此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと(その人こそが、何にも替え難い国の宝なのである)(参考)
・ 「天台宗(一隅を照らす運動)」(天台宗)
・ 「一隅を照らす此れ則ち国宝なり」(天台宗 大寺山願興寺 小川文甫住職のコラム)
・ 「一隅を照らす」(「福祉と環境を考える」/個人ブログ)
・ 「一隅を照らす人、千里を照らす人」(「井上宏のページ」/個人ブログ)
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※10:「就任のミサで説教をなさったんですよね」
(参考)
・ 「岡田大司教 東京大司教着座式 説教」〔2000年9月3日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて〕
(カトリック東京大司教区)
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※11:「堅信式」
カトリック教会で、七つの秘跡(洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻)のうちのひとつ。聖霊の恩恵を与えて、洗礼による新しい生命を成長させ、信仰の証しをたてる力を与える秘跡。
(※「秘跡」とは、イエス・キリストの制定によるもので、神の恩恵を示し、キリストの働きによってそれを与えるしるしのこと。)
(参考)
・ 「堅信の秘跡」p.174〜177(『カトリック要理(改訂版)』1979年、中央出版社)
・ 「堅信の秘跡」#1285〜1321
(『カトリック教会のカテキズム』2002年、カトリック中央協議会)
・ 「堅信」(ウィキペディア)
・ 「堅信の秘跡」(Laudate「山本神父入門講座」) ほか
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