神へ帰還する4カ月

2012年7月15日年間第15主日
・第1朗読:アモスの預言(アモス7・12-15)
・第2朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ1・3-14)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ6・7-13)

【晴佐久神父様 説教】

 ポーランドへ巡礼旅行に行ってまいりました。
 ポーランドという国に実際に行って、ポーランドを身近に感じることができて、ポーランドの国が好きになりましたし、ポーランド人にもすごく親しみを感じました。そして何よりも今、ポーランドの人たちが、自国が民主化されたことをホントに喜んでるんだっていうことを肌で感じることができて、嬉しくなりました。
 ポーランド人のガイドさんが、バスの中で熱心にポーランドの近現代史を教えてくださったんですけど、もちろん日本語を話す方ですが、その話し方が、もうなんていうか、興奮してるんですよ。熱いんです。なんでだか分かりますよね。ポーランドっていう国は、自由にものが言えるようになって、まだ二十数年しかたってない。つい最近までず〜っと長い間、西から東から北から侵略されて、また大戦後は共産主義の恐怖政治に支配されていて、自由にものが言えない。熱心なカトリックの信仰をもっている国なんですけれども、自由に福音を語ることすらできないような、そんな長い歴史の中で、ようやく本当に自由を手にすることができた。そのポーランドの人たちの嬉しい思いがね、熱〜い思いがね、溢れていて。まあ、そういう気持ちっていうのは、やっぱり実際にその地を回ってみないと感じられないことなんだなあと。あのポーランドのガイドさんの、なんか口から唾飛ばすような、・・・もうホントに嬉しくってたまらない様子、今までどれほど大変だったか、そして今、自由になったことがどれほど素晴らしいかっていうことを感じさせるお話。・・・今回の巡礼ではそれが一番印象に残りました。
 ちょうど7月は夏真っ盛りでね、長い冬が終わって、ポーランド、緑の国なんです。一斉に木々が芽吹いている。そんな中でみんなが日の光を熱心に浴びてる姿っていうのが、今のポーランドの姿に重なって、何ともこっちまで嬉しくなるような。

 今回の巡礼は十日間でしたけれど、帰って来たらそれで終わりかっていうと、実はそうではなくて、私たちは人生という巡礼の旅を歩いているわけです。その旅は苦難に満ちているけれども、最終的には「長い冬が終わって春が来る」「独裁が終わって自由になる」「さまざまな悪にとらわれていたけれども、そこから解放される」・・・そういう旅路を私たちは歩んでいる。そういう巡礼の旅を私たちは生きている。このイメージはすごく大事ですよ。
 私たちは巡礼の旅をしております。今、旅の途中なんですよ。もうどこかに辿り着いたっていうことじゃない。今の悪とか、罪とか、それがいつまでも続くというわけでもない。神さまは必ず日の光をもたらしてくれるし、必ず私たちをとらわれから解放してくれる。この巡礼の旅路は「解放」で終わると、そう信じて歩んでいきます。確かに現実は大変です。アウシュビッツはどれほどの地獄だったか。共産主義の恐怖政治もどれほど恐ろしかったか。やっとそこから解放されたからといって、じゃあこれで天国完成かっていうと、これからもまた苦難の歴史があるかもしれない。しかし、われらが巡礼の旅路は必ず聖地で終わるという、その希望は決して忘れてはならない。
 このミサに集まってる皆さん一人ひとりも、今旅路の途中なんですよ。私だって、「成田に帰ってきました。ああ巡礼旅行終わった」って言うとしたら、それは違う。まだ旅路の途中です。やがて本当に聖地が待っている。真の解放が待っているという希望が必要。
 先ほど、第2朗読でパウロがすごいことを言っておりました。
 「わたしたちは天地創造の前から愛されていた。選ばれていた」(cf.エフェソ1:4)
 皆さんのことですよ。天地創造の前から愛されていた。選ばれていた。何のためか。この人生という巡礼の旅を歩むためです。神さまはそうして私たちを愛して選んで、この人生という巡礼の旅を与えてくださいました。歩いていきましょう、イエスさまと共に。この旅路は勝利で終わります。

 ところで、パウロの言い方ですと、その旅路を与えてもらったのは、それは「神の栄光をたたえるため」だ。そうも言っております。今日もこのミサで私たちは神の栄光をたたえておりますけれども、「神に賛美を捧げること」、それが私たち最もなすべきこと。神さまから選ばれて巡礼の旅に出てきました、この人生という旅を歩んでいます、さあ、では何をしたらいいか。・・・確かにいろいろやってます。食べたり飲んだり働いたり。でも一番なすべきことは、神の栄光をたたえること。賛美すること。今こうしてミサで神を礼拝して神の栄光をたたえている、これが、巡礼の旅路で最もなすべきことだ。これができたら、私たちの人生は、もうほとんど聖地に辿り着いたも同然と、そういうことになる。この旅路を歩んでまいります。悪霊と戦いながらね。
 イエスさまが弟子たちに悪霊に対する権能を授けるってところを読みましたけれども、そのとき、「他には何もいらないよ」とも言ってます。袋も、金もいらない。何にもいらない。「わたしが一緒にいるからだいじょうぶだ」。「二人ずつ組にして遣わす」っていうのはそういうことでしょうね。ほら、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもいる」ってイエスさま、約束なさったでしょ? だからこれ、二人ずつ組にしてるんじゃないですかねえ。「わたしが一緒にいる」、そのために。だから、もう後は何もいらないんですよ。何にもいらない。むしろ余計なものがあっちゃいけないんじゃないでしょうか。何にもなくてもイエスさまが共にいるから、どんな悪霊でも追い出せる。私たちの巡礼の旅路でなすべき最高のこと、それは、悪霊を追い出して、そして神を賛美すること。

 アウシュビッツ、まさに「悪霊の巣窟」みたいなとこですけど、私、あのアウシュビッツに行ってすごく良かったな〜と思うことがひとつある。それは、「悪」も「善」も、ものすごく身近に感じたっていうこと。
 「身近」っていう意味は、普通に考えたらナチスの悪、たとえばヒトラーの妄想であるとか、収容所での百万人の殺害であるとか、もうそんなのはホントに悪魔のような、遠い世界のSF的な出来事のように思うかもしれないけれども、実はそれは非常に身近な、この私の悪と地続きだっていうのを、とてもリアルに感じた。まずそれが第一ですねえ。
 アウシュビッツなんていうと、なんか遠い世界の恐ろしい出来事で、自分とあまり関係ないように思うじゃないですか。でも、実際に行ったら地続きだって感じた。行くまではね、映画で見たり本で読んだりして、「そんなとこ行くの、なんか怖いな」くらいの気持ちだったんですけど、行ってみたら、目の前にごく普通にあって、とってもリアルなんですよ。現実に人間がやってたこと。貨車でみんな集めてきて、収容所に閉じ込めて、ガス室に送って、隣の部屋の焼却炉で焼きました、と。まるで工場のように次々と。そんなことあり得るものかって思うでしょうけど、実際に私、この目で見て、「これは人間がつくったもの、人間がやっていること、これが『人間』っていうものだ。人間の中には確かに悪霊が存在している。それは私のことでもある」。・・・このリアリティーは、やっぱりすごい。ドキッとする実感です。
 だって、私もですね、やっぱり「ああ、なんかあの人やだな」とか、「この人いない方がいいのにな」とか、チラッと思うわけですよね。そんな思いと、「あの民族、絶滅した方がいいな」って思うのは地続きなんですよ。実際に「あんたの顔も見たくない!」って追い出すのと、ガス室で殺して隣の部屋で焼くのと地続きなんですよ。「そりゃ規模が違うだろう」って言うかもしれないけど、同じ悪霊の働きです。「あっ、これは私のことだ」「アウシュビッツは、人間の話、私の話だ」、これはすごくリアルに感じた。
 あのガス室の隣の焼却炉の煙突から、煙が上がるわけですよね。人を焼いてる煙が。で、そのすぐ先に、収容所の所長さんの家があるんですよ。立派なお家でね、そこで妻子と暮らしてたっていうの聞いて、ちょっと愕然としました。子育てしてたんですよねえ。ガス室からすぐ、目に見えるとこですよ。そこでもう、何万人、何十万人と、次々と人を殺して焼いている隣で、所長さんはまあ、おいしい食事をして、奥様と子どもたちと幸せに暮らしている。・・・悪の隣の日常。なんかそれって、「私たちの姿」っぽくないですか? 何の疑問も感じずに夫婦は愛し合い、良い子を育てようってしてるわけじゃないですか。たとえば子どもが食べ物残しちゃったりしてね、お父さんが叱るわけですよ。「だめだよ、命を粗末にしちゃ。豚や牛も生きものなんだからね」とかね。ブラックですけど、それ、私たちの現実じゃないですか。ぼくらだって、気づいてないってこと、あるでしょ? 
 日本は自由にものが言えるっていうけれども、果たしてマスコミはどうなのか。現実に私たちは、本当に自分の中の罪を知っているか。人の苦しみの隣で、平気で幸せを享受してるんじゃないか。悪霊がこの日本にも、この「私」にも、ちゃんといるっていうことに気づかなければ、アウシュビッツ眺めても、何の意味もないでしょうねえ。

 それと同時に、この悪霊の巣窟の真ん中に、善なるものもおられる。・・・善なるもの。
 私たちの教会は、「マキシミリアノ・コルベ教会」ですけれども、コルベ神父さまのお亡くなりになった所も訪問しました。アウシュビッツの11号棟18号室でしたか。あの悪霊の巣窟の真ん中に、なんと、聖者もいる。そして私は、その聖者もこの私の中にいるということを、すごく身近に感じて、これまた大発見!
 コルベ神父なんて、もう雄々しく殉教していった立派な聖人で、私なんかはとてもそんなことできないって、普通思うでしょう。けれど私、ここがコルベ神父が一歩前に踏み出して「私が身代わりになります」って言った場所にプレートがあるんですけど、そこの前に行って、ものすごくこう、・・・聖人の心をリアルに感じた。身近に感じた。「ああ!これは何か超人的な英雄のものすごい決心とかっていうんじゃなく、本当に神の愛を信じている人の、すごく自然な振る舞いだったんだ」と。コルベ神父さん、ホントに、ごくごく自然に、静かに、「私、代わります」と進み出たんじゃないか。これまた、やっぱり私の中にある「善なるもの」と地続きなんですよ。
 小さな子が転んで泣いてたら、「どうしたの? だいじょうぶだよ」って抱き起してあげる。そんな自然な善が、私たちの中にあるじゃないですか。それと、コルベ神父さまの聖なる身代わりと、やっぱり一緒なんです。同じ神の愛の働きです。
 ナチスに捕らえられてアウシュビッツに送られ、同じ棟から脱獄者が出て、見せしめに10人が死刑にされるというとき、炎天下、庭に並ばされてる人の中で、死刑に選ばれたひとりの囚人が「私には妻も子もいる」と言って泣き崩れた。そのときコルベ神父は一歩前に出て、ナチスの将校に「私が代わります」と言った。実際に泣き崩れたその人は助かって、アウシュビッツ解放後、妻子の元に戻ったんですよね。
 このコルベ神父さんが餓死刑に処せられた地下牢は、なんとも恐ろしい現場でしたけれども、その天井付近に小さな窓がある。コルベ神父さまは餓死刑を2週間生き延びて、その間ずっと祈り、讃美歌を歌っていたわけですが、私、その窓の外側の庭に出て、庭側からその窓を見下ろしたんですけど、そのとき一瞬コルベ神父さまの歌が聞こえたような気がしたんですよ。・・・「サルヴェ・レジナ」でした。一瞬聞こえた気がした。
 そんな賛美の歌声は、人間が巡礼の旅路の途中で、最も歌うべき、神の栄光をたたえるべきことでしょう。それは、私たちがなすべき最高のことを示してるんじゃないですか。

 片やナチスのヒトラーの悪霊があって、片やコルベ神父の聖なる身代わりがあって、で、それはどちらも遠い世界の話じゃなくって、この私の毎日として存在してるっていうのが、ぼくらの気づきとして必要でしょう。毎日のこと。毎日10回くらい、ヒトラー側かコルベ側かっていうようなチャレンジがあるんじゃないですか? ちょっと譲るとか、イライラせずに忍耐するとか、誰かを喜ばせてあげるとか、代わりになってあげるとか、1日10回そんなことあるでしょ。「ああ、でもやっぱりここは、う〜ん、どうしてもこれ、自分のためにやりたいから・・・。ごめんね」みたいな小さな悪っていうのと、「ああ、でもここは我慢して、もう少し待ってあげよう」とか、そういう聖なる小さな決断とかは、これ、毎日10回くらいあるでしょう。どうですかね、皆さんの毎日は。10戦で何勝何敗っていうの、毎日付けたらいいですよ。「今日は3ヒトラー、7コルベだったな」・・・どんな感じなんですかねえ。私たちの毎日。「昨日もおとといも10ヒトラーだった。そろそろ1コルベ必要かな」くらいなのか・・・。毎日のこと。私たちの巡礼の旅路は、この毎日のチャレンジを必要としているんじゃないですか。

 旅から帰ってきたら、この春洗礼を受けられた女性がおひとり亡くなっておられました。彼女は去年、初めてこの教会に来られた時は、もうホントにつらくって苦しくってという状態でした。子どものころから暴力を受けていて、すごく恐れてるんですよね、この世界を。だから自分の心にふたをして、自分を殺して周囲に合わせて精いっぱい生きてきたんだけど、ふたをしてもなくなるわけじゃない。心の奥には、恨みとか恐れとかが巣食っているわけで、根底にものすごいストレスを抱えていたんですよ。で、乳がんを発症した。
 ある人から「がんになるのは、自分の心の中の何かを押し殺しているから。自分の中の本当の思いを見ていないから」。そう言われて、改めて見つめたら、自分の中に恨みとか恐れとかがいっぱいあることを見つけて、苦しみました。絶望的な状況でした。
 そんな中で超越的な救いを求めて、聖フランシスコの祈りを知ったり、マザー・テレサのことを調べたりしているうちに、マザー・テレサの修道会に行って、そこで紹介されて多摩教会に来た。私の本を読んだりしていたので、最初にお会いした時に言われました。「私は本当に、すごく今つらい状況で、なんとか本物の神さまに出会いたい。で、いろいろ調べているうちに晴佐久神父のことを知った。で、正直に答えてほしいんだけれども、晴佐久神父さんは神さまの声を聞いたことがあるんじゃないですか。どうなんですか」。そう言われて、私、即答しました、「もちろんあります。しかしそれは、天からの声とかじゃない。聖書を通して、教会を通して、福音を通して私は神の声を聞いているし、今日、あなたにもその声を語りたい。福音に触れたらもうだいじょうぶです。信じましょう」。
 彼女は福音を信じてくれましたし、すっかり明るくなって洗礼を受け、そしてほんの数カ月信仰生活を送って亡くなりました。でもその巡礼の旅路は、主と共にある旅路として、最後、神の栄光をたたえる旅路になりました。
 今日ちょうど、「受洗者記念文集」ができてますので、お配りいたします。受洗者が真心から書いた信仰の証しです。先ほどお話しした、先日亡くなられた方の文章ももちろん載っておりますので、読ませていただきます。

 「洗礼を受けて」

 水をかけられて以来、私の心は満たされています。喜びと平安に満ちています。今までの人生に感謝し、まったく新しい人生を始めようと思います。
 ああ、これが「秘跡」というものなのか、と思います。水をかけられながら、原初キリスト教のヨルダン川で、ザバーッと頭から水を潜る情景が浮かんできて、私の中で何かが、確かに変化しました。二千年もの間、秘跡は生き続けているのですね。
 これほどみずみずしく、生き生きしたイエス様のエネルギーが連綿と続いてきたことに、心から驚嘆します。そして、それを守ってきた本当にたくさんの方々、教皇様、司教様、司祭様、聖人聖女の方々、殉教者の方々、修道士修道女の方々、信者の皆さんに、心からの敬意と賞賛を捧げたいです。そして、この大きなコミュニティーの一員にならせて頂いたことに、喜びと感謝と誇りを感じます。
 私が多摩教会に初めて伺ったのは、昨年の11月末の事でした。マザー・テレサの修道会のシスターから、教えて頂いたからです。
 訪れた多摩教会は、私にとってまさしく荒れ野の中のオアシスでした。ミサに与る度に心が満たされました。そして教会の皆さんの言葉の端々から、立ち居振舞いのすべてから、存在の有り様から、信仰を持ち続けることがどういうことなのかが、言葉を超えて伝わり、どんなに癒されたことでしょう。ああ、ここには本当の誠実さがある、欺瞞に満ちた社会の中で、ここだけは愛に基づいて生きる方たちがいる。私ももう一度、人を信じ、神を信じて生きてみよう、と思うことができました。
 晴佐久神父様のCDも毎日聞きました。電車の中でも、買物中も寝る前も。まるで渇きを癒すように聞き続け、3カ月たった頃、ふと気づくと、心の痛みが消えていたのです。思い出すと心がチクチク痛んだことごとを、もう思い出しても痛くない。心の傷がピッタリふさがって、すっかり癒されていました。私にとっては奇跡でした。
 この4カ月間は、神に近づきたくても、近づけなかった私が、癒され、神と和解し、親しく神と出会えた、神へ帰還する4カ月でした。
 そして洗礼を受け、私は神によって満たされました。これからも何があっても、何がなくても、全ては神の御心の中で生きていくことができます。
 晴佐久神父様、代母様、入門係の皆様、教会の皆様、お導き頂きまして、本当にありがとうございました。言葉に尽くせぬ感謝でいっぱいです。これから、さらに信仰を深め、皆様にご恩返しができるよう、歩み続けたいと思います。

 ・・・という文章です。
 ご家族が信者でなかったので、教会でのご葬儀ミサはしておりませんけれども、今日のミサはご葬儀ミサのような思いでお捧げします。でも、考えてみたら、キリストと共に死ぬ洗礼は、生前葬みたいなものですからね。もういいんですよ。彼女が人生の最期にキリストによって悪霊に打ち勝ち、このような尊い数カ月を生きられたことは本当にうれしいし、喜びたい。
 彼女の人生の巡礼の旅路は、神へ帰還する栄光の旅路となりました。

2012年7月15日 (日) 録音/7月21日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英