【カトリック浅草教会】
2018年3月18日 四旬節第5主日
・ 第1朗読:エレミヤの預言(エレミヤ31・31-34)
・ 第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ5・7-9)
・ 福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ12・20-33)
【晴佐久神父様 説教】
希望の春、光に満ちた春がやってまいりました。
桜、開花しましたね。昨日、「東京の桜が開花」と。
・・・必ず、咲く。桜は、必ず咲く。咲かない年はない。開花したら、二度と引っ込まない。聞いたこと、ありますか。開花宣言をした後で、また桜の花が引っ込んで、「開花は取り消し」とか。・・・あり得ない。必ず春は来て、必ず桜は咲く。開かないつぼみもない。そしてやがて、ぜんぶ咲く。「満開」ってやつですね。満開、一週間後くらいですか?
・・・「満開」。
「必ず冬は過ぎる」っていうのは、私たちの信仰の基本です。つらい思いをしているときはありますけど、終わらない冬はない。羽生結弦も言ってました、「明けない夜はない」と。ホントに苦しいときはある。でも、やがて、よみがえりのときが来る。・・・復活ですね。
パラリンピックの成田君、障害は生まれつきじゃないんですね、けがですから。兄姉みんなでオリンピックを目指していて、自分だけ、けがして出られない(※2)。もう、その時はやっぱり、絶望というか、すごいショックだったでしょうね。ああいうトップアスリートたちの苦悩とかって、われわれの想像を超えますけど、ちょっとは想像つきますでしょ。
足がしびれて動かない。そして、もう治らない。それが分かったときの、その夜の気持ち、どんなだっただろう。・・・やっぱり想像します。でも彼は、こうして今、パラリンピックに出てるじゃないですか。すごいですよね。それも、金メダルですから。
われわれもね、確かに夜はあるけれど、「ああ、夜だ。真っ暗だ。もうだめだ」って思っちゃいけないってことですね。冬に、「ああ、冬だ。凍っちゃった。これで終わりだ」って思っちゃいけないってことですね。
さっきも、長い病気を患っている方が挨拶してくれましたけど、お医者さまから、だいぶ良くなってきていると言われたと、とても喜んでました。・・・なんでしょう、顔がピカッとね、「桜咲いた!」みたいな顔で報告してくださいました。どんな苦難のときでも慌てないで、やがて「満開!」っていう救いのとき、そのときを待ちます。・・・必ず、来る。
咲かない人はいない。必ず、咲く。
さっき、イエスさまが言ってましたでしょう、「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12:32)って(※3)。
桜でいうんなら、「わたしが、最初に咲き始める」と。そして、「すべての人が咲き誇る」と。イエスさまが「すべての人」って言ったら、千人いたら千人、万人いたら万人、「ひとりも残さず」です。「ひとり残らず、自分のもとへ引き寄せよう」って、これ、イエスさまのお約束ですよ。
「地上から上げられるとき」、つまり、「十字架と復活のとき」ですね。イエスさまは真っ暗な夜、凍った冬をくぐり抜けて、そして、満開の日々を、私たちにもたらしてくださいました。私たちは、この希望を新たにいたします。
「すべての人を」・・・「み~んな引き寄せよう」。・・・ありがたい、ありがたい。「芋づる式」っていう言い方がありますけど、ずるずるっ、ずるずるっとね、ぜんぶです。「ああ、切れちゃった」とか、「一個落ちたけど、まあいいや」とか、そんなことは、あり得ない。やがて満開。
信仰って、単純なことなんですね。シンプルなものなんです。あんまり複雑にしちゃいけない。ぼくらはちょっと考え過ぎる悪い傾向があって、恐れたり、悩んだり、いろいろ考えていろいろ言いますけど、シンプルでいきましょう。
神は愛そのものですし、イエスさまは、すべての人を、どんなダメな人でも、ご自分のもとに引き寄せてくださる。それはもう、「その人のあらゆる条件を超えて」です。もちろん、私たち、もっといい人になろうとか、もっと上手にやろうとかしますし、それはそれでいいんです。でも、そういうことを圧倒的に超えた「神さまの愛の大きさ」っていうものを、シンプルに受け止めないと。私たちは、「イエスは復活した。神はすべてを復活させてくださる。私たちもみんな、天の国で金メダル!」と、そういう本質をシンプルに信じましょうよ。確かに今日はまだ、ちょっと寒かったり、ちょっとつらかったりしますけれど、それは、やがて栄光の世界がくるっていうことのしるしです。
この、復活祭前の春、桜が咲くころって、こういう話をするのにピッタリですね。春の力に信頼して、もっともっと、シンプルにいきましょう。
東京新聞、読みました? 先週の火曜だったかな、私のこと、載ってました。香山リカさんっていう有名な精神科医がいるんですけど、ご自分のコラムで、私のこと、紹介してましたよ(※4)。先日、私の講演会に、わざわざ聴きに来てくださったんですね。講演会の後で、食事もご一緒したんですけど、彼女がその講演会の話を紹介しているんです。「晴佐久昌英さんという神父さんの講演を聞いた」と。
講演会のタイトルは、「心の病をいやす『福音家族』」です。内容は、「心の病で苦しんでいる人にとっては、安心できる家族的な集いが何よりの癒やしになる。特に、一緒にごはんを食べれば心が結ばれるし、そんな福音家族こそが神の国の始まりだ」みたいな、まあ、いつものお話をしたんですけど、それを、彼女はおおよそ、こんなふうに紹介してくれていました。
「『ごはんを食べれば、もう家族』という、あまりにもシンプルな考えに驚いた。しかし、話を聞いていくうちに、こう思った。私たち心の専門家は、難しく考えすぎるのかもしれない。すぐに診断をつけて、医療や福祉のさまざまなプロで協力し合ってケアをしようとする。でも、本当に必要なのは、『さあ、一緒にごはんを食べようよ』って声をかけてくれて、食卓を囲んでくれる、親しい仲間たちの存在なのかもしれない。そんな仲間なら、どんなときでも相手を受け入れ、支え合っていけるはず。私も、そんな気持ちを忘れないようにしたい」
「一緒にごはんを食べれば、もう家族」。そんな家族が広がって行けば、神の国はすぐそこでしょう。そもそもは、みんな神さまの子どもなんだから、そもそもみんな家族なはず。確かに冬は寒いし、確かに病はつらいけれど、「さあ、一緒にご飯」っていう家族、「だいじょうぶ、私たちがいるよ」って声をかけてくれる家族がいれば、もう、冬もまったく平気、夜もまったく平気なんです。
もちろん、お薬も大事だし、カウンセリングや、さまざまな治療プログラムも必要です。でもやっぱり、真の癒やしにつながる基本の基本は、福音的家族の一緒ごはんなんです。それこそ、このミサだって、そうですね。こうして、「ご聖体」っていうごはんを囲んでますでしょ。まさに今、ここで、お互いに信頼し合って、「これが、家族だ」と言い合い、「もうあなたの桜も咲き始めた。やがて、全員満開だ!」って宣言しているこの集いこそが、真の癒やしになるはずなんです。そこはやっぱり、一人ぼっちで過ごした昨日の夜の、眠れなかったあのつらさとは違ってるんじゃないですか。
「シンプルでいきましょう」って、私はホントにそう思う。「あなたも、必ず咲く。もうすぐ、満開なんだ。家族みんなで信じよう!」って。
「一緒ごはん」の話を、日刊の一般紙に載せていただいて、私、すごくうれしかったです。早速それを読んだ方からお電話を頂いたりしましたし。いろんな人に、福音家族の喜びを伝えたいキリストの弟子として、うれしかったです。
「伝えたい」っていうことで言うなら、ちょうどそのコラムが新聞に載った日に、私、生まれて初めて、刑務所ってところに行きました。医療刑務所から、受刑者たちに、定期的にお話ししてほしいっていう依頼が来たんですね。
その打ち合わせのために行ったんですけど、看守長さんが施設を案内してくださいました。ちょうど移転して間もないので、まだ誰も入っていないエリアを案内してくれて、貴重な経験になりました。
ただですね、正直言って、ホントに怖かった。っていうのは、私、閉所恐怖症の傾向があるんですよ。閉所恐怖っていうのは、「狭い所がダメ」っていうのもあるけど、むしろ、「閉じ込められるのがダメ」なんです。中から開けられない部屋で、外から鍵かけられるなんていったら、もう、どうしよう・・・😱!ってなる。このミサにも、精神科で閉鎖病棟に入ったことのある方がいらしてますけど、あなたのそのつらさ、よくわかりますよ。刑務所の狭い部屋を見学しながらね、もしもここに入れられて、ガチャンって鍵かけられたらと思ったら、ホントに冷や汗が出ました。思わず看守長さんに、言っちゃいましたよ、「ああ、もう、絶対悪いことしません!」って。(笑) でもねえ、刑とはいえ、そこに現実に入ってる人がいるわけですからねえ。どんな気持ちか・・・。少しでも励ましになる福音をお伝えしたいって、つくづく思いました。
担当の方ともお話ししましたけど、言ってましたね。受刑者は、み~んな成育歴に恵まれないで、悪い環境の中で育てられてきた・・・と。
根っからの悪人なんて、この世にいない。私はそう思う。それでも、ある人が犯罪を犯してしまうのは、結局のところ、この世の悪、みんなの罪、そういうものが、ある弱い人に集中して、ある意味その人が犠牲者になって犯罪を犯してしまうんだし、そういう人が、刑務所に入れられる。もちろん、被害者の側からしたら、とんでもない奴なんでしょうけど、すべてを個人の責任に還元するのって無理ですよね。当然、社会全体にも責任はあるんだし、誰かを裁いて刑を押し付けて、後は知らんぷりするとしたら、なんかズルいっていうか、もう少しなんとかならないものかって思いません? 日本の犯罪者って、すごく再犯率も高いんです。だから、ただ閉じ込められてる人たちに、私は、「あなたは必ず救われる」と、「あなたはホントは神の子なんだ」と、「神はあなたを愛している」と伝えたい。
そういえば、さっき、第1朗読(※6)でも言ってましたでしょ。エレミヤの預言でね、神さまが言うんですよ。
「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は、もはや『主を知れ』とは言わない。なぜなら、もう、小さい者も大きい者も、すべての人が、わたしを知るからだ。そのとき、わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(cf.エレ31:33-34)
ねえ、こういう福音を伝えたい。これ、33節に、「
看守長さんに、「私と会うと、洗礼受けたくなっちゃう人が少なくないんですけど、それでもいいですか?」って言ったら、「構いません」って言いました。よ~し、見てろよ、と。(笑)
あの・・・、この話はするまいと思ってたんですけど、やっぱりしちゃいますけど。・・・自殺なさった方、いましたでしょ、文書改ざん問題ね(※7)。あれなんか、ホントに、みんなの悪が、一番いい人に押し寄せたっていう出来事なんじゃないですか? まあ、事実も知らずに何か話すのも、ちょっとどうかってこともありますけど。じゃあ、こうしましょう、私の作り話として聞いてください。あくまで「作り話」ですよ。
あるところに、ホントに真面目で正直で、自分の仕事に誇りを持っている公務員がいたとしましょう。成績優秀でね、家族にも優しくて、ささやかな幸いを求めて精いっぱい生きてきた。そんなひとりの公務員が、上部から、「犯罪を犯せ」って言われた。・・・「公文書を、書き換えろ」と。重大な犯罪です、捕まれば刑務所行きの。そのとき、彼はどう思ったか。超人的な勇気でもあれば、逆らったり、告発したりできるかもしれないけど、普通の人にできるわけがない。家族もいるわけだし、仕事を失いたくないし、結局、命令されたとおりにしてしまう。だけどね、それ以来、どんな気持ちで生きていくか。してはいけないことをしてしまった、いつかバレるかもしれない、多くの人に迷惑をかけてしまうんじゃないか・・・。そう思いながら生きていく苦しさ。
そういう人がいたとするなら、私、かわいそうで、かわいそうで。どんな気持ちで生きていたかを考えると、胸が痛くて、痛くて、ホントに痛い。やがて彼は、周りの人に「眠れない日々が続いた」と言うでしょう。「自分の常識が壊された」とも言うでしょう。そして、一番恐れていた日が来る。事実が報道され、明るみに出始める日。それが分かったときの、彼の絶望がわかりますか。もはや、自分の人生を終わらせるほかに、選択肢がなくなる・・・。
もしもこの作り話が、仮に事実としてこの世にあるならば、反省すべきは本人ですか? 上司でしょう? 人ごとにしている私たちでしょう? みんな、自分の利益、自分の立場、自分の未来を守るために、弱い人、正直な人を犠牲にしてるんじゃないですか。この世界がそういう世界だからこそ、犯罪を犯す人が生まれちゃうんじゃないですか。
イエスは真逆です。自分を犠牲にして、人を生かす。
それが、十字架であり、復活であり、そんな花が咲き誇るのが、神の国。そういう世界に、私は憧れたい。もう、まさに、一番弱い人、マタイ福音書でいえば、イエスさまがたとえ話でね、「あなたは、わたしが牢にいたときに訪ねてくれた」(cf.マタイ25:36)って、そう言ってますから、そこにこそ、福音をお届けしたい。看守長さんからは、「キリスト教の話は結構人気あって、先生のお話しを待っている人がいますよ」って言われました。
洗礼を受ける準備をしている皆さん、もうすぐ、パッとね、花が咲く日が来ます。そうして洗礼を受けたら、そのような希望の福音を、みんなにも伝えようっていうキリスト者として出発してほしいです。イエスさまがそれを望んでおられます。たくさんの花を咲かせてくださいね。
洗礼式のとき、洗礼志願者のお名前をお一人おひとり、お呼びしますけれど、そのお名前を呼んでいるのはイエスさまなんですよ。イエスさまは、ともかく、ご自分と一緒に、神の国の満開の日を目指して働いてくれる人を求めていますし、皆さんがそれに応えてくれることを、ホンットに喜んでくださってます。洗礼を授けていただいたら、イエスさまと一緒に働いてくださいね。イエスさまが呼ぶんですよ、あなたのお名前を。洗礼式の呼名では、私が呼びますけれども、私が呼ぶのは、イエスさまが呼んでいるってこと。
数日前、私が理事を務めている学校の卒業式に出席しましたけど、卒業式でも、卒業生を、一人ひとり
洗礼式のとき、イエスさまが、声震わせて呼んでくださいますよ。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)
※1:「桜、開花しましたね。(中略)標本木っていうのがあるんでしょ」
気象庁は、3月17日、東京都心の桜の開花を発表。
平年より九日早く、前年より四日早い開花となった。
(画像は桜の標本木@靖国神社)
(文中へ戻る)
===(もうちょっと詳しく)===
桜の「開花」や「満開」は、気象庁が定めた標本木の状態で、発表されている。
「桜の開花日」は、標本木で5、6輪以上の花が開いた最初の日で、8割以上の花が開くと「満開」とされている。
標本木は、開花状況などを知るために指標として使われる草木のことで、桜の木を指すことが多い。桜の標本木は全国に96カ所あり、各地の気象台が、その開花状況をもとに「開花」や「満開」の宣言をしている。
東京では、千代田区九段にある靖国神社内の特定のソメイヨシノが標本木に指定されている。
(参考)
・ 「東京の桜が開花。ところで、気象庁のいう”東京の桜”ってどこ?」2018/3/17(HUFFPOST)
・ 「東京 ソメイヨシノ開花」2018/3/17(tenki.jp) など
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※2:「今のパラリンピックの成田君、(中略)自分だけ、けがして出られない」
◎成田緑夢(なりた ぐりむ)選手 (1994/2/1~) 24歳
フリースタイルスキー(ハーフパイプ)、スノーボード、トランポリン、陸上の選手。
平昌パラリンピックのスノーボード男子バンクドスラロームで金メダル、スノーボードクロスで銅メダルを獲得した。(文中へ戻る)
===(もうちょっと詳しく)===
父はスノーボードコーチの成田隆史。長兄は成田童夢、姉は今井メロで、二人とも、2006年トリノオリンピックにスノーボードの選手として出場している。
彼も、1歳からスノーボードをはじめ、4歳で長野五輪のデモンストレーターとして滑るなど、小さなころからスポーツ万能。練習で始めたトランポリンでは2012年ロンドンオリンピックの最終選考に残り、翌2013年にはフリースタイルスキー(ハーフパイプ)、世界ジュニア選手権優勝。
しかし、2013年4月、19歳のとき、トランポリンの練習中に、着地失敗。左膝が反対方向に折れ曲がり、一時は切断の危険も危ぶまれるほどの大けがを負った。なんとか切断は免れたものの、左ひざから下にまひが残るという、重度障害を負うことになった。
周囲の励ましもあり、激痛が残る中、スキーやウェイクボードに復帰。2015年冬からパラスノーボードを始め、ぐんぐんと力を発揮。陸上でも活躍を見せている。
現在は、「夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリート」になるという夢を抱き、パラリンピックに限らず、競技の幅を広げ、オリンピックへの出場も目指している。
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(上の画像は4枚がスライドショーになっています =手動=)
(参考)
・ 「成田緑夢『障害を持つ人たちの光になりたい』 スノボ金」2018/3/16(朝日新聞DIGITAL)
・ 「パラリンピック金メダル・成田緑夢がオリンピックも目指す理由」2018/3/18(Buzz Feed NEWS)
・ 「成田緑夢が冬季競技引退『次の1歩』東京五輪へ模索」2017/3/28(日刊スポーツ)
・ 「『五輪は当然』成田家の末っ子が障害者に…気付いたスポーツの意味」2017/2/25(with news)
・ 「成田緑夢」(パラリンピックサポートセンター)
・ 「成田緑夢」(ウィキペディア) ほか
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※3:「さっき、イエスさまが言ってましたでしょう、『わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう』 (ヨハネ12:32) って」
この日、2018年3月18日(四旬節第5主日)の福音朗読箇所より。
ヨハネによる福音(ヨハネによる福音書)12章20~33節
〈小見出し:「ギリシア人、イエスに会いに来る」「人の子は上げられる」から抜粋〉
===(聖書参考個所)===
「今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。 (ヨハネ3:31途中-32/赤字引用者)
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※4:「東京新聞、読みました? (中略) 私のこと、紹介してましたよ」
香山リカさんは、1960年生まれの精神神経科医。(「香山リカ」はペンネーム)現代人の心の問題に向き合い、臨床経験も豊富。立教大学など、教授も務めている。メディアでの活動も積極的。
===(記事について)===
ネットでは、北海道新聞の電子版で読むことができる(無料登録が必要)。3月5日に、「香山リカ ふわっとライフ」という連載中のコラムに、「いっしょにごはん もう『家族』」というタイトルで掲載された。。
北海道にある高校の例も挙げ、「いっしょにごはんを食べれば、それはもう家族。どんなときでも相手を受け入れ、支え合ってやって行けるはず。私もこの気持ちを忘れないようにしたい」と結んでいる。
(参考)
・ 「いっしょにごはん」(香山リカ「ふわっとライフ」、『東京新聞』2018/3/13付朝刊、23)
・ 「いっしょごはん もう『家族』」(香山リカ「ふわっとライフ」、『北海道新聞』2018/3/5 どうしん電子版)・・・全文を読むには、登録(無料)が必要。「北海道新聞パスポート取得」から。(注:全文をほとんどお説教中で紹介していますので、不要かとは思いますが・・・)
・ 「香山リカ」(ウィキペディア)
・ 「香山リカ」(オフィシャルウェブサイト)
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※5:「教誨師」
刑務所や矯正施設で、収容者、受刑者に対して、悔い改めへの諭しや、道徳心の育成、精神的救済などを行う者。多くは宗教家(僧侶、神職、牧師、神父など)が任ぜられる。信教の自由の観点から、参加は自由。日本では、特に真宗の僧が多い。割合は、仏教、キリスト教、神道の順。
(参考)
・ 「教誨師」(コトバンク)
・ 「教誨」(ウィキペディア) など
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※6:「第1朗読」
この日、2018年3月18日(四旬節第5主日)の第1朗読個所は以下のとおり。
エレミヤの預言(エレミヤ書)31章31~34節
〈小見出し:「新しい契約」から抜粋〉
===(聖書参考個所)===
しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。(エレ31:33-34/赤字引用者)
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※7:「自殺なさった方、いましたでしょ、文書改ざん問題ね」
学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書改ざんをめぐって、財務省近畿財務局の担当部署で対応に当たった男性職員が自殺。その後、遺書の他、メモを残していたことが明らかになった。そこには、「上司に書き直させられた」「自分1人の責任にされてしまう」「冷たい」などと記されていたという。
(参考)
・ 「『書き換えさせられた』とメモ 森友、自殺職員に改ざん指示か」2018/3/16(共同通信社)
・ 「森友文書『書き換えさせられた』自殺の職員がメモ」2018/3/15(毎日新聞)
・ 「自殺した近畿財務局職員が「自分1人の責任にされてしまう」のメモ! 財務省理財局でも責任押しつけの犠牲者が」2018/3/15(LITERA) など
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