さあ、どうぞ、こちらへ

2012年12月23日 待降節第四主日
・第1朗読:ミカの預言(ミカ5・1-4a)
・第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ10・5-10)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ1・39-45)

【晴佐久神父様 説教】

 もうすぐクリスマスを迎えます。
 大勢の方からクリスマスカードをいただいて、壁に貼ってるんですけども、いただいたクリスマスカードの中でも特にうれしかったのは、韓国からのカードでありました。韓国と聞いて、ああ、もしやと察しがつく方もおられるでしょうが、ふた月ほど前の説教(※1)でお話しした、韓国のシスターのお父様からのカードです。
 そのシスターのお父様は、私の説教のホームページ「福音の村」を、ず〜っと読んでらっしゃるんですよ。日本語が堪能な方で。しかも、ただ読むだけじゃなくって、それを韓国語に翻訳して、ご自分のブログにずっと載せておられる。それで、娘さんのシスターも、それを読むことができる。ふた月前に、そのシスターからの感謝の手紙が来たんです。「いつもお説教を喜んで読んでます。特に今年の夏の無人島キャンプでのサプライズ・ライブの話(※2)には、本当に感動しました」って書いてありました。今日のミサにもそのライブのメンバーがおりますけれども、うれしいですよね、君たちのライブのことを、韓国の方々も知ってるんですよ。
 そのお父様がご病気だとも書いてあったので、そのお父様に励ましの手紙を書こうかと思ったんですが、ふと思い立って、手紙で書くよりも、この説教壇で直接語りかけたらそれがホームページに載って、それをお父様が読むわけですから、サプライズだし、感動してくれるんじゃないかなと思って、その日の説教でお話しました。
 「お父様、あなたの使徒的情熱は素晴らしい。説教を翻訳してブログに毎週アップするのはどれほど大変か。でも、そのあなたの福音への奉仕を、神さまは祝福してくださっている。そのおかげで、どれほどたくさんの人が救われるか。あなたのためにお祈りします。このミサを、あなたのためにお捧げします」と、そう申し上げた。それはもちろんホームページに載ってますし、どうぞ皆さんもまた読んでみてください。10月の最後の方だったと思いますけど。(※3)
 お父様、それを読んでびっくりしたようです。「これ、私のことだ!」って気づいて感動して、お便りをくださいました。私の母と同い年で、「昭和6年生まれ」って書いてある。・・・韓国、そうだったんですよね。日本の植民地だった時代は、韓国も「昭和」だったんですよ。その後、戦争の時代が続き、青春時代は20年近く軍服を着て過ごし、その後精一杯働いて3人の娘を授かりました。「今病気療養中だけれども、なんとか来年の春に復活して、いろいろ活動したい。ブログを大勢の人が読んでくれている。神父さんの激励に感謝します」とありました。
 毎週翻訳なさっているので、多摩教会のこともよくご存じでね、「今度企画しているクリスマス会が成功しますように」とか、「みんなが開心しますように」とか。ちゃんと「開く心」って書いてあるんですよ。言うまでもなく、この前の説教のことですよね(※4)。「姪御さんのご結婚、おめでとうございます」とか。(笑)まあ、よく読んでるから何でもご存じで。うれしいですね。
 「神父さまの激励に感謝します」っていうけど、こっちが励まされます。ほんと、福音でつながっている仲って、いいですね。彼とはもちろん、会ったことないですよ。でも「福音を語る」っていうことって、人生において一番楽しいことだし、本質的なことだし、それをやっていることで一番自分らしくあったりするし、みんなともつながれるし。
 福音でつながっている仲として、一度、お会いしたくなってきました。もう会ってるような気もしますけどね。だって、今日のこの説教もまた、彼は読むわけですからね。何て言うんでしょうね、こういう関係は。ホームページでつながっている、福音に奉仕する仲間ですけれど、改めてお父様の上に大いなる祝福を祈りたいと思います。「福音でつながっている仲として、これからも一緒にやっていきましょう」と。
 神さまは、着々とこの世界をつくっておられます。しかも、福音の力でつくっておられます。「福音」という方法で、この世界をクリエイトしておられる。その創造のわざに私たちが協力するとき、その実りは素晴らしい。それによってこそ、大勢の人が救われていく。

 今日は2012年の12月23日ですけれど、いよいよ今日で世界は終わるんですよね。(笑)マヤの暦が終わるから、21日か22日か23日かに世の終わりが来るといううわさが広まっていて、騒ぎになってます。新聞で読んだんですけど、中国では「世の終わりが来ても生き延びられるノアの箱舟に乗れる乗船券」というのが飛ぶように売れて、500万円儲けた人がいるんですって。(笑)まあ、みんな怖いんでしょうね。
 昨日もおとといも終わらなかったってことは、今日で終わりなわけですけど、私、今日で終わるとヒジョーに困る。多摩センターの新鮮市場の100円引きクーポン券がまだ8枚も残ってるんで、あれを使いきるまでは、終わってもらっちゃ困る。(笑)・・・皆さん笑いますけど、実はそんなようなもんでしょ、人間の考えてることって。
 世の終わりを怯えるなんて言ったって、結局は目先のことでしょう。なんか非常にさもしいというか自分の都合ばかりというか、いざとなったらただもう慌てて、恐れて、心を閉ざしていく。人のこと笑えない・・・笑えません。
 しかし、福音に仕える者はそうではないはずです。神さまがこの世界を福音によっておつくりになり、今もちゃんと福音において神の国をつくり続けているという希望を持っている者は、世なんてものがいつ終わろうが終わるまいが、神のみ心であるならば、「どうぞお好きなように」ってことなんです。
 そもそも「世の終わり」とわれわれが呼ぶときは、「神の国が完成するとき」ってことなんだから、むしろ、待ち望んでいることなんですよね。この世が終わるって、この世が神の国として生まれ出るみたいな感じですからね。人が死んで神の国に生まれ出るのと同じことです。この世もいつか完成して、栄光の神の国が、輝かんばかりの喜びに満ちた神の国が、ついに到来する。まあ、それを待ち望んでいる者としては、そしてその日がいつであるかは神だけがご存じで、誰も何月何日だなんて言えないと知っているわれわれにとっては、「世の終わり」なんかは恐るるに足らずっていうことです。

 今日、聖書が三つ読まれましたけど、三つともよく読むと同じことが書いてあったと思いますよ。まず、福音書のエリサベトのひと言。
 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」
 これ、大切な言葉ですね。「主がおっしゃったこと」っていうのは永遠のみ言葉ですから、世界の始まり、宇宙の始まりからあるみ言葉なんです。その言葉こそが、ず〜っと今も私たちをつくり続けている、そういうみ言葉。これは絶対実現するんです。「言ったのにそうならなかった」っていうことがない。・・・神のみ言葉ですから。
 神は世を愛しておつくりになり、すべての人を救って、やがて神の国を完成させる。そこに至るには、当然闇もあるし、試練もあるけれども、ぜんぶ神さまのご計画のうちあって、やがては必ず完成する。それはもう、神のみ心であり、神のみ言葉であり、今も着々と実現しつつあるんですよ。だれがイヤだと言っても、そんなもの止めろと言っても、神がなさっているんだから、もう逆らいようがない。
 しかもそれが悪いことならともかく、素晴らしい栄光の国の完成のためにおつくりになってるっていうんだから、まあ信じて待てばいいし、目覚めた人は協力すればいいんです。それに協力しているときこそ、「私」っていう存在が、ホントに意味あるものとなる。
 聖母マリアは、全面的に協力したんです。「私に子どもが生まれる? 何のこと?」、分からなかったんです、聖母は。でもそんなことはどうでもいい。神さまがおっしゃったことは必ず実現するんだから、私はそれを受け入れます。それに協力いたします、と。聖母マリアの、その主の言葉への全面的な信仰は、私たちの模範、喜びです。

 第1朗読では、ミカの預言に、最初にイエスさまのことが書いてある。「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」(ミカ5:1)ってありますでしょう? イエスさまのことです。「永遠の昔」、すなわち世の初めから、イエスさまは準備されていた。イエスさまって神のみ言葉そのものですから、初めからみ言葉は準備されていたし、着々と神さまはみ言葉によって救いのわざを続け、今、そのみ言葉が実現して、究極の救いであるイエスさまが誕生なさる。・・・救いの歴史ですねえ。世の初めからちゃんと用意されていて、それは永遠の昔にさかのぼる。
 で、最後の一行。その生まれたイエス、「彼こそ、まさしく平和である」。この「平和」は、何ひとつ欠けたところのない神さまの完全さを表現する言い方ですから、「このイエスこそ、まさしく平和である」。神の国の完成の様子ですね。「世の初めから用意され、やがて完成する、『イエス・キリスト』っていう出来事」。・・・そういうことなんです。
 クリスマスで、われわれが受け入れるのは、その救いの歴史です。この私の人生も、そのような歴史の一部ですから、信じてこの私を生きること、それがもう救いの歴史に協力することになる。

 第2朗読も、そういうことが書かれてあったんですよ。
 ヘブライ人への手紙によれば、イエスさまがこう言うんです。「わたしは来ました。神よ、(あなたの)御心を行うために」と。神さまのみ心、すなわち、すべての人を救って、すべての人に本当の喜びを与えるという神さまのみ心を実現するために私は来た。そのみ心に基づいて、「ただ一度、イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです」。
 さあ、ここに集まった皆さん。皆さんはもう、このイエス・キリストの業によって、すなわち、神のみ心によって、聖なる者とされました。安心してください。信じてください。そして、このみ心に協力してください。すなわち、まだそのみ心を知らない人に、教えてあげてください。それが私たちの、この救いの歴史への協力っていうことです。
 今、洗礼志願をする方が多いですけど、みんな、だれかに福音を教えてもらったからこそ洗礼に導かれているんです。私たちがみんなで、なんとか工夫して、チャンスがあればその福音を誰かに伝えるってことをいつも気に留めていれば、洗礼志願する人、ますます増えるのは、間違いのないことです。繰り返し、繰り返し申し上げますけれども、それこそが神さまのみ心です。み心に協力することです。

 先日この聖堂で結婚式があって、おもしろかったんですよ。結婚式って、私にとっては、福音を告げ知らせる、ものすごいチャンスなんですね。一般の方が、大勢来られますから。だから、ふたりのために話しているような顔をしながら、参列者をなんとか、教会に呼び寄せたいっていう下心でお話をするわけですよ。キリスト教の愛の本質について語り、ふたりを結んだ神さまの愛について語り、「その愛である神さまが、ご自分の愛を伝えるために、今日ここに皆さんを呼び寄せてくださった」みたいな話を、熱心に語りました。
 その新郎のお母様からお礼の手紙が届いたんですけど、こう書いてあったんです。「私の甥が、30代の甥なんですけれども、式に参列していたんですが、後で私につくづくと言っておりました。『いや〜、あの神父の説教で、もう少しで洗脳されるところだった』」。(笑)それ読んで私、「クソ〜、もうちょっとだったか〜。うーん、何が足りなかったんだろう。残念、もうひと押しだったか!」と。(笑)でもね、その新郎のお兄さんが、まだ未婚なんですね。お兄さんとも親しいので、結婚式は私の司式でしょうから、そうすると、またこの甥も来るわけでしょ? あと、ひと押しです。
 だけど、その「洗脳」って言葉ですけど、まあ一般の人は悪い意味で使うわけでしょうけど、私に言わせれば、あなたたちの脳みそがね、現代社会の非人間的価値観にベットリ覆われているわけですから、それを洗うのは必要だし、むしろうれしいことでしょう。それをわれわれは、「洗脳」ではなく「洗礼」と呼ぶんです。まさにあなたを福音で洗って、洗礼によって本来のあなたの自由、あなたの喜び、あなたの意味を取り戻し、輝かせたいんです。まあ、洗脳と思われようが何と思われようが、これは洗ってあげたいですよね〜。
 洗礼志願者に洗礼の動機書を出してもらってるんですけど、いまちょうどそれを次々と読んでるところなので、ますますその思いを新たにしているところです。

 たとえば、夏に初めてここに来られた方ですけど、この教会に最初に来たとき、入門講座で「だれもが神から望まれて生まれてきた神の子だ。神は愛であり、私たちはその愛によって望まれて生まれ、その愛に生かされ、その愛に救われている」っていう、シンプルな、まあ、いつものメッセージ、・・・これ、皆さんだって簡単に言える内容でしょう? 「あなたは神に愛されてる」「神は、あなたのホントの親だ」「だいじょうぶだよ」って言ってあげてほしいですけど、まさにこの方はそれを知って「『これだ!』と思って、感動のあまりポロポロ涙がこぼれました」と。
 いろいろな苦しみを背負ってきた方ですから、その感動は本当に大きかったようです。その帰り道に、川の向こうからあらためて多摩教会を見たときに、声が聞こえたんですって。「今までよくがんばってきたね。ホントにつらかったけど、よくがんばった。よく生きてきた。でも、もうだいじょうぶ。これからのあなたにはここがあるから、だいじょうぶだよ」って、そういう声が聞こえて、これまでの人生で、最高に心がスーッと澄み渡ったそうです。駅まで歩く間も、イエスさまやマリアさまや聖人たちが、ずっと肩をたたいて励ましてくれているような気がして、駅のホームでも涙がぽろぽろ止まらなかった」って。・・・ひとりの人のつらい人生に、そんな日が訪れるってステキでしょう?
 そんな日が訪れるはずなのに、まだ訪れてない人が、この教会の周りに山のようにいて、そしてこの教会が、ちゃんとここに立ってるんだから、なんか「教えてあげたい」ってね、思って欲しいんですよ。そういうことに協力すると、非常に神さま喜ばれるし、さっきの韓国の、説教を一生懸命翻訳してブログに載せてる方とか、神さまホントに喜んでおられると思うし、やがて、そういうことって、天でね、すごく褒められるんじゃないのかな〜と。
 まあ、天に生まれ出て行ったときって、もちろん神さまいろいろ褒めてくれると思うけど、一番得点高いのは「福音を伝える」ことでしょう。永遠の昔からあるイエス・キリストというみ言葉を、ちゃんと伝える、それが一番得点高いんじゃないですかねえ。得点のために福音語るわけじゃないですけれども、楽しみにしたらいいと思いますよ。ちょっとでも伝えるっていうことが、天においてすごく大きな喜びとなっているっていうこと。
 それはどんな小さなひと言でもいい。時には、自分の心に話しかけるだけでも。つらい時にそっと自分に「だいじょうぶ。救われてるよ」って言ってあげるだけでもいい。

 昨日、別の方ですけど、洗礼志願書を出した方がいて、洗礼面接で私、洗礼許可証にサインをいたしました。昨日の夜のミサに来られてたので、立っていただいて、みんなで拍手しました。教会家族の誕生ですからね。
 彼もいろいろ悩んでてね、働き盛りですけど、仕事のことで苦しくって、教会に救いを求めてやって来られました。福音に触れて、すっかり元気になったわけですけれども、最初に教会に来た時のことが動機書に書いてありました。救いを求めてネットで教会を捜し、多摩教会のホームページを開き、恐る恐る電話をしたら、受付のある方が対応してくれて、「ぜひいらっしゃい。私、待ってますから」って対応してくれたそうです。
 私、たまたまこの前テレビで、接客のアドバイザーが受付の指導をするっていう番組見てたんですけど、商売で客のリピーターをつくるために、どのように客対応をしたらいいかっていうことを教える専門家がいるんですね。
 で、あるエステのお店の客が減って困って、どうにかしてくれって頼んできたんですよ。早速そのアドバイザーが出向いて、そのエステの受付を、監視カメラで観察するんですね。そうすると、こう、客が入って来るでしょ。「こんにちは〜」って、ドアを開けて入ってくる。受付の店員がカウンターの中で、パッと立ち上がって、「いらっしゃいませ〜」ってあいさつし、「どうぞあちらの部屋へお入りください」って、手で店の奥を示して案内する。ま、そんなごく普通の光景ですけど、そのアドバイザーがね、「ああ、もう全然駄目。なってない。これじゃこの人、もう二度と来ない」って言うんですよ。
 私、丁寧な言葉遣いだしね、にこやかだし、どこがいけないんだろうって思ったら、そのアドバイザーが「こうするんです」って教えたのが、客が入って来たら、まずカウンターからすかさず出ていって、お客さんのすぐ近くまで行って、「ようこそ、いらっしゃいませ!」って、その実際の距離を縮めるっていうことが、どれほど大切かっていう話をした。そうして、「こちらへどうぞ」って、先に立って案内する。
 カウンターの中にいたまま、「さあ、あちらです」なんて、とんでもないって。(なるほど商売っていうのは、そんなふうに熱心に心込めてやらないとダメなんだな〜)って思ったんですけど、それを思い出したんですよ。その動機書読んでるとき。
 というのは、そうして電話をかけて、初めて多摩教会を訪れた時、教会の入り口まで来て、ここかなって立ってたら、電話で応対したその受付の人がパッと出て来て、すぐ近くまで来て、「さあ、どうぞ、こちらへ」って中へ案内してくれたんですって。で、その時彼は、「ああ、ここに来てよかった。ここならもうだいじょうぶだ」って、緊張が取れたって。
 その日は入門講座だったんで、まあ、それ以来、彼の言い方ですけど、「シャワーのように福音を浴びて」彼は救われました。彼の洗礼動機書によれば、「自分は神の愛に生かされているし、悩みや恐れ、試練は、やがて神が必ず良いものに変えてくださる恵みの出来事であり、天の国へのプロセスだと信じます。今まで眠っていた私を開眼させてくれた多摩教会で、これからも目を覚ましていたい。父と子と聖霊の愛の交わりの中にずっといたい。ぜひ洗礼を授けていただきたい」と。そうして今や彼は、「自分の救われた喜びを誰かに伝えたい」と言って、「まず家族からだと思ってます」と、昨日の面接ではそうおっしゃった。
 私は洗礼許可証にサインして、「神さまの働きに一緒に協力していきましょう」と、お話しいたしました

 多摩教会、いい教会ですよ。ここで神さまが、救いの歴史を新たに始めておられます。その受付から出てきて応対した人も昨日のミサに来ていたので、褒めました。あなたの天での得点、高得点ですよって。
 今年のクリスマス、初めて教会に来られる方が大勢おられます。声をかけてください。今日の午後も、「祈りと聖劇の集い」があります。ぜひ皆さん、参加してください。そしていろんな人に声をかけて、「ようこそ、ようこそ」とみんなで迎え入れましょう。
 こちらから近寄っていって、「さあ、どうぞ、こちらへ」と迎える。実は、まず始めにイエスさまが近づいてきて、そうしてくださった。・・・それがクリスマス。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「福音を伝える熱い心(2012/10/21説教)
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※2:「サプライズ・神の国(2012/9/2説教)
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※3:「福音を伝える熱い心(2012/10/21説教)
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※4:「悪い夢からパッと目覚めたら(2012/12/2説教)
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2012年12月23日 (日) 録音/12月28日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英