じっと天井を見つめながら

2014年8月3日年間第18主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ55・1-3)
・第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・35、37-39)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ14・13-21)

【晴佐久神父様 説教】

 皆さん、暑い夏、お元気ですか?
  私は先週、ちょっと元気じゃありませんでした。結果的には大したこともなく、もうすっかり全快しましたけれど、申し訳なかったです。突然入院しちゃって、ご迷惑をおかけしました。
 金曜日、土曜日と、教会学校のキャンプがあったんですけど、もう金曜日の遠足の途中で、何だか調子悪かったんですよね。でも行った先がJAXA(ジャクサ)(※1)で、3年ぶりに行ったわけですけども、宇宙航空研究開発機構・・・ですか? ともかく、そこの特別公開(※2)がめちゃめちゃ面白くてですね、フラフラしながらも子どもたちと一生懸命見て回ったんですよ。
 その夜には高い熱が出て、翌日病院に行ったら、「しばらく入院して休みましょう」と言われ、まあ、原因もはっきりわかって治療していただいて、すっかり良くなりましたけれども。
 そんなわけで、そのJAXAの話を先週できなかったのは、ホントにくやしい。「これはどうしてもみんなに話したい!」って、いくつか感動したことがあったんです。一週間遅れですけど、ぜひ聞いてやってください。

 私が3年前、JAXAで名づけた人工衛星の「しずく」君、覚えてますか。(※3)
 人工衛星の名前を公募してたんで、応募したら採用されて、・・・命名者になりました。「しずく」君です。その後ちゃんと打ち上げられて、今も地球の周りを回ってます。わが子のような「しずく」君ですけど、本も出てましたよ。感無量です。
 それから、以前にお話したスパイラルアームの話、銀河系の腕の話(※4)、あれも、そういうコーナーがあって、夢中になって見ました。そこに専門家がいてね、いろいろ説明してくれるんですけど、私、前から気になってたことを聞いたんですよ。
 太陽系が、今は銀河系の中でも星の少ない所を飛んでるわけですけど、やがてこの「スパイラルアーム」っていう、ある意味天の川の中に入っていくわけですね。まあ、何千万年も後の話ですけど、そこに入っていくと、地球の夜空は、どう見えるんだろうっていうのがとっても気になってたんで、それを聞いてみたんですよ。
 そうすると、「よくぞ聞いてくれた!」みたいな感じの人がね、
 「それはもう、素晴らしい星空になるんです!」と。
 それはそうですよね。天の川の中に入っちゃうんだから。マイナス何等級みたいな星が、今の何十倍も全天に散りばめられて、それこそもう、宝石箱をひっくり返したようなきらめく星空になって、天の川も見にくくなるくらい、星でいっぱいになるんだって。・・・そんな星空、見たくないですか?
 宇宙の神秘の話、私は大好きです。いろんな展示を眺めながら、ひたすら神さまのみ(わざ)は素晴らしいと、感動していました。宇宙の神秘によって、神さまは私たちに、・・・こう、何て言うんでしょう、・・・ご自分を見せようとしている、知らせようとしているんです。星々を見上げるだけで、そんな思いをひしひしと感じます。宇宙の神秘に思いをはせるだけで、私はすごく神のみ心を感じるたちなんで、ともかくまあ、感動しました。

 で、本題。中でも一番感動した話。
 それはですね、月の空洞の話なんです。
 皆さん、ご存じですか。今、JAXAは「かぐや」っていう月探査機(※5)を飛ばして写真を撮りまくってるんですけど、この「かぐや」が、5年前に大発見をしたんです。・・・月の地底の空洞です。
 これは地球にもありますけど、かつて溶岩が流れた跡が溶岩チューブっていう空洞になるんですね。肉まんを潰したような形で、高さが数十メートル、直径が百メートルから数百メートルくらいの、まあ、結構な大きさの空洞が、月の地面のすぐ下に、いっぱいあるらしい。
 何でそれがわかったかっていうと、ず〜っと月面の写真を調べて、針の穴で開けたくらいの、ちっちゃ〜い、まっ黒い穴があいてるのを見つけたんです。(※6)
 どういうことかというと、月面に隕石が落ちると、クレーターができてすり鉢状になるわけですよね。ところが、下に空洞があると、スポンと入っちゃうらしい。針の穴といっても、実際には数十メートルの穴ですけど、底には光が入らないから、まっ黒い穴なんですよ。クレーターとは全然違う。そんな穴を、いくつも発見したんです。
 これは思いの(ほか)の大発見で、これを発見した春山さんていう研究者自身が、パネルを前に、もうニッコニコしながらね、ホントにこう、うれしそ~~に、説明してくれたんです。「これを見つけたことを、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、ものすごく悔しがってるんですよ」とか、ちょっと得意げにね。
 第一発見者の国が、そこの研究を率先してやる権利があるという慣例になっているらしく、「日本のロボット技術を生かして、世界に先駆けて空洞の中を調べたい」と。
 で、これがなぜ、世紀の大発見かというと、人類はやがて、月を足がかりにして宇宙に飛び立って行くわけですけど、月の基地をつくるのは、大変難しい。よく皆さん、ドーム型の月の基地とか、見たことありますでしょ? でも、月面には、放射線は降り注ぐ、宇宙線も降り注ぐ、隕石も落ちてくるで、大変危険。大量の資材も必要で、現実的じゃないんですよ。
 ところが、この穴の奥の空洞を基地にすれば、宇宙線からも、放射線からも、隕石からも守られて、しかも、中は平らで硬い岩盤になっていて、塵もない清浄な空間なんですって。
 それに、地表の温度は、昼は150度、夜はマイナス120度になるんですよ。・・・150度ですよ。もはや猛暑だ、熱帯夜だ、なんてレベルじゃない。そんなとこに基地つくるって、大変なことです。
 ところが、この穴の中はマイナス20度から0度くらいまでで、夜昼問わず安定した気温なんだそうです。しかも、その穴に、ガラスの(ふた)かなんかを、ポンとはめれば、中に空気を送り込むことで、大変快適な居住空間もつくれる。・・・いいことずくめじゃないですか。中には地球の方向に向かって空いている穴もあるそうで、その空洞からは、いつも地球が眺められるんですって。
 私、いつの日か引退したら、そこに住みたい。(笑) ・・・どんなんでしょう。 高さ数十メートルのね、清浄な月の空洞。

 ふと思い出した映画がある。ぼくにとって、生涯ナンバーワンの映画、『2001年宇宙の旅』(※7)っていう映画ですけど、これはまあ、宇宙意思というか、ある意味、神のような存在がね、人類を育てて進化させてくみたいな話なんですけど、その意思が、「やがて人類が計画通りに進化して、月にまで来ることができるようになったら、次の進化の段階へ進めよう」みたいに考えて、月の地中に、特別な板みたいなものを埋めておくんですよ。
 「進化して科学技術を発達させ、月までやって来たら、その板を見つけるだろう。その板には、次の段階へ進むヒントを仕込んでおこう」みたいな。・・・ある種の、何ていうんでしょう、クイズというか、宿題とでもいうか。
 で、映画では、やがて人類が月でこの板を発見するわけで、そこから先はもう、異次元に導かれて、人類が次の段階に進化させられるんです。アーサー・C・クラークっていうSF作家が書いた『 地球幼年期の終わり 』(※8)っていうのが原作で、地球が幼年期、つまり、まだ幼い時期をクリアして、いわば真の大人な人類へ成長していくっていう話。
 私はこれ、すっごく好きな話です。人間が大いなる意思にちゃんと導かれ、育てられて、そして、われわれは、その大いなる意思を見つけるように定められているからこそ、人類は「神」を追い求めるし、隣の星にちっちゃい穴でも見つけることで、その先に、何か本物の世界が、こう、開かれていく。・・・すごくステキなテーマでしょ?

 神さまは、月にちゃんと空洞を用意しておいたわけですけど、今頃ニコニコしているかもしれないですね。
 「おお、人間たちは、ついに見つけたか」と。
 「そろそろ次の段階かねえ」と。
 私自身、神さまを探し求めることにおいては、ホントに、精いっぱいなことをしているつもりですけれど、神さまって、「宗教書の奥に鎮座ましましてる」っていう感じじゃないと思うんですよ。もっとこう、ダイナミックで、もっと広くて大きくて、もっと霊的で、もっと科学的ですらあり、もっと身近で愛情に満ちていて、それでいて、とても隠されているもの。
 ・・・究極は、イエス・キリストです。
 みんな、「私はキリスト信者だ」なんて、キリスト知ったような顔してますけど、さて、どれだけキリストを知っているか。究極的には、神を知るために、私たちは、「イエス・キリスト」を見つけるべき。それがあの、「穴」なんです。
 「わたしは道だ」と言ったイエス(cf.ヨハネ14:6)。その道において、ぼくらは究極の世界を見出すべき。
 ワクワクするんですよね。神を求めるって。なんかこういう、いつも見ている世界、いつもこうでしかないと思ってることの向こうに、ホントに神さまがおられて、ニコニコしていて、「ついに見つけてくれたか」と、喜んでくださる。かくれんぼして隠れているお母さんみたいにね。
 「み~つけた!」って子どもが言うと、ニコニコして、
 「まあ、えらいわね、よく見つけたわねえ ^^」って。
 ・・・人間、そういうことのためにいるんじゃないですか?

 入院中に、佐久間神父さんが亡くなって、葬儀ミサに行けなかったんですよ。東京教区の佐久間(たけし)神父さんです。(※9)
 私はもう、30年以上前ですけど、この神父に非常に大きな影響を受けて、この神父の講演会で目が開かれる思いがして、で、その講演記録のテープを起こしたり、小冊子にまとめたりすることを手伝ったりしたので、その内容をよく覚えてます。佐久間神父さん、あなたの神学的な苦闘の末に辿り着いた「真の神の普遍性」について、私はちゃんと受け継いでますよ、これからもいっそう発展させていきますよと、まあ、そういう気持ちがあります。
 そう言えば、その講演会で、「小さい頃UFOを見た」と言ってましたよ、佐久間神父さん。
「それ以来私は、必ずもう一度、自分の所にUFOが来てくれると信じている。今、自分は世田谷教会の主任司祭だが、世田谷教会の庭の芝生の上にUFOが下りてきたときに、すぐ撮れるようにフィルムを入れたカメラを、いつも用意してある。(笑)彼らは必ず私の心をテレパシーで読んでいるはずだから、いつも『UFOよ来い』、『UFOよ来い』と念じている」って言ってました。
 ・・・変な神父でしょう?(笑)
 でも私、好きなんですよ、そういう話。
 まあ、UFOがどうかはともかくとしても、彼自身は、何かこう、神さまを、もっととらわれなく自由に捉えたかったんです。彼が勉強したころは、カトリックの教えは硬直化しててね、冷たくて理屈っぽかったから、もっと自然で、もっとダイナミックで、もっと普遍的な神さまを求めていたんです。そのような真の神に出会わなくちゃいけないんだと。
 彼の講話で一番よく覚えているのが、「ジャムパン理論」。
 あの頃は、物事を何でもカッチリ分けて考えていたんですよ。「超自然の恩恵」「人間の本性(ほんせい)」「大自然」・・・みたいに、ものごとをくっきり分けて、教えてた。だけど彼は、「神の世界」「人の世界」「被造物の世界」みたいに、くっきり分けて考えたり、それをただくっつけて重ねるのはおかしい、そんなはっきり線引けるようなもんじゃないはずだと。
 いわば、くっきり分けて重ねる構造は、三層になっている菱餅みたいなもんなんで、
 「今までの教会は『菱餅理論』だった。だけど、私は、神と人の関係は『ジャムパン理論』だと思う」って。
 昔は、パン屋さんで、パンにジャムをダーッとたっぷり塗ってくれたそうで、これをしばらく置いとくと、ジャムがパンの中に染み込んでいって、もはやどこまでパンで、どこからジャムかわからない。だからこそ非常においしいし、一体感がある。一度染み込んだのを、もう二度と、パンとジャムに分けることができない。神と人っていうのは、そういうものなんだ、と。
 神と人を、菱餅みたいにくっきりと線を引いて分けることなんて、できるはずがない。聖霊の働きとはそういうものであって、私たちはもうすでに、神と一つであるし、神と人を分けることはできないんだ、と。
 さっきパウロが、「どんなものも(・ ・ ・ ・ ・ ・)、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」って言ってました(cf.ローマ8:39)
 「どんなものも(・ ・ ・ ・ ・ ・)」。・・・どれほどの困難も。「艱難(かんなん)、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣」、あるいは、「死も、命も、現在も、未来も」、「高いものも、低いものも、どんな被造物であっても」、
 「神の愛から私たちを引き離すことはできない」(ローマ8:35-39)

 人間はねえ、ホントにこう、この宇宙の真ん中に、ポツンと生まれてきて、「寂しいよ~、怖いよ~」って言って生きてるわけですけれど、神さまを求めるように造られているし、もう神と、この私を分けることができないっていうような安心、満足、喜びを知るように定められているし、それを見つけるまでは、ぼくらはホントに、月面探査機じゃないですけれど、この世界を、もっと本気で探し求める必要があるんじゃないですか?
 神を知る道は、宗教書の奥深くにあるわけじゃない。
 とっても身近に、その「穴」は開いてるはずだし、イエス・キリストと出会うことで、ぼくらはもうその、「永遠のいのち」とも呼ぶべき神の愛の中に、もうすでにあることに、目覚めることができるはず。

 入院したこと、ありますか?
 私はもう、6回目なんですよね、数えてみたら。
 病院って、消灯9時じゃないですか。まだなんかゴソゴソしてて、6人部屋、なんかこう、寝付かれない。じ~っとこう、薄暗い天井を眺めてるわけですよね。
 ふと、最初の入院のことを思い出してました。
 5歳のときです。小児リウマチ熱っていう、なんか難しい病気で高熱が続いて、ひと月だか、ふた月だか、文京区の順天堂病院に、入院しておりました。「五つ」ですよ、寂しいんですよ。小児病棟なんて、なかったような気がするなあ。なんか、天井の高い広い部屋に、女の子と二人っきりで入院してたんですよね。まあ、日中、その子と手に手を取って、庭のタンポポ摘みに行ったりして、看護婦さんが焦って捜し回ったという、『 小さな恋のメロディー 』みたいなこともあったんですけど、(笑) まあ、寂しかった。お母さん、毎日来てくれるんですけど、夕方になると帰っちゃうわけですよ。寂しいですよね。
 「いい子にしてるのよ、また明日来るからね」
 そう言って、頭なでて帰るわけですけど、まあ、泣くわけにもいかない、文句も言えない。ただただ、その現実を引き受けるしかないわけですよ。私、早熟な子でしたから、なんかこう、じ~っと天井見つめながら我慢している、あのわびしい気持ちっていうのは、よく覚えてます。
 私、あの入院生活で、人生の本質を悟ったんです。(笑) ・・・ホントに悟ったんです。
 「人生とは、ベッドの上で、じっと天井を見つめながら、孤独に耐えることだ」
 私、そう悟ったんだと思う。
 人間は、一人ぼっちで生まれてきて、まあ、いろいろ、家族はいたり、友だちはいたりするけど、でも、結局は一人じゃないですか。皆さんも、家族はいる、友だちもいる、仲間がいる・・・とか思っていても、何かのときにふっと、
 「俺ってホントの友だちいないな~」とか、
 「私、結局独りぼっちなのよね」とか、
 そんな思いになること、ないですか?
 ・・・なっていいんです。だって、それが本質だから。
 私、「(ゼロ)ベース」って呼んでるんですけど、もともと人間はゼロなんです。この世的に言っちゃえば、本質には何もない。
 「人生とは、ベッドの上で、じっと天井を見つめながら、じ~っと孤独に耐えること」、
 これが基本なんです。
 これが基本だから、そこに神が与えてくれた恵みがどれほど素晴らしいかが、はっきり分かる。この体、今日という日、他者との出会いがどれほど尊いか、愛し合えることがどんなにうれしいことか、永遠なる神の愛に目覚めることが、どんなにかけがえなのない美しい出来事かが分かるんです。この「0ベース」がなかったら、物事の本当の価値って分からないと思う。
 ・・・「あって当たり前」みたいに思ってる人は、何も分かってない。

 この宇宙の真ん中に、ポツ~ンと生まれてきた私たち。しかし、神さまと分かちがたく浸透し合って、神に目覚めるように定められていて、私たちはやがて、神さまの愛を本当に知って感動するときがきます。そのとき、ゼロが無限になる。そのとき、自らの存在に意味が現れる。
 孤独な夜を過ごしても、やがて朝が来ると、お母さんがまた来るんですよ。
 「いい子にしてた? 偉かったわね。ほら、大好きなスパゲティナポリタン、作って来たわよ ^^」
 もう、その時の喜びは、いかばかりか。
 ・・・私たちの人生に、ちゃんと用意されている、無限大の神さまの恵み。


【 参照 】

※1:「JAXA」(ジャクサ)
 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構。(英称:Japan Aerospace Exploration Agency, JAXA)
 日本の宇宙航空分野の基礎研究、開発から利用に至るまでを担う機関。内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省が共同所管する独立行政法人。
 2003年10月、文部科学省「宇宙科学研究所」(ISAS)、独立行政法人「航空宇宙技術研究所」(NAL)、特殊法人「宇宙開発事業団」(NASDA)が統合され、発足。
(参考)
JAXA(宇宙航空研究開発機構)(オフィシャルホームページ)
  ★ 「JAXAについて」(JAXAとは事業所・施設沿革理念 他)
  ★ 「施設見学」(ロケット打ち上げ見学や、JAXAの見学できる施設の案内)
  ★ 「調布航空宇宙センター」(東京調布市にあるセンターの紹介。施設見学案内)
  ★ 「キッズ」(小中学生向けに、ロケット、人工衛星、国際宇宙ステーション、星についてなどを紹介)
・ 「宇宙航空研究開発機構」(ウィキペディア)

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※2:「特別公開」
 JAXA相模原キャンパス施設概要)では、毎年夏休みに、普段は見ることのできない施設を特別に公開し、最新の研究内容をわかりやすく紹介したり、宇宙学校、実験、工作などのイベントなどを行っている。
 今年は、7月25日(金)と26日(土)の二日間行われ、両日で合計13,560名が来場した。
(参考)
・ 「JAXA相模原キャンパス特別公開2014」(JAXA「イベント」より)
・ 「相模原キャンパス特別公開2014、終了」(JAXA「トピックス」より)
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※3:「私が3年前、JAXAで名づけた人工衛星の『しずく』君、覚えてますか」
(参考説教)
・ 2011年12月4日(待降節第2主日)の説教「水の惑星から、霊の惑星へ
(参考)
 JAXAは、2011年打ち上げの「第一期水循環変動観測衛星(GCOM-W1:Global Change Observation Mission 1st – Water)」の愛称を、同年に募集し、応募総数20,998件のうち、1,392名の提案した「しずく」に決定した。
「一滴の『しずく』が雨となり、海に流れ、水蒸気になり、さらには氷にもなる、その循環を観測するから」とか、「水の一滴一滴を大切に観測してほしいから」という提案理由が、ミッション内容を的確に表しているということで選ばれた。
 「しずく」は、2012年5月18日に種子島宇宙センターから打ち上げられ、現在も運用中。
>>>「第一期水循環変動観測衛星(GCOM-W1)の愛称募集結果について(JAXAプレスリリース 2011年9月21日付)
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【 しずく 】
・ 「しずく(GCOM-W)」〈「しずく」の紹介〉
・ 「水循環変動観測衛星『しずく』(GCOM-W)〈「しずく」についてのトピックス〉(JAXA「プロジェクト」)
・ 「第一期水循環変動観測衛星『しずく』特設サイト」(JAXA「特設サイト」)
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※4:「以前にお話したスパイラルアームの話、銀河系の腕の話」
(参考説教)
・ 2014年7月13日(年間第15主日)の説教「七年ぶりの聖体拝領」および、「参照」の※6


【 スパイラルアーム 】
 下の画像は、太陽系の存在する「天の川銀河」の想像図。
 中央の円盤形の部分の周りに広がる、白っぽく見えるスパイラル状の腕が「スパイラルアーム」。ここに、星々が密集している。
 現在、太陽系は、この「天の川銀河」の中心から2.8万光年の距離、2本のスパイラルアームの間(星が密集していない、黒っぽい部分)に存在している。
 太陽系は、1億5千万年から1億4千万年周期で、スパイラルアームを通過しているという研究結果も出ている。前回は6千500年前、地球で恐竜絶滅期と一致するとされており、次は8千万年後だろうといわれる。(宇宙気候学(ウィキペディア)など)

Photograph courtesy NASA/JPL-Caltech
Photograph courtesy NASA/JPL-Caltech

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※5:「かぐや」(Selenological and Engineering Explorer,-SELENE, セレーネ)
 セレーネはギリシャ神話の月の女神「セレネ」から。
 月周回衛星で、JAXAが2007年9月に打ち上げた月探査機。
 主な目的は、月の起源と進化を解明するための科学データの取得、将来の月の利用のため、さまざまな観測や、月周辺環境の計測などを行った。2009年6月に運用は終了している。

(参考)
・ 「 かぐや 」(ウィキペディア)
・ 「月周回衛星『かぐや(SELENE)』」(JAXA)
・ 「月周回衛星『かぐや』(SELENE)」(JAXA「プロジェクト」)
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※6:「ず~っと月面の写真を調べて、針の穴で開けたくらいの、ちっちゃ~い、まっ黒い穴があいてるのを見つけたんです」
(参考)
・ 「かぐや、月面に“縦穴”を発見」(ナショナルジオグラフィックニュース2009/10/27)
・ 「かぐや」地形カメラいよるマリウス丘付近の縦穴(JAXA Channel)<YouTube>

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※7:『 2001年宇宙の旅 』
『 2001年宇宙の旅 』(2001:A Space Odyssey)
 1968年公開のSF映画。
 監督・脚本・制作:スタンリー・キューブリック / 原作・脚本:アーサー・C・クラーク
(参考)
・ 『 2001年宇宙の旅 』(ウィキペディア)
・ 「『 2001年宇宙の旅 』メイキング写真集 」(THE HUFFINGTON POST 2014年4月9日)
・ 「『 2001年宇宙の旅 』解説など
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※8:『 地球幼年期の終わり 』
 著者: アーサー・C・クラーク
 内容紹介: 二十世紀後半、地球大国間の愚劣きわまる宇宙開発競争のさなか、突如として未知の大宇宙船団が地球に降下してきた。彼らは他の太陽系からきた超人で、地球人とは比較にならぬほどの高度の知能と能力を備えた全能者であった。彼らは地球を全面的に管理し、ここに理想社会が出現した。しかしこの全能者の真意は……? SF史上不朽の名作。(『 地球幼年期の終わり 』 Amazonより)
(参考)
・ 『 地球幼年期の終わり 』(Amazon)
・ 『 地球幼年期の終わり 』(「 松岡正剛の千夜千冊 」より)
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※9:「東京教区の佐久間彪神父さん」
東京教区司祭、ヨハネ・マリア・ヴィアンネ 佐久間彪神父さま、7月27日(日)帰天。
通夜は7月30日(水)に、葬儀は31日(木)に、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて執り行われました。
1928年生まれ。享年86歳。
(参考)
・ 「 訃報 」 (東京教区からのお知らせ)
・ 「 教区司祭紹介 第23回 」(教区ニュース 2012年4月号)
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2014年8月3日 (日) 録音/2014年8月16日掲載
Copyright(C) 2014 晴佐久昌英