聖霊に聴き従って

2014年5月4日復活節第3主日
・第1朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録2・14、22-33)
・第2朗読:使徒ペトロの手紙(一ペトロ1・17-21)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ24・13-35)


【晴佐久神父様 説教】

 このエマオへ向かう弟子たちのお話で、私の大好きな一節は、二人が「心は燃えていたではないか」っていう、このひと言(※1)
「わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24:32)
 この燃える思い、熱~い心っていうのが、教会の原点です。ここから、すべて始まる。・・・「燃える心」!
 皆さんも、洗礼を受けたときに、聖霊を受けて、この燃える心を頂いたはず。その燃える心からすべて始まるし、その火は決して消えることはない。
 いろいろ、つらいことがあり、暗い顔をして立ち止まるようなことはあるけれども、イエスさまがやって来て、共に歩んでみ言葉を語り、救いの道を教えてくださる。私たちの心に、燃える灯がともる。この、皆さんの目の前の復活のろうそくのようにね。
 二人の弟子たちは、命がけでついて行ったイエスさまが殺されて、もうすべて終わった、絶望だと思っていた。まさか、イエスが復活するなどと、カケラも思わなかった。しかし、イエスはいつの間にかそばに来て、声をかけてくれて、共に歩み、教え、(さと)し、励まして、熱い信仰の火を燃やしてくださる。そのとき、弟子たちもまた、復活したのです。「そうだ、生きていこう、ここから始めよう」と。
 何も終わっていません。もうすでに、私たちの心に、復活の主はおられます。私たちのうちに、熱~いものが燃えています。その「熱いもの」がすべて。理屈じゃない。学問でもない。あなたの才能や努力や、そういうことも超えて、聖なる霊が、熱い炎を燃やしてくれる。それさえ燃えていれば、後はもう、何だってありっていう・・・。
 先週のローマでの列聖式(※2)から戻って来て、今、この聖書の箇所を読むと、ちょうど1週間前のあの日曜日、列聖式で、100万人近くの人が熱~い思いを燃やして、聖なる教会の恵みを共に味わったことを思い起こしますし、そんな恵みが二千年間続いてきたということを、皆さんもまたこのミサで思い起こしてほしい。内向きの、排他的な、官僚的な、冷たい教会にしてはなりません。洗礼を受けて、皆さんの心に燃えているはずの熱い炎を、ふ~っと、聖霊の息をもう一度吹きかけていただいて、新たに、いっそう燃やそうではないですか。

 このたびの列聖式には、日本からの22人の巡礼団、そんな熱~い思いで行ったんですよ。
 列聖式、大変だろうなと予想はしてましたけど、実際、大変でした。でも、あの場にみんなで一緒に行って、世界中の人と心を合わせ、新たな聖人の誕生を共に祝って聖なる教会の恵みを分かち合いたいという熱い思いは、私もひときわ強かったし、そういう仲間たちと共に歩んだ巡礼の旅でした(※3)
 100万人が集まるとなると、前の日から集まるんですよ。本当に熱いものを持っている人たちは、寝袋組。この寝袋組は、もう前日にサンピエトロ広場の入り口に詰め掛けていて、開門の時間を待つ。
 やっぱりせっかく来たんだから、せめて祭壇の見えるサンピエトロの正面の通りには入りたいということで、「私たちも寝袋をやりましょう!」って言ってたんですけど、集まった巡礼団のメンバーにはご高齢の方もおられて、寝袋は無理だということになりました。二手に分かれる案も出たんですけど、「いや、バラバラになるのはやめよう。みんな一緒にいましょう」ってことになり、早起きして早朝出発ということにしました。
 実はローマに大変親切な日本人司祭がいて、「晴佐久神父さんのために」と言って、サンピエトロ広場の祭壇前の椅子に私だけ座れるチケットを手配して、ホテルまで届けてくださろうとしたんです。でも私、「みんなと一緒に並びます」と、日本からの他の神父さんに譲りました。皆さんそれを欲しがってるって聞いたので、「どうぞ」と。・・・美談じゃないですか~。(笑)
 やっぱりね、みんなと一緒にいたかったんですよ。ロレートの聖母の家やアシジを一緒に巡礼して回っていたしね。一人で祭壇近くに座っているより、仲間と熱い思いを共にしたかった。
 それで、「早起きしてホテルを5時に出発しよう」って言ってたら、同じホテルに泊まっているアメリカ人のグループが「4時に出発するらしい」(笑)っていう情報が入ったんで、「それじゃあ、3時に出よう!」(笑) って。添乗員もガイドもビックリ仰天してましたけど。
 2時半起きで3時半出発。そして、並びました。おかげで、あのエリアに入れましたよ。サンピエトロ広場の前に、コンチリアツィオーネ通りっていう広~い通りがあって(※4)、そこに、ギュウギュウと、20万人くらい入るんですよ。そこの、後ろから3分の1くらいのとこですかねえ、でもちゃんと、祭壇が遠くに見える所に入ることができました。
 もっとも、9時間立ちっぱなしでね、地元のガイドさんが、「私のガイド人生、新記録です」って言ってましたけど。9時間立ちっぱなしでね、日の丸をバタバタ振ってまいりました。見えました? テレビに映ってました? (笑) でっかい日の丸ですよ。135×90センチを2枚。110×75センチを2枚。地元で買った長いポールにくくりつけて、ちゃんと、「ヨハネ23世、ヨハネ・パウロ2世、私たちのパパ」って、「Nostro papà」ってイタリア語で書いて、バッタバッタ振ったんですけどね(※5)
 集まった信者さんたち、み~んな見てましたよ。みんな喜んでました。各国の方が、旗のもとで一緒に写真撮らせてくれって次々来るんです。世界中からの信者が来ていて、それぞれの旗を振っていて、万国旗みたいなもんですからね。日本の旗を見て、「ああ、東の果てからもはるばる来てくれてるんだ、あの二十六聖人の地からも(※6)、このパパさまを慕って、巡礼団が来て、9時間立ちっぱなししてるんだ」と感動してくれるんですよ。・・・これがみんなにとっても喜びですし、私たちも、「熱い思い」をみんなと分かち合う、ひとつのしるしとして。
 すぐ前のポーランド人のグループも、ポーランドの旗、振ってましたけど、もう、泣いてましたもんね、ポロポロ、ポロポロ。あの熱い思いは何でしょう。・・・まさに聖霊の働きですね。
 旧約時代は、「天の父の時代」。イエスが生まれてからその死と復活までは、「御子(おんこ)イエスの時代」。そして、イエスの復活後、今日まで続いているのは、「聖霊の時代」です。目には見えなくなったイエスは、いまや目に見えるキリスト者、聖なる熱い霊に燃やされて生きるキリスト者となって、天の父の愛を証しする、そういう時代。
 エマオの弟子たちも、この人はイエスだとわかったら、その姿が見えなくなるでしょ。(ルカ24:30-31) つまり、もう、見えるイエスはいらないんです。その時代は終わった。いまや、この二人の弟子が、イエスになっちゃったんです。復活したイエスからイエスの愛そのものであるパンを頂いて、イエスと一つになり、イエスからあふれ出た聖霊の熱い炎が心に燃えあがって、イエスになっちゃった。
 ・・・聖人って、そういうことでしょう? だからこそ、100万人集まるんですよ、イエスになっちゃった人のもとに。二千年のキリストの教会の歴史を彩ってきた、イエスになっちゃった聖人たちに、新たに加わった新聖人の誕生を祝って。

 だから私、実は一番感動したのは、入祭の歌なんですよ。
 何しろ、もう何時間も立ちっぱなしですからね、開祭の時間が近づくと、いよいよ始まるぞってホントにワクワクしたんですね。さあ、いよいよ入祭の歌、いったいどんな華やかな曲で始まるんだろうかってワクワクしてたら・・・。
 列聖式の入祭の歌、何で始まったと思います?
 昔ながらのラテン語のグレゴリオ聖歌を知ってる方だったら、よくご存じの曲ですけれども、(歌い始める)「♪キリエ~、エレイソ~ン♪ クリステ~、エレイソ~ン♪ キリエ~、エレイソ~ン♪」で始まったんです。
 「あれ?」って思うでしょう? 「もう、あわれみの賛歌が始まっちゃったの?」って思うとしたら、・・・違うんです(※7)
 「キリエ、エレイソン・・・主よ、あわれみたまえ」で始まる曲、もうひとつありますでしょ? そう、「聖人の御名(みな)連祷(れんとう)」です。「諸聖人の連願(れんがん)」ですね。「キリエ、エレイソン」に続いて、(歌い始める)「♪サンタ・マリア~♪ オ~ラ、プロノ~ビ~ス♪、サンテ・ミカエ~ル♪ オ~ラ、プロノ~ビ~ス♪、サンテ・アンジェリデイ~♪ オ~ラ、プロノ~ビ~ス・・・」って、延々と聖人の名前が続くんです(※8)。 かっこいいでしょう? 「そりゃそうだ。列聖式なんだから、なるほど、それしかないな」って思いました。
 なるほど、それしかない。今、新しい聖人が誕生するんだから。その諸聖人の連願の最後に、「聖ヨハネ23世」「聖ヨハネ・パウロ2世」が連なろうとしているわけです。(歌う)「♪聖ヨハネ・パウロ2世~♪ オ~ラプロノ~ビ~ス♪」ですよ。まあ、それは、まだ加わってませんよ。でも、まさに今、それが加わろうとしている。こうして、二千年間、私たちの教会を支えてきた聖人たちが、今も私たちのために祈り続けているんです。
 教皇フランシスコの説教にもありました。
 「二人の教皇は、教会を修復し、現代化するために、聖霊に協力しました。・・・教会を前進させ、成長させてきたのは聖人たちであることを忘れてはなりません」
 すなわち、聖なる霊が、教会を導き支えてきたのです。その聖霊に満たされた聖人たちが、教会をず~っと支えてきた。聖霊に導かれた大勢の聖人、大勢の殉教者、大勢の牧者、大勢の学者、大勢のキリスト者たちが教会を支えてきたことを忘れてはなりません。そうして今、この困難な時代に、この二人の教皇が、私たちのこの現実の世界を支えてくれる。導いてくれる。
 私たちはそれを信じて、祝ってるんですよ。

 この日の教皇さまのお説教は、カトリック中央協議会のホームページに載ってますから、ぜひ、お読みください(※9)
 彼は言っています。「ヨハネ23世教皇は、第2バチカン公会議(※10)を招集することにより、聖霊に忠実に聞き従う態度を示しました。彼は、聖霊に導かれた指導者でした。それゆえわたしは、彼を『聖霊に忠実に聞き従う教皇』だと考えたい」と。
 聖人たちには、共通した特徴があります。
 「聖霊に従うこと」
 注意深く聖霊の働きを見極めて、その聖霊を受け入れ、その聖なる霊の働き、そのまんまに、自分を捧げる。・・・聖人の特徴ですね。
 でも、私たちだって、もう洗礼を受けた時点で「聖人」なんですよ。知ってました? カトリック教会の広い定義では、洗礼を受けた人は、もう聖人。今年の復活祭に受洗した皆さん、聖人なんですよ。洗礼式で、諸聖人の連願、歌いましたでしょ。聖人たちに祈られて、もはや皆さんは聖人の仲間なんです。聖人ならば、聖霊の働きに聴き従う。聖霊の働きにこそ、身を委ねる。・・・そういうものでしょ?
 バチカン公会議って、「聖霊の公会議」って呼ばれてますけど、まさに、このヨハネ23世からヨハネ・パウロ2世を経て今日に至るまでの教会の半世紀は、聖霊に特別に導かれた半世紀。教会が原点に立ち返って、聖なる霊の働きにのみ従って、神の国の目に見えるしるしとなって、この悪い時代に輝き始めたところ。今、そういうカトリック教会になりつつあるんです。これからいっそう、そうなっていくんです。それこそが、聖霊の働きです。教皇フランシスコが選ばれるなんていうのは、そういう、聖霊の働きの目に見える特別なしるしですよね。


 ヨハネ23世(※11)が教皇になったのは、私が生まれた翌年ですけれども、まさに聖霊に満たされて、教会を原点に立ち戻らせようと、第二バチカン公会議を招集した。第261代教皇です。
 この第261代教皇を列福したのは、第264代教皇ヨハネ・パウロ2世です(※12)。この方は、バチカン公会議の実りを、全世界に、特別なカリスマで広めた方です。この第264代教皇を列福したのは、第265代教皇ベネディクト16世です。
 列聖式に参列して、やっぱり感動するのは、第261代教皇を列福した第264代教皇を列福した第265代教皇臨席のもと、第266代司式で、第261代と264代の列聖式をしてる・・・。
 第1代教皇の墓の上で。
 カトリックって、そういうことなんですよね。
 エマオに向かう二人の弟子以来、二千年間、熱い炎はキリスト者の心の中でずっと燃え続けているし、聖なる霊は、今も具体的に現実に働いています。

 その第1代教皇が、さっき、第1朗読で説教してましたね(※13)
 「ペトロは、11人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」(使徒2:14)
 どうしてですか? これ。
 聖霊降臨があったからです。この日、聖霊降臨の日に、ペトロはついに復活の主の約束してくださった聖霊に満たされて、復活の主と本当にひとつになり、「神はイエスを死の苦しみから解放して、復活させられた」(cf.使徒2:24)と、いうなれば、「私たちも苦しみから解放されて、復活するんだ。いや、もう復活してるんだ」と、声を張り上げて話し始めたんです。・・・キリスト教は、これが原点です。ここが出発点です。
 「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」って言ってますけど、聖人っていうのは、その証人の極みなんでしょうね。
 「それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです」(使徒2:23)
 ・・・これは、今日、起こっていることです。皆さんが今、見聞きしていることです。
 第1代教皇のお墓の上で、第261代教皇と264代教皇の列聖式に(あずか)って、改めて、聖霊の働きに感動し、燃える思いを携えて帰国した一人の司祭が、「あなたがたは今、この聖霊の働きを見聞きしているんです」と、そう証言しているんです。
 皆さんの心に、その熱い火さえ(とも)れば、もう、なにも問題はなくなる。まったく新たにされる。とらわれていてはいけません。
 どうしてもね、教会って、内向きになって、排他的になって、官僚的になってしまいがち。どうしてもね、キリスト者もね、独りよがりになって、律法主義的になってしまいがち。でも、聖霊の働きに聴き従えば、私たちは教会の原点、あのイエスの熱~い思いに結ばれて、とらわれから解放され、何か新しい力が燃え始めるんですよ。

 今回の巡礼旅行で、ある参加者がね、「イタリアの時計はいい加減だ、どれも狂ってる」って文句言い出したんですよ。確かにイタリアって、結構いい加減なところのあるお国柄ですけど、よく聞くと、彼女の言ってることも変なんです。「ローマの時計は、どれも1時間進んでる」って。変でしょう? 「もしかして、あなたの時計が遅れてるんじゃないの?」って言ったら、「そんなはずない。電池替えたばっかりだから、遅れるはずがない。ローマの時計が間違ってる」って。
 でもね、見ればみんなの時計も1時間進んでるんですよ。(笑)それでようやく気が付いて、「え~っ? 私の時計が遅れてるの?」(笑)
 これね、皆さん、笑いますけどね、だれもがやっちゃうんですよ、そういうこと。
 自分は間違ってないと思い込んで、「ローマ中の時計が進んでる」って。(笑)
 あんまりおもしろかったんで、旅の途中ずっとそのことをネタにしてからかってね。もう慣用句ですよ。「また、自分の考えにとらわれて。あなたそれ、『ローマの時計』ですよ」とか。(笑)
 とらわれてると、聖霊に協力できません。内向きで、排他的で、官僚的になっちゃったら、もう聖霊の教会でなくなってしまう。

 復活祭の夕方、その夜から前泊で巡礼旅行に出かけようとしてバタバタしてた時、ひとりの青年が訪ねてきたんですけど、どうもホームレスみたいな暮らしをしてるらしい。
 彼が言うには、駅で、多摩教会の信者だという女性から声をかけられて、「多摩教会に行きなさい。お風呂に入れてもらえるわよ」って、(笑)言われたって言うんです。
 それで、お風呂に入れて、あまりに小汚い格好だったんで、『ONE PIECE』(ワンピース)(※14)のTシャツを着せたら、「カッコいいですね」なんて喜んでましたけど、冷たいもの飲ませて、こっちももう出かけるところだったので、ネットカフェに何泊かできるくらいの援助をしたら、大変喜んでくれました。
 これ、だれが声かけたかって、昨日の土曜日にわかりました。ミサに来てたんで。その方が言うにはね、その彼がフラフラしてたから、勇気をもって声をかけたら、事情があって帰る家もなく、ず~っと歩きっぱなしだって言うんで、教会をお勧めしたんですって。
 私はこれ、大変感動したし、素晴らしいなと思いました。まあ、可能なら、「教会に」以前に「それじゃ、わが家に来ませんか?」と言っていただきたいところですが。・・・何しろ、教皇フランシスコが自分の誕生日に、ホームレスの人を招いてるわけで、私もまね事みたいなことができて、ちょっとうれしかったですけれど、ともかく、声かけたその方を、褒めたいですねえ。だって、聖霊に聴き従ったんですから。・・・その瞬間燃え上がる、聖霊の炎。
 「私たちの心は燃えていたではないか」
 聖霊に聴き従って、その炎さえ燃えれば、困難だと思うことができる。無理だなと諦めていたこと、もう見失っていたことが、もう一度、熱い炎で燃え上がる。
 さあ、これからパンを渡してくださるのは、イエスさまですよ。
 「ああ、イエスだ!」と気づいた弟子は、困難なエルサレムに出発します。(cf.使徒2:31~33)


【 参照 】

※1:本日(2014年5月4日<復活節第3主日>)の福音朗箇所
ルカによる福音書 24章13~35節
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※2:「先週のローマでの列聖式」
カトリックの典礼暦で「神のいつくしみの主日」である2014年4月27日、ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世、二人の元教皇の列聖式が行われた。
教皇フランシスコはこの荘厳ミサを、バチカンの聖ペトロ広場で捧げ、聖人として宣言された。
この儀式には、前教皇ベネディクト16世も参加し、現教皇フランシスコとの抱擁の場面も見られ、他の枢機卿、司教、司祭たちと共に、共同司式された。
(参考)
・ (記事)「ヨハネ・パウロ2世ら元法王2人が『聖人』に、バチカンで列聖式」(ロイター)
・ (記事)「ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世、聖人に、バチカンで列聖式」(バチカン放送局)
・ (録画)YouTubeから、ご紹介します。
※  画像の右下、カギカッコ四つのマークで表示された箇所をクリックすると、全画面表示となり、
   パソコンで、テレビのようにご覧いただくことができます。
   キーボードの「Esc」キーをクリックすると、元の大きさの画面に戻ります。
  (バチカン放送局の録画)
   (3時間38分24秒)
  (AFP通信社のダイジェスト版)
   (8分19秒)
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※3:「巡礼の旅」
2014年4月21日~5月1日までの、「列聖式に行く イタリア巡礼」の旅。
ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世教皇の列聖式を中心に企画された。
(参考:「列聖式のイタリア巡礼」ご案内&募集記事〈「福音の村」サイト内〉)
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※4:「コンチリアツィオーネ通り」
  
  より大きな地図で バチカン市国 を表示
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※5:「でっかい日の丸ですよ。(中略)、「ヨハネ23世、ヨハネ・パウロ2世、私たちのパパ)」って、「Nostro papà」ってイタリア語で書いて」
 (下が、その日の丸です。それぞれの画像は、クリックすると拡大表示されます。)
  Nostro papà-1  Nostro papà-2

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※6:「二十六聖人」
(参考)
「日本二十六聖人殉教者」
 1597年2月5日、豊臣秀吉の命によって長崎で磔にされ、殉教した26人のカトリック信徒。1862年教皇ピオ9世によって列聖。1962年には、列聖100年を記念して、処刑の地、長崎の西坂に、日本二十六聖人記念館が建てられた。(「日本二十六聖人」ウィキペディアより)
 「福音の村」でも、二十六聖人にまつわるお説教がありました。よろしければ、お読みください。
  ・ 「なすべきことをしたまでです」(「福音の村」2013/10/6説教)
  ・ 「キリシタンの信仰に学べ」(「福音の村」2014/2/2/説教)
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※7:「キリエ」、「あわれみの賛歌」
 カトリック教会のミサは、「1、入祭の歌」「2、集会祈願(司祭によるはじめの祈り)」「3、回心(司祭による回心への招きと、信徒による回心の祈り)」「4、あわれみの賛歌(「主よ、あわれみたまえ」と祈り歌います)」・・・と進んでいく。(「あわれみの賛歌」は、ミサが始まって5分程度で始まる。)
 「あわれみの賛歌」は、第2バチカン公会議(1962~1965年)以降の、典礼の日本語化に伴い、それまでラテン語ミサで用いられていた「キリエ(kyrie)」から翻訳された。
 ラテン語ミサ「キリエ」 :  Kyrie eleison; Christe eleison; Kyrie eleison.
             発音 [‘kir.i.e e’le.i.son ‘kris.te e’le.i.son ‘kir.i.e e’le.i.son]
 日本語ミサ「あわれみの賛歌」: 主よ あわれみたまえ / キリスト あわれみたまえ / 主よ あわれみたまえ
(参考)
・ 「キリエ」(ウィキペディア)
・ 「ミサ賛歌の歴史」(「典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ」より)
・ 「カトリック聖歌集」503番(光明社 昭和41年第1版発行)など
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※8:「諸聖人の連願」
 「諸聖人の連祷」ともいう。カトリック教会2000年以上の歴史の中で、聖人の位に上げらた代表格の人々の名を一人ひとり挙げ、取り次ぎを祈る。
(参考)
・ 「諸聖人の連祷」(ラテン語:LITANIAE SANCTORUM)(「みこころネット」より)・・・ラテン語と日本語訳が掲載されています。
・ 「諸聖人の連祷」(日本語)(「カトリック教会の祈りとしらべ」より)・・・日本語だけですが、大きな文字で見やすいです。
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※9:「教皇様のお説教」
・ 「教皇フランシスコの教皇ヨハネ23世・教皇ヨハネ・パウロ2世列聖式ミサ説教」(カトリック中央協議会)
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※10:「第二バチカン公会議」(1962年~1965年)
 「教会は現代世界の血管に、福音の永遠の力、世界を生かす神の力を送り込まねばならない」(会議招集の大勅書・1961)という、ローマ教皇ヨハネ23世の呼び掛けで始まり、後継のパウロ六世によって施行されたカトリック教会史上、21回目の公会議。
 4会期に分け、全世界の司教たちが参加した。まさに、普遍公会議と呼ぶにふさわしい会議といわれている。現代世界に開かれた教会を目指し、さまざまなテーマで議論がなされた。
 以後、今に至るまで、カトリック教会に、非常に大きな影響を与え続けている。
(参考)
・ 「第2バチカン公会議」(ウィキペディア)
・ 「第二バチカン公会議の精神」(「826村」より)
・ 「第2バチカン公会議から50年」(「Laudate」より) など
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※11:「ヨハネ23世」
聖ヨハネ23世(画像:「ウィキペディア」より)
本名 : アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ(Angelo Giuseppe Roncalli)
出生 : イタリア
生没 : 1881年11月25日-1963年6月3日
第261代教皇在位:1958年10月28日-1963年6月3日
(参考)
・ 「聖ヨハネ23世教皇・略歴」(「バチカン放送局」)
・ 「ヨハネ23世」(「ウィキペディア」)など
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※12:「ヨハネ・パウロ2世」
聖ヨハネ・パウロ2世(画像:「ウィキペディア」より)
本名 : カロル・ヨゼフ・ヴォイティワ(Karol Józef Wojtyła)
出生 : ポーランド
生没 : 1920年5月18日-2005年4月2日
第264代教皇在位:1978年10月16日-2005年4月2日
(参考)
・ 「ヨハネ・パウロ二世」(「カトリック中央協議会」)
・ 「ヨハネ・パウロ2世」(「ウィキペディア」)など
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※13:「第1代教皇が、さっき、説教してましたね」
・ この日、2014年5月4日(復活節第3主日)の第1朗読箇所
   使徒言行録 2章14節、22~33節
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※14:『ONE PIECE』(ワンピース)
・ 『ONE PIECE』(ワンピース)は、尾田栄一郎による日本の少年漫画。および、これを原作としたテレビアニメ、アニメ映画、ゲームなどのメディアミックス作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて1997年34号から連載されている。(「ウィキペディア」より)
(参考)
・ ONE PIECE.com (尾田栄一郎公認ポータブルサイト)
・ ONE PIECE WEB (ストーリー紹介サイト)
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2014年5月4日 (日) 録音/2014年5月11日掲載
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