2013年9月1日 年間第22主日
・第1朗読:シラ書(シラ3・17-18、20、28-29)
・第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ12・18-19、22-24a)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ14・1、7-14)
【晴佐久神父様 説教】
今年も無事に、無人島キャンプを終えることができました。
皆さまのご協力に、心から感謝いたします。今の思いをひと言で言うと、「ホッとした」であります。無事に終わって、ホントに心から、ホッといたしました。
メンバーは、年齢でいうと10代から20代中心。計24名、台風の合間を縫ってちゃんと無人島に渡れましたし、島でのキャンプ25周年ということで、浜でのライブミサを実際にやり遂げましたし、強行日程の中、なんとか映像も録れましたし。無事にベースキャンプの島に戻ってきたときは、ホントにホッとしましたし、おととい全員羽田空港に戻って来たときも、ホントにホッとしましたし。以降も教会にまだメンバーが残っていて、後片付けなどなどで2泊して、今朝、最後のひとりが、これ、牧師先生なんですけどね、私、最近、神父より牧師の友達多いんですよ、(笑)この先生が、「ありがとー!!」って帰っていったのを見送ったのがついさっき。15分前。
今、私の気持ちは、ホンットにホッとしたという。・・・これで、すべて完了。
なんか、年と共に疲れやすくなってますし、そのくせ夢はだんだんふくらんでいきますし、今年はホントに精力使い果たして、まあちょっと、出かける前に足を怪我してたっていうのもあるんですけどね、ともかくみんなのお世話になりながら、すべて、なんとか終えました。
もうなんか、燃え尽き症候群というか、頭の中空っぽなんで、説教はこれで終わり。(笑)
まあ、そうもいかないので、報告しましょうね。
例年そうなんですけど、11泊12日で、準備と撤収はベースキャンプですから、無人島に渡ってるのは6泊7日が標準です。しかし今年も、例にもれず最初は台風で海がうねって渡れず、通り過ぎるのをジリジリ待っていて、3日遅れでやっと渡ったと思ったら、次の台風が発生して、予定より早く撤収ということで、実際には予備日を使っても3泊4日しかできなかったんです。それでもちゃんとみんなで渡れたっていうのは、もうホント、バンザイ、バンザイですよ。万歳三唱っていうかね、島の名前を3回叫ぶ「無人島三唱」をするんですけど、もう、ホントにうれしい瞬間です。「ついに来たぞ、渡れたぞ~!!」っていう喜び。
そして、今年の島は、またいつにも増して美しかったです。水が澄んでいてね~、きれいでした。いつにも増して。海にホントに透明度があって、遠くのコバルトブルーから、ラピスラズリ、セルリアンブルー、エメラルドグリーン、波打ち際の薄い青、あの、花開く前の青い朝顔のつぼみのうすい色のところみたいなね、何ともいえない水色が、白い砂の上でキラキラと陽に透けて光ってる、あの水の色! すべてがグラデーションでしょ。調和してて・・・ああ、話してるうちに、また行きたくなってきた。(笑) ホントに美しい。
すいません、なかなか実際に行ける人は少ないですけれどね。事実、今年この島に渡ったのは私たちが初めてです。せめてものお裾分けじゃないですけど、想像してみてください。普段は人のいない島の白い砂浜に寝っ転がっていると、波の音が、ず~っと優しく響いていて、真っ白い雲が流れていく。今年は、大好きな入道雲もいっぱい! もうこんなに見たことないっていうくらいで、ずっと空に見ほれておりました。雲は朝早くがきれいですね。まだ地上は薄暗いんだけれど、雲の上の方は陽が当たってますでしょ。すべての中でそこだけが真っ白く輝いて、美しい。早起きして、そんな雲を眺めてるんですけど、起床時間になると、各テントで爆睡してるみんなを起こすんです。「さあ、今日という日を始めようじゃないか!!」ってね。島での毎朝恒例の風景です。
メンバーみんなでこういう天国を分かち合って、創造主をほめたたえるわけですけれども、今、この福音書なんか読んでいてふと思うにですね、このたとえ話の中の天国みたいな宴会の主催者って、まずは、神さまでしょう? キャンプの主催者も、とりあえずは私ですから、私がみんなを集めて、「どうだ、この島、きれいだろう?」って、感動体験をしてもらうわけですけど、真の主催者は私を用いて働いている神さまであって、神さまが仲間たちを出合わせ、島に連れ出して、「どうだ? 私がしていることは本当に素晴らしいだろう?」と、「この美しい世界、この素晴らしい仲間はどうだい?」と、問いかけてくるわけですよ。それで、私たちは答える。
「はい、ホントに素晴らしいです。あなたの業は偉大です」
これが神と人の関係の原点なんですよね。神はすべてを創造して、問いかけてくるんです。「どうですか? この地球、いかがですか?」と。「この人生、いかがですか?」と。「この家族、いかがですか?」と。
そりゃあ、いろいろ問題を感じるかもしれない。足りない所が目につくかもしれない。でも、問題や不足は、実はすべて人間が生み出してるんであって、本質的には、本来、問題はないんです。神は恵みを与え、そして問いかける。「この『今日』はいかがですか?」と。「このご飯一杯おいしいでしょう?」「与えた命、どうですか?」と。ぜんぶ神さまからですよね、なにもかも。その神ご自身から、問いかけられる。だから、私たち、ただただ、もらうだけの立場の私たちは、申し上げるしかない。
「ありがとう、素晴らしいです。もう感謝以外、言葉もありません」
それで、神と人の関係が成り立つんですよね。
だから、文句言ったり、足りないことをつぶやいてるときは、神さまとの関係が成り立ってないんですね。神さまにしてみたら、「え~っ?」ってことですよ。「え~っ? こんなにしてあげてるのに、ダメ? これじゃ」っていう話ですよね。「え~っ? じゃ、どうすりゃいいの?」ってことでしょう。
まあ、都市生活だと、足りない所ばっかりが目につくような暮らしになってしまうので、わたし的には、若い仲間たちにね、「本来欠けた所のない世界」っていう、存在の本質を見せてあげたいって、そんな気持ちなんですよ。
地元の人たちも、天国的にいい人たちでね~、ホントにこう、みんなが協力してくれて、こんなぼくらの夢をかなえてくれた。
いつかもお話しましたけど(※1)、ベースキャンプの民宿の隣に「Pスタジオ」というスタジオを建ててもらったんですよ。ちゃんと建ってましたよ、立派なスタジオ。宿泊棟も一緒に。去年までは隣の敷地の真珠養殖の作業小屋だったところを、合宿所にしたんです。
民宿のおやじがね、もう、ただただ、全部自分で設計して、改装してくれたんです。工賃払うとか、そんな話じゃない。材料費くらいは、協力しましたけれども、ぜ〜んぶそこのおやじがね、ひと月以上かけて造ってくれた。立派ですよ。二棟の建物の間に屋根かけて壁作って、そこが入り口も兼ねた、20畳くらいの、キッチン兼洗面所兼作業所のコンクリの土間。上がると、片方はフローリングのスタジオで、40畳くらいかな。反対側に5、6人ずつ泊まれる部屋二つとシャワールームが二つ。その上、元作業小屋の倉庫だったところも、我々のキャンプのテントやボート、ボックスや備品などを全部収められる倉庫として、「自由に使っていいよ」と、私にしてみたらもう、夢の世界です。
何よりも、これで、どんなに台風に邪魔されても、いつまでも待機できるし、そしていつでも撤退してこられる基地ができた。民宿は予約で営業してますから、予定以上は待機できず、撤退しても入るところがない。ほかの客が入ってますから。しょうがなくて、民宿の庭にテント張ったこともあって、人数が増えてくるとそこは一番の問題だったんです。
今回、ありえないくらいの夢がかなっちゃったってわけで、それを、こんなふうに協力してくれる人がいるっていう、これ、やっぱり、その向こうにチラッと、神さまが見えますよね~。この10数年、このキャンプを支えてくれたおやじさんが、合宿所まで造ってくれたわけですから。ぼくらがいつも台風に振り回されているのを見てますから、「いつ出て行ってもいいように」「いつ帰って来てもいいように」ってことで、30人は泊まれる立派な合宿所を造ってくれたんですよ。
まあ、たまたま隣接地の小屋が空いたっていうのもあるんですけど、そこを借り受け、改装して「好きに使っていいよ」って言うんです。まあ、何ていうか、この世にあんまりない話でしょう? 夢のような話。確かに、前々からこの小屋を使えたらいいな~♪って、頭の中で願ってはいたけれど、願ってたらホントにそうなっていっちゃう。これ、地元の人の素晴らしい協力あればこそだし、すべて、神さまが「これでいいか?」って言ってるようで。感謝以外に言葉もない。
地元の人といえば、音の問題もありました。「スタジオ」といってもですね、防音してるわけじゃないですから、ドラムセットは置きますし、アンプは使いますし、ベースにエレキギターでしょ。結構な大音量なんですよ。集落からは遠く離れていて、周りにまったく家はないんですけど、試しに車で聞きに行ってみたら、集落まで音が届いちゃってるんですよね。静かなところですから。
で、「これはまずいでしょう」と、「地元の人からクレームがきたらどうしよう」って、ちょっと一瞬、夢しぼむような気持ちになったんです。民宿のおやじは「ここは平気だ、気にするな」って言うけれど、集落まで届くとは思ってなかったんで、「どうしよう・・・」って。
そこで、まずはスタジオのお披露目をしようって計画したら、なんとその集落の区長さんっていう人が来てくれることになったんです。島に渡る前に、「小さなライブをしますから、ぜひ皆さん聞いてください」っていう夜をつくったんですね。「地元の人もぜひどうぞ」ってことにしたら、たまたま区長さんに連絡が取れて、ちょうど予定が空いていて、来てくれたんですよ。
区長さん、年配の女性なんですけど、来てくれると聞いて、私たちは、「これは理解してもらうチャンスだ!」ってことで、現れたらもう、ひたすら冷たい飲み物を出して、お菓子を出してですね、で、イケメンの隊員を周りに置いて、(笑)大接待!
この区長さんがほんとにいい人で、愉快な人で、もう、すっかり喜んでくれてね~。ライブにも感動してくれて。「すいません、うるさくて」って言ったら、「いや~、気にしないでいいですよ、もう、この集落は若い人がいないから、こんなスタジオができて、こうして若い人が大勢来てくれて、騒いでくれるだけでうれしい。どんなに音出してもいいよ♪ 私がなんとかするから」って、言ってくれました。お墨付きいただいて、それ以降は気兼ねなく演奏できました。
翌日は一番近くの家のおばあちゃんも来てくれたんですけど、すごく喜んでるんですよ。「もう最近、こんなたくさんの若い人たち見たことない」と、「皆さんが来てくれると、活気が出る。うれしい♪」と、「ぜひぜひ毎年来て、にぎやかにやってください!」ってね、言ってくれて。まあこれは、地元協力あればこそ。それもまた神の恵みのうち。
そしてなにより、地元の船の船長さん、その船から島に渡してくれる小さな渡し船のおやじさん、みんなの協力で、今年ついに、あの無人島の浜で、「キャンプ25周年記念ライブ」というのをいたしました。
無人島にドラムセットまで持ってったんですよ。バカですよね~。ゴムボートにドラムセット乗せて、上でたたきながら進んでくとかね。わけわかんないことまでしましたけれど。発電機持ってってね、エレキギター、ジャジャ~ンと鳴らして。・・・楽しかった。
いくらなんでも、無人島まで行けば、もうどれだけ音出しても構わない。ヤドカリは思わず首引っ込めてましたけど、(笑) ここは好き勝手。・・・もう、思いっきりライブミサ、賛美のミサを捧げました。これ以上ないというくらい、「思いっきり」! 神さまにしてもらったこと、用意してもらったこと、そのすべてに、私たち、できる限りの感謝、賛美をしたい。真心からの、感謝、賛美を。
その様子はね、皆さんに、やがて映像でお見せできます。映画監督さんとプロのカメラマンが来て、ずっと映像撮ってくれましたんで、編集したものを見せることができます。
8月15日に灯
どうせならこの機会に、島全体をみんなに見てもらいたい、そのためにぜひ島を空から写そうっていうんで、空撮もしたんですよ。ラジコンヘリ、これ、「ハレコプター」って名づけたんですけど、これに高性能カメラを付けて、ブ――ンと飛ばして。これも、ちゃんと映像が撮れました。
ただ、撮影最後の日に、そのヘリが風に飛ばされて、海にポチャンッと落ちちゃった。(笑)がっかりです。どこに落ちたんだろうっていう感じでしたけれど、次の日、私、平目を突くために、銛
楽しかったなあ。私たちがなすべきことって、みんなで仲良く暮らすこと、一緒に賛美と感謝を捧げること、それだけなんじゃないですか。そして、私たちにできる最高の賛美って、究極は「ミサしかないよね」っていうことを、この夏、素晴らしい仲間たちと共にしたし、今日、この私たちも、そんな思いを新たにしたいです。
島から帰って来た翌日、昨日ですね、教会に泊まっていった21歳が、詩を書いてくれて、たった5行の詩なんですけど、いい詩なんですよ、これが。こんな詩です。
「 波の奏でる旋律
星の彩るまぶしい闇
それはきわめてよかった
ただ美しいそのありがたさ
天の国はそこにあった 」
こういう詩なんですけど、あの島では、まさに「波の奏でる旋律」が美しく響き渡ってるんですよ。「星の彩るまぶしい闇」が、美しく輝いてるんですよ。
「それはきわめてよかった」と。この真ん中の1行の出典、わかりますか? 聖書の言葉ですね。創世記の初めです。神さまが世界をお造りになって、そして最後に神さまはそれらをご覧になった。
「見よ、それは極めて良かった」
新共同訳ですけど、彼は聖書に詳しいんで、この1行を入れてある。・・・「それはきわめてよかった」。神さまが、世界をご覧になり、それは、極めて良かったんです。
そして、「ただ美しい、そのありがたさ 天の国はそこにあった」。
彼は、こう言ってました。
「自分は今まで、ず~っと、頭の中で考えて、考えて、生きていた。だけど、初めてこの島に来て、『ただ美しい』ということがあると知った。何の理屈もなく『ただ美しい』ということが、こんなにありがたいことかと思えた。天の国はここにある、そう思える自分の内にある。それに気づけて、ホントによかった。はれれ、ありがとう」
「はれれ、ありがとう」「はれれ、ありがとう」って、その彼からは、島にいるときも、ベースキャンプに帰って来てからも、羽田でも、今朝帰って行く直前も、何回言われたことか。彼、ホントに感動したんですよ。それは、世界の美しさ、存在のありがたさに気づいたってことだし、それは、自分自身の美しさ、ありがたさに目覚めたっていうことなんでしょう。
創世記をよく読むと、神さまは、ただ大自然をつくっただけじゃなく、ちゃんと最後に人間もおつくりになって、その上で言うんですよ。
「それは極めて良かった」
つまり、人間も「極めて良い」んです。本来。しかも、「神の似姿」っていうくらいですから、神さまにとって、私たちは、とりわけ、とりわけ
この「私」が、そんな美しい存在である、本質的に「極めて良い」存在である、それを私たちは知るべきですよ。自分の中の汚いものとか、得体の知れぬ恐れとか、そんなものいくら見つめようとしても、そこには何もない。意味がない。神がおつくりになったのは、美しいあなたです。あなたの美しい魂です。それは「極めて良い」。誰もケチつけられない。汚せない。・・・それを発見しなければ。体験しなければ。
さっき、イエスさまが、「宴会するときには、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」って言いましたけれど、「ああそうか。じゃあ今度、宴会を開くときはそういう人たちを呼ぼう」って思うとしたら、まあそれでもいいんですけれども、この聖書を読んでまず第一に思うべきは、「そうして呼んでいただいたのはこの私だ」っていう真理です。
だって、私は「貧しいもの」だし、「足が不自由なもの」だから。私なんて、ホントに足、不自由でしたよ。怪我した足を引きずりながら島に行った。そして、「目の見えないもの」です。神の素晴らしさが、見えていない。そんな、こんな私を、神さまはこの地球に、この人生に、神の国の大宴会に、招いてくれたんです。呼んでくれたんです。・・・もう、ただただ、「ありがとうございます」です。
神さまが、私を呼んでくれたから、ここに今、私があって、こんな仲間もいて、こんな賛美を捧げられる。イエスさまのたとえで言うなら、まずは私たちが呼んでもらった。「お返しができないもの」として呼んでもらった。何のお返しも私にはできない。そして、神はなにひとつお返しを望んでいない。
せめて、見返り求めず人を呼び、主と共にミサを捧げよう。・・・それだけです。
ミサの翌日の夜、「最高の礼拝、大成功!!」なんて、浜で打ち上げしてたら、なんか様子が変なんですよ。こう、周りに仲間たちがみんないるんだけど、誰かがですね、「浦島太郎!」「浦島太郎!」って言ってるんです。人って突然、「浦島太郎!」って言ったりしませんよね。(笑)何言ってんだろうって思ったら、それ、サプライズライブの合言葉だったんです。
もう今年はサプライズ禁止令出してたはずなのに、「はれれの島キャンプ25周年」を記念してっていうんで、ぼくを驚かせ、喜ばせるために1年近くも前から内緒で準備して、オリジナルの、無人島を讃える曲を作って、みんなで練習してたんですよ。またやられました、今年も。全然気づかなかった。知らなかった。
急にみんなの歌が始まって、シートの向こうに隠してあるドラムが鳴り始めて、ギターが鳴って、トロンボーンも鳴って、いろんな楽器が鳴り出して、合唱になって、よく練習してある美しい曲! 何よりうれしかったのは、島を讃
タイトルは、「みんな大好きぼくらの島」とかっていうんですけど、私の口癖とかまで、入ってるんですよ、歌詞の中に。毎朝みんなをたたき起こすときの口癖。・・・「さあ、今日という日を始めようじゃないか!」って。「ああ、み~んなこの島を愛してるんだ」と知って、まあ、うれしかったし、泣かされされました。幸せでした。お返しもらっちゃいけないはずなんですけどね。
考えてみたら、一生懸命みんなを呼んで、もてなしているつもりで、私ももてなされてたってことでしょう。そして、大発見。みんなから「ありがとう!」っていう気持ちで、そんなふうに讃えてもらうと、こ~んなにうれしいっていう経験すると、ちらっと神さまの気持ちも、分かったような気がした。
だって、神さまもおんなじ思いなんじゃないかな。みんなを喜ばせたくて、すべてをつくり、生み育てて、そんな神の子たちから「ありがとう!」なんて言われると、「すべて素晴らしい!」って褒め讃えられると、神さまはこんな気持ち? いや、それ以上なんだろうな。
ああ、神さまを喜ばせたい! もっと、もっと喜ばせたい!!
【 参照 】
※1:「いつかもお話しましたけど」
・「さあ、船を出そうじゃないですか!」(「福音の村」2013年5月5日説教)
説教後半、上から7段落目(下から4段落目)をお読みください。
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※2: 「8月15日に灯、ともしましたでしょ」
・「信仰の炎を次の世代に」(「福音の村」2013年8月18日説教)
説教前半、上から3段落目をお読みください。
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