秋葉原福音家族

【カトリック上野教会】

2017年11月12日 年間第32主日
・第1朗読:知恵の書(知恵6・12-16)
・第2朗読:使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(一テサロニケ4・13-18、または4・13-14)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ25・1-13)

【晴佐久神父様 説教】

 今、私、会議中です。・・・合宿会議。神田のホテルで、シグニス東アジア会議(※1)というのをやっていて、私はシグニス・ジャパンの顧問司祭なので、出席しております。
 カトリックのメディアに関わっている全世界の仲間たちがいるんですけれども、特に東アジアのマカオ、香港、台湾、韓国、インド、そして日本と集まっておりました。そこで私が基調講演をして、各国の発表があってと、まあ、そういう会議です。
 日本の発表では、今の日本の少子高齢化のことを報告しましたけれども、なかでも特徴的で心が痛かったのは、若者たちの自殺の問題ですね。日本は世界に名高い自殺大国で、ここ数年、全体数としては減ってきているけれど、若者の自殺は増えているんです。日本は、若者たちの死因のトップが自殺なんです。こんな国、先進国の中で他にないんですよ。・・・考えられますか? ある国の、若者の死因のトップが自殺なんですよ。
 この日本、まあ一応、戦争はしていませんし、豊かそうに見えますし、安全な国だなんて言ってますけど、われわれの希望である若い世代が、大勢、自ら命を絶っている。これはなんでだと、皆さん思いますか? わけがあるんです。ただの偶然ではない、わけが。

 私も、基調講演でいろいろお話ししましたけれども、配布した原稿には書いてない話を、やむにやまれぬ気持ちで、最後に付け加えてしまいました。「各国からお集まりの皆さん、お聞き及びでしょうか。日本では最近、大きな事件がありました」と。座間市で9人の若者が殺されたというその事件(※2)、やっぱり触れないわけにはいかなかった。
 痛ましい事件ですけど、多くの人が、「なんでこんなことが起こったんだろう」って不思議に思っているようです。実際、会議に参加していた日本人の参加者の中にも、「被害者は、なんでそんな所に行っちゃったのか、犯人は何を目的として、週に一人ずつ殺していったのか、もう、全然理解できない」、そう言ってる人がいました。
 でも、私にはよく理解できます。すごくよく分かる。今の日本の状況だったら、当然そういうことも起こるだろうな、と。
 まず、加害者について言うならば、そもそも、人間の中には、いろんな魔物が潜んでいます。遺伝子レベルで、すでに怪しいものが組み込まれてるんですよ。コントロールできない欲望とか、中毒的な快楽とか、タブーを犯したい衝動とか、実にさまざまな怪しい思いが、誰の中にも潜んでいます。それが何故かはともかく、それは、全員、ここにいる皆さんも、持ってます。それが遺伝子の不思議ってことなんでしょうけど、ともかく、そんなものが日常に噴き出して野放しになったら、人間社会は混乱してしまう。だから、人類は何十万年という長~い歴史の中で、それを上手にコントロールして生きてきたんですね。その最高の方法が、血縁を超えた大きな家族での協働であり、共食です。私たちは何十万年の間、何十人という仲間たちと一緒に暮らしてね、仲良くごはんを食べたり、おしゃべりしたり、助け合ったりしながら、大勢の仲間と共にいることで、他者を傷つけるような怪しい衝動をコントロールして、共に生きるすべ(・ ・)をつくり上げてきたんです。
 要するに、今、そのたが(・ ・)が、外れちゃってるんですね。
 簡単に言うなら、ともかく、「一人でいる」っていうのがよくないんです。お年寄りであれ、若者であれ、「一人で生きていく」なんていうふうには、人間の体も心もできていない。それこそ漢語で言うところの、「小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善をなす」ですね。「閑居」って、一人で暇にしてるっていう意味ですけど、われわれ「小人」、ちっちゃい存在である人間は、一人で暇にしてたら、ろく(・ ・)なことがないっていう格言ですね。聖書の一番最初にも、「人が独りでいるのは良くない」(創2:18)と神さまがそう言って、「助け手となるものを造ろう」(ibid.)と、パートナーシップ、家族、仲間たち、社会、・・・そういうものを与えてくれたとある。だからもう、一人でいること自体が、すでに悪なんですよ。
 今の世の中は、「一人でいる方が楽だ」「他人から傷つけられたくない」「煩わされずに一人でいる方が気持ちいい」って世の中ですけど、もう、それ自体が勘違いなんです。実は、一人でいる方が結局は苦しみ、かえって傷つけ合い、結果的に苦痛を生む。その上、今の世の中は、一人でも生きていきやすくして儲ける仕組みが出来上がっているんで、コンビニで一人分の食事を買ってきて、一人でアパートに帰って、一人でゲームしながら暮らすってことが当たり前の世の中になっちゃった。そんなこと、何十万年もあり得なかったんだけど、今、そういう一人ぼっち状況のなかで、封印されていた妄想が湧き起こってきてるわけです。たとえ湧き起こっても、一緒に暮らす誰かがそれをコントロールしてくれるような環境が、今、ない。まさに今こそ、「人が独りでいるのは良くない」時代なんじゃないかと思う。
 また、被害者について言うならば、今は、いわゆるSNS(会員制交流サイト)なんかで、みんながファンタジー、妄想の世界でつながれる世の中になりましたよね。そうすると、その、一人でいる同士が妄想でつながっちゃうんですよ。今回殺された若者たちも、たとえ家族がいても、心の中は一人ぼっちだったのかもしれない。本当に語り合える人がいない。自分の思いを受け止めてくれる仲間がいない。社会の中で自分は孤立してるって感じて、生きるのがつらい、こんな状況から逃れたい。だけど、まだ10代、20代で、「死にたい」って言ってるのは、ホントに死にたいってわけじゃないですよね。犯人も、「ホントに死にたいと思ってる人はだれもいなかった」って言ったとか報じられてますけれども、そうだろうな、と思う。
 「死にたい」っていうのは、「今のこの状況がつらいから、生きるのがイヤになった」ってことですし、「死ぬよりほかに道がない」と思い込んでいるだけです。・・・他の道、実はいくらでもあるのに。生きる道、出会いの喜び、共にあることの本当の感動、そういうものがいくらでも用意されているのに、それを、10代、20代は知らないでいる。なんてもったいないこと。
 加害者が、自分の父親に、「自分なんかは、もう生きている意味がない」と打ち明けたっていう報道もありました。「自分は生きている意味がない」っていう人と、「死にたい」っていう人がつながると、当然、こういう結果にもなり得る。私は、何の不思議もないと思う。世界で最も若者が自死している国で、社会の目、家族との食事、仲間たちの励ましもない中で、「生きている意味がない」と思いながら一人ぼっちで暮らしている人と、誰ともつながれないと感じながら「死にたい」とつぶやいてる人が、ネットという妄想の空間で出会っちゃったら、こういう事件が起こるっていうのは、むしろ当然の成り行きだと思う。・・・皆さんは、どうお思いになるでしょうか。

 今回のシグニス東アジア会議のテーマは、「家族と希望の物語」なんですね。各国から、それぞれの国で、家族が大変なことになっているという報告がありました。離婚問題を報告した国も多かった。ただ、大変なんだけれども、そこには、「希望の物語」がある。それも、お互いに報告し合いました。日本にも、「家族と希望の物語」がささやかながらありますから、それを報告しました。
 私も「福音家族」の実践について、お話しさせてもらいました。要するに、「みんなもっと一緒にいよう、福音的な集いを工夫しよう、人は独りでいちゃいけない、ちゃんと集まって、一緒にごはん食べましょう!」と。それが人類の原点だし、どんな問題もそこから離れて起きるんだし、だから、まずはそこから出発することが、希望を生む。実際、教会に集まって、定期的に一緒にごはんを食べてると、何かが変わってくるんですよね。
 たとえば昨日は、福音家族の一つ、「うぐいす食堂」のミーティングがあったんですけど、路上生活者と一緒にごはんを食べるというこの食堂の今月のメニューが、昨日決まったんですね。この食堂はもちろん無料ですけど、ただ食べ物を出すんじゃなくて、「一緒に食べる家族」を提供するっていうのが目的ですから、月に一度家族が集まって幸せな時間を過ごす、「ハレの日」のちょっとしたごちそうってことなんで、まあ、それなりのメニューを並べるわけですよ。
 今月は、和食にしました。前菜が柿の入った春菊の白和えで、食前酒として日本酒のスパークリング。最近、はやってますよね。次に、茶碗蒸し。そしてメインが、鮭のホイル焼き。キノコいっぱいのやつね。・・・おいしそうでしょ~。そして、なんと松茸ご飯と、お吸い物、お新香。デザートは、白玉ぜんざい。・・・ステキでしょ? (うたげ)なんです。神の国の、目に見えるしるしです。
 それは、・・・何ていうか、一人ひとりがバラバラなこの世の中に、ささやかな「希望の物語」として、家族的なほっこりした気持ちを広めたいっていう、まあ、そういう思いでやってるわけです。「われわれ、もっと神の国の宴をイメージして、いつかみんなでそれに(あずか)るんだという希望を人々に分け与えて、そのしるしになるような具体的な食卓を、一緒に作り出していこうじゃないですか」
 ・・・と、そういうことを、お話しいたしました。

 イエスさまは、いつも神の国の話をしますけど、大抵、宴にたとえるんですね。宴の中でも、最高の宴は「婚宴」ってことで、王の息子の婚宴であるだとか、いろんなたとえを、イエスさま、話しますでしょ。まあ、当時はそんなに娯楽が多いわけじゃないし、「婚宴」なんて最高のイベントだったんでしょう。おいしいお酒が振る舞われ、三日三晩どころか、一週間お祝いしたりするわけですね。その婚宴にたとえるんだけれども、似たようなたとえが多いんです。せっかくの婚宴を断る人がいるとか、婚宴の席にもうすぐ入れるっていうのに眠りこけているとか(※3)。「なんてもったいない!」っていうたとえです。
 この「目覚めていなさい」(cf.マタイ25:13)っていうのは、何に「目覚めていなさい」かっていえば、「そんな最高の宴である神の国の喜びが、もう目の前まで来ている。それにみんな与るんだから、それを先取りして、みんなで喜ぼう。試練の中でも、『もうすぐなんだ!』という希望を持とう。恵みの日々を共に分かち合い、愛の宴を実現しよう。・・・そんな日々に、目覚めていなさい」でしょう。
 つまり、その喜びを知らないから、「もう生きてる意味がない」だとか、「もう死にたい」だとか言う。それは、眠りこけている状態なんですよ。共に働くとか、共に食べるとかいう「婚宴」の喜びを知らないんです。だから、「結局、自分は一人だ」「人はどうせ、分かり合えない」「みんなバラバラなのは、どうしょうもない」、そう思いこんでる。
 「うぐいす食堂」のスタッフは、いつも招待状を持ってるわけですけど、この招待状を持っていると、路上生活の方と会ったとき、今までは、ただすれ違っていただけだったのが、「これを渡したいな」と思えるようになるんです。これはすごい違いですね。それこそ、「善いサマリア人」のたとえ(ルカ10:25-37)で、倒れている人の横を通り過ぎていく祭司がいますけど、まあ、何かわけがあって通り過ぎたのかもしれませんが、「そこを通り過ぎちゃうなんて、実にもったいない」って、イエスさまはそう言いたいんですよ。通り過ぎずに関われば、そこに宴が始まるから。それが、この世で一番うれしい、楽しいことだし、それこそが、この世を超えた最高の宴の入り口であり、招きなんですね。この招きを通り過ぎちゃってるのが、「眠りこけてる」っていう状態なんですよ。
 教会には、路上生活者の方が結構訪れてきますし、私も、まあ、それなりに対応してきましたけど、正直、面倒に思ったり、渋々お分けしたりすることもありました。だけど、最近は楽しくてしょうがないです。「だれか早く来ないかな。この招待状を渡したら驚くだろうな」って。それは、実はこの世の食卓への招待状じゃない。まさしく、天の国への招待状なんですよ。しかも、渡す方こそ招待されてるという。今までは、まさに眠ってたんだな、独りで生きていて、宴の喜びをまだちゃんと分かってなかったんだなと思うわけですよ。
 ・・・目覚めた者でありたい。いつも油を用意して、ともし火を消さないようにして(※4)、みんなに天の宴の喜びを知らせたいし、自分もその喜びに入っていきたいしっていう、なんかこう、ワクワクする思いが高まってます。

 第1朗読(※5)で、知恵の話が出てきましたけれども、「目覚めている者には心配がない」って書いてありましたでしょ(cf.知恵6:15)。逆に言えば、ぼくらが不安だったり心配だったりしてるのは、眠りこけてるからなんですね。それはつまり、一緒にいる喜びを知らないから、心配になったり、恐れたり、死にたいと思ったりしているだけ。
 「目覚めている者には、心配がない」
 あるいは、第2朗読(※6)では、「希望を持たない者は嘆き悲しむ」って書いてありましたでしょ(cf.一テサ4:13)。神の国の希望、宴の喜び、それを知らないと、ぼくらは嘆き悲しむ。嘆き悲しんでいる大勢の若者たち、生きていてもしょうがないと思い込んでいる彼らに、「希望の物語」を語りたい。それを、実際に、目に見える形で示したい。

 昨日の会議でも、夜には歓迎パーティーをやりましたけど、大勢の人と一緒に宴をしたとき、私、初めのお祈りのときに、お話ししたんですよ、「これは天国の入り口のパーティーなんだ」と、「私たち、家族になりましょう」と、「一期一会かもしれないけれども、この喜びを広めていきましょう」と。
 各国の人とね、長崎料理を分かち合ったんですけど、それこそ、「希望の物語」を分かち合う仲間での食事は笑い声に満ちていて、ホントに楽しかった。私の目の前の方は、インド出身なんですけど、お刺身を指さして、「これは調理してあるのか?」って聞くんです。「いえ、これは(なま)です」って言ったら、「Ohhh!!」とか顔をしかめて、(笑) どんなに「おいしいですよ」と勧めても、絶対食べなかった。各国の食習慣は全く違いますけど、いろ~んな国の、いろ~んな文化の人たちが集まって、でも、それでも、「一緒にごはんを食べる」っていうのは、すべての原点なんですね。
 やがて、天上の国の宴は、もうホントに、あらゆる民族、あらゆる宗教、あらゆる人たちが共にいることを分かち合う、喜びのとき。それが実際にあるんだということを、この世においても示したい。

 先週、また一つ、福音家族を増やすことになりました。
 私は今度の事件になんとか応えようと思って、ともかく、さまよっている若者たちの福音家族をつくろうと思ったんですね。それで、若い仲間たちが集まって、一緒にごはんを食べるにはどうしたらいいかって、ずーっと考えてきたんですけど、思い付いたのが、「秋葉原福音家族」。
 浅草教会の歩いてすぐ近くに「秋葉原」って街があるわけですけど、秋葉原に集まっている若者たち、大勢いるじゃないですか。アニメオタクだとか、ゲームマニアだとか、アイドルにハマってるだとか。それも、地下アイドル(※7)。まあ、いろ~んな趣味趣向の若者たちが集まっている。それはそれでいいんだけど、でも、アニメもゲームもアイドルも、じつはどれもファンタジーの世界ですし、街に人はあふれていても、みんな自分のファンタジーに閉じこもっていて、孤独なんですよ。
 そんな若者たちがリアルの世界で仲間になって、一緒に集まってごはんを食べて、共通の話で盛り上がって、秋葉原も楽しいけど、教会はもっと楽しい宴の場だってことを実感してもらいたい。それで、あっちに声かけ、こっちに声かけしたら、とりあえず3人集まりました。一週間で3人集まるんだったら、もう半月くらいしたら、準備ミーティングをスタートできると思います。月に一度は集まって、一緒にごはんを食べながら、アニメの話、漫画の話、ゲームの話、そして、本当の仲間、神の国の喜びの話・・・。いいでしょう?
 あいつら、みんな優しいんですよ。オタクって優しいんです。そんな彼らは、ネット情報に詳しいし、スマホの世界の住人ですから、彼らと協力し合って、SNSの世界に福音を流すことだってできるかもしれない。
 「死にたいと思っている人、ここにおいで!」と。
 「ぼくたちは、あなたに出会いたい」と。
 「苦しんでるあなたの話を聴きたいから、一緒にごはんを食べようよ」と。
 そのうちに、ネット上にバンバン流すつもりです。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「シグニス東アジア会議」
20171112-signis-S シグニス(世界カトリックメディア協議会)東アジア地区共通のプロジェクト会議。
 2年に一度開かれており、5回目になる今年 (2017年) は、東京で、11月11日と12日の二日にわたり、開催された。テーマは、「家族と希望の物語」。家族や子どもについて考えた。
 参加国・地域は、韓国、台湾、マカオ、香港、日本。
 晴佐久神父の基調講演に始まり、各国・地域の発表、映画「さとにきたらええやん」(釜ヶ崎の「こどもの里」のドキュメンタリー映画)の上映、主日ミサ、円卓会議などが行われた。
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===(もうちょっと詳しく)===
 ラテン語で「しるし」を意味する「シグニス(SIGNIS)」は、バチカンの教皇庁広報評議会の下にあるカトリックの国際的な団体で、「世界カトリックメディア協議会」のこと。映画やテレビ、ラジオ、インターネットなど、さまざまメディアを通して、福音を伝える活動を推進する。
 SIGNIS JAPAN(シグニス ジャパン/日本カトリックメディア協議会)は、その日本組織で、晴佐久神父が顧問司祭を務めている。
(参考)
・ 「シグニス東アジア会議2017」(シグニス ジャパン)
・ 「SIGNIS JAPAN」Facebook:
   「2016年10月9日」「11月11日」「11月12日①」「11月12日②
  ・・・(アカウント登録しなくても、「後で」をクリックすれば見ることができます)
・ 「SIGNIS JAPAN カトリックメディア協議会」(オフィシャルサイト)
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※2:「座間市で9人の若者が殺されたというその事件」
 「座間9遺体事件」。神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件。2017年10月30日に発覚。11月10日に9人全員の身元が確認され、1都4県の15 ~ 26歳の男女だと分かった。
 事件の大きな特徴は、猟奇性と共に、SNS(会員制交流サイト)が接点になったということで、政府の関係閣僚会議でも、SNSへの不適切な書き込みや規制強化が指示された。
(参考)
・ 「座間9遺体事件」(ウィキペディア)
・ 「座間9遺体事件」(朝日新聞DIGITAL) ほか
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※3:「せっかくの婚宴を断る人がいるとか、婚宴の席にもうすぐ入れるっていうのに眠りこけているとか」
(参考)
◎「せっかくの婚宴を断る人がいる」
  マタイによる福音書 22章1~10節:「婚宴」のたとえ
  ルカによる福音書 14章15~24節:「大宴会」のたとえ
◎「婚宴の席にもうすぐ入れるっていうのに眠りこけている」
  マタイによる福音書 25章1~13章:「十人のおとめ」のたとえ
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※4:「目覚めた者でありたい。いつも油を用意して、ともし火を消さないようにして」
この日、2017年11月12日(年間第32主日)の福音朗読箇所から。
 マタイによる福音(マタイによる福音書)25章1~13節)
  〈小見出し:「十人のおとめ」のたとえ〉
===(あらすじ)===
イエスが話された天の国のたとえの一つ。
 
「十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、ともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
 さて、おとめたちが眠り込んでしまった真夜中に、突然花婿がやって来た。愚かなおとめたちのともし火の火は消えそうだが、油が足りない。買いに行っているその間に、花婿は到着して、賢いおとめたちと共に婚宴の席に入り、戸は閉められてしまった。
 
戻った愚かなおとめたちは、戸を開けてくれるよう頼んだが、主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。
(cf.マタイ25:1~13)
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※5:「第1朗読」
この日、2017年11月12日(年間第32主日)の第1朗読箇所は、以下のとおり。
 知恵の書(旧約聖書続編)6章12~16節)
  〈小見出し:「知恵はいかなるものか」6章12~25節から抜粋〉
===(聖書参考箇所)===
 
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
 知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。
(知恵6:15/赤字引用者)
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※6:「第2朗読」
この日、2017年11月5日(年間第31主日)の第2朗読箇所は、以下のとおり。
 使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(テサロニケの信徒への手紙一)4章13~18節、または、4章13~14節)
  〈小見出し:「主は来られる」4章13~18節〉
===(聖書参考箇所)===
 
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。(一テサ4:13-14/赤字引用者)
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※7:「地下アイドル」
 メディアにはほとんど露出せず、ライブやイベントなどを中心に活動するアイドルのこと。ライブアイドル、プレアイドル、インディーズアイドル、リアル系アイドルとも呼ばれる。
(参考)
・ 「地下アイドルとは (チカアイドルとは)」(ニコニコ大百科)
・ 「ライブアイドル」(ウィキペディア)
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2017年11月12日(日) 録音/2017年12月11日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英