2015年1月1日「神の母聖マリア」
・第1朗読:民数記(民数記6・22-27)
・第2朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・4-7)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ2・16-21)
【晴佐久神父様 説教】
あけましておめでとうございます。
「新しい歌を主にうたえ」と、入祭の歌で歌いました。(※1)
新しい年、新しい気持ちで、新しい自分になっていきましょう。・・・なれるんですよ。みんな、「新しい自分」になんかなれないと思い込んでるだけで、なれるんですよ。
神さまは、新しいこと、お好きですよ。私はそう思う。まあ、そもそも世界をつくるなんて、究極の新しさですもんね。何にもないところから宇宙をイメージするって、すごいでしょう。神の
新しい年っていう節目ですしね、変わっていきましょう。変わらなければもったいないですよ。「そのままでいいんですか?」っていうこと。変わらない自分なんて、生きてる
これがね〜、10歳や20歳なら、「こんなふうに変わりたい!」って思うけど、30、40になると、「まあ、こんなもんかな・・・」と思うようになり、50、60になったらね、変わろうなんてかけらも思わなくなるとしたら、これはもったいない。
その点、晴佐久神父の取りえは、「変わりたい」って思い続けてるところにあると思いますよ。神父になって27年、ちっとも変われずに相変わらず同じ
皆さんも、2015年、ほんのちょっとでもいいから、「新しい自分を目指す」「もっと愛のある生き方に変われる」っていうような希望を持って、スタートしましょうよ。
年末に、表彰の話をしましたよね、ナントカ功労賞を辞退したとか、ドアの前に表彰状があったなんて話、しましたでしょ(※2)。 今朝になったら、さらにすごいんですよ。部屋の前に、ワインの瓶が置いてあって、カードが置いてあって、英文なんですけど、「Congratulations(コングラチュレーションズ)!」って書いてある。何がめでたいのかと思ったら、「2015 Person of the Year(パーソン・オブ・ザ・イヤー)おめでとう」って。
『タイム』っていう雑誌が、「その年の人」を選ぶ、あれのことです(※3)。一昨年、「教皇フランシスコ」も選ばれてましたけど、それが今年は「私」らしい。(笑) もう、ノーベル平和賞も夢じゃない。(笑)まあ、普通は、「今年の人」に選ばれるなんてありえないと思ってるでしょ?・・・もちろん無理ですよ。(笑) 無理ですけど、タイム誌は無理でも、自分で決めることはできるんじゃないですか。今年は「自分の年」だって決めて、もっと愛せる、もっと優しくできるって、自分を励まして。大げさな話じゃなく、ほんのささやかな話でいいんです。
誰だって、そんな立派なもんじゃないですから、ほんとに、「ちょっと」でいいんです。私なんかは、立派なふりがうまいだけのダメ人間だっていうのは、年末も
去年は、お正月、お湯が出なかったんですよ。ついさっきお湯使いながら思い出した。「ああ、去年の正月、お湯出なかったな・・・」って。確か腰も痛めたんですよね。そんな中、それでも、「今年は何かが始まる年だ」っていう、そんな予言をしたんです。「今年は何かをスタートする年にしよう」という呼びかけをしたんです。2014年のお正月にね。(※5)
実際、2014年、いろんなことがスタートした。自分的にも、周りを見ててもそうだった。新しい感性が世界的に育ってるし、世界がほんの少しずつ優しさを取り戻して、成長していく
今年はお正月、お湯が出るし、腰も痛くないですけど、それを当たり前と思わず、この「いま」に感謝しながら「一つひとつやってくぞ!」みたいな、前向きな気持ちでいます。みんなで一緒に、もうちょっとだけ、前向きな気持ちでやっていきましょう。
羊飼いたちのことを、さっき福音書で読みましたけど(※6)、さて、実際に空に天使が現れて、「さあ、あなたたちのために救い主がお生まれになったぞ」って言われても、どれだけの人が、ちゃんとホントにそれを探しに出かけるか。
この羊飼いたちはですね、言われたら、ビビッと反応するんですね。言われたら、即、動くんですよ。「急いで行って」(ルカ2:16)ってあります。天使にそう言われたら、すぐに、「よし、行こう!」と。「明日行けばいいよね」とか、「もう少し確認してからにしよう」とか、「もしかしたら違うかもしれないから、ここはひとまず様子を見よう」とか、・・・私たち、そんなこと多いでしょ? でも、「
そして、「マリアとヨセフと乳飲み子を
行って、すぐ会いましたっていう話じゃないんですね。「探し当て」るんです。
「ここかな?」
「あそこかな?」
「ここだ〜! 見つけたぞ! おい、みんな、みんな、ここだ! 来い!」
・・・そして、羊飼いたちは、「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)と。なんて幸いな羊飼いたち。「おめでとう!」ですよ。聖家族を除けば、人類最初にイエスに会った人たちになりました。出かけ行って、神の愛に出会ったんです。究極の優しさを礼拝したんです。
「よし、行こう!」ってね、出発しましょう。ちょっとこう、スピード感持って、始めちゃいましょう。皆さんにハッパを掛けたい。2015年、実り多い年になりますよ。その実りとは何か。「愛」でしょう。「優しさ」でしょう。
去年のキーワードは、「出発しよう! チャレンジの年にしよう」でしたけど、今年は、その実現として、キーワード的には「もっと優しくなる年にしよう」と申し上げたい。
皆さんの心の中に、ほんのちょっとでも優しさがあれば、世界は変わるんです。皆さんの優しさが実る年にしましょうよ。私は、自分のこと考えても、そういう直感があります。私がもうちょっと優しかったら、どんなに素晴らしいことが起こるか。
「よし、始めよう!」っていうのは、何か大きな活動を始めるっていう以前に、まずは自分の心の中に、「ちょっとの優しさ」を持つってこと。・・・つまり、目の前の人の話です。目の前の人への優しさの話。「ちょっとの優しさ」でいいんです。去年の、ほんの2割増しくらいで充分です。「ちょっとの優しさ」で忍耐するとか、もてなすとか、励ますとか。
まあ、今の多摩教会、その点、よくやってるとは思いますけれども、今年はいっそう「優しい年」にしましょう。ちょっとの思いやり、ちょっとの工夫で、人を喜ばせるっていう優しさ。互いに祈り合うっていう優しさ。さっきのワインも匿名でしたけど、「匿名」っていう優しさもいいですね。
そっと支える。
ちょっと励ます。
思いを寄せて、互いに祈る。
・・・なんかそういう、「優しい」のがいいですよね・・・。
さっき、答唱詩編(※7)で、そこにおられるあなたの素晴らしい独唱を聴きましたけど、あなたがさっきミサの前に、教会前の橋の上で歌の練習してる姿を、私、2階から見て、お祈りしてたんですよ、「緊張しやすいあなたが、今日、上手に歌えますように」って。・・・そんなこと、ご本人は知らなかったでしょう? もっとも、これ、言わなきゃいいのにね。(笑) 匿名の祈りじゃなくなっちゃった。まあ、ともかく、そういう人がいるってことを言いたいんですよ。自分は知らないけれど、誰かが祈ってる。思ってくれている。分かってくれている。いいですよね。誰かが、あったかく見守ってくれている。そういう優しさっていうのがいいですね。
これは、「誰かを励ます」とか「優しくする」っていうプラスだけじゃなくて、マイナスを減らすでもいいんですよ。「誰かを赦せなかったのを赦す」とか「冷たくしてたのをやめる」とか。もしかすると、そういうマイナスを減らすっていう方が、大きな効果があるのかもね。恨んでた思いを、ちょっとだけ減らすとかね。できたら、すごいことですよ。
やっぱり「優しさ」がすべてじゃないですかね。イエスさまっていう方が、もう
「成長」っていえば、紅白歌合戦で、サザン(※8)が出てきましたでしょ。びっくりしたんですよ。サプライズですよね。31年ぶりですって、紅白に出るの。まあ、ライブ中継でしたけど。
昨日の夜、みんなで見てたんですよ。20人近くいましたかねえ。・・・みんなで紅白見るって、やっぱりいいですね。みんなが知ってる曲を一緒に聴き、みんなが興味があることを一緒に見る。他の番組だと、「ある人は興味あるけど、ある人は興味ない」になっちゃうけど、さすがに紅白クラスだと、全世代向けですから、誰もが、「この曲には興味ある」「この人は知ってる」ってことになりますしね。一緒に紅白見るって、こんなに幸せなことかって、昨日はすごくうれしかったです。おじさんたちが、「えっ? この曲知らないの〜?」とかって、若い子からかうっていう楽しみもあるし。その意味では、サザンなんか、31年ぶりだし、知らない人いないから、みんな注目して見るわけですよね。「おおっ! サザンだ〜!」「サプライズ!」って。もう、その一体感がうれしかった。
ただ、そのサザンがですね、じゃあ、そこで何を歌うのかと思いきや、新曲2曲だったんですよ。去年ヒットした曲ですから、当然と言えば当然ですけど、あれ、サザンのライブ中ですから、何十曲も歌ってんですよ、で、途中で紅白の中継が入って2曲やる。だから、その選曲にはもちろん、明白なメッセージが込められてるわけですね。「ピースとハイライト」っていう曲と、「東京VICTORY」っていう曲の2曲です。(※9)
ぼくはもちろんサザンのファンですし、30年以上前から知ってますから、その選曲を見て、「いや、この人も成長したなあ」と思ったんです。なんかちょっと傲慢に聞こえるかもしれませんが。だって、サザンといえば、ちょっとユーモラスで、パロディーな歌とか、ちょっとエッチなラブソングとか、そんなのが好きでしょう、あの人。それはいいですよ。胸にしみる恋の歌も、私たち、たくさん聴いてきました。だけど、昨日聞いた2曲は、明らかに社会問題を扱った歌なんです。
「ピースとハイライト」なんかは、「韓国、中国と、仲良くしようよ」っていう歌ですよね。そうは歌ってませんよ。直接は歌ってませんけど、歌詞の内容は、間違いなくそうなんです。で、「お互いに、相手のいいとこ、認め合おうよ」っていうような歌ですよね。
「東京VICTORY」なんかは、まあ、タイアップ曲で、ちょっとオリンピックをイメージした歌ですけど、その歌詞の中に、「争いと不安とに満ちた世の中だけど」っていうような歌詞とかありますし、被災地のことも歌ってるんですね。「時が止まったままのあの日のマイホームタウン、二度と戻れぬ故郷」とかって、 明らかに被災地のこと歌ってるわけですよ。それはもう、「有名になったビッグスターとしての社会的責務」って言えばね、まあ当然のことではあるんだけれども、あれを聴いちゃうと、紅白の他の歌がね、やっぱり
だけど、サザンがね、この時代に、このような人気、影響力を持っているアーティストとして、「この2曲のメッセージを、全国民に聴いてほしい」と思ったという「優しさ」は、本人が照れ隠しにどんなにコミカルに振舞っていても、伝わっちゃうんですよ。やっぱりそこは、成長したなあというか、やっぱりサザンは、「優しい」んです。
みんなを励ましたい。少しでもいい世の中にしたい。そのために、何か役に立ちたい。
・・・これじゃないですか? これがなかったら、またいつもと同じように過ごして、一年後に「2016年おめでとう」と言ったところで、何してたんだろう・・・っていうことになりませんかね。
「ちょっとの優しさ」を大事に。一瞬のことなんです、優しさって。心に、ふっとね、優しさを思い起こす一瞬。自分の中の、そんな一瞬を大事にして。
実はおととい、そして昨日と、すごくシンボリックなことがあって、私は、すごく神さまから、「その方向性でやってけ」って背中押されてるような気持ちなんですよ。
おとといのことは、これはちょっと内容は言えないんですけれども、私、ある人のことですっごく不安なこと、疑ってたことがあるんですね。だけど、本当に奇跡的なことがあって、すべてが晴れたんですよ。私の中では、どう考えても不安になる、疑わざるを得ないような状況があって、とっても苦しんでたんですけどね。でも忍耐してたんです。それが、おととい、ある事件があって、そのときほんの一瞬の「優しさ」で対応したら・・・ホントに奇跡的、こ〜んなことってあるんだろうかっていう奇跡的なことで、すべてが解決したんですよ。
それは、ぼくにとっては、まさしく「神っているんだなあ」っていうような、こんな奇跡的なことが起こるなんて、これは神の国のしるしだろうって明らかに分かるようなことでした。「神っているんだ」なんて、・・・神父が言うのは変ですけれど、そういう言い方、ありますよね、「神っているな」って。まさにそれ。正確に言えば、「神の素晴らしい
やっぱり、「優しさ」こそが、実を結ぶんです。優しさが実を結ぶ瞬間を目の当たりにするっていうのは、うれしいことですよ。そうか、もっと優しくなれば、もっと実を結ぶんだって思ったね。やっぱり、優しい自分の方がいいじゃないですか。疑ったり、恐れたりしている自分じゃなくって、「信じるよ」って言える、「ゆるすよ」って言える、そういう自分に憧れるし、ちょっとそうなれたような。・・・おとといね、すごくうれしかった。
昨日もいい葬儀ができましたよね。ここに手伝ってくださった方もおられるので・・・。あれは、胸に迫りましたよね。
この前の日曜日なんですけど、急に電話がきて、「12月31日に葬儀をしてほしい」って言う。葬儀っていっても、近所の人で、信者じゃないんですよ。会ったこともない人だし、この教会に来たこともない方です。だけど、インターネットなどで探して電話かけてきて、「そちらで葬式、してもらえませんか?」って言うんです。「仏式ではやりたくないんです」って。
大みそかですしね、普通だったら、「すいません、ここは葬儀場じゃないんで・・・。どこか一般の葬儀場、当たってください」って言うところですけど、ふと、「どなたがお亡くなりになったんですか?」って聞いたら、「息子が生後4カ月で亡くなった」って言うんですよ。突然死だったと。それ聞いちゃったらね、やっぱり、ちょっと優しくなっちゃいますよね。
「分かりました。大変な思いをなさいましたね。さぞ、おつらいでしょう。どうぞいらしてください」、そう申し上げました。
翌日、お父さまが仕事中に教会にいらして、相談をしました。あまりお金もかけられないということで、葬儀屋さんも頼んでないそうで、お棺を自分で抱えて来るって言うんですね。「小さいから大丈夫です」って。「短いお祈りで結構ですから」と。でも、昨日の12月31日、小さな棺抱えてやって来たら、お母さんは泣いて
棺のふたを開けると、まるで生きてるみたいにほっぺの赤い、かわいい赤ちゃんが眠っていて、ああいう姿を見ると、本当に心に優しさが生まれますね。
実は私も、自分の弟を、生後3カ月で亡くしてるんですよ。中学生の時に。同じ乳児の突然死でした。この腕で抱きましたからね。かわいくてね。ですから、そのミサの説教で、その話もして、ご両親を励ましました、「私も、中学生の時、生後3カ月の弟を亡くしてるんですよ」と。「ただ、その後、私が晴れて神父になった叙階式の日に、ある親しい神父さんが私のとこに来て、・・・弟は直秀っていうんですけど、『君が無事に叙階できたのは、天国の直秀くんのおかげだよ』って言ったんです。びっくりした。もう直秀のことなんて、ほとんど忘れかけてたから。『そうか〜。この世と天国はつながってるんだ』と、目が開かされた。『ぼくのために、直秀が天国で祈ってくれてたんだ。神さまのお手伝いをして働いてくれてたんだ。そもそも、ぼくの代わりに命を捧げて、ぼくを生かしてくれてたんだ』って。だから、息子さんもね、死んだんじゃないですよ。まことの命を生きてるんです。
神さまは、すべての子をわが子として望んで生み、わが子として育て、わが子としてご自分のもとに召される。たとえ短い時間でも、確かにこの世を生きて、神の喜びとなり、みんなの喜びとなった、それは永遠のこと。ご両親から確かに愛されたし、またご両親を愛してくれた、それは永遠のこと。
息子さんは、永遠の命を生きています。これから、ホントに素晴らしい働きをしてくれます。ご両親と共に生きて、ご両親を守ってくれます。そして、みんな、いつか神さまのもとで、いっそう深いつながりを持った家族となって、また会えるんですよ・・・」
そういう話をいっぱいして、励ましました。ご両親、涙にくれながらも、とっても喜んでくれました。「感謝します」「また来ます」と言っておられましたけれども。
・・・「一瞬の優しさ」で、何かが実を結ぶ。優しさって、ほんとに、ほんの
正直言って、一瞬、迷いましたよ。12月31日に葬儀してくれって言われても、信者じゃないし、見ず知らずの人でしょ。「ここ葬儀場じゃありませんよ」っていうひと言も、
昨日のご葬儀ですけど、ちょうど今、降誕節で、祭壇前にイエスさまのご像が置いてありますね。ご覧のとおり、幼子イエスが両手を開いています。昨日は、そのすぐ前に、そのちっちゃな棺が置かれたんですよ(※10)。だから、お説教の最後に、ご両親にお話ししたんです。
「ほら、イエスさまが手を開いて、『いらっしゃい』って言ってますよ。安心して、イエスさまにすべてお任せしましょう」
・・・そう、お話いたしました。
【 参照 】(ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがありますので、ご了承ください)
※1:「『新しい歌を主にうたえ』と、入祭の歌で歌いました」
本日(2015年1月1日〈神の母聖マリア〉)の入祭の歌は、典礼聖歌3番、「新しい歌を主にうたえ」だった。答唱は詩編96から引用されている。
(参考)
◎「入祭の歌」
通常、ミサの始めには、この「入祭の歌」が歌われる。
「入祭の歌」は、司祭が奉仕者と共に聖堂に入堂するとき始められ、司祭(および奉仕者)が祭壇の前で合掌して深く礼をし、会衆に向き直るまで続けられる。
「入祭の歌」に合わせて、神がご自分の民のもとを訪れるという意味を持つため、会衆一人ひとりは、まず、この歌によって、祈る心を準備していく。また、訪れてくださる神を招き入れるため、民は一致するよう促されている。
祭儀を開始し、歌によって、司祭と奉仕者の行列を飾るという意味も持つ。
(参考)
・ 「ローマ・ミサ典礼書の総則 (暫定版)」〈pdfファイル〉 (カトリック中央協議会)
・ 「1-入祭の歌」(カトリック武庫之荘教会)
・ 「ミサ司式第」(『ともにささげるミサ 改訂版』、2006年) ほか
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※2:「ナントカ功労賞を辞退したとか、ドアの前に表彰状があったなんて話」
・ 「ナントカ功労賞」(ナントカ文化功労賞)を辞退した話
「神さまからの栄誉は『とっておき』」(2014/12/14説教)の後半、上から4段落目(下から2段落目)~
・ 「ドアの前に表彰状があったなんて話」
「『思いを寄せる』教会」(2014/12/28説教)の説教、上から2段落目~
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※3:「『タイム』っていう雑誌が、「その年の人」を選ぶ、あれのことです」
◎「パーソン・オブ・ザ・イヤー」
アメリカのニュース雑誌『タイム』の編集部が、その年、最も活躍したり話題になったりした人物を決定する。「今年の人」という意味がある。1927年以降、毎年実施され、例年12月に発表。発表された「パーソン・オブ・ザ・イヤー」は、同誌の年末年始合併号の表紙を飾る。
1962年には「聖ヨハネ23世」(2014年4月列聖)が、1994年には「聖ヨハネ・パウロ2世」(2014年4月列聖)が、また、2013年には「教皇フランシスコ」が選ばれている。
(参考)
・ 「パーソン・オブ・ザ・イヤー」 (ウィキペディア) ほか
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※4:「『多摩カトリックニューズ』」(既出)
カトリック多摩教会の月報。毎月1回、通常第3土曜日に発行の広報誌。
内容概要、リンク先など、詳しくは、既出の箇所(> こちら)をご覧ください。
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※5:2014年のお正月の様子が分かる説教は、以下のとおりです。
・ 「お湯が出ない」「今年は何かをスタートする年にしよう」
「もう癒されなくても平気」(2014/1/1説教)で、「お湯が出ない」話題は説教中盤、上から4段落目から、「今年は何かをスタートする年にしよう」は、説教全体のテーマとして読むことができます。
・ 「腰が痛い」
「決して冷えさせてはならないもの」(2014/1/5説教)の最初の段落参照。
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※6:「羊飼いたちのことを、さっき福音書で読みましたけど」
この日の福音朗読箇所は、
ルカによる福音書 2章16〜21節。
〈小見出し:「イエスの誕生」-「羊飼いと天使」より抜粋〉
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※7:「答唱詩編」
◎「答唱詩編」
主日と祝日のミサでは、第1朗読(通常、旧約聖書)、第2朗読(通常、使徒の書簡)、福音朗読(福音書)の、3回聖書が朗読される。
第1朗読の後、一同は少しの間、その神の言葉を味わい、その後に、「答唱詩編」が唱えられる。これは、歌われる場合が多いが、朗読される場合もある。本来、答唱詩編は詩編による黙想なので、歌われる詩編は第1朗読にあわせて選ばれ、朗読された神の言葉を味わうことができるように工夫されている。
詩編本文と答唱句から構成されていて、詩編本文は先唱者が、答唱句は会衆全員が、それぞれ交互に歌うことが勧められている。それによって、互いに聴き、互いに祈るためのものであるということを忘れないようにする。
(参考)
・ 「ミサ司式第」(『ともにささげるミサ 改訂版』、2006年)
・ 「ミサ司式第」(「ミサ」 ウィキペディア)
・ 「(8)答唱詩編」(カトリック田園調布教会) ほか
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※8:「サザン」
サザンオールスターズ(Southern All Stars)の略称。「SAS」と略記されることもある。
幅広い世代で支持されている日本のロックバンド。メンバーは、桑田佳祐(くわた・けいすけ)をリーダーとする5人。
1974年頃から断続的に活動が始まり、1978年にデビュー。活動休止期間もあるが、2013年で、デビュー35周年となった。
ライブ・コンサートツアーの公演数も数多く、タイアップ曲、CMへの出演、楽曲提供も非常に多い。
主な代表曲は、1970年代には「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」、80年代で「チャコの海岸物語」「ミス・ブランニュー・デイ」、90年代が「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを〜Summer Heartbreak〜」「愛の言霊〜Spiritual Message」、2000年代では、「TSUNAMI」「涙の海で抱かれたい〜SEA OF LOVE〜」「I AM YOUR SINGER」、2010年代では、「ピースとハイライト」が挙げられる。(ウィキペディアによる)
(参考)
・ 「サザンオールスターズ」(ウィキペディア)
・ 「SAS応援団」(オフィシャルファンクラブ)
・ 「サザンオールスターズ」(official YouTube channel)
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※9:「『ピースとハイライト』っていう曲と、『東京VICTORY』っていう曲の2曲です」
紅白出場歌手のリストには入っていなかったが、急きょ出場が決まったサザンオールスターズ。
横浜からのライブ中継で、この2曲を歌ったが、特に、強いメッセージ性のある「ピースとハイライト」は話題を呼んだ。
歌詞は、著作権の問題があるので、以下のリンク先をご覧ください。
・ 「ピースとハイライト」(Uta-Net)
・ 「東京VICTORY」(Uta-Net)
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※10:この時期(降誕祭前後)置かれている、祭壇前のイエスさまのご像
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