2016年1月17日 年間第2主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ62・1-5)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント12・4-11)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ2・1-11)
【晴佐久神父様 説教】
はじめに、皆さんにご挨拶を申し上げます。
私、このたび、転任が決まりました(※1)。今度の復活祭をもちまして、上野教会(※2)、浅草教会(※3)へ、二つの教会の兼任なんですけれども、転任になりました。
皆さまがたにおかれましては、7年間のご愛顧(※4)(笑)、心より感謝、御礼申し上げます。
私の最長不倒なんですよね、7年というのが。この多摩教会での7年間、神さまが本当に素晴らしい恵みをくださいましたし、そして、「転任」という神さまのみ心によって、これからいっそう素晴らしいことが起こっていくのだと思うと、ワクワクもいたします。
「え〜? 寂しくないの?」とか、「去っていくの、うれしいの?」って思われると、それは違う。もちろん、正直言って、寂しい思い、残念な思い、もっと、この仲間たちと一緒にやっていきたいという思いは、当然あります。あるいは、今、お世話をしているさまざまな方々を、置き去りにするかのように思われるとつらいな、という気持ち、当然あります。
しかし、今日、この転任の発表に当たって申し上げたいことは、ただ一つ。
「これはよいことだ」っていうことです。
神さまは、神の国に向かって、着々と、ご自分のみわざをなしておられます。個々のことを見ると、「もっとこうあった方がいいな」とか、「こんなこと、なかった方がいいな」っていうようなことでも、大きな流れで見ると、「やっぱり、それでよかったんだ」というふうに受け止めて、私たちは神の国を目指します。
まあ、昨日のミサでも同じように発表したら、聖体拝領のときに泣いてる人が結構いるんですよ。・・・あの、皆さんも「泣け」って言ってるんじゃないですよ。(笑) それぞれの人のその気持ち、なぜこの人が泣いてくれてるのかっていう理由が、一人ひとり分かるだけに、こっちの胸も、ぐっときます。・・・でも、幸いなことですよね、泣いてくださるなんてね。まさか、うれし涙じゃないだろうとは、(笑)思いますけれど。・・・幸いなことですよ。
その気持ちは分かりますけど、でも、分かっていただきたい。その前の高円寺教会でも泣かれたんです。その前の高幡教会でも泣かれたんです。でも、だからこそ、次の教会の方たちと会えたわけですし、次の教会でも大勢の方たちが、一人の司祭を信頼して、「教会家族」という、神の国の目に見えるしるしを実現させることができたわけです。ですから、今回もまた、次の教会で神さまが、どんなに素晴らしいことをしてくださるかということに、信頼し、希望を置いていただきたいのです。そうして、次に来られる神父さまを、皆さんでお迎えし、共に、更なる「教会家族」をつくっていっていただきたいと、心からお願いしたいのです。
まあ、そうは言っても、特に今、洗礼を準備している方々には、申し訳ない気がするというのは、確かにあります。「さあ、これが教会家族だ。みんな、この仲間に入っておいで!」「さあ、これが福音だ。みんな、この福音を信じて、洗礼を受けよう!」、そう呼びかけて、皆さんをお招きする、一つのシンボルとして、司祭は機能しておりますけれども、そう言って集まってきた皆さんに、今年の3月26日、復活徹夜祭の夜に、洗礼式で水をおかけし、そして、「これこそが神さまのみ業の素晴らしいしるしだ!」と説教をし、その翌日、復活祭をもって転任・・・というのでは、あまりに、申し訳ないという気持ちはあります。しかし、単にそのままほったらかしにするみたいに思われるとしたら、私は、「それは違う」と言いたい。
なぜなら、キリストの教会の、これが一番肝心なとこですけども、素晴らしい特徴は、「これから、もっとよくなる」「何があろうとも、どんどん神の国に近づいている」「すべての出来事は、み心のままに、よいものに向かって、着々と変えられている途中だ」・・・、そういう希望の信仰にあるからです。昨日より今日、今日より明日、私も変わっていくし、世界も変えられていくし、教会もまた、必ず、よくなっているんです。
なんかこう、私たちの中に、「どうせ、いつまでも変わらないよ」みたいな気持ちがあるとしたら、それはキリスト教じゃない。「永劫回帰」みたいなね、なんかこう、「世の中は同じようなことの繰り返しなのである」みたいに思っているとしたら、それはキリスト教じゃない。キリスト教って、明らかに、ある一つの矢印を持ってるんです。「神の国に向かう」という希望を持ってるんです。「昨日より今日がいい日だ」「今日より明日はもっといい日だ」という、誰が何と言おうとも、状況がどれほど悪く見えようとも、実際にはすべてがよくなっていくんだという、この究極の楽天主義。・・・これはキリスト教の素晴らしい特徴です。
間違いなく、2014年よりも2015年はいい年だったんです。2015年よりも2016年は、本当に、神さまのみ心にかなった、また、ワンランク上がった年なんです。私たちはそれを見て取り、それに協力して、2017年に向かって、・・・多摩教会も、2017年の洗礼式に向かって、また新しい出発をするのです。転任とは、まさにその出発なんです。
現実の世界の恐ろしい出来事ばかり見ていると、この、「必ずよくなる」っていう信仰は、なかなか持ちにくいっていうのも理解できます。でも、これは「信仰」ですから、状況がどれほど思わしくなくても、周りの人がどれほど悲観的なことを言っても、私たち教会家族は、目立たなくても確かにある「よいしるし」を見出して、「もっとよくなるんだ」という、その信仰を
高円寺から多摩に替わるときも同じように、「洗礼を授けて、翌日転任」っていうことがあったわけですよ。でも、その方たちは、今でも言います。「神父さま、あの時、本当に寂しかったし、残念だったけれども、その後、信仰生活を歩んでこれたのは、あの時の洗礼式あればこそで、今はただ、あの日洗礼を受けることができて本当によかったと思う、それだけです」と。・・・そのような言葉に支えられて、私も司祭生活をやってまいりました。
あの時洗礼を受けた人の中には、私の転任を知って、「2階に上ってはしごを外されたようだ」って言った人がいた。だから私、申し上げたのを覚えてます。
「2階に上ることができたなら、下に下りようなんて思うな!(笑) 次のはしごをかけて、3階に上れ!」
・・・これがキリスト教です。
私たちは、高みを目指します。神の国を目指してるんですよ。「教会家族」は間違いなく膨らんでおりますし、育っております。イエスさまは、神の国をたとえるとき、いつもパン種のたとえとか、からし種のたとえをしますけど(※5)、それは「今はちっちゃいけれども、どんどん大きくなる。それは誰も止められない」と、そういうたとえなんです。
・・・教会が始まって、まだ、たった二千年です。神の国は今日も膨らみ続けております。
一人の司祭が精いっぱい働いて、で、また次の司祭がやって来る。これは素晴らしいことです。
そういう意味では、多摩教会も、「下に下りる」ということはあり得ない。
大きな川の流れを想像していただければいい。これはもう、誰も止めることができません。・・・決して止めることができない。必ず流れていきます。神さまからあふれてきてすべての人をうるおす「いのちの水」、神さまから流れ出てすべての人を満たす「福音」の流れ、・・・救いの歴史そのものである「教会」という大河は、「神の国」という海に向かって
確かにパッと見、信者が減ってる所があるとか、若い人がいないだとか、思わしくない現場があるようにも見えますが、まあ、そういうのは、ほら、川の流れでも、ちょっと端っこの方でよどんじゃって、クルクルと渦を巻いてるとこ、あるでしょ。なんか、浮いてる花びらとかが、グルグルと回ってる所。あんなようなところであって、そんなの、やがて大きな流れが来ると、結局はすべて海に向かっていくんです。ちょっとくらい
一人の司祭が去っていくなんていうのも、ちょうどイエスさまが、「わたしが去っていくのは、みんなにとってよいことだ」(cf.ヨハネ16:7)って言ったように(※6)、よいことなんです。
昨日は、入門講座でも泣かれました。「不安だ」って言った人もいました。特に心の病で苦しんでいる方や、苦しみの中でようやく福音を見つけて、教会家族に希望を託して、洗礼を受けようと決心した方は、福音を語り、教会家族に招いた司祭が代わるって聞いて、不安になる。これは、すごくよく分かります。
そんな、不安を感じている方々に、申し上げたい、「全体の益」(一コリ12:7)、これに奉仕するのが教会なんだと。
先ほど、使徒パウロのコリントの教会への手紙で読まれました(※7)。
「働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です」(一コリ12:6)
人はいろいろ働いているようだけれども、すべてをやっておられるのは、一人の神、同じ神なんです。誰を通してであろうと、どこの現場であろうと、どんな出来事であろうと、ひとつの神、同じ神が、働いておられる。
で、「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(一コリ12:7)
やがて迎える、大いなる「神の国」という海に向かって、私たち一人ひとりが、神さまのみ心のままに、出会ったり別れたりしているのも、「全体の益となる」(一コリ12:7)。・・・これはやっぱり、キリスト教らしいところですね。ですから、安心してください。一見不安なことも、大きな目で見れば素晴らしいみわざの一部だと信じてください。
考えてみたら、高円寺教会にず〜っといたら、皆さんにお会いできなかった。
高円寺教会にず〜っといたら、去年のあの、こうなってみるとまるで「置き土産」のような聖劇(※8)も、なかった。同じように、私がず〜っと多摩教会にいたら、上野で、浅草で、これから起こるはずの、神さまが用意なさっている素晴らしいみわざが起こらないのです。ですから、ここから先は、またさらに、私たちは心を一つにして、小さな小教区内だけの「教会家族」ではなく、もっと大きな、目に見えない、それこそ12億人の「カトリック教会家族」、そんな広い心すら持って、共に、更なる教会家族を目指していきましょう。
・・・なんかもう、最後の日の説教みたいに(笑)、なっちゃいましたけど、でもあと
ただまあ、若干、「今までと気持ちが違うな」っていうところもあります。
それは、今まで、高幡から高円寺、高円寺から多摩にって替わるとき、「ホントにさようなら」「まったくお別れです」みたいな感じだったし、そういうことも申し上げたし、 「次の神父さまを信頼して始めてください」みたいな感じだったけれど、これは今の教会が求めていることなんだろうと思うんですけど、「もっともっと、いい形でつながり続けた方がいいな」っていうふうに、私はこの7年間を通して、すごく思うようになりました。
幸い、上野とか、浅草って、とても交通の便のよい所です(※9)。多くの人が集まりやすい所でもあります。また、集会室とか、泊まる所も多いんですよ。もう早速、上野教会に偵察に行ってまいりましたけど、(笑) 12畳の和室と10畳の和室なんかあってね、布団がいっぱいあって、「これ、合宿できるじゃん!」ってね。
・・・なんか、「はい、さようなら」っていうんじゃなく、「私、今度はあちらを担当しますけど、これからもよろしく」、みたいな気分なんです。つまり、せっかくのこのご縁を、すべて切っちゃうんじゃなくて、これからは新しいかたちで生かしていくのが大切なんじゃないかなって。・・・こういうのって、初めての気持ちです。それくらい、なんか、皆さんが、・・・つまりあの、・・・あの・・・好きなんですよ。😳(笑) ・・・いや、あの、「好き」というか、(笑) この教会、ほんとにいい教会なんで、「残念」っていう気持ちがもちろんあるし、皆さんにとっても、あちらの教会とも出会ういい機会でもありますから。もちろん、次の神父さまにしてみれば、前の神父が、「さあ、みんなおいで!」とか言ってると、それもちょっと困った話ですから、そんな単純な話ではないんですけれど、「どんな
で、次に来られる神父さまを発表いたしますと、
「
私、非常に尊敬している司祭の一人です。
「福音を語る神父」です。
「洗礼を授ける神父」です。
前の教会でも、「洗礼台帳を一冊使った」って言ってましたからね。200ページあるんですよ。・・・素晴らしい! 「今どき」っちゃなんですけれども、めずらしい。本当に、多摩教会が待ち望んでいた神父だということを、確信を持って申し上げることができる。
まあ、そういう意味では、私とも相通ずるところのある司祭でもありますし、また、彼が高校生の頃、私はその教会の司祭だったんですね。まだお若い神父なんですよ。とても親しいんです。実は早速彼も、すでに偵察に来たんですけれど、(笑) 「一緒になんかやってこうね」とお話ししましたし、「中高生会のキャンプなんか、一緒にできんじゃないの?」とか、そんな話すら出ました。
そういう意味では、ただ「さようなら」っていうんではなくって、このご縁を、さらにいっそう生かしていくという、そんな思いで、今回の転任を喜んでいただければと、そう願っております。
先ほどね、福音書で、イエスさまが水をぶどう酒に変えましたでしょ(※11)。
これはどういう奇跡かというと、「もうこれで終わりだ・・・」というような悲しい現場が、「これ以上ない!」というような喜びの現場に変えられるっていう、まあ、そういう奇跡ですね。そういうシンボルとして、よく読まれる所です。
昔のパレスチナでは、一週間続くような結婚式をしてたらしいですよ。だから、ぶどう酒がなくなったら、もう、大失態なんです。それこそ、花婿と花嫁にとっては、生涯が台無しになるような危機だったわけです。・・・そんな結婚式で、なんと、ぶどう酒がなくなっちゃった。でも、それが、イエスさまの力で、最高のぶどう酒が
・・・これが、キリスト教です。
十字架の先に復活があるように、「この危機の先に、よいことがおこる」教なんです。前の危機が、前の欠如が、本当の希望に、本当の満足に、変えられていく。この流れをね、いつもいつも、心の真ん中に置いておきましょう。皆さんの人生でも、一つの教会でも、世界全体でも、すべては悪い方向に向かってないんですよ。皆さんが希望を持ち続けることで、神のみわざに協力できるんです。われわれは、主と共に、神の国をつくっていくことができるんです。
婚宴の世話役は、「こんないいぶどう酒を、今まで取っておいたんですか!?」って言って、驚きました(cf.ヨハネ2:10)。そんなことって、彼は経験したことがなかった。最初に、だいたいおいしいものを出してね、みんな酔っぱらって、味も何も分からなくなったころに、「こんなんでいいや」っていうようなぶどう酒を出して、まあ、みんなも「こんなもんだよね」と思って飲む。そうしてやがて、「あ〜あ、宴会、終わっちゃった・・・」と言って、みんな散り散りになっていく。「世の中ってそんなもんだ・・・」って、誰もが思っているときに、イエスさまの手にかかると、これ以上ないという最高のぶどう酒が
・・・「これから」なんですよ。
皆さんの人生においても、準備期間を終えて、これから「3階」に上っていこうっていうところ。この希望は、私たちにとって、もはや誰も邪魔することのできない神さまの望みですから、常に、私たちは、この希望に支えられて、生きてまいります。
洗礼式を準備している一人ひとりは、この教会に出合えたこと、福音に出合えたこと、すなわち、主キリストに出会えたことを、感謝してほしいですし、洗礼式から先、まさに、今度は、自立したキリスト者として、神の国のために、次の人を呼んできてほしい。そのような、「これからよいぶどう酒がふるまわれる」「みんなで最高の宴を共にしよう」という、希望に満ちた人生を生きていっていただきたいと、受洗者を励ましたいと思います。
今日、「成人式ミサ」ですけれども、自分の人生を、成人式を迎えた皆さん、どう思っているか分かりませんが、間違いなく、19歳よりも20歳、20歳よりも21歳は「よい」自分であり、「よい」世界であり、「よい」教会であるということを、今日は固く信じていただきたい。
まあ確かに、困難はいっぱいあります。けれども、イエスさまがなさっておられるわざは、かけがえのないみわざであって、このみわざの中で、私たちは生きてまいります。
後ほど、成人式の祝福をいたしますけれども、若い皆さんが「教会に出会えてよかった」「晴佐久神父に出会えてよかった」と言えるような祝福の恵みを、神さまが私を通して、与えてくださればと、心からそう願います。
なんか、別れの説教みたいになっちゃいましたけれど、申し上げたいことはただひとつ。
「これから、よくなる」
・・・そういうキリスト教の本質です。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)
※1:「私、このたび、転任が決まりました」
本年(2016年)1月10日付で、「東京大司教区司祭人事について(第一次)」が東京教区の岡田大司教の名で告知された。
そこには、「2016年司祭人事異動」として、20人ほどの司祭の名が挙がっており、晴佐久神父は、「浅草教会・上野教会主任司祭」としての赴任が決定した。
(参考)
・ 「東京大司教区司祭人事について(第一次)」(カトリック東京大司教区)
・ 「二つの『みんなの家』」(晴佐久神父:『多摩カトリックニューズ』 2016年1月号‐主任司祭巻頭言)
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※2:「上野教会」
◎カトリック上野教会
教会堂名: 聖ベルナデッタ
創立: 1954年(昭和29年)
信徒数: 711人(2014年12月31日現在)
主日のミサ(2016年1月現在): 日曜日10:00/13:30(中国語/イエズス会)
週日のミサ(2016年1月現在): 水曜日・木曜日 7:30(お休みの場合あり)
住所: 〒110-0004 東京都台東区下谷1-5-9
交通アクセス 【詳細は、>>こちら(カトリック上野教会HP)】
◎JR(山手線、京浜東北線)鶯谷(うぐいすだに)駅南口から、徒歩6分 (JR鶯谷駅構内図)
◎JR(山手線、京浜東北線、常磐線、高崎線、東北本線、秋田・上越・東北・北陸・山形の各新幹線)
上野駅入谷口(いりやぐち)から、徒歩8分 (JR上野駅構内図/「入谷口」は、この構内図で右下の辺り)
◎東京メトロ 日比谷線入谷駅1番、2番出口から、徒歩8分 (東京メトロ入谷駅構内図)
(地図内の「拡大地図を表示」をクリックすると、大きく表示されます)
(参考)
・ 「カトリック上野教会」(ホームページ)
・ 「カトリック上野教会」(教会案内:カトリック東京大司教区)
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※3:「浅草教会」(2016年1月現在)
◎カトリック浅草教会
教会堂名: 聖パウロ
創立: 1877年(明治10年)
信徒数: 377人(2014年12月31日現在)
主日のミサ(2016年1月現在): 日曜日10:00/第4日曜日14:30(英語)
週日のミサ(2016年1月現在): 火、金、土曜日 7:00
住所: 〒111-0053 東京都台東区浅草橋5-20-5
交通アクセス 【詳細は、>>こちら(東京大司教区教会案内)】
◎JR(総武線)浅草橋(あさくさばし)駅西口から、徒歩約8分 (JR浅草橋駅構内図)
◎都営地下鉄(浅草線)浅草橋駅A4出口から、徒歩約10分(都営浅草線 浅草橋駅構内図)
◎東京メトロ(日比谷線)秋葉原駅1番出口から、徒歩約10分(東京メトロ秋葉原駅構内図)
(地図内の「拡大地図を表示」をクリックすると、大きく表示されます)
(参考)
・ 「カトリック浅草教会」(教会案内:カトリック東京大司教区)
・ 「カトリック浅草教会」(ラウダーテ)
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※4:「7年間のご愛顧」
晴佐久神父は、2009年4月、多摩教会に第6代の主任司祭として着任され、2016年3月末までの任期となった。
(参考)
・ 「はじめまして」(晴佐久神父:『多摩カトリックニューズ』2009年4月号‐主任司祭巻頭言)
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※5:「イエスさまは、神の国をたとえるとき、いつもパン種のたとえとか、からし種のたとえをしますけど」
(参考)
・ 「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」(マタイ13:33)
・ 「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」(ルカ13:20-21)
・ 「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」(マタイ13:31-32)
・ 「それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」(マルコ4:31-32)
・ 「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」(ルカ13:18-19)
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※6:「わたしが去っていくのは、みんなにとってよいことだ」(cf.ヨハネ16:7)って言ったように」
(参考)
・ 「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(ヨハネ16:7)
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※7:「先ほど、使徒パウロのコリントの教会への手紙で読まれました」
2016年1月17日(年間第2主日)の第2朗読箇所
使徒パウロのコリントの教会への手紙一 12章4〜11節
〈小見出し:12章1〜11節「霊的な賜物」から抜粋〉
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※8:「『置き土産』のような聖劇」(既出)
◎ 聖劇ミュージカル『みんなの家』」
2015年12月27日(日)開催(於:稲城市立i(アイ)プラザ ホール)
(参考)
・ 「12/27(日)聖劇ミュージカル「みんなの家」☆チケット完売御礼」(カトリック多摩教会HP)
・ 「ミュージカル『みんなの家』」(「信じ合う教会家族」「福音の村」2015/12/27説教【参照】※2)
・ 「先週の聖劇」(「一瞬の勇気で、一生の家族」「福音の村」2016/1/1説教【参照】※1)
・ 「教会のご公現」(「福音の村」2016/1/3説教)説教中盤・上から8段落目(この辺〜)
☆ 「DVD予約販売☆聖劇ミュージカル「みんなの家」」
記録DVD、限定販売決定。(2月中旬完成予定)
ただいま、予約を受け付けておりますので、ご興味のあるかたは、ぜひお申し込みください。
1枚1700円(税・普通郵便送料・梱包費用等すべて込み)
詳細は>> こちら です。
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※9:「幸い、上野とか、浅草って、とても交通の便のよい所です」
「※1」の、各教会「交通アクセス」をご覧ください。
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※10:「『豊島 治』神父さまです」
「東京大司教区司祭人事について(第一次)」(2016/1/10付)によると、秋津教会主任司祭の豊島治神父が、多摩教会に赴任されることになっている。
(参考)
・ 「東京大司教区司祭人事について(第一次)」(カトリック東京大司教区)
・ 「カトリック秋津教会」(教会案内:カトリック東京大司教区)
・ 「カトリック秋津教会」〔pdf〕
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※11:「先ほどね、福音書で、イエスさまが水をぶどう酒に変えましたでしょ」
2016年1月17日(年間第2主日)の福音朗読箇所
ヨハネによる福音書 2章1〜11節
〈小見出し:2章1〜12節「カナでの婚礼」から抜粋〉
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