関わらないことが、死

【カトリック浅草教会】

2016年9月25日 年間第26主日
・ 第1朗読:アモスの預言:(アモス6・1a、4-7)
・ 第2朗読:使徒パウロのテモテへの手紙(一テモテ6:11-16)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ16・19-31)

【晴佐久神父様 説教】

 皆さんの「門前」には、誰がおられますか(※1)
 自分のお家の門前を思い浮かべてください。マンションの方なら、マンションの前ですかね。・・・通り過ぎていく人でもいいですよ。誰がおられますか?

 昨日、浅草教会の門前にいた方がいます。
 昨日の午後、ピアノのコンサートに招かれていたんですね。とても親しい友人のピアニストのコンサートです。・・・天才ですよ。彼のコンサートは久しぶりなんで、ぜひ聴きに行こうと思ってたんだけど、まあ、いろいろあって、なかなか片付かず、出られず、「これじゃあ、今日はもう間に合わないな・・・」と、いったん(あきら)めかけたんですね。でも、どうしても聴きたかったんで、「そうだ、今からタクシー飛ばして行けば、ギリギリ間に合うかもしれない」と、そう思いついた。
 「でも、すぐにタクシーつかまるかな」と、心配しながら階段駆け降りて、教会の門を出たら、なんと、門前に、ちゃんと黒塗りのタクシーが止まってるんですよ。しかも、「空車」って光ってる。60歳くらいの、眼鏡のね、とても品のいい運転手さんで、優しそうでね、私、「あの、いいですか?」って聞いたら、「どうぞ、どうぞ」って乗せてくれて、ホールの名前を言ったらすぐに出してくれました。
 「何かあるんですか?」って言うから、「1時からピアノのコンサートです」って言ったら、「だいじょうぶです、間に合いますよ」って言ってくれて、安心しました。
 だけどここ、ホテルでもないのに、なんで門の真ん前にピタッとタクシーが止まってるのか、私、ちょっと不思議な気もしながら、冗談で、「運転手さん、できたら、いつも門前に止まっててくれませんか?」と申し上げたら、(笑) 「いつも止まってます」って言うんです。実は、しょっちゅう、浅草教会の前に車を止めて休憩し、時にはお昼を食べてるんですって。
 「あそこは休むのにホントにいい所でね。春は桜、秋は紅葉と眺めもいいし、何よりも、あそこに掲示板があるでしょう? あそこに貼り出してある言葉が、時々変わるんですけど、それが楽しみで楽しみで、いつも読んでるんです。聖書の言葉ですとか、マザー・テレサの言葉ですとか、いい言葉でね。それが、ちょうどそのとき、仕事のことで悩んでるとか、ちょっと心がふさいでるときとか、そんなときにピッタリの言葉で、車の中からそれを見るのが楽しみなんですよ」と。
 だから、私、「掲示板の担当の者に伝えておきますね。きっと、喜びますよ」と申し上げました。
 そしたら、「そういえば、あのおひげの方(※2)は、どうされましたか? いつも忙しそうに出入りされてましたが」(笑)って言うんで、
 「その『おひげの方』は神父で、春に転任したので、私が後任で来ました」
 「ああ、そうですか。お客さん、神父さんでしたか」
 「ええ。今度ぜひ、お昼を召し上がるときなんか、お手洗いが必要でしたら、中に入ってきて、どうぞお使いください」と、そう申し上げたら、大変喜んでくれました。
 ・・・しかし、私の場合は、当然、話はそこで終わらない。(笑)
 「日曜日は、お仕事ですか?」
 「はい、日曜日も仕事です」
 「日曜日、10時からミサがありますから、どうぞいらしてください」
 「ああ、ありがとうございます。私、音楽が好きなんですよ」
 「それじゃ、ぜひ。賛美歌とか、聞いてるだけでもいいもんですよ」
 ってな具合に、ぐいぐい誘っちゃいました。
 「教会前は、日曜日に車を止めていい道ですから、タクシーを止めて、休憩のつもりでミサにぜひ!」と。
 ・・・昨日のことです。
 今日、いらしてませんかね。 (聖堂を見回しながら) 品のいい・・・、眼鏡の・・・。(笑) どうも今日はいらしてないみたいですね。まあ、今朝は門前にタクシー、止まってませんでしたからね。残念ですが、そのうち必ず来ていただける気がする。皆さんも、今度見かけたら、ぜひ使ってあげてくださいな。「しょっちゅう止めてる」って言ってましたよ。
 音楽がお好きだっていうんで、「ついこの前、聖堂でコンサートをしたんですよ。バイオリンのコンサートで、響きが素晴らしくて、すごく良かった」って言ったら、「ぜひ、今度そういう機会があったら行きたいです」って言うから、「そういうことを知るためにも、ぜひ一度、教会の中へお入りくださいね」って調子で、まあ、なんとか中に招き入れようと、いろいろ申し上げました。

 これはでも、まさに、「門前」ですね。よくよく思い出してみると、その車、確かに何度か目にしてるんですよ。そういえば、黒塗りのタクシーが、時々止まってたな、と。だけど、門前にタクシーが止まっていても、正直ね、「知らない車が勝手に止めてるな」くらいにしか思わないですよ。別に意地悪な気持ちは持ってないつもりですけど、そこはやっぱり、目の前にドーンと車が止まってたら、「なんだか邪魔だな」くらいは思っちゃいますよ。
 つまり、そこにその人がいても、何のつながりもない存在なんです。いても、いないのと一緒。自分とは何の関係もない。その人がどうであろうと、こうであろうと、現実に何を悩んでいるか、どんなことに困っているか、そんなこと、ぜんぜん関係ない。ただ、「そこにタクシーが止まってる」っていうだけ。
 でも、たまたま、その門前のタクシーに乗ったら。・・・これがねえ、仲良くなるんですよ。関係が生まれる。
 情が移るっていうか、おしゃべりしてるうちに、「この人のために、何かしてあげたいな。自分にできることないかな」と、そんな気持ちにさえなる。しまいに、「ぜひ来てください」とお誘いもする。「もう一度、何かゆっくり話したいな」とも思うし、もう他人じゃありませんから、今度あのタクシーが門前に止まっているのを見かけたら、たぶん私、鳩サブレ―の1枚くらい持ってって、(笑) 「いかがですか?」って言うと思いますよ。これ、何の関係もなかったら、そんなこと、絶対やりませんよ。それ、相当変な人でしょう。向こうも、見知らぬ人から突然、「鳩サブレーいかがですか?」って言われても困るでしょうし。
 でも、ひとたび関わると、何かがつながって、他人じゃなくなる。・・・ステキですよね、「他人じゃない」って。素晴らしいと思う。
 人と人が関係を持つ。無縁じゃなくなる。
 そこにきっと、何か、神の国の秘密が隠されてるんですよ。いや、正確に言うと、そこにだけ(・ ・)神の国の秘密が隠されてるんじゃないですか。

 イエスさまのたとえ話の中の、この金持ちにとって、門前のラザロは、おそらく目に入っていなかったと思う。パーティーに出掛けるとか、客を大勢呼ぶとか、そんなぜいたくな暮らしをしていて、門を通ることもしょっちゅうあったでしょうけれど、ラザロなんて、たとえ目に入っても、「ああ、またこいつか。汚いな。目ざわりだ」って、そんな感じじゃないですか? 人として扱ってもいなかったでしょうし、つまり、目にも留まっていなかった。
 まったく知らなかったってわけじゃなさそうですけどね。やがてラザロが天の国に迎え入れられたときに、ラザロを見て、「ああ、あいつだ!」って分かったっていうんだから (cf.ルカ16:22-23) 、一応知ってはいたんだけど(※3)、でも、何の関わりもなかった。
 この、「何の関わりもない」ということ、これを、イエスさまはこのたとえでは、「二人の間に大きな淵がある」 (cf.ルカ16:26) と、そういう言い方をしています(※4)
 このたとえ、死んだら「苦しんだ人は天国に行き、贅沢な人は地獄に」っていう、そんな二元論の話じゃないですね。それじゃ、あまりに単純すぎる。というか、そういう二元論は、キリスト教になじまない。これはやっぱり、生きている間にね、どう生きたらいいかっていう勧めの話でしょう。
 「他者と関わりましょうよ」って言ってるんですよ、イエスさまは。関わってなかったら、それはもう、死の世界であり、関わらないことが「大きな淵」であり、それは、「命」と「死」を分けるほどの淵。関わって、相手の存在を受け入れたら、何かがつながってね、そこに愛が生まれ、何か素晴らしいことがいっぱい起こる。まさに死を超えた命の豊かさ、天国の喜びが始まる。
 「関わらないことが、死だ」という、このストレートなメッセージを、どう受け止めますか?
 「え~、でも金持ちだって、大勢の友達と関わってたんじゃないの?」って言うかもしれないけど、まあ、金持ち同志なんてね、パーティーがなくなったら、もう付き合いも関わりも終わり、みたいなもんなんで、関わってるのは相手じゃなくてカネですから、そもそも関りとも呼べない。その点、このラザロのような存在とのつながり、あるいは、不況の中一日中タクシーで働いて、昼休みは車の中で過ごすしかなく、教会の門前でささやかな希望を探しているような人との関わりこそが、天国の入り口なんですよ。・・・神父がねえ、日中から「ピアノのコンサートです」とかって、タクシー飛ばして行くなんて、(笑) 運転手さん、どう思ったかなあって、後で気になりましたけど、でもまあ、関係が生まれたのは確かです。
 門前に誰がいるか、普段は気にもしていないけれど、誰かが必ずいます。天国の入り口が、そこで待ってます。

 三日ほど前に、千駄木(せんだぎ)(※5)の病院に参りました。30年前、私が神父になって最初に赴任した教会でお世話した方ですけど、あるころから、教会に来なくなったんですね。で、聞けばそれっきり30年、教会に行ってないんですって。でも、悪い病気になって、千駄木の病院に入って。・・・で、決心したんですね。
 「このまま教会と関係がないのは、あまりにさみしい・・・。やっぱり信仰のことをちゃんとしよう。祈ろう! 助けてもらおう!」、そう思って、思い出したのが、30年前に世話になった、神父一年目の晴佐久神父です。で、調べてみたら、偶然すぐ近くの上野教会にいるっていうんで、電話がかかってきたわけです。
 実は、正直、お名前は何となく覚えていたけど、お顔はまったく忘れていたんです。でも、向こうはよく覚えていてくれて、あのときあんなことを言った、こんなことがあったと、いろんなことを話してくれましたけど、病状はとても深刻で、今は絶食状態で、ご家族もいないので、とても不安でさみしい思いをしているようでした。
 「神父さん、私、もう死ぬんでしょうか?」って言うので、
 「いや、それはもう、神さまだけがご存じで、何とも申し上げられないけれども、神さまにお任せしましょう。ただ、今、こうして、ぼくたちは再びちゃんとつながって、ここで二人で心を一つにして祈ってるんだから、ここから出発しようよ。神さまのすばらしいご計画を信じよう」と、そういうお話をいたしました。
 ただ、彼女はね、こう言ったんです。
 「私、教会は30年離れてたけれど、一つだけ、私の一番好きな聖書の言葉だけは覚えていて、それを、いつも、ず~っと唱えていました」
 「どういう言葉ですか?」
 「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 (詩23:4)
 ・・・有名な一節ですよね。詩編の23です(※6)
 「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」
 実際に彼女は今、「死の陰の谷」を歩んでおられます。しかし、「災いを恐れない」「主が共にいてくださる」
 確かに、30年も離れているのは、大きな淵に思えますけど、でも、こうして関わりがあれば、ホントに小さなつながりでも、関わりさえあると、その先に、天の国の喜びが生まれてくる。
 病者の塗油(とゆ)秘跡(ひせき)(※7)をお授けして、一体どれくらいぶりになるのか、聖体拝領(※8)も彼女はいたしましたけれども、でも、実はこの30年、「主が」「共に」「いてくださった」んですよ、ず~っと。そして、この世で「悪いものをもらった」ときにこそ、そのように関わってくださる「主が共にいてくださる」という福音に目覚めます。また、私たちも、そのように悪いものをもらっている人に関わるときにこそ、その「主」と共にいることができる。・・・ステキですよね。

 その病院に行った次の日ですけれど、上野教会の聖堂のベンチに人が寝ていたことがありました。普段、上野の聖堂には鍵がかかってるんですけど、なぜか閉め忘れてたんですね。それで入ることができたようですけれど、私はそんなことはつゆ知らず、別の入り口から聖堂に入ったものだから、だれもいないはずの聖堂で、突然目の前で人がガバッと起き上がったのには、ホントにびっくりしました。・・・女性で、40代くらいですかねえ。起き上がって、「すいません、すいません!」って言ってるんですよ。だから、「どうなさいました? お話、伺いましょう」って言って、別室でお話をゆっくり伺いましたけれども。
 その方、麻布のアパートに住んでいるんですね。子どものころから虐待を受けたりして生きてきたので、他人をなかなか信じられない。人がとても怖い。・・・対人恐怖ですね。
 一人暮らしをしているんだけど、アパートの上階の人がね、深夜、掃除機をかけて洗濯して、ともかくうるさい。それ、契約違反なんですね。洗濯とかも時間制限がある。ともかく、うるさくって、気になって眠れなくってしまったので、大家さんを通して苦情を言ったら逆ギレされて、今度は嫌がらせをするようになった。わざわざデカい音で、下にスピーカーを向けて、音を流すとかね。
 警察に相談したら、その音を確認した上で、上階の人に厳重注意をしたんですね。ところがそれでまた逆上して、さらにいろんな嫌がらせをされて、神経がおかしくなり、眠れない日が続いて、ついに転居することにしたわけです。
 とはいえ、転居先がすぐに決まるわけじゃないし、だからといって自宅にも帰れないわけですから、結局、今、浅草のカプセルホテルに泊まってる。でも、カプセルホテルも深夜早朝の出入りがあって、とてもうるさくって眠れない。それで、「睡眠不足で、もう、ふらふらなんで、日中静かな所を探していたら、教会があって・・・。それで、中に入ってお祈りしてたら、寝てしまいました」と言う。だから私、
 「どうぞ、どうぞ。ゆっくり休んでください。和室もありますよ。そこで泊まることもできるんですけど」って言ったら、
 「いえ、夜はカプセルホテルがありますから。ただ、日中は行くところがなくて、この聖堂が安心するんです」って言うんです。
 ですから、「神さまが守ってくださるから、安心してください。あなたの救いはここにありますよ」と私、はっきり宣言しましたし、「今日の夜、入門講座(※9)がありますから、よろしかったら」って言ったら、入門講座も出てくれた。で、熱心に話を聴いて、その日はカプセルホテルに帰ったんです。
 翌日の日中、ふと見ると、またベンチで寝てるんですよ。今度は、2階のベンチでしたけど。彼女、私を見かけて、そこから挨拶してくれました。
 「神父さん! 昨日はありがとうございました! 昨日、ホントに久しぶりに、カプセルホテルでぐっすり眠れました。・・・安心したんだと思います。声をかけてくださって、ホントにありがとうございました!」と、そう言ったんで、こう申し上げました。
 「神さまに出会ったんですよ。神さまは、いつもあなたと一緒におられますよ。どこにいても決して見放すことなく、一緒にい続けてくださいますよ。安心して暮らしてくださいね。またいつでも聖堂でお休みください。入門講座にもいらしてくださいね」

 皆さんの「門前」には、どなたがおられますか。
 先週、浅草教会の門前には道を求めているタクシー運転手、千駄木の病院には死の陰の谷を行く信仰者、上野教会のベンチには救いを求めている一人の女性がおられました。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「皆さんの「門前」には、誰がおられますか?」
この日、2016年9月25日(年間第26主日)の福音朗読〔ルカによる福音書(16章19~31節)/〈小見出し:金持ちとラザロ〉〕から。
===(聖書/福音朗読 参考箇所)=== 
〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。」 (ルカ16:19~21/赤字引用者)
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※2:「あのおひげの方」(既出)
 晴佐久神父前任の上野教会(兼 浅草教会)の主任司祭は、おひげが印象深い、西川哲彌(にしかわ・てつや)神父様だった。
(参考)
・ 「セバスチャン 西川哲彌神父」(「東京教区ニュース教区司祭紹介 第38回/カトリック東京大司教区
・ 「セバスチャン 西川哲彌 主任司祭 略歴」(「カトリック上野教会」前ホームページ)
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※3:「ラザロを見て、『ああ、あいつだ!』って分かったっていうんだから、一応知ってはいたんだけど」
===(聖書該当箇所)=== 
「やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府(よみ)でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。」 (ルカ16:19~21)
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※4:「『何の関わりもない』ということ、これを、イエスさまはこのたとえでは、「二人の間に大きな淵がある」 (cf.ルカ16:26) と、そういう言い方をしています」
===(聖書該当箇所)=== 
〔天の宴席で、貧しいラザロのすぐそばにいるアブラハムは、陰府(よみ)から助けを求めるその金持ちに言った。〕
「わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。」 (ルカ16:26/赤字引用者)
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※5:「千駄木(せんだぎ)」
 千駄木は、東京都文京区の町名。
 電車で上野駅から千駄木駅までは、1度の乗り換えで、最短10分ちょっとの距離。
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※6:「詩編の23です」
===(聖書該当箇所)=== 
【賛歌。ダビデの詩。】
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
 魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしく
  わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
  わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。

わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。

命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。
            (詩編23/赤字引用者)

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※7:「病者の塗油の秘跡」 〈既出、もう少し詳細はこちらへ〉
 七つの秘跡(キリストによって制定され、教会に委ねられた、秘められた神のわざを示す感覚的しるし)の一つ。司祭が病者に油を塗って祈る式、また、その秘跡のこと。
 重病あるいは高齢のために困難があるとき、死の危険が迫っているときに、病人の額と手に司祭が祝福された油を塗り、神の癒やしといつくしみ、聖霊のたまものを祈る。
 12世紀ごろから次第に臨終の病人のみに限られるようになり、「終油の秘跡」と呼ばれるようになっていったが、第二バチカン公会議を経て、現在では臨終の時に限らず与えられ、「病者の塗油」という名称に改められている。
 教皇フランシスコは、2014年2月26日の一般謁見演説の中で、この「病者の塗油の秘跡」について言及し、「人間に対する神のあわれみに、手で触れることを可能にしてくれる」と述べ、改めて「この秘跡が、イエスが病者や高齢者に寄り添ってくださることを確かなものとすること、また、65歳以上の人ならだれでも受けることができること」を伝え、「慰めと、前に進むためのイエスの力を与えて」もらうようにと勧めた。
(参考)
・ 「第24回「世界病者の日」教皇メッセージ(2016年2月11日)」(カトリック中央協議会)
・ 「病者の塗油の秘跡」
   『カトリック教会のカテキズム』(カトリック中央協議会、2002年)
    「病者の塗油の秘跡」1500番~1532番
・ 「病者の塗油」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
・ 「病者の塗油」(ウィキペディア)
・ 「病者の塗油の秘跡」(キリスト教マメ知識>ラウダーテ)
・ 「病者の塗油の秘跡()()(この秘跡を受ける者、授ける者)(この秘跡執行の効果)」
   (カテキズムを読もう>ラウダーテ)
・ 「ためらわず『病者の塗油』を」(カトリック新聞オンライン 2014年3月6日)

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※8:「聖体拝領」(既出)
◎「聖体拝領」  〔ラ〕communio 〔英〕Holy Communion
 日本カトリック教会の用語で、キリスト者がミサの中で聖別されたパンとぶどう酒を共にすること。
 原語は「交わり」を意味し、キリストの名において集い、食事を共にすることを通して象徴される、キリストの命の糧に生かされた共同体の形成をいう。
(参照)
・ 「聖体拝領」(『岩波 キリスト教辞典』、岩波書店、2002-2008)
・ 「聖体」については、過去、>こちらに記しましたので、宜しければご覧ください。
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※9:「入門講座」
 晴佐久神父の入門講座は、主任司祭を務めるカトリック上野教会、カトリック浅草教会の双方で開かれています。
 キリスト教や聖書などに、初めて触れる方にも、優しく平易な言葉で語り掛けられます。キリスト教に興味のある方、話を聞いてみたい方、つらさ苦しさを抱えて救いを求めておられる方など、誰にでも開かれていますので、安心してご参加ください。「洗礼が受講の条件」ではありません。
 無料で、事前の申し込みなども不要です。
 以下にご紹介しますが、休講、変更などの場合もありますので、詳細なスケジュールなどは、必ず、「カトリック上野教会ホームページ(兼浅草教会)」でご確認ください。
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カトリック浅草教会 (以下の情報は、2016年10月現在)
入門講座: 木曜19:00/金曜10:30
主日ミサ: 日曜10:00
 =晴佐久神父司式は3、4週目
 =5週目はカトリック上野教会と輪番
 =10月30日(日)は本所教会@墨田区石原4-37-2/9:30~
住所: 〒111-0053 東京都台東区浅草橋5-20-5
交通アクセス:  詳細は、>>こちら(東京大司教区教会案内)】
 ◎JR(総武線)
浅草橋(あさくさばし)駅西口から、徒歩約8分
 ◎都営地下鉄(浅草線)
浅草橋駅A4出口から、徒歩約10分
 ◎東京メトロ(日比谷線)
秋葉原駅1番出口から、徒歩約10分
 
 左の地図はクリックで拡大しますが、
 場所の詳細や広域地図をご覧になりたい方は、「Google map(カトリック浅草教会)」などをご覧ください。
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カトリック上野教会 (以下の情報は、2016年10月現在)
入門講座: 水曜19:00/木曜10:30/第一(兼「福音講座」)・二日曜12:00
主日ミサ: 日曜10:00
 =晴佐久神父司式は1、2週目
 =5週目はカトリック浅草教会と輪番
 =10月30日(日)は本所教会@墨田区石原4-37-2/9:30~
住所: 〒110-0004 東京都台東区下谷1-5-9
交通アクセス
 ◎JR(山手線、京浜東北線)
鶯谷(うぐいすだに)駅南口から、徒歩6分
 ◎JR(山手線、京浜東北線、常磐線、高崎線、東北本線、秋田・上越・東北・北陸・山形の各新幹線)
    
上野駅入谷口(いりやぐち)から、徒歩8分
 ◎東京メトロ 
日比谷線入谷駅1番、2番出口から、徒歩8分
 
 左の地図はクリックで拡大しますが、
 場所の詳細や広域地図をご覧になりたい方は、「Google map(カトリック上野教会)」などをご覧ください。
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2016年9月25日 (日) 録音/2016年10月19日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英