神さまからの栄誉は「とっておき」

2014年12月14日待降節第3主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ61・1-2a、10-11)
・第2朗読:使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(一テサロニケ5・16-24)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ1・6-8、19-28)


【晴佐久神父様 説教】 

 今読んだ聖書の箇所(※1)のすぐ後ですが、この直後に、ヨハネは、そのイエスさまと会います。そして、「このイエスこそ、『聖霊による洗礼』を授ける方だ」と、まあ、そう宣言いたします(cf.ヨハネ1:29〜34)。 ヨハネは、「わたしは水で洗礼を授けている。しかし、この方は、聖霊で洗礼を授けるんだ」と。先週の箇所(※2)と同じテーマです。
 この、「聖霊による洗礼」っていう言葉を覚えておいてください。美しい言葉なんです。・・・「聖霊による洗礼」
 先週もお話しましたとおり(※3)、すべての人が、もうすでに、イエス・キリストにおいて、「聖霊による洗礼」を受けております。・・・「すべての人」ですよ。聖霊の洗礼というのは、そういうものです。神がすべての人を救うために遣わされた救い主がこの世に来られたという、そこにおいてもう、すべての人が、それはもう良い人悪い人関係なく、何を信じていようと信じていまいと、その存在の本質において、みんな、「聖霊による洗礼」を受けております。
 それを知って喜んでほしいし、そのことを人々に、やっぱり伝えなくっちゃ。それで、「聖霊による洗礼」を受けていると知って喜んで信じた人たちは、「教会の洗礼」というのを受けて、信じる仲間になって、聖霊の働きに協力するんですね。私たちは、そういう仲間です。聖霊の働きに協力して、「あなたも『聖霊による洗礼』を受けてるんですよ、救いの恵みに(あずか)ってるんですよ」って。
 クリスマスの近いこの時期は、そういう意味では、いつにもまして聖霊に協力して、いつもより優しい心で、悩んでいる人に救いを告げ知らせる、そういう時期でしょう。それが聖霊への協力ですし、それがだんだん実って、やがて聖霊がすべてを覆い尽くして、神の国が完成する。・・・そういうことです。
 そんな、「聖霊による洗礼」が神の国として完成するときのことは、私なんかの貧しい言葉では、もはや語りようもないですけれども、聖書は、そこを何とか語ってますね。
 第1朗読(※4)をご覧ください。美しいイザヤの預言ですが、最初に、「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた」(イザ61:1)ってある。これはもちろんイエスご自身のことですけれども、イエスによって聖霊の洗礼を受けたことに目覚めた、私たちのことでもあります。
 主が私に聖なる霊を注いでくださった。聖なる霊が私をとらえている。・・・何のためか。協力するためですね、聖霊に協力するため。つまり、「遣わされて、貧しい人に良い知らせを伝えるため。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人に自由を、つながれている人に解放を告げる」ため。(cf.イザ61:1)
 これを私たち、このクリスマスへの準備の時に、やりましょう。「打ち砕かれた心」の人、まわりにいっぱいいます。・・・それを、主のみ心でそっと包みます。いろんなことに「捕らわれている人」には、真理を伝えて自由をもたらします。
 「つながれている人」、苦しんでいる人に、「もうあなたも『聖霊による洗礼』を受けているんだ。だいじょうぶだ。あなたは救われている!」という「解放」の喜びを、告げ知らせます。
 ・・・これが私たちの協力です。そうしてですね、そのように協力していると、やがてですよ、10節にあるように、「主は救いの衣を私に着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる。」(イザ61:10)、まさにこの日を、私たちは待ち望みます。これはもう、限りある人間の言葉で説明しているんですけど、あらゆる想像を超えたこの日を、私たちは待ち望みます。どんな「晴れ着」をまとわせてくれるのか、どのように「花婿の冠」「花嫁の宝石」で飾っていただけるのか・・・。その日を待ち望みます。
 「主なる神はすべての民の前で、恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。」(イザ61:11、傍点引用者)
 この私にそんな栄誉が与えられるなんて夢のようですが、神さまのお約束です。それを、私たちは信じます。
 そのような恵みの日まで、ホントの「栄誉」は、とっておきっていうことに致しましょう。あんまりこの世で褒められちゃったら、「とっておき」じゃなくなっちゃうって、そう思ったらいい。

 昨日、「とっておき」のことを、すごく思いました。
 私の大切な友人の結婚式があって、以前いた高円寺教会(※5)に行ってまいりました。司式ではなかったんですけども、私、自分が司式しない結婚式なんて出たことがないんですが、これはどうしてもと思って、昨日の午後、とんぼ返りで結婚式だけ出てまいりました。
 「さくちゃん」って呼ばれてる友人です。私が神父になった時に小学生で、柏教会(※6)におりました。あるとき、『天空の城ラピュタ』(※7)っていう映画に連れて行ったら、以来彼はアニメにハマっちゃったんですね。まあ、私がアニメに道つけたってことになります。その後彼は、高円寺教会に移っていったんですけど、偶然私もその後、追いかけるように高円寺教会に赴任しました。
 さくちゃんは高校生になっていて、高円寺教会の高校生たち、すごく楽しく盛り上がってました。さくちゃんは仲間たちと、助任司祭である私の部屋に入りびたって、夏休みなんか、毎日やって来る。私は「出勤」と呼んでおりました。「皆さん、出勤、ご苦労さまです」って。
 毎朝教会に「出勤」して来て、昼になれば(めし)を食う。もちろんお金ないから、こっちが出してあげるわけですね。毎日何人もとなると結構な出費ですけれど、そのころは電話の横にモスバーガーの料金表が貼ってあって、(笑)電話予約しておいて、取りに行くんです。電話口で、モスチーズバーガーとロースカツバーガーと、ナントカと、カントカとって、横で聞いてて、「・・・おい、そんなに食うのかよ;」って思ってましたけど(笑)、「もう、それくらいでいいだろう」って言うのも、ねえ、さみしいじゃないですか。
 ある夏なんか、・・・あれは確かパラオのイエズス会の教会を訪問して十日くらい出かけたときですけど、ぼくが「じゃあ、行ってくるよ」って言ったら、みんな、「生きていけない!」って言うんですよね。(笑)「じゃあ、しょうがない」ってことで、私の机の一番上の引き出しにお財布を入れて、そこにお金を入れておいて、ちゃんと領収証があるなら飯食っていいってことにした。で、帰って来たら、領収証が山のように詰まっていて、スッカラカンになっておりました。(笑) ほとんどモスバーガーでしたけど。・・・そんな感じで、仲良くしていた。
 やがては無人島キャンプで副隊長もやってくれて、さくちゃんはホントに、・・・何でしょう、彼の母親に言わせれば、「はれれは、あの子の青春そのもの」でしたし、私にとっても、いろんな活動を一緒にやって、まあ、一緒にいるのが当然というか、分身みたいな感じでしたねえ。
 ところが、このさくちゃん、なかなかイケメンでさわやかで、まじめで才能もあるし性格もいいし、とっても優しいし、もう、申し分ないのに、・・・彼女ができないんですよ。仲間内にはいい子がいっぱいいたんですけどね・・・こんなこと、べらべらしゃべっていいのかな、(笑)気に入った子はライバルに取られたりして、彼、ぐいぐい押すタイプじゃないし、まあ、アニメで十分っていう感じで。(笑)
 就職してからは、めちゃめちゃ仕事が忙しいってこともあり、周りが次々結婚していく中で、なかなかいい相手が見つからずに、5年、10年、20年。いまや、すっかりいい年になって、さくちゃんが結婚できないってのは、仲間内でも大きな謎でありました。
 ところが、教会のある方が、お見合いを設定してくれたんですって。・・・いるでしょ? 「おせっかいオバサン」みたいな人。(笑)たぶんそんな感じの人かなって想像してるんですけど、 その人が、つて(・ ・)でいい相手を連れて来て、お見合いをさせてくれて、なんとこれが一発でまとまっちゃったんですよ。気立てのいい、すごくいいお相手と。
 まあ、だから、「おせっかいオバサン」って、大事ですね。(笑) 人間同士の触れ合いが希薄になってる今の時代、ホントに大事だと思いますよ。それこそ、「聖霊への協力」みたいな感じですよ。だって、これがホントにいいカップルで。仲間内では、「さくちゃんは、永遠に独身」っていう神話が出来上がってたんで、みんな「奇跡だ!」とか、「これはお祝いしなきゃ!」って喜んだという、まあ、それが昨日だったんです。私もうれしかったし、いい結婚式でした。さくちゃんの、あんなうれしそうな顔、見たことなかったし。
 ただ、私、披露宴に出てスピーチしたかったのに、夜のミサがあるから帰ってきちゃったんで、仕方がないから、ここでスピーチしたいんですけど。(笑)
 まあ、言いたいことはひとつです。さくちゃんは、確かに今まで、いい出会いがなかった。結婚願望はあったのに相手に恵まれなかった。そして、もう無理なのかって思われてた。なにしろ忙しいんですよ、仕事が。そんな忙しい仕事で頑張ってる中、突然、結婚相手が現れた。
 これは、「今までいい出会いがなかった」とか、「恵まれてなかった」って見えるかもしれないけど、実は神さまが、今回のこの最高の相手のために、さくちゃんを「とっておき」にしておいたんだってことなんじゃないか。・・・この「とっておき」っていうやつが、すごく大事なんです。
 彼女の方もそう。今まで、だれとも結ばれずに来たわけですから。すごくかわいいんですよ。チャーミングで、優しくって、私のとこにもすぐあいさつに来てね、「彼からよく聞いております」ってね。「神父さまのご本を、彼から頂いて、いろいろ読ませていただき、ぜひお会いしたいと思ってました」なんて言ってくれて。・・・もう、思わず(のど)まで「洗礼受けなさい!」って出かかったけど、(笑) まあ気立てのいい女性でね、この人が今まで結婚しないでいたのって、まさに、神さまが、「とっておき」にしてくれてたってことなんですよ。
 たぶん、それ以外の相手とは結ばれないように、だれかが近づいても天使か何かがパッとはねのけて、二人を「とっておき」にしておいてくれたんです。そして、いよいよ「さあ今だ!」っていうときに、その二人を出会わせて、新しい恵みの世界をつくり出す。・・・神さまのご計画ってことですね。これは、だれも邪魔できないです。
 皆さんも、「私は恵まれてない」とか、「なかなか日の目を見ない」とか、「もう、こんな年になっちゃった」とか、いろんなこと思うとしたら、それは違う。神さまが「とっておき」にしてある、あなたにも何か、そういうご計画があるんですよ。だからこそ、今までそうじゃなかった。そういうとっておきの「出会い」とか「出来事」っていうのが、何か用意されてるんじゃないですか。・・・それが何であるかは人それぞれでわかりませんけど、神さまが、そのために、あなたを「とっておき」にしておいた、何か。
 この前のノーベル賞(※8)でいえば、赤崎先生と天野先生なんてねえ、すごいコンビでしょ? どっちも、相手がいなかったら、ノーベル賞にならなかったんですよ。赤崎先生が発見し、天野先生がついに実現するみたいな、もう、最高のコンビですけど、そんなの、もう、お互いに、その相手と巡り合うのは「とっておき」なんですよ。神さまが、他のどの弟子でもなく、他のどの先生でもなく、この赤崎、天野を出会わせることで、LEDを見つけさせるんですね。そうして、20世紀中は無理だって言われていたのが、できちゃった。おかげで、暗闇に光がともり、省エネで環境が守られ、世界は本当に大きな恩恵を受けたわけですけれども、これなんかは、この二人を神さまが「とっておき」の二人として出会わせた、その瞬間に、その先に、LEDという世界が広がるわけですよね。
 皆さんは、何において、「とっておき」にされているのか。
 それはもう、最終的にはすべて、神の国へのプロセスであって、ともかく何か役割を与えられているはず。ですから、「私なんかには、いいものは与えられてない」とか、「あの人は才能や業績が与えられてていいな」とか、そんなふうに思うとしたら、それは違う。神さまはちゃんとすべてを用いておられるんだから。ちょっとくらいうまくいかなくても、「わたしは今、とっておかれてるんだ」っていう、そんな信仰、大事なんじゃないですかねえ。
 「聖霊による洗礼」を受けている人たちは、そういう意味では、やがて用いられる役割をすでに与えられているのであり、あとは、神さまの御計画が、この私を何に使うかっていうのを、ワクワクしながら待つ。・・・そういう人生、いいんじゃないですか?

 パウロの手紙(※9)で、最後の所に、「平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように」(一テサ5:23)って、こうありますね。「くださいますように」ってことは、未来の話ですよね。これからのことですよ。「平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者として」くださる。
 「霊も魂も体も何一つかけたところのないものとして守って、主イエスの来られるとき、・・・イエス・キリストの来られるとき、つまり、神の国の完成するそのとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように」
 ・・・未来のことですよね。「やがてそうしてくださる」って言ってるんです。
 私たち、いつも、何か「欠けてる、欠けてる」って文句言いますよね。「非のうちどころのある(・ ・)」私だと思ってます。でもそれは、これから「欠けたところのないものとして」「非のうちどころのないものとして」くださるためなんです。
 「あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ず(・ ・)そのとおりにしてくださいます」(一テサ5:24、傍点引用者)と、そう結んでおりますが、そういう日を待ち望みます。
 だからこそ、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(一テサ5:16)と、パウロは言います。それは、主、「キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられること」(一テサ5:18)。聖霊への協力。これを、このクリスマスの準備として、やっていきましょう。
 ・・・私たちは「とっておき」ですからね。それまでは、この世で認められなくても、表彰されなくても、「まあ見てなさい、そのうち神さまに褒めていただくから」と、安心して「とっておかれ」ましょう。

 表彰といえば、先週不思議なとこから電話がきて、日本文化ナントカ会ってとこ。もう、何度聞いても忘れちゃう。そこの、国際文化協力ナントカっていう部門から電話がきてですね、「晴佐久先生、先生は立派な本をたくさんお書きになり、また、『すべての人は救われる』という大切なメッセージを、人々に広めておられる。その功績は、大変素晴らしい。つきましては、当団体より、ナントカ文化功労賞を贈りたいので、ぜひお受けいただきたい」と、そういう電話がきたんです。
 まあ、ありがたいお話ですけど、ぜひお受けいただきたいと言われても、そんな簡単にハイハイって言うようなことじゃないですし、「ともかく一度直接お会いして、お話伺うことに致しましょう」ってことで、担当者と会うことにしたんですよ。来週ですけど。
 だけどね、電話切った後でインターネットで調べたら、何やらよく分からない不思議な賞なんですね、これが。(笑) どこぞの高貴な方が創設してて、由緒ある家柄の方のお名前なんかも出てきて、銀座の立派なビルに本部があって、立派な授賞式の様子なんかも載ってるんですね。受賞者が大きな勲章首から下げて、巨大な賞状にでっかいはんこ(・ ・ ・)が押してあって、菊の御紋みたいなマークが飾ってあって。まあ、それはいいんですけれども、さらに調べていくと、この受賞にあたって、「つきましては、寄付をしてください」っていうらしい。(笑)最低でも、結構な額です。だけど、それでも、もらう人がいっぱいいるわけですよ。毎年、いろんな人が、それを受けてるんです。
 ・・・つまりこれ、ある種のご商売なんですね。顕彰商売ってやつです。受けた方も経営者の方が多く、「当会の会長はこれこれこういう賞を受賞しました」とかって、ホームページに乗せるわけです。まあ、悪いもんじゃない。本人が納得してね、寄付金払って受賞すればいいんですけど、「なんだかさみしい話だね、これって・・・」って思って、もちろんお断りすることに致しましたが。
 ただ、辞退の電話、まだ入れてないんですよ。というのは、ぜひその本部をね、興味津々、(のぞ)いてみたいんですよ。(笑) どんな感じの部屋で、どんな人が出てきて、そして、どんな切り口で、「つきましては寄付を」って言い出すのかって。・・・まあ、やめときましょう。電話します。(笑)
 ただ、私、ちょっと悲しかったのは、最初に電話いただいた時に、一瞬うれしかったどころか、「いくらかもらえるのかな〜♪」とか思っちゃったんですよ。(笑) ・・・な〜んか、情けないというか、恥ずかしいというか。この世の賞なんかもらったってね、「あなたが死ねばみんなゴミ」(※10)っていう名言があるけど、どんなでっかい勲章だって、いつかは捨てられて終わりでしょう? そんなんならむしろ、皆さんからもらうような賞がいいな。多摩教会司牧評議会(※11)が出す「多摩教会福音功労賞」とか、(笑) そんなんいただけるんなら、もう喜んで「ハイハイ」っていただきますけどねえ。

 やっぱり、栄誉はね、「とっておき」で、いいんじゃないですか?
 そんな、この世のよく分からない団体の出すようなもの、最後はゴミになってしまう賞状や勲章の話ではなく、「永遠なる」「神さまからの」「とっておきの」ご褒美。
 昨日も、花婿と花嫁の素晴らしい姿を見ましたけれども、私も、やがて主のみもと(・ ・ ・)でですね、「救いの衣」を着せていただき、「恵みの晴れ着」をまとわせていただき、「花婿のように輝きの冠を」かぶらせていただき、「花嫁のように宝石で飾って」いただくことを、夢見ます。(cf.イザ64:10)
 その喜びのために、まっ、この世の栄誉なんかにフラフラせず、神さまからの栄誉は「とっておき」にしておこうと。



【 参照 】(ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがありますので、ご了承ください)

※1:「今読んだ聖書の箇所」
本日(2014年12月14日〈待降節第3主日〉)の福音朗読箇所は、
 ヨハネによる福音書 1章6〜8節、19〜28節
 〈小見出し:6〜8節「言が肉となった」から抜粋、19〜28節「洗礼者ヨハネの証し」〉
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※2:「先週の箇所」
先週(2014年12月7日〈待降節第2主日〉)の福音朗読箇所は、
 マルコによる福音書1章1〜8節。
  〈小見出し:「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」〉
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※3:「先週もお話しましたとおり」
先週(2014年12月7日〈待降節第2主日〉)の晴佐久神父の説教は、
 「すべての人が『聖霊による洗礼』を受けている」(「福音の村」)でお読みになれます。
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※4:「第1朗読」
本日(2014年12月14日〈待降節第3主日〉)の第1朗読箇所は、
 イザヤ書61章1〜2a節、10〜11節
  〈小見出し:「貧しい者への福音」から抜粋〉
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※5:「高円寺教会」
カトリック高円寺教会
 住所 : 〒166-0003 杉並区高円寺南2-33-32
 教会ホームページ: カトリック高円寺教会
  (晴佐久神父の前任〈2003年4月〜2009年4月〉の教会)
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※6:「柏教会」
カトリック柏教会(現:カトリック豊四季教会)
 1971年5月献堂(千葉県柏市東台)。
 その後、信徒の増加により、1991年9月に移転、献堂。(同県流山市長崎)
 移転に伴い、教会名も「カトリック豊四季教会」に変更。
  住所 : 〒270-0134 千葉県流山市長崎 2-444-1
  教会ホームページ: カトリック豊四季教会
  (晴佐久神父が司祭叙階〈1987年〉直後に赴任した教会/「柏教会」時代)
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※7:「『天空の城ラピュタ』」
1986年8月に初公開の長編アニメーション映画。
スタジオジブリ製作。宮崎駿原作、脚本、監督。
19世紀後半、産業革命期のヨーロッパを元にした架空の冒険を描いている。少年と少女が天空に浮かぶ伝説の島、「ラピュタ」を目指す。
(参考)
・ 『天空の城ラピュタ』(ウィキペディア)
・ 『天空の城ラピュタ』-NAVERまとめ(画像、雑学などのまとめ)
・ 『天空の城ラピュタ』-画像を検索(Googleで画像を検索すると・・・)
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※8:「この前のノーベル賞」
 スウェーデン王立科学アカデミーは、12月7日、2014年のノーベル物理学賞を発表。
 少ない電力で明るく青色に光る発光ダイオード(LED)を発明、実用化に貢献した、名城大学終身教授の赤崎勇(あかさき・いさむ)氏(85)、名古屋大学教授の天野浩(あまの・ひろし)氏(54)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二(なかむら・しゅうじ)氏(60)の三氏。
 赤崎氏と天野氏の師弟コンビが、窒化ガリウム(GaN)を使った青色LEDの基礎研究を、中村氏はその後、量産化技術の開発につなげた。
 授賞理由は「明るくエネルギー消費の少ない白色光源を可能にした高効率な青色LEDの発明」で、「20世紀は白熱灯が照らし、21世紀はLEDが照らす」と説明されている。
(参考)
・ 「日本の3氏に2014年度ノーベル物理学賞—青色LEDの開発で」(nippom.com)
・ 「ノーベル賞:物理学賞に赤崎、天野、中村の3氏」(毎日新聞)
・ 「物理学賞を受賞した赤崎勇氏・中村修二氏・天野浩氏ってどんな人?」(HUFF POST)
・ 「青色LEDが示した材料研究の水準」(化學工業日報)
・ 「くらし☆解説『ノーベル物理学賞 青色LED』ってすごい」(NHK解説委員室)
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※9:「パウロの手紙で・・・」
本日(2014年12月14日〈待降節第3主日〉)の第2朗読箇所は、
 テサロニケの信徒への手紙 5章16〜24節。
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※10:「あなたが死ねばみんなゴミ」
辰巳 渚(2000)『「捨てる!」 技術』宝島社新書(p.78)より
  この言葉は、名言として話題になった。
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※11:「多摩教会司牧評議会」
 主任司祭を中心に、月に一度、各地区の代表者や、委員会の代表者が集まり、多摩教会での宣教活動、司牧活動、教会行事などについて、諸活動のための話し合いや、運営を行っている。
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2014年12月14日 (日) 録音/2014年12月21日掲載
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