一緒に歩いていきませんか

2013年5月12日 主の昇天
・第1朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録1・1-11)
・第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ9・24-28、10・19-23)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ24・46-53)

【晴佐久神父様 説教】

 先週も、いい一週間でした。いいことがいっぱいあった。皆さんはどうでしたか? 教会って、ホントにいい所ですね。たくさん神さまの働きがあって、それを日々目の当たりにできて、それをこうして、皆さんと分かち合う。

 今週一番うれしかったこと。
 私のこのボサボサ頭ですけれど、これでも月に一度は切りに行ってるんですよ。しかも、もう15年来の、おつきあいのお店。
 15年前に隣の高幡教会にいましたでしょ。買い物に行くのが多摩センターだったんで、そこのお店に通ってた。その頃、そのお店にアシスタントの青年がひとりいて、まだハサミ持つ前の駆け出しで、頭洗ってもらいながら時々おしゃべりしてました。といっても顔も名前もよく覚えてないって感じでしたけど。
 その後高円寺教会に移り、6年たって多摩教会にきたら、やっぱり買い物とかは多摩センターなんですよね。だから、髪切ってもらうのも、「そうだ、またあの店に行ってみよう」って思って。で、行ってみたら、見慣れぬ店長さんが、ぼくの顔見るなり「いらっしゃいませ、晴佐久さま!」って言うんですよ。(笑)
 びっくりして、「なんで名前知ってるんですか?」って言ったら、「お忘れですか? 以前こちらに通っていただいていたときに、アシスタントをしておりました。今は店長です」って。あの青年だったんですよ。いや〜、出世したね〜。(笑)
 でも、覚えていてくれるってうれしいですよね、まあ、「晴佐久」っていう名前が珍しいっていうのもあるかもしれないですけど、顔見るなり「いらっしゃいませ、晴佐久さま!」ですから。行かなくなって6年もたって、もう二度と来るか来ないか、わかんないじゃないですか。よく覚えてくれてましたよ。銀座のホステスさんなら別ですけど。(笑)
 まあ、うれしかったし、それからまた毎月そこでね、この髪をチョンチョンと、切ってもらってるわけです。

 で、以前はね、神父だなんて言うとめんどくさいから、「物書きみたいなもんです」とかって隠してたんですけど、いろいろしゃべってると、だんだんバレるんですよね。
 「この前もウチに島のキャンプの仲間が集まって、パーティーやったんです」
 「何人くらい集まったんですか?」
 「30人くらいかな」(笑)
 「ずいぶん、広いおうちですねえ」とか、
 「駐車場あるんですか?」
 「ええ、2、30台はとめられますよ」とか。(笑)
 そのうち、そこのアシスタントの青年が教会に来たりするようにもなり、やがて店長にもバレちゃいました。まあでも、教会の話をするのは楽しいし、店長にも「一度来てくださいよ」とかってね、堂々と誘えるようになって。
 まあでも、誘ってもね、忙しい店長さんがハイハイって教会に来るわけないですし、なかなかいいきっかけがなかったんですけど、いつもさりげなく信仰の話や人生の話してるうちに、だんだん興味を示してきたんで、私、作戦を立ててですね、その店に次々と教会の青年を送り込んだんですよ。(笑)散髪代は出すからあそこに行けってことで、もう今は4人、そこに通ってる。で、行くたびに、そいつらが、「教会来てくださいよ♪」(笑)
 ついにあるとき、店長の方から、「教会って、いつ行っても入れるんですか?」なんて言いだしたから、(キター!)って思ってですね、「いつでも入れますよ。どうぞいらしてください。でもせっかくだから、いつもお世話になってるみんなでお迎えしますよ」っていうことになった。そんなわけで、先週、ついに店長が来たんですよ、多摩教会に。
 店に送り込んだ4人はもちろん、他の仲間も含めて、教会前のオアシス広場で炭火焼でお肉を焼いて、みんなで歓迎したんです。厚〜いステーキ肉を奮発したんですけど、ステーキ肉って、網の上じゃナイフで切れないでしょ? それでキッチンばさみで切ろうとしたら、店長が、「あっ、私やりましょう」って、切ってくれたんですけど、まあ、ハサミさばきのうまいこと!(笑)なにせ、毎日持ってるからね。
 まあ、彼も楽しんでくれたし、「またぜひ来たいです」って言ってくれました。うれしい夜でした。大切な友人が教会に初めて来てくれるって、本当にうれしい。

 そのとき店長に、聖堂の中案内したんですけど、不思議そ〜に、いろいろ見て、で、あのステンドグラスを見て、「あの一番上の丸の中にいる3人は誰ですか?」って聞くんですよ。言うまでもなく、父と子と聖霊、三位一体のステンドグラスですけど、これまた(キター!)と思ってですね、もうここぞとばかりに、このチャンスを逃すものかって、今から3分間で、三位一体の神秘を、初めて聞くこの人に、どう自分は上手に伝えられるだろうかって、なんか一本勝負みたいなことをしました。
 神さまの愛、その愛を受ける神の子、神の親心である聖霊。その父と子と聖霊の愛の交わりの中に私たちは生まれてきて、その愛に生かされていて、その愛の交わりに向かって生きている。愛するものと、愛されるものと、愛そのもの。それはひとつのことであり、すべての根源にそれがある。こんな神秘ないですよ、キリスト教の本質。こんな喜びないですよ、私たち人類の本質。これを「三位一体」っていうんですけど、いうなればあの円の中から生まれて、あの円の中に向かって、私たちは存在してるんです。・・・とか、そういう話をした。
 ちょうど、このステンドグラスの右側に「復活の主」がおられますけど、これは「昇天の主」でもあるんですね。天に昇っていくイエスです。で、そのイエスが、じっと見つめているのが、あの丸の中なんですね。今度ゆっくりご覧になってください。

 今日は昇天の主日ですが、父と子と聖霊の交わりである天に私たちを連れて行くっていうのが、イエスの使命です。それこそがイエスのもたらす救いです。私たちが向かうべき、あの父と子と聖霊の交わりは確かにあるし、そこに向かって私たちはこの世に生まれてきたし、そこに向かって歩んでいる仲間が、この教会の仲間。
 つまり、われわれには目的地があるんですよ。この「目的地がある」っていうのが、人生にとってどれだけありがたく、うれしいことかってわかりますか? どこ行くんだかわからない、荒れ野をさまよっている人生じゃない。そういう人、大勢いますよ、実際には。でも私たちは違う。目的地があるんです。
 それは、やがてはどこで暮らしたいとか、どこのホームに入るとか、いずれ死んで火葬場とか、そんなものは、真の目的地じゃない。ただの「途中の」出来事であって、私たちの本当の目的地は、あの父と子と聖霊の交わりです。神さまの世界。究極の平和が満ち満ちている喜びの世界。ホンットにそれがあるんですよ。そこに私たちは向かって、今日一日、また一日って歩んでいるんです。なんてうれしい旅でしょうか。
 さっきの第2朗読、ヘブライ人への手紙に「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」(ヘブライ10:22)って、最後の所にありました。
 「信頼しきって」「真心から神に近づこうではありませんか」。・・・そうなんです。私たちは近づいていくんです、神に。また一歩、また一歩。
 「約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」(ヘブライ10:23)って、朗読では結ばれましたけど、「真実な方」、その方が約束してくださった。私たちはそれを「信頼しきって」一歩一歩近づきますし、「公に言い表した希望」、これを「しっかり保ちましょう」。
 私は店長さんに、その「希望」を語りましたよ。私はそれを信じて歩んでいます、と。
 イエスを信じるキリスト者は、そういう「希望」に支えられて生きているわけです。今週もここでご葬儀ありましたけれど、確かに、悲しいご葬儀のようではあるけれど、死は目的地ではないんだっていうことを、私たちは知ってるわけですから、希望がある。死は目的地に入る「門」にすぎないんですから。
 もしもご葬儀で、愛する人がもう死んじゃったからって、悲しみと、喪失感と、これからどうなっていくんだろうという恐れだけに心が閉ざされているとするなら、この「希望」をぜひ伝えてあげたい。それは、終わりではない、目的地への入り口だっていうこと。入り口ならば、その先があるんです。
 父と子と聖霊の交わりに向かって生きる私たちは、今日も、揺るがぬ希望を宣言いたします。ぜひ、そういう「向かっていく人生」っていうものを、みんなと分かち合っていただきたい。

 今日から新たに中高生会が始まりますけど、特に若い人たちに、この「向かっていく」という思いを、ちゃんと持ってほしい。
 先週、私、中高生を接待したんですよ。最近、中高生、教会で見かけなくなりましたよね。どの教会もそうです。まあ、とは言ってもこの教会なんかは、まだまだ生き残っている方なんですけどね。
 でも、中高生会をやるほどは集まらない。ほんとは毎週やりたいんですけど、なかなか集まってくれないなあっていうのが、ここ1、2年だったから、先日の堅信式をきっかけにしてテコ入れすることにしました。堅信式の勉強会で、中高生が結構教会に出てきたでしょ? お互いに、少し横のつながりもできてきたんですよ。これ、堅信式終わったら、みんなまたバラバラじゃあもったいないんで、よし、じゃあここでカンフル剤だと。
 ほら、あれと一緒ですよ。「アベノなんちゃら」っていう経済テコ入れ。(笑)ここでドーーッと力を入れて一気に浮揚させようと。こういうのって、半端にチビチビやってたら、飲み込まれちゃうから、ドカッとやると、効果がドンッと出ると。
 まあ、「アベノなんちゃら」なんていうのは、浮揚してもいずれまたドンッと落ちるわけで・・・。私がそんな予言をしたら、いろいろ期待に胸躍らせている方には申し訳ないですけれど。(笑)それと違って、中高生のつながりは、一生続くわけですから。
 じゃあ、中高生みたいな貴重な存在を、ドンッともてなすにはどうしたらいいか。一番いいのは、なんてったって、ディズニーランドです。(笑)これはもう、今まで、高円寺でも高幡でも、どこでも成功を収めてきた鉄則なんですよ。安全ですし、何といっても、あそこに行くって言うと、どこから出てきたのかっていうくらいワラワラと、中高生とかリーダーとか、みんな出てくるんですよ。(笑)
 ゴールデンウィークの最終日、先週の月曜日に、「ディズニーシーに無料ご招待、昼食付き」!・・・総勢18人出てきましたよ、(笑)リーダー含めてね。
 もちろん私の持ち出しではありますけれども、若い人たちのためにって、預かったりしている寄付もありますから、まあそれを使って接待ですよ。といっても、ディズニーランドのチケットって、結構高いんですよ。それ掛ける18ですよ、ランチまで付いて。
 しかも、みんながアトラクションに乗ってる間に、神父さまはポップコーンの列に並んで、(笑)みんなのポップコーンを買って、皆さんが出てきたら「さあ、どうぞ ^^」。まあ、なんて親切な!(笑)

 でも、そんなふうにすると、みんな知り合いになって、友達になって、また教会で会いたいなって思ってくれる。それが何よりうれしいから、そういうことをするわけですけれど、その「これから、毎週教会に集まろうよ」っていう、その第一回が、今日なんです。今日が、多摩教会中高生会の、新規巻き直し第一回。
 これで、もし誰も来なかったら・・・。(笑)それが、来てるんですよ。うれしいねえ。ほら今日、中高生が、あそこにもいる、ここにもいる。おっ!(振り返って侍者を見て)後ろにもいるぞ。(笑)みんな来てくれた。うれしいですねえ。そのうちまた来なくなったら、また連れて行きましょう。(笑)こうなったらもう、意地の世界です。(笑)
 なぜそこまでするか。別にディズニーランドがね、最終目的地なわけじゃない。あの夢と魔法の国の向こうに、本当の夢の国、決して消えない永遠の夢の国、いうなれば「神さまランド」が、ちゃ〜んと待ってるから、最終的にはそこにみんなを連れて行くために、ちょっと手前の遊園地をきっかけづくりに利用させていただきました、っていうことなんですよ。
 こんなこと言ったら、ホントに身も蓋もないですけど、何とかランドって言っても、たかが遊園地でしょう? 100年たったら廃墟かも。私が連れて行きたいのは、永遠に滅びることのない、究極の目的地です。
 中高生にもわかってもらいたいのは、「私たちは死に向かって生きてるんじゃない、滅びに向かって生きてるんじゃない、いつの日か消えてなくなるんじゃない。これから、仲間たちと共に、神さまの世界に向かって進んでいくんだ。私たちには、『目的地』がある。やがてそこで私たちは、最高の自分を知り、本当の仲間と出会い、ついにまことの親である天の父に出会って、生きるってこういうことだったんだ、今までの人生ってこのためにあったんだって知る」ってこと。その日に向かって、私はみんなを連れていきたいんですよ。そのためだったら、何でもしますよ。

 そこに向かう道を、さっきヘブライ人への手紙では「新しい生きた道」(ヘブライ10:20)って、そう言ってました。
 「イエスは、・・・新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです」(cf.ヘブライ10:20)
 「新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです」・・・その道を歩んでいきましょうよ。それは、この世の道じゃないですよ。この世の道は、やがてこの世に行き着く。で、それはやがて終わってしまう。
 ディズニーランドで、すごく楽しく過ごしました。でもやがて一日が終わり、閉園になるんですよ。夜になると。そしてみんな疲れた顔で、あの東京駅の長〜い通路を歩いて戻ってくるわけですよね。あの通路でみんな、頭のミッキーさんの耳を外すんです。(笑)
 実は私、今回、なんとか中高生にウケようと思って、生まれて初めて、ミッキーさんの耳を頭に付けて歩き回ったんですよ。(大笑)こっちもね、「やるならちゃんと!」っていう意地がある。(笑)ずっと付けてると、付けてること忘れちゃってて、トイレに入ったとき鏡見てギョッ!っとしましたけど。(大笑)これはもう、意地の世界です。
 だって、実は私は、ミッキーの耳付けて歩いてるんじゃないんです。イエスさまを付けて歩いてるんです。「私はイエスさまが大好きなんです。このイエスさまと共に神さまへの道を歩んでいます。私はその道を信じて歩んで、本当に幸せです。この新しい生きた道を、皆さんも一緒に歩いていきましょうよ。私は、皆さんをちゃんと『神さまランド』に連れて行く使命をいただいて、大きな恵みをいただいているから、みんなも、信じて一緒に歩いていきましょうよ」って言いたいんです。10代、20代には、特にそう言いたい。
 いや、30代、40代はもういいのかって、そういう話じゃないですよ。(笑)どうしてもって言うんなら行きましょうか? 皆さんの世代だと草津温泉かどっか。(大笑)どこでもいいですよ、一緒にこの道を歩んでくれるなら。
 最終目的地の、本当の神さまの世界、それを信じて歩んでいるなら、その途中で何があったってだいじょうぶなんです。それこそが、私たちの「道」でしょ? イエスが開いてくれた「生きた道」ですよ。歩いていきましょう。
 それをちゃんとみんなに伝えてくれっていうのが、今日のこの、昇天のイエスの命令ですよ。弟子たちはそれを守ってみんなに伝えたし、大喜びで絶えず神殿に集まって神をほめたたえていたんです。「新しい生きた道」を歩み始めたんです。イエスの教えの始まり、その広まりを、ワクワクしながら生き始めたわけですから。私たちも、それをやっていきましょう。
 皆さんの通っている、どこかのお店の店長を、誰か連れて来てくれませんかねえ。皆さんがたまたま出会った、本当にそういう希望を必要としている人を、誰か連れて来てくださいよ。
 この聖堂に連れて来て、ステンドグラスを見上げて、「この世の向こうに、神さまの世界が待ってるって、私は信じてるんです。一緒に歩いていきませんか?」って。

2013年5月12日 (日) 録音/2013年5月17日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英