ここから始めよう

【夏のキャンプ@加計呂麻島】⛺🌀

2016年8月21日 年間第21主日
・ 第1朗読:イザヤの預言(イザヤ66:18-21)
・ 第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ12・5-7、11-13)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ13・22-30)

【晴佐久神父様 説教】

 本当はこの聖書の朗読箇所(※1)を、あの無人島、ハンミャ島の浜(※2)での朗読で聞いて、皆さんは今、西の海の、与路島(よろしま)の夕焼けを眺めながら、私の話を聞いていると、(笑) まあ、そういう状況を夢見ていたわけですが、そうはいきませんでした。台風のうねりのせいで、昨日、ここ、加計呂麻(かけろま)の合宿所に撤収してまいりました。残念でたまりませんが、仕方がありません。
 昨日、みんなで、あの浜に祭壇も作ったのにね。・・・今年の祭壇はピカイチでしたよ。もちろん、今までも、毎年、サンゴ石を積んだステキな祭壇でしたけど、今年は、巨大な、ちょうどいい具合に平たい流木が流れ着いていたので、それを祭壇の天板にして、ぶっとい2本の流木を地中深く埋めて立てた上に乗せて。・・・結構重かったですよね、8人がかりで運んだ流木。あれは、最高の祭壇だった。
 美しい浜全体が聖堂で、そこに自分たちで祭壇を作り、「明日はここでミサをするんだ」という、あのときめく気持ち、あれは格別の思いです。
 後発隊の4人も、今日から合流ということで、このミサでようやく全員揃いましたけど、昨日、その祭壇用意してるとき、思ったんですよ。明日は全員揃って、みんなここに集まって、ミサするんだなって。そしてまさに今日、皆さん4人を乗せた船は、この加計呂麻島ではなく、あの無人島の沖に到着して、それをゴムボートで迎えに行って、浜にお迎えして、ちょうど今頃、「みんな、よく来たね! これで全員揃った、さあ、ミサをしよう」って、あの浜で、このミサをしているとこなんです。
 なのに、無情の撤収。ホントなら、目の前には美しい無人島の海、与路島の夕焼けを眺めながら・・・今頃・・・もういいって?(笑)

 いや、くどいと思うかもしれないけど、ホントにあの浜でのミサを夢見てたんですよ。どうも、ぼくは、夢見る傾向があるみたいです。お気づきとは思いますが。(笑) いろいろ夢を見る。で、いろいろ用意もする。準備し、計画し、実行する。私ほど夢見て追い求めてがんばる人も珍しいとは思うけど、しかし、夢みてチャレンジすればするだけ、当然、夢がかなわないという体験をすることも増えるわけで、その意味では、私ほど夢破れることも多い人は少ないと思う。もちろん夢がかなうことも多いですよ。でも、その陰で、払う犠牲も大きい。無情の撤収も、何度目だろう。
 ・・・うまくいかないんですよ、いろんなことが。思えば、ぼくの人生、結構、いろんなことが、うまくいかなかった。いっつも失敗した。いっつも思ったとおりにいかず、いっつも無力感に打ちひしがれる。そして、そんなとき、いっつも自分の中でささやく声が聞こえる。
 「ああ、やっぱり自分はだめなんじゃないか・・・」
 「自分は選ばれてないんじゃないか・・・」
 「何か、ばかなことをしてんじゃないか・・・」
 「無駄なことをしてんじゃないか・・・」
 「思い上がってるんじゃないか・・・」
 「こんなことしなかった方が良かったんじゃないか・・・」
 「結局、いい気になってるだけじゃないか・・・」
 「いい気になってる陰で、誰かを傷つけてるんじゃないか・・・」
 「神は、こんなこと望んでないんじゃないか・・・」
 そういう、こう、・・・何でしょうねえ、「誘惑」ってやつですね。心の中で、それが湧き起こってくるんですよ。まあ、悪魔のささやきみたいなもんです。「お前はもう、夢なんか見ない方がいいぞ。何もするな。やめとけ、やめとけ」と。
 しかし、人は、そのささやきと戦わなきゃならないんですよ。・・・これ、なかなか大変。
 で、私は、夢は打ち破れても、そのささやき(・ ・ ・ ・)には打ち勝って、「それでもまたやろう」って思いたい。福音を形にしたい。だれかを喜ばせたい。みんなで神の(わざ)であるこの世界をもっとちゃんと味わいたい。「そんな思いを共有する仲間としてやっていきませんか?」って呼び掛けたい。
 なぜなら、この戦い、一人じゃ無理だから。
 実際、こんなとき、必ず誰かが、「はれれ、だいじょうぶだよ。みんな喜んでるよ」「いや、この失敗もきっと意味があるよ。何かいいことにつながってるよ」「いつかは必ずうまくいくよ。今までも素晴らしいことを、いっぱい実現してきたんだから」「はれれ、負けないで!」って励ましてくれる、そんな人もいるわけですよ。で、励まされて、「ああ、そうか。じゃあ、もう1回やろうか」と。
 今回もうまくいかないことがいっぱいあって、なかなかしょげるようなこともありました。結構つらかったし、自分を責めたりしたし。
 結局、撤収のせいで網も張れなかったし、無人島PV(プロモーションビデオ)も作れなかったし、ハンミャの浜に、「ユウコの店」と「みちよの店」が並ぶ姿も、(笑) ついに見られなかった。そこでみんなが、どっちを選ぶのか、笑いころげながら見たかった・・・。
 後発隊は知らないでしょうけど、実はおとといの夜、とりあえず仮営業してみたんです。「ユウコの店」だけ。やってみたら、まあ、若い連中が群がって。後ろでずっと笑ってたんだよね。なんか、浜の生ごみに群がるヤドカリの群れみたいって。(笑) でも、ぼくが夢みてたのは、その隣に、場末の「みちよの店」が開店して、(笑) 「ちょっと、若い子! 座んなさい」みたいに店主が説教する様子だったんで、・・・楽しみにしてたのにな~。いろいろ夢見てた。でも、うまくいかない。
 船長から、「撤収!」って聞くでしょ? 聞いた瞬間、皆さんは、「しょうがない、あきらめよう」って思うまで数秒から十数秒、心の整理をつける時間っていうのがあるんじゃない? 「まだ2泊しかしていないのに」って。かつては「1泊で撤収」っていうときもあったんですよ。つい昨日テント村立ててこれから楽しもうっていうときに、もうテントたたむ、みたいなとき。なんか、そのときの心の切り替え、大事ですね。
 「ああもう撤収か! ホントにがっかりしちゃうな」って思うんだけど、あんなに準備したんだけど、夢はかなわないんだけど、「神のみ心はそうきたか・・・。でも、きっと、これもいいことにつながるんだ!」と、そこで切り替える。これはやっぱり、キリスト者のね、すごいとこですよ。
 弟子たちは、「イエスさまが十字架で亡くなった。もうすべて終わった・・・」って言ってたのに、神の恵みによって、もう、たった三日で、「ここから始めよう!」って切り替えたからね、「イエスは生きている!」と。
 もう、大逆転もいいとこ。そこからぜんぶが始まっている宗教ですから、いや、「宗教」どころじゃない、「終わりは始まり」という「真理」ですから、ぼくらは負けちゃいけないんですよ。「もうダメかな。やっぱり、こんなぼくはダメなのかな」って思ったときに、負けちゃいけないんですよ。・・・「いいや、ここから始まる、みんなで一緒にやっていこう!」と。

 いい朗読でしたね、お二人とも。10代の若い朗読、いいですね。まだまだ、「み言葉」っていうものに触れ始めて間もない朗読、初々しい。
 ただ、年を取れば取るほど、その自分が口にしたみ言葉のすごさを知っていくんです。
 今、お二人、一生懸命読んだでしょうけど、自分が口にしたその「み言葉」というものがどれほどすごいかっていうことを、だんだん知っていくことになりますよ。・・・試練を超えれば超えるほど。だんだん、だんだん。
 今、ヘブライ人への手紙でね、
 「皆さん、あなたがたは、子供たちに対するような勧告を忘れている」(cf.ヘブライ12:5)と。
 それはどういう勧告かといえば、
 まず、「わが子よ、・・・」(ヘブライ12:5)
 この「わが子よ」っていう所が大事ね。語りかける相手はまだ若い。・・・まだ若い。だから、「わが子」は、何も知らないだろうな、と。でも知らないからこそ、親は、なんとか知らせたい。「わが子よ、これだけは知っててくれ」と。
 それは、(いや)なことがあっても、つらいことがあっても、思うようにいかないことがあっても、それこそ「主から懲らしめられてる」(ヘブライ12:5)って思えることがあっても、「力を落としてはいけない」(ibid.)と。・・・「がっかりするな」と。
 「力を落とすな」って言われても、でも、これは大変ですよ。
 お二人に言いたい。「わが子よ」と言いたい。大変なんです。試練があるんです。
 まあ、もっとも、今年のこの10代二人は、すでに結構な試練を乗り越えてきた二人だからね、力を落とすこともいろいろあったけれど、まあ、なんとか乗り越えてきたからね。だから、まあ、分かってくれると思うけども。
 ・・・何があろうとも、「力を落とすな」と。
 なぜなら、「主は愛する者を鍛え」(ヘブライ12:6)ているからだ、と。
 すなわち、力を落としたくなるような懲らしめに出合ったら、「『ああ、主は私を愛してるんだ』と思え」と、そういうことなんです。
 ・・・なんということでしょう。がっかりしたその瞬間に、「これは神の愛だ!」
 そう切り替える。その瞬間、0.5秒で。
 「うわ~! こうきたか~!」「残念だ~!」「悔しいっ!」と、あるいは、「また失敗しちゃった~」と、「人にヤな思いさせたなぁ・・・」と、なんかそう思ったその瞬間に、
 「これは、主が私を愛してるってことだ!」
 「ここから、始めよう!」
 ・・・これに気づく。神の愛のみ心に気づく。なかなか大変よ。なかなか大変だけれども、今日の福音書では「狭い戸口から入れ」(ルカ13:24)と、イエスさまは、そう教えてる(※3)
 その戸口に、みんな気づかない。人間の思いにとらわれているから。何もかも思いどおりにしようとしてうまくいかず、思いどおりにならないと文句を言い、落胆し、あきらめる。神のご計画の素晴らしさ、神の国の宴の喜びに気づかない人たち。
 「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか」 (ヘブライ12:7)
 「およそ鍛錬というものは、始めのうちは喜ばしいものじゃない。悲しいものだと思われる。しかし、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という、すなわち、神さまのみ心、神さまが本当に望んでおられる、その平和に満ちた実を結ばせるからだ」(cf.ヘブライ12:11) (※4)
 私はやっぱり、その実をね、結ばせたい。
 だから、今回も、力を落とさずに、「これは、神さまが鍛えてくださってるんだ」イコール「神さまが愛してくださってるんだ」と、そう信じてやってこうと思う。狭い戸口をくぐり抜けようと思う。そのためには、仲間が必要。力を落とすようなことがあったときこそ、励まし合う仲間になりましょう。「こんなときこそ信じよう」という仲間でいましょう。そのためのキャンプ。そのためのミサ。

 ・・・撤収しちゃいました。
 期間中になんとか、「また行こう!」とは思ってますけど、なんと、悪魔のような台風10号が、東京から戻って来やがった。(笑) ぼくらの後を付いてきた。驚くべき嫌がらせです。
 しかし、「フフ・・・ッ 負けるものか」と力を落とさず、今日から最終日まで、楽しくやろうじゃないですか。励まし合う仲間として、主の愛を信じる仲間として。
 神さま、このキャンプを祝福してください。失敗ばっかりの私たちだけれども、私たちは、あなたに愛されています。どんな状況にあっても、私たちは、神に愛されていると信じます。
 ・・・ご一緒に、信仰を宣言しましょう。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「この聖書の朗読箇所」
この日の朗読箇所は、以下のとおり。
☆第1朗読
 イザヤの預言(イザヤ書)66章18~21節。
  〈小見出し:「栄光の顕現」66章1~24節から抜粋〉
☆第2朗読
 ヘブライ人への手紙(12章5~7節、11~13節)
  〈小見出し「主による鍛錬」12章1~13節から抜粋〉
☆福音朗読
 ルカによる福音書(13章22~30節)
  〈小見出し「狭い戸口」〉
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※2:「ハンミャ島の浜」
この日、晴佐久神父は仲間たちと29年目になる無人島キャンプ中。
ハンミャ島でのミサを予定していた。
 左の地図は大まかな位置を示しました。
 クリックすると拡大しますが、広域地図をご覧になりたい方は、「Google Map」や「Yahoo!Japan地図」などをご覧ください。

 ハンミャ島は与路島と請島との間にある、白い砂浜の坂が特徴的な無人島です。
(参考)・ 「鹿児島 ハンミャ島旅行/ツアーに役立つ観光/地図情報」(「離島ドットコム 奄美情報館」)
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※3:「今日の福音書では『狭い戸口から入れ』(ルカ13:24)と、イエスさまは、そう教えてる」
この日の福音朗読箇所〔ルカによる福音書(13章22~30節)〕から。
===(聖書該当箇所)=== 
「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。』」(ルカ13:22~24/赤字引用者)
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※4:「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。・・・」
この日の第二朗読箇所〔ヘブライ人への手紙(12章5~7節、11~13節)〕から。
===(聖書該当箇所)=== 
「また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
  『
わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
  主から懲らしめられても、
   力を落としてはいけない。
  なぜなら、
主は愛する者を鍛え、
  子として受け入れる者を皆、
   鞭打たれる
からである。』
  あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを
子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。」 (ヘブライ12:5-7/赤字引用者)

・ 「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」 (ヘブライ12:11/赤字引用者)
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2016年8月21日 (日) 録音/2016年9月9日掲載
Special thanks☆Mくん(録音)、Hくん(録音協力)
Copyright(C)晴佐久昌英