天上の宴を夢見ながら

2016年3月27日 復活の主日
・第1朗読:使徒たちの宣教:(使徒言行録10・34a、37-43)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント5・6b-8)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ20・1-9)

【晴佐久神父様 説教】

 こうして皆さんと一緒にミサを捧げて、皆さんの前に立って説教をするのも、いよいよ、もう来週が最後ということになりました(※1)。復活祭ということで、久しぶりに来られた方も多いでしょうから、そういう方々とは今日でお別れね、・・・ということで。(笑)
 まあ、「別れの説教」なんていうのは、なんかちょっと、おこがましいですし、この7年間、精いっぱい福音を語ってまいりましたから、「これ以上、もうお話することはありません」っていうのが、正直な気持ちです。

 ありがたいことに、「福音の村」っていうホームページがありますから、「ああ、こんなこと話してたな」「そんなことも語ってたな」と、折りにつけ読み返していただければ、「晴佐久(ぶし)」といいましょうか、私の語る福音は、折りに触れ、これからも、読むこと、聴くことができます。
 ・・・「聴くこと」っていうのは、この4月から、「FEBC」というラジオ局で、この説教壇での説教が放送されるんですね(※2)。インターネットでも聴くことができます。
 で、今日も目の前にレコーダーが立ってるんですけれども、それも今日が最終回なんですね。この録音をもって、半年以上に及ぶ録音が終わって、そして、編集したものが放送されます。・・・編集してあるから、だいじょうぶです。(笑) 変なところは、ちゃんと削ってあります。
 ずっと以前にも、私の説教、放送されてたことがあるんですけれど、録音されてると、自由にしゃべれないような感じで、その後はお断りしてたんです。でも、大変人気番組だそうで、(笑) 「どうかまたお願いします!」なんて言われて、「それじゃあ、今回はもう気にせず、好き勝手しゃべろう・・・」っていうことで、やってまいりました。
 それにしても、「福音」って、すごいですね。今日しゃべっている、この説教も、いつ、どこで放送されるのか、誰が、どのような状況で聴くのか、そして神さまが、そのとき、そこでどんな素晴らしいことをなさるのか、それはもう本当に、誰にも分からない。分からないけれど、福音は、聖霊の導きによって、必ず語られるし、必ず聴くべき人のところに届くし、そして必ず、救いを実現させます。・・・すごいですね、福音の力。福音って、なんとか人を救おうとして、あらゆるチャンスを、・・・変な言い方ですけど、「うかがって」るんですよ。
 見回せば、苦しんでいる人がこれだけいるんだから、そんな人たちに、神さまは、「ホントにあなたを愛しているんだよ」と、「あなたを必ず救うよ、いや、もう救ってるんだよ」と、「気づいてほしい」「目覚めてほしい」「信じてほしい」、そして、「安心の涙を流してほしい」と、そう、熱く熱く思っておられる。
 イエス・キリストの口からあふれてくる福音は、そのような神さまの思いそのものですし、私もイエスの口となって7年間、ここで語ってまいりましたし、それがインターネットにも残っておりますし、ラジオで全国に放送もされます。・・・神さまの熱い思いは、とどまるところを知らない。

 さっき、第2朗読で(※3)、「練り粉がパン(だね)で膨らむ」(cf.一コリ5:6b)っていうパウロの言葉がありましたけど、まさに、「福音」というパン種が入ると、私たちの内に神の国が膨らんでいきます。それはもう、しぼむことがない。
 ミサに来るとき、川沿いのサクラ、ご覧になりました? 咲き始めましたね(※4)。あれはもう、咲き始めたら止まらない。必ず満開になりますよ。なんか、2、3(りん)、ようやく咲いたようなサクラの木もありましたけども、それで終わるっていうことがない。必ず満開になります。・・・神さまのみ(わざ)がとどまることは、あり得ない。
 イエスの復活っていうのは、もう、「サクラの木に、春が来ました」、まさに、そういうことです。
 春が来ちゃったら、もはや誰も、冬に戻そうたって戻せない。そりゃあ、まだちょっと寒い日もあるかもしれないけれども、・・・春は、必ず来ます。そして、サクラは必ず咲くんです。

 イエスの復活は、私たちの復活です。この世界の復活です。
 まあ、「復活」っていう言葉が、う〜ん、いつもちょっと気になる。日本語ではそういう翻訳ですけれども、一番近い言葉は「誕生」だと、私はいつも申し上げてきた。
 「永遠のいのちに復活する」っていう言い方が、さきほどの集会祈願の中にもありましたけれども(※5)、「永遠のいのちに復活する」じゃあ、ちょっと分かりにくい。まあ、あえて言えば、われわれは本来的に、永遠のいのちの種を神から与えられてるわけですから、それを知らずにいた死の世界から「復活する」といっていいのかもしれないけれど、単に元に戻るじゃないんです。明らかに、われわれは、「新しい段階」に入ったんです。誕生したんです。もう、お母さんのおなかに戻ることは、ないんです。
 ・・・その「新しい段階」のことを、「新約時代」という。
 イエスにおいて始まったこの時代、それは、それまでの、人間の欲望とか、(あやま)ちとか、とらわれのせいで、救いを見失っていた世界の中に、決定的に、新しい段階が始まった。以来まだ、たった二千年しかたってませんし、なかなか、目に見えるかたちで「全世界が救われた」とまでは、とうてい言えません。・・・でも、もう始まってるんです。われわれは、それを信じて、すでに誕生し始めた者として、この復活の信仰、誕生の知らせを()べ伝えます。
 ・・・「もう、救われてるんだよ!」と。

 目の前に、胸に花を付けた38名の方たちが並んでおります。この、胸に花を付けている人たちが、昨日の夜、この聖堂で、新たに誕生した人たちです(※6)
 私は、「復活を誕生にたとえるんだったら、何よりの一番のしるしは受洗者だ」とも、ずっと申し上げてきた。今、まさに咲き始めている人たちです。
 ここにいる38名は、それぞれの人生を歩んできて、それぞれの痛み、苦しみ、つらい思いを抱えてきましたけれど、神さまからの恵みによって救いに目覚めて、昨日、この聖堂で、新たに誕生いたしました。・・・生まれたてですよ。ご覧ください。この恵みの出来事は、私たちの教会を励ましますし、そして、今苦しんでいる、すべての人たちを励まします。
 ネットで読んでる方、ラジオで聴いている方、あなたの苦しみは、必ず救われます。
 私は、そのしるしを今、目の前で見ております。
 「あなたも、必ず救われる。・・・いや、もう救いのうちにある」
 ・・・それを信じていただきたい。

 昨日の復活徹夜祭の説教で、息子さんを亡くしたご夫婦のお話をいたしましたけれども(※7)、実は、そのミサの後で、「今日、ようやく納骨をして来ました」って聞いて、「ああ、そうでしたか・・・!」と、私、すごくうれしく思いました。お二人は昨日、息子さんの納骨をしてから、復活徹夜祭のミサに来て、洗礼を受けられたんですね。
 お二人は、ちょうど1年前に、23歳の息子さんを亡くしました。そうして、一年間、ず〜っと苦しんでまいりましたけれども、福音を聴いて、信じて、そして、「洗礼を受けたい」と願い出た。
 「息子さんは、生きている」という、福音を信じた。
 「先に誕生していったんだ」と、そう信じた。
 「私たちもみんな誕生していくんだ」と、そう信じた。
 そして、「洗礼を受けたい」と願って、永遠のいのちに入る最も美しいしるしである、「洗礼」という誕生を、昨日、体験いたしました。
 お二人が「洗礼を受けたい」と願い出たとき、「それじゃあ、ちょうど一周忌だから、息子さんのためのミサ、ある意味で葬儀ミサにも等しい、追悼ミサをいたしましょう」と提案して、先週の日曜日、聖週間の始まる受難の主日の午後3時から、この聖堂で、息子さんの追悼ミサをいたしました。そのとき、お二人は、骨壺に入ったお骨を持って来た。・・・一年間、納骨できないでいたんですね。その気持ちは、よく分かります。
 しかし、「息子は死んだのではない。先に生まれていったのだ」と信じ、むしろ、「息子が背負った犠牲の分、私たちが精いっぱい『信じる』という奉仕をして、神さまの世界への誕生の新たなしるしとなり、(あか)し人となるんだ」と、そう決心した。
 ですから、先週の追悼ミサは、お二人にとって、そして私にとっても、本当にホッとする美しいミサだったと思う。
 さっき、「復活の続唱」(※8)を歌いましたでしょう?・・・いい歌ですねえ。「キリストを信じるすべてのものよ、主の過ぎ越しをたたえよう」と、歌いました。私はこの歌をどうしても歌ってほしくて、信者の皆さんにお願いして、先週のこの追悼ミサでも、歌っていただきました。「共にたたえ、告げ知らせよう。主キリストは復活された。勝利の王キリストよ、いつくしみを私たちに・・・」
 そうして聖週間を過ごしたお二人は、昨日、息子さんのお骨を納骨して、洗礼を受けました。
 ・・・こうして、この一年間の神さまの大いなるみ業が、新しい段階に入りました。それは、単なる「この世の出来事」ではない。「天上の出来事の先取り」なんですよ。われわれは、この「地上」を積み重ねて、天上に届こうとしているのではない。永遠なる「天上」から差し伸べられた手に引き上げられ、天上から注がれる恵みに満たされて、天上に向かっていくのです。

 この一年間は、お二人にとっては、神さまの恵みに満ちた、そういう一年間だった。
 洗礼式の後、お二人は顔を輝かせていて、特に、奥さまは、満面の笑みだったので、私、「本当に、お顔、変わりましたねえ」って申し上げた。「みんなにもそう言われる」と言ってましたけれども、一年前には考えられなかった。でもそれが現実に、今そこに、その「笑顔」としてある。
 奥さまは、こう言いましたよね、「私は、(あか)(びと)になります」と。
 ・・・大勢の方が、親しい家族を亡くして苦しんでおります。どうぞ、「証し人」になってください。
 他の方々、受洗した皆さん一人ひとりに、神さまから与えられた使命があります。「ミッション」(mission)です。「あなたでなければ」できないこと。神さまが、この一人ひとりの受洗者のうちに働き始めて、もうすぐ実現させようとしておられる素晴らしいご計画が、たくさんあります。・・・それが、できます。「できます」というか、神さまがなさいます。安心して、信頼して、ぜひ、「主、キリストは復活した」「この世界は、今、新たに誕生した」「あなたも、古いパン種(一コリ5:7)を捨て去って(※9)、新しいパン種として膨らんでいけるんだ」と、そういう福音を、今、それを最も必要としている人に、伝えていただきたい。

 「七年間」。・・・私の司祭生活では、一番長い教会になりました。
 こうして皆さんのお顔を眺めるのも、もう少しかと思うと、万感胸に迫る思いがありますが、よくよく見てみると、7年前にはおられなかった方が、山のようにいる。・・・「膨らんで」(cf.一コリ5:6b)ますよ。満開が、少しずつ近づいています。・・・春はもう来た。二度と冬には戻らない。寒い日、暑い日、波はあるけれども、確実に気温が上がっていくように、皆さん方は、神の国の喜びに向かって、新たな出発をいたします。
 昨日の洗礼式の後、次々と受洗者に水をかけているときも、万感胸に迫る思いがありましたし、特に、ご聖体拝領で、お一人おひとりに、「キリストのからだ」、・・・「神の愛の目に見えるしるし」をお渡ししているときに、
 「ああ、よかったね。もうだいじょうぶだよ」
 「これを信じなさい」
 「ここから離れるな!」
 そういう思いで、お一人おひとりに渡してるときも、万感胸に迫る思いがありました。
 まあ、式中ですから、なんとか涙はこらえましたけれども、ぜんぶ終えて退堂するときには、なんだか力が抜けたようで、ホッとして、・・・涙があふれてまいりましたよ(※10)
 ビデオカメラで撮ってた友人が、それを追いかけてきて、香部屋の中まで来て、顔の前にカメラを突き付けて、(大笑) 私の涙を撮影しておりましたから、お見苦しいものを、いつか目にするかもしれませんが。・・・あれは、何という涙でしょうか。受洗者には、そのことはもう何度もお話してきました。あなたたちも流した涙です。
 ・・・「安心の涙」
 悲しみの涙じゃない。単なる喜びの涙じゃない。人が本当に、天の国で最初に流す涙、「安心の涙」です。

 われわれは傷ついている。この世界は、本当に傷ついている。世界はまだまだ、戦争、飢餓、災害、テロで苦しんでいくでしょう。しかし、最後に、「安心の涙」を流すときが、必ずある。われわれキリスト者は、その希望に支えられる。
 ご一緒に、その涙を流す日まで、まだまだちょっと、この世では、痛い涙、悲しい涙、悔しい涙も流すかもしれませんが、すべては、「誕生」に向かっております。受洗者の皆さんは、その「誕生」を、もう、先取りして経験しました。
 どうですか、受洗者の皆さん、一晩寝て、カトリック信者として与るこの復活祭の主日のミサは、昨日までとはまったく違うはずです。・・・キリストと一つであるミサ。教会家族の一致のミサ。人々を救うためにここから出発するミサ。ここからどんな神のみ業が始まるか、もうそれは、私も、あなたも、誰も知らない。しかし神さまは、もう用意なさっています。皆さんの胸に咲いた、その花のように、美しい花を咲かせてください。
 ・・・満開の、天上の(うたげ)を夢見ながら、私たちは、出発いたします。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1:「もう来週が最後ということになりました」既出
 本年(2016年)1月10日付で、「東京大司教区司祭人事について(第一次)」が東京教区の岡田大司教の名で告知され、晴佐久神父は、「浅草教会・上野教会主任司祭」としての赴任が決定した。
 カトリック多摩教会の主任司祭として最後のミサは、「復活祭第2主日(神のいつくしみの主日)」の、4月2日(土)18:30と3日(日)10:00での司式となる。
(参考)
・ 「東京大司教区司祭人事について(第一次)」(カトリック東京大司教区
・ 「これからよくなる」(「福音の村」2016/1/17説教)
・ 「二つの『みんなの家』」(『多摩カトリックニューズ』2016年1月号‐主任司祭巻頭言)
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【 晴佐久神父・異動先教会(兼任) 】
◎カトリック浅草教会
カトリック浅草教会
住所: 〒111-0053 東京都台東区浅草橋5-20-5
電話: 03-3851-4009
交通アクセス: 【詳細は、>>こちら(東京大司教区教会案内)】
 ◎JR(総武線)
浅草橋(あさくさばし)駅西口から、徒歩約8分(JR浅草橋駅構内図
 ◎都営地下鉄(浅草線)
浅草橋駅A4出口から、徒歩約10分(都営浅草線 浅草橋駅構内図
 ◎東京メトロ(日比谷線)
秋葉原駅1番出口から、徒歩約10分(東京メトロ秋葉原駅構内図
主日のミサ: 日曜日10:00(晴佐久神父司式は第3、4日曜日)、第4日曜日14:30(英語)    
週日のミサ: 火、金、3週目以降土曜日 7:00(お休みの場合あり)
(参考)
・ 「カトリック浅草教会」(カトリック東京大司教区)
・ 「カトリック浅草教会」(ラウダーテ)
*******
◎カトリック上野教会
カトリック上野教会
住所: 〒110-0004 東京都台東区下谷1-5-9
電話: 03-3844-4477
交通アクセス: 【詳細は、>>こちら
 ◎JR(山手線、京浜東北線)
鶯谷(うぐいすだに)駅南口から、徒歩6分(JR鶯谷駅構内図
 ◎JR(山手線、京浜東北線、常磐線、高崎線、東北本線、秋田・上越・東北・北陸・山形の各新幹線)
上野駅入谷口(いりやぐち)から、徒歩8分(JR上野駅構内図
 ◎東京メトロ 
日比谷線入谷駅1番、2番出口から、徒歩8分(東京メトロ入谷駅構内図
主日のミサ: 日曜日10:00(晴佐久神父司式は第1、2日曜日)、13:30(中国語/イエズス会)
週日のミサ: 水曜日・木曜日・第1・第2日曜の前日の土曜日 7:30(お休みの場合あり)
(参考)
・ 「カトリック上野教会」(ホームページ)
・ 「カトリック上野教会」(カトリック東京大司教区)
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※2:「この4月から、『FEBC』というラジオ局で、この説教壇での説教が放送されるんですね」
 晴佐久神父の説教が、FEBC(キリスト教放送局 日本FEBC)で放送されることが決まり、昨年(2015年)の7月から、録音が始まった。番組の長さに合わせて編集したうえ、放送される。
 ラジオ放送と共にインターネットでもアクセスでき、パソコン、スマートフォンでは、一定期間、聴くことができる。
 番組名: 「 あなたは救われた -『主日の福音』ミサ説教から」 
 放送時間: 4月4日スタート。毎週月曜日の夜 9時47分から。
 アクセス: ラジオ放送は、AM1566kHz
 インターネット放送: www.febc.com
(参考)
・ 「2016年春夏・番組案内」(FEBC
・ 「聴き方ガイド」(FEBC
・ 「FEBCについて」(「福音の村」2015/10/18の参照※6)
*******
・ 「全国の皆さん、お待たせしました」(「福音の村」2015/7/5説教/最初の三つの段落)
・ 「事件はもう解決済み」(「福音の村」2015/10/18説教/終わりから3段落目
・ 「教会のご公現」(「福音の村」2016/1/3説教/最初の段落)
・ 「ああ、かわいい、おお、いい子だ」(「福音の村」2016/1/10説教/最後の段落) 他
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※3:「第2朗読で」
2016年3月27日(復活の主日)の第2朗読箇所
 使徒パウロのコリントの信徒への手紙一 5章6b〜8節
  〈小見出し:「不道徳な人々との交際」5章1〜13節から抜粋〉
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※4:「ミサに来るとき、川沿いのサクラ、ご覧になりました? 咲き始めましたね」
【この日の教会周辺のサクラ】

【一週間後の教会周辺のサクラ】
  
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※5:「『永遠のいのちに復活する』っていう言い方が、さきほどの集会祈願の中にもありましたけれども」
 この日(2016年3月27日〈日〉)の、「復活の主日(日中のミサ)」の集会祈願(※)は、以下のとおり。
 
「全能の神よ、あなたは、きょう御ひとり子によって死を打ち砕き、永遠のいのちの門を開いてくださいました。主イエスの復活を記念し、この神秘にあずかる私たちを、あなたの霊によって新たにし、永遠のいのちに復活させてください。
 
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン」(赤字引用者)
 (※ 集会祈願 : ミサの導入部における「開祭の儀」のまとめのようなもので、この祈願によって、祭儀の性格が表現される)
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※6:「目の前に、胸に花を付けた38名の方たちが並んでおります。この、胸に花を付けている人たちが、昨日の夜、この聖堂で、新たに誕生した人たちです」
 2016年3月26日(土)の復活の聖なる徹夜祭で、カトリック多摩教会では、38名の方々が、洗礼の恵みに与った。

※画像は8枚のスライドショーになっています。画像にカーソルを合わせると、矢印が表示されますので、ご利用ください。
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※7:「昨日の復活徹夜祭の説教で、息子さんを亡くしたご夫婦のお話をいたしましたけれども」
 説教中、繰り返しご紹介しているご夫婦のお話です。
 23歳で帰天した息子さんの一周忌追悼ミサを、この説教の一週間前、3月20日に行われました。詳細は、先週の説教「天上のものと、地上のもの」の最後から2段落目と、参照「※12」「※13」をお読みください。
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※8:「復活の続唱」既出参照
◎続唱(〔ラテン語〕sequentia〈セクエンツィア〉)
 カトリック教会のミサにおいて歌われる固有式文聖歌のひとつ。もとは、アレルヤ唱に続いて歌われていたので、その名が付いた。
 現在は、アレルヤ唱の、「福音朗読で語られる、主キリストを歓迎する」という意味を重んじ、引き続いて福音が朗読されるため、アレルヤ唱の前に、「アレルヤ唱に続く聖歌」として歌われるようになった。
 日本語では、『典礼聖歌』351番「復活の続唱」と、352番「聖霊の続唱」があり、それぞれ、「復活の主日」と「聖霊降臨の主日」に歌われる。
(参考)
・ 「セクエンツィア」(2008『岩波キリスト教辞典』岩波書店) ほか
・ 「復活の続唱」(右側は歌詞/典礼司教委員会編(1980)『典礼聖歌』 351番 あかし書房)
 
=== 歌詞 ===
 キリストを信じるすべてのものよ 主の過ぎ越しをたたえよう
 子羊は羊をあがない 罪のないキリストは罪の世に 神の赦しをもたらされた
 死といのちとの戦いで 死を身に受けたいのちの主は 今や生きて治められる
 マリアよ 私たちに告げよ あなたが道で見たことを
 開かれたキリストの墓 よみがえられた主の栄光
 証しする神の使いと 残された主の衣服を
 わたしの希望キリストは復活し ガリレアにゆき、待っておられる
 共にたたえ告げ知らせよう 主キリストは復活された
 勝利の王キリストよ いつくしみを私たちに
 アーメン アレルヤ

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※9:「あなたも、古いパン種(一コリント5:7)を捨て去って」
(聖書該当箇所/本日の第2朗読※3)
 
「〔皆さん、〕わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。 いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠(ほふ)られたからです。 だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか」 (一コリント5:1〜8/赤字引用者)
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※10:「ぜんぶ終えて退堂するときには、なんだか力が抜けたようで、ホッとして、・・・涙があふれてまいりましたよ」
 (暗く、ピンともずれて、ぼけてしまいましたが、そのときの様子です)
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2016年3月27日 (日) 録音/2016年4月4日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英