わたしも門から入りたい

2014年5月11日復活節第4主日
・第1朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録2・14a、36-41)
・第2朗読:使徒ペトロの手紙(一ペトロ2・20b-25)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ10・1-10)

【晴佐久神父様 説教】

 皆さんは、羊のことをご存じですか?
 普通に日本で生まれ育って都会で暮らしてると、羊のことをご存じないでしょうから、ぜひ、羊のことを知るために伊香保温泉に行ってですね、(笑)すぐ隣りに、「伊香保グリーン牧場」という所があって、そこで、「シープドッグショー」というのをやってますから、ご覧になったらいいと思いますよ。なかなかおもしろい。(※1)
 広〜い、なだらかな牧草地にですね、羊がいっぱい放し飼いになっているところを、ピピッと笛を鳴らすと、シープドッグっていう、羊を追い立たてる犬が出て来てね、ワンワンッて吠えながら走り回ると、羊たちはビックリして、ひとつに集まってですね、それを(ふもと)の囲いの小さな門の所に追い立てて、ぜんぶ囲いの中に入れちゃうんですよ。見事です。
 「見事」って言っても、もちろん犬が自主的にやってるわけじゃなくって、その犬を訓練した人が「見事」なんですけど、まあ、何しろ、羊っていうものが、どれほど臆病で、弱い生き物であるかっていうのは、あそこに行くとよくわかる。あれはやっぱり、レストランでラム肉とか食べてるだけでは、なかなかわからない。(笑)
 犬に追い立てられ、ビクビクしながら皆寄り添って、門の中に入れば、ホッとひと安心。
 ・・・ああいうのはね、二千年前のユダヤでは、ごくごく当たり前の光景で、「わたしはよい牧者だ」(cf.ヨハネ10:11、14)ってイエスさまが言ったら、だれでもが、「ああ、それはなんてありがたい! この人が牧者なら、私はどんなに迷える羊でも安心だ」って、スッとわかったはず。
 「わたしが門だ」(ヨハネ10:7、9)ってイエスさまに言われたら、「ああ、この人をくぐったら、もう安心な、あの囲いに入れるんだ」っていう、その実感はね、もう、スッとわかったはず。
 われわれだって、迷える小羊のような思いをしているわけですから、羊と羊飼いの様子を想像して、第2朗読の言葉を味わってほしい(※2)。「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であるところに戻って来た」(cf.一ペト2:25)。 この、魂の牧者のもとでの安心を味わっていただきたい。ビクビクした羊たちを、「それは私だ」とイメージしてね。
 「グリーン牧場」ですよ。覚えました? 「伊香保グリーン牧場」。ソフトクリームもおいしい。羊たちもかわいいしね、ワンちゃんもすごくかわいいし、笛吹いてるお姉さんも、とってもかわいい。(笑) ぜひ、今度お出かけになってくださいな。キリスト者の研修としてですね、あそこで羊の気持ちを味わったらいいと思います。そして、羊飼いのありがたさを目の当たりにしたらいいと思う。
 二千年前だったら、百匹の羊のうち一匹いなくなったら見つけるまで探すとか、良い牧者のもとで、みんな安心して草を()むとか、ホントにそれは、もう、絶対にそうでしかないという、安心なたとえだったわけですから、今、実際に迷える小羊のような気持ちの方は、この「よい牧者の主日」(※3)に、思ってほしいのです。「ああ、私はなんて素晴らしい牧者に出会えたのか。この人について行けばいいんだ、もうこの囲いに入って来たんだから、安心だ」と。
 こうやってミサに集まっている皆さんを見ても、実際にあの聖堂の小さなドアから、迷える小羊たちが、みんなここに入って来たじゃないですか。羊飼いに導かれて。ここはもう、安心ですよ、囲いの中は。

 羊飼いは、羊のことをよく知っているし、羊も羊飼いのことをよく知っている。
 この、羊飼いと羊の間に流れている熱〜い、何て言うんでしょう、共感というか、信頼関係というか、そういうつながりは、本当に尊い。羊は、羊飼いを見たら、もう安心。羊飼いも、羊を見たら、すべてがわかる。そういうつながりって、もしかすると、人間の親子以上かもしれない。羊飼いと羊の関係。すなわち、神さまと、この私の関係がそういうものだっていう信仰は、この復活節第4主日に特に、味わったらいいと思いますよ。
 「羊飼いは、羊のことをぜんぶ知ってる」っていうこと。
 皆さんよく、「私のことは誰もわかってくれない」とか言いますし、わかってくれる人を求めて悩んだり、自分勝手な求め方をしたり、無理やりわからせようとしたりし始めるわけですよね。
 だけど、もしも皆さんが、自分のことを、この悩みとか、恐れとか、自分の嫌な所とか、ともかくわかってほしいすべてを、ぜ〜んぶわかっている方がおられるっていうことを、本当に受け入れたら、こんな安心なことはないんですよ。イエスさまは、わかってくださっています。
 しかも、家族よりも、イエスさまの方がわかってくれてるんですよ。時には、本人よりも。・・・「本人よりも」ってとこ、すごいでしょ? 「自分でもわかっていない自分」とか、「自分は何でこんなことしちゃったんだろう」「自分は何でこんなに恐れてるんだろう」「自分は何でこんなに過剰反応するんだろう」、・・・そんな、自分でもちゃんと理解できず、受け入れられていないような、その自分の本質さえも、イエスさまはちゃんとわかって、受け入れてるんです。ぜんぶ。
 この「ぜんぶわかってもらってる」っていう安心感がね、羊飼いと羊の熱〜い信頼関係がね、私たちにとって大きな喜びだし、その「知ってもらってる」っていう安心感があったら、もうちょっと、こう、お互いに受け入れ合ったりもできるようになるはずなんですけどね。
 イエスさまは、ぜんぶ知ってます。皆さんのこと、皆さんの思い、皆さんが今、どういう状況であるか。羊のこの様子、目を見れば、もうすべてわかる。知っているから、愛せる。
 よい羊飼いは、そのような羊飼いです。

 先月、列聖式に参りましたけれども(※4)、あの聖ヨハネ・パウロ2世教皇なんかは、人々に何かを語りかけると、聞いている人たちがみんな、「ああ、私に語ってくれてるんだ、私のことわかってくれてるんだ」って、そう思ったんですよ。
 これ、おっきいですね。実際には、百万人に語ったりしてるんですよ。でも、聞いてる人が、「この私に話しかけてくださってる。私のことわかってくれてるんだ。この迷ってる気持ち、寂しい気持ち、救いを求めて必死になってるこの気持ちをわかってくださってるんだ」、そう思った。
 で、実際わかってるんですよ、あの方は。
 ホントに「よき牧者」でした。そうして、集まった人たちに、「キリストに心を開いて、キリストを心に入れてくれ! 恐れるな!」と、一生懸命語りかけた。とってもカリスマチックでしたけれども、その語りかけに、私たちは、「ああ、この人は私をわかってくれている、この人について行こう」と思えたし、つまりは、みんな、この牧者の向こうに、イエスを見たんですよね。
 ・・・イエスは、この私をわかっている。この聖人を通して、みんなそう思えたのです。
 自分のことなんて誰もわかってないって、普通は、みんな思うんですよ。自分がこんなにつらい思いをしているのにとか、どうして人からこんなこと言われなければならないのかとか、結局私のことなんか、誰もわかってくれない。・・・普通、そう思ってる。
 しかし、そんな一匹一匹の迷える小羊たちに、羊飼いは声をかけます。一頭一頭の名前を呼んで。・・・わかってるからです、ぜんぶ。で、私たちは、「ああ、わかってくれてるんだ」と、そんな思い、そんな安心の中で、みんな一つの群れになっていく。
 皆さん、ほかならぬ、このイエスさまに、心を開いてください。
 羊たちは、やっぱり、一匹だけだと非常に危ないですね。野原に一匹だけいる羊、これは大変危ない。羊たちは、やっぱり「よい羊飼い」に心を開いて、ついて行かなきゃならない。そして、その門をくぐって、大勢の仲間たちと、すべてをわかってくださっている神に感謝し、礼拝する。・・・ミサはそのようなときですね。
 どうぞこのミサにおいて、イエスさまにすべてを打ち明け、どんな思いでも語ってください。「こんなこと誰にも言えない」っていうようなことでも、何でもどうぞ語ってください。
 「わかってるよ、わかってるよ」と、イエスさまは優しくほほ笑んでくださるでしょう。

 「一匹の羊」に、列聖式で出会ったお話をいたしましょう。
 列聖式の二日前に、私たち、アシジっていう所に寄りました。アシジの聖フランシスコの聖地ですね。ホントはアシジに泊まりたかったんですけどね、列聖式に来た百万人近い人たち、考えることは同じで、ホテル、どこも取れなかった。だから、別の町に泊まって、朝、バスでアシジに行って、昼にアシジでミサをして、そしてまたバスで夜、ローマに入る。翌日は準備の日で、翌々日に列聖式と。まあ、そういう日程で、アシジに入りました。 
 ですから、すごい人だったんですよ。ガイドさんが、「こんなにアシジが混んでるの、見たことない」って。もう、通りもいっぱいでね。聖フランシスコの聖堂に入るのが、もう大行列。
 私たちは当初、フランシスコ聖堂(※5)でミサをする予定だったんですけれど、ポーランドのグループのミサでいっぱいで、予約が取れなかった。で、聖キアラ教会(※6)で、ミサをいたしました。フランシスコがイエスから呼びかけられた、あの、サンダミアーノの十字架が掛かっている所です。(※7) ぜひ、アシジに行かれたら、聖キアラ教会の十字架の前でお祈りしたらいいと思いますよ。
 アシジのその人ごみの中で、威力を発揮したのが、持ってった旗ですね。(※8) あの旗は便利です。旗って目立ちますからね、特に、日本の旗はよく目立ちます。先頭が持っていれば、「ここだよ〜!」っていうことですし、「ここに集まれ!」っていうことですし、他の人たちに対しても、「私たちもきたぞ!」っていう意思表示でもありますね。
 人ごみの中、その旗を目印に、みんなで一緒にアシジの街を巡礼いたしましたけれども、最後に、聖フランシスコ教会を巡礼して、聖堂から出てきて、バスに乗ってローマに行くっていうときに、下の広場で待ってたんですよ、みんなを。最後、ちょっとだけ自由時間があってみんなバラバラになってたんで、時間になったらこの旗のもとに集まれっていうことで、旗立てて待っておりました。
 そこに、ひとりの見知らぬ日本人の青年がやって来て、私のところに来て、頭下げて、「神父さま、祝福のお祈りをしてください」って言うんですよ。
 で、まあ、何十年も神父やってるからか、「目を見ればわかる」っていうの、ありますよね。大勢の人の目を見つめて相談聞いて、大勢の人の目を見つめて聖体をお授けしてきたからかもしれませんが、目を見れば、その人がわかる。
 ・・・皆さん、わかってんですよ、私、こうやって見てるだけで。(笑)「ああ、だいぶ元気になったな」とかね、「また、とらわれてるな」とか。
 その青年を見て、まず思ったことは、「この人は苦しみの中で、真剣に道を求めてきた人だ。そして今、その道を見つけて一生懸命歩んでいる巡礼の仲間だ」。
 だから私、その青年に祝福を与えて、申し上げました、「安心してください。神さまがあなたを選んで、導いています。時々、悪霊が耳元でいろいろささやくけれども、耳を傾けちゃいけない。その悪霊は必ずこう言う、『お前はだめだ。お前はこの道を歩んでいけない。お前には無理だ』。しかし、恐れちゃいけない。ひたすら、自分は召されている、選ばれていると信じて、歩んでいきなさい」と。

 彼は目を潤ませて祝福を受けてくれました。
 その後いろいろ話を聞くことになるわけですが、彼は日本でず〜っと迷える小羊だったわけですよ。苦しんでいたし、生きる意味を探して、道を求めていた。で、2000年の大聖年、「聖年の門」が開かれるっていうニュースが流れた。(※9) バチカンのサンピエトロ大聖堂の「聖年の門」が、25年とか50年、100年に一度開かれるっていうニュース。
 彼はそれを聞いて、「わたしも門から入りたい。その門の中に、私が求めているものがあるんじゃないか。そう思って、カトリック教会の門を叩いた」って言うんですよ。
 千年に一度の大聖年の門を開いたのは、まさに、あの時、聖ヨハネ・パウロ2世教皇でしたけれども、その教皇が開いた門をくぐりたいと思ったと。
 彼は教会に通い、洗礼を受け、その後「イエスの小さい兄弟会」という、小さな、日本ではとても小さなグループですけれども、修道会に入りました。(※10)
 この修道会は、シャール・ド・フーコーっていう、砂漠の聖者のもとに集まった小さな兄弟たちが元になっている、ホントに清貧な兄弟会です。人々と共に働いてね、人々の中で祈り続ける。特に、小さい人、見捨てられた人、みんなに顧みられない人、そういう人たちによりそって、共にあろうとする、そういう、今の時代にあって、それこそ、今の教皇フランシスコが最も大切にしている霊性を実際に生きている仲間たち。
 その彼も、ホントに弱い人、助けを求めてる人のために何かしたいっていう熱い思いが溢れている、そういう青年で、この兄弟会で今、修練中って言ってました。で、アシジの隣町に、その修練のコミュニティーがあって、全世界から若者たちが集まって、そこで一緒に研修をしていると。
 で、彼はインターネットなんかで、晴佐久神父の説教とかも読んでいて、ホームページを見ていると、今回の列聖式巡礼ツアーの旅行日程が載ってたんですよね。で、細かい字を拡大して見たら、「アシジに来る」ってあった(※11)
 そこで彼は、「どうしてもこの神父に会いたい!」と思い立ち、その日の朝、アシジまで自転車で出かけて、朝からず〜っと、日本人のグループを探してた。フランシスコ大聖堂でミサって書いてあったけど、確認すると今日は日本人のミサはないと言われ、でも、ここに寄らないはずはないから、フランシスコ大聖堂の出口の広場で待ってれば、どんなに混んでても、必ず通るはずだって信じて、ず〜っと待ってた。
 夕方近くまで、何時間もそこで待っていて、「おかげで、こんなに日焼けしちゃいました」って言ってましたけど、まっ黒になってるんですよ。(笑)そして、いよいよ、「どうしたんだろう、もう来ないんだろうか・・・」と思ったそのとき、日の丸が、パタパタ、パタパタと。(笑)
 その日の丸の所に行ったら、私がいたので、本当にうれしくて、「祝福のお祈りを」。

 私、その熱い思いに、感銘を受けました。・・・だって、イエスさまに招かれた人じゃないですか。今日の福音でいうなら、まさに「よき牧者」に招かれて、そして、まさにイエスという門を、大聖年にくぐった人なんですよ。イエスさま、こうして、一人ひとりのことを全部わかっていて、導いておられるんだな、と。
 彼の人生を導いている「よき牧者」の熱い思いっていうのは、ホントに尊い。私、「友だちになりましょう」って言って、今年準備している、「心の癒やしを求めている青少年のためのキャンプ」の話をしたら、とっても共感してくれて、日本に帰ったら、ぜひ手伝いたいなんて言ってくれました。
 で、「これでサヨナラじゃ寂しいね」って話になり、「一緒に列聖式、行きましょう」って誘い、結局、列聖式に一緒に参加したんです。ローマで食事をごちそうして、もちろん泊まる所はないから、私の部屋に泊めて、朝2時半に一緒に起きて、で、なんと彼は、「私が持ちます!」と言って、日の丸持って先頭に立って、ず〜っと9時間。
 あれ、なかなか大変なんですよ、手を高く上げてね、日の丸をこう、持ち続けるのって。でも、彼は、休まず旗持ちをしてくれて、疲れ果てたわれわれ巡礼団を元気に先導してくれて、なんか、いつの間にか、彼が「よき牧者」となって、(笑)われわれが、とぼとぼ一生懸命ついて行くって感じでしたけど、ともかく、ああ、いい出会いがあった、いい友達ができたっていう、うれしい出来事でした。
 彼がね、道々言っておりましたけど、自分はホントに迷ってきたし、つらい思いもしてきたけれど、今は救いの道を見つけて歩んでいる。この福音を、苦しんでいる人みんなに告げたいんだ、と。
 こういう熱い思いっていうのは、そのまま、イエスさまの思いです。
 イエスさまは、今、ここで、働いておられます。一人ひとりを見つめて、ちゃんと導いておられます。皆さんが、今日、この囲いの中にいるのも、イエスさまが導いてくれたからじゃないですか。もう安心なんですよ。
 イエスさまは働いています。どれほど私たちが弱く、貧しい羊であっても、イエスさまのみ元にいれば、もう安心です。
 だから私たちもまた、彼のように「よい羊飼い」になろうじゃないですか。私たちも、「門」になろうじゃないですか。

 彼が多摩教会を訪れたら、紹介しますね。
 ひとりのキリスト者を通して、どれだけたくさんの人が救われることか。


【 参照 】

※1:「伊香保グリーン牧場」と「シープドッグショー」
(参考)
・「伊香保グリーン牧場」
ホームページ: 伊香保グリーン牧場 (http://www.greenbokujo.co.jp/
住所: 〒377-0027 群馬県渋川市金井2844-1 (Googleマップ
地図: 下の画像をクリックすると、「伊香保グリーン牧場」ホームページの「交通のご案内」ページが開き、詳細をご覧いただくことができます。
アクセス(「伊香保グリーン牧場」HPより)
・「シープドッグショー」
「伊香保グリーン牧場」のホームページ内に、「シープドッグショー」のご案内があります。
 >>> 「シープドッグショー
【開催時間】
  (平日:11:00〜/13:00〜)(土・日・祝日: 10:00〜/11:30〜/13:30〜/15:00〜)
  【料金】 おひとり:300円
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※2:「第2朗読の言葉を味わってほしい」
本日(2014年5月11日<復活節第4主日>)の第2朗読箇所
 使徒ペトロの手紙2章20b〜25節
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※3:「よい牧者の主日」
 復活節第4主日は、「よい牧者の主日」または「よい羊飼いの主日」といわれ、A、B、C年すべて、ヨハネ福音書10章から朗読箇所となっている。(A年=10章1〜10節、B年=10章11〜18節、C年=10章27〜30節)。
 また、羊を呼び、導いていく羊飼いと、羊飼いの声を聞き分け、従っていく羊の関係から、この日は「世界召命祈願の日」ともされている。
(参考)
・ 『聖書と典礼』表紙絵解説〈2014年5月11日「復活節第4主日」〉(「オリエンス宗教研究所」)
・ 教会カレンダー〈B年 復活節第4主日〉(「Laudate」)
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※4:「先月、列聖式に参りましたけれども」
・ 「列聖式」
 2014年4月27日(神のいつくしみの主日)にバチカンで行われた、ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世の列聖式。
 先週(5月4日)の説教でも触れているので、よろしければお読みください。
 ・ 「聖霊に聴き従って」(「福音の村」2014/5/4説教)
   (【参照】※2で、説明や録画も掲載しております)
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※5:「フランシスコ聖堂」
・「サン・フランチェスコ聖堂」(聖フランシスコ大聖堂)
 (画像はクリックすると拡大表示されます。)
 サン・フランチェスコ聖堂
 アシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)(1182〜1226年)の功績をたたえるために建設されたといわれている。(1228年〜1253完成、後、何度も改修され、現在の姿となる)
 聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が、また下堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』が描かれている。(「ウィキペディア」より)
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※6:「聖キアラ教会」
・「聖クララ教会」(サンタ・キアラ<クララ>教会)
 (画像はクリックすると拡大表示されます。)
 聖キアラ教会(画像:Tetraktys
 聖女キアラ(クララ)(1194〜1253年)を記念する教会(聖堂)。
 聖女キアラ(クララ)は、聖フランシスコの愛弟子にあたる聖女。聖フランシスコへの忠誠で知られ、「もうひとりのフランシスコ」と呼ばれた。(「ウィキペディア」より)
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※7:「サン・ダミアーノの十字架像」
サン・ダミアーノの十字架像
 高さは2.1メートル、幅は1.3メートル。12世紀に、無名の美術家によって描かれた。
 イタリアのウンブリア地方にあるアシジの外れ、サン・ダミアーノの壊れかけた小さな聖堂の祭壇の上に掛かっていた。青年フランシスコがその聖堂に入った際、この十字架像のイエスから、三度、「フランシスコよ、行って、私の家を直しなさい。あなたも見てわかるとおり、私の家は壊れかかっている」との声を聞いた。
 この十字架像は、クララ会創立当初から、クララ会と共にあり、現在も、聖女キアラ(クララ)の教会に安置され、1958年からは巡礼者も近づけるように吊るされている。
(参考)
・ アッシジの聖フランチェスコ(アシジの聖ブランシスコ)について(「ガレッリア・アッシジ」より)
・ マイケル・グーナン著 2001『聖フランシスコに語りかけた十字架』サンパウロ出版 など
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※8:「持ってった旗」
 先週のお説教(「聖霊に聴き従って」)でも話された日の丸の旗。(【参照】※5の箇所)
 135×90センチを2枚、110×7センチを2枚を、地元で買ったポールにくくりつけて。
 (画像をクリックすると拡大表示されます。)
  Nostro papà-1
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※9:「大聖年」と「聖年の門」
 聖年とは、カトリック教会において、ローマに巡礼し、定められた条件に従って祈る信徒たちに、特別の赦し(免償)を与えるとした年である。
 教皇ボニファティウス8世が1300年を聖年と定めたのが始まり。2回目は1350年、3回目は1390年、4回目は1400年。以後、おおよそ25年ごとに聖年とされた。(ただし、1800年と1850年は聖年とされていない。)2000年は26回目の聖年に当たり、この節目の年を、「大聖年」と呼んで祝った。
 ローマの4つの大聖堂には、「聖なる門」と称する扉が聖堂の入り口傍らにあり、聖年の始めに開かれ、聖年の終わりに閉じられることいなっている。
 巡礼者は、この聖なる門をくぐって、大聖堂を訪問する。その時、イエスが「わたしは門である」(ヨハネ10:7)と言われたことを想起させる。
(参考)
・ 「キリスト降誕2000年の大聖年 –日本の教会の共通典礼に寄せて-」(カトリック中央協議会)
・ 「聖年」(ウィキペディア)
・ 「聖年(Holy Year, Jubilee Year)」(Laudate:「キリスト教マメ知識」より)
・ 「キリスト降誕2000年大聖年」(カトリックアクション同志会)
・ 「キリスト降誕200年大聖年『キリストは、きのうも、きょうも、永遠に世界の救い主である』
   〈1999年12月25日 主の降誕の祭日2000年大聖年開幕にあたって 大塚喜直司教(京都司教区)〉
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※10:「イエスの小さい兄弟会」
・「イエスの小さい兄弟会」-「イエスの・福音の小さい兄弟の家」
 ホームページ : 「イエスの・福音の小さい兄弟会」( http://goo.gl/nVQ3YU
 福者シャール(シャルル)・ド・フーコー(1858〜1916)が、アルジェリアのサハラ砂漠にあるオアシスで、1901年に始めた会。「自分の人生のすべてをもって福音を叫びたい」とうシャルルのメッセージを生きるために、志を同じくする人たちが集まった。現在、その小さい兄弟たち、小さい姉妹たち、在俗会などすべてを含めると、1万人くらいの人たちがいる。
 「やりたいのは、イエスをひたすら愛そうとすること、そして、救い主イエスの御業に少しでも参加するために、自分の人生の全てを捧げようと努めること」という。
 また、「一人残らず、どんな人とも、真の兄弟になりたい。それはイエスの兄弟になることと同じ」と、人々と労働を共にし、イエスのように、イエスと共に、小さく、「使われる側」として働き、祈る。(参考:ホームページ
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※11:「私の列聖式巡礼ツアーの旅行日程が載ってたんですよね」
・「福音の村」に2月14日から掲載した「列聖式のイタリア巡礼」のご案内
 >>>終了☆列聖式のイタリア巡礼11日間☆
 【旅程表】
 (画像は、クリックすると大きくなりますので、そちらをご参照ください。)
 旅程表
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2014年5月11日 (日) 録音/2014年5月17日掲載
Copyright(C) 晴佐久昌英