まだ間に合うよ

【カトリック上野教会】

2016年9月4日 年間第23主日
・ 第1朗読:知恵の書:(知恵9:13-18)
・ 第2朗読:使徒パウロのフィレモンへの手紙(フィレモン9b-10、12-17)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ14・25-33)

【晴佐久神父様 説教】

 おととい、夏の無人島キャンプから、無事に帰ってまいりました。
 今年は、日焼けに万全の対策を施したので、(笑) ご覧のとおり、焼けずに済みました。(笑) 「いや、焼けてるだろ~?」とお思いかもしれませんが、これでも例年に比べて、すごくいいんですよ。頑張ったかいがあった。
 そんな灼熱の無人島に、なんでせっせと出掛けるのかといえば、まあ、一つには、美しいから、感動があるから、仲間といると楽しいから・・・と、まあ、そういうことなんですけれども、今日、この教皇さまがお定めになった新しい祈願日に申し上げるとするなら、「神さまのみわざを知りに行く」「神さまの素晴らしいみわざに触れに行く」と、まあ、そういうことです。
 いや、もちろん、どこでも触れられるんですよ。・・・たとえば、空を見上げる。それこそ台風でも来た時なんかにね、空を仰いで「おお、神の力はすごい!」と、そんなふうに、どこでも感じられる。ただ、やっぱり、そうはいっても、「都会」という所は人間の考えで成り立っておりますし、人間を守るためにできておりますし、まあ、逆の言い方をすれば、ちょっと神さまのみわざから「離れる」仕組みになってるんですよね。いい悪いは別にして、事実、そうです。
 それが、無人島に行けば、よく分かります。・・・あそこは、神のみわざしかないから。
 まあ、一応テントくらい立てますけどね、それにしたって、突風が吹けば吹き飛ぶような所ですから、都会で、コンクリートの建物の中で、クーラーをかけて、「暑い、暑い・・・!」って言いながらコンビニ行って、冷たいモノ買って帰って来る。そういう暮らしの中では、なかなか気づきにくい「神さまのみわざ」っていうものに触れられるんですよ。

 人間の考えをはるかに超えた神さまのみわざ、これに触れることは一番大事なことです。先ほど「知恵の書」でも言っておりましたけれども(※1)
 「神の計画を知り得るものがいるか。主のみ旨を悟りうるものがいるか。死すべき人間の考えは浅はかで、わたしたちの思いは不確かだ」 (cf.知9:13-14)
 まさしくそのとおりです。人間は、「こうすれば自分たちを守れる」とか、「こう計画すれば幸せになれる」とか、いろいろ考えますけれども、それは「浅はか」だと。
 「もっと大きく、深く、完全なる、一見(いっけん)、人間には悪いことのように思える出来事であっても、神のみ心こそが私たちを本当に救い、幸せにし、神のみ旨こそが最も美しく、尊く、大切なものだ」
 このようなことを、われわれは知るべきです。紀元前に書かれた「知恵の書」(※2)ですけれども、この個所の結論として、こう言っております。
 「こうして、あなたが知恵をお与えになってくださるから、人はあなたの望みを(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)学ぶようになり、知恵によって救われた」 (cf.知9:18/強調引用者)
 そういう知恵を知ろうじゃありませんか。そういう知恵をこそ求めようじゃないですか。いろんな学問があり、いろんな情報があり、知るべきことはいっぱいありますけれども、紀元前の「知恵の書」は、「神の望みを学べ」と。それは、「天の高みから聖なる霊が遣わされ」 (知恵9:17) 、われわれは、それを知ることができるようになるんだ、と。
 実はこうしている今でも、天の高みから、その聖なる霊は注がれているんだけれども、コンクリートの中で、いろんな情報で頭をいっぱいにしていると、それに気づけない。それを学べない。だから、いったん、そこから離れることが必要です。そういう意味で、「無人島」という所は、私にとっては一つのシンボリックな場所です。・・・もちろん、誰もが行ける所じゃないですよ。けれども、人は誰でも、「わが心の内なる無人島」に立つことができます。皆さんも、霊的な意味で、人里離れたところにちゃんと立てるように、そのためにも、たまには空を眺め、ただ単に「台風はヤダ」ではなく、この大自然の神秘を、しっかりと受け止める心が必要でしょう。

 新しい祈願日っていうのは、今年から、今日が「祈願日」になったんですね、9月の第一日曜日。・・・お手元の『聖書と典礼』(※3)にも載っていると思いますが、教皇フランシスコは、去年、「ラウダート・シ」(※4)という、まあ、「被造物を大切にしよう」という内容の回勅を発表なさって、それを受けて、「被造物を大切にする世界祈願日」(※5)というものを定められました。
 まあ、いろんな祈願日があるからね(※6)、また一つ増えたかと思うかもしれないけど、よくよく考えてみると、一番大事な祈願日かもしれないね。ぼくらは大自然の中で生きているし、そこから離れたら生きていけないし、そこに溢れている神の知恵を知らずに、われわれは幸せになることはできない。政治も大事、科学も大事、信仰も大事。・・・もちろんそうなんだけれども、大自然から離れては、ぼくらは生きていけない。大自然から離れるってことは、ホントの愛とか、ホントの幸せとかから離れるってことでもある。そこのところを考えると、やっぱり被造物を大切にすることは、一番大事なのかもしれないね。
 今回、無人島キャンプから戻ってきて、ベースキャンプで、みんなで「天空の城ラピュタ」(※7)を観たんですけど、・・・ご存じですか? 宮崎アニメの。あの中で、主人公の女の子、・・・何ていったっけ、・・・「シータ」でしたかね、彼女が叫ぶんですよ、「人は、土から離れては生きられないのよ!」って。大自然から、その恵みから離れて、人は生きていくことができない。
 教皇フランシスコは、神さまがお創りになったこの大自然の尊さ素晴らしさ、これを知って、これを大切にして、これを本当の意味で生かすこと、それが何よりも大切だということを私たちに訴えていますし、そのために「祈願日」を設けました。9月の第一日曜日と日本では定められて、これから毎年お祈りすることになりますけれども、心して祈ろうじゃないですか。
 人間に最も大切なもの、「神さまのみ心」を知る。そのためにも、神のみ心があふれている大自然を知り、その神さまのみ心の中で生かされていることを、感謝して賛美すること。・・・こういうことをちゃんとできないと、人は、ホントに滅びてしまう。

 イエスさまの、今日のこのたとえにですね(※8)、「一万の兵を率いて戦争に出て、相手が二万だと知ったら、これ、早目に和解した方がいいに決まってるだろ」と (cf.ルカ14:31-32) 。これ、「いいや、平気だ!」とかって言って進軍していったら、全滅するわけですよね。でも、ぼくらの科学技術とか、資本主義とかって、今、なんだか、「一万の兵」で「百万の自然」に立ち向かっていって、全滅しそうな感じになっちゃってるんじゃないですか。
 イエスさまのこのたとえは、つまりは「中途半端はいけないよ」って言ってるんですよ。「ホントに勝てるんだったら勝ちなさい。でも、勝てないと分かったら、まず、全軍を引き上げるしかないでしょ」と。・・・実はこれ、「神さまに勝てるわけないでしょ」って言ってるんですけど、今の世の中を、ちょっと思わせませんか?
 中途半端が一番いけない。人間の甘い計画で、「まあ、自分の力でなんとかうまくいくだろう」と。でも、それは「全滅」というリスクを抱えているのです。その意味での人類の曲がり角、もう来てるんじゃないですか、決断の時が。

 無人島から戻ってきて、船で港に着くときに、副隊長が、船をロープで港に係留するために、岸壁に飛び移ろうとしたんですね。ロープを掛けるとこ、あるでしょ。岸壁にちょっと出ている、・・・何ていうんでしょうかね、あれ。石原裕次郎が片足載せるところです(※9)。(笑) あれに掛けるために、ロープを持って飛び移ろうとしたんです、岸壁に。・・・でも、本人、そんなこと、したことないんですよ。ただ、いつも見てるから、自分はできると思ったんですね。だけど船は揺れてますから、飛び移ろうと思って、でも一瞬躊躇(ちゅうちょ)して、いや行ける、と思ったら、スッと船が岸壁から離れて、ドボンと落ちた。こっちも、一瞬視界から消えたから、何が起きたか分からず、ホントにびっくりした。船の間に挟まれたら潰れちゃいますから、危ない状況でした。慌てて引き上げられたんですけど、・・・「死ぬかと思った」って本人、言ってました。
 原因はただ一つ。「できると思った(・ ・ ・)」んです。やったことがないのに、できると思った。・・・半端ですよね。「練習しました。経験があります。だからやります」っていう話じゃない。自分はできると思った。でもできませんでした。半端です。しかも、飛び移ろうとしたとき、飛べるか飛べないか、一瞬ためらって、結局、中途半端に飛んで落ちました。・・・半端です。
 これ、一人でドボンと落ちたって話ですけど、全人類が、ドボンと落っこって、「あ~あ、できませんでした。滅んじゃいました」ってわけにはいかないんですよ。ぼくら、「できない」と思ったら、やっぱり、「忍耐する」「引き上げる」。・・・大事なところなんです。「中途半端はいけないよ」と。
 こんなに自然界を壊しながら、われわれ人類、このまま突き進んでいいわけがない。どこかで引き返さなきゃなんない所があるんじゃないですか? 自然界を前に、私たちは真の知恵を、神さまの真のお望みを知るときは、もう来ております。いやもう、取り返しがつかないところまで突き進みつつあるなかで、教皇がこの祈願日を定めた意味は、はっきりしております。「まだ、間に合うぞ」と。「神さまは、そんな意地悪じゃない。人間の成長を望んでおられる。まだ間に合うぞ。決断の時だ。引き返そうじゃないか」と。
 ・・・勇気ある撤退。

 今年のキャンプも、無人島に6泊するはずだったのが、結局2泊で撤退しちゃったんですよ。これ、苦渋の決断でした。・・・台風10号(※10)っていうの、覚えてます? 不思議な迷走台風があったでしょう? あいつ、ぼくらの後を付いてきたんですよ、ず~っと。東京付近で台風になって、「ああ、東京、大変ですね・・・」と思って東京を後にして奄美大島に行ったら、ず~っと後ろを付いてきたんです。その上、奄美の沖で、ず~っと停滞してたんです。
 そうすると、いい天気で風もなくても、うねりが来るんですよね、台風からの。で、うねりで波が出ると、もう、ゴムボートも出せないし、船に帰れなくなっちゃうから、うねりが来る前に撤収しなきゃならないんですよ。・・・せっかくね、一年準備して、20人近く島に渡って、テント村をつくって、「さあ、これから無人島ライフをしっかり味わおう!」っていう矢先に、しかも、三日目くらいからが本番だってのに、2泊したところで、台風が来る。渡した船長は苦渋の決断をするわけですね。あいつらを何とか置いといてあげたい。でも、置いとけない。うねりが来てからじゃあ、手遅れになるから。・・・それで、連絡が来る。
 「撤収してくれ」
 「え~っ、こんなに静かな絶好の天気、絶好の海なのに、もう撤収しなきゃならないの?」
 ・・・それを受け入れるのはつらい。つらかったです。ちなみにこの台風10号、ず~っとぼくらを見守っていただけじゃなく、今度、ぼくらが帰っていくときに、また付いてきたんですよ。よほど好かれたとしか言いようがない。その後、東北や北海道で大暴れしたあの台風です。
 でも、あの台風のおかげで、改めて学んだこともあるわけですね。「勇気ある撤退」。・・・これですね~。
 船長は当然、危険は冒せないから、「撤退しろ」という。私もそれを受け入れて、ベースキャンプに撤退しました。テント、タープ(※11)、苦労して渡した重い水、ぜ~んぶ、また引き上げた。・・・ところがですね、実は、結果としてはその後、うねりは来なかったんですよ、翌日も、その翌日も、その翌日も。だから、いようと思ったら、全日程いられたんです。でも、いつうねりが来るか、そんなことだれも分からない。神さまだけがご存じです。もし急に来たら、これは「全滅」を意味するわけで。まあ、それでも何とかならないこともないんだけど、でも、危ないことはできない。・・・勇気ある撤退。

 戻ったベースキャンプは目の前が海で、そこの合宿所で、炊事、洗濯をするわけですけれども、排水はぜんぶパイプを通して海に流れる。そうすると、目の前の美しい海、そこで自分たちも泳いでるわけでしょ、そこに自分たちの排水を流してるわけなんですよ。・・・下水はもちろん、浄化槽に流しますけど、生活排水は、海に流している。なので、化学物質を使えないんですね。普通の、われわれが町で使っているようなシャンプー、せっけん、食器洗いも洗濯洗剤も、あそこでは使えない。界面活性剤なんか入ってたら、泡が立っちゃいますからね。これ、まさに、自分たちの目の前の、自分たちが泳いでいる美しい海のために、自分たちが何か我慢しなきゃいけないことが出てくるっていう体験です。
 不便は不便ですよ。有機洗剤っていうのかな、自然に分解して、自然に戻っていく洗剤。それで頭を洗う、食器を洗うわけですけど、やっぱり油がなかなか落ちなくて、非常に苦労する。ぬるぬるしてね。洗濯だって、そんなにいい香りのする洗剤じゃないです。汚れもきれいに落ちるわけでもない。でも、それで洗う。それは不便だし、一見不利益なんだけれども、目の前の自分たちの海は、きれいに保てるわけで、その意味では利益がある。これ、どっちが大事か。
 より大事な方を大事にして、より大事じゃない方はあきらめる。「勇気ある撤退」って、そういうことでしょ。
 この世界をどんどん汚しといて、後のことは孫に「よろしくね~♪」って言って、(笑)自分たちは去っていくっていうんじゃあ、これはあんまりでしょう。人間は、勇気を持って、忍耐を持って、工夫して、この危機を乗り越えていくことができます。・・・必ずできます。

 今回大活躍したのは、「ソーラーランタン(※12)」ってやつです。
 これはホントに美しい。大発明ですよ。ぼくが使ってて一番気に入ったやつは、一辺10センチくらいのサイコロ型なんですね。透明なプラスチックっていうか、ビニールでできている。で、これ、折り紙みたいに折り畳めるんです。片面にソーラーパネルが付いてる。小っちゃいソーラーパネルですよ。これを畳んで日なたに置いておくと、夜、それを四角く膨らませてスイッチを押すだけで、一晩光ってる。
 これは優れものです。「人間、やるじゃん!」って感じですよね。さすが、神から与えられた知恵。何も汚さない。太陽の光が、昼間の間に蓄えられている。小っちゃくてね、畳んだら、ホントに薄くなっちゃうんですよ、どこに、蓄電池があるんだか、分かんないくらいに。でも、その中に、昼間の太陽の光をためこんでおいて、夜になると、それを光らせる。・・・美しいと思う。非常にコンパクトで、機能的で、美しい。「太陽の明かりが、夜光ってる」って感じでね。無人島の夜、それ一つで十分足りるんです。
 これに比べると、原子力発電所とかって、でかくて武骨で、少なくとも言えることは、「美しくない」。・・・醜いですね。あれ、どうなんでしょう。原子力発電所を見て、「おおっ! カッコいいな」「わあ、きれいだな~♪」「これぞ人類の英知だ!」とかって言ってるとしたら、あまりにセンスがない。
 「被造物を大切にする」っていう人間の使命、神の創造のみわざに(あずか)ること、それを、われわれは何よりも大事にしたい。それが大切にできれば、「この世に生まれてきたかい(・ ・ )がある」っていうような、そういうチャレンジをしていきたい。特に、若い人たちに、それを知ってもらいたい。

 無人島キャンプは、スマホ禁止なんですよ。スマホ禁止って言うと、みんな最初は、「え~っ!?」っていう感じで、スマホなしでだいじょうぶかなあ・・・と、不安に思うようですけど、これがですね、一日たち、二日たつと、み~んな口をそろえて言うんです。
 「こんなに楽だとは思わなかった」
 「解放されて気持ちいい」
 「いちいちチェックしないで済む」
 「何も返さないで済む」
 つまり、便利なようでいて、実はいっつも縛られてるんですよね。
 ・・・人間、この地球上で、一体、何をしているんでしょう。
 しかし、この大自然の中で、大自然と共に、人間がホントに幸せに生きていく道っていうのは、確かにある。答えはあるんです。さすが人間、それを見つけることができるんです。人間は協力し合って、それを見つけ出すことができるんです。ぼくらは、今、間違えたことをしている。そこに、やっぱり気づくべきです。これはやっぱり、天からくる知恵じゃないと分からない。

 無人島とはいっても、20人くらいいるわけだから、結構にぎやかです。それで、たった一人になるチャンスを与えようと思って、島の反対側の浜で、一人で一晩過ごすというチャレンジをさせました。島の反対側に、干潮のときにしか行けない浜っていうのがあるんですね、潮が満ちたら戻って来れないところ。そこに一人で水だけ持ってって、一晩テントなしで過ごして、また戻ってくるっていうチャレンジですけど、毎年「やれ、やれ」って言うのに、誰もやらない。(笑)
 でも今年、ついに一人出たんですよ、「やる!」っていうのが。・・・で、行ってきたんですよ~。夜中、真っ暗でしょ。ホントに完全に一人。すると、自分の中の暗い思いみたいなのが、わんわんと出てくるんですね。そんな自らの心の闇と、しっかり向かい合わなければならない。そして、朝が来る。・・・そうすると、一回りも二回りも大きくなるんですよね。
 ただまあ、その彼は、寂しくてしょうがなくなって、浜に流れ着いていた板に、発泡スチロールの顔を付けて、穴を開けて目にして、頭には枯れたソテツの葉を刺して髪の毛にして、(笑) 「ウィストン」とか名付けて、話しかけてたって。(笑) ウィストン、連れて帰ってきましたけどね、「友達ができた・・・」とかって。(笑) 実は約束の時間より2時間近く早く戻ってきたんですけど、「寂しいから帰ってきちゃった」って。(笑)
 いい体験です。
 「人が独りでいるのは良くない」 (創2:18)
 神さま、創造のみわざの最初にそうおっしゃった。
 ぼくらは大自然の中で、もう一人のだれかと出会います。そして「大切に」思います。そして、協力し合って、大自然の中で共に真の幸せを求めながら生きる道を歩みます。
 この星の上で神さまがなさった素晴らしいこと、それさえ大事にできるならば、後はちょっと石けんが悪かろうと、台風で帰ってこなければならなくなろうと、そんなことはどうでもいい。・・・神のみわざの中で出会って、お互いに大切にし合う人生。

 わが無人島、まるで天国のようなサンゴ礁で、海の中は百花繚乱、息をのむ美しさでしたし、それを見せたくてみんなを連れて行っていたってのもあるんですけど、実は15年前、そのサンゴが絶滅しました。2000年になったころに白化現象を起こして、すべて消えました。海の中はガレ場(※13)となり、「温暖化のせいだ。海を汚したせいだ。人間はこうやって地球を殺していくんだ。そうして人類も滅んでいくんだろうか」と、私は絶望的な気持ちでおりました。あの楽園のようなサンゴ礁、それを見に通っていたのに、無人島の周りは、サンゴがまったく無くなった。
 ところが、今年、なんとサンゴが戻ってきてたんですよ。・・・美しいサンゴ。最高の状態を100とするなら、まだ20、30くらいですけれど、・・・戻ってきてたんですよ。自然の力、すごいねえ。30年前の天国を思い出して、泳ぎながら涙出そうになりましたよ。「もう二度といなくならないで!」っていう気持ちになりました。
 神さまから、「まだ間に合うよ!」、そう言っていただいたように思いました。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「先ほど『知恵の書』でも言っておりましたけれども」
 この日、2016年9月4日(年間第23主日)の第1朗読では、「知恵の書」から以下の箇所が読まれた。
 「知恵の書」9章13~18節。
  〈小見出し:「知恵を求めるソロモンの祈り」9章1~18節から抜粋〉
・・・< 文中へ戻る

※2:「紀元前に書かれた『知恵の書』」
 「知恵の書」の著述の年代は、紀元前88年から同30年までの間に書かれたと考えられている。
著述の場所は、おそらくエジプトのアレクサンドリアが最もふさわしいとされるが、著者の名前は伝えられていない。一般的に、原語はギリシャ語といわれている。
*****
 「知恵の書」は、旧約聖書の「第二正典」と呼ばれる七つの書(トビト記、ユディト記、マカバイ記一、マカバイ記二、
知恵の書、シラ書、バルク書)の一つ。 古代キリスト教の教父たちは、使徒時代から一貫して聖書として用いており、カトリック教会はそれを引き継いで、詩編に次いで、典礼でも頻繁に用いている。(プロテスタントでは、これらを「外典」または「アポクリファ」と呼び、聖書とは認めていない)
 著述の年代、原語、教義の点からも、新約聖書に最も近く、密接な関係にあり、新約聖書の導入口のような働きをしている。
 ギリシャ語の写本では「ソロモンの知恵」と題され、ヴルガタ訳ラテン語訳で「知恵の書」となっている。
(参考)
・ 『聖書-原文校訂による口語訳』(フランシスコ会 聖書研究所、2011年)
・ 「旧約聖書続編」(「聖書とは」<日本聖書協会
・ 「神に従う人の受ける報い(知恵の書 3章1節-9節)ラウレンシオ 小池二郎神父(カトリック甲子園教会) など
・・・< 文中へ戻る

※3:「聖書と典礼」(既出)
 『聖書と典礼』(発行:オリエンス宗教研究所)は日本のカトリック教会共通の小冊子で、主日のミサ、また、一部の祝日のミサのときに用いられる。
 B6版のものと、少し大きめのB5版のものがあり、通常は8ページ程度から成る。
 ミサは典礼書に従って進められるが、聖書の朗読箇所や、答唱詩編、アレルヤ唱、共同祈願などは、ミサのたびに異なるので、この小冊子が会衆(参加者)に配布され、それに添って進んでいく。また、欄外には、該当聖書箇の説明や、短い説明などが記されている。
 表紙には、その日の典礼に合わせた、美しい絵画やイコンなどが載っている。
(参考)
・ 「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所
・・・< 文中へ戻る

※4:「ラウダート・シ」
 2015年6月18日、教皇フランシスコは、環境に関する回勅「ラウダート・シ」(「主を賛美せよ」の意味)を発表した。
 表題は、アシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」の中の言葉「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ」(「わたしの主よ、あなたは称えられますように」)から取られている。
(参考)
・ 『回勅 ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』(カトリック中央協議会
・ 「教皇フランシスコ、回勅『ラウダート・シ』発表」(バチカン放送局 2015/6/182016/9/12閲覧
・ 「教皇フランシスコによる回勅『ラウダート・シ』要旨」(バチカン放送局 2015/6/182016/9/12閲覧
・ 『回勅 ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』教皇フランシスコ(著)、瀬本正之(翻訳)、 吉川まみ(翻訳)Amazon) など
・・・< 文中へ戻る

※5:「被造物を大切にする世界祈願日」
 教皇フランシスコは、すべてのキリスト者が同じ意向で祈りを捧げるようにと、9月1日を同祈願日に定められたが、日本の教会では「主日に全教会で祈ることがふさわしい」と、9月第一日曜日とすることが決定された。
(参考)
・ 「『日本の教会における祈願日』新設と名称変更のお知らせ」(カトリック中央協議会
・ 「10月4日までの『被造物の季節』に祈りや行動を呼び掛け 9月1日は『被造物を大切にする世界祈願日』」(クリスチャントゥデイ 2016/9/12016/9/12閲覧
・・・< 文中へ戻る

※6:「いろんな祈願日があるからね」
(参考)
カトリック教会の祈願日  (カトリック中央協議会
 ◎ 世界平和の日 (1月1日)
 ◎ カトリック児童福祉の日 〔(新)「世界こども助け合いの日」名称変更2016年6月〕(1月の最終日曜日)
 ◎ 世界病者の日 (2月11日)
 ◎ 四旬節 (四旬節中)
 ◎ 世界青年の日 (受難の主日)
 ◎ 世界召命祈願の日 (復活節第4主日)
 ◎ 世界広報の日 (復活節第6主日)
 ◎ 被造物を大切にする世界祈願日 (9月の第1日曜日)
 ◎ 世界難民移住移動者の日 (9月の第4日曜日)
 ◎ 世界宣教の日 (10月の最後から2番目の日曜日)
 ◎ 宣教地司祭育成の日 〔(新)「宣教地召命促進の日」名称変更2016年6月〕 (12月の第1日曜日)
・・・< 文中へ戻る

※7:「天空の城ラピュタ」
 1986年(昭和61年)公開の宮崎駿監督、スタジオジブリ制作のアニメーション。
 少年パズーと少女シータが天空に浮かぶ伝説の島ラピュタを目指す冒険活劇。
(参考)
・ 「天空の城ラピュタ」(ウィキペディア)
・ 「天空の城ラピュタ」(ニコニコ大百科) ほか
・・・< 文中へ戻る

※8:「イエスさまの、今日のこのたとえにですね」
 この日、2016年9月4日(年間第23主日)の福音朗読〔ルカによる福音書(14章25~33節)/〈小見出し:「弟子の条件」〉〕から。
===(聖書参考箇所)=== 
また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 (ルカ14:31~32/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※9:「何ていうんでしょうかね、あれ。石原裕次郎が片足載せるところです」
 「ボラード」(Bollard)とか、「係留ボラード」(Mooring Bollard)と呼ばれる。

(参考)
係船装置」(weblio辞書)
・・・< 文中へ戻る

※10:「台風10号」
◎「平成28年台風10号」
     経路脇数字:8月日付 ○:午前9時位置 ●:午後9時位置
 左の画像は、「台風経路図=平成28年(2016年)【8】第10号※(上陸)」です。(掲載:気象庁HP)9/12閲覧
 クリックで拡大します。
 台風の経路が実線で記されていますが、経路上の○印は、その傍らに記した日の午前9時の位置、●印は午後9時の位置で、「→|」は消滅を示します。
 発生期間:2016年8月19日~8月31日
 八丈島近海で19日に発生して本州に近づいたが、日本列島をはさむ東西の高気圧に進路をふさがれて北上できず、南西に進んだ。その後、今度は西側の高気圧に阻まれて、沖縄県の南大東島付近にとどまることになった。
 海面水温が高いために消滅しないまま勢力が強まり、26日には進路を北東にUターン。28日は大型で非常に強い台風となった。30日には岩手県大船渡市付近に上陸。31日に温帯低気圧に変わった後も、東北や北海道では大雨や暴風などの影響により、甚大な被害が出た。
(参考)
・ 「平成28年台風第10号」(ウィキペディア)
・ 「台風10号、異例のUターンの理由 観測史上初の事態か 2016/08/29」(The Huffington Post)9/12閲覧
・ 「【台風】 不思議すぎる動きの10号 2016/08/29」(weathernews) 9/12閲覧 など
・・・< 文中へ戻る

※11:「タープ」(英:Tarp, Tarpaulin)(既出)
 日差しや雨を防ぐ広いシート。キャンプに用いられる。
 大きな一枚布を、屋根のように張る。自立する蚊帳のようなものも、「タープ」として売られている。
(参考)
・ 「タープ」(ウィキペディア)
タープの画像いろいろ
(参考画像)
 
・・・< 文中へ戻る

※12:「ソーラーランタン」
 電池不要で、太陽光で充電できるランタン。
 災害時の灯りとして、また、アウトドアや、間接照明としても利用されている。いろいろなものがあるが、たとえば下の商品は、ソーラーパネルで充電して、簡単に折りたたむこともできる。

 ☆YouTube「ソーラーパフ 使い方」(mika harigai)より /(「ソーラーパフ」はソーラーランタンの一つで商品名)

(参考)
・ 「ソーラーパフ人気の秘密!5つの魅力とカラバリ紹介」(CAMP HACK
・ 「ソーラーパフ」(株式会社モチヅキ
・・・< 文中へ戻る

※13:「ガレ場」
海の底に岩や死んだ珊瑚が積み重なっているところ。
(参考)
・ 「ガレ場」(ダイビング用語集
・・・< 文中へ戻る

2016年9月4日 (日) 録音/2016年9月21日掲載
Special thanks☆Kさん(録音協力)
Copyright(C)晴佐久昌英