2014年9月21日年間第25主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ55・6-9)
・第2朗読:使徒パウロのフィリピの教会への手紙(フィリピ1・20c-24、27a)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ20・1-16)
【晴佐久神父様 説教】
恒例の、神父の愚痴話から。
・・・先々週、頭をぶつけたんですよ。それも相当強く。
裏の駐車場から倉庫に上がる所、ありますでしょ。コンクリートの梁が低いじゃないですか。あそこは、勢いつけてトントンと上らないと、上れない。オアシス広場(※1)でバーベキューやっててね、炭を取りに行こうって慌ててて、あそこをトントンと上ったら、ガンッ! と梁にぶつけて、「これはやっちゃったな・・・」と思うくらい、強く打ちました。
情けないというか、みっともないというか、もういい年してね、もっと落ち着いて生きていきゃあいいのに、なんでこんなことになるんだろうって、ホントに、・・・しょげるというか、うずくまって情けない思いをしました。しかも、そこにぶつけるの、これで3回目なんですよね。(笑) あそこは頭ぶつける人多いんで、一応薄いプラスチックのカバーがしてあったおかげで、今もこうして生きているわけですけど、さすがにその日は、ぶつけたところがシクシクと痛むんですよ。
みんな脅かすんですよね、「症状は後からくるのよ」って。「病院に行った方がいいよ」とか、「検査してもらった方がいいんじゃないの?」とか。中には、「安心してたら、それが原因で30年後に倒れたっていう話もある」って。(笑) だけど、私、30年後ならもういいかな・・・って。(笑)
まあ、その後おさまってたなと思ってたら、一週間たってから、また急に頭痛がするんですよ。ぶつけたところじゃないんですけど、片頭痛みたいな感じで。だから私、「やっぱり診てもらった方がいいのかなあ」と思って、病院でCT(※2)を撮ってもらいました。たまたま最近読んだ記事に、50歳過ぎたら一度は脳のCT撮っといたほうがいいってのがあったんで、いい機会だとも思って。
おもしろいですね、CTって。自分の脳のCTって撮ったことありますか? 私、初めてですけど、脳を輪切りにしてね、よく見えるんですよ(※3)。なんと言っても自分の脳ですから、妙に感心した。モニターの画面でお医者さんが見るでしょ。その画像を、感心してまじまじ見ちゃいました。「これが俺の脳か・・・」と。「ここであれこれ考えてるのか・・・」と。泣いたり笑ったりするね、自分の脳の中が見えて、なんだか感動しちゃって、画像に向かって「おい晴佐久、頑張れよ!」(笑) みたいな、不思議な気持ちでしたけど。
で、お医者さまは、「きれいな脳ですよ」って言ってくださるし、ひびも入ってないし全く問題ありませんってことでした。「急に痛くなったのは、何か他の原因でしょう」って言うんですよ。「前の日、飲み過ぎただけじゃないの?」みたいな顔しながら。(笑)
で、私、はたと思いついた。・・・あ、そっか。それで頭、痛いんだ、と。
その前日の夕方、私、ロックコンサートに行ったんですよ、横浜スタジアムに。
ONE OK ROCK(ワンオクロック)(※4)っていうロックバンドなんですけど。ここにいる人で、ワンオクを知ってる人はまずいないでしょうけど・・・それなりに有名なんですけどね。映画『るろうに剣心』(※5)の主題歌を歌ってたりしてるし(※6)。
私、大好きなんですよ。ワンオクのTaka(タカ)(※7)っていうボーカルの声が大好きでね。私はとにかくまず声に惚れるたちですから。タカって、お父さんが森進一で、お母さんが森昌子なんですけど、やっぱり遺伝子っていうのはあるもんですね。低音でシャウトするとこなんか、「おふくろさん」(※8)みたいな感じで、(笑)高音をパーンと張ってるときは、「せんせい」(※9)って感じで、(笑)これ、若い人はわかりませんね。(笑)ともかくあの声、大好きなんですよ。聞いてるだけで幸せになる。あえて言えば、「真実味のある声」っていうのかな。ぼくの言い方だとそうなる。真実味がある。
「真実味」って、すごく大事なことですよ。私がこのバンドのファンなのは、それがあるから。声だけじゃなく、生き方が誠実というか、正直というか、・・・そう、「正直さ」があるんですよね。あまたの商業ベースのロックバンドと、ちょっと違うんです。本人たちも、それを誇りにしているし。だからこそ、音楽界では、チョット浮いたような感じではあるんですけど、それでも、まだ若い彼らが、とっても正直に、曲、歌詞、歌、生き方、ミュージシャンとしてのあり方、そういうものを、まっすぐに表しているところに、私、なんかすごく刺激されるし、励まされるし、共感する。
で、このコンサートでですね、このタカが、歌ってる途中で、
「おまえら、もっと頭振れ~!!」って言うんですよ。(笑)
ロックコンサートだと、ヘドバン(※10)っていうんですけど、頭をこ~うやってね、曲に合わせて前後に振ったりするんです。みんな一斉に振るんで、振らないわけにいかない。周り見ても、10代、20代ばっかりで、私、どう見ても、あそこで最高齢者だったと思うんですけど、(笑)なにしろアリーナスタンディングっていう立ち席で、ブロックエリアの一番前の柵の所にしがみついて聞いてたってこともあって、初めのうちはワアワア叫んだり手を振ったりはしていましたけど、「頭振れ~!」って言われて・・・う~ん、(笑)まあ、しょうがないから、一生懸命、頭振ったんですけど、考えてみればその時からもうすでに頭、痛かったんですよ。(笑)
・・・教訓。「56歳は、ロックコンサートで頭を振ってはいけない」(笑)
でも、楽しかったなあ。元気分けてもらったし。MC(※11)でね、自分たちはホントに、自分たちの信じたことをやってきたと、最初のころと気持ちが変わってないっていう感じのことを言うしね、でも自分たちはまだまだなんだ、っていうその言葉にウソはないし、彼らを、私は、「おお、同士よ」みたいに感じるんですよ。私だって「まだまだ」だけど、信じたことを、負けずにやっていきたいしね。
私は、ロックっていうのは、「正直さ」だと思う。
ロックの定義っていろいろ難しいんですけど、まずはなんと言ったって、自分に正直であることじゃないですか。自分のいいところも悪いところも、まっすぐに見つめる、正直さ。その上で、なおも自分の信じたことを、何にもじゃまされずに、誰にも巻き込まれずに貫く生き方。どれほど自分がふさわしくなくても、どんなに問題を抱えていても、たとえ批判されても、自分の信じたことをまっすぐに、正直に、訴える。・・・これがロックだと思う。
やっぱり正直さがないと、ロックじゃない。ロックっぽい、受けてるバンドはいくらでもあるけど、ただの大衆音楽だったり、本音は別のところにあったりで、そもそもほとんどは本意ではないプロデュースで売れてるわけでしょ。でも、彼らは、世の中がずる賢く立ち回ってる時に、自分が「こう」と信じたことを、「そこだけは、魂、売れません!」みたいな気持ちでね、まっすぐに表明する、表現する。納得いくプロデュースしか受け入れない。ワンオクって、そういうバンドだと信じてるし、応援したい。
もっとも、今回、オールスタンディングで疲れ果てて、ちょっと懲りたんで、コンサートはもう・・・とか言いながら、きっと、また行くんだろうな。(笑) 今回が、初のスタジアムコンサートだったんですよ、彼らの(※12)。横浜スタジアム、 めちゃめちゃ盛り上がったし、ちょっとこう、胸熱くして、帰ってまいりましたけど、つくづく思うのは、私もまたロックな神父でありたいと。(笑)
だって、カッコいいですもん、やっぱり、ロックって。巻き込まれないんですよ。時流に流されないんです。誰が何て言おうとも、「俺がそう信じるんだ」と、「みんなにも、それが必ず通じるはずだ」と、「強いものを恐れては負けだ」と、そういう思いを持って生きる。まあ、自分の情けなさ、弱さ、それこそ頭ぶつけるようなしょうもない日常はありますけど、それでも、いや、だからこそ、堂々と立つ。
イエスなんか、めちゃめちゃロックですよね。神とまっすぐに向かい合って、周囲のどんな力も恐れずに、完全に自立している。
ロックバンドは、あまり「神だ、仏だ」と言いませんけれど、その本質には強烈な信仰心が秘められているはずです。だって、信じる力なしに自立はできませんし、「じゃあ何を信じるか」っていうときに、自分をそのように生かし、そのように召している力を直観するはずでしょう。
「ロック神父」っていうからには、神さまの
自分の中のダメな部分、情けない部分を隠さない。だって、それが「自分」なんだから。隠したところで、自分なんだから。自分を恐れず、恥ずかしい部分も、正直にぜんぶ出して、「これが私です」と立つ。神はそんな私に、惜しみなく、ちゃんと恵みを与えてくださるんです。
罪の始まりって、創世記にありますけど、非常に印象的ですよ (参考:創世記3章)。
アダムがね、神さまを裏切って、神さまの思いから離れ、神さまの命令に逆らっちゃうわけですよね。で、禁断の実を食べちゃう。で、その後。神さまが、「アダム、どこにいるのか」って言ったら、アダムは隠れるんです (cf.創3:10)。
「私は丸裸で、恥ずかしい。神を裏切った。こんな自分を見せたくない」
・・・で、隠れるんですよ。ダメな自分を隠したいんです。神が怖いんです。これが罪の始まりです。たぶん食べたことよりも、隠れたことの方が罪深い。
「アダム、どこにいるのか」(cf.創3:9)
「私は恥ずかしくて、隠れております」(cf.創3:10)
私だって、恥ずかしい部分、情けない部分、山のように抱えてますけども、神さまの御前で、丸裸で立ちたいって思ってますよ。神の愛と恵みを信じているから。
皆さんだって、「ロック神父」ならぬ「ロッククリスチャン」であるべきです。
隠さずに、堂々と自らをさらすべきです。立派な者のふりをしなくていいんです。
ダメな自分をただ恥じて、ダメじゃない顔してるなんて、ホントにカッコ悪い。むしろ、こんな自分だけれども、「これが私です」と、「神さま、あなたが私をお生みになり、私を祝福し、そして、こんな私を、あなたは受けとめて、愛してくださる。惜しみなく恵みを注いでくださる。そんな自分を受け入れます」と、そういう思いでね、「こんな私でもみんなのために役に立ちたい、私にできることを捧げたい」って憧れて、人前に堂々と立つっていうのが、カッコよくないですか? そういう人、神さまは好きだと思いますよ。私も応援したいし、自分もそうありたいと思う。
さっきの福音書のたとえ話(※13)に出てきた、5時から来た人、まる一日、立ってたんですよ。
「なぜ一日中立ってるのか」って聞かれて、こう答える。
「だれも雇ってくれないのです」(cf.マタイ15:6-7)
「だれも雇ってくれない」というからには、やっぱり相当なわけがあるんじゃないですか。だいぶ年取っているとか、体が弱いとか、「こいつ、いつも仕事に失敗する。雇っても、ろくなことない」って思われてるとか、あるいは、周りの仲間はみんな処世術に
情けない現実でも、信じて立ち続けてるのって、これもちょっとロックですよね。
朝、真っ先に雇ってもらえるような人たちっていうのは、これはいわば「勝ち組」でしょう。要領いいからね、気に入られるような仕事をちゃんとやって、だからこそ評価も上がり、そしてまた次も雇ってもらえる。「勝ち組」の人たちは、
その意味では、「負け組」は、この世的には、顧みられない存在です。
ところが、イエスさまは、このたとえを用いて、神の国っていうのは、そうじゃない、と。
神の国っていうのは、むしろこの「負け組」に、他のだれとも同じように、ある意味それ以上に、恵みを与える。だって、「後から来た人から始めて」って言ってますよね。(cf.マタイ20:8) まず最初に、賃金を払ってやるってことは、優遇してるってことでしょう。万が一、後で賃金が足りなくなっちゃったら、最後の
「まず、この人たちに支払ってやりたいのだ」という主人のもとで、生かされている私たち。
それを、イエスさまは、神の国の明確なイメージとして語ってくれた。いい世界ですよね、それ。
5時からの人、うれしかったでしょうねえ。そんな思いしたことないから、「働きに行け」って言ってもらって、ビックリしたんじゃないですか?
「えっ? 今からですか? いいんですか?」って、聞き返したんじゃないですか?
で、ほんの1時間働いたら、もう賃金もらって、なんと、堂々たる1デナリ(※14)。
また聞き返したんじゃないですか?
「えっ? いいんですか? ホントにこれ、もらっていいんですか?」
「いいんだよ」と。「私はおまえに、そうしてやりたいのだ」(cf.マタイ20:14)
・・・それが、神さまの思いです。神の国の喜びです。
「わたしが、そうしたいんだ。誰にも文句言わせない」(cf.マタイ20:14-15)
なのに、朝から働いている人たちは文句言うわけでしょ。自分の分はしっかり約束通りもらっておきながらですよ。余計なお世話じゃないですか。人がどれだけもらってようとね。でも、文句言うんですよ。
「あいつら、2分の1デナリでいいんじゃないの?」と。「それをこっちに回して、優秀な私たちを、1と2分の1デナリにしてほしい」と、それくらい言いたいんですよ。なにしろ、この世の中は、そういう世の中ですから。健康で、才能があって、運がよくって、ちゃんと働いて、みんなから評価されてる人に、たくさんの報酬と更なるチャンスが回ってくる仕組みでしょ?
神の国はそうじゃない。み~んな1デナリ。その1デナリを握りしめて、堂々と立つ。
この世での勝ち組も負け組も、み~んな喜べる世界。
この、朝からの人たちだって、5時からの人に、ホントなら、「おい、よかったなあ!」って言ってあげるところなんですよ、これ。「お前も1デナリもらえたのか。やったじゃないか! ちょっとおごれ♪」とか、(笑)・・・あ、自分ももらってるのか。むしろ「お祝いにおごってやるよ」とか。でも、それくらい言ってあげて、いいんじゃないですかねえ。
まず、弱い人から。・・・そういう神の国、いいと思いませんか?
なんか、教会みたいな所こそは、世間の常識とは離れていたいって、私はそう思うんだけれど、でも、いつの間にか教会の中でも、元気に立派に働いて周囲の評判も良い人が褒められて、何か問題抱えてたり、あんまり教会に来られなかったりって人は軽視されるってことになりがちですよね。そうなると、教会とはいっても、ちっとも神の国っぽくなくなっちゃう。
朝から一生懸命働ける人は、感謝していくらでも働いたらいいけれども、後からちょっと来てね、ちょっと手伝うような顔して、ピャーッと逃げるように帰っていく人を責めたりしたら、もう教会じゃないでしょう。誰だって、神が結んでくれたホントに大切な仲間であり、「神さまは、みーーんな愛してるんだ」っていう、そういう思いでお互いに受け入れ合うところが教会です。みんなそれぞれ、事情もあるんだから。
恵まれている人は、いくらでも奉仕できるけど、ちょっと体調が悪いとか、家族の問題を抱えているとか、仕事が忙しいとかだと、もう、教会どころじゃないってこともありますでしょ? お互いの弱さやつらい事情を察し合って、「恵まれている私は、皆さんの分も背負いましょう」っていうような教会こそが、神の国っぽいんじゃないですか?
神父だって、バリバリ立派に働いて、信者に「もっと教会に来なさい、奉仕しなさい」みたいに言ったり、都合の悪い信者を責めたりし始めると、な~んか違ってくるような。
今日は信者席に、神学生の顔が何人か見えますけど、・・・立派な神父にならないでくださいね。(笑) なんでもちゃんとやって威張ってる立派な神父より、ダメな神父の方がいいですよ。(笑)
「立派な神父」なんていっても、実は「立派な神父のふりがうまい神父」っていうだけの話で、中身はもう、スカスカなんですよ。どのみち、みんな。
だけど、そんな自分を、しょ~じきに、正直に見つめて、そして、「こんな私だけれども、恵みをいただいて、こうしてキリスト者であれる、司祭であれる」っていうところから出発してないと、どこかやっぱりウソになちゃって、「ふり」をすることになっちゃう。「ふり」をするのは、真実の自分を恐れてるから。「これじゃダメだ!」って思い込んで、立派に見られることで救われようとしているから。
そんなの、神の国じゃない。
先週聞いた話ですけど、ある教会でね、教会に熱心に奉仕した男性が亡くなったんですって。
生涯を教会に捧げて、立派に信仰生活を終えたそうです。毎朝のミサにも通い、教会委員長も務めたとか。その教会では、とても評判のいい信者だったみたいです。おそらく、葬儀ミサでは、「彼は本当に立派な信仰者でした。神さまも大きな報いを下さるでしょう」なんて、お説教でも褒められたんじゃないですかねえ、きっと。・・・まあ、神父はどんな人でも褒めるんですけどね、葬儀ミサのときは。(笑) 皆さんも、ちゃんと褒めますからだいじょうぶですよ。(笑) だけど、まあ、その人なんかは、きっとその教会でも有名人というか、立派な信者だって思われてたわけですから、特別だったんでしょう。
その点、奥様は控えめな方で、もちろんご主人と一緒に教会にも通ってたんですけど、ご主人があまりにも目立ってたんで、「○○さんの奥さん」っていう感じだったんじゃないですか。
それがですね、そのご主人の葬儀ミサの時ですけど、・・・告別式の最後に
「教会ばっかりっ!」
「教会ばっかりっ!!」
「教会ばっかりっ!!!」って3回。
・・・いい話でしょう? 私、感動したんですよ。
分かりますよね、これ、ただ文句言ってんじゃないですね。
この奥さま、このご主人のもとでどれほど大変だったか。どれほど仕えて、どれほど忍耐したか。評判のいい夫を支えて、どれほど自分のことを犠牲にしたか。それなのに、褒められるのはご主人で、自分は文句言われることもしばしば。時には、自分の存在ってなんだろうとか悩んだかもしれない。夫の気持ちは教会ばかり向いていて、さみしい思いもしたかもしれない。
もちろん、ご主人を愛してたと思いますよ、当然。だからもう、これなんか、「愛してたわよ!」「愛してたわよ!!」「あなたをホントに愛してたのよ!!!」って言ってるようなもんじゃないですか。分かりますでしょう?
教会では有名人で、信仰厚いと言われて、立派にクリスチャンとして生きて、みんなから褒めそやされていたかもしれない。当然奥さまだって、それを誇りに思っていたんです。だけど、心の奥深くでは、ずっと思ってた。「私はどうなの?」と。そんなこと思っちゃいけないって分かっていても、ず~っと思ってたんです。
「私はあなたを愛して精いっぱいお仕えしてきたわ」と。
「だけど、そんな私の本当の気持ち、あなた、わかってた?」と。
「なのに、あなたはさっさと先に亡くなって、ホントにあなたは幸せ者よ」と。
「残された私、これから一人で生きてくのよ」と。
・・・だから、最後の最後、棺のふたが閉まる前に、どうしてもこれだけはって、思わず、
「教会ばっかり!」「教会ばっかり!!」「教会ばっかり!!!」
奥さまの切ない気持ち、すごくよく分かるし、もちろん神さまも、よくよく分かってるはず。
さて、・・・天の国ではね、どっちがより褒められるんでしょう。
朝から一生懸命働いてきて、自分は立派に働いたって思ってるけど、身近な人の気持ちにうとい人と、人の気持ちを思いやりながら、誰も知らないところで目立たずに奉仕しつつも、自分なんかは信仰薄いって思ってる人とでは、どちらが神さまのまなざしの中で、より尊いか。
天国に行って、先に1デナリもらうの、これ、ご主人の方か、奥さんの方か。
【 参照 】
※1:「オアシス広場」
2010年春、晴佐久神父考案で造った、カトリック多摩教会の聖堂向かって左側にある、小さな広場。
大きなパラソルの下には、テーブルとベンチ。特に、日曜日のミサ後には、歓談や軽食のテーブルに使われている人気スペース。
詳細は、2014年8月31日年間第22主日の「福音の村」説教、「トンネルの向こうには」の、【参照】※2に、画像と共にご紹介してありますので、そちらをご覧ください。
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※2:「CT」
(英)Computed Tomography 略称:「CT」。
コンピュータ断層撮影のこと。一般に、X線を使って身体の断面を撮影する。
現在は、画像処理技術が向上し、3次元グラフィックスとして表示も可能。
CT装置は下記のようなもので、寝台にあおむけに寝て検査を受ける。
装置の円筒状の穴の中に、寝台ごと移動させて撮影を行う。この円筒状の装置(ガントリー)には、X線を出す箇所と、検出器が向き合って配置されており、これが身体の周りを回りながら、信号をとり、断面を画像化していく。
【サンプル画像】(クリックすると大きく表示されます)
(参考)
・ コンピュータ断層撮影(ウィキペディア)
・ 検査の上手な受け方 CT検査(兵庫県放射線技師会) など
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※3:「脳を輪切りにしてね、よく見えるんですよ」
下の画像は、脳のCTスキャンのレントゲン写真のサンプル画像。脳を、いわゆる輪切りの状態で把握できる。
現在は、下の画像のように、フィルムに焼きつけることをしなくても、コンピュータの画面上で、さらに詳細に観察でき、また、3次元映像により、立体的、全体的に把握することも可能となっている。
【サンプル画像】(クリックすると大きく表示されます)
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※4:「ONE OK ROCK(ワンオクロック)」
略称は『ワンオク』。
2005年4月から活動している日本のロックバンド。2007年メジャーデビュー。
メンバーは、ボーカル、ギター、ベース、ドラムス担当の4人。
(参考)
・ 「ONE OK ROCK」(ウィキペディア)
・ 「ONE OK ROCK official website」(所属事務所アミューズによる公式ウェブサイト)
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※5:『るろうに剣心』
原作の正式な作品名称は、『るろうに剣心-明治
『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された日本の漫画。和田伸宏 作。
幕末に恐れられた伝説の剣客が主人公。明治維新の後は、人を殺さない誓いを立て、流浪していた。旅先での出会いや、同じ時代を生き抜いてきた敵たちとの戦いを通し、贖罪や新たな時代の中での生き方を模索していく物語。
大変な人気で、単行本化もされ、その売り上げは、6000万部に近い。
テレビアニメやアニメ映画にもなり、さらに実写映画としてもシリーズ上映されている。
監督は大友啓史。製作・配給はワーナー・ブラザース映画。主演は佐藤
第1作目の『るろうに剣心』は、2012年8月に公開。
本年(2014年)にも、8月に『るろうに剣心 京都大火編』、9月に『るろうに剣心 伝説の最期編』の前後編2部作として連続公開され、共に大ヒットとなっている。
(参考)
・ 『るろうに剣心』(ウィキペディア)
・ 「映画 るろうに剣心 京都大火編、伝説の最期編 公式サイト」(ワーナー・ブラザース)など
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※6:「『るろうに剣心』の主題歌を歌ってたりする」
ONE OK ROCK(ワンオクロック)は、映画『るろうに剣心』シリーズ、すべての主題歌を歌っている。
① 『るろうに剣心』(2012年8月公開)
【主題歌 「The Beginning」 / ONE OK ROCK(ワンオクロック)】
② 『るろうに剣心 京都大火編』(2014年8月公開)
【主題歌 「Mighty Long Fall」 / ONE OK ROCK(ワンオクロック)】
③ 『るろうに剣心 伝説の最期編』(2014年9月公開)
【主題歌 「Heartache」 / ONE OK ROCK(ワンオクロック)】
(上記リンク先は映画の予告編。0:29から流れるのが、その主題歌)
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※7:「ワンオクのTaka(タカ)」
本名:森内貴寛。1988年生まれ。
ボーカルを担当し、楽曲の作詞、作曲の多くを手掛けている。
森進一、森晶子元夫妻の長男。
(参考)
・ 「ONE OK ROCK」(ウィキペディア)
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※8:「おふくろさん」
作詞は川内康範、作曲は猪俣公章。
森進一のシングルとして、1971年リリースされ、大ヒットした。
第13回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞:「おふくろさん」
(参考)
・ 「おふくろさん」(ウィキペディア)より
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※9:「せんせい」
作詞は阿久悠、作曲は遠藤実。
森晶子のデビューシングルとして、1972年リリースされ、大ヒットした。
第14回日本レコード大賞・新人賞受賞:「せんせい」
(参考)
・ 「せんせい(森晶子の曲)」(ウィキペディア)より
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※10:「ヘドバン」
ヘッドバンギング(英: head-banging)のこと。略して「ヘドバン」とも呼ばれる。
主にロック、ヘヴィメタル、ハードコアなどのギグ、ライブコンサートで見られる、リズムに合わせて、頭を激しく振る動作。主に激しい曲で行われ、上下だったり、左右だったり、8の字だったりと、さまざまなスタイルが見られる。
ステージ上でも、演奏しながら頭を振ったり、あおったりすることもある。
ギグやライブのテンションを高める動作でもあるが、筋肉や、骨を痛めることもある。
X JAPANのYOSHIKIが「ヘドバン」が要因で、身体に大きなダメージを受けたことは有名。
(参考)
・ 「ヘッドバンギング」(ウィキペディア)
・ 「ヘッドバンギング」(ピクシブ百科事典)
・ 「ヘッドバンギングが脳出血や頭痛の原因に」(Naverまとめ)
・ 「ヘッドバンギングのすすめと注意」(ライブやコンサートを楽しむためのルールとマナー) など
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※11:「MC」
英語で、master of ceremonies。略して「MC」(エムシー)。
セレモニーのマスター転じて、番組進行役、司会者、式場係。また、さらに転じて、コンサートなどで、演奏者が曲と曲の間でのおしゃべりすること、またはその時間。
(参考)
・ 「司会」(ウィキペディア)など
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※12:「今回が、初のスタジアムコンサートだったんですよ、彼らの」
(参考)
2014年9月13日、14日に行われた公演の専用ホームページ
・ 「ONE OK ROCK 2014 “Mighty Long Fall at Yokohama Stadium”」(SOGO TOKYO)
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※13:「さっきの福音書のたとえ話」
本日(2014年9月21日〈年間第25主日〉)の福音朗読箇所
「マタイによる福音書」
20章1節〜16節
〈小見出し:「ぶどう園の労働者」のたとえ〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※14:「1デナリ」
「デナリ」は、聖書の貨幣単位で、普通、1日分の日当。「ドラクマ」(ルカ15:8)と同価。
文語訳、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳では「デナリ」、新共同訳では「デナリオン」と訳されている。
(参考)
・ 「聖書の貨幣」(ウィキペディア)
・ 「新約聖書の貨幣」(「布忠」個人のHP)
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