2015年10月4日年間第27主日
・第1朗読:創世記(創世記2・18-24)
・第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ2・9-11)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ10・2-16)
昨日、とても懐かしい体験をしたので、ちょっとその話をさせてください。
思ったより変わってなかったっていうのもあるんだけれど、すごいですよねえ、そこを通っただけで、一瞬のうちに、走馬灯のように、いろんな友達の顔とか、さまざまな出来事とかを、パーッと思い出して、胸がこう、キュンキュンしたんですよ。・・・この、懐かしくて胸がキュンとするっていうのはいい気持ですねえ。「ものすごくうれしい!」って感じじゃなくって、何ていうんでしょう、心臓の、ちょっと裏っ側の辺りが、キュッとするっていう・・・。
いろんなことありましたからね、十代半ば。踏切を渡った所に細い小道があって、線路脇にゴミ箱があったんですよ。昔、ありましたでしょ、コンクリートの、作り付けみたいなゴミ箱。・・・私は本を読むのが大好きで、「晴佐久は、図書室の本をぜんぶ読んだ」っていう
ちょっと入ったところに本屋さんがあってね、よく寄りました。だって、図書室の本なんか、古い本ばっかりでしょ。新刊なんかない。だから、広告に出てくるような新刊は本屋で読むんですよ。立ち読みってやつですね。で、そんなことしてるって、あるとき母親に口走っちゃったんですよね。そのときは母は何も言わなかったんだけど、あとで父に、「何とか言ってください」とでも言ったんでしょう。程なく、私がその本屋で立ち読みしていると、父が突然現れて、「本は買って読め!」って言って、私の手から本を取って、レジに持って行って買ってくれたんですよ。・・・懐かしいですねえ。
友達と道端でけんかしたり、ほのかな、とある特別な思いを、とある特別な人に向けて道端で待ち伏せしたり・・・。(笑)いろいろありました。
だから、講演会でも、昔のね、懐かしい話やら、両親の話やら、なんだか夢中になってしゃべっちゃいました。
「懐かしい」っていうこの気持ち、何なんでしょうねえ。
今日こうしてお話ししてることも、10年たったら「懐かしい」んですよ。私もやがてここを、「さようなら、皆さん。お元気で」って言って去ってくわけですけど、懐かしく思い出してくれますか? ・・・皆さんは「うん、うん」ってうなずいてくれてますけど、もちろん私も懐かしく思い出すでしょう。不思議ですよね、今は何でもないこのひとときが、やがて「懐かしい」という感情になって思い出される。
昔の教会の思い出、その前の教会での出来事・・・いろいろありました。40年前の商店街での出来事・・・懐かしい。あの辺は、なんか、変わらないですよね。
「懐かしい」って、何でしょうねえ。
懐かしさの特徴として、「昔のことを思い出しているんだけれども、それらがぜんぶ、なんだかよいもののように見えてくる」・・・ってのがありますよね? 「懐かしい」っていう感情を悪い意味で感じる人っていないじゃないですか。
たとえば、昔けんかした、そのときはもちろんすごくイヤな気持ちでしたよ。「ひどいやつだ、ゆるせない!」みたいな思いでいたわけだけれども、これが、40年たったら、「ああ、そんなこともあった、懐かしいねえ」って思える。・・・悪い出来事でも、なにかもっと大きなまなざしでとらえて、「よいもの」として、受け入れる。そういう感覚。この「懐かしい」っていうのは、いいですねえ。
これって、日本語特有の表現なんですよね。共同司式してくださっているペラール神父さま(※3)に聞きたいですけど、そうですよね? 欧米では、ひと言で、この「懐かしい」っていう気持ちを表現する言葉がないとか。かつてあった、いろいろな、さまざまなことを、ホントにこう、良いものとして、いとおしく思い起こして、またさらに、いずれ「今」も、そのような懐かしさに入っていくんだなという大きなまなざし。・・・それ、すごくね、私、宗教的な感覚でもあると思う。
ホイヴェルス神父さま(※4)が、こう言ってるんです。
「祈りとは、神さまと懐かしく交わること」
そう言ったんですよ。・・・母国語がドイツ語の方ですけど、日本語の「懐かしい」という言葉を、すごく大切にしておられて、「神さまと懐かしく交わること、それが祈りだ」と。
確かに、宇宙万物のはじめから、神さまはず~っと素晴らしいみわざを行ってこられた。そのすべてをいとおしく、よいものとして受け入れて、そして今、私たちがここにある。その私の人生のはじめから、神さまはず~っと素晴らしいみわざを行なってこられた。そのすべてを、懐かしく、よいものとして思い起こす。
神さまと深~く交わること。ちょうど、私たちはもう覚えちゃいない、あの失楽園前の楽園を思い出して、無意識の底で慕わしく思い起こしているかのような、神さまとの懐かしき交わり。
「ひせきにこもりて」(※5)っていう歌に、「とわになつかしき なぐさめぬしよ」っていう言葉がある。
「
もう、宇宙のはじめからおられて、ず〜っと私たちのために働いておられて、そして全人類のために、命を捧げて神の愛を表してくださった方。この二千年間、信じる人たちと共にあって、そして今もここにおられて、すべての人が天地創造のはじめから、天地完成のときまで、神の愛のうちにあるという福音を私たちに宣言して、苦難の人生に希望を与えてくださる方。
・・・「永久に懐かしき慰め主」
きっと私たち、やがて、みんな神の国に入れてもらえると思いますけれども、その天の国で、この慰め主と共に、すべてを恵みとして「懐かしく」思い出すんですよ。・・・いいことも、悪いことも。
第1朗読(※6)の創世記によると、神さまがまず一人の人間を創ったわけですが、やがて、「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(創2:18)って言って、まあ、鳥やら獣やらを造ったとあります。(創2:19) しかし、どうもそれらは、ホントの意味で、人を「助ける者」ではなかった。
そこで、神さまは、いよいよ、「もうひとりの人」っていうのを造った。そうすると、その「もうひとりの人」が、本当の意味で、「助ける人」だった。まあ、ここでは、男女が結ばれる話になってますけれども、もっと本質的な意味として読んでいいと思いますよ。
「もうひとりの人」は、助け主。
・・・私を助けてくれる。
なんか、世界がそういう仕組みにつくられていて、この宇宙の歴史は、お互いに助け合い、支え合って存在している。やがて天の国で、すべての出会った人、すれ違った人、家族はもちろん、あの争った人に至るまで、
「ああ、助け手であったんだ。あの人、私を助ける存在だったんだ」
そう、大~きな意味でね、気づくんじゃないですかねえ。すべての関わりを、とても「懐かしく」思い出すんだと思いますよ。
昨日、私の伯母が亡くなりました。昨日の朝死んだと連絡が入ったんですけど、私より上の年代で言えば、残ってる親戚も、だんだん少なくなってきました。
私の父の姉です。子供のころ、わが家をよく訪ねて来てくれました。父は東京に出てきたんですけど、叔母たちはみんな札幌ですので、仕事や何かで東京に出てくると、わが家に泊まる。よく笑う人でね。で、父もニコニコともてなしておりましたけれども、後に本音を聞けば、父は、あの姉はあまり好きじゃないとか言ってました。
というのも、父にしてみれば、ホントは姉たちに母親の面倒を見てほしかったんだけれども、姉たちはあまり母と折り合いが良くなかったんです。それで、結局は東京に住んでいる、末の息子のところ、一番貧しくって、一番子どもが多くって、一番狭い家に住んでいる父のところに、祖母は来たんですよ。ぼくが子供のころです。・・・で、父は、祖母の部屋も必要だし、せめてもう少し広い家に引っ越したいからと、札幌の、この姉のところに金を借りに行ったんですね。姉のところは共働きで子どももいなくて、お金がありましたから。父にしてみれば当然の要求だったんでしょうけど、なぜだか貸してくれなかったんです。それで、帰ってきてから、「あの姉は冷たい、なんてケチなんだ!」って、よく言ってました。・・・なんてこと、ここでこうしてべらべらとしゃべっても、当事者はみ〜んな死んでいきましたから、もうだいじょうぶです。
懐かしいねえ、あの叔母。父の愚痴も懐かしい。そんなこんなのすべてが、実はお互いに、「助け手」になってるんですよ、いろんな意味で。確かに金は貸してくれなかったけれど、でも、じゃあ、その叔母はいなくてもいい人だったか。・・・そんなことはない。
考えてみてくださいよ。いろんなことがあるでしょ。いやな人もいる。「こいつ、いなければいい」と思う人さえいる。いろんな人がいるけれども、もし、その人がいなかったら、それですごく幸せかっていったら、そんなことないですよね。いろ〜んな人がいるから、この世界なんであって、すべての人が「いる」ことで、互いに「助け手」になっている。きっと、そういう仕組みになってるんだと思うんですよ。長い年月の間を通してみても、きっとそうなってるんだと思う。自分では「助け手」になってるつもりはなくても、そうなっているし、自分では助けてもらってるつもりはなくても、実はそうなっている。
たとえば、皆さん、今ここに座ってますけど、別に、晴佐久神父を助けてるつもりは、さらさらないでしょう。でも、よくよく考えてみたら、ここに誰もいなかったら、私、ピエロですよ、ここでこうやってしゃべってんの。皆さんがいてくれるから、こうして私も役に立っている、・・・役に立てさせてもらってるわけでしょ。
「いや、私が座ってなくても誰かが座るだろうから、私はいなくてもいい」って、みんながそう言ったら、ホントにこの聖堂に人はゼロになるわけですから、あなたが、もうそこに座ってるだけで、あなたは私の助け手であり、ホントにもう、「ありがとうございます」なんですよ。
・・・関係がある。すべての「もう一人の人」と。
「神が結び合わせてくださったもの」(マルコ10:9)だから。
その仕組みや理由は分からないし、いったいどういう助けになってるかも知らないけれど、「み~んな、お互い『助け手』になってるんだ。やがて懐かしくそれを思い出せるんだ」と、そう思ったら、今、あまりこうギスギスね、角を立てずに、「いやあ、いてくれて、ありがとうね。ホントに、お前、ヤなやつだけど、ありがとうね」っていう感じなんじゃないですかねえ。
大っ嫌いな人を好きになる方法があるんですよ。
「人類最後の日が来たのに、私とその人だけ生き残ってる」と思えばいいんです。(・・・笑)
人類最後の日が来たのに、なぜだか自分だけ生き残って、あとはみんな死んじゃった。3年たち、5年たち、絶望的に孤独な日々。ひとり言は言うけれども、もう一人の誰かと話すことなく、生き延びている日々。コンビニの缶詰か何かをね、食いつないで生きているわけですよ。
10年たったある日、ふと、外を散歩してたら、向こうから、かつて一番嫌いだったやつが、ひとりで歩いて来た。(笑) 「ああ、嫌なやつに会っちまったなあ・・・」と言って、避けて通りますか? そんなわけないでしょう。むしろ駆け寄って、抱きしめるんじゃないですか? 「お前も生きてたか~! この10年、どうしてたんだ? どうやって生き延びたんだ? どこにいるんだ?」って、お互いしゃべりまくり、無二の親友以上のパートナーとなって、それから先、二人で助け合って生きてくと思いますよ。それを思うとね、われわれの現実って、なんかこうぜいたくに人間関係を選べるからね、気に入った人と仲良くしてるだけなんじゃないですか。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マルコ10:9)
イエスさまが、さっき福音書で、そう言いました(※7)。夫婦の話をしているようでいて、実はもっと本質的な、あらゆる人間関係のことを言っていると思いますよ。
「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マルコ10:9)
だから、神さまがどういう意味で結び合わせてくれているかっていうことを、われわれは、もうあまり知らなくていいんですよ。今は分からない。やがて天の国で、懐かしく思い出すときに、それがぜんぶ分かるんじゃないですかねえ。そんな日が待っているかと思うと、現実の人間関係も変わってくるんじゃないですか。そして、ホントに「とわになつかしき」方、「なぐさめぬし」、そういう方をこそ、何よりも神が結び合わせてくださった素晴らしい方として大切にしたいし、そして、さらにさらに、ホイヴェルス神父さまがおっしゃったように「神さまと懐かしく交わる」、そんなことが、人が一番幸せなことなんじゃないのっていう気がしてきます。
ここ2週間ほど、「教会家族」の話もしてきましたし(※8)、またその例として、先々週でしたか、あの100キロ超えの彼の話、病院の精神科で出会って、今は入門講座に通っていて、でもまた入院しちゃった彼の話をしたと思います(※9)。うつ病っていうのは、波がありますからね。いいときは、なんとか教会に来れるけど、悪くなると、やっぱり入院してしまいます。
先週、その彼の所に、会いに行ってきましたよ。彼、おなか周り、120センチくらいあるのかな。で、「はくものがなくなっちゃったから買って来て」って言うんで、府中のお店でね、44インチっていうジーンズをね、買って持って行きました。喜びましたよ。
吉祥寺の病院なんですけれど、病院の隣の施設のコーヒーコーナー、・・・喫茶店みたいな所で待っててくれました。ところが、行ってみたら、そこには、彼と一緒に、病院でできた彼の友達の入院患者さんが4人いてね、5人で座って待ってるんですよ。女の子3人と、男の子ひとり。神父さんが来るっていうんでね、ぜひ会わせたいって、彼が、自分の病院の大切な入院仲間を4人連れて来てるんです。
これ、振り返ってみるとね、彼が以前の病院に入院していたときに、多摩教会の青年がそこに入院して、それで友達になったっていうのがきっかけですよね。で、その青年を見舞いに行った神父とも友達になり、近くのこの教会に外出許可を取ってやって来て、救われた。・・・これが最初です。さらに言えば、子どものころカトリックの、あのおばあちゃんから助けてもらったっていうのが、原点としてある(※10)。そういう、教会との出会いが自分の原点だから、彼は、ある意味当たり前のこととして、神父に会わせようとして、もう4人、連れて来るわけですよ。・・・素晴らしいことでしょう?
これ、この4人に、私、当然福音を語りましたし、「多摩教会に、ぜひいらっしゃいよ」とか、「退院したら、ぜひおいで」とか、いろいろ誘いましたけれど、もしもこの4人が入門講座に通うようになって、で、仮にまた入院したとして、それぞれがさらに4人連れてきたら、16人になる。(笑)
「神が結び合わせてくださったもの」、これを離さないように、ちゃんと結び続けるっていうのは、ステキなことですよね。お互い、「助けるもの」なんですよ。
4人それぞれのお話も聴きましたけれど、信頼関係をつくれたと思いますよ。
入院中だから、お金もないんで、そこの喫茶コーナーで待ってるっていっても、何も飲めないで、じっと水だけ置いて待ってるんですよ。だから私も、「さあ、何でも注文して。今日は大盤振る舞いだ~(´^ω^)ノ♪」なんて言って、コーヒーとかケーキとか注文して、みんなに飲んでもらいましたけれども。
お話を聴いたり、笑ったり。・・・皆さん、おとなしいんですけどね。だんだん心をゆるして、病気の話、つらい話も出てきましたね、やっぱり。そして私は、福音を語ります。
驚いたのは、「ミサにおいでよ」って言ったら、みんな、「もう行った」って言う。その彼がね、もうすでに、外出許可を取って、みんなを連れて、近くの調布教会のミサに出たって言うんですよ。・・・入門講座までもうあと一歩ですね、これ。さらにですね、私が、「じゃあ、またね」って言って立ち上がろうとしたら、お互い、こう目配せし合ってですね、「神父さま、祝福をお願いします!」って言って、全員一斉に首からおメダイを外して、目の前の丸テーブルに並べて、「祝福のお祈りをしてください」って言う。
「どうしたの、これ?」って聞いたら、調布教会でみんなで買ったんですって。・・・感動しましたよ、私。「おまえ、本当にいいことしてるなあ・・・」っていう気になった。その彼のことね。
病院の中で、どれほどつらい思いをしているか。そんな仲間たちを、教会に連れて行き、おメダイを買ってみんなで首にかけ、で、神父さんが来るとなったら、みんなを集めて神父に会わせ、「祝福のお祈りをしてもらおうね」って、ちゃんと初めっから示し合わせてある。だって、私が立ち上がろうとしたら、一斉に全員、もう練習したかのように、バッと首から外して目の前に並べましたたから。
ちょっとびっくりしたし、・・・そして、ちょっとうれしかった。
もちろん祝福しましたし、「みんな必ず元気になる。神さまが素晴らしいことをしてくださる。つらいけれど、信じて、安心して、希望を持って、私たち、教会家族として、共に生きていこうよ」と、そうお誘いいたしました。
そんな出来事も、やがて、懐かしい思い出になるんでしょうね。あの5人と私、そして、最初に彼と会った、そのわが教会の青年も、もちろん一緒に行ったんですけどね、その7人で、ホントに「教会家族」として、お祈りいたしました。
いつか天の国で、そのことを思い出して、「ああ、あのとき、一緒にお祈りした時、本当に神さまの愛を感じることができた。ああ、懐かしいねえ・・・」って言うのを、楽しみに致します。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)
※1:「小平」
東京都小平市。
東京都の多摩地域、武蔵野台地の西側に位置する。都心からは26キロほど。
江戸時代(1654年)、多摩川の水を運んだ玉川上水の開通によって、生活用水が供給され、農村としての開発も進んだ。 青梅街道、五日市街道など、主要な街道を中心に、整然と区画整理されている。玉川上水や野火止用水の遊歩道、都営小平霊園など、緑が豊かで、四季折々の自然が楽しめる。
(画像はクリックで拡大表示)
(参考)
・ 「東京都小平市公式ホームページ」
・ 「小平市」(ウィキペディア)
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※2:「府中街道から、ちょっと小川駅の方に入っていった辺り」
(下の地図はマウス等で自由に動かすことができ、また、地図内左上の「拡大地図を表示」をクリックすると、別ページにGoogleマップが開き、詳しく表示されます)
上の地図で、「小平二中」、西武拝島線の「小川駅」、「府中街道」など、位置関係がお分かりいただけるかと思います。
北東にあたる場所に「小川東町」の信号が確認できますが、ここから、ちょうど地図左上の「拡大地図を表示」の文字で隠れている、明治学院中学校/東村山高等学校へ向かう道が、「中宿商店街」。
―――――――
「府中街道」は、川崎市幸区から、東京都小平市までを結ぶ道路の通称。(ウィキペディアでは川崎市川崎区から東京都東村山市となっている)
現在、起点は神奈川県川崎市幸区(川崎区)で、同市の中原区、高津区、多摩区を通り、東京都稲城市、府中市、国分寺市、終点は小平市(東村山市)。
構成する道路は、東京都道16号立川所沢線、東京都道17号所沢府中線、神奈川県道・東京都道9号川崎府中線、国道409号線。
(参考)
・ 「府中街道(個人ブログ)」・・・簡易マップも付いています。
・ 「昔からの6街道」(川崎市役所)
・ 「府中街道」(ウィキペディア)ほか
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※3:「ペラール神父さま」
◎ピエール・ペラール(仏 Pierre Perrard)神父さま (パリ外国宣教会)
1939年6月生まれ。パリ大学卒業後、1965年25歳で来日。6月29日叙階で、今年(2015年)、金祝(司祭叙階50周年)を迎えられた。働く若者たちの活動をサポートするJOC(カトリック青年労働者連盟)の協力司祭。
毎年10月ごろになると、JOCのカレンダーや手帳を販売するため、メンバーと共に、カトリック多摩教会を訪れてくださり、この日もいらしていた。
(参考)
・ 「ペラール神父50周年のお祝い」(東京JOC)
・ 『日本カトリック司教協議会 イヤーブック2009』(カトリック中央協議会) ほか
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※4:「ホイヴェルス神父さま」
◎ヘルマン・ホイヴェルス(独 Hermann Heuvers)神父さま (イエズス会)
1890年8月生まれ、1977年6月帰天、87歳。
1923年、33歳でイエズス会の宣教師として来日。上智大学で哲学とドイツ語の教鞭を執りながら、学生を指導。戦後、麹町教会(聖イグナチオ教会)の主任司祭として司牧。後、名誉主任司祭として活動された。1937年から1940年まで、第2代上智大学学長。
日本の伝統、文化に造詣が深く、日本語で書いた書物も多い。洗礼を授けた人数は、3000人を超えるといわれている。
(参考)
・ 「ヘルマン・ホイヴェルス神父」(「せせらぎ」イエズス会)
・ 「ヘルマン・ホイヴェルス」(ウィキペディア)
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※5:「ひせきにこもりて」
『カトリック聖歌集』246番
*****〔歌詞〕*****
1 秘跡にこもりて われらのうちに
さかえのみ神は とどまりますよ
ぬかずきまつれば ああ心なごむ
奇しきやすけさ
2 とわになつかしき なぐさめぬしよ
淋しき日の友 心の糧よ
君ともにまさば 世におそれあらず
奇しきやすけさ (赤字引用者)
(参考)
・ 『カトリック聖歌集』(1966-1980,聖歌集改訂委員会編,光明社)
・ 「ひせきにこもりて」(個人のHP:「カトリック教会の祈りとしらべ」)
・ 「ひせきにこもりて」(YouTube:「祈りの園」のペトロ神父さまが歌われています)
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※6:「第1朗読」
本日(2015年10月4日〈年間第27主日〉の第1朗読箇所)
創世記2章18〜24節
〈小見出し:「天地の創造」1章1節〜2章25節の抜粋〉
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※7:「イエスさまが、さっき福音書で、そう言いました」
本日(2015年10月4日〈年間第27主日〉の福音朗読箇所)
マルコによる福音書10章2〜16節、または10章2〜12節
〈小見出し:「離縁について教える」10章1〜12節、「子供を祝福する」13〜16節〉
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※8:「ここ2週間ほど、『教会家族』の話もしてきましたし」
(参考)
・ 「教会と呼んではいけません」(「福音の村」2015年9月20日説教)
・ 「主は奇跡を起こしてくださる」(「福音の村」2015年9月27日説教)
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※9:「あの100キロ超えの彼の話、病院の精神科で出会って、今は入門講座に通っていて、でもまた入院しちゃった彼の話」
(参考)
・ 「教会と呼んではいけません」(「福音の村」2015年9月20日説教)
>>> 説教上から2段落目(この辺〜)をお読みください。
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※10:「子どものころカトリックの、あのおばあちゃんから助けてもらったっていうのが、原点としてある」
彼がまだ子どものころ、家庭は崩壊していて、食事もままならなかった。おなかをすかせた彼を、近所に住んでいた、そのカトリックのおばあちゃんが、ご自分の家に招き入れ、食事をさせ、勉強が遅れていた彼を自費で塾にも通わせて、中学を卒業させた。
そのおばあちゃんはもう帰天したが、以後、彼は、「カトリック教会」と聞くと、「あのおばあちゃんの教会」という信頼感を持つようになった。
詳しくは、「教会と呼んではいけません」〔説教上から2段落目(この辺〜)〕(「福音の村」2015年9月20日説教)や、 「病院に潜入したスパイ」〔説教最後の段落〕(「福音の村」2015年5月3日説教)をお読みください。
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Copyright(C)晴佐久昌英