聖家族巡礼旅行

【カトリック上野教会】

2017年2月12日 年間第6主日
・ 第1朗読:シラ書:(シラ15・15-20)
・ 第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント2・6-10)
・ 福音朗読:マタイによる福音(マタイ5・17-37、または5・20-22a、27-28、33-34a、37)

【晴佐久神父様 説教】

 昨日、スペイン巡礼旅行から帰ってまいりました(※1)
 時差ぼけというんでしょうか、今、スペインは午前2時ですから、なんだかボ~っとしてて、夢の中にいるような感じ。十日間、まさに夢心地というか、「あれは夢だったんだろうか・・・」っていうような素晴らしい巡礼の日々を、30人の「巡礼の家族」と過ごしてまいりました。

 というのも、今回は、「叙階30周年」っていうこともあって、ひとつの夢を果たしてきたんですね。ご存じ、バルセロナのサグラダ・ファミリア、「聖家族教会」(※2)でミサを捧げたいという夢があって、それを実現してまいりました。
 まだ未完成ですけれど、何年か前に、教皇さまがバジリカとして正式に聖別されたので(※3)、「あそこでミサを捧げることができたらな」って夢見ていたんですよ。私、ホンットにあの聖堂が大好きなので、あそこで感謝の祭儀、天の父への賛美を捧げ、旅する仲間たちと共に信仰を表明し、福音を分かち合うことができるなら・・・って。まあ、そういう、人それぞれに「特別な所」ってのがあるわけですけど、私にとってはあの聖堂が、「特別な所」です。かつて、もう20年近く前に訪ねて、大変感動して以来です。ただ、その時はまだ、ホントに一部分しかできていませんでした。
 そのころは、いわゆる「生誕のファザード(※4)」と呼ばれている、イエスさまの降誕をテーマとしたファザードが出来上がっていて、作者のガウディは、もちろん全体の設計をしてるんですけれども、本人が生きている間にその目で見られたのは、この「生誕のファザード」だけです。あの、有名な4本のトウモロコシみたいな塔が並んで立ってる写真、見たことありますでしょう。その反対側の「受難のファザード(※5)」ができたのは、最近です。
 しかも、その二つは、実は教会の右端と左端に過ぎないんですね。今、正面に、より大きな、「栄光のファザード(※6)」っていうのを造ってますし、さらには、聖堂の真上に「イエスの塔」というのが建つんだけど、これは現在、まだ土台だけ。・・・建設中なんですよ、サグラダ・ファミリア教会(※7)
 かつては、出来上がるのに200年かかるとも、300年かかるともいわれてたんですね。ガウディがこれを建て始めたのは1882年ですから、到底完成の姿を見ることはできないって、みんな思ってた。ですから、以前訪れた時も、「ここでミサを捧げるなんて、夢のまた夢だろうな~」って思っていたわけですよ。
 ところがですね、二つの理由で工期が短くなった。一つは、あまりにも素晴らしい聖堂なので、うわさがうわさを呼んで、私みたいに、行った人は他の人に「必ず行け」と言うわけで、どんどん人が集まり始め、今、年間400万人来てるんですって。まだできてもいない教会に、ですよ。で、入場料が一人15ユーロ。・・・これ、年間でいくらになると思います? 毎年、何十億円というお金が入り始めて、ど~んどん工事が進むようになった。皆さんがどんどん行けば、もっと早くなるかもしれないですよ。(笑)
 いや、それよりもっと大きな理由がある。コンピューターの進歩です。複雑な構造計算や工程の段取りはもちろん、たとえば皆さん、見たことあるでしょ、3Dプリンター(※8)。あんなのが、細部の模型をあっという間に作っちゃうから、何年もかかってたようなことが、数分でできちゃう。
 さまざまなテクノロジーの進歩もあり、昔はなかった素材も使い・・・今建ててる塔にはチタン合金を使うそうですけど、おかげで工事は急ピッチで進んで、なんと、ガウディの死後100年を記念する2026年に完成予定になったんですよ。・・・頑張れば、なんとかなるんじゃないですか? (笑) あと9年。もっとも、完成したらすごく混むと思いますから、狙い目は、塔が建って、聖堂内ももっと整備される、5年後くらいじゃないですかね。東京オリンピックが終わったころにでも。
 まったくの余談ですが、バルセロナに、ぜひ寄ったらいいバル(居酒屋)がある。(笑) バルセロナに4泊したんですけど、その間に3回行きました。「セルべセリア・カタラナ」っていうお店です。ホントにおいしい。・・・余談終わり。(笑)

 サグラダ・ファミリアって、「聖家族」ですね。「聖家族」、ご存じでしょう? イエス、マリア、ヨセフ。神さまが結んだ聖なる家族の、至高の一致。その家族を通して神さまが表された、無限の愛。その神秘を表そうとした、天才的な信仰者の、奇跡の設計です。
 サグラダ・ファミリア教会を見ていると、私には、設計したガウディの信仰が見えるんですよ。ガウディの信仰の美しさ、奥深さ、何よりも、・・・何と言えばいいか、「信仰の普遍性」をひしひしと感じる。民族や言語を超え、何教、何宗というようなことさえも超えて、生命的というか、宇宙的というか。もちろん、キリスト教的なシンボル満載でありながら、まさに、「透明な神さまの愛の本質って、そういうことだよね」っていう真理が、目に見えるような。過去の伝統を大切にしながらも、未来の普遍性に開かれているデザイン。・・・まあちょっと言葉は変ですけど、SF的なんですよ。サイエンス・フィクション。「SF」っていうのは、未来の描写でしょう?
 この世界が完成していく、この宇宙が完成していく、この大自然がすべて神さまの目にかなったものとして捧げられて、神の国として完成していく、そこで、私たち人類もみ~んな救われて、共に感謝と賛美を捧げる、そんな未来のありさまをね、「さあ、描いてみろ」とか、「それを表す建物を造れ」とかっていわれても、だれがそんなことができるかっていうのを、彼は造っちゃったんです。自然界の色や形の普遍性を見事に取り入れて。私に言わせれば、あれこそ、救いの普遍性を、この世で最もよく表している聖堂ですよ。
 神さまは、ご自分がお造りになったこの宇宙の素晴らしさを味わわせるために、「人間」というものをお造りになりました。虫や動物もこの世界に住んでますけど、彼らが宇宙の素晴らしさを認識してるかっていうと、分かってないと思う。でも、人間は分かっているし、しかも、それを表現することができる。命の神秘、信じる喜び、神の愛の輝き、そういうことを表せるんです。あの聖堂のまん中で、私、ずっとつぶやいてました。「人類、恐るべし!」って。
 ガウディは、天才です。いや、「天才」を超えてますね。彼はすごくいい成績で建築の学校を卒業したんですけど、そこの校長が、「彼は、変人なのか、天才なのか、私には分からない」って言ったとか。・・・そりゃまあ、当時の人に、分かるはずがない。いや、今のわれわれだって、あのガウディのビジョンに、どれだけ追いつけているか。あの大聖堂の中に入れば、いやでも分かります。「この人は天才、いや、天才を超えている」って。「すべての人が救われる、すべての命に神の愛が現れているっていうカトリック普遍主義の本質を、ここまで理解して、それを、伝統を大切にしながらも、真っすぐに、純粋に、自由に表現することができる。こんな人はいないだろうなあ・・・」って。
 ・・・ねっ、行きたくなってきたでしょ? (笑) 美しい聖堂の中で、柱が枝分かれして天に伸びていて、まるで森の中みたいなんですよ。見上げると木漏れ日のようにステンドグラスから光が差し込んで、それこそ、天国が、もうすぐそこまで来ているかのよう。本当にうっとりと眺めてまいりました。参加者一同も感動してましたし、そこの地下聖堂でミサができて、私も参加者も、とってもうれしかったんです。

 そのときの説教で、カタツムリの話をしました。
 いよいよ、サグラダ・ファミリアに行くという朝に、ホテルで朝食を食べたんですけど、お皿にサラダを盛って、何気なく食べようと思ったら、な~んか動いてるんですよ。(・・・笑)「えっ?」って思って、眼鏡を掛けてよく見たら、ちっちゃ~いカタツムリがね、・・・まあ1センチくらいですかね、全身が。殻は五ミリくらいかな。そんなやつが、葉っぱの上を這ってるんですよ(※9)。・・・まあ、かわいいというか、いとおしいというかね、「こんにちは~🤗」って言いたくなるような。
 あまりにもかわいかったんで、葉っぱごと持って歩いて、みんなに見せたら、みんな、「あら、かわいい~😍」って写真撮ってましたけど、それをホテルの外まで持っていって、裏の原っぱみたいな所にポンと置いてきました。・・・優しい神父さまでしょ。(笑)
 「生前、クモを助けてあげたら、天国からクモが助けに来てくれました」みたいな小説がありましたけど、私もかわいいカタツムリを助けてあげたんで、サグラダ・ファミリアに向かうバスの中で皆さんにお話ししたんですよ、「ぼくが、いつか地獄に落ちそうになったら、きっと、天国から、あのカタツムリが降りて来て、『アノトキハ、アリガト~!🐌💕』って、(笑) 助けてくれるんだ」って。
 そう話して、バスを降りてサグラダ・ファミリアの「受難のファザード」の所に来て、ふと見上げてびっくり、そこにですね、巨大なカタツムリが。・・・もちろん彫刻ですよ、(笑) ガウディのデザインですけれども、まさに、天国からわれわれを迎えに来るかのように、天から地に向かって、這い降りてくるカタツムリがいるんですよ(※10)。私、みんなに、「ほら! もう救いに来た!」って。(笑)
 大聖堂の壁面に、大きなカタツムリを這わせる設計。・・・だれが思いつきます? それだけじゃないんですよ、もう、あっちもこっちも、生き物でいっぱいなんです。たとえば、生誕のファザードの扉は、緑色のね、一面森の葉っぱでビッシリ埋め尽くされていて、そこにはあらゆる小さな生き物が彫刻してある(※11)。・・・ちっちゃいカタツムリ、そこにもいた。アリもいた。ハエみたいなのもいる、チョウもいる、カブトムシのオスもメスもいる。み~んなそこに一緒にいてね。この世界の生きものの神秘、植物、昆虫、動物、そして、人間。その人間の中でも、最も美しい人間、主イエス・キリスト、聖マリア、聖ヨセフ、・・・その一致、そこに注がれる神の愛、この宇宙の完成・・・。
 「なんてことだ! まさに、われわれは、救われるために生まれてきたんだ。命は祝福されてるんだ。神の愛は、もう注がれている。だから、私たちは、本当に美しい聖堂を建てて、そこで、天地の創造主に、『感謝します!』『賛美します!』『あなたを愛します!』『あなたの愛を信じます!』と、そう言わなきゃいけない。いや、そのためにこそ、人類は生まれてきた。この美しい聖堂でなすべきことは、写真を撮ることじゃない。ミサを捧げることだ!」と、まあ、そういう思いで、まごころ込めて、「聖家族のミサ」を捧げてまいりました。

 聖家族のミサというのは、この巡礼ツアーのテーマが、「聖家族」だったんですね。出発前に羽田の特別室で旅立ちのミサをしたんですけど、その時に申し上げました。
 「この旅は、聖家族教会を目指して歩む旅だけれども、この30人の仲間で、ホントに聖なる家族になりましょう。助け合い、支え合い、忍耐し合って、神の国を目指しましょう。たった十日間だけれども、この旅でそれができるならば、生涯の旅路でもできるはずだし、全人類の旅路でもできるはずです」と、そんな説教をしてね、聖家族への旅を始めたんです。
 なんか、それでも、旅行中に夫婦げんかする夫婦がいてね、しかも食事中に。それでお二人に、やんわりと、「聖家族を目指しましょうよ。けんかするのも仲がいい証拠ですしね」って言ったら、「私たち、結婚する前にも、けんかして、別れてるんです。だけど、やっぱりこの人だと思って、また付き合い出して結婚したけれど、最近、『結婚って何だろう・・・』って思うんですよ」って。
 だけど、けんかしても、別れても、それでも神が結んでるのが結婚ですから、もうあれこれ考えずに一緒にやってけばいいだけなんですよ。だから、「別れてもやっぱり結ばれたんだから、もうそれでいいんじゃないの?」って言ったら、「実は、別れたのも一度や二度じゃないんです」って言うんですね。「13回別れたんです」って。私、一瞬、聞き間違いかと思いましたよ。「13回別れて、14回目に結婚したんです」って。(笑) 居合わせたみんなで思わず大笑いしちゃいましたけど、ねえ、これ、よほど仲がいいんじゃないですか? 本人たちは、気が合わないと思ってね、「もういい💢」って、事実、別れて2年くらい会わなかった時期もあるらしいですけど、その時もまた、偶然会っちゃったんですって。「13回別れても、結婚」。・・・まさに、それが結婚でしょう。「結婚とは何か」なんて考えても意味がない。「それでも一緒」っていうのが、結婚なんだから。
 「結婚」っていうのは、もう、あれやこれや考えるのは止めて、相手に「はい!」と答える、そういうことなんです。それ以上の思いを差し挟まない。「神が結んだ」と、そう受け入れて、神のみ旨に「はい!」と言って、もう、ひとたびそう言ったら、あとは考えない。これが「結婚」。・・・そんなことをね、食事の席でお話しして。
 そうそう、巡礼旅行ってね、ず~っと福音を語んなきゃなんないんですよ。もう、休む暇なし。(笑) 毎日のミサどころか、しまいに、バスの中でもマイク握って入門講座しましたからね。「質問コーナー」とかって、次々とね、「ゆるしの秘跡のホントの意味は?」とか、質問がね、紙で回ってくるんです。・・・サラゴサからバルセロナまでの4時間も、ずっと入門講座してました。(笑) 食事の席でもね、さっきみたいな、「マリッジ・エンカウンター(※12)」になっちゃうし。
 でも、「聖家族」になりましたよ、最後には。・・・確かに、「聖家族」になりました。

 同行の添乗員さんがね、初めての巡礼旅行だったんです。
 私、巡礼旅行って、もう何度も行ってるんですけど、いつも巡礼旅行ベテランの添乗員さんがね、巡礼のことをよく分かっていて、朝夕のお祈りの時間を工夫したりとか、上手にお世話してくれるんですね。だけど、今回の添乗員さん、初めてだったんです。まだ若い男性の添乗員で、巡礼旅行って、どんなもんだか知らないし、そもそもミサに出たこともない。それで、出掛ける前の日曜日に、ちゃんと上野教会のミサに来てるんですよ。・・・真面目な人なんですね、これが。旅行中も、みんなのために、ずっと汗をかきかき走り回って、ホントにいい人なんです。まあ、添乗員さんって、みんないい人なんですけど、何より感心したのは、すべてのミサ、・・・ぜんぶで10回近くあるんですけど、最初っから最後まで出てね、ず~っと真剣に話を聴いてるんですよ。結構、今までの方は、ミサ中は外で別の用事をしてることなんかもあったんですけどね。
 私、感心したし、うれしかったし、褒めてあげようと思いました。
 最後の日にですね、・・・「最後の晩餐」じゃないですど、夕食があるじゃないですか、レストランでの食事でしたけれども。その食事に先立って、簡単なセレモニーをして、ご挨拶しました。
 「これが最後の夜です。おかげさまで、私たち、『聖家族』になりました。神さまに感謝しましょう。お互いに感謝しましょう。これからはもうこのメンバーで集まることはないでしょうけれど、・・・次は天の宴でお会いしましょう」ってね。
 みんな、なんか、ジ~ンとした感じになりましたけど、私、そのとき、全員に、「あなたが聖家族の一員になったことを認めます」っていう「聖家族証」っていうのを渡したんです。サグラダ・ファミリアでね、聖家族のカードを30枚買って、自由時間に、万年筆で一人ひとりに、「聖家族証 〇〇様、あなたを聖家族の一員と認めます。何年何月 聖家族巡礼団長、晴佐久昌英」って書いたのを配ったんです。
 で、最後に、サプライズで、添乗員さんにも差し上げました。ただ、添乗員さん、ホントに頑張ってくれたんで、みんなより大きな特別の表彰状を渡しました。ちゃんとした表彰状の厚い紙にですね、「表彰状」って。筆ペンで書いたのを、みんなの前で読みました。
 「表彰状 〇〇殿、あなたは、初めての巡礼旅行の添乗にも関わらず、私たち一人ひとりに、誠心誠意、奉仕してくれました。十日間の長きにわたり、ひじょ~にクセの強い、個性的な人たちのために、汗をかきかき、走りまわって働いてくださったその姿は、まるで、狼の群れに子羊が放り込まれたようでしたが、おかげさまで、無事に、安全に、快適に、この旅を終えることができたことは、まことに称賛に値します。よって、これを表彰し、あなたも、聖家族の一員であることを認めます。何年何月 聖家族巡礼団長、晴佐久昌英」
 添乗員さん、自分がもらえるとは思ってませんから、表彰状が出てきたらビックリしてね。で、読み上げて、「ありがとうございました!」って渡して、みんなから拍手もらったら、ポロポロ泣いちゃってね。・・・かわいいねえ。(笑)
 「ダメですよ、こんなの!😭」とかって。(笑) 「反則ですよぉ~!😖」とか言いながら、ホントに喜んでくれました。でも、なんか、帰りの道々、ふと、「洗礼を受けるのって、どれくらいの時間かかるんですか?」って聞いてましたよ。(笑)

 「聖家族」です。・・・神さまが結んだ家族です。まあ、けんかすることもある。でも、「はい!」と言ったら、もう「はい」なんです。神の(わざ)を受け入れるんです。その「はい」が、天国を開くんです。
 今日、イエスさまも言ってましたでしょう、「『はい』『いいえ』とだけ言え」と (cf.マタイ5:37) (※13)
 「神さまの恵みに、神さまのみ業に、神さまのみ心に、ただ、『はい』と言え」と。
 「それに反するものに、『いいえ』と言え」と。
 「それだけで十分だ。他のことは、悪い者から出てくる」と。 (cf. ibid)
 ・・・「他のこと」、人間の理屈とか、人間の法律とか、人間の都合とかですね。
 昔の人は、「ああすれば救われる」あるいは「こうしたら救われない」なんて、そんなことを言っていたけれど、そういう幼稚な時代はもう卒業して、今や、イエスの時代です。すべての人を愛している、神の愛が現れたんです。「ああすれば救われる」「こうしたら救われない」なんて言ってること自体が、滅びだぞ、と。
 イエスさまのおっしゃる通りです。「人を殺すな」って、そりゃそうですけど、じゃあ、殺さなければ救われるのか。・・・そういうことじゃない。第一、心の中で、「このバカ!」って言ったら、それだけでもう、殺したも同然だろう?って。だったら、みんな人殺しだし、みんな滅びて終わりだろう、と。 (cf.マタイ5:21-24) (※14)
 まずは、愛の神、生かす神、赦す神を信じて、決して「このバカ!」と言わないイエスさまにならって、生きていないと、私たちは自らを滅ぼしてしまうのです。
 「ああすれば救われる」「こうしたら救われない」みたいなことにとらわれていること自体が、滅びの世界であり、「救うのは神だ、もしも(おきて)で救われるなら、だれ一人救われないぞ」と、イエスさまはそう言ってるんです。
 成長するには、掟にとらわれるような子どもっぽい段階も経なきゃいけないのかもしれないけど、今や、もう新約の時代です。新約の時代は、それこそ、第二朗読(※15)でパウロが言ってたみたいに、「信仰に成熟した人たち」の時代です。世界の始まる前から、神は救いを準備しておられました。
 「『目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに(・ ・ ・ ・ ・ ・)準備された』と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が「霊」によってそのことを明らかに示してくださいました」 (一コリント2:9-10/強調引用者)
 私たちにも「霊」が働いていますし、神さまがご計画通り、愛を持って、この私たちを、ちゃ~んと救ってくださるということに目覚めていきます。そういう「聖家族」になるべきです。いや、神に結ばれて、もうすでに「聖家族」ですから、いっそう、み心にかなった「聖家族」になっていくべきです。
 イエスさま、マリアさま、ヨセフさま、聖家族は、みんな、「はい!」とだけ言った人でしょ。「はい! 受け入れます」と。マリアもヨセフもね、「受け入れます」と言ったところにイエスが生まれ、そのイエスは、さすがマリアとヨセフの子。十字架すらも、「はい」と言って、すべての人を引き受けた。「あなたを受け入れます」・・・それが、「聖家族」です。

 18年前にバルセロナを回った時、このサグラダ・ファミリアに行って感動したんですけど、その時は、私、母と一緒に回ったんですね。その後、母は亡くなって、ちょうど10周年なんで、まあ、母の追悼の思いも込めての巡礼だったんですね。母と回ったサラゴサ、モンセラット、サグラダ・ファミリア・・・。「ああ、ここ、母と歩いたなあ」「この聖堂、母と来たなあ」と。
 まあ、私にとって、母は、聖家族のシンボルです。「あのひとを通して、『はい!』ってことを学んだなあ」と、そういう思いがあります。母の口ぐせは、「み心が行われますように」でしたし、お祈りするときも、「イエスさま、マリアさま、ヨセフさま」って、三連発するんですね。困ったときなんかに、聖家族の一致をイメージして、「イエスさま、マリアさま、ヨセフさま!」って祈る。・・・「聖家族のみ名の祈り」ってやつです。
 亡くなったときのカードに、「はれママ」の写真と共に「み心が行われますように」って記しましたし、「はれママ、私たちのために祈ってください」とも記しました。そのカードを、旅行のときは、いつも何枚も持ち歩いてるんですけど、今回は、かつて母と回った三つの聖堂に、そ~っと、そのカードを忍ばせてきたんですよ。司祭はミサのために香部屋に行くでしょ。たとえば、サラゴサの聖ピラール教会(※16)では、その香部屋に、聖ピラールの聖母の古~い絵、もう何百年もたってるようなのが、かかってたんですけど、その額の裏板に、そっと挟んできたりね。(笑) サグラダ・ファミリアでは、重~い十字架が置いてあったんで、それを持ち上げてその下に。モンセラット(※17)では、ヨハネ・パウロ2世教皇さまの写真が、額に入れて飾ってあったんで、写真の裏にギュギュっと差し込んで。(笑) 今度行ったら、ちゃんとあるかどうか、見といてね。(笑) ・・・皆さんは、香部屋には、なかなか入れませんけどね。
 人生は、巡礼です。聖家族巡礼です。いつでもどこでも、交わりの祈りの中を、歩んでいく。
 「聖家族」って、ホントに、私にとっては大切な言葉です。私たちは一人じゃない。一人で信じたのでも、一人で信じてるのでもない。一人で祈ってるのでも、一人に祈ってるのでもない。三位一体なんか、「聖家族」の交わりですもんね。
 皆さんも、交わりの中で信仰を受けたはずですよ。それが、だれだったか思い出してください。神さまが結んでくださったあの方、この方。交わりの中で、救いに目覚めたはずです。
 そうして、私たちがみんな、いっそう「聖家族」になっていくために、神さまがいろ~んな準備をしておられる。愛する私たちに、あらゆる(・ ・ ・ ・)ことをしてくださっている。そう信頼して歩くこの旅路は、もはや聖家族巡礼旅行。・・・やがて、聖なる御国に到着し、そこで、ホントの聖家族になる。
 ガウディなんかね、天上の家族の集う、天上の聖堂を見て、どれほど感動してるだろう。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「昨日、スペイン巡礼旅行から帰ってまいりました」
 「福音の村」でも、過去一カ月間ほどご案内いたしましたが、今年(2017年)2月1日から11日まで、阪急交通社の主催で、スペイン巡礼が行われていました。
 晴佐久神父と30名ほどの参加者が、サグラダ・ファミリアをはじめ、トレド大聖堂、アヴィラの聖テレサ修道院、モンセラート修道院などをミサを捧げながら、回られました。
(参考)
・ 「スペイン巡礼のお誘い(’17/1/6受付終了)(「福音の村」2016年12月3日~2017年1月6日掲載)
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※2:「バルセロナのサグラダ・ファミリア、『聖家族教会』」
◎サグラダ・ファミリア
(カタルーニャ語: Sagrada Família/正式名称:El Temple Expiatori de la Sagrada Família)
 スペインのバルセロナ市にある、カトリック教会のバジリカ(一般の教会堂より上位にあると認められた教会堂)。
 正式名称は、日本語では「聖家族贖罪教会」となるが、「聖家族教会」と呼ばれることが多い。
 「サグラダ・ファミリア」は、「聖家族」(特に幼少年時代のイエス・キリストと、聖母マリア、聖ヨセフの家族)の意味。
 もともとは、貧しい人々のために設立された民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が、人々の現世の罪を償うための「贖罪教会」として建設を計画。「聖家族」に捧げられた。(「贖罪教会」なので、財源は、今も、すべて、いわゆる「浄財」=個人からの寄付や入場料による)
 1882年に着工。翌83年、前任者が辞任したことにより、アントニ・ガウディ(アントニオ・ガウディとも)(スペイン・建築家/1852~1926)が引き継いだ。
 ガウディ没後10年の1936年に勃発した内戦のため、ガウディの残した模型や、彼の構想に基づいて弟子たちが作成した資料の大半も消失。しかし、1952年に工事は再開。残されたわずかな資料をもとに、ガウディの意思を推測し建築を進めるという作業が続けられている。
 ガウディは基本構想を立てたものの、「神は決してお急ぎになりません」と言い、細部はその時々に建築に関わる人の手に委ねればよいと考えていたため、それが、たとえば、ガウディ自身によるゴシック様式の「生誕のファサード」(ファザード:建築物を正面から見た外観のこと)と、後代の彫刻家による現代彫刻の「受難のファサード」との違いとなってあらわれている。
 ガウディが完成させたのは、サン・ホセ礼拝堂、地下聖堂、生誕のファザード。
(参考)

☆5枚の画像がスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
・ 「サグラダ・ファミリア」(公式サイト)
・ 「サグラダ・ファミリア」(スペイン政府観光局)
・ 「サグラダ・ファミリア」(ウィキペディア)
・ 「サグラダ・ファミリア」(Hatena Keyword)
・ 「サグラダ・ファミリア内部のストリートビュー」(360度で画像を見ることができます)
・ 「サグラダファミリア教会 ~日本人の海外人気観光スポット世界3位!~」(Barcelona Walker)
・ 「ガウディの未完最高傑作サグラダ・ファミリア教会に行ってみた(NEVGIV)
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※3:「何年か前に、教皇さまがバジリカとして正式に聖別されたので」
地下聖堂のみが教区教会として使われていたが、2010年11月7日に、時の教皇、ベネディクト16世によって聖別され、バジリカとなった。聖別ミサには、神父や司教ら6500人が参列。800人の聖歌隊が参加した。
(参考)
・ 「ガウディのサグラダ・ファミリア、ローマ法王が正式に教会に認定(AFPBB 2010年11月8日)
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※4:「生誕のファザード」
 東側(日の出側)にあたる。
 1892年に着工し、38年ほどかけて建設された。
 サグラダ・ファミリアの中で、最も初期のもので、ガウディが設計・建築を監修。
 一世代のみで教会全体を完成させるのは無理であることから、まず、手本として残された。
 キリストの誕生から初めての説教を行うまでのシーンが、所狭しと彫刻されている。彫刻の多くは1936年の内戦で破壊されたが、後に修復、復元された。門は三つで構成され、それぞれの門は、イエス、聖母マリア、聖ヨセフに捧げられている。中央はイエスに捧げられた「愛徳の門」、向かって右側は聖母マリアに捧げられた「信仰の門」、左側は聖ヨセフに捧げられた「希望の門」となっている。天使像15体も手掛けた、日本人彫刻家、外尾悦郎氏によりデザインされた。
 この「生誕のファサード」と地下聖堂が、ガウディの作品群として2005 年にユネスコの世界遺産に登録されている。

☆5枚の画像がスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
・ 「サグラダファミリア/生誕のファサード」(「バルセロナにようこそ」/個人ブログ)
・ 「イエス・キリスト誕生を祝う サグラダ・ファミリア『誕生のファザード』(tetsutabook.com/個人ブログ)
・ 「現世の罪を償え…神秘の未完成建築『サグラダファミリア』徹底解説 -前編-(LATTE / TRAVEL)
・ 「サグラダファミリア教会 ~日本人の海外人気観光スポット世界3位!~」(Barcelona Walker)など
・・・< 文中へ戻る

※5:「受難のファザード」
 「生誕のファサード」の反対側にあり、西側(日没側)にあたる。
 キリストの受難、死、そして復活までのシーンが、シンプルな直線を多用した現代彫刻によって表されている。いっさいの装飾を排することで、キリストの受難と死の深い悲しみを表現している。
 1954年から建設が始まり、1986年から、カタルーニャ出身の彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスが、彫刻の制作を担当している。

☆5枚の画像がスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
・ 「サグラダファミリア教会/受難のファサード」(「バルセロナにようこそ」/個人ブログ) 
・ 「写真で見るサグラダ・ファミリア『受難のファザード』の彫刻の意味」(tetsutabook.com/個人ブログ)
・ 「【徹底比較】生誕のファザード vs 受難のファザード」(Barcelona Walker)
・・・< 文中へ戻る

※6:「栄光のファザード」
 南側にあたる。
 正面入口になるという、最も重要で、壮麗になるといわれる門。
 人類の歴史とキリストの教えがテーマ。
 2000年に基礎工事が開始された。七つの扉が配される予定で、2012年には中央扉が完成。「主の祈り」が世界50カ国の言葉で刻まれている。

(ただ今工事中)Embed from Getty Images

☆スライドショーではありません。
・ 「完成予定はいつ?スペイン観光スポット『サグラダファミリア』工事進捗レポート -後編-(LATTE / TRAVEL)
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※7:「建設中なんですよ、サグラダ・ファミリア教会」
 現時点で完成しているのは全体の65%だが、見学者増による収入アップ、スペイン経済の安定、3Dコピープリンターなどの技術革新によって大幅に短縮され、9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表している。
 「生誕のファザード」「受難のファザード」「栄光のファザード」には、現在、イエスの12使徒を象徴した塔が、それぞれ4本ずつ建っているが、サグラダ・ファミリア全体の中央には、最も高い塔となる「キリストの塔」(高さ172メートル)が建つ予定。そして次なる「マリアの塔」(高さ125メートル)が建ち、「キリストの塔」の周りには、「4人の福音書記家の塔」が各1本ずつ、計4本が建つ。合計で18本の塔がサグラダ・ファミリア完成時に見られることになる。
 また、完成予想図は3DCGで制作され、動画で公開されている。
(参考)
・ 「これがサグラダ・ファミリアの完成図だ!!(「スペイン旅行へ、いざ行かん!!美と癒しとワクワクの探求」/個人ブログ)
・ 「完成時のファサードと鐘楼についての資料(「2013年スペイン&ポルトガル個人旅行」/個人ブログ)
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※8:「3Dプリンター」
 通常の紙に平面的に印刷するプリンターに対し、3Dプリンターは、3Dデータを元に、一層一層、樹脂や金属などの材料を少しづつ「積層」しながら、立体(3次元のオブジェクト:製品)を造形する。日本語では、「立体印刷機」ともいう。
 製品試作、医療モデル、建築・建設模型など、製造業を中心に建築・医療・教育・航空宇宙・先端研究など、さまざまな業界で幅広く使用されている。
(参考)
・ 「3Dプリンター」(ウィキペディア)
・ 「3Dプリンターって何?」(Canon)
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※9:「ちっちゃ~いカタツムリがね、・・・まあ1センチくらいですかね、全身が。殻は五ミリくらいかな。そんなやつが、葉っぱの上を這ってるんですよ」
snails-s
神父さまの手にのる、その「ちっちゃ~いカタツムリ」です。(画像提供:Sさん💖Special Thanks)
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※10:「天から地に向かって、這い降りてくるカタツムリがいるんですよ」
 このカタツムリは、ガーゴイル(gargoyle)の一つ。
 ガーゴイルとは、雨どいの吐水口の機能を持つ、怪物などをかたどった彫刻のこと。
 13世紀、西洋で盛んに建てられたゴシック建築の大聖堂は、高い尖塔と急勾配の屋根が特徴で、雨が降ると雨水が勢いよく流れ落ち、壁面をぬらして漆喰を浸食する恐れがあった。そこで、外壁から離れて水を流すために、吐水口が必要となった。それが単なる機能的な形に留まることなく、グロテスクにかたどった爬虫類や両生類、背中に羽をもつ想像上の悪魔のような怪物の姿につくられ、口から水を吐き出すようにデザインされた。その後、だんだんと洗練され、装飾も加わっていった。
 雨どいの機能を持たないガーゴイルのような怪物像は、「シメール」や「グロテスク」という。
 ゴシック様式の伝統として、ガーゴイルは悪の化身のような怪物を用いるのが普通になっていたが、サグラダ・ファミリアでは、自然を好んだガウディの傾向から、伝統的に悪と結び付けられる両生類や爬虫類を用いた。カタツムリやトカゲ、ヘビ、また、貝などのガーゴイルが見られる。そして、これらのガーゴイルは皆、教会に入ることを許されず、聖母の純潔から逃れるように下を向いている。

☆3枚の画像がスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
・ 「ガーゴイル」(ウィキペディア)
・ 「ガウディのサグラダ・ファミリア教会のガーゴイル」(「龍と龍水」/個人ブログ)
・ 「サグラダ ファミリアのガーゴイルたちは龍の仲間」(同上)
・ 「西洋建築の屋根に佇む怪物の石像『ガーゴイル』の写真まとめ57枚」(ふらぶろ/個人ブログ)
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※11:「生誕のファザードの扉は、緑色のね、一面森の葉っぱでビッシリ埋め尽くされていて、そこにはあらゆる小さな生き物が彫刻してある」
 生誕のファザードには、三つの門(「愛徳の門」「信仰の門」「希望の門」)がある。その門に据えられる扉は、日本人の彫刻家外尾悦郎氏が選ばれ、制作した。「ガウディの見ていた方向」を自らも見ることを旨に、「生誕の門」の全体に彫られている物語、そこにある動植物の彫刻の意味、さらに、この地域に住む植物や昆虫といった自然を観察することで、デザインを決めたという。ブロンズ製のその門には、ツタ、葦(アシ)、アヤメ、野バラなどの草木に、テントウムシ、イモムシ、クワガタ、ハチ、アリ、トカゲ、カエル、オタマジャクシなどなど様々な虫が住まう。
・ 「2016年2月バルセロナ旅行・・・3日目:その1(サグラダ・ファミリア)」(「ヨシとユッコのブログ」/個人ブログ)(ページの下の方に分かりやすい写真が掲載されています)
・ 「ガウディの遺志を継ぐ日本人。サグラダ・ファミリアの外尾悦郎」(英考塾/個人ブログ)
・ 「特集日本を世界に発信する日本人『新たな風を吹き込む(仮訳)』(PUBLIC RELATIONS OFFICE)
・ 「外尾悦郎」(Facebook)」など。
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※12:「マリッジ・エンカウンター」
 エンカウンター(encounter)は、心と心の触れ合い、本音の交流のこと。
 マリッジ・エンカウンターは、夫婦のための「エンカウンター」で、自分をより深く見つめることによって、夫婦が互いに深く理解し合う生き方を体験するプログラムのこと。
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※13:「イエスさまも言ってますでしょう、「『はい』『いいえ』とだけ言え」と。
この日、2017年2月12日(年間第6主日)の福音朗読から。
 該当箇所は、以下のとおり。
  マタイによる福音(マタイ5章17~37節、または5・20~22a、27~28、33~34a、37節)
〈小見出し:「律法について」5:17~20、「腹を立ててはならない」5:21~26、「姦淫してはならない」5:27~30、「離縁してはならない」5:31~32、「誓ってはならない」5:33~37〉
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※14:「イエスさまのおっしゃる通りです。『人を殺すな』って、そりゃそうですけど、(中略)みんな滅びて終わりだろう、と。」
この日、2017年2月12日(年間第6主日)の福音朗読から。
===(聖書参考箇所)===
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 (マタイ5:21-24/赤字引用者)
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※15:「第二朗読」
この日、2017年2月12日(年間第6主日)の第二朗読は、以下のとおり。
 使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント2章6~10節)
  〈小見出し:「神の霊による啓示」2章6~16節から抜粋」〉
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※16:「サラゴサの聖ピラール教会」
 スペインのサラゴサにあるカトリック教会。「柱(ピラール)の聖母」に捧げられている。
 柱の上に聖母が出現されたことにちなんで名づけられた。
 伝えられるところによると、紀元40年、聖大ヤコブ(12使徒の一人)は、その頃はまだ異郷の地であった、現在のスペイン、サラゴサを訪れ、宣教していた。しかし、なかなか思うようにいかず、エブロ川の岸部で落ち込んで祈っていると、聖母マリアが柱(スペイン語で「ピラール」)の上に現れた。聖母は、使徒聖大ヤコブに、人々がいずれ回心するであろうこと、その信仰は、聖母が立たれた柱のように強くなるであろうことを約束し、その柱と木像を与えたという。聖大ヤコブは、その柱を囲んで教会を建てた。その柱(直径24センチ、高さ2メートルの大理石)は、今も大切に保存されている。
 この奇蹟は、やがてサラゴサの聖母信仰のもとになり、また、スペインでのカトリック界の中心地のひとつともなって、1681年にカルロス二世により現在の大教会に建て替えられた。丸天井のフレスコ画の一部に、サラゴサ出身の宮廷画家ゴヤが描いたものもある。
 現在、毎年10月12日前後の一週間、ピラール祭が盛大に祝われている。

☆4枚の画像がスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
・ 「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂」(ウィキペディア) 
・ 「ピラールの聖母」(ウィキペディア)
・ 「柱の聖母」(「マリアニスト家族」)
・ 「スペイン(カテドラル編、サラゴサのピラール聖母教会)(「旅プラスの日記」/個人ブログ)など
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※17:「モンセラット」
 巡礼では、有名な、モンセラット(モンセラート)の、「サンタ・マリア・デ・モンセラート修道院付属大聖堂」を訪れた。
 スペインのバルセロナの北西40キロメートル、カタルーニャ自治州に、海抜720メートルのモンセラットの山塊がある。そこに、有名な巡礼地の一つ、ベネディクト会の「サンタ・マリア・デ・モンセラート修道院付属大聖堂」は建っている。
 もとは、同じベネディクト会の修道院から、1410年に独立が認められた。1811年及び1812年のスペイン独立戦争で火災、1835年の永代所有財産解放令で財産は没収され、修道院を放棄せざるを得なくなり、掠奪・放火されて廃墟になってしまった。1844年には、修道士たちが戻ることができたが、立て直すことになった。1881年、教皇レオ12世によってバシリカの称号が与えられ、1901年にファザード完成。しかし、1936年から1939年まで続いたスペイン内戦で再び閉鎖。迫害を受け、23名が殉教した。修道院内にある礼拝堂の一つは、この殉教者たちに捧げられている。
 有名な黒い聖母(モンセラートの聖母)は、現在、聖堂内陣の主祭壇上に安置されている。膝には幼子イエスを乗せ、そのイエスは世界(全宇宙)を象徴する球体を右手に持ち、祝福のしぐさを見せている。聖母はポプラの木像で、高さ約95センチ。顔と手足を除いて金箔が施されている。1884年9月11日、教皇レオ13世がカタルーニャの守護聖女と宣言した。

☆5枚の画像がスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
・ 「サンタ・マリア・デ・モンセラート修道院」(「アンティークアナスタシア」) 
・ 「モンセラット~バルセロナ発ショートトリップで一番の人気スポット~」(「Barcelona Walker」)
・ 「バルセロナ自由時間」(「旅に出よう」/個人ブログ)(美しい画像がたくさん掲載されています)
・ 「スペイン/黒いマリア」(「戸原のトップページ」/個人ブログ)など
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2017年2月12日(日) 録音/2月18日掲載
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