キリストハウス

【カトリック浅草教会】

2017年12月31日 聖家族
・ 第1朗読: 創世記(創世記15・1-6、21・1-3)
・ 第2朗読: ヘブライ人への手紙(ヘブライ11・8、11-12、17-19)
・ 福音朗読: ルカによる福音(ルカ2・22-40、または2・22、39-40)

【晴佐久神父様 説教】

 2017年も、今日でおしまい。
 覚えておられますか? 1月1日も日曜日だったんですよね、今年は。日曜日で始まって、日曜日で終わる、と。この一年のことを、いろいろ思い起こしてですね、この最後の主日に、・・・何でしょう、総まとめみたいな思いを込めて、感謝したいと思います。
 いろいろありましたけれども、まあ、すべては神さまがよいものに変えてくださるわけですし、つらかったこと、自分の弱さ、他人の(あやま)ち、悪いものも全部ひっくるめて、「すべてを神さまがよいものに変えてくださる」と、そう「信じて」、新しい年を迎えることにいたしましょう。

 どうしても私たち、よいものに目が行きがち。でも、「よいものを持った人が、よいものを出し合って、よい社会をつくる」なんていうのは、どうも違うような気がする。むしろ、悪いものを持っている私たち、弱いところを抱えている私たちが「寄り添って」「補い合う」。それこそ、菊地司教のモットーの、「多様性における一致」じゃないですけど、みんなの持っているそれぞれの個性を、大切にしたい。・・・「個性」っていうと、普通はいいものってイメージでしょ。でも私、一見悪いもの、弱いものも含めて、すべて個性として受け入れてこそ、いいものが生まれるって思ってます。それがホントの、「多様性における一致」なんじゃないかと。この一年、いろ~んな人と、いろ~んなことをしてきましたけど、中には、そのときには悪いもののように思ったことも含め、すべて来年に向けてのよい出来事であったと信じて、感謝したいと思います。

 今年はずっと、「受容」と「排除」の話をしてまいりました。
 年の初めから、そういうお話をしたと思う。「福音の村」に載ってます(※1)。「今年のテーマは、受け入れることだ」っていう話をしてるんですね。「受容しよう」と。ただ、いいものを受け入れるのは簡単ですから、わざわざ言うまでもない。真の「受け入れる」は、自分にとって都合の悪いもの、いやなもの、それを受け入れることだし、でも、それによって本当によいものが生まれるっていう、そこなんですよ。
 そんな年の初めには、菊地司教が東京の大司教になるなんて思ってもいませんでしたけど、年の暮れには、菊地司教が着座して、教皇さまの言葉を引用しておっしゃった、「だれも排除しない」というその言葉、「排除していい人は一人もいない」「多様性における一致」っていう、そのテーマは、とても啓示的に感じましたし、今年一年を締めくくったなあと。
 年末集会でも、司教さま、そのことを熱心に語っておられました。さらに、「東京教区の司祭のことをほとんど知らなくてすいません」って謝っておられましたよ。「皆さんの顔と名前が一致しない」って。これから、たぶん、東京教区の神父たちを次第に知るにつれ、「多様性における一致」の大変さを強くお感じになると思います。(笑) まあ、でも、あの司教さまだったら、この多様さをね、まさに、それぞれの弱さ、欠点を含めて、ひとつにしていくという、そういう意味での「一致の教会」に向かって出発なさるでしょう。私たちもホントに応援したいし、目指していきたい。どんなに<難しくても。

 今日の、このアブラハムのテーマも、そういう信仰です。誰が見たって無理だっていうことを信じる(※2)。そして、大切につくり上げてきたものを手放して出発する(※3)。そんなことは不可能だっていうようなことを信じて、受け入れて、出発する。それこそが、アブラハム、・・・なんですねえ。
 そのことを、第一朗読の創世記では、たったひと言、
 「アブラムは、主を信じた」(創15:6) と。
 美しいひと言ですね。
 「主を信じた(・ ・ ・)」と。
 ・・・簡潔ですね。
 で、「主はそれを彼の義と認められた」(創15:6)
 ここから、大いなるユダヤの歴史が始まるわけですけれども、そもそもは、アブラハムは自分に子どもなんか生まれないと思っていたわけでしょう。今日、聖家族(※4)の日のテーマでいうなら、「家族」ですよね、「私には、そんな夢の家族、大いなる子孫、そんなものは授かるはずがない」と思っていた。でも、「いいや、私は、あなたに、その家族を授ける」と、神は言う(cf.創15:5)。で、アブラハムは、素直に、それを「信じた」。
 信じたから、彼は出発しますし (創12-13) 、信じたから、授かった自分の息子であっても、捧げようとしたわけですよね(cf.創22:1-19) (※5)。一人息子を捧げちゃったら、家族も子孫も、アウトじゃないですか。でも、それでも、信じる。どこまでも信じ続ける。それで、ホントに「家族」が生まれた。「天の星のように」 (cf.創22:17、26:4)、その家族が増えていく。
 2017年から18年へと、私も、「信じる」っていうことをね、「家族づくりをしていく」という、この教会の使命のために、素直に、「信じる」っていうことをやりたい。
 今年一年、「福音家族」の話をず~っとしてきました。初めのころは「教会家族」って言ってたんですけどね、それだと、単に一小教区の家族的なつながりっていうイメージになっちゃう。もちろん小教区が核になってですけど。そこで、いろ~んなつながりを膨らませて、いろ~んな「血縁を超えた家族」をつくっていこうっていうビジョンのもとに、復活祭のころからは「福音家族」っていう言葉を使って、お話ししてきました。2018年は、それが神のみ心だと信じて、「そんなこと、無理だ」と言わずに、いっそう究めていこうと思います。
 これが、今年一年の、私の総括っていうことになろうかと思います。

 昨日、藤崎彩織(ふじさきさおり)さんっていう人の小説を読んだんですね。直木賞にノミネートされたっていう小説です(※6)。ずっと気になってたんですけれども、昨日、秋葉原で買ってきて、ようやく読めたんですが、すごく感動したんですよ。で、何に感動したかっていうと、まあ、その話が、単なる仲間意識や恋愛を超えて、他人同士が共に生きるということの可能性の話、いうなれば「血縁を超えた家族になる」っていうテーマを秘めているように思えたところなんですね。
 実はこれ、ほとんど、藤崎さんの自叙伝みたいなものです。
 中学生のときに、一年上の先輩と付き合い始めるんですけど、付き合うっていっても微妙な関係なんですね。相手は非常に個性的で、自分のやりたいことをやりたいようにやるタイプ。彼女と常におしゃべりをし、夢中になって自分の考えを語ったりするんだけれど、彼女のことを、いわゆる「恋人」とは思っていないような感じ。まあ、あえていえば親友ってとこでしょうか。そうは言っても彼女の方は彼に好意を持ってるわけだし、結局、彼女は、奔放な彼に徹底して振り回され、苦しむんですね。
 この先輩は、感受性が豊かで、いろんな才能も持っているんだけれども、学校にはなじめず、結局、高校を中退しちゃいます。そのうちに彼は親に勧められてアメリカに留学するんだけど、すぐに心の病を発病して、戻ってきちゃう。帰国してそのまま精神病院に入り、退院して彼女のところに現れて事件を起こす。彼女は繰り返し振り回され、苦しむ。
 私、この話を読んでて、なんかこう、・・・自分のことを思ったんですね。この彼は、実は、病気っていうより、そもそもADHD(注意欠陥・多動性障害)(※7)っていう障害を抱えているんです。それにパニック障害(※8)も加わって、治療の対象になっていく。どうしても、周りを振り回してしまうんですよ。衝動的だし、我慢できないし、やりたいことしかやろうとしない。
 まあ、治療の対象とまではなりませんでしたけれども、私も明らかに、その傾向の障害を抱えている人間なんですね。子どものころは相当周りを振り回していましたし、衝動的で、忘れっぽく、注意力が欠陥しているために、どれほど失敗を重ね、周囲を困惑させてきたことか。そんな一人の人間として、非常に近しいものを感じたんですね、この「彼」に。
 小説では、後半、その彼が作詞や作曲をしてバンドを始め、彼女も巻き込まれていきます。そのころは彼女は音大に行ってたもんですから、キーボードを手伝わされ、しまいには、ある地下室を借り切って改装し、そこにバンド仲間全員が住み始めるんですよ。まるで、家族のように。
 それは、ある意味、ワクワクする青春グラフィティではあるんですけれども、もちろん、いろんな問題も起こる、けんかもある。でも、貧しくても一緒に暮らして、一緒に食って、いろんなぶつかりを経験しながら、少しずつ成長し、やがて最初のライブにこぎ着けます。ほどなく、音楽関係の人が彼らの才能を見出して、彼らをデビューさせるという、ある意味、サクセスストーリーです。
 これ、知ってる人はすぐわかるんですけど、ほぼほぼ実話です。ご存じでしょうか、「SEKAI NO OWARI」(※9)っていうバンドです。昨日も、レコード大賞に生出演してましたよ。今晩も紅白に出ます。今や、国民的バンドになりつつある、「SEKAI NO OWARI」、そのキーボードをやっているSaoriさんの自叙伝なんです。別な言い方をすれば、「SEKAI NO OWARI」っていうバンドが、どのようにして出来てきたかっていう、そのプロセスを描いていると言ってもいい。
 実はぼくは、以前から大好きなバンドなんです。説教でも、何度かお話ししたことがある(※10)。何がいいって、ほかのバンドには真似のできない、とても純粋なモチベーションを持ってるんですよ。このバラバラな世界を、家族のように結びたいというような。聴いていただければ分かるんですけど、人間の抱えているさまざまなとらわれによって、この世界がホントに分断され、生きづらい世の中になってる、そこからの解放を歌ってるんですね。とても身近で、人間的な歌が多くって、初期のころなんかは、精神病で苦しんでいる人への深い共感を歌ってたりとかするんですよ。そのモチベーションはとても直球で、私はモチベーションに反応するところがあるもんだから、コンサートを聴きに行っては感動してきましたし、応援してきました。
 で、この自叙伝ともいうべき小説を読んで、・・・ほぼ実話だと思うんですけど、改めて心動かされるのは、人が、どれほど振り回されようとも、どれほど苦しんでも、それでも「一緒にいる」ことの意味というか、尊さです。このバンド、この彼女の忍耐と支えがあってこそ、これほどに家族的で、人間的なバンドであり得たんですね。相手の弱さとか、欠点とか、病とか、障害とか、つまり相手そのものを受け入れて、どれだけ「一緒にいる」か。これがやっぱり、この世界を救う本質なんじゃないのかな、と。それをやるために、ぼくら、生きてるんじゃないの? と。
 なんか、元気な人たちが、互いに都合のいい人たちを選んで上手につながって成功したところで、それは恵まれた人の話だし、現実に苦しんでる人とは、なかなかつながらない。そうじゃなくって、一番弱いところに寄り添って、一番ダメなところも受け入れ合って、傷つけ合いながらも、なおも一緒に居続ける。なおもその出会いの意味を信じ続ける。・・・「家族同然」っていうことですね。そこから出発すること。それが、「世界」の始まりでしょう。
 このバンドは、デビュー後も、一緒に暮らし続けてます。バンドを始めたFukaseくんが言うには、「自分たちは、音楽をやるために一緒に暮らしてるんじゃない。一緒に暮らすために、音楽をやってるんだ」って。私はこの言葉に、とってもインスピレーションを受けました。「何かのため」だと、メンバーが道具になっちゃう。メンバーは、道具じゃなくて目的だ、と。

 彼らが一緒に暮らしてる家は、通称「セカオワハウス」って呼ばれてます。「SEKAI NO OWARI」を略して「セカオワ」って呼ばれていて、セカオワの家だから、セカオワハウス。
 で、3、4日前ですけど、縁あってこのセカオワハウスに招かれて、飲みに行ったんですね。紅白前で忙しいっていうのに、Fukaseくんが遅くまで付き合ってくれて、ワインとか飲みながら、歌の話や、それこそ宗教の話まで、結構熱く語り合いました。
 驚いたのは、彼、自分のそのADHDのこととかを、普通に話すんですよ。「そんな自分でも、こんなにできるんだってことを証明したいんだ」って。私は、それこそまさに「召命(しょうめい)」だってお話ししましたけど、そんなふうに正直で、とらわれがなくって、一緒にいて疲れない、とっても解放された人間だって感じたし、結局、そんな彼そのものなんですよ、セカオワハウス自体が。ともかく受容の家であり、いつもみんなを受け入れていて、スタッフなんかも一緒にご飯食べたりするんです。私にも、彼が作ったカレーを食べさせてくれました。トマトカレー。おいしかったですよ。
 私も同じADHD系で、いろいろ大変な思いもしたし、失敗しながら生きてきたっていう話をして、共感してもらえたと思うし、なんか、今年の締めくくりに、「受け入れる」ということについて、このセカオワハウスと呼ばれている所で、新しい年の希望を見た気がします。「こういうの、ますます、やっていかなくっちゃ。負けないぞ」と。カギは、「本気のモチベーション」です。「本気で信じる」です。
 Fukaseくんの「正直さ」「本気さ」に、相当励まされちゃったので、2018年、いっそう「信じて」、出発したいと、心からそう願っている次第です。

 来年も、きっとまた、いろいろな出会いがあるでしょう。っていうことは、また、いろいろ大変なことや、面倒なことが起こるでしょう。でも、そんな一つひとつを、大切に、大切にして、「一緒にやっていこう!」っていうことを、来年のテーマにしたい。
 みんなバラバラで、ちょっとひどい世の中なので、もう少し!本気出して、「みんなを受け入れて、みんなが一緒にいる教会」、「キリストハウス」を実現させていこうと、決心、新たです。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「『福音の村』に載ってます」
該当説教: 「あなたは宇宙よりも広い」(「福音の村」2017/1/1説教)
===(参考個所から抜粋)===
 
「人を受け入れる」っていうことですよ。それが今年のテーマです。おそらく、今の世界がそれを一番必要としていますから。・・・「排除」ではなく、「受容」すること。自分を開いて、他者を招き入れること。(「福音の村」2017/1/1説教、上から2段落目>この辺~/赤字引用者)
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※2:「今日の、このアブラハムのテーマも、そういう信仰です。誰が見たって無理だっていうことを信じる」
この日、2017年12月31日(「聖家族」の祝日)の第1朗読箇所から。
 第1朗読:創世記15章1~6節、21章1~3節
  〈小見出し:「神の約束」創世記15章1~21節、イサクの誕生21章1~8節から抜粋〉
===(聖書参考)===
 〔アブラム(のちのアブラハム)には子どもがなく、彼も、妻も、かなりの高齢だった。しかし、〕
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 (創15:5-6/赤字引用者)
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※3:「大切につくり上げてきたものを手放して出発する」
===(聖書該当箇所あらすじ)===
 アブラム(のちのアブラハム)は、「わたしが示す地に行きなさい」(創12:1)という神の呼び掛けに応え、75歳まで住み慣れた「生まれ故郷 父の家を離れて」(ibid.) 、妻や甥、他の人々と共に、まだ見ぬ地へ旅立った。 (創12、13章)
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※4:「聖家族」
 この日は、カトリック教会の典礼暦で、「聖家族」の祝日だった。
 「聖家族」というのは、イエスと、その両親のヨセフとマリアの家族のこと。  (文中へ戻る20171231holyfamily
==(もうちょっと詳しく)==
 聖家族に対する信心は、キリスト者の理想的な姿として、17世紀以降に起こり、特にカナダで非常に盛んになった。1893年、教皇レオ13世が任意の祝日として定め、教皇ベネディクト15世は、1921年に、この祝日を一般ローマ暦に加えた。聖家族への信心は世界各地に広まり、聖家族を冠する信心会や修道会がつくられた。
 カトリック教会の暦では、クリスマスと関連づけて主の降誕の八日間中の日曜日に祝われるが、この期間中に日曜日がない場合は、12月30日に祝われることになっている。
(画像は、「聖家族」1787年 フランシスコ・デ・ゴヤ)
(参考)
・ 「聖家族」(『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2008)
・ 「A年 聖家族」「B年 聖家族」「C年 聖家族」(ラウダーテ「教会カレンダー」)
・ 「聖家族」(コトバンク) など
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※5:「信じたから、授かった自分の息子であっても、捧げようとしたわけですよね (cf.創22:1-19)
===(聖書該当箇所あらすじ)===
 神は、アブラハムを試された。高齢になってようやく授かった「愛する独り子イサク」(創22:2)を、「焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(ibid.)と命じられたのだ。アブラハムは命じられたとおり、命じられた場所で、刃物を取り、息子を屠ろうとしたが、そのとき、主の御使いが、彼を止めた。 (cf.「創世記」22:1-19)
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※6「昨日、藤崎彩織さんっていう人の小説を読んだんですね。直木賞にノミネートされたっていう小説です」
 藤崎彩織さんは、人気バンド「SEKAI NO OWARI」のメンバー、Saoriの本名。
 2017年10月に刊行した初の小説、『ふたご』(文藝春秋)が、第158回直木賞の候補に選ばれた。
(参考)
・ 「直木三十五賞 最新情報2018/1/17更新(公益財団法人 日本文学振興会)
・ 「セカオワSaoriこと藤崎彩織の初小説『ふたご』10月刊行2017/9/5(CINRA.NET)
・ 「藤崎彩織、デビュー作で直木賞候補に。セカオワ・Saoriが打ち明けた『5年間の死闘』2017/12/20(HUFFPOST)
・ 「『セカオワ』の藤崎彩織さんが直木賞候補に2017/12/20(産経ニュース)
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※7:「ADHD(注意欠陥・多動性障害)
 ADHD(注意欠陥・多動性障害)は、不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(考えずに行動してしまう)の三つの症状がみられる発達障害のこと。仕事、学校など、日常生活に支障をきたすことがある。
(参考)
・ 「大人のためのADHD NAVI
・ 「ADHD(注意欠陥・多動性障害)とは?」(LITALICO発達ナビ)など
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※8:「パニック障害」
 パニック障害は、突然、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作を起こし、そのために生活に支障が出る障害のこと。
(参考)
・ 「パニック障害」(「みんなのメンタルヘルス」厚生労働省)
・ 「パニック障害」(「パニック情報情報サイト」こころの陽だまり)
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※9:「SEKAI NO OWARI」
 今までのお説教でも、3回ほど登場(詳細は※10)。そのため、説明は、繰り返しになりますが、ご容赦ください。以下は、ご存じない方のために、、、。
◎SEKAI NO OWARI  / 略称:セカオワ
 2010年にインディーズデビューし、2011年にメジャーデビューした日本のロックバンド。1985年、1986年生まれの4人組。2011年に、バンド名を「世界の終わり」から「SEKAI NO OWARI」に改めた。2013年からは、海外での活動にも力を入れている。チャリティー活動にも積極的。
 2014年からはNHKの紅白歌合戦に連続出場している。
 公演では多数の動員数を誇り、映画の主題歌も提供。勢いのあるバンドといえる。
 メンバーは、「セカオワハウス」と呼ばれる、スタジオもある一軒家で共同生活をしている。
・ 「SEKAI NO OWARI」(ウィキペディア)
・ 「SEKAI NO OWARI」(オフィシャルサイト)
・ 「SEKAI NO OWARI」(TOY’S FACTORY/所属アーティスト情報)
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※10:「説教でも、何度かお話ししたことがある」
該当は、以下のとおりです。
・ 「もう一度連れて行って」(「福音の村」2016年6月12日説教)>1番下の段落(この辺~)
・ 「つながりが、神の国」(「福音の村」2016年7月10日説教)>上から4段落目(この辺~)
・ 「私の正義が人を傷つける」(「福音の村」2017年1月29日説教)>上から4段落目(この辺~)
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2017年12月31日(日) 録音/2018年1月25日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英