「天国の入り口」という名の友

【カトリック浅草教会】

2016年9月18日 年間第25主日
・ 第1朗読:アモスの預言:(アモス8・4-7)
・ 第2朗読:使徒パウロのテモテへの手紙(一テモテ2:1-8)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ16・1-13、または16・10-13)

【晴佐久神父様 説教】

 今日は「敬老のお祝いのミサ」ということで、後で敬老のお祝いの式もありますので、先ほど、「説教は短めに」という、(笑) お達しがありましたが、うまくいきますかどうか。(笑) しゃべりだすと、なかなか止まらないという傾向がありますから・・・。(笑)

 昨日もこの聖堂でミサをして、長々と説教しちゃいました。
 「いずみ会」の半日黙想会があって、最後にミサをしたんですね。「いずみ会」というのは、当教会の婦人会ともいうべき方々の、素敵な集まりですけれども、「ぜひ、ミサについてお話をしてほしい」という、そういう申し出でしたので、ミサを愛する身としても、大変うれしかったです。ですから、黙想会の最後にミサをして、そこで「ミサがどれほど素晴らしいか」っていうお話を、まあ、夢中になっていたしました。
 そこでもお話ししたんですけれども、天の(うたげ)の始まりなんですよ、ミサって。その意味では地上で体験できる、最高のものなんです。この世に素晴らしいものはいっぱいありますけれども、どんな富にも増して、天の富は格上。それを地上で受けることができる。この試練の世にあって、なかなか永遠なる天の富のことまでは分からない、信じられないという私たちに、その恵みをミサで先取りさせてくださっているんですね、神さまが。「特別大サービス」ってやつです。
 この世にありながら、ちょっとだけ天国に入っちゃう。
 それこそが、このミサの素晴らしさ。「この世を生きている」っていうこと自体が、実は「ミサに(あずか)るために生きている」って言ってもいいようなものなんです。その意味でも、今日、敬老のミサに当たって、自分の人生にミサがあること、自分の人生が、神さまの恵みのうちにミサに招かれ、ミサによって励まされていることを、もう一度思い起こしていただきたい。そして、その人生が、「これから終わろうとしているんじゃない。これから完成していくところなんだ」という、「神さまの恵みの世界は、これからが本番なんだ」という、その希望を新たにしていただきたい
 ミサほど、それを味わうにふさわしい場はないし、敬老のミサでは、特別にそのことをお話ししたいのです。神さまは、私たちを、本当にその恵みを与える「友」として、ご自分の宴に招いてくださいました。私たちは感謝しますし、いっそう多くの「友」をここに呼び集めようという思いを新たにいたします。

 先ほどの福音書で、イエスさま、「友をつくれ」って言いましたでしょ(cf.ルカ16:9) (※1)
 神さから頂いたこの世の富を、ただ自分のために使うんじゃなくって、「この世の富は、友をつくるために使え」(cf.ルカ16:9)と。じゃあ、どうやって友をつくるかというなら、持てるものを無償で与えればいい。それで言うならば、一番の友には一番いいものを与える、あるいは一番いいものに誘うことでしょうから、まさに最高の宝である「ミサに誘う」なんていうのは、最高の友をつくることになるんじゃないでしょうか。
 「この世の富」って、金の話だけじゃない。自分の持ってる健康とか、才能とか、環境とか、出会いとか、自分が神さまから頂いている、さまざまな「この世の富」を、「天の富」のために使う。つまり、「友達をつくる」ために使う。イエスさまが、「そうすれば、天に迎え入れてもらえる」っていうような言い方をしていたように(cf.ルカ16:9)、それは、この世で(もと)を取ろうというような取引じゃなく、持てるものを無償で差し出すことで、天の宴の先取りができるってこと。つまり、「友をつくったから、天に迎え入れていただく」というよりは、むしろ、「友をつくることで、そこにすでに天が始まっている」と。友をつくって、豊かな関係が生まれる、喜びのつながりが生まれる、そこがもう、天国の始まりだと。だからもう、そんな無償の世界にあこがれるキリスト者が集まるこのミサなんかは、本当に、「天国の入り口」なんですよ。
 この「入り口」に、みんなを呼び集めましょう。皆さんだって、ある日突然、たった一人で、急に、「教会に行こう!」と思って通い始めたわけじゃないでしょ? かつてキリスト者に出会って影響を受けたとか、最近誰かに誘われたとか、あるいは、仮に自分一人で決心して訪ねてきたにしても、ここの仲間に受け入れてもらえたから、ここにいるわけでしょう。

 昨日のその黙想会で、実際にミサを捧げつつ、「ミサほど素晴らしいものはない」「こうしてミサに出合えて、集まれたことを、どれほど感謝したらいいか」「このミサを信じていれば、もう安心だ」と、そんな話をしましたけれども、ちょうど、遠方から来た方がおられたんですね。・・・直前に電話してこられたんです。プロテスタントの信者の方ですけど、「東京に来てるので、ぜひ浅草教会を訪ねて、少しお話を伺いたい」と、そうおっしゃって。だけど私、最初は無理だと思ったんで、「その時間は黙想会があって、お会いしてお話しする時間がありません」と答えようとした。
 でも、そこでハタと思い付いたんですよ。「そうだ! まったく会ったこともない方だし、プロテスタントの方だけど、この『いずみ会』の黙想会に出ていただいたらどうか」と。で、「ミサについての話ですけれど、もしよろしかったら、参加なさいませんか?」って言ったら、「えっ!? いいんですか?」ってことで、来てくださったんですよ。それで、そんないきさつだと皆さんに紹介して、一緒にお話を聞いてもらいました。
 プロテスタントの方ですけど、福岡のカトリック教会に行ってみたら、言われたんですって。「東京に行ったら、ぜひ浅草教会に寄って、(なま)ハレサクを見て来い」と。(笑) ・・・「生ハレサク」っていったい・・・。「生ハルマキ」なら知ってますけどね。でも私は、そう紹介してくれた人の気持ちが、すごくうれしかった。だって、私を紹介してくれるっていうことは、ある意味、私にとっての友が一人増えるわけですし、現に「ぜひどうぞ」って無償でお招きしたら、お会いできたわけですから。
 教会って、そういうところでしょ。持っている場とか、情報とか、機会とかを無償で使って、友を得るところ。私たちの持っている「富」を用いることで、永遠の命にいたる「友」が増える。
 ・・・なかなか、いい出会いでした。「ミサがどれほど尊いか」っていう話を延々と聞かされてね、なんかちょっと、洗脳されたような感じでしたよ。(笑) さらに言えば、その方、一人で来られるのかと思ったら、信者ではないお友だちを連れて来たんですね。「せっかくだから、よかったら一緒に」って、連れてきちゃった。そのお友達は教会のこと、ぜんぜん知らないようでしたけど、「ミサがどれほど素晴らしいのか」っていう話をいっぱい聞いて、何か感ずるところもあったんじゃないですか。・・・うれしかったです。神さまが結んでくださる友を得る。
 教会なんて、神さまから与えられたいろんな「富」をたっくさん持っているんだから、それを用いて、「友達づくり」、やっていったらいいと思いますよ。

 台東区の行政の方と、数日前にお話ししたんです。かねがね、高齢化の進む土地柄ってこともありますし、教会で、近隣のお年寄りの集まるサロンみたいなことができないかって考えてたんですけど、そのことで、私の友人の友人ってこともあって、台東区の介護福祉課の方が、わざわざ教会に来てくださったんです。そこで、この教会で何か、お年寄りが集まる機会をつくる試みができないかって話をね、二人でしました。
 聞けばちょうど今、「通いの場」(※2)っていうのを、行政が進めてるんですね。お年寄りが一人で家にいると、誰とも話す相手がいない。で、外に出掛けなくなる。運動不足になって体力が落ちる。やっぱり、一人ぼっちで外出しないと、老化が進んで、介護も必要になってしまう。だから、ぜひお年寄りが気軽に出掛けて、みんなと出会って、おしゃべりもできるような場を地元にいくつもつくって行きたい。しかし行政にも限界があるので、場を提供する自発的なグループを発掘して、行政が後押ししていきたいと。
 その意味では、教会なんかは場所もありますし、トイレもお部屋もありますし、お世話する人もいますし、お茶をお出ししたりもできますし、うってつけですよね。ですから、ぜひ実現させたいって言ったら、まずは、「いきいき百歳体操」(※3)っていうのを、週に一度以上やったらどうですかって持ちかけられました。皆さんとも相談して、始めてみたいなと思ってます。この教会に、近隣のお年寄りが定期的に集まって、「いきいき百歳体操」をして、そこでさまざまな出会いがある。最初のうちは、作業療法士とか、指導してくれる人が来てくれるんですって。体操の後は、お茶の会とかね。
 近隣の方、特にお年寄りの方、ここに教会があるのは知っていても、なかなか足を踏み入れるチャンスがない。もったいないですよ。素晴らしい「富」を持っているんだから、それを用いて「友」をつくりましょうよ。それによって、私たちは天国の入り口を体験できるんです。
 「いきいき百歳体操」の実演と説明会が区民ホールであるというので、私、出席するつもりです。何人か、一緒に行ってくださる信者さんが、もう現れているので、ちょっと下見してきますね。いけそうだと思ったら、具体的に提案したいと思いますけれども。
 ・・・地元の方が信頼して集まってくる、そして、友が増えていく教会、素晴らしいんじゃないですか? そうして私たちは最終的には、「ミサ」という富を持ってるわけですから。近所のお年寄りが集まって楽しく体操をしているうちに、だんだん、「教会っていいな」と思い始め、やがては「ミサにも参加してみたい・・・」とか。そんな下心は・・・(笑) チョットはあるんですけど、(笑) まあ、それは置いといて、「地元の方のお役に立てれば」ということですね。「教会」っていう富を、恵みの場を、ぜひ友をつくるために活用したいということですね。

 先週、「もう死にたい」っていう方から電話がきました。その方、最初、浅草の有名なお寺に相談に行ったんですね、救いを求めて。で、お坊さまに、もう死にたいって気持ちを聴いてほしいと相談しようとしたら、「1時間3千円」って言われたんですって。「そういうとこもあるんだ・・・」って、ちょっとビックリしましたけど。
 ちなみに教会は、相談料、決して取りません。取ってるとこがあったら、それはもはやキリストの教会じゃない。私なんか、相談料取ったら大儲けですよ。(笑) ほとんど毎日、面談、面談で、いろんな相談受けてますから。でも、実を言うと、すでに大儲けしてるんです。それで友達ができるから。確かに、時間とか、労力とか使いますし、正直言って、長時間つらい話を聴いていると、こっちもつらくなるし、もちろんお茶も出します、時には食事も出しますってこともありますから、そういう意味では、この世の「富」を使ってると言えなくもない。でも、そうすると、友達ができるんですよ。これは大儲けです。
 「友達ができる」っていうことは、「天の国に入り始めてる」っていうことです。やがては、天の宴でみんな一緒になるわけですけど、その入り口が、この世での友達づくりになるわけです。
 その方は、3千円持ってなかったから、仕方がなくキリスト教の教会に行ってみたら、そこでカトリック浅草教会の電話番号を教えてもらったので、(笑) 電話したって言うんですよ。だから、「ぜひお会いしましょう」と約束したんですけど、約束の日は私、上野教会にいる日だったので、上野でお待ちしてたんですが、本人道を間違えて来れず、会えなかった。それで、その方に郵送で地図を送りましたので、今週、ようやくお会いできることになりました。間違いなく、友達になれると思いますよ、40代の男性です。
 ・・・そうするとですよ、そのお坊さまは、この世の富「3千円」のために友を一人失ってるんですよね。そういうことになりません? で、私は、友が一人増えた。「天国の入り口」という名の友が。

 なんかこう、今日、敬老のミサですけれども、皆さんを見ていると、神さまが、皆さんの犠牲、忍耐、奉仕によって、教会の友達関係をいっぱいつくって、神の国をお始めになっているのが、ホントに、目に見えるようです。教会はそういうところですし、そういうことを、ずっとしてきました。特に、今日お集りの敬老の対象の方々は、長い年月、たくさんの友をつくってきたわけでしょ、忍耐と、犠牲と、奉仕で。それがみ~んな天国の入り口になっているんです。
 「年を取ったら何もできなくなる」なんて、おっしゃらないでくださいね。皆さんは、「この世におられる」、それだけで、役に立っているんです。「友達づくり」という大いなる仕事を、ちゃんとしているんです。こうして、皆さんのような敬老の対象になる方々がおられるだけで、私たちは神の国の入り口を、いつにも増して(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)味わってるんですよ。

 友達、つくりましょう。
 この世の富は、やがては消えるもの。なくなっちゃうもの。今のうちに、それがあるうちに、永遠なる天国のために、いっぱい、この富を使っていこうじゃないですか。
 今日、敬老のお祝い日に当たって、私たちは、「神さまの恵みによって、お互いに友とされているんだ」っていうことに感謝いたしましょう。そんな「友」の集会であるこのミサは、もう天国が始まったも同然なんです。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「イエスさま、『友をつくれ』って言いましたでしょ (ルカ16:9)
 この日、2016年9月18日(年間第25主日)の福音朗読〔ルカによる福音書(16章1~13節、または10~13節)/〈小見出し:「不正な管理人」のたとえ〉〕から。
===(聖書参考箇所)=== 
「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」 (ルカ16:9/赤字引用者)
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※2:「通いの場」
 高齢化が進むなか、できるだけ多くの高齢者が自立生活(経済的に「自活」することではなく、生活上の意志決定、選択の自由を行使できる生活)を送り、要介護状態になることを防ぐため、また、住み慣れた地域で、生き生きと暮らし続けることができるため、全国の市町村が、地域の住民主体で介護予防活動を行っている。
 「通いの場」は、そんな活動の拠点となっており、介護予防や閉じこもり予防、健康づくり、同じ地域住民としての交流などのために、高齢者が容易に通える範囲を考えて、設けられている。週1回の運動は原則だが、それぞれの地域で、「ご当地体操」があったり、「サポーターとの畑づくり」や「地域の子どもたちとの交流」があったりと、さまざまな工夫が凝らされている。
(参考)
・ 「住民主体の『通いの場』 自治体が作り方学ぶ」(産経ニュース 2015/3/199/19閲覧
[PDF] 地域づくりによる介護予防を推進するための手引き(地方展開編)」(株式会社日本能率協会総合研究所 2016年3月9/19閲覧
[PDF] 地域づくりによる介護予防を推進するための手引き」(株式会社三菱総合研究所 2015年3月9/19閲覧
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※3:「いきいき百歳体操」
 米国国立老化研究所が推奨する運動プログラムを参考に、高知市が2002年に開発した、おもりを使った高齢者向けの体操。現在では、全国に普及している。
 椅子に座ったまま、準備体操、筋力運動、整理体操の3つを行う。
 「何歳からでも、この体操を3カ月継続することで、筋力を維持・向上でき、転倒予防や立ち上がり等の動作が楽にできるようになる」という。
(参考)
[PDF] いきいき百歳体操の取り組み住民主体の介護予防活動」(高知市健康福祉部高齢者支援課/川村明範=理学療法士=)
・ 「『いきいき百歳体操』はどんな体操?」(高知市・高齢者支援課
・ 「いきいき百歳体操」(YouTube/動画)
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2016年9月18日 (日) 録音/2016年10月7日掲載
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