2015年5月31日三位一体の主日
・第1朗読:申命記(申命記4・32-34、39-40)
・第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・14-17)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ28・16-20)
【晴佐久神父様 説教】
多摩教会に初めて来られたという方、今日もたくさんおられると思います。
初めて来られる方が、毎週たくさんいる教会っていいですね。希望があります。今日は特に、目の不自由な方で、初めて来られた方がそちらに。・・・ありがとうございます。カトリック多摩教会をお選びくださって。
求道者の方ですが、点字図書館の館長さんに相談したら、「行くなら多摩教会に」とおっしゃったということで、訪れてくださり、今そこに座っておられます。
どうですか、多摩教会の印象は。歌声が元気でいいでしょ? (笑) 今日は特に「子どもミサ」なので、子どもたちの好きな曲を並べて、楽器演奏つきで歌ってます。私も、三位一体の主日ということで、あなたのために、いつもよりいっそういい声で、(笑)説教しようかと。
そんなあなたに、どうしても、先週のお話をしたいと思います。
もう多摩教会の方たちは聞き飽きてるんですけど、先週、またミュージカルを観に行ったんですよ。(笑) 大好きな劇団四季のミュージカルですけど、とっても励まされたというか、元気をもらいました。まあ、神父が元気になるんだから、ミュージカルを観に行くのも決してぜいたくじゃないかと・・・おゆるしあれ。(笑)
しかもですよ、来年までチケットが取れないという、『アラジン』(※1)を、もう観てきたんです。
事情をご存じの方は、「え〜!? もう観たの?」って思うでしょうが、今、一番チケットが取れないミュージカルを、開幕1週間たたないうちに、観てまいりました。実は、抽選で当たったんですよ。こういうとき思うんですよね、神っているな・・・って。(大笑)
まあ、内容はたわいのないおとぎ話ですよ。盗みばっかり働いているような貧しい青年が、お姫様と結ばれるという・・・いわば、逆シンデレラ話ですね。お忍びで街に出てきた王女様と出会って、恋に落ち、困難を乗り越えて結婚するという、それだけの話ですけれども。
ただ、このミュージカルの真のテーマは、ロマンチックな恋のお話ではありません。ミュージカルバージョンでは、そのテーマが非常にはっきりと出ていました。それは、ご存じの映画バージョン(※2)でも、もちろん出てるんですけれども、ミュージカルの方が、はっきり出ていた。
そのテーマとは、「自由」です。・・・人がとらわれから解放されて、真の「自由」を得る。
ぼくは、これは非常に宗教的なテーマだと思うし、とらわれからの解放というのは、それこそキリスト教の本質でもあるわけで、観ていて大変本質的な感動を覚えました。
特に、あの有名な魔法のじゅうたんのシーンには、やられたなあ。
私たち、現実にいろんなものにとらわれているし、いろんな力に縛られてホントに自由には生きていないわけですけど、じゃあそこから逃れてホントの自由を求めるとしても、その「ホントの自由」がどのような状態だろうっていうことを、ちゃんと知らないんですよね。
私たちが、何にも縛られず、じゃまされず、神から与えられた性質そのままに、自分らしく生きていける。こんな素晴らしいことはないはず・・・なんだけれども、一体それがどのような状態でどんな喜びかって、体験したこともないし、まさに今いろんなとらわれの中を生きてるわけだから、その状態がイメージできないでいるんです。
イメージできなければ、そもそも、求める気持ちにもなれない。
ミュージカルなんかは、その辺を非常にシンプルに、「それって、こういうことだよね」っていうのを見せてくれるし、それを得るための方法っていうものも、ちゃんと示してくれていて、「ああ、自分もこんなふうになりたいな」とか、「そうか! こんなふうにすればいいのか、よし、自分もそうしてみよう」みたいなことを素直に感じさせ、実際に生き始める素朴な力を与えてくれるわけで、そこがやっぱり、ああいう優れたステージの持ってる力だと思いますよ。
その点、魔法のじゅうたんのシーンは、自由を表現し尽くしてました。真の自由を、息をのむような美しさで、きちっと表現していた。皆さん、ご存じですよね。『アラジン』の映画を観た人なら知っているでしょう、アラン・メンケン(※3)の名曲、『ホール・ニュー・ワールド(A Whole New World)』(※4)が流れるシーンですね。
『ホール・ニュー・ワールド』・・・直訳するなら、「全く新しい世界」。
空飛ぶ魔法のじゅうたんに、主人公のアラジンと、ヒロインのジャスミンが乗って、夜空を飛び回るシーンですけど、「え? アニメ映画なら簡単だけど、ナマの舞台の上で空飛ぶじゅうたんに乗って、二人が夜空を飛び回るなんて、そんなことできるの?」って思った方。ぜひ 観に行って、(笑) 「お〜っ!!」と声を上げてください。(笑) 実際、劇場ではみんなどよめいてましたし、すすり泣きも聞こえてくるっていう感動シーンです。・・・ホントに飛ぶんですよ、満天の星空の中。・・・う〜ん、あれは、美しい。生涯忘れないだろうな。もう、思わず息をのんで、手を握りしめちゃいました。まさに、とらわれから解放された自由の素晴らしさ、何にも替えがたい、この喜びをこそ求めるべきだっていうメッセージが、一目でパッと分かるシーン。
今日来られた目の不自由なあなたにもね、ぜひ、あなたなりにイメージしてもらいたいです。ステージいっぱいにきらめく満天の星空が広がり、一面に星がキラキラ光ってる中を、魔法のじゅうたんに乗ったヒーローとヒロインが、信じ合い、手を握り合って、自由に飛びまわるんです。
「とらわれがない」っていう状態を一目で表現するには、これが最高だな〜って思いましたし、今日、どうしても皆さんに申し上げたいのは、皆さんも、そういう状態になれるってことです。
私たちは、神の子です。神ご自身は、全くとらわれのない、完全な自由を生きているわけですが、似姿である神の子たちもその「自由」に招かれているし、「自由」に生きる力を与えられているし、そして、そのように「自由」であるときにこそ、本当の自分になれる。そんな本物の自由を得たいって思いませんか?
しかもそれは、たとえばこの世のミュージカルが表現しているような自由な状態よりもはるかに格上の、究極の自由です。神を自由に愛し、神の子どうし自由に愛し合える喜びです。それはどんな状態よりも価値がある状態だし、ホントに美しく、ワクワクするものなんです。それを体験したい、それをこそ求めたいって思いませんか? だけど、そんなの無理だろうって思い込んでるんですよ、みんな。その思い込んでる状態を、「罪」っていうんです。キリスト教は、その罪からの解放、自由への招きです。
第2朗読(※5)で、ローマの教会への手紙に、「神の霊によって導かれる者は皆、神の子だ」(cf.ローマ8:14)ってさっき読みました。その霊とは、「人を奴隷として恐れに陥れる霊じゃない。神の子とする霊なんだ。この霊によってわたしたちは、神のことを『アッバ、父よ』と呼べる。この霊が、わたしたちが神の子であることを証ししてくれる。子どもなんだから、相続人だ。しかも、神の相続人なんだ。キリストと一緒の相続人なんだ。キリストと共に苦しんだら、共にその栄光も受ける。」(cf.ローマ8:15-17)
・・・これが「自由」ですよ。神の霊による、自由。
神は、自由です。自らに
私たちも神の子であり「神の相続人」なんだから、神さまの愛、喜び、そして自由を、いくらでも相続できる。できるはずなのに、この尊き相続権を、皆さんは封印してるようなもんですね。「人を奴隷として恐れに陥れる霊」に支配されているからです。そのような罪の状態から解放されれば、「神の子の自由」を生きることができるのに。
じゃあ、どうすればいいか。
このロマ書の、今日の箇所のすぐ前には、こう書いてある。
「キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ローマ8:1-2)
キリストに結ばれていれば、この「霊の法則」によって解放される、と。
また、今日の箇所のすぐ後には、こういう言葉も出てきます。
「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」(ローマ8:21)
・・・「神の子供たちの栄光に輝く自由」!
その自由がどんなものであるか、まだ誰も完全には体験していないけれども、それにこそ憧れ続けたいし、キリストに結ばれていれば、その自由に
ぼくの最も信頼している大切な友人で、親しくさせてもらっているプロテスタントの信者がいるんですけど、数日前、彼が私に最初に会ったときのことを教えてくれました。「こんなに自然体で福音を語り、こんなにとらわれなく福音を生きている人が実際にいるんだってことにビックリした」って。私にしてみたら、まだまだちゃんと語れてないし、ちゃんと生きられてもいないとは思うけど、でも確かに、自由に語り、自由に生きているっていう喜びはあります。
それは、キリストに結ばれているからだし、自由の霊の働きを受け入れているからです。
っていうか、それしかないじゃないですか。福音なんて、まさに自由への招きなんだから、自分が自由じゃなければ語れっこない。自然体じゃなければ語れっこない。完全には無理ですよ、相変わらず罪深い身ですけれど、それでも恐れずに、キリストと一緒になり、福音とひとつになって、少しでも自由に語り、自由に生きたいそう願って、体験を積み重ねてきたつもりですし、それは誰にでもできること。
そのためにどうしても必要なのものが、ひとつある。
『アラジン』っていう、このミュージカルは、自由を手に入れるために必要な、その方法も、はっきりと示しています。
主人公たちは、三者三様、とらわれているんですね。
青年アラジンは、貧しい境遇に生まれ、盗みを働かなければ生きていけないような現実にとらわれている。本当は、死んだ母親に胸を張れるような立派な人間になりたいと切望しているのに、今の自分から抜け出せないでいる。
王女ジャスミンは、王宮の中に閉じ込められ、決まりと伝統に縛られて、結婚相手すら自由に選べない。自分が本当に愛する人と、自由に一緒に生きていきたいと、そう心から願っているけれども、王宮の現実を見ると到底かないそうにない。
そして、陰の主役でもある、ランプの精ジーニーは、それこそ1万年もランプの中に捕らわれていて、自分が本当に自由になることを夢見ながら、ご主人さまに仕え続けている。
この三者が、それぞれホントに自由に憧れてるわけですけど、この三者が出会い、互いを受け入れ合ったときに、自由への扉が開くんですね。それを表しているのが、魔法のじゅうたんのシーンなわけです。ジーニーの象徴である魔法のじゅうたんに乗って、自由を求めているアラジンと、自由を求めているジャスミンが、ひとつになって星空を自由に飛び回っているシーンです。これはまさに、出会いによって
「信じる」っていうことです。
ただ「願う」だけじゃだめ。ただ「出会う」だけじゃだめ。「信じる」っていうことがあったときに、この「自由」が訪れる。
ジャスミンとアラジンが最初に出会った夜、アラジンは、二人を追う追手から逃れて、自分の家にジャスミンをかくまうわけです。「家」って言っても、屋上の吹きっさらしみたいな貧しいところなんですけど、ジャスミンは「いいところね」なんて言って、二人で王宮を眺めながら、「私たちはとらわれの身ね」って、それぞれの心情をそれぞれに語り合うんですね。それぞれに語っていたはずが、最後に「私たちはとらわれの身!」っていうところで、ぴったり声が合って、二人見つめ合う。・・・って、いいシーン、言っちゃった。(笑) ネタバレですね〜、でも、ホント、いいシーンなんですよ。
しかしそこへ、追っ手が来る。万事休す。屋上だから逃げる所がない。と思いきや、アラジンは自分の家だから逃げ道を知っている。・・・つまり、飛び降りようっていうんですね。たぶんその下は布張りのテントかなんかで、大丈夫なんでしょう。だけど、ジャスミンにしてみたら初めて会った人のとこに来て、相手のこともなにも全然分からない。飛び降りられっこないわけです。そのとき、アラジンは、屋上の端っこに立ち、ジャスミンに手を伸ばして、こう言うんですね。有名なシーンです。
「ぼくを、信じて!」
確かに、とらわれの身という共感は持ったものの、なにせさっき会ったばかりの人。いくら「ぼくを、信じて」って言われても、普通に考えたら信じれっこないはず。ところが、ジャスミンはこう答えるんですね。
「なぜだか分からないけど、信じるわ!」
そう言ってアラジンの手を握り、二人で飛び降りちゃう。
・・・「自由」への第一歩です。
実は、後半になって、アラジンが王子に
「信じること」が、自由の始まりなんです。
「信じる」っていうことなしに、自由はあり得ない。なぜなら、すべての不自由は、「疑い」が原因だから。・・・大変シンプルな話ですね。私たちは結局、自分で自分を縛っているわけです。疑い、恐れ、怒り、傷・・・そう、傷って場合も多いね。いったん傷を負うと、もう、世界全体を疑い、何も信じられなくなっていきますから。
しかし、そんな私たちに、「ぼくを、信じて!」って言ってくれるお方がいるんですよ。
それを信じたときに、私たちは、「滅びへの隷属」から、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊」(ローマ8:14)から解放される。
マタイの福音書で、復活の主がね、弟子たちに「宣言」します(※6)。マタイ福音書の一番最後の所です。最後は、イエスさまの宣言でこの福音書は終わってるんですが、その最後の宣言の最後の1行は何かっていうと、イエスさまの
「わたしは世の終わりまで、
イエスがこう言って、この福音書は終わるんです。これは、神の「宣言」です。しかも、一人称、二人称の宣言です。「わたしは、あなたと、共にいる」って、この「あなた」って、皆さんですよ。「わたし」っていうのは、神であり、イエスさまです。この「わたし」が、「あなた」に、「いつも共にいる」って言ってくれた。
・・・「ぼくを、信じて!」って言ってるんですよ。神さまが。神さまがそれをあなたに、人間の言葉で熱く言うために、独り子イエスを遣わして、その口で言ってるんです。「ぼくを、信じて」って。
そのイエスを信じた者に、イエスは自由を与えます。イエスは「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」ってありますが、この権能っていうのは「自由に行動する権能」のことです。何にもとらわれずに、自由に愛し、自由に交わる力。「私を信じて私に飛び込んでくるなら、それを与えるよ」と。
「すべての民を弟子にして、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」(cf.マタイ28:19)とありますけど、この三位一体の交わりこそは、自由に愛し合い、自由に交わる、神の自由の本質ですね。その名によって「洗礼を授けなさい」っていうのは、その交わりにドボンと浸けなさいってことですよ。すべての人を、三位一体の自由の交わりの中へドボンと放り込めって言ってるんです。
そんな自由に飛び込みたいって思いませんか。それとも、いつも悩み、いつも恐れ、いつも明日を不安に思いながら生きていくんですか? これからもずっと。そんなのやだって思いませんか?
そんな私たちの目の前にイエスが現れ、「あなたといつまでも共にいるよ、ぼくを信じて!」って言って手を伸ばしてくれてるんです。「なぜかは分からないけど、信じるわ」って、その手を握るべきじゃないですか? どこに飛び降りるんであっても。
・・・「信じる」っていうのは、そういうことです。
昨日の、昼の入門講座(※7)と夜のミサ(※8)と、それぞれに、どちらも偶然大阪から来たという人がいたんですけどね、面白いんですよ。
大阪から来た、未信者の若き女性は、
真理を求めるその気持ちは、それはもう真剣でした。私は、「求めよ、そうすれば与えられる」っていう聖書の言葉(cf.マタイ7:7、ルカ11:9他)を用いてその熱い思いを褒めましたし、「あなたの信仰が、あなたを救ってるんですよ」(cf.マタイ9:22、マルコ5:34、ルカ7:50他)ってお伝えし、父と子と聖霊の自由な交わりに入ることこそ、人生の目的だとお話ししました。
そうして入門講座が終わった直後、12時からご葬儀があったんです。入門係をしている方のお父さまのご葬儀ですけど、その彼女に、「この後のご葬儀に出ませんか?」って誘ったら、すごく驚いて、「ぜひ出ます」と。実は、神父さんのミサに出たかったけれど、今日はもう帰らなければならないので、夜のミサには出られないと思っていたそうです。これこそ神さまの導きだってことで、ミサに出ました。
ですから、その葬儀ミサのお説教では、もちろんご遺族のためにも、・・・今日ここにおられますが、・・・福音を語りましたけれども、同時に、大阪から来た彼女のためにも宣言したんですよ。
「亡くなった方は、神さまに愛されて生まれ、神さまに愛されて生き、神さまに愛されて天に召された。すべては神の
今、その彼が生涯を捧げて神さまに召されていったという恵みのときに、彼が、この私たちを集めてくれた。大阪からも、あなたを呼び寄せてくれた。・・・実はこれは、神さまのお手伝いをして、彼がやっていること。そうして、神さまは、今、一人の神父を通して、あなたに福音を語っている。
あなたは、神さまに愛されてます。この葬儀ミサに出られたということだけでも、あなたがどれだけ神さまから愛され、招かれているか、それを知ってほしい」
そう、目の前の彼女に向かってお話しいたしました。まさに、「ぼくを、信じて」ですよ。彼女、食い入るように聴いておりました。そして、葬儀ミサが終わるとすぐに、大阪に帰っていったんですけど、帰り際に言いました。・・・「私、洗礼を受けたい」。彼女は、本当の自由を生き始めたところです。
ところがですね、その彼女が帰った直後、同じ大阪から、また別の青年がやって来たんです。
この青年は、2年半も前から、ず〜っと電話でしゃべり続けている男性で、会ったことはなかったんですけど、ついに会いに来たんです、昨日。彼女が帰った直後に現れた。ホントに不思議だなあと思う。こういうことって。
この彼のことは、2年前に、お説教でお話したんですけど(※11)、半年間電話でしゃべっていた青年が、「ついに教会に行った」っていう報告をしてくれたっていうことがあった。いつも電話で福音を語り続けてきたんですけど、「教会に行ってみなよ」って言い続けてたら、半年後についに教会に行ったんです。ある日電話がきて、「ついに教会に来ました」って。
でもその後2年間、いまだに洗礼を受けてないんですね。その彼がついに昨日やって来たわけですよ。ちょうどご葬儀が終わって、出棺っていう直前、さっきの彼女が「洗礼を受けたい」って言って帰った直後です。だから、ゆっくり話す時間がない。それで、「この後、火葬場に行きませんか」(笑)って誘ったら、すごく驚いて、「ぜひ行きます」って。だから、火葬場に連れてったんですよ。行きの車の中で、お話ししました。
「亡くなった方は、神に召されたけれども、神の自由に与って、自由に働いている。あなたを大阪から招き寄せたのも彼だし、彼は今、ぼくを通して君に語っているよ。信じなさい」って。これまた、まさしく「ぼくを、信じて」でしょう。
で、火葬場で、お棺の前で一緒にお祈りして。・・・ね、ご遺族が今日もそこにおられますけど、昨日火葬場によく分かんない青年がいましたでしょ? (笑) 誰だろう、これ・・・って顔してましたけど、(笑) お父さまが呼び寄せて救ってくれた青年なんですよ。だって、その彼、帰りの車の中では、真剣に言ったんです。「洗礼を受けたい」って。ですから教会に帰ってからさらに福音を語りましたし、そのまま昨日一泊して、今朝早く帰っていきました。彼も真の自由を生き始めたんです。
三位一体の主日に、父と子と聖霊の交わりの中で、私たちは今、「神の子の自由」を手にしています。
イエスさまが、手を伸ばして、大阪からであれ、どこからであれ、人を連れてきて、そして、真の「自由」に出会わせます。とらわれていた自分、疑っていた世界、恐れていた明日を、そんな人生の中で、イエスが手を伸ばして来たんです。
「信じます」と言ったときに、真の自由が訪れる。・・・それはもう、満天の星空、神さまの栄光の中で、信じ合う仲間たちと、聖霊のじゅうたんに乗って福音のために飛び回るような、究極の「自由」。それが今すぐにでも可能だということに、ときめきませんか。
「ぼくを、信じて!」というイエスさまに、「信じます」って答えた瞬間に始まる、「全く新しい世界」・・・。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)
※1:『アラジン』
◎『アラジン』(ミュージカル)
ディズニーのヒットミュージカル『アラジン』。ブロードウェイでは、2014年の3月の開幕以降、連日のスタンディングオベーションという大ヒットを続けている。
日本は、米国に続いて2番目に、劇団四季が、2015年5月から、電通四季劇場[海](東京・汐留)において、のロングラン上映を決定した。
2015年3月15日にチケットの一般販売が開始されたが、正午の時点でチケット総販売枚数が20万9000枚を突破し、劇団四季の史上販売枚数の最高記録を更新した。(「スポーツ報知2015.3.15」)
貧しい青年アラジンと、王国の姫君ジャスミンの恋物語を中心に、三つの願いをかなえるというランプの精ジーニー、悪役の大臣など、多様な登場人物に、さまざまなエピソードが盛り込まれている、冒険あり、ロマンスありのファンタジー・ミュージカル。だが、その登場人物は現代的でもあり、物語も、現代、そして未来へのメッセージが溢れている。
(参考)
・ 『アラジン』(劇団四季) ・・・「はじめに」「アラジンとは」「ストーリー」「登場人物」「音楽の魅力」「チケット、スケジュール」「キャスト」「ニュース」
・ 「劇団四季「アラジン」 歌もダンスも、最高傑作 演劇評論家・小山内伸」(「産経ニュース」2015.5.31 10:33)
・ 「飛んだ!『アラジン』魔法のじゅうたんにうっとり」(「日刊スポーツ」2015.5.31 18:04)など
・ 「劇団四季新作ミュージカル『アラジン』の稽古場公開!」(「Walker plus」2015.04.28)
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※2:「映画バージョン」
◎『アラジン』(映画)
1992年にディズニーが製作したアニメーション映画。米国公開1992年11月25日、日本公開1993年8月7日。上映時間90分。配給:ブエナ・ビスタ。米国でも日本でも、ビデオ販売数の記録を作った。
(参考)
・ 『アラジン(映画)』(ウィキペディア)
・ 『劇団四季アラジン のあらすじ、ストーリー ディズニー映画と違うところは??』(劇団四季アラジン応援サイト!)
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※3:「アラン・メンケン」
◎アラン・メンケン (Alan Menken、1949- アメリカ合衆国)
作曲家。舞台音楽と、特に、ディズニー映画の映画音楽で有名。
1982年、ミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の大ヒットで脚光を浴び、1989年のディズニー映画『リトル・マーメイド』以降、数々のディズニー作品の音楽を担当。作曲家としてのアカデミー賞受賞8度(2011年5月現在)は、アルフレッド・ニューマンの9度に次ぐ、史上2番目の数。
(参考)
・ 「アラン・メンケン」(ウィキペディア)
・ 「ディズニー音楽の名曲メーカー【アラン・メンケン】まとめ:更新版!」(NAVERまとめ)
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※4:『ホール・ニュー・ワールド(A Whole New World)』
◎『ホール・ニュー・ワールド』(A Whole New World=全く新しい世界)
1992年に公開のディズニーのアニメーション映画、『アラジン』で用いられたバラード曲。アラン・メンケン作曲、ティム・ライス作詞。
主人公のアラジンとジャスミンが新たな世界を探す場面で歌われる。
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※5:「第2朗読」
本日、2015年5月31日〈三位一体の主日(祭日)〉の第2朗読箇所は、以下のとおり。
使徒パウロのローマの教会への手紙8章14〜17節
〈小見出し:「霊による命」(1〜17節)から抜粋〉
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※6:「マタイの福音書で、復活の主がね、弟子たちに「宣言」します」
本日、2015年5月31日〈三位一体の主日(祭日)〉の福音朗読箇所は、以下のとおり。
マタイによる福音書28章16〜20節
〈小見出し:「弟子たちを派遣する」〉
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※7:「入門講座」
「カトリック多摩教会の入門講座は、真理を求めて一緒に旅をしているような集いです。理屈で学ぶのではなく、キリストの愛にとどまっている人たちに加わって、体験してもらいたい。いつ来ても、いつ来なくてもいい。神がこの『私』を本当に大切にしてくださっていると魂で深く受け止めていただくこと、それがこの入門講座の第一の目的です」(晴佐久神父)
―――――――――――【ご案内】(既出)―――――――――――
カトリック多摩教会の入門講座には、金曜日クラス(19時〜20時半)、土曜日クラス(10時半〜12時)、日曜日クラス(12時〜13時)の三つのクラスがあります。(祭日は休講。夏休み、冬休みなどもあります)
内容は同じですので、ご都合のよい曜日、時間を選んでおいでください。いつからでも参加できますし、事前の申し込み、その後の出欠連絡なども必要ありません。自由な気持ちでお越しいただけます。どうぞお気軽にいらしてください。講師は、多摩教会主任司祭の晴佐久昌英(はれさく・まさひで)神父です。(無料)
2015年の大まかな予定は、以下のとおりです。
< 春期 > 4月24日(金)〜 7月19日(日)
( 休講 ) 7月20日(月)〜 9月 4日(金) <8月14日(金)〜16日(日)に臨時講座あり>
< 秋期 > 9月12日(土)〜12月20日(日)
< 冬期 > 1月 8日(金)〜 3月19日(土)〈予定〉
―――――――――――――――――――――――――――――――
(参考)
★「ようこそ、入門講座へ」(カトリック多摩教会ホームページ)
★「入門係らくがき帳」(入門講座のブログ)
・・・< 文中へ戻る >
※8:「夜のミサ」
ここで「夜のミサ」といわれるのは、土曜日の18時30分からの主日のミサです。
以下、主日のミサの時間です。
―――――――――――――【ご案内】―――――――――――――
◎主日のミサ(於:カトリック多摩教会)
土曜日: 18時30分、日曜日:10時、第一日曜日:10時・16時
―――――――――――――――――――――――――――――――
どなたでも、どうぞ遠慮なくご参加ください。
毎週10時からの日曜日のミサには、受付とは別に案内係がおります。ご遠慮なくお声をおかけください。
また、混雑しておりましても、初めての方の席もご用意してありますので、だいじょうぶです。
安心していらしてください。
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※9:「Twitter(ツイッター)」
Twitter(ツイッター)は、「ツイート」と称される140文字以内の短文の投稿を共有するウェブ上の情報サービス」。(「Twitter(ウィキペディア)」)
―――――――――――――【ご案内】―――――――――――――
「福音の村」でも、スタッフが「Twitter(ツイッター)」に参加しています。主に「福音の村」の説教を抜き出した一文ですが、画像や、多摩教会のさまざまなご案内も掲載しております。
>>> 「晴佐久神父@『福音の村』」(https://twitter.com/fukuinnomura)
ツイート(投稿)しているのはスタッフで、晴佐久神父本人ではないので、返答は控えています。ご了承ください。
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※10:「YouTube(ユーチューブ)」
YouTube(ユーチューブ)は、アメリカ合衆国のYouTube, LLCが運営する動画共有サービス。
―――――――――――――【ご案内】―――――――――――――
晴佐久神父関連でも、いくつか動画が掲載されています。
① 「『まだ、人間』トークショー 晴佐久昌英神父×松本准平監督」(投稿者:松本准平)
② 「No.15 晴佐久昌英神父」(投稿者:東京プレーヤーセンター/365日お昼の礼拝より)
③ 「対談『信じる者はホントに救われる?』<前半>」
・・・(投稿者:inori towano/@いのり☆フェスティバル2013から、宮台真司氏との対談前半)
④ 「対談『信じる者はホントに救われる?』<後半>」
・・・(投稿者:inori towano/@いのり☆フェスティバル2013から、宮台真司氏との対談後半)
⑤ 「第39回カトリック映画賞・鼎談」(投稿者:ukai erika)
⑥ 「谷川俊太郎さんのちょっとしたインタビュー/聞き手:晴佐久神父」(投稿者:ukai erika)
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YouTube以外の動画で、大変人気のあるものをご紹介しておきます。お勧めです。
(パソコンからしか見られないかもしれません)
【聖トマス大学 夏期神学講座(2011年)7月25日 講師:晴佐久神父】
→ 「俗は聖の器」
→ 「講義後のミサより(福音朗読と説教)」
・・・< 文中へ戻る >
※11:「2年前に、お説教でお話したんですけど」
>>> 「目には見えない救いの世界」(「福音の村」2013/6/30説教)、上から4段落目(この辺)をお読みください。
・・・< 文中へ戻る >
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