【カトリック浅草教会】
2018年2月25日 四旬節第2主日
・ 第1朗読:創世記(創世記22・1-2、9a、10-13、15-18)
・ 第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・31b-34)
・ 福音朗読:マルコによる福音(マルコ9・2-10)
【晴佐久神父様 説教】
わたくし、昨日、ベトナムから帰ってまいりました。ニャーさん(※1)の初ミサに参加するために行ってまいりました。
初めてベトナムっていう所に行ったんですけども、ニャーさんの所はカントーっていう街で(※2)、北の首都ハノイを東京とするなら、商業の中心ホーチミンが大阪で、そのもうちょっと南です。メコン川のほとりにある大変自然の豊かな、まあ、私に言わせれば、ちょっともう天国みたいな所でありました。あったかくて、今、初夏の気候で、もう汗をかくくらい。そこでスマホを見てたら、「東京はみぞれ、マイナス何度」とかって出てて、ふふっていう感じでしたけれども。(笑)
今日も、ベトナムの留学生が何人も来てますけど、こんな寒い国へようこそ。(笑) まあ、そのくらいベトナムはあったかくて、食べ物もおいしいし、緑が豊かだし、そして何より、みんな優しい! 人情があるというかね。もちろん、世界中どこでもそうなんでしょうけど、特別に、そういう人の温かさとか、優しさとか、そう、何よりも、あの「助け合う」っていう感じ。あの感じが、今の日本はあまりにスカスカな感じになっちゃってるでしょ。あれに触れてこられただけでも、もうホントに、心がぽかぽか、身も心もぽかぽかですよ。
かつては日本もそういう感じだったんだろうけど、発展したはいいけれど、なんか、どうなっちゃったんだろうって感じでしょう? ベトナムも、そうなっちゃわないことを、心から願いました。ホントに人と人のつながりがあったかくって、「平等」を大切にする感覚があってね、互いに助け合って、支え合って、一緒に幸せになろうっていう、その感じが、ひしひしと伝わってきて。今の日本の、「自分さえよければ」っていう、「競争に勝てば」っていう、そんな感覚からしばらく離れて、なんだか心洗われたような、そういう感じで帰ってまいりました。
ニャーさんのふるさとは、そのカントーから、またさらに車で3、40分くらい行った所ですけど、緑豊かな川のほとりに、立派な教会が建ってるんです。まさにそこが、彼が洗礼を受けた教会で、彼は毎朝、ミサに通ってた。教会の近くなんですね、ご自宅が。で、また、その教会の中に小学校があるんですよ。教会の敷地内の小学校。そこで、彼は学んでた。だから、子どものころは、学校に行くにも、教会に行くにも、ぜんぶ、そこが彼の居場所っていうことだったんですね。そこで、ニャー少年は育ち、元気いっぱい遊んだり、学んだり、友達をつくったりしてたんでしょう。でも、彼は、あるとき召命を感じて、イエズス会に。
イエズス会は、ベトナムでは、大変尊敬されてるんですね。十数年も、司祭になるために修行しなきゃなりませんし(※3)、ホントに優秀な人でないと、イエズス会ではやっていけませんからね。そういう意味でも、ニャーさん、地元でも、とても有名で人気があるんですよ。日本で叙階したので、初ミサのために帰ってきたわけですけど、そこの信者さんたちからすれば、子どものころ、教会で一緒に教会学校をやっていた、一緒に遊んでいた、そんなかわいい「うちの教会の子」のひとりが、やがて立派なイエズス会司祭になって戻って来たっていう、とてもうれしい出来事なんですね。
だから、今回、彼が戻って来たっていうんで、ホントにもう、凱旋パレードに近いような雰囲気が満ち満ちていて、そんなみんなの様子にとても感激しました。結構大きな聖堂でね、千人くらい入るような聖堂がいっぱいでしたよ。ベトナムの司祭はもちろん、海外からも神父たちが40人くらい集まっていた。私、冗談で言ったんですよ、ニャーさんに。「また叙階式だね」って。二度目の叙階式みたいな感じ。でも、地元にしてみたら、叙階式は日本だったんで、みんな出られなかったわけだから、ほとんどそういう感覚なわけですね。
教会の代表の人がね、感極まった様子でごあいさつして、ニャーさんにお祝い品を渡したんですけど、その瞬間、パンッ!って大きな音がして、祭壇の周りの四カ所から、仕掛けてたあった吹き上げ花火がブォ~ッ!って噴き出すんですよ。(笑) これ、ベトナムでは普通なんですかね。結構みんな平気な顔してて、日本から来た神父だけ、ホントにびっくりして、うわぁっ! って、(笑) のけぞってましたけど。みんなが心から喜んでる、そのお祝いの気持ちが満ち満ちてました。
ニャーさん自身もね、・・・分かりますでしょ、なんたって、自分が洗礼を受けた教会ですよ。子どものころに毎日通っていた教会、みんなで遊んでいた教会、そして、神父さんがミサをしてる姿を、じっとね、時には侍者をしながら見つめていた、その祭壇で、ついに自分がミサをするわけです。これはね、司祭じゃないと、ちょっと分からない感覚かもしれませんけど、想像はできますでしょ。ふるさとの「出身教会」で、初ミサをする、その気持ち。やっぱり、特別な感動があるんです。・・・うれしいもんなんです。彼も、しきりに目を拭いてましたけど、まあ、そうでしょうねと思います。
ニャーさんのご自宅にも、伺いました。目の前を川が流れていて、ホントに天国みたいな所。自然に囲まれていてね。で、結構大家族でね、敷地内に娘婿とかの家もあったりしてね。・・・幸せですよ、あの暮らしは。大きな車が入る道は、目の前の川の対岸なんですね。30メートルくらいの川かな。その川向うに車が着くので、ニャーさんの家には小舟で渡るんですね。で、ニャーさんが、なが~い竿をあやつってね、ニコニコしながらスイスイと、みんなを渡してくれるんです。上手なもんですよ、子どものころからいっつもやってたわけだから。
教会の周りも川が流れているし、ニャーさんの家の前も川が流れていて、それが、きれいな川なんですよ。浮草がゆったり流れて、メコン川の支流ですね。・・・天国ですよ。そこで幸せな生活を、助け合って暮らしてたわけですよね。
ご両親にもお会いしたんですけど、ニャーさんのお父さん、お母さんの世代は、子どものころのベトナム戦争(※4)、知っておられるわけですね。どんなにひどい戦争だったかは、皆さんもご存じのはず。爆撃は主にハノイ、北の方でしたけれども、その苦難の時代を乗り越えて、今、発展しようとしているあの国の様子を見ていると、何がホントに一番幸せなのかっていうことを、つくづくと考えさせられました。東南アジアに行くと、いっつも同じ感覚になるんですけど、ベトナムではまた、特別にそれを感じました。豊かな自然と文化を持っているのに、単に経済発展だけして、日本みたいになっちゃわないでねっていう、ホントにそういう気持ちでしたね。
経済発展って何だったんでしょうね。新自由主義が世界を
でも、「じゃあどうするの?」ってときに、あのベトナムの様子を見ていると、あそこは社会主義ですしね、当然教会も相当厳しく扱われてるって現実はありますけど、でも、どんな苦難も吹き飛ばすような人情、助け合い、家族感があって、希望がある。・・・そうなんですよ、あの国は、いまだに「家族の感覚」っていう、真の幸せを生む力、現代の世界が求めている「答え」を、ちゃんと持ってるんですよね。あれは、ホントに大切にしてほしいと思う。
日本っていう国にね、ベトナムから、今日もこうして留学生が大勢集まって来ていますけど、日本語を学んで、仕事も学んで、やがてはベトナムに帰って行くわけでしょうが、今回ベトナムに行って、「日本の悪いところは、学ばないでね」って、心からそういう気持ちになりました。「ベトナムの良さを失わないでね」っていう気持ちになっちゃいましたよ。
でね、ニャーさんのご両親が、これがまた、あったか~い、優し~い、おとなし~い方なんですね。息子の活躍をホントに誇りにも思ってるでしょうし、喜んでもいることでしょう。でも、私も、年が近いってこともあって、その心中がわかるんです。自分もかつて、神父になったころは、お調子者ですから、いけいけドンドンって感じで頑張っていた、あの頃のことを思い出しますよ。そうすると、そんな息子を親がどう思って見ているかっていうのを、ついつい、親目線で見ちゃうんです。親としては、もちろんうれしいし、わが子を尊敬もしている反面、やっぱり、とっても心配してるはずですよね。「だいじょうぶだろうか。わが息子よ、いい気にならないでくれよ」みたいな。それを、ニャーさんのご両親が息子を見るまなざしの中に、ひしひしと感じちゃって、まあ、ニャーさんの喜びに共感すると同時に、そんな親の思いにも共感しちゃいました。
初ミサのお祝いなんかね、教会の広場に、おっきなね、それこそ何百人も入るような、鉄骨にトタン屋根の、壁のないイベント会場が建っていて、そこに披露宴みたいに立派なパーティーが準備してあって、ステージでは次々とね、教会のみんなが踊ったり歌ったりしている。そこを、ご両親が片時も座らずに、あれこれと世話して回って、来たお客さんたち一人ひとりにあいさつして、気を配って。まさに「親目線」っていうやつですね。
親にしてみたら、わが息子がホントにかわいいし、だれよりもその子のことを考えている。息子の幸せのためだったら何でもするだろうし、もしも、その子が大失敗したり、うまくいかなかったり、苦しんだりするならば、「だいじょうぶ、私たちがついているよ。いつでもここに帰っておいで」と、そういう気持ちなんだろうなって、優しそうなご両親の顔を見ながら思ってました。なにしろ私も司祭ですから、司祭の親の思いっていうものをよくよく知ってるんで、今回、同僚というよりは、親のまなざしでね、ニャーさんを見ておりました。
変容の箇所が読まれましたけど(※5)、雲の中から声がするんですね。
「これはわたしの愛する子、これに聞け」(マルコ9:7)
まあ、「親心」っていうことです。
「神が親で、われわれが子ども」っていう、まあ、キリスト教っていうのは、基本、そういう宗教ですけれども、「親が子どもをどう思っているか」っていう、この感覚っていうのは、やっぱり、子どもの方は分からないんですよね。分かってるつもりでも、ホントのホントは分かってない。「親の心子知らず」ですか、あるいは、「子を持って初めて知る親心」ですか。さらには、じゃあ、子どもを持てば親心が分かるかというと、「現実の自分の親」の気持ちは知らないはずです。本人しかわからないんだから、想像するしかない。この私をどれほど愛しているか、その愛ゆえに、どんなに自らを犠牲にして働いてきたか。そのリアル、その熱い親心っていうのを、ぼくらはやっぱり知らないんですよ。
この聖書の個所は、そんな親の心が、あふれ出してきたっていう所でしょ。
「これはわたしの愛する子」(ibid.)
イエスは、この世を生きている間、父なる神とまったく一致していたわけですけれども、だからこそ、正直に神に叫んだりもするわけでしょう。十字架上では、「神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(cf.マタイ27:46)とか言ってますよね。試練の中で、人々の苦しみをすべて自分の苦しみとして背負い、みんなの悩み、恐れ、罪、悪、すべてを引き受けて、「パパー! ぼくを見捨てるんですかー!」って。で、もちろん、パパのほうは見捨てるわけはないんで、「だいじょうぶだ、わたしはお前を見捨てない」って答えた、その答えが復活です。イエスを復活させ、この世界を復活させたわけです。つまり、子どもが親に「助けてー!」と言い、親は子に「わかってるよ!」と、ちゃんと救いのわざを行ってくれる。それが「復活」ってことです。
ご変容のとき、弟子たちはまだ、死者の中から復活するってどういうことかって、ぜんぜん分かっていません。でも、やがて復活体験した、その後は、もう分かってるんです。「親心」っていうのが絶対だ、完全だ、永遠だ、それに聞き従えば何の恐れもないんだ、この世で何があろうと何を失おうと、そんなことはもう、二の次、三の次、いや、五の次、十の次で、一番は、この「親心」なんだってこと。
この熱い親心が、この私に注がれているっていう、その実感によって、そして、復活の栄光が、ここに現れているっていう、その信仰によって、私たちは生きている。だから、愛されている実感さえあれば、もう十分なんだよと、この真の親心を受け入れて、子ども同士、愛し合って、助け合って、生きていこうよと、キリスト教は、そういう主張をしているわけですよね。
第2朗読で、パウロが、「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31b)って言ってますけど(※6)、おっしゃるとおりです。神が親なんだし、ここに「わたしたちの
そのちょっと前、15節あたりを見てくださいね(※7)。神の霊が私たちのうちに注がれていて、それで、私たちは神の子になった。その神の子にしてくれた霊が、ちゃんと、私たちは神の子だって
人を救ってくださるのは神です。その神の親心が、今日、これから行われる洗礼志願式で、洗礼を志願する方の上にちゃんと注がれるっていうことを、信じていただきたい。心からそう願います。
ご存じのとおり、先週、洗礼志願式は終わってるわけですが、今日これから、追加の洗礼志願式を行います。実は先週、ある事情で洗礼志願式に並べなかった方がお一人おられるんですね。だから、先週は、志願式の間、後ろの席で見守っているしかなかったんです。もう、絶望的な気持ちだったわけで、かわいそうに、先週、ポロポロ泣いていましたよね。
それで先週、相談して、「なんとかその事情を解決しよう。解決したら来週また、一人での洗礼志願式をやってあげる」って約束しました。幸い、入門講座のみんなの奉仕もあって、事情も解決したので、一週間遅れで志願式をやるというわけです。ずいぶん心配したんでしょうけど、安心して、受けてくださいね。そうして、これからも、人生において何かつらいことがあって、「もうだめだ」「もう無理だ」「もう終わった」なんて思って絶望しかけても、「あのときも、『もう終わりだ』みたいな気持ちだったのに、その後にちゃんと喜びがあったじゃないか」って、思い出していただきたいんですよ。ね、先週の日曜日の気持ちと、今の気持ちと、ぜんぜん違うでしょ。
教会家族、そう、ここに天国があるんです。
ベトナムの風土、おいしい食べ物、優しい人たち、それは素晴らしいものですけど、よく考えてみると、人間の暮らしとして、実はスタンダードなんですね。人間って、本来そういうものだし、たとえそれを失っても、再びそれをつくることができる。もし、この日本が、いま、心の中もみぞれ交じりみたいに冷えきっているんであれば、この教会の仲間だけは、あったか~い家族同然っていうような思いで、お互いを受け入れ合って、助け合いましょう。ひとりの神の子に、「だいじょうぶ、絶望することはない。また来週も、洗礼志願式やればいいんだから」・・・そう言ってくれる教会を、信頼してくださいね。教会は、親目線なんです。神さまからあふれくる親心の、目に見えるしるしです。
「私は神さまの親心の中で、神の子となって新たに生まれる。洗礼、それを受けたら、もう天国を生きていくんだ」と、そんな確信を持って、この志願式を受けていただきたい。
それでは、お名前をお呼びしましょう。先週は、洗礼志願式をただ見守るしかなくて、「はい」って言えなくってね、とてもつらかったわけですけれど、今日は、「神さまから呼ばれた」、そう信じて、元気よく、「はい!」と答えていただきたいと思います。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)
※1:「ニャーさん」
◎ヨセフ・グエン・タン・ニャー(Joseph Nguyen Thanh Nha)神父
ベトナム出身。イエズス会の修道司祭。
2017年3月4日に助祭に叙階されたのち、9月23日の司祭叙階までの半年間、浅草、上野の両教会に奉仕しておられた。
(参考)
・ 「天の鼓動の最初の一打ち」(「福音の村」2017/3/12説教 最初の段落>この辺~)
・ 「一人ひとりに目をとめて」(「福音の村」2017/3/26説教 最初の段落>この辺~)
・ 「ああ、かたじけない」(「福音の村」2017/9/24説教 最初の段落>この辺~)
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※2:「ニャーさんの所はカントーっていう街で」
◎カントー
カントー市。ベトナム南部のメコンデルタ(ベトナムの一地方。メコン川下流の三角州の場所)最大の都市。人口はおよそ120万人。ホーチミン市の西、約160キロに位置する。熱帯モンスーン気候帯で、年間平均気温は摂氏27度。お米の産地として有名で、ベトナム全土の約半分の生産量を占める。年間を通して、雨季と乾季に分かれ、ハイシーズンの、乾季に当たる12月から4月(5月)は、国内外から多くの旅行者が訪れる。
農村地帯へのグリーン・ツアーは有名で、水上マーケットや農村地帯の水路をめぐるボートツアー、果樹園のある庭園が人気。
(下の地図は、おおよその位置を示した地図と、Googleマップにリンクを張ったものです)
(参照)
・ 「カントー」(ウィキペディア)
・ 「カントー」2015/1/29(VIETNAM navi)
・ 「メコンデルタの大都市「カントー」の町を紹介」2015/10/7(ベトナム最新情報ブログ)
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※3:「十数年も、司祭になるために修行しなきゃなりませんし」 (既出)
イエズス会においては、イエズス会への入会が認められると、人によって若干の長短はあるが、修練期(2年)→哲学期(2~3年)→中間期(1~2年)→神学期(4年)→司祭叙階の順を追うことになる。また、司祭叙階後も、第三修練から最終誓願へと養成されていく。
(参考)
・ 「イエズス会の養成」(イエズス会)
以前にも、もう少しご紹介しました。ご興味のある方は、以下をご覧になってみてください。
・ 「イエズス会ですから、最低でも11、2年かかるんですよ、叙階までに」(「ああ、かたじけない」:「福音の村」2017/9/24説教、参照※8)
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※4:「ベトナム戦争」
◎ベトナム戦争 (1960年12月~1975年4月30日)
1960~1970年代にかけて、インドシナ半島の独立と統一を巡って起きた戦争。
南北に分断されたベトナム両政権に、アメリカ・ソ連がそれぞれ介入して大規模な代理戦争に発展。戦争は長期化し、ゲリラ戦となり、民間人、子どもまでも巻き込んだ。すぐに勝利すると踏んでいたアメリカだが、なかなか勝利をあげられないまま、内外の反発は増していき、経済的負担も重くのしかかった。そのため、アメリカは、戦争を続けることができなくなっていった。
1973年1月、ベトナム和平協定が成立。アメリカ軍は、その二カ月後、撤収を完了した。
75年4月30日、北ベトナムによって、南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)が接収されたことにより(サイゴン陥落)、ベトナム戦争は終戦。
翌76年、ベトナムは北ベトナムによって統一され、現在のベトナム社会主義共和国となった。
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※5:「変容の箇所が読まれましたけど」
この日、2018年2月25日(四旬節第2主日)の福音朗読箇所より。
マルコによる福音(マルコによる福音書)9章2~10節
〈小見出し:「イエスの姿が変わる」9章2~13節から抜粋〉
===(聖書参考個所)===
イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 (中略) ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。 (マルコ9:2-7/中略は9:5/赤字引用者)
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※6:「第2朗読で、パウロが、「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31b)って言ってますけど」
この日、2018年2月25日(四旬節第2主日)の第2朗読箇所より。
使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマの信徒への手紙)8章31b~34節
〈小見出し:「神の愛」8章31~39節から抜粋〉
===(聖書参考個所)===
〔皆さん、〕もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 (ローマ8:31b-32/赤字引用者)
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※7:「そのちょっと前、15節あたりを見てくださいね」
===(聖書参考個所)===
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。 (ローマ8:14-16/赤字引用者)
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