2015年9月20日年間第25主日
・第1朗読:知恵の書(知恵2・12、17-20)
・第2朗読:使徒ヤコブの手紙(ヤコブ3・16-4・3)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ9・30-37)
【晴佐久神父様 説教】
「子供の一人を受け入れるものは、わたしを受け入れるのである」(マルコ9:37)(※1)
この夏のキャンプを思い出します。隣の民宿に小さい子どもがいて、みんな、その子どもと遊ぶのが大好きで、もう、その子どもの取り合いになってましたからね。・・・
でもやっぱり、子どもと遊んでて一番幸せなのは、子どもがホントに無力だからですね。こちらが遊んであげないと、子どもたちはどうしようもない。・・・手をかけてあげないと、それこそ生きていくことすらできない。子ども、無力ですから、私たちが
子どもと一緒にいるのは、なかなか疲れることですし、相手をするのは面倒だったりすることもありますけど、でも、子どもたちを受け入れることで、私たちは、何か大きな恵みを受けている。イエスさまは、「子どもを受け入れる人は、私を受け入れる、・・・すなわち、神を受け入れるんだ」(cf.マルコ9:37)と、そうおっしゃいましたけど、それは真実です。ですから、無力な人と共にあるとき、私たちの方も得をするというか、真の喜びを知ることができる。「だれが一番偉いか」なんていう議論を弟子たちはしていたわけですけれど、そういう、自分のことだけ考えているときには味わえなかった自由、安らぎ、希望、・・・そういうものが、私たちの中にあふれてくる。・・・そこが教会の素晴らしさの秘密でしょうね。
子どもを受け入れるっていう話を聞くと、今、入門講座に通っているひとりの青年のことを思い起こします。前もお説教でお話ししましたけど(※2)、その彼は、近くの病院の精神科に入院しているときに、たまたま入院していた信者の青年に会い、その青年に会いに行った私とも会い、ついにはこの教会に外出許可を取ってやって来て、以来、私たちは彼を受け入れましたし、退院してからは入門講座で共に学び、毎週ミサに来るようになり、そして来春には洗礼を受けようと準備している青年です。
この彼が、洗礼に導かれることになった一番の理由は、その彼を受け入れてくれた人がいたからです。その人の話も、その説教でしました。
子どものころ、彼の家庭はもう崩壊していて、父親はいない。母親は、まったく何もできない。ごみ屋敷のような家で、食事も作らない。だから、おなかすかせて家の外にポツンと立っていると、近所のおばあちゃんが、その子をわが家に招き入れて、ご飯を食べさせてくれた。それどころか、勉強ができないでいるのをいろいろお世話もして、中学に上がったら自費で塾に通わせて、中学を卒業させた、と。
このおばあちゃん、カトリックのおばあちゃんでした。もう亡くなりました。でも、このおばあちゃんが、この子どもを受け入れたおかげで、この子どもは成長しましたし、やがて彼は精神科に入院しましたけれど、「カトリック教会」と聞いたら、「ああ、あのあばあちゃんの教会だ! 」と、そういう安心感もあって、この教会を信頼したわけです。彼、今はもう、成長しすぎて、体重100キロ以上になっちゃって、(笑) 大きな立派な青年になりました。でもまだ、中身はちょっと子どもなんですよね。子ども時代に甘えられなかったから、教会で甘えてるというか。私たちも、まあ、こう言っちゃなんですけど、彼をかわいがっているわけです。
私も、彼のために、教会に来るための交通費と、日曜日のお昼にここで軽食を食べるためのお昼代を、毎週、彼にプレゼントしてきました。なぜそうしたか。天で、おばあちゃんが私に、そうしろって言ってるのが聞こえるからです。・・・「教会家族」って、そんな感じですよね。血縁の話じゃない。道でしょんぼり立っている子どもを、わが子のように受け入れる。さすがカトリックのおばあちゃん、「仕える者」になり、彼と「教会家族」っていうことを始めたわけです。私たちも、「仕える者」になって、それを引き継ぎたいのです。
この夏の島のキャンプに、私、彼を招待したんですよ。100キロ以上あるもんだから、はしゃいで椅子にボンッと座るとバキッと折れる。(笑) 民宿のおやじさんが作ったブランコに乗ったらブチッと切れる。(笑) よせばいいのに、ハンモックにも乗って揺らしてるうちにブッチリと切れる。(笑) 島から舟に戻るときも、波打ち際から舟に乗るのに、大変だった。みんなで押し上げたり、上から引っ張ったりね。でも、ホントに楽しそうだった。大〜きな子ども。全費用を負担してでも連れて行きたかったのは、彼に「教会家族」っていうのを味わって欲しかったから。おばあちゃんもそれを望んでいるから。そうして、受け入れられて、大きな子どもは、少しずつ成長していきます。
彼はつい先日、また再入院しましたけど、仲間たちが明日訪ねます。・・・「教会家族」ですから。そうして、彼を受け入れることで、教会家族はキリストを受け入れているのです。
神学校に入る前、私は、わが家がそうだったこともあって、そういう「教会家族」、ホントに、血縁を超えた家族的つながりに憧れました。神に結ばれた仲間を、まるでわが子のように、まるでわが親のように思い、お互いに分かち合ったり、いつも共にあったりする教会に憧れて、そういう教会を夢見て、ワクワクしながら神学校に入り、神父になりましたけど、なかなか、ホントに「教会家族だ」っていえるようになるには、手間暇、時間がかかって、まだ道半ばです。だけど、多摩教会も、だいぶ「教会家族」になってるんじゃないですか?
そんなとき、一昨日、ある青年が、「質問がある」と言って、何問も質問を持ってやって来たんですけれど、その中の一つは、ちょっとこたえました。
「晴佐久神父さんは、いつも『教会家族』『教会家族』って言うけれど、ホントに『教会家族』なんですか、ここは。それって、言葉の
で、「たとえば、自分の子どもには教育費は出すけれど、他の信者の家庭で教育費も出せないような家があったら、わが子と同じく教育費、出しますか?」って、そういう質問だった。私はそのとき、先ほどのおばあちゃんのことを思い出しましたけど、「言葉のあや」まで言われると、なんかこう、責められてるような気がしてムッとして、「まだ道半ばで、完全とはいかないけれど、かなりいい線いってるんじゃないですか? 多摩教会は」とか言い返しましたけど、実は内心、ドキッとしたんですよ。
ホントに私たち、「教会家族」なんだろうか。そして、どこまで分かち合ったら本当に家族って言えるんだろうって、考えさせられた。でも、答えははっきりしてるんですよね。神が結んだと信じれば、教会家族なんですよ。
まあ、道半ばではあっても、チャレンジする価値のある課題ではあるし、まるで「わが子のように」、もう一人の子に、何か仕えるようにできるようになったとき、あるいは、まるで「わが親のように」、別の親に、何かこう、サービスできるようになったときに、私たちは、相当、「教会家族」になっていく。そういう、なんかこう、・・・チャレンジはね、していきたいな、と。私も司祭になる前に、そういうことに憧れた以上、もっと本気でやってかなきゃなと。
そんな折にですね、教皇フランシスコが、私たちに呼び掛けてきたんですよ。
私、先日、ローマに行きましたでしょ。9月の6日に出発して、・・・9月7日にローマに着いた。着いたら、テレビの報道は、もう、パパさま一色なんです。なぜかっていうと、その前日、9月6日の日曜日のお告げの祈り(※3)の前の声明で、とんでもないこと言い出したから。それで今、ヨーロッパ・カトリックは、上を下への大騒ぎ。
・・・何を言ったか。
「数えきれないほど多くの人々が、戦争や飢饉から逃れて難民となり、生き残ることを願いつつ旅立っています。こうした悲劇を前にして、福音は、その人たちに具体的な希望を示すよう私たちを招いています。ただ、『頑張ってください』『忍耐してください』って言うだけではいけません。
したがって私は、全ヨーロッパの小教区と修道院にお願いしたい。福音を具体的な形で示し、それぞれ難民の家族1世帯を受け入れてください」
そう言ったんです。全世界12億人の信者を抱えるカトリック教会のトップが、「全ヨーロッパの教会はすべて、難民を1世帯ずつ受け入れてください」と言ったんですよ(※4)。
いや〜、大変でしょうね、現場。だいたい想像がつきます。
信者さんたちが、「教皇さまがそうおっしゃるんだから、わが教会でも1世帯受け入れましょう!」って、こう言う。神父さんが、「え~っ?」って言う。「いやぁ、うちは〜、そういうスペースもないし・・・」とか。すると信者さんが、「教皇さまがおっしゃってるんですよ!」って言う。
あるいは逆に、神父さんが、「わが教会でも1世帯受け入れよう!」と言う。信者さんたちが、「え~っ? でも、イスラム教の難民でしょ?」って言う。神父さんが、「教皇さまがお願いしてるんですよ!」と
まあ、そんな光景が、今、全ヨーロッパで起こってるんじゃないですか? だいたい、小教区だけで5万以上あるっていう報道がありましたけど、修道院も合わせて10万以上あるとか。教皇の言うとおりにしたら、10万世帯が救われるんですよ、単純計算で。
私は、この教皇さま、大好きです。・・・なんか元気が出る。だから会いに行くんです。「ああ、トップがそういうことを言うんなら、うちもやろうか」って気持ちになるじゃないですか。いつか例に出しましたけど(※5)、社長さんが会社の前で落ち葉を掃いてたら、社員がその横を、「あ、どうも♪ ご苦労さん!」って言って通り過ぎますか?(笑) 「あっ! 私がやります!!」って手伝うんじゃないですか? ・・・同じこと。
教皇さま、その声明の最後に、マタイ福音書を引用した。ちょうど、今日の箇所にも、すごく似てる所です。「この最も小さいひとりにしてくれたことは、わたしにしてくれたことなのである」(cf.マタイ25:40)っていうイエスさまの言葉。
神さまがそうおっしゃっている。・・・「わたしにしてくれたことなのである」
そうして、「バチカンも2世帯引き受けます」と表明しました。
・・・これ、「2世帯」っていうとこがミソね。「うちは、2世帯いくからね」と。「あなたたち、せめて1世帯でいいからやってよ」ってことですよね。まあ、もっとも、バチカンに行けば、「ここ、10世帯くらいいけんじゃないの?」って思いますけど。・・・とりあえずは「2世帯」っていうとこがミソですよ。そこには、「できれば2世帯以上いけよ」っていう思いも込められてるんでしょう。
あの教皇、本気です。本気で頼んでます。でもそれは、私に言わせれば、教皇の頼みじゃない。イエス・キリストの願いなんですよ。それが教会ってことでしょ。
私も「教会家族」に憧れて神父になって、でも、「言葉のあやですよね」って言われて、ちょっと傷ついて。だけど、もうあと、どれくらい生きられるかも分からないし、ここらで、ちゃんと本気にならないとな~って思わされたのは、確かです。まあもっとも、わが多摩教会は、もう3年以上前から、難民の青年を一人受け入れてますけどね。・・・「沖縄難民」。(笑)
だけど、本当に困っているお互いが、「教会家族」として受け入れ合うような現場、そういう現場に、私たちの多摩教会が、この教皇さまのメッセージをチャンスに、ほんのちょっと本気モードに
「具体的に助け合う道を、具体的に考え始めようじゃないか」っていうことですね。
だって、教皇さま、すごいこと言ったんですよ。その三日後、9月9日水曜日の一般謁見。
私、前日に、予約してあった入場券をゲットして、この日の一般謁見に並びました。早朝から並んだから、ブロックの最前列に行くことができました。この一般謁見の講話は、このところず〜っと、家庭について話してるんですけど、おそらく、三日前の話を受けてでしょう、家庭と小教区共同体についての講話でした。そこで、彼はこう言ったんです。
「真に福音に従う教会は、いつも、扉の開かれた『もてなしの家』となるべきだ。
閉鎖的であってはいけません。閉鎖的な教会、教会組織を、教会と呼んではいけません」
・・・そう言ったんです。すごい言葉ですよ。これは当然、三日前のお願いを意識しての発言でしょう。要するに、
「私がキリストの代理者として『難民を受け入れてくれ』と言っているのに、もしも受け入れない閉鎖的な教会があるならば、そこを、教会と呼んではいけません」って言ってるんです。
そして、「それはむしろ、博物館とでも呼びましょう」って言ったんです。
教皇の言葉ですよ。教皇が、「もうそこは、教会ではない。教会という看板下ろせ」って言ってるんです。「そんなのはただの博物館だ。昔の遺物に囲まれた聖堂に、信者さんたちは
・・・はっきり言ったよ。感動するね(※6)。
わが多摩教会、数年前にでっかいLEDの看板、外に出しましたけど(※7)、・・・「カトリック多摩教会」、この看板、どうしましょう。教皇さまに、胸張って、「私たちはこの看板を多摩市に掲げております」ってね、言えるのかどうか。
教皇さま、その講話の最後に、イエスさまの周りに集まった人たちのことをお話しした。イエスさまの周りには、「本当の家庭があった」と。「もてなしの心にあふれた家庭があった」と。そこにはもちろん、ペトロもヨハネもいたけれども、飢えた人、渇いた人、迫害された人、異邦人、罪びと、徴税人、・・・そういう人たちが集まっていた。その人たちを、イエスはすべて迎え入れて、語りかけていた。そのような、神によって招かれた人たちから成る「家庭を」守るために、使徒たちは選ばれたのです、と。
私たちは、その使徒たちの働きをそのまま受け継いだ、キリストの教会です。必ず聖なる霊が働いて、私たちを導いてくれるはず。
そんな折にですね、入門講座で、つい先日、入門講座に通っているひとりの方が、今、困窮家庭になって苦しんでいるということを正直にお話しになって、ポロポロ泣かれました。
別れたご主人が、もう養育費を払ってくれない。事情があって、実家とも連絡が取れない。娘二人抱えて、自分はパニック障害にもなり、働くことも次第に困難になってきている。それでもがんばって、仕事には行っているんだけれど、ついに家賃が払えなくなり、滞納の督促がやって来ては、ピンポン、ピンポンと鳴らして、子どもたちは
私、以前にそのお話を聴いてから、家賃を援助したりして支えてまいりました。そして、なんとか次の段階にいけるようにと思っておりましたが、今回のこのパパさまの言葉を聴いて、私ははっきりと決心いたしました。
「個人的にではなく、教会家族、みんなで関わろう」
それで、入門講座の皆さんに呼び掛けて、昨日「教会家族委員会」というものをつくりました。入門講座の中の有志によるチームです。・・・「教会委員会」っていうのがあるでしょ。「教会委員会」は、教会全体のことについて話し合います。「教会家族委員会」は、困っている教会家族のことを具体的に話し合います。
この教会家族委員会、急きょ、作った委員会ですが、昨日、第1回の委員会を開きました。入門講座の仲間たちが10人以上集まってくれて、本人を囲んで話し合って、不動産屋に掛け合ったり、その他、さまざま知恵を出し合って、なんとか次の住居を見つけ、みんなでお金を出し合って、ちゃんと生活が回るようになるまで、がんばって支えていこうということを決めました。
私、うれしかったです。「ああ、これ、教会家族だ。教会家族の第一歩だ」、そう思った。
みんなが持っているものを出し合って、本当に困っている仲間、家族のために、「何か具体的に希望を示す」。・・・教皇さまのお言葉です。
「具体的に希望を示す」
それが、昨日はできて、とってもうれしかったし、そんな始めの一歩を、神さまが祝福してくださると信じます。
わがカトリック多摩教会、どうやら看板を下ろさなくて済みそうです。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)
※1:「子供の一人を受け入れるものは、わたしを受け入れるのである」(マルコ9:37)
本日(2015年9月20日〈年間第25主日〉の福音朗読箇所から。
マルコによる福音9章30〜37節
〈小見出し:マルコ9章30〜32節「再び自分の死と復活を予告する、33〜37節「いちばん偉い者」〉
―――――――
★これは、「だれが一番偉いか」と論じ合っていた弟子たちに、イエスさまが言われたみ言葉。
・ 「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」 (マルコ9:35)
・ 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(マルコ9:37)
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※2:「前もお説教でお話ししましたけど」
・ 「病院に潜入したスパイ」(「福音の村」2015年5月3日説教)
>>> 説教最後の段落をお読みください。
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※3:「お告げの祈り」
「Angelus(アンジェラス)〈の祈り〉」ともいう。受肉の秘儀(万物に先立って父なる神のもとに存在した神のひとり子〈みことば〉が、人となられたこと)を記念する祈り。カトリックでは、伝統的に、一日3回、朝6時、正午、夕方6時に祈る。(復活節中には、この祈りの代わりに、「アレルヤの祈り」を祈ることになっている)
バチカンでは、教皇が正午に、教皇公邸書斎の窓から、サン・ピエトロ広場に集まった信者と共に唱えている。
「主のみ使いの告げありければ、マリアは聖霊によりて懐胎したまえり(主のみ使いのお告げを受けて、マリアは聖霊によって神の御子を宿された)」に始まる、ルカ1:38、ヨハネ1:14からとられた3対の句で、受肉から受難を経て復活の栄光至るキリストの秘儀に与るように祈る。
(参考)
・ 「アンジェラス [ラテン語]Angelus」、「受肉」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
・ 「年間の聖母賛歌 ‐アンジェルス・ドミニ:お告げの祈り」(大阪大司教区 和田幹夫神父様)
・ 「『お告げの祈り』と『アレルヤの祈り』」(カトリック中央協議会)
・ 「お告げの祈り」(「ラウダーテ」女子パウロ会)
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※4:「『全ヨーロッパの教会はすべて、難民を1世帯ずつ受け入れてください』と言ったんですよ」
(参考)
・ 「教皇フランシスコ、2015年9月6日『お告げの祈り』でのことば」(カトリック中央協議会)
・ 「教皇、難民の家族の受け入れをアピール、全ヨーロッパのカトリック教会に」(2015/9/7 15:01「バチカン放送局」)
・ 「欧州の教会は難民受け入れを」 (2015/9/11 「カトリック新聞オンライン」)
・ 「教皇フランシスコ 危機的難民の受け入れ ‐欧州の全教会に訴える‐」(『カトリック新聞』2015年9月20日 (1))
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※5:「いつか例に出しましたけど」
・ 「『思いを寄せる』教会」(「福音の村」2014年12月28日説教)
>>> 説教後半、下から2段落目(この辺の数行下から)をお読みください。
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※6:「はっきり言ったよ。感動するね」(9月9日水曜日の一般謁見について)
(参考)
・ 「教皇フランシスコ、2015年9月9日の一般謁見演説」(カトリック中央協議会)
・ 「家庭とキリスト共同体の絆を考察、教皇一般謁見」(2015/9/9 15:01「バチカン放送局」)
・ 「教会、排他的なら『博物館』」(2015/9/18 「カトリック新聞オンライン」)
・ 「排他的なら博物館 ‐教皇 教会に『扉開けて』と要望‐」(『カトリック新聞』2015年9月20日 (2))
・ 「教会と呼んではいけません」(晴佐久神父:『多摩カトリックニューズ』 2015年9月号‐主任司祭巻頭言)
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※7:「わが多摩教会、数年前にでっかいLEDの看板、外に出しましたけど」
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カトリック多摩教会が献堂10周年を迎えた2010年5月、この大きな文字の看板を掲げることとなった。LED内臓で、暗くなると白く輝くようになっている。この光る文字は、「『あなたに神の愛を伝えたい、私たちは本気です』という、意思表示なのです」(晴佐久神父)。
(参考)
・ 「オアシス広場」(晴佐久神父:『多摩カトリックニューズ』 2010年5月号‐主任司祭巻頭言)
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