「できない」じゃない、「やらない」だ

【カトリック上野教会】

2016年7月3日 年間第14主日
・ 第1朗読:イザヤの預言:(イザヤ66・10-14c)
・ 第2朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ6・14-18)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ10・1-1、17-20、または10・1-9)

【晴佐久神父様 説教】

 私の神学生時代の同級生が一人、ちょうどひと月前に亡くなりました。
 私はこのひと月、彼のことをよく思い出しているんですが、今週土曜日に東京での追悼ミサ(※1)があるのに、講演会があって行けないので、とても残念です。
 サレジオ会の司祭で、古木真理一(ふるきまりかず)(※2)といいます。叙階が同期です。私より(とし)は八つほど上ですけれども、共に学んだ仲です。彼と特に縁が深くなったのは、東日本大震災の被災地を訪問するようになってからです。
 私は、今は主に釜石を応援しておりまして、先々週も釜石を訪問して、カリタス釜石のスタッフを励ましてまいりましたが、当然、古木神父さんの話が出ました。というのは、釜石の隣に大槌(おおつち)という、やはり大変な被災地があるんですけれども、古木神父さんはそこのボランティアベースを立ち上げて、ずっと責任者をしてこられたからです。元気な神父でね、長崎の神父さんなので、長崎と大槌を車で往復してたんですよ(※3)
 体力があって気力があって、ユーモアがあって愛があって、何よりも宣教の熱意があって、私は尊敬しておりましたし、なにしろ、話してて気持ちがいい。口では立派なこと言って、いろいろ批判はするけど、実際にはちっとも宣教してない人って多いじゃないですか。やっぱり、ごちゃごちゃ言わずにまずは福音宣教する人って、話してても気持ちいいですよ。たとえ、うまくできなくてもいいから、ともかく何か工夫してチャレンジするタイプの人とは、気が合います。古木神父さんは、まさにそういう神父さんでね、私、応援してました。
 大槌も4、5回訪ねましたけれども、いつもあの満面の笑顔で迎えてくれました。夜になると真っ暗い被災地の真ん中にコンクリートの建物が一つ残っていて、そこでベースを始めたんで、初めのころは、夜になるとそこだけ明かりが灯ってね、カッコよかったです。・・・とはいえ、現地を知っていれば分かるんですけど、実際にあそこでベースを続けるのは大変なんですよ。それを一から立ち上げて、常に丁寧に人と関わって、地元では絶大な信頼を得ていました。
 そう、よく言ってましたよ。「モノやカネもいいけれど、ともかく一緒にいることだ」と、「まず、そばにいて、寄り添う。関わりがすべてだ」と、「ちゃんとつながれば、そこからいろんなことが始まっていく」と。確かに、そう言ったとおりに、徹底して関わる活動をしておられました。
 ただ、最後に大槌でお会いしたとき、ちょっと体調が悪いように私には思えましたけれども、おそらく、もう発病されてたんですね。長崎の新しい任地でがんと診断されて、療養してましたけど、先月亡くなりました。
 私、彼の生き方というか、その福音宣教に関する本気さみたいなものを、やっぱり、受け継ぎたいとも思いますが、何よりもこのひと月、すごく彼を身近に感じるんですね。
 というのは、やっぱりこう、自分が言いたいこととか、やりたいこととかって、一番通じる相手に言いたいし、一番共有できる相手とやりたいじゃないですか。彼は、私のことも尊敬してくれていて、そのような宣教に関するプランを私に語っていたし、実際にやろうとしていた。・・・で、突然亡くなった。そうすると、・・・何ていうんでしょうかね、天の彼が、思い残したことをこの私に語ってくるし、この私を励まして、私と共に働こうとしているっていうのを、ひしひしと感じるんですね。そのことは、私にとっては励みだし、力だし、「よし、やるぞ!」みたいな気持ちにもなる。

 上野と浅草教会を会場にして、カトリックの学生の集いを始めようということで、おととい、まだ仮称ですけど「下町学生会」(※4)の、実質上の第一回ミーティングをしました。うれしいことに、カトリックの学生の中にも、やる気のある学生っていうのがいるんですね。・・・珍しいですよ、「やる気のある学生」。・・・「やる気」っていうのは、もちろん、福音宣教ですよ。「内向きの集いじゃなく、外に向かって福音を広めたい」っていう学生がいるんです。
 で、そういう学生っていうのは、お互いにつながりますし、私のことも信頼してくれます。私は「まずは言葉としるしによって福音を広めていくこと、それこそがキリスト教だ」っていうことを第一にやってきたわけですけど、学生たちも、それこそが核心だということを見抜くわけですね。おとといは、集まってくれた学生たちに、「勇気をもって、福音を語っていこうよ」とお話ししました。「こういう時代だからこそ、本物の福音を、本気で証ししていこうよ」と。
 今までは、そういう集まりをやるとね、たいてい、こうなるんですよ、「じゃあ、みんなを集めますから、晴佐久神父さん、福音を語ってください」と。そうして、そういう講演会とか、福音講座とかをやりましょうっていう話になる。まあ、それはそれでいいですよ、今までも数知れずやってきたし、これからも、一生懸命に語りますよ。でも今回、学生たちは、「福音を自分で語る」って言う。これがやっぱりね、希望ですよ。
 で、このたび、「福音カフェ」っていう名前にしたんですけど、学生たちが福音に触れる機会としてのサロンのようなものを、上野と浅草で月に一度ずつやってこうかってことになりました。みんなが夕方集まって来て、お茶を飲んだり一杯飲んだりしていると、やがて「福音タイム」が始まるんですね。で、学生の一人が、自分の信じている福音を、それを必要としている誰かにちゃんとその場で語り、そしてまた、みんなでお茶を飲んだり、分かち合いをしたりする。そういうカフェ。
 日本のカトリック教会でね、信者の学生たちが、「福音カフェ」と銘打った集いを始めて、中にはつらい思いをしている人もいる仲間の学生たちに、福音を語る。そんなものが実現するとしたら、これ、うれしいことじゃないですか? 希望がありますよ。・・・「新しい集いを立ち上げるのは大変だけど、大槌ベースを立ち上げた古木神父さん、天の応援頼んだよ」っていうような気持ちです。

 イエスさまが「72人を任命した」とありますが(ルカ10:1) (※5)、こう言ってます。
 「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」 (ルカ10:2)
 私たちはそう願ってきましたし、今、その「働き手」が、少しずつではあれ、ちゃんと現れてきていますし、皆さんも負けじと、福音を語る働き手、福音の実りをもたらすために主が任命された弟子として、一緒に福音を広めてまいりましょう。
 ここに「二人ずつ先に遣わされた」 (ルカ10:1) ってありますでしょ? 「御自分が行くつもりのすべての町や村に」(前同)ってありますよ。だから、われわれがチームを組んで、遣わされた先で何か語れば、後からイエスさまが来てくださるってことです。ぼくらは先発隊、先遣隊。そこで何を失敗しようと、どうなろうと、そんなことはどうでもいい。行けばいい。ただ寄り添えばいい。
 被災地のような現場は東京にだっていっぱいある。都市は魂の被災地ですからね。さらには、見回せば世界はテロ、テロ、テロで、昨日も、バングラデシュでの恐ろしいテロのニュースを聞きました(※6)。でも、希望がないかというと、そんなことはない。まさに、この時代だからこそ、今一番必要なことがなんであるかがはっきりしてきている。その答えを、もうわれわれは知っているし、解決する方法を持っているし、後はそれを与えるだけ。
 福音によって、人と人を結ぶこと。
 どこであれ、行って、福音を語り、誰かと福音によってつながっていれば、後からイエスが来てくれる。尻拭いはイエスさまがやってくれるってことですよ。ちゃんとやってくださる。だから、信頼して、勇気をもって、この学生たちのように、福音を携えて出掛けていこうじゃないですか。それこそが「預言者」ってやつです。

 イザヤの預言、最初に読まれましたけど(※7)、ホントに困難な現場にあって、イザヤは希望を(・ ・ ・)語るわけでしょ。困難な現場に出掛けていって、「やがて、こうなるよ」と。「あなたたちは乳房に養われ、抱いて運ばれ、膝の上であやされるよ」(cf.イザヤ66:12)と、「母がその子を慰めるように、神が、あなたたちを慰めてくれるよ」(cf.イザヤ66:13)と。
 ・・・今は、確かにつらい。もう、ひどい状況。でも! やがて、その日が来る。
 「あなたがたは膝の上であやされるよ」「慰められるよ」と、こんな希望、神の言葉を、学生たちも、今絶望している別の学生に語ろうとしている。・・・「預言者」っていうやつですね。
 およそキリストの弟子たちは、みんな預言者であるべきです。私も預言者でありたい。預言者、「神に遣わされる者」ですね。それを、「イエスさまが任命した」とある (cf.ルカ10:1)。・・・任命。「()せて」「()じる」。イエスさまが(・ ・ ・ ・ ・)任命するんですよ。イエスさまの任命だから、これ、間違いがない。
 「任命」というのは、ご存じの通り、任命した側に責任があるんです。大臣が不祥事を起こすと、任命した総理大臣が責められる。「任命責任」ってそういうことです。われわれもイエスさまに任命された以上、責任は任命した側にある。「責任は俺が取る」って、イエスさまがそう言ってくださってるんです。私たちはそれを信じて出掛けます。津波の被災地だろうが、魂の被災地だろうが、どこにでも、恐れずに、「後はイエスさまがちゃんとやってくださる」と、そう信じて出掛けます。
 古木神父さんは、教師として、学生寮の寮長として、青少年に直球で福音を語り続けてきましたし、この福音カフェも、天で働いて実現させてくれるでしょう。最後にお会いしたとき、彼は私を励ましてくれましたし、私は彼に、「がんばりま~す!」ってね、お約束しました。福音を必要とする所にはどこにでも届けたい。特に、このたび派遣されたこの上野の地と、浅草の地で、周りにいる大勢の福音を求めている若者たちに届けたい。まあ、そういう熱い思いを持って、この「福音カフェ」を始めます。
 この「学生の福音カフェ」は学生たちが、学生たちのためにやってることですけど、私は、やがては「相当前に学生だった人の福音カフェ」も、(笑) ぜひやっていきたいし、ともかくキリスト者が福音を語る場を工夫していきたいのです。ごらんのとおり場所はあるし、信仰はあるし、その「福音カフェ」で出すコーヒー豆をぜひ寄付したいという人たちもきっといるでしょうし。(笑) 「きっといるでしょう(・ ・ ・ ・)」って予言してるだけですよ、(笑) ・・・このカフェは必ず実を結ぶと、私はそう信じます。

 古木神父さんと、最後にお会いしたのは長崎でしたけども、お見舞いにお訪ねしたら、施設の外の一軒家で療養なさってて、私が訪ねて来たことをホントに喜んでくれました。もう寒いのに、家の外で待ってるんですよ。・・・あれ、どれだけ待ってたんだろう、ちょっと分かりにくい所だったので、心配したのかもしれない。外に出て、「まだかな、まだかな・・・」ってね。
 それで部屋の中に招き入れてくださって、お世話するシスターが心配そうに見守ってましたけど、ま~あ、しゃべった、しゃべった。ホントに彼、よくしゃべりました、あのときは。で、「抗がん剤がよく効いてる」とか言っていて、で、「俺、治る気がする」って言うんですね。で、ぼくも、「きっと治りますよ。まだやるべきことあるんだから、一緒にやっていきましょう」とかって言いましたけど、心の中では、正直、「ああ、でも、お会いするのもこれが最後になるかもしれないなあ・・・」と、やっぱりそのとき思っちゃいました。
 彼はまるで遺言のように、大事な話を熱心に語ってくれましたし、私も、一言一句聞き漏らすまいと思って、彼の話を聴きました。
 彼は夢中になってしゃべり続けてたんですけど、しまいに鼻血がボタボタ出てきて、もう、机の上に鼻血垂らしながらしゃべるんですよ。「神父さん、もうお休みください」って言っても、「いや、もうちょっとだけ。だいじょうぶだから。おかしいな、こんなに出るはずないんだけどな」って言いながら、机の上を拭いてしゃべって、しまいにズボンにまでね、血がポタポタポタポタ落ちると、「ちょっと待ってて」って言って、ズボンをはき替えて戻って来て、まだしゃべった。
 そんな彼が繰り返し言ってたことで、私の耳に一番残ったこと。
 「俺はまだやるよ、みんな無理だっていうけど、俺はまだまだ働くよ。前から思ってたんだけど、二言目にはみんな、『できない、できない』って言うんだよ。・・・『やろうよ!』って呼び掛けても、『いや、そんなこと無理でしょ』『できない、できない』って、みんな言うんだよ。・・・それが俺には分からない。それは、『できない』じゃない、『やらない』だ。『やってみたけど、できなかった』って言うんなら分かる。でも、やってもいないのに、みんな『できない』って言う。俺には理解できない。まずやってみりゃあいいじゃないか。
 今の教会は、何にもしてない。・・・何にも(・ ・ ・)、していない」
 繰り返し、そう言ってた。
 「俺はやるよ」
 「治る気がする」
 ・・・彼は、この世では治らなかったけれども、この世で治った以上に、天に生まれていって働いていると、そう信じてます。そして、彼が天でやっていることを、少しでも手伝いたい。
 ドン・キホーテじゃないけど、突撃は難しいような現場はいっぱいあるけれども、とりあえず、「福音カフェ」、始めようと思う。
 ・・・古木真理一が働いているから「できる」と、私はそう信じます。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「東京での追悼ミサ」
2016年6月8日に帰天された「ヨセフ 古木真理一神父さま」(サレジオ会)の追悼ミサ・納骨式
 日時: 7月9日(土) 14時30分から
 場所: カトリック碑文谷教会(〒152-0003 東京都目黒区碑文谷1-26-24)
(参考)
・ 「訃報 ヨセフ 古木真理一神父 帰天」(カトリック・サレジオ修道会 日本管区)
・・・< 文中へ戻る

※2:「古木 真理一(ふるき まりかず)神父」
◎ ヨセフ 古木 真理一神父さま  (サレジオ会)
2016年6月8日 肺栓塞炎のため帰天。享年66歳。
2015年5月末より、がんの治療を継続しておられた。
********
1949年10月30日 福岡県行橋市生まれ。
1979年3月25日 初誓願
1981年〜1983年 日向学院中学校・高等学校 教諭
1985年3月25日 終生誓願
1987年3月7日 司祭叙階(碑文谷教会にて)
1987年〜1992年 日向学院中学校・高等学校 寮長
1992年〜1996年 育英工業高等専門学校(現サレジオ高専)
1996年〜1999年 大分スタディセンター担当
1999年〜2011年 愛野教会主任司祭、小さき花の幼稚園園長
2011年〜2014年 中津支部より長崎教区に出向
  長崎教会管区カリタス大槌ベースキャンプ長、長崎教区事務局次長
2014年 時津教会主任司祭
2016年6月8日 帰天
(参考)
・ 「訃報 ヨセフ 古木真理一神父 帰天」(カトリック・サレジオ修道会 日本管区)
・ 「7/9 故・古木神父様 追悼ミサ(東京)について」(ドン・ボスコの風 6月15日0:00/Facebook)
・ 「追悼 古木真理一神父」(ドン・ボスコの風 6月9日2:35/Facebook)
・ 「訃報 ヨセフ 古木真理一神父 帰天」(ドン・ボスコの風 6月9日2:01/Facebook)
・ 「古木真理一神父様の講和メモ_震災における活動報告」(「ヨハネ林の信仰日記」2013年10月30日記事/個人ブログ)
・・・< 文中へ戻る

※3:「長崎と大槌を車で往復してたんですよ」

(<< クリックで拡大)
左のGoogle Mapによると、長崎から大槌までは約1,800キロ。車でおおよそ21時間かかる計算になっている。



大槌付近の拡大地図は>>こちら
・・・< 文中へ戻る

※4:「下町学生会」
 6月5日の説教で、初めて紹介されました。以下にそのまま抜粋して掲載いたします。
*******
 「下町学生会」っていうのを始めることにしました。まだ準備段階ですけど。
 キリスト者の学生の会ですけど、単なる交流の会ではなく、「同世代に福音を伝えるキリスト者である学生」の会にしたい。救いを求めている友達、福音を聴く機会がない学生たちに、熱い思いで福音を語りかける学生の会を目指してます。
 身近に、そんな熱~い心を持っている学生がいましたら、お伝えください。
 皆さんも身近に、 悩んでる学生、熱~い心に触れたいと思っている学生がいたら、ぜひ教会に誘ってくださいね。「教会に行ってみませんか?」「入門講座、出てみない?」「なんか、面白い説教してる神父がいるよ」と知らせてあげてください。
*******
 ※掲載箇所:「なんとかしてあげたい!」(「福音の村」2016/6/5説教/終わりから3段落目 赤字引用者
・・・< 文中へ戻る

※5:「イエスさまが『72人を任命した』とありますが(ルカ10:1)
 晴佐久神父の指摘している場所は、この日2016年7月3日(年間第14主日)の福音朗読箇所にある。福音朗読箇所は、以下のとおり。
 ルカによる福音書10章1~12節、17~20節、または10章1~9節。
  〈小見出し:「72人を派遣する」10章1~12節、「72人、帰って来る」10章17~20節〉
・・・< 文中へ戻る

※6:「昨日も、バングラデシュでの恐ろしいテロのニュースを聞きました」
 2016年7月1日(現地時間午後9時半/日本時間2日午前0時半)、武装した7人が、バングラディシュの首都ダッカ中心部、グルシャン地区のレストラン、「ホーリー・アルチザン・ベーカリー」を襲撃。人質を取って立てこもった。治安部隊が内部に突入、鎮圧したが、日本人7人を含む外国人20名が犠牲になり、犯人のうち6人は射殺された。過激派組織イスラム国(IS)が犯行声明を出しているが、異論もある。
(参考)
・ 「日本人7人死亡…バングラデシュテロまとめ」(YOMIURI ONLINE 2016/7/67/6閲覧
・ 「ダッカ襲撃 関連ニュース」(毎日新聞ニュースサイト)7/17閲覧
・ 「バングラデシュ テロ、日本人7人死亡 伊9人含め20人犠牲」(日本経済新聞電子版2016/7/37/4閲覧
・ 「ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件」(ウィキペディア)
・・・< 文中へ戻る

※7:「イザヤの預言、最初に読まれましたけど」
この日、「最初に読まれた」朗読(=第1朗読)の箇所は、以下のとおり。
 イザヤ書(イザヤの預言)66章10~14c節
   〈小見出し:「栄光の顕現」66章1~24節から抜粋〉
・・・< 文中へ戻る

2016年7月3日 (日) 録音/2016年7月23日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英