弱くて、傷つく人間

【カトリック上野教会】

2018年1月1日 神の母聖マリア
・ 第1朗読:民数記(民数記6・22-27)
・ 第2朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・4-7)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ2・16-21)

【晴佐久神父様 説教】

 あけまして、おめでとうございます。(会衆:「おめでとうございます!」)
 ああ、ありがとうございます。いいですねえ、こうして皆さんからあいさつされるのは。やっぱり、人間からあいさつされるのがいいですね。
 さっき、朝起きてこちらに来るとき、車に乗って電源スイッチを押したら、車から「あけましておめでとうございます!」って言われたんで。(笑) 私の車、しゃべるんですよ。今朝からでいうなら、今年最初に話し掛けられたのは、車からでした。「あけましておめでとうございます! 1月1日、月曜日。今日も安全運転で行きましょう!」って。(笑) 夜乗ると、「お酒を飲んだら、運転はやめましょう!」って言うんですよ。(笑) お正月は、むしろ日中にそう言った方がいいような気もしますけど。(笑) その辺は、まだまだ車なんで。
 まあ、こうして人間からあいさつされると、なんかホッとするというか、考えさせられるというか。だってね、相手が車でも、「おめでとうございます」って言われると、さっきもつい、「おめでとうございま~す」なんて返事しちゃったし。(笑) あれは、でも、相手が機械でも言った方がいいんですかね。無視するのもなんだし。普段は「こんにちは!」って言うんですよ。夜だと「こんばんは!」って。それ、黙ってるのも、なんかね。「言わせとけばいい、どうせ相手はただの機械、感情なんかあるものか」って、そう思いたいんだけど、やっぱり、ちょっと機嫌のいいときに、「こんばんは」とか優しい声で言われると、「は~い、こんばんは」なんて返しちゃう。でも、そうすると、案外気持ちが通ったような気もしてくるし、たかが車とはいえ、こんだけ付き合ってるんだから、少しは大事にしてあげようか、みたいな気にもなってくる。
 私、以前乗ってたレガシィっていう車、ぜんぶで20万キロ近く走った長い付き合いの車だったんですけど、走行距離がちょうど10万キロになったときに、ご褒美っていうか、リボンで車内を飾って「祝10万キロ、いつもありがとう。これからもよろしくね」って書いたカードを車内に掲げて、めずらしく車をピカピカに洗って、エンジンオイルを高級なのに取り換えて、お祝いしてあげたことがあるんですよ。機械でも、付き合ってると、なんか人間的というか、親しみがあるというか。でも、やっぱり人間とは違う。そういう、とっても微妙な時代を、私たち、生きてるんですね。

 昨日の大晦日、毎年の恒例なんですけど、私のところに、若い友人たちが20人ほど集まってきて、年越しそばを食べて、一緒にお年越しをしました。いつもみんなで紅白を見るんですけど、他にも、自分の好きなミュージシャンの好きな曲を聴きたいよねってことで、ぼくは前から、テレビとインターネットをつないで、みんなでネット動画を見られるようにしてほしいって頼んでたんです。それを、いよいよ昨日、セッティングをしてくれたんですね、仲間のひとりが。
 私はその仕組みはよくわからないんですけど、テレビの後ろに、・・・なんかこう、なんかを付けるんですね。Google(グーグル)のなんちゃらを。で、こっちにはAIスピーカー(※1)を、セッティングして、それをスマホで、なんかこう、・・・なんかするんですよ。(笑) すいません、よくわかんないんですけど。ともかくそれで、あとはスピーカーに、「OK Google、テレビつけて」って言うと、なんと、ちゃんとつくんですね、テレビが。そして、スピーカーに言えば、好きな曲だって、聞かせてくれるんです。動画付きでも。たとえば、皆さんだったら、誰のファンですかね、じゃあ、石川さゆりでもいいですよ、(笑) 「OK Google、YouTube(ユーチューブ/動画共有サービス)で石川さゆり」って言ったら、もう、何秒も待たずに、石川さゆりがテレビに出てきて歌うんです。 (「津軽海峡冬景色」のイントロ歌う) ジャジャジャ、ジャ~ン♪ ジャジャジャ、ジャ~ン♪(笑)
 いや、なんで「石川さゆり」かっていうと、昨日みんなで紅白見てて、それぞれ自分の好きな歌手が出てくると、一緒に歌ったりしてたんだけど、そんな中、結局、全員大合唱になったのが、「津軽海峡冬景色」だったんで。 (歌う) 「ぁ~あああ~♪」っていうところね。(笑) やっぱり、今や数少ない国民的歌手っていうことになるんでしょうかね。AI時代の若い子たちも、「津軽海峡冬景色」は、知ってたりするんで。
 それにしても、いよいよ、こういう時代になったか・・・と、まあ、感慨深いわけです。だけど、「OK Google」ってAIスピーカーに語り掛けるときの、あの微妙な緊張感は、あれ、なんなんでしょうね。向こうは笑顔も何もない、ただの機械ですよ。無表情にポンと置いてある。でも、恐る恐る、「OK Google・・・」って、語り掛けると、ちゃんとこたえてくれる。もっともね、無理な注文とかすると、「申し訳ありません。お役に立てそうにありません」って言うんですよ。(笑) そう言われると、「いえいえ、ごめんなさい。こっちが悪かったです」って気持ちになるし・・・。いやはや、そういう時代ですよ、皆さん。「AI」(人工知能)っていうヤツと付き合わなけりゃ、ならなくなったんですねえ。
 車のスイッチを押して「こんにちは」くらいなら、黙殺できますけど、「石川さゆり聞かせて」ってひとこと言えば、聞かせてくれるようになると、もう今後、当たり前のように、「テレビつけて」「テレビ消して」「音量上げて」って言わなきゃならなくなるんでしょうね。実際、私も、慣れてくると、たった半日、・・・いや数時間で、普通にスピーカーに話し掛けるようになっちゃいましたから。もう、すぐ慣れちゃいますね。

 さてさて、こうなってくると、「人間とは何者か」っていうことですね。これ、すごく大事なテーマであって、そこがちゃんとしてないと、それこそ、人として大事な何かを間違えちゃったりしかねない。まあ、私は楽観主義ですから、必要以上に恐れることはないと思ってます。ただ、やっぱり今の時代には、ますます、「一番大事なことは何か」っていう優先順位のことを大切にしなきゃならなくなってきました。
 それはでも、いよいよ目覚めのときが来ているという意味では、いい時代でもあると思う。ちょっとこの百年、ある意味この千年、本質的にはこの一万年、人類がおかしなことになってきたっていう話は、私、説教でもお話ししてきました。とりわけ、この50年くらいは、日本では、もう相当おかしくなっている。じゃあ、このままいくと本当におかしくなるのかっていうと、そうはいかないよ、と。
 「今、ぼくらは本当に、目覚めのとき、恵みのときを迎えてるんだ」と、そう、私は感じます。どちらかというと予言者タイプですから、敏感に感じるのかもしれませんが、50年ほど前、まだ子どものころから、私、少しずつ少しずつ、人類の目覚めのことを、自分なりの感性で、自分なりの感覚で、感じ取ったり語ったりしてきました。で、そんな、物心がついてからずっと感じてきた違和感とか、どうしたらみんながホントに幸せになれるかという道筋について、去年や今年くらい、本気で、希望を持って感じているときはないです。
 皆さん、この2018年は、「新しい年」ですよ。とてもいい意味で。皆さんが気づく年、目覚める時代ですね。私は、自分なりに気づいてきたつもりです。「真理に気づかずに、眠ったままではいたくない」という真剣な思いを持って生きてきたつもりです。皆さんにも、ホントに気づいてもらいたい。それは、やっぱり一番大事なこと。・・・一番大事なこと。
 気づくべきこと、それはやっぱりね、人間がナマな生き物だっていうことです。手を伸ばせば触れるところに一人の人間がいて、あいさつすると、あいさつが返ってくる。そんな、とてもナマな瞬間にこそ、真理があるっていうことなんです。目の前の人が傷ついて苦しんでいるから、助けてあげる。目の前の人と一緒にごはんを食べたら、うれしくなる。・・・単純に、そういうこと。
 それは、AIとだって、ある程度、できなくはないと思う。う~ん・・・、そのうち、AI搭載のロボットの時代になれば、触れば柔らかくて、ぽかぽかとあったかいロボットもできるんでしょうね。ニコニコするロボットもできるでしょう。もしかしたら、メシくらい一緒に食ってくれるかもね。・・・あり得る。より人間に近づけるために、時々は、ちょっと間違えたりするロボットとか。失敗して悔しがるロボットも造られるんだろうな。そんなAI時代。
 だけど、じゃあ、病気になるロボットを造るだろうか。障害を背負ったロボットを造るだろうか。人間はみんな、何かちょっと病気じゃないですか。人間はみんな、何か障害を抱えてるじゃないですか。人間はみんな、とても弱くて傷ついて苦しむし、時に人を傷つけたりする。う~ん・・・人を傷つけたりするロボット・・・これは絶対造っちゃダメでしょうね。傷ついて苦しむロボットくらいは造るかも。いや、でもそれ、倫理的にどうなんだろう。・・・などなど考えて来ると、「人間って何なのか」って、だんだんわかってきませんか?
 私は、思います。人間って、弱いもんなんです。傷つくんです。病気になる。障害を背負っている。死の恐れにとらわれて眠れず、愛する人と一緒にいると安心して涙をこぼす。わき起こる喜び、言葉にならない感謝。そして、「人間って何なのか」というなら、何よりも、ホントに・・・本当に素晴らしい、神さまからの贈りものなんです。これだけはもう、優先順位のトップでしょう。弱くて、傷つく人間。でも、本質的に、神に望まれて生まれて来た人間。神に愛されている人間。神に結ばれて愛し合う、人間。
 AIは、その人間が生んだものです。

 この使徒パウロの手紙、かっこいいですねえ(※2)
 「時が満ちると、神は、その御子を女からお遣わしになりました」 (cf.ガラ4:4)
この「時が満ちると」っていうのは、ホントに決定的な「時」のことですね。それは、奴隷状態にある私たちを救い出して、神の子とするためです。私たちを神の子とするために、神さまは、イエスさまを送って、私たちを「決定的に」救ってくださった。新約は、そういう時代。
 だけど、そういう時代に生まれて、こうやってその時代を現実に生きてるんだけど、その決定的な救いに目覚めないなら、われわれ、神の子じゃないんです。いや、大きな意味で言えば神の子ですよ、神の子なんだけれども、自分が神の子だって目覚めてなかったら、真の喜びを知らないわけで、真正(しんせい)の神の子って言えないんですよ。
 われわれは、みんな神の子です。もう、イエスさまは来られました。そして、私たちは、もう救われています。確かに弱くて、傷つくんだけれど、でも、「私は本当に神の子なんだ。こんなに頭も悪くて役に立たない、どうしようもない私だけれども、神に愛されて生まれて来た、どんなAIよりも優れた神さまの子どもなんだ」という、この感覚。そして、目の前にいるこの弱くて傷ついている人も、この私と同じだけ大切な神の子なんだという気づき。
 そんな弱い神の子同士が、「あけましておめでとうございます。お互い新しい年を迎えられて本当によかったですね。今年もいいことがありますように。さあ、乾杯して、一緒におせち食べましょう」、・・・なんという恵み! こんな一日があるだけで、私はもう、他に何が必要かと、そう思いますよ。その意味では、みんな尊い神の子です。み~んな。とりわけ弱さにおいては、まったく平等です。・・・いいことですよね、「神の前に、まったく平等である」。ねっ、そういう2018年、やっていきましょうよ。
 神の御前では、誰ひとり、劣った者はいないんです。もちろん、誰ひとり、優れた者もいない。神の御前に、一緒なんです。得意、不得意はあるでしょう。例えばおせちを作るのが上手な人とか、いくらやっても料理が下手な人もいるかもしれない。だけど、その、「いくらやっても下手だ」っていうことが、何かの役に立ったりしてるわけでしょ。その人の作ったおせちを食べて、あんまりおいしくなかったとしても、作った本人が「失敗作なの~」ってがっかりしてても、「いやいや、十分おいしいですよぉ~、ああ、一緒に食べるのっていいなあ! お正月が来たって感じです!」とか言って、我慢して食べる。これ、人間が人間であるっていう、最高の瞬間じゃないですか? 人間の弱さを受け入れ合うという、そんな最高の瞬間のために、その人、めちゃめちゃ役に立ってるんじゃないですか?
 私、そういうことを、今年ね、すごく大切にしたいなと思う。誰もが「特別」なんです。世の中には、素晴らしい学者もいれば、権力を持った政治家がいたり、有名なスポーツ選手、人気の芸能人、いっぱいいるけど、神の御前で、み~んな一緒です。

 昨日も浅草で話したんだけど、「SEKAI NO OWARI」っていうグループ、ありますでしょ(※3)。私、ファンですから、コンサートに行ったっていう話も、何度かここでしたはず。彼らは一緒に暮らしてるんですね。4人のバンドですけど、大きな家で一緒に暮らしてる。リーダー格のFukase君が言うには、「ぼくたちは、音楽をやるために一緒に暮らしてるんじゃない。一緒に暮らすために音楽をやってるんだ」って。
 なんで、仲間と一緒にいることを、それほどに大切にするのかっていったら、彼、ADHD(注意欠陥・多動性障害)っていう「障害」を抱えてるんですね。そんな彼だからこそ、仲間たちの大切さを人一倍深くわかっているんです。実は、私も、かなりその傾向が強い人間なんで、その、受け入れてくれる仲間の大切さとかが、よくわかる。皆さんの中にも、周りから浮いちゃって苦労してきた人いるんじゃないですか。・・・ほら、今笑ってる人は、「私もそう」っていう人でしょ。好きなことには集中するけれども、我慢が苦手で、生活はいろいろ大変。安心できる人間関係をなかなか持てずにいるんじゃないですか。
 Fukase君も、学校に行けなくなり、いじめみたいなことも体験してますし、混乱して、病院の精神科に入院したこともあります。大変な思いをしてるわけですね。組織に適応しにくい人を排除するこの世にあって、さまざまに苦しんだ。
 で、苦しんだ中で、彼は、「何が正義で、何が悪か」っていうことを問うてきたし、それを簡単に決めつける原理主義的な世の中に反発してきたし、本当に、「いのちとは何か」「苦しみとは何か」「生きるとは何か」「人が互いに受け入れ合うとは何か」、そういうことを真剣に、考えに考えた。で、やっぱり、仲間が一番大事だ、と。人間が一緒にいること。信頼し合って、ゆるし合って、一緒にいること、それが一番だ、と。人間は、弱さにおいて、つながります。やっぱり、それは彼の思いの根底にあります。
 「あります」って言いきれるのは、私、五日前に、彼らが一緒に暮らしている「セカオワハウス」っていう所で、Fukase君と、夜、一緒に飲んで、そんな彼の仲間思いの様子を目の当たりにしたからです。もう三日後にはレコード大賞だとか、紅白だとかに出演するっていうのに、初対面のぼくなんかを招き入れてくれて、遅くまでフレンドリーに心開いて話してくれて・・・。皆さん、レコード大賞、見ました? あと、紅白、見ました? 「SEKAI NO OWARI」、出てましたでしょ。 (歌う) 「♪虹が架か~る空には~♪」って、「RAIN」って曲(※4)、歌ってたでしょう。
 まあ、縁あって、そんな彼と飲んだりもしたわけですけど、自ら話してましたよ、自分はそのADHDでいろいろと大変だったっていうことも。自分の弱さや傷を普通に語れる、その生き方と人間性は、本当に魅力的。そんな彼にひかれて、仲間や友人たち、スタッフなんかが大勢出入りするわけです。私も、居合わせた人たちともおしゃべりして、とっても楽しかった。
 一番弱い部分を、みんなの前に(さら)しながら、「仲間が一番大事だ」と堂々と表明して、実際に一緒に暮らしている。その自然体は、とっても「人間」的だと思う。
 皆さんは、芸能人なんていったら、自分なんかとは全然違う、華やかな存在で、豪華で恵まれた暮らしをしてるのかと思うかもしれませんけど、まあ、一部の方はそうかもしれませんけど、セカオワハウスは、とっても普通の家ですよ。まあ、みんなで暮らすんですから結構広めですけどね。だけど、大切なことは、目に見えるところじゃない。彼の周りには、目には見えなくとも、とっても人間的なつながりがあって、それが何よりステキだってことでしょう。華やかな世界、金がいっぱいあるところが幸せかっていうと、それは幻です。芸能人だって悩んでるし、大金持ちだって苦しんでるし、み~んな一緒。
 一番大事なことは、すぐ身近にいる目の前の人に、自分の弱さを自然に出して、相手の弱さもそのまま受け入れて、出会えて今一緒にいられることを、喜ぶ。そこがちゃんとできていたら、今ここに、神の国が始まっているっていう、その喜びと感動を味わえます。このAIの時代にこそ、「私たちは、弱いけれども、尊い神の子である」っていう、その恵みを、ホントに深く味わうべき。
 「あなたがたが神の子であるということは、神さまが、私たちに、『アッバ、父よ』と叫ぶ霊を送ってくださった事実から分かります」 (cf.ガラ4:6)
 神さまに向かって、「パパ~!」って、「アッバ=パパ」って、呼べる、そういう霊を、私たちの心に送ってくださったという事実、・・・それは、「事実」なんですよ。
 おめでとうございます。もうだ~いじょうぶですよ。この一年、あんまり悩んだり、恐れたりしないようにしましょうね。どんなに弱くても、恐れる必要ないですよ。皆さんの中に、もうすでに神の子の霊が宿っていて、天の父に向って「パパ~!」って叫んでるんです。まさに今、この私たちの中で。
 そのことに信頼して、神の子としての「相続人」になりましょう。パウロが書いているとおりです。
 「あなたはもはや奴隷ではない。神の子だ。神の子なんだから、神の相続人だ」 (cf.ガラ4:7)
 神の何を相続するんですか?
 限りない愛、喜び、神さまのみもとにある神の国の一致の感動、・・・ぜんぶ相続できる。っていうか、もうし始めている。

 2018年、おめでとうございます。神の恵みによって、この日を迎えることができました。
 恐れることなく、出発いたします。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「AIスピーカー」
◎AIスピーカー (スマートスピーカー)
s_ai_smart_speaker 「スマートスピーカー」というのが本来的。
 音声アシスタント(※)を介して、おもに、こちらから話しかけることに応答し、さまざまなアクションを取ることができるスピーカー。
 たとえば、「ニュースを読んで」とお願いすると、その日のニュースを読み上げてくれたり、「クラシック音楽を」と言うと音楽配信サービスから再生してくれたり、家電のオンオフに対応できたりもする。
 (※:音声アシスタント:音声認識と自然言語処理の能力で、ユーザーの話した内容を解釈し、指示された操作を実行できる機能)  (文中へ戻る
===(もうちょっと詳しく)===
 このスピーカーは、AmazonやGoogleなど、AIアシスタントを擁するインターネット関連企業、また、AIアシスタントを提供された家電メーカーからも発売されている。
 たとえば、GoogleからはGoogle Homeで、お説教中にあるように、「OK Google」や「ねぇGoogle」と話し掛けると対応する。ほか、Amazonからは「Amazon Echo」、LINEからは「LINE Clova WAVE」、Appleからは「Apple HomePod」など。
 まだ見たことがないと、なかなかイメージしづらいと思うので、参照の上から三番目の動画、>「スマートスピーカー:プロモーションビデオ:LF-S50G(YouTubeソニー公式)などをご覧ください。
(参考)
・ 「特集:スマートスピーカー」(Watch Headline)
・ 「暮らしを変える『スマートスピーカー』とは」(SONY)
・ 「スマートスピーカー:プロモーションビデオ:LF-S50G」(YouTube ソニー公式)
・ 「『AIスピーカー』でなく『スマートスピーカー』と呼ぼう2017/11/14 (マイナビニュース)
・・・< 文中へ戻る

※2:「この使徒パウロの手紙、かっこいいですねえ」
この日、2018年1月1日(「神の母聖マリア」の祭日)の第2朗読箇所から。
 第2朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙4章4~7節
  〈小見出し:「奴隷ではなく神の子である」(3章21~4章7節から抜粋)〉
===(当日福音朗読個所・全文)===
 
しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。 (ガラ4:4-7/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※3:「昨日も浅草で話したんだけど、『SEKAI NO OWARI』っていうグループ、ありますでしょ」
 この日の前日〔2017年12月31日(日)〕、晴佐久神父はカトリック浅草教会において、主日のミサの司式、説教を行った。
(参考)
・ 「キリストハウス」(「福音の村」2017/12/31説教、5段落目中盤~6段目>この辺~)
・ 「SEKAI NO OWARI」については、上記説教の「参照※9」に、少しご説明しています。
・・・< 文中へ戻る

※4:「『RAIN』って曲」
 「RAIN」(レイン)は、「SEKAI NO OWARI」のメジャー11枚目のシングル。2017年7月5日にToy’s Factoryより発売
 アニメーション映画、『メアリと魔女の花』(米林宏昌監督)の主題歌に起用された。
 2017年12月30日(土)生放送された、「第59回 輝く!日本レコード大賞」で優秀作品賞を受賞
(参考)
・ 「RAIN(SEKAI NO OWARIの曲)」(ウィキペディア)
・ 「RAIN – SEKAI NO OWARI(フル)メアリと魔女の花」(YouTube/歌詞付)
・・・< 文中へ戻る

2018年1月1日(日) 録音/2018年2月3日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英