真の平和の完成形

【カトリック上野教会】

2016年8月14日 年間第20主日
・ 第1朗読:エレミヤの預言:(エレミヤ38・4-6、8-10)
・ 第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ12・1-4)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ12・49-53)

【晴佐久神父様 説教】

 連日、オリンピックのニュースを見て感動しておりますけれども(※1)、皆さんもご覧になっていますか? 私は昔から、オリンピック好きなんですよ。4年に一度の、この世界運動会を、大変楽しく見守っております。
 まあ、勝ったり負けたりですけれど、その後ろにドラマがあるじゃないですか。みんな、どれだけ試練を超えてきたのか、どれだけの練習を重ねてきたのか、どれだけ恐れを乗り越え、自分を信じて、勝利という喜びのために、さまざまな犠牲を捧げてきたのか。そういうドラマがあるからね。やっぱり、たかが運動会とは言っても「世界一」ですから、そのドラマも半端じゃないわけですよ。そこに、やっぱり感動しますし、「人間っていいなあ」「人間って面白いなあ」「人間って、いろんな不思議な力を秘めてるんだなあ」と、まあ、つくづくと思わされる。
 白井君(※2)なんかね、どうなってるんですかね、あれ。(笑) ・・・何だかよく分からない。飛び上がって、クルクルクルクル回ってる。もう、ああなると、「ホントに同じ人間なのかな?」って(あや)しくなるくらいに不思議な気もいたしますけど。まあ、そこに至るまでの練習、チームワークとか、監督との信頼関係とか、ああいう一流のアスリートたちが抱えているドラマはホントに素晴らしい。
 金メダルを取った200メートルの女子平泳ぎ・・・でしたか、金藤(かねとう)さん(※3)っていいましたか。もう名前にちゃんと「金」が入ってるんですけど、(笑) その練習風景っていうのを、どこかの番組で流していて。・・・非常に厳しい練習なんですよ。筋力を鍛える、筋トレですけど、コーチが、
 「もっとできる! もっとできる!!」って言うと、彼女が、
 「もう無理です! もう無理です! もう、体が『できない!』って言ってます!」
 「いいや、できる! もっとだ! もう1回、もう1回!!」
 「もう無理です! 本能が『無理だ!』と叫んでます!」
 そしたらコーチが、
 「本能を捨てろ!」って言ったんです。(笑)
 そしたら彼女が、
 「本能、捨てまーす!」って叫んだ。
 で、もう1回、もう1回・・・って。
 あんなの見ると、そこまでやるモチベーションってすごいなあって・・・。彼女も一度はね、やめようと思ったって。一度はやめようと思った人が、でも、世界一になれる。・・・この秘められた可能性の、何ともいえない神秘に、私は感動します。なるほど、「人は、『もう無理だ!』って思っても、その先があるんだ」っていう、そういうドラマにね、オリンピックのときは、特にそこに感動する。
 やっぱり、世界一になるっていうことは、必ずそういうドラマがあるんですよ。「もう無理だ」と思って、「もうやめよう」「もうやらない」って(あきら)めたのに、周りの人に応援され励まされ、そして、もう一回やる気を取り戻して、練習を重ねてね。で、「もう無理だ!」って言うのに、コーチが「もっとやれ!」って。「本能が無理だと言ってます!」と言ったら、「本能を捨てろ」って。・・・そこまでやって、で、結局、「そこまでやったのに、何だったんだろう」っていうんなら、また話は別ですけど、ホントに金メダル持ってニコニコして、コーチと目を合わせて泣きだしたりしてるんですよ。
 ああいうのを見ると、さっきも第2朗読で(※4)、「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(ヘブライ12:4)なんて言われちゃいましたけど、なんか、われわれも、「もうちょっとがんばれるのかも」って、思えてきませんか。
 それは決して無駄な努力ではなく、「やればやっただけの喜びが、ちゃんと待ってるんだ」と。
 言うまでもなく、スポーツの話じゃなく、われわれキリスト者の場合は、霊的な意味での努力、忍耐、そして、見えない世界での勝利への熱い熱い思い。・・・そういうものを、ぼくらは持つことができるんだ、霊的にがんばれるのかもっていう話です。オリンピックの季節に、「ぼくらキリスト者も、もうちょっと意地張ろうじゃないか!」っていう、そんな思いになってますけど。
 どうですか? 皆さんは。暑い中、「もういいよ・・・」ってグダ~ッとしてるだけなら、なんかこう、福音のために、「やってやろう!」っていう気持ちをね、新たにいたしましょうよ。

 先週は、私、キャンプに行ってきました。奄美群島の加計呂麻島(かけろまじま)(※5)っていう所の合宿所で、一週間キャンプしてましたけど、すぐ目の前が海でね、今年はスタンドアップパドル(※6)っていうのに、挑戦したんです。ご存じですか? サーフボードってありますでしょ? 波に乗るやつ。あのサーフボードの上に立ってですね、波のない内海を、1本のパドルで、スイスイと海の上を漕いで渡っていくっていう、そういうスポーツです。立って、パドルで漕ぐから、スタンドアップパドルっていうんですけど。
 去年、それを合宿所に用意して、「みんなで、これで遊びなよ♪」って言ったら、みんな、それに乗っかって、楽しそうに漕いでるんですよ。10代の子なんか、最初っからピョンって乗ってね、スイスイスイスイやってるんです。だから去年、「ああ、結構簡単なんだな。あれなら、ぼくでもできそうだな」って思ってたけど、忙しくてできなかった。で、「今年はチャレンジするぞ!」って思ってやってみたんですけど、ま~あ、立てない、立てない。(笑) すぐにドボン、と落っこちるわけですよ。で、立っては落ち、立っては落ち。
 ・・・言っても、私、もう来年は60なんですよね。(笑) バランス感覚っていうんですか? これ、やっぱり、どんどん落ちてるんですね~。・・・皆さんも、経験ありますでしょ? 片足で靴下を履くときによろけるとか。(笑) もう、フラフラ、ユラユラなんですよ。それでもね、私の、これ、いいとこなのか、悪いとこなのか知りませんけど、・・・意地っ張りなんですね。「なんとかやってやる!」って思って、繰り返し、繰り返し、それこそ、「本能捨てるぞ!」くらいの勢いでね。(笑)
 落ちるのは簡単ですけど、海の中で、またボードに登って立つのが大変。腹筋と腕力と、もう全身の力を使ってよじ登って、で、また足に力入れながら、恐る恐る立つわけですよね。漕ぐのだって力がいりますし。・・・で、また落ちる。落ちるのは簡単なんです。(笑) でも、また登るのが大変。それを、5回、10回、20回・・・、あれ、何度落ちただろうか。「おれも意地っ張りだなあ・・・」と思いましたけど、でも、落ちるときに、ボードに当たりますからね、あっちすりむき、こっちすりむき、満身創痍(まんしんそうい)になって、しまいに血を流しながらね。(笑) それでもね、やがては、立てるようになり、漕げるようになるんです。・・・できるようになったときの喜びっていうのは大きいですね。あの海の上をね、ツーっとこう、滑るように・・・って。ホントはもっとすぐに上達できるはずだったんですけどね。その日は波があってね、風もあって、あんまりいい条件じゃなかったっていうのも、・・・って、何言ってんだろう、これ、ただの言い訳ですね。(笑) スミマセン、まあ、ともかく、言いたいことは、できるようになったときの喜びっていうのは、ホントに大きいですねえってこと。

 さっきの第2朗読の最後、「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(ヘブライ12:4)ってありますけど、私、先週、リアルに血を流して、(笑) がんばりました。・・・つまり、そんな努力、そんな成功は、霊的にも可能だってことです。
 でも実際には、目に見えない世界なんでね、ドボンと落ちても平気でいたりするわけですよ、私たち。でも、なんとか意地張って、もう一度這い上がって、ホントにこう、スイスイと神さまの世界を生きていけるように、み旨を生きる喜びを手にできるように、そんなモチベーション、霊的な動機を持って、忍耐し続けましょう。霊的な世界でも、それができるんだから。
 「あなたがたはまだ、やったことがない」と、言われました。
 「一度やってみたらどうか」と。
 こんな言い方もしてました。
 「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」 (ヘブライ12:1)
 そう言われて、「そうだよなあ・・・」と。われわれ、何か忍耐して、ホントにこう、真の神への道、真の喜びへの道、真の自由への道を、ちゃんと走ってるだろうか。「もういいや」と言って、ただ罪に絡みつかれているだけになってないか。「かなぐり捨てて走り抜こう!」みたいな気持ちに、・・・なってますかねえ。でもこれ、だれでも、なれるんですよ。
 オリンピックだったらね、自分がオリンピックに出て金メダル取るなんて、絶対無理だって思ってるでしょうけど、霊的な世界だったら、金メダル、ホントに、やる気さえあれば、だれでも取れる。・・・そういう分野なんですよ。これは目に見えない世界なんで、あまりにいい加減にされている分野なんだけれども、ちゃんとやってみる価値は、絶対にある。
 じゃあ、霊的に、忍耐して、鍛えて、その勝利に至るっていうのは、具体的にはどういうことかっていうと、先ほどの聖書では、「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブライ12:2)走ろうって言ってるんです。・・・イエスさまを見つめます。そのイエスさまの「ようになろう」とします。
 じゃあ、そのイエスさまは、どういうことをしたかというと、
 「自分の喜びを捨てて、十字架を耐え忍んだ」(cf.ヘブライ12:2)
 「ご自分に反抗する人を忍耐された」(cf.ヘブライ12:3)
 ・・・これですね。
 ここが、われわれ、霊的なアスリートの道です。つまり、
 イエスさまを見つめて、自分がどんな不利益を被ろうとも、忍耐する。
 自分の喜びのためというよりは、だれかの喜びのために生きている。
 自分に何か悪いことをされても、それを忍耐して、・・・忍耐して、
 復讐しない。
 責めない。
 裁かない。
 ・・・こういう競技ですよ。
 ダメそうですか? (笑) この競技、やってみませんか? 今日一日でも、やってみましょうよ。
 何を言われても、怒らない。責めない。裁かない。復讐しない。
 イエスさまは、そうなさった。それが、「信仰の創始者また完成者である」(ヘブライ12:2)方。そのようなイエスさまが十字架を背負っている。われわれがイエスさまのことを十字架につけたようなもんなんだけれども、それでも、イエスさまは、われわれをゆるし続けている。それが神さまそのものだ。そんな神さまを見つめながら、われわれも忍耐する。
 まあちょっと、ほら、「禁煙」みたいなもので、「とりあえず一日」っていうやつです。やってみましょうよ。
 暑いとねえ、イライラしてきて、なんか文句ばっかり言って、あっちに当たり、こっちを責めてって、(笑) まあ、そんな日々を、今日はちょっとですね、霊的なね、アスリートとなって、乗り越えていきましょうよ。「今日一日の金メダル」なんていうものをね、神さまは下さるでしょうし、それが、「ああなるほど、こんなに平和な世界が、この私の忍耐で実現できるのなら、またもう一日やろうか・・・」と、そんな思いになれたら、ステキじゃないですか。そうしてもう一日。・・・また金メダル。・・・その翌日も、また金メダル。そうした日々があっても、いいんじゃないですか?

 イエスさまが、なんか怖いこと言ってました(※7)
 「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うな。むしろ分裂だ」(cf:ルカ12:51)
 もちろん、イエスさまは平和をもたらすために来たんであって、ここで言っているのは、「あなたたちが『平和』だと思いこんでいる、そんな安易な平和をもたらすために来たんじゃない」って言ってるんですよ。
 われわれは、つまり、間違った平和をね、つくり出そうとしている。自分だけの安泰とか、自分たちだけの喜びとかをもたらす平和。安易な二元論で、これは平和の敵だ、あれは平和を傷つけるやつだと決めつけて、ただ責めたり排除したり。・・・思い当たること、ないですか? 結局そうして手に入れるものって、(にせ)の平和なんです。だれかを責めたり、排除したり、だれかを犠牲にしたりして成り立っている安定、それは偽の平和なんです。「わたしは、そんなものをもたらすために来たんじゃないよ」と、イエスさまは、そうおっしゃっている。
 今、「日本は平和だ」とか、なんかそんなこと言っても、これは相当「偽の平和」でですね、いろいろな犠牲の上に成り立っている。むしろ、「自分の目の前の喜びを捨てて、そのような犠牲をなんとか解消するために、この私は忍耐します」っていう競技、これをやると、ホントの平和が訪れる。・・・それを目指そうじゃないですか。

 オリンピックは楽しいですけど、よくよく考えてみると、「国別対抗戦」なんですよね、あれ。国別の運動会なんですよ。だから、旗を立てて、各国が入場してきて、胸や背中に国旗を付けて、跳んだり跳ねたり走ったりしているわけですね。・・・まあ、いいんですけど、あの「国別」っていうところが、ものすごく気になる。っていうのは、「戦争」っていうのも、だいたい「国別」でやるんですよね。
 「国」って、・・・何なんでしょうね。なんで国別で争うんでしょうかね。「あの国は好きだ」とか、「この国は嫌いだ」とか、そういう話になるだけでしょ? だけど、いるのは、ただ「神の子」であって、「国」っていったって、いろんな民族が混じってるし、どっちの国と決められないような人すらいるし、線が曖昧(あいまい)なわけですよね。でも、無理やりに線を引いて国境をつくって、「この内側は平和だ」「この外側は攻撃しよう」って。
 私は、線の引きようのないものに線を引くのを罪だって思うんですけれども、そうして、こう線を引いて、いろんな旗を作って、それで運動会ならまだしも、戦争って。・・・いや、運動会だって、どうなんでしょうね。国別であそこまで盛り上がれるんだったら、そして、国別であんなふうに喜んだり一致したりできるんだったら、「人類」っていうくくり(・ ・ ・)で、なんとかそれ、できないものかって、可能性として考えますよ。
 だから、私、「星別」にしたらいいと思うんですよ。(笑) まあ、そうは言ってもよその星、だれも住んでないみたいなんで、(笑) 実現は難しいかもしれないけど、思考実験としてはできるはずですよ。
 星別対抗戦だったら、全人類で、声をそろえて、「地球がんばれ!」って言うんです。
 ・・・ステキですよねえ。「日本がんばれ!」とか、「アメリカがんばれ!」っていうような話じゃなく、「地球がんばれ!」
 で、地球が金メダルをとったら、全地上で、全人類が、「やったー!」って喜べる。そういう力が、人類に本来備わっている力なんじゃないですか。「神の国」なんていうのは、まさにそういう真の平和の完成形なんじゃないか。「日本が平和だ」とか、「アメリカは平和だ」とか、なんか、そういう偽の平和に目を奪われて、真の平和を知らないとしたら、この「真の平和」のために、「忍耐強く走り抜こう!」っていうのがキリスト者なんじゃないですかねえ。

 まだまだ暑い日が続きますけれども、ちょっとこう、オリンピックを見て感動しながら、「私たちも霊的なアスリートになる!」と、そんな思いで、日々、神さまが下さる見えない金メダルを首にかけてもらうような毎日にいたしましょう。
 こういう金メダルのために働く仲間たちだっていうような一致をね、私たちは持つべきです。

 今日、追悼の意向でこのミサを捧げておりますけれども、亡くなられたルドールズ神父さま(※8)、長くね、この教会をご指導くださった。おそらく、教会の平和のため、みんなの平和のために、ホントに忍耐なさったんじゃないかと想像いたしますよ。皆さんのお世話をしたわけですから。(笑) どれだけ忍耐なさったか。・・・霊的な忍耐。
 霊的な道を走り終えて、今や、勝利の金メダルを、天でかけていただいている、神父さまを思いつつ。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「連日、オリンピックのニュースを見て感動しておりますけれども」
 2016年8月5日から8月21日の17日間、ブラジルのリオデジャネイロで「第31回オリンピック競技大会」が開かれた。「リオデジャネイロオリンピック」「リオオリンピック」「リオ五輪」とも。
 南アメリカ大陸での開催は初めてとなる。205の国と地域から、約10,500人の選手が参加。28競技306種目。
(参考)
・ 「第31回オリンピック競技会(2016/リオデジャネイロ)」(JOC-日本オリンピック委員会
・ 「チームがんばれ!ニッポン!」(facebook)
・ 「JOC公式チャンネル」(YouTube)
・ 「リオデジャネイロオリンピック」(ウィキペディア)
・ 「NHKリオデジャネイロオリンピック」(NHK) など
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※2:「白井君」
◎ 白井健三(しらい けんぞう、1996年8月24日-)
 体操競技選手。日体大2年。2016年、リオオリンピックで、オリンピック初出場を果たした。2013年、2015年の世界体操競技選手権では、種目別(ゆか)で2連覇。跳馬と床運動を得意とし、リオオリンピックでも、団体総合の決勝をこの種目で演技し、金メダルを獲得した。
(参考)
・ 「白井健三」(ウィキペディア)
・ 「【体操】最年少『金』白井健三、唯一16点超え『間違いなく断トツで幸せな日』」(スポーツ報知 2016/8/10) 8/14閲覧
・ 「体操 男子団体(白井健三)ハイライト」動画(gorin.jp8/14閲覧
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※3:「金藤さん」
◎ 金藤理絵(かねとう りえ、1988年9月8日-) 
 競泳選手。専門種目は平泳ぎ。特に200mを得意とし、たびたび日本記録を出している。リオオリンピックは、2008年北京オリンピック(7位)に次ぐ2度目で、女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した。
・ 「金藤理絵」(ウィキペディア)
・ 「金藤が金メダル、萩野は銀 競泳・11日」(JOC 2016/8/128/14閲覧
・ 「競泳 女子200m平泳ぎ決勝 (金藤理絵)」動画」(gorin.jp8/14閲覧
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※4:「さっきも第2朗読で」
この日の第2朗読箇所は、以下のとおり。
  ヘブライ人への手紙12章1~4節。
   〈小見出し:「主による鍛錬」12章1~13節から抜粋〉
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※5:「奄美群島の加計呂麻島」
数多くご紹介してきましたが、大まかな場所については以下の画像のとおりです。

 最近の説教では、「蚊帳の中」(「福音の村」2016年5月15日説教)をご参照ください。

 場所の詳細や広域地図をご覧になりたい方は、
 「Google Map」や「国土地理院地図」などをご覧ください。
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※6:「スタンドアップパドル」
 「スタンドアップパドル・サーフィン」(または「スタンドアップパドル・ボード」)のこと。
 
Stand Up Paddle surfing(Stand Up Paddle board)は、頭文字のSUPから、「SUP」(サップ)と呼ばれ、ハワイを中心に、最近日本でも人気が高まっているウォータースポーツ。
 ボードに立ってバランスを取りながら、パドル(カヌーで使用する櫂のこと)で水を漕ぐ。SUPのボードは、サーフボードより浮力が高く、安定性があるので、性別や年齢に関係なく楽しめる。クルージングや釣りなど、楽しみ方もいろいろで、インナーマッスルも鍛えられる。
(参考)
・ 「最新マリンスポーツってどんなものがあるの?」(PLAY LIFE)8/14閲覧
・ 「SUP(スタンドアップパドルボード)とは」(Sevylor〈セビラー〉) 他
(参考画像)
  
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※7:「イエスさまが、なんか怖いこと言ってました」
この日の福音朗読の一節を指す。
 この日の福音朗読全体の箇所は、
  ルカによる福音書12章49~53節
   〈小見出し:「分裂をもたらす」〉
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※8:「ルドールズ神父さま」
◎ マルセル・ルドールズ神父 (1919年-2015年8月16日)
 1919年、フランス、ブルターニュ地方に生まれる。
 1946年、パリ外国宣教会にて、司祭叙階。
 1952年、日本に派遣される。
 1955年から1987年まで、上野教会で、主任司祭。
 1987年から2002年まで、真生会館において、聖書百週間の活動。
 2002年、故郷の司祭養老院にお入りになる。
 2015年8月16日、老衰のため帰天。享年97歳。
*****
 上野教会は、1954年に浅草教会から分かれ、小教区として認可されたが、当時の主任司祭であったルドールズ神父は、聖堂建築資金の寄付のためにも尽力され、大きな成果を上げられた。そして無事、1961年には、聖堂と教会建物が完成し、献堂式が行われた。
(参考)
・ 「【 訃報 】マルセル・ルドールズ神父(パリ外国宣教会)」(東京教区からのお知らせ 2015年8月19日付
・ 「教会のあゆみ」(カトリック上野教会・旧ホームページ)
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2016年8月14日 (日) 録音/2016年9月2日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英