2014年11月9日「ラテラン教会の献堂」
・第1朗読:エゼキエルの預言(エゼキエル47・1-2、8-9、12)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント3・9c-11、16-17)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ2・13-22)
【晴佐久神父様 説教】
昨日の流血騒ぎですね。練習中に、他の選手とぶつかって転倒して、
もちろん、常識で考えたら、そんなけがをしているのに滑らせるなんておかしいわけで、現に批判の声もありますが、それは置いておいて、私の耳に残ったひと言があります。リポーターが、けがの直後にバックヤードに戻った羽生結弦と、コーチが話し合っている声を聞いてるんですね。
そのとき、コーチは「棄権しろ」と言っているのに、本人は「死んでも滑る」、そう言ったと。
・・・らしいな、と思いました。たぶん、選択としては正しくないんでしょう。しかし、彼はですね、「死んでも滑る」と。結弦くんならそう言うだろうなと思う。じゃあ、あそこで滑らずにいて、それが真の幸せかというと、彼の中ではそうじゃないんですよ。「自分には死んでもなすべきことがある」と、そう言ってるわけですから。
・・・まあ、こうなるともはや「信仰」の領域ですね。
善しあしは別にして、私はそのひと言、ドキッと心に残りました。私たちは、正しいことは言っていても、果たして「死んでも」と言えるものを持っているのか。実際に「死んでも」と言ったことがあるのかと、問われたような気になった。
だって、キリスト者は「死んでも信じる」という存在ですからねえ。死んでも神の愛を信じ、死んでもキリストの救いを信じ、死んでも教会に働く聖なる霊を信じて、死んでもこの私は永遠に生きるって信じる、そこは譲れないわけで、まあ、その意味では「霊的アスリート」なんですよね。
ちょっと、ああいうカッコいいアスリートに刺激されてですね、われわれも、のんべんだらりと、ただ時間潰しのような人生を生きるんじゃなくて、「死んでも!」っていえるような特別な信仰を持っていたいって、憧れようじゃありませんか。
パウロが、「知らないのか、あなたがたは聖霊の神殿なんだ」って言う(cf.一コリ3:16)(※2)。
パウロにしてみたら、自分がそうだし、キリスト者はみんなそうであるはずなのに、みんなそれに気が付いていない。だから、「私は死んでもこの神殿を守る」みたいな、そういう思いを、あなたたちキリスト者は持っていてほしいっていう切なる熱い思いが、パウロのうちにあるんでしょう。
「神の霊が宿っている私、それは、この世界で最も聖なる場所。神と人が出会い、人と人がつながる現場。・・・聖なる神殿、それがこの『私』なんだ。私と会う人は、この『神殿』に会っている、すなわち、神に会ってるんだ。私が関わる現場は、この神殿が関わっている現場だ。そこで人と人が結ばれるんだ。そのような神殿として、私はここに遣わされているんだ」
・・・いつでもどこでも、それくらいの誇りを持っていたくはないですか?
それが実際にできるかどうかは別ですよ。別だけれども、そういう憧れくらいは持っててもいいじゃないですか。私は持ってるつもりですよ。憧れるばっかりで、なかなか、その現実は伴わないけれども、しかし、「血を流して倒れても、死んでも滑る」、まあ、そういう、・・・何ていうんでしょうね、そう、「意地」、それくらいの「意地」は必要ですよ。・・・あの子、意地っ張りだもんね。
私も、妙に妥協するところと、妙に意地張るところと、バランス悪いんですが、ここで意地張らなきゃならないってときは、意地張りたいなあと、いつもそう思うわけですよ。
ひどい時代になってきましたね、だんだん、だんだん。神さまは何をお考えなのか。
しかし、私たちは、「この」ひどい世界に遣わされている聖霊の神殿。諦めることなく、意地を張り続けようじゃないですか。
今朝もテレビでやってましたけど、今日11月9日、何の日かご存じですか?
ベルリンの壁が壊れて25年。・・・25周年。
1989年の11月9日に、ベルリンの壁の検問所が開かれて、どんどんと人々が行き交うようになりました。で、翌年90年の10月には、もう東西ドイツは統一しちゃったんですね。1年たたないうちに。「壁が壊れる」っていうのはそういうことかって、まあ、非常に印象的でした。
余談ですけど、私、この「ベルリンの壁が壊れる」で、思い出すことがあるんです。というのは、明けて90年の1月1日の、「聖書と典礼」(※3)にですね、最後のページにコラムがあるでしょ、エッセイみたいな。そこに原稿を頼まれたんですよ。まだ神父になって、2、3年目でしたけどね。
90年の1月1日ってことで、新しい10年代でしょ、なんかこう、暗い世の中だけど、明るいこと書こうと思って、「大予言」っていうタイトルの原稿を書いたんです。「この新しい時代、世界はこうなっていくぞ」っていうようなことを、こう目指していこうよ、みたいな思いを込めてね。
で、原稿を書くのは、これはもう、印刷もありますし、配達もありますし、典礼の準備のために早めに配られるので、確か3カ月くらい前なんですよね。だから、1月1日の原稿は、もう、9月だか、10月ごろに書いてるんです。で、そこにですね、「東西ドイツは一つになるだろう」って書いたんですよ。
そんなのはもう、夢物語だったんです。あの頃はそうでした。若い人たちは分からないでしょうけど、年配の皆さん、そうでしたよね、ベルリンの壁が崩壊するなんて想像もつかなかった。東西冷戦が終結しちゃうなんて、ゆめゆめ思わなかった。ソ連とアメリカは、未来永劫、宇宙戦争になるまで戦い続けていると、まあ、そう思ってたわけですが、実際には、その直後にベルリンの壁が壊されて、まさに1990年、東西ドイツは一つになっちゃった。
あの頃よく、「晴佐久の大予言」とか、(笑)言われていたものですが、私としては、あり得なくてもね、思い描くことはできるだろう、と。そこに「アパルトヘイト(※4)が廃止される」とも書きました。これは翌年、1991年に廃止が宣言された。
私たちは、よい世界を、神の国を思い描くことができる。
憧れて、意地張って、諦めずに語り続ける、そういう使命もある。
このベルリンの壁が壊れて25周年の二日前でしたか、ベルリンで村上春樹(※5)がスピーチしたんです。
「ウェルト賞(※6)」っていう、ドイツの文学賞を受賞したんですね。まあ、今回のノーベル賞はもらえなかったけど、それに次ぐような賞ということで、彼の人気を物語るわけですが、わざわざベルリンの壁が壊れる記念日の前に、ベルリンで受賞記念スピーチをしました。これ、私が購読している新聞では、一面に載ってましたよ。
おおよそ、こんなような内容でした。
「ベルリンの壁は壊れたけれども、いまだに、私たちの中には壁がある。
民族の壁、宗教の壁、原理主義の壁、不寛容の壁」
そういうような言い方をしていました。現実に存在する、壁がある。私たちの中に。
「しかし、私たちはその壁を越えていくことができる。文学者はそれをイメージして、文学作品で、その壁を越えていく自由なる物語を描く。あのジョン・レノンが歌ったように、私たちにはイメージする力がある」。
・・・「イマジン」のことでしょうね。
「イメージする力がある。その力を信じよう。そういう力は、私たちが、そのような憧れを持って、歌い続け、語り続けるときに現れる」。
そういう内容のスピーチでした。
美しいスピーチだと思います。確かに、われわれの中に、「民族」「宗教の壁」「原理主義」「不寛容の壁」っていうものがあって、でも、そこで私たちがその壁に負けちゃうだけじゃなくって、ちょっと「意地張って」ですね、それを超えていくイメージを持って歌い続け、語り続けるとき、この壁に打ち勝つ力が現れる。
特にキリスト者なんていうのは、そこだけは譲らずに、そういうことを歌い続け、語り続ける使命というか、喜びというか、・・・何でしょう、いわば「特権意識」みたいなね、そんなものすら持って、憧れ続けようじゃないですか。
何も民族、宗教まで持ち出さなくても、すぐ隣りの人とだって、不寛容の壁を、日々われわれは経験しているわけですから、そういう意味では、ちょっとこう、「死んでも、憧れる!」っていうような意地を張りたいな〜って思いませんか?
イエスさまが、神殿の宮清め(※7)をしてくださいましたけれども、当時の神殿はまさに、「民族の壁」「宗教の壁」「原理主義の壁」「不寛容の壁」で、もう、がんじがらめだったんです。で、
「こんなものは、ここから運び出せ!」(cf.ヨハネ2:16)と。
「これはもはや神殿ではない。神の愛の現れる聖なる場所、すべての人が救われる神の家、あらゆる原理主義を超えていく普遍主義のシンボル、互いにゆるし合い、受け入れ合い、皆が一つになる、究極の寛容が捧げられる所、それこそが神殿だろう」
イエスにしちゃあ、そう思うわけで、「神と人を遠ざけるようなものは、ここから運び出せ」と、そう言って彼は、
「わたしは、3日で本当の神殿を打ち建ててみせる」(cf.ヨハネ2:19)、
そう宣言した。
そうして確かに、十字架の死からたった3日で、神はこの世で、もはや消えることのない最高の神殿を打ち建てたし、
「今やキリスト者である皆さんがその神殿なんですよ」と、
「建物の話じゃなく、皆さんの心が、魂が、それほどに美しい神殿なんですよ」と、
「神と人を遠ざけるもので汚さないようにしましょうよ」と、
そう言われている。
・・・これは意地の張りどころじゃないですか?
昨日、この聖堂で結婚式をあげた方が、このミサに来られていますけれども、私はその結婚式で、「互いに赦し合い、不寛容を超えていけ」という説教をしましたよね。
このお二人、偉いんですよ。自分たちで福音書の箇所を選んだんですけど、選んだ箇所が、罪の女が涙でイエスの足をぬらして、髪の毛で拭いて、香油を塗って
「何を言ってるんだ。この人は本当に神の赦しに
と、そう言い放った箇所ですよね。(ルカ7:36-50「罪深い女を赦す」)
結婚式に、ここを選ぶんですよ。よほどの覚悟ですね。(笑) だって、ねえ、本当に赦し合うこと、寛容であること、それをやっぱり、自分たちの出発点にしたいってことでしょうから。
だから私、昨日のその説教でですね、
「愛し合いましょうってよく言うし、もちろん『愛する』って大事ですけれども、『愛』ってこう、なにか積極的に相手にいいことをするっていう能動的なイメージがあるでしょ。でも、本当の愛っていうのは、たぶん、何かされても『受容する』『仕返ししない』『赦す』、そういう、こう、受け身の方に、発揮されるんじゃないですかねえ。たぶん本当の愛っていうのは、なんか、非常にこう、・・・忍耐のいることなんですよ。『真に良いものに憧れて、あきらめずに、張り続ける意地』みたいなものが必要。私たち、簡単にあきらめちゃいますし、身勝手な思いに負けて争い合っちゃいますから。お互いに、相手のど〜んな所でも赦し合える夫婦なんて、最高だよね」
って、昨日はお話いたしました。
ねえ、最高でしょ? 何でもぜんぶ赦してもらえる関係。もちろん、その代わり、相手もぜんぶ赦すんですよ。これ、自分は赦されて、「お前は赦さん」って言ったら、これはおかしいですよね。
「ぜんぶ赦すし、ぜんぶ赦される」
最高の夫婦ですよ。それは憧れていいんじゃないですか? まさに「聖なる神殿」同士が結婚する。そんなイメージですよね。
まあ、1日たちましたけど、だいじょうぶ? 守ってます?(笑) これ、まだ1日なら、何とかなる。(笑) 1週間は大変ですよ。・・・ぜんぶ赦すんですから。1年もったら、これはもう、「羽生結弦」クラスだね。(笑) そして、10年、20年、30年・・・、時には負けることもあるかもしれない。しかし、意地を張り続けてほしい。
誓ったんですから。この二人、誓いの言葉を歌でやったんですよ。
お二人にね、
「『私たちは順境にあっても、逆境にあっても、病気のときも、健康のときも、生涯互いに愛と忠実を尽くすことを誓います』って、暗唱して、まごころ込めて、生涯最高の宣言として誓ってくれ」、
そう申し上げましたら、なかなか覚えられないので、歌にして覚えるって言って、二人でメロディー付けて、練習して、式中に歌ったんですよ。カッコよかったですよ、私、そういうの初めてだったし、もう、これからもないと思いますけど、はやらせてもいいくらいでした。
(歌う)「私たちは〜♪、夫婦として〜♪♪」みたいにね、歌ってくれました。美しかった。まごころ込めて、誓いの言葉。
「順境にあっても、逆境にあっても、病気のときも、健康のときも」って、つまりはどんなときもってことでしょ? それはすなわち、「相手を赦せないようなときも」っていうことですよね?
「相手を赦せないようなときも、愛と忠実を尽くすことを誓います」
それはすなわち、「意地でもあなたを赦します」と、そういうことでしょうね。
「赦し合う」、そういう教会でありたいし、私たちが憧れる、そのような世界を夢見る力が私たちのうちにあります。
以前、ここでミサをお手伝いしてくださったダニエーレ神父さん(※8)、このたび、ご自分の宣教会から、マザー・テレサの会にお移りになって、フィリピンに研修に行かれました。今、あちらでホームレスの方たちのお世話などをしています。
先日私に、最後のメールが来ました。・・・「最後のメール」というのは、もう貧しい暮らしに入ってパソコンからも離れる人生になるので、「メールするのも、これで最後です」ってことですね。いつも熱い信仰に満ちたメールをくださっていたんで、ちょっと切ない気持ちでした。
覚えてます? 私が皆さんに、冗談半分に「この人の髪の毛抜いとけ」って言った神父ですよ。「この人、やがて聖人になるから、髪の毛抜いておくと、聖遺物になるよ」と。
たまたま先週、彼が所属していた宣教会に、研修のお手伝いに行ったときに、彼のその後を聞きましたら、「彼、腕時計を捨てたそうです」って言ってました。「ホームレスの中に入ったら、誰も腕時計なんか持ってない。彼らは時計による時間を生きていない。彼らと一緒に過ごすために、腕時計を捨てた」と。・・・何という寛容。この、壁のなさ。
・・・神の国は始まっております。
私たち一人ひとりの中に、聖なる霊が働いております。
【 参照 】
※1:「羽生結弦」
羽生結弦(1994年12月7日生- )
宮城県仙台市出身。フィギュアスケート(男子シングル)の選手。
2014年ソチオリンピック男子シングル金メダリスト。
「フィギュアGPシリーズ第3戦・中国杯」(11月8日上海)で、男子フリー直前の公式練習中に、中国の閻涵(エン・カン)選手と激突。頭部とあごから流血するというアクシデントがあった。
(参考)
・ 「羽生結弦」(ウィキペディア)
・ 「羽生 練習で中国選手と激突し転倒…流血も強行出場で2位」(Yahoo!ニュース デイリースポーツ配信)
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※2:本日の第2朗読箇所より。
本日(2014年11月9日〈ラテラン教会の献堂〉)の第2朗読箇所
「コリントの信徒への手紙一」
3章9c〜11節、16〜17節
〈小見出し:「神のために力を合わせて働く」より抜粋〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※3:「聖書と典礼」(「参照」既出)
『聖書と典礼』(発行:オリエンス宗教研究所)は日本のカトリック教会共通の小冊子で、主日のミサ、また、一部の祝日のミサのときに用いられる。
B6版のものと、少し大きめのB5版のものがあり、通常は8ページ程度から成る。
ミサは典礼書に従って進められるが、聖書の朗読箇所や、答唱詩編、アレルヤ唱、共同祈願などは、ミサの都度異なるので、この小冊子が会衆(参加者)に配布され、それに沿って進んでいく。
表紙には、その日の典礼に合わせた、美しい絵画やイコンなどが、また、巻末には、400字程度のコラムが載っている。
(参考)
・ 「オリエンス宗教研究所」
・ 「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所)〈美しい表紙絵の解説も載っています〉
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※4:アパルトヘイト【(アフリカーンス語)Apartheid】
アフリカーンス語で「隔離」、「分離」を意味する。
特に、南アフリカ共和国で行われていた極度の人種差別の政策・制度を指す。「人種隔離」とも訳される。
17世紀からの植民地支配を背景にしており、多人種社会の南アフリカ共和国は、白人(512万人)が、非白人(3423万人<1992>)を、政治・経済・社会の全分野に渡って差別していた。1948年にはすべて法制化され、その徹底化を図っていたが、国内での差別撤廃闘争が激しくなり、また国際的な非難も激しく、貿易の禁止やオリンピックへの参加拒否などの制裁も受けることとなった。89年に大統領に就任したフレデリック・ウィレム・デクラーク氏が人種融和に取り組み、91年には法的には廃止された。
なお、このデクラーク氏は、ネルソン・マンデラ氏と共に、93年にノーベル平和賞を受賞している。
(参考)
・ アパルトヘイト(weblio辞書)
・ アパルトヘイト(ウィキペディア)
・ アパルトヘイトって何のこと?(THE PAGE)
・ 【ネルソン・マンデラ】アパルトヘイト撤廃のもう一人の功労者・デクラーク氏とは?【南アフリカ共和国】(NAVERまとめ)
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※5:「村上春樹」
村上春樹(1949年1月12日生- )
日本の小説家、海外小説翻訳家。随筆、紀行文、ノンフィクションなども出版。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー。群像新人文学賞受賞。
1987年発表の『ノルウェイの森』は、上下430万部を売るベストセラーとなり、村上春樹ブームが起きる。『海辺のカフカ』、『IQ84』など、数々の大ヒット作品を生みだしている。
(参考)
・ 村上春樹(ウィキペディア)
・ 村上春樹(NAVERまとめ-作品、活動情報などのまとめ一覧ページ)
・ 村上春樹 著者ページ/作品一覧(amazon)
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※6:「ウェルト賞」
「ウェルト賞」(「ウェルト文学賞」)は、1946年からドイツで発行されている新聞、「デイ・ウェルト」が主催する。ウェルト(Welt)は、ドイツ語で「世界」を表す。政治的には中道右派の立場だが、新聞社自身は「リベラル・世界市民的」としている。
文学賞は、1999年に、ジャーナリストのWilly Haasを記念して創設された。
日本人の受賞は、村上氏が初めて。デイ・ウェルト紙は、村上氏を、「日本の最も重要な現代作家」と評した。
(参考)
・ デイ・ヴェルト(独:Die Welt)(ウィキペディア)
・ 村上春樹さん:「壁のない世界を」独紙文学賞で受賞講演(毎日新聞 最終更新11月8日15時15分)
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※7:「宮清め」
4つの福音書全部に、イエスさまが、エルサレムの神殿の「異邦人の庭」と呼ばれる広場で、羊や鳩を売っている商人や、両替商を追い出すというくだりがある。この出来事を一般に、「宮清め」と呼んでいる。
(参照)
・ マタイによる福音書(21章12〜13節)
・ マルコによる福音書(11章15〜18節)
・ ルカによる福音書(19章45〜47節)
・ ヨハネによる福音書(2章13〜22節)
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本日(2014年11月9日〈ラテラン教会の献堂〉)の福音朗読箇所は、
「ヨハネによる福音書」 2章13〜22節
〈小見出し:「神殿から商人を追い出す」より〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※8:「ダニエーレ神父さん」
SARZI SARTORI Daniele (サルズィ サルトリ ダニエーレ)神父さま
多摩教会にも時々来られ、「ダニエル神父さん」と呼ばれて、多くの人に親しまれていた。
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Copyright(C)晴佐久昌英