2012年2月5日 年間第5主日
・ 第1朗読:ヨブ記(ヨブ7・1-4,6-7)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント9・16-19,22-23)
・福音朗読:マルコによる福音書(マルコ1・29-39)
【晴佐久神父様 説教】
2月11日の世界病者の日を前に、今日2月の第一日曜日は、病者のために捧げるミサをこうしてお捧げします。私たちの祈りをギュッと一つにして、天に届けましょう。そうして祈りの内に結ばれて、神さまが本当に愛そのものであることを、特にこの「病気」というつらい出来事を通して、私たちは深く味わうことができる。そう信じて祈ります。
御ミサの始めに、皆さんが以前より書いて下さった、皆さんのご存じの病者の方々のお名前のカードを一つにまとめたものを、今この祭壇に奉納いたしました。今日、ここに名前の書かれた方々はもちろん、皆さんが今思いつく、ご家族、親族、友人、あの方この方のために、そしてまた、今日ここに何とか来ることのできた病者の方々のためにお互いに祈り合う、そういうミサを捧げましょう。
この、病者のために捧げるミサは、やっぱり特別なミサです。神さまは、私たちが試練を通して一つになることを望んでおられますし、このような真心からの祈りの時を通して、私たちは共に一層神さまの愛に交われる。そう信じます。
だれもが、いつか病気になるかもしれない。いや、ある意味では、いろいろな意味で私たちはもうすでに病んでいるともいえる。しかし、その病が、単なる苦しみ、無駄な悪ではなく、神への道なんだと、もうすぐ神の栄光が現れる、その前触れなんだと、私たちはそう固く信じているのです。
今日は、病気の方も大勢来られてますし、病気の方のために祈りたいという家族も来られてますから、いつにも増して聖霊の働きをたくさん頂いて、いつにも増して心を一つにいたしましょう。この私たちのミサが、全世界の病んでる人たちにとっても素晴らしい助けとなり、神さまの恵みを一層深く味わえるきっかけになりますようにと、そう祈ります。
先ほどミサの直前にご病気の方に声をおかけしましたけれど、私が「今日のミサではきっといいことありますよ。恵みがいっぱいありますよ」とお話したら、「じゃあここ、パワースポットですね」(笑)っておっしゃいました。いいですね、それ。まあ、最近よくいわれる「パワースポット」って何のことか、私もよく知りませんけど、でも、いいじゃないですか、「パワースポット」。「カトリック多摩教会」って看板の上に、大きく「パワースポット」って載せましょうか。「パワースポット・カトリック多摩教会」。(笑)
いや、でも、本質的にそういうことだと思いますよ。だってパワーって何のパワーかっていったら神のパワーでしょ。神さまの働き、神さまの愛、神さまの恵みが、どこにも増して、いつにも増して注がれている、この「病者のためのミサ」なんていうのは、もうまさに「パワースポット」でしょう。そういう支えとか、励ましっていうもの、私たち必要としてますから。神のパワーに全面的に信頼して、真心からこのミサをお捧げします。
昨日も病気の方、お見舞いしました。街道沿いの病院で、いつもその前を車で通るんで、通るたびにちょいと止めてのぞいてきます。昨日はちょっと夜遅かったんでウトウトなさってましたけど、「神父さま、お忙しいのに何度もありがとうございます」とかって言いながら、こんなこと言うんですよ。「神父さま、私のこの苦しみは何なんでしょう・・・。私、わがままに生きてきたから、なにかいっぱい償わなきゃならないんでしょうかねぇ・・・」って、そんなこと言って、すごくしょんぼりしておられたんです。
私思うに、やっぱり、病気の時に一番つらいのは、体の苦しみももちろんそうですけど、「この苦しみに、何の意味があるんだろう。私、神に見捨てられたんじゃないか。もしかしてなにか
マルコの福音書読みましたけれども、イエスさま、病気を癒やしてくださってますよね。でもイエスさまのなさりたいことは、病気を癒やすっていうのが第一じゃないんですよね。同時に悪霊を追い出すっていうこともしてますでしょ。実はこっちの方が真の目的。悪霊を追い出すから癒やしがあるわけですから。で、さらには、ガリラヤ中の会堂へ行って、「宣教し、悪霊を追い出された」とありますでしょ。この「宣教し」が、何よりも、まず第一のこと。神の愛の宣言によって悪霊を追い出すわけですから。
つまり、イエスさまは素晴らしい
でも1番と2番がちゃんとあれば、3番のことはおまけですね。実際には、病が癒やされる人もいるし、なかなか癒やされない人もいるし、現実のこの目に見える病気のことだけ見ればそうです。でも、まず1番と2番をちゃんとやっていれば、「私たちはもう病に打ち勝っている」と、そう言っていい。ぜひ、まず1番、神の愛を信じること、そして2番、そのじゃまをしている、さまざまな恐れを追い出すこと、それをイエスさまにやっていただきましょう。このミサで祈るのはそこです。イエスさまがすでにそれをもたらしてくださっていることに感謝して、そういう意味での救いを信じます。そして3番、み心ならば癒やしの恵みをいただきましょう。これらは、遠い昔の話じゃない。今病んでいる、現実につらい思いをしている人のことです。
イスラエルの巡礼旅行で、聖書のここの箇所を読みながら、まさに現地を歩いたことがあります。ここに「イエスは会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った」とありますでしょ。これはガリラヤ湖畔の町でね、イエスがお話になった会堂の跡が今でも残ってるんですけど、そこを出て50メートルくらい行くと、書いてある通り、ちゃんとシモンとアンデレの家があるんですよ。あれは感動しましたね。
「ああ、この会堂でイエスさまが悪霊を追い出したのか。それからこの道を弟子たちと一緒に歩いて、そしてこのシモンの家に来たのか。なるほど、この家の戸口に病人がいっぱい詰めかけていたのか・・・」
そんなリアリティーに満たされて、ちょっとドキドキいたしましたけれども、皆さんも想像してみてください。病んでいる人、苦しんでいる人たちが、続々とイエスさまのところにやって来る。埃だらけの道をね、集まって来る。人が詰め掛けて、戸口は隙間もないほどになっている。そこにイエスさまが現れる。そして福音を語り、悪霊を追い出し、病を癒やしてくださる。
「だいじょうぶだ、神はあなたを愛している!」
そのリアリティーを、この2012年の私たちも味わうべきです。
イエスさまが今ここにおられて、私たちに神の愛を語って、恐れの悪霊を追い出してくださること、そして、「み心ならば」病を癒やしていただけると固く信じて祈り続けます。そのリアリティーは、一人ひとりの病んでいる人に、とっても大切です。こう、なんか、観念の話じゃないんですよ。絵に描いた理想の話じゃないんですよ。今ここに、そのイエスさまがおられて、私たちに手を伸ばして、この手をぎゅっと握って「だいじょうぶだ」って言ってくださっているんです。
昨日、女子パウロ会の聖堂で講演会をいたしまして、「電子書籍配信記念、インターネット時代に神さまが語りかける『だいじょうぶだよ』」というタイトルでお話いたしました。女子パウロ会が、ついに電子書籍を出版したんですねえ。その第一号が、私の『だいじょうぶだよ』っていう詩集だったので、記念講演会をしてほしいということでした。
そこで、こんなお話しをしました。
「昔から、いろんなメディアがあって、進化してきた。手紙もそう、電話もそう、インターネットもそう。でも実は、それらはすべて、神さまがご自分の愛を伝えるために人類に与えてくださったメディアである。現実にはメディア上をさまざまな情報が行きかっているけれども、最も価値ある情報は、神から人に発せられる「私はあなたを愛している」という情報だ。その情報を完璧にもたらしたのが、イエス・キリストである。神さまは、ご自分の愛を人類に過不足なく伝えるために、まずはイエスの口頭で伝え、さらには弟子たちの口頭で、さらには手紙で、さらには電話で、そしてなんと現代ではインターネットなんていう方法で、なんとしても神さまは、すべての人にご自分の愛を伝えたい。そのように神の愛を伝えるのがメディアであるならば、イエス・キリストが最高のメディアであり、あらゆるメディアはイエス・キリストに結ばれてこそ、真のメディアになる」
・・・「イエス・キリストこそ究極のメディア」
神さまの愛そのものを、一人ひとりの闇を生きている人に伝えるために、「イエス・キリスト」というメディアがあって、そのイエス・キリストそのものである教会というメディアが存在して、その教会がまた、現在のさまざまなメディアを通して、神の愛を伝えているということです。
それにしても、女子パウロ会、偉いですよ。電子書籍だなんて、結構リスクもあってね、まだ全然未知の状態なのに、「電子書籍の時代だから、一つチャレンジしようじゃないか」と。チャレンジったって、女子パウロ会、結構みんな高齢化なんですよ。(笑) なかなかこう、言うは易くても実際に電子書籍、大変だったろうなぁ・・・って私、ほんとに感心しました。
でも、彼女たちは使命感があるんですね。「なんとしても、この時代に、あらゆる方法を使って、今一番つらい思いをしている人、病気の人、闇の中にいる人に、神さまが『だいじょうぶだ。私はおまえを愛している』って伝えるお手伝いをしたい」という使命感を持ってるんです。だから、電子書籍と聞けば、それじゃあそれも使わなければ、怠慢のそしりは免れない、出しましょう、と。出すからには、まず福音だ。「だいじょうぶだよ」と、神さまからの「だいじょうぶだよ」をみんなに伝えようと。
その思いに応えて、私も昨日講演会で、神さまが本当にそのように、イエスという最高のメディアを通して、現実に、今つらい思いをしている人に触れてくださる。そのお手伝いをしようじゃないか。ここに集まったみんなでやってこうじゃないかと、そういうお話をしたんですよ。神さまが「だいじょうぶだよ」ってイエスの口で語ったことを、私は詩集という活字メディアを通して語ったし、さらに新しいメディアで、みんなで語っていこうと。
まあ、ただ昨日は、講演会の後でですね、結構次々と皆さんがやって来て、私にこう言うんですよ、「神父さま、メディアもいいんですけど、私にここで、
それって、でも考えてみたら、すごくキリスト教的だなと思うんですよ。だって、神さまの「だいじょうぶだよ」「お前を愛してるよ」「信じてほしい」っていうそのひと言を生で語ったのがイエスでしょ。それでみんな救われたわけじゃないですか。そしてその生の働きを、素晴らしいメディアが届けている。メディアって、一見生ではないようでいて、キリストの働きは常に生ですから、キリストの教会が地の果てにまで「だいじょうぶだよ」を、「あなたを愛してるよ」を、「私はあなたを救う」を、あらゆるメディアで届けているとき、それはもう生で伝わっているんでしょうね。キリストという究極のメディアは、キリストにつながるすべてのメディアを生の現場に変えてしまうんです。そのようにして、神さまの生の恵みを地の果てにまで届ける。それこそがキリストの教会の使命でしょう。
第1朗読でヨブ記が読まれましたけれど、なんだか悲しい内容でしたよねえ。「私の一生は短い」「もうまったく、私の苦しみは意味がない」というかのような、この朗読。「わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう」というこの絶望。
このヨブ記にあるように、昨日お訪ねした方も「眠れないんです」と言っておられました。夜の長さに
イエス・キリストが来られた。イエス・キリストが今も生きてる。それは、そのような私たちの悲しみのリアルよりも、ずうっと現実です。このミサは、幻ではありません。神さまが私たちを本当に救って下さるという、目に見えるしるしです。このリアルを信じていただきたい。
これから病者の塗油の秘跡をお授けいたしますけれども、この塗油の秘跡なんていうのは、もうまさに、イエスさまが本当に一人ひとりの手をとって、「あなたの病気以上に、私の愛は現実だ。恐れるな。あなたはこの病を通して、神さまの栄光に
ああ、先日お話した十代の彼女も来てますね。神の愛を全面的に信じて、病者の塗油を受けましょうね。1月半ば頃でしたか、お説教であなたのお話をしたんですよ。あなたはそんなに若いのに、脳の腫瘍の手術をして、その後遺症で目が見えなくなってしまいました。どれほどつらい気持ちだったか、どれほど怖い思いをしたか、そして今、どれほど回復を願っているか、イエスさまが一番よくご存じです。脳の手術、怖かったですね。痛かったと思う。そして、今、目が見えないことの不安とか、つらさとか、これからどうなるんだろうっていう気持ち、それはもう、ホントにヨブ記の言葉のように、現実として味わっていると思う。
しかし、私は今言いたい。その、あなたが体験している現実以上に、今、イエスさまが触れてくださるのは、ずっと現実です。そちらの方が本物です。それを信じた時、あなたの中に、目で見る以上の光があふれてくる。神の力は無限で永遠です。その神があなたを現実に愛しているし、特別に今、触れてくださる。「ようこそ、パワースポット」へ、ですね。
あなたのために、このミサがあるようなものですし、病んでいるすべての人のために、イエスさまがここにおられるんですし、信じて、この秘跡を受けてください。何も終わっていません。これからですよ、これから。神さまが栄光を表すのは。
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