伝説のサプライズ・バトル

2012年9月9日年間第23主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ35・4-7a)
・第2朗読:使徒ヤコブの手紙(ヤコブ2・1-5)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ7・31-37)

【晴佐久神父様 説教】

 今日は、先週の話の続きをいたします。この神父の説教、時々連続ものになっているので聞き逃せませんよ。先週聞き逃したっていう方は、「福音の村」で予習しておくことをお勧めいたします。
 先週のお話の続きなんですが、ホントは先週話そうと思ったんですけど、私の説教、最近長いですよね、ちょっとね。時間も足りなかったので、今週に回したっていう感じなんですが、せっかくですから知らない方のために先週のあらすじから(笑)お話ししますと、先日の無人島キャンプでね、浜でサプライズ・バンドのライブコンサートをしたっていうお話でした。
 これは楽しかった。無人島で結婚式をした二人の結婚10周年をお祝いするにあたり、何かびっくりさせようっていうことで、暗い浜での記念パーティーの席上、サプライズのライブをいたしました。暗がりの中に、マイク、充電式アンプ、エレキギター、ぜんぶ用意しておいてね。いきなりライトが当たって、ライブ演奏が始まる。まあ、二人はもちろん、他のメンバーもびっくりして喜んでくれたし、こういうサプライズって、手間暇はかかるけれども、よ〜く準備して、その人を喜ばせようっていう気持ちで一生懸命やると、なかなか効果的ですね。やられた方も「そこまでやってくれるか」っていう思いがあって、すごく喜んでもらえる。
 これ、大成功だったんで私はすごく嬉しかったんですけど、まあ、ふと思うに、人間がこうして誰かを喜ばせるのがこんなに嬉しいことで、また、手間暇かけて喜ばせてもらうのが、こんなに感動を生むんであれば、もしかして神さまって、愛する私たちに、すごいサプライズを用意しているんじゃないか。
 実際、よく考えてみると、新約聖書の内容って、ものすごいサプライズですもんね。馬小屋で救い主が生まれて、その救い主は驚くべき言葉を語り、驚くべき奇跡を行う。今日の福音朗読だって、人々が「すっかり驚いて言った。『この方のなさったことはすべて、すばらしい』」っていうところでしょ。この驚きは、やっぱり新約の特徴だと思いますよ。
 神さまがみんなを喜ばせたくて、ちゃんと仕込んでるんですよ。人々を感動させる。救う。喜びで満たす。そういうことを、ちゃんと神さま、仕込んでるんです。で、われわれは、まだその全容を知らない。知らないけれども、それがあらわになるとき、「わあ〜!」って驚いて、神さま、そこまで計らってくれてたんだ、そこまでちゃんと準備してくれてたんだ、え!? 私、こんなに愛されてるんだ、・・・って気付いたときのね、感動とか喜びっていうのを、神さま、ちゃんと準備してるんじゃないか。もしそうだとしたら、それを期待せずに、希望を持たずにいることはあまりにもったいない。
 救いの歴史における究極のサプライズは、イエス・キリストそのものでしょう。目に見えないはずの神さまの愛が、ちゃんと目に見える愛として現れて、われわれに神の愛を直接体験させてくれるなんて、ホントにもう、旧約時代の人にはまったく考えもつかないようなサプライズ。でも、新約のわれわれはもう、それを体験しているわけですから、それをこそもっと深く味わったらいいと思いますよ。イエスの十字架と復活なんて、ものすごいサプライズでしょ。誰も想像していなかったこと。この十字架と復活によって「すべての人が救われる」。「すべての人が神の愛の中に招き入れられる」。そんなサプライズを僕らは体験して、「わあ!」って今、喜んだとこなんですよ。イエスによる最高のライブが始まったところ。最初の、あの「スタンド・バイ・ミー」のベースが、ドゥン、ドゥンって鳴りだして、「え!? なにこれ」って思ったところなんです。「イエスが来られた!」・・・まあ今、この新約時代は、二千年たっといえど、まだまだ「サプライズ・神の国」が始まって間もないところ。
 やがて完成する、究極の神の国、どんな国なんでしょうね。その完成形の驚きは、まだこの世の誰も体験していない。その喜びを、僕らはワクワクしながら待ち望みましょう。・・・って、そんな感じの説教ですね。

 さて、そんな先週の説教の続きっていうのはですね、その翌日の話なんです。
 翌日、わたし的にはなんかこう、燃え尽き症候群みたいにね、3カ月近く頑張ってきたサプライズ・ライブをついに成功させて、「やった〜!」って感じでちょっと放心状態だったんですよ。でもま、翌日は台風の影響で何もできなかったこともあり、「ぼ〜っとしてちゃいけない、もっと燃えなくっちゃ」って、突然思いついて第一回無人島紅白歌合戦っていうの、やったんです。18人のメンバーが紅組と白組に分かれてね。予定外だったんですけれど、かなり本格的なやつを、楽しくやりました。
 その歌合戦の最後のところで、突然、私以外の全員が、なぜかステージに集まりだしたんですよ。この紅白歌合戦、私のプロデュースで、私が審査委員長で、私が仕切ってるはずなのに、勝手にね、残り17人がザワザワとステージに集まりだしたから、私としては「なに勝手なことしてんだよ」って感じで(いぶか)しく思ったんですけれど、「この機会にみんなで歌を歌います!」とか言って17人が予定にない歌を歌い始めた。ってことは、私ひとりが観客になって聞いてるわけですけど、何歌うんだろうと思ったら、「神さまといつもいっしょ」っていう讃美歌あるじゃないですか。子どもたちがよく歌うやつ。あれを歌いだしたんですね。「♪神さ〜まと〜、いつもい〜っしょ〜♪ わたしたち〜、みんな〜♪」っていう歌、聞いたことありますでしょ? で、それがね、替え歌になってるんです。晴佐久神父さんにみんなで感謝するっていう内容の替え歌で、サビの部分なんかね、「♪あ〜りがとう、神さま、あ〜りがとう〜、♪た〜くさんのおめぐみ〜を〜♪ あ〜りがとう、『はれれ』、あ〜りがとう〜♪ わ〜た〜したちのため〜♪」。「はれれ」って私のニックネームですけど。
 それを全員が声揃えて歌ってるのを聞くと、「あれ? これ、思いつきでやってるわけじゃないな」って気がつくわけです。しかも、三部合唱。ソプラノとベースが付いていて、ベースなんかず〜っと「♪はれれ、♪はれれ、♪はれれ、♪はれれ・・・」(笑)なんて歌ってるんで、私も少しは音楽分かってますから気づくわけですよ。これ、だれかがちゃんと詞を書いて、だれかがちゃんと編曲して、この17人がちゃんとどこかに集まって、何度も練習しない限り絶対無理だって、すぐ分かるじゃないですか。つまり、なんと、サプライズ合唱団なんです。「やられた〜!」って感じです。
 キャンプ中のどこかでやろうってずっと前からみんなで計画してたんでしょうね。で、今がちょうどいいと、陰で相談して歌い始めたわけで、こっちもサプライズされちゃったっていうことです。聞いていて、これはよほど準備しないとできないことだし、ああ、みんなこんなに一生懸命歌ってくれて、すごく嬉しいなあと思ったし、あの、私、思わず、はらはらっと涙ぐんでしまいましたよ。すごく嬉しかった。

 こうなってくるとですねえ、もう、サプライズ・バトルですね。(笑)で、しかもですよ、考えてみてください。はじめは18人のうち7人がサプライズ・バンドで準備していた。で、そのうちほかの誰かが言い出して、私以外の17人がサプライズ合唱団の準備を始めた。そうすると、このバンドの7人のうちの私以外の6人は、サプライズ・板挟みになってるんですよ。(笑)そうなりますよね、両方知ってるわけですから。片方にはこれを黙ってなきゃなんないけど、もう片方にはこれを黙ってなきゃなんないと、いつも両方に気を使わなくちゃならない。
 その上ですね、そのサプライズ・バンドが2カ月以上準備して練習していた、教会のすぐ近くのスタジオがあるんですけど、偶然、合唱団の方もそのスタジオで練習し出したんです。そうすると、みんなが集まれる時って一緒ですから、かち合いそうになる。だから、スタジオで次の予約を入れたりする時に、お店の人にしてみたら同じグループだと思ってますから、そういえば、「次の予約、入ってますよね?」とか言われたこともあったんです。何のことかわからずに私が「え?」って顔すると、板挟みになってるやつが、「あ、そ、それは・・・いいんです、なんかの間違いです」みたいに、変な感じだった。今にしてみたら。
 まあ、サプライズ・板挟みもご苦労さまでしたっていうことですけど、この、もはや伝説のサプライズ・バトル、なかなかない話ですし、ともかく相手を喜ばせようっていう気持ちの満ち満ちた、ステキなバトルでしたよ。でも、嬉しかったなあ。世の中には「上司と部下の板挟み」みたいなマイナスの板挟みっていうのはいくらでもあるけれど、プラスの板挟みってなかなかないですもんね。そんな喜ばせたいっていう思いが満ち満ちている仲間たちを、皆さん、応援してくださいな。特に教会の若い子たちには、人を喜ばせることこそが、ホントに楽しいんだよっていうことを、どんどん知ってもらいたい。
 私も、驚かされて喜ばされて、思わずクーッと込み上げるものがあって、その時気が付いたんですけど、やっぱり、お礼言われるのって嬉しいね。褒められるのって。私、別にみんなから「ありがとう」って言われたくて神父やってるわけでもないし、みんなから感謝されたくて無人島キャンプやってるわけでもないんだけれども、・・・ないんだけれども、・・・チョット言われたい。(笑)やっぱりね。そこはやっぱり正直、「ありがとう」って言われて、「感謝してるよ」って、「はれれ、頑張ってるね」って褒められたり、励まされたり、お礼言われたりすると、すごい力になるしね。
 ホントに、「♪あ〜りがとう、はれれ、あ〜りがとう〜♪」なんてねえ、まあ一生懸命練習して歌ってくれて、この曲のタイトルが「神さまとはれれといつも一緒」っていうんですけど、歌詞の中には「神父さま、25年、よく頑張りました」「何度でも、伝えたい、心からありがとう」なんていう歌詞も入ってるんですよ。泣かせるじゃないですか。そうなんです、私、頑張ったんですよ。25年。(笑)それでも誰かが、それをちゃんと言ってくれるって、嬉しいですもんね。25周年の銀祝のお祝いもいっぱいしていただいたけれど、今回のサプライズの歌もすごく嬉しくって、「よし!25年、また頑張るぞ〜」みたいな気持ちにもなる。

 昨日の朝刊にね、「オキシトシン」の話が載ってました。毎日新聞ですけど。半年くらい前にオキシトシンの話しましたでしょう(※)。お説教で話したと思いますよ。「テストステロン」っていう攻撃的なホルモンと、優しいつながりをもったときに湧いてくるオキシトシンっていうホルモンの話。ほら、結婚式の時、式を挙げる前と後では脳内のオキシトシンの量がぜんぜん違ってるっていう話です。
 すごくいいホルモンで、ホントに信頼関係をもってつながると湧いてくるっていうこのオキシトシン、ミサなんかでは特に湧いてるんじゃないですか? 神を信じて神とつながり、信仰によってキリストの家族として皆がひとつにつながるミサこそ、良いホルモンがたくさん出ているはず。事実、ミサに来る時はイライラしてやって来ても、ミサでオキシトシンのホルモンがいっぱい湧いてね、まあ、そうでなくても究極の感動であり、栄養素であるイエスさまをいただくわけですし、帰り道は幸せ〜な気持ちで帰れるって話を以前したんですけど、昨日の新聞には、それをもうひとつ先に進めるようなことが書いてあって。
 これが発見されたのは、お母さんが赤ちゃんにお乳を飲ませてる時、そのお母さんの脳の中でこのオキシトシンがいっぱい出てるっていうところから発見されたそうですけど、確かに、お乳をあげてる時って子どもとしっかりつながってますよね。自分の体そのもの、命そのものである母乳を、愛するわが子に直接飲ませてるわけでしょ。これこそもう、究極のつながりですから、オキシトシンもワ〜ッと出てくる。
 で、記事によると、このオキシトシンに感染症予防の力があるんですって。皆さん、ミサに来た方がいいですよ。これから、インフルエンザ、はやりますからね。オキシトシンいっぱい出てると感染症予防になるし、それから痛みの緩和にもなるそうです。膝痛い方、腰痛い方、いますか? ミサですよ、ミサ。(笑)オキシトシンで痛みが緩和。
 さらには、生きる力が湧いてくるホルモンなんですって。年を取ると、なんかもうだんだん後ろ向きな気持ちになってるとか、生きる元気が薄れてきてるとかいう人、いませんか。もしそうなら、ミサですよ、ミサ。「生きる力が湧いてくるホルモン」を神さまからいただきましょう。
 そしてさらには、オキシトシンがよく出るのは、「人を喜ばせることをしている時だ」って、そう書いてあったんですよ。人の役に立とうと思う時、人を喜ばせようとする時、このオキシトシンが出る。まさにお母さんが赤ちゃんにお乳あげてるときなんて、赤ちゃんをホントに喜ばせたい、母親として子どもの役に立ちたいって、そんな思いで親子がつながってるから、いっぱいオキシトシンが出る。あのサプライズの用意をしてる時も、きっといっぱい出てたんでしょうね。

 それを読んでなるほどね〜って思うのは、やっぱり、神さまは人間を、わが子として喜ばせようと思ってるわけでしょ。であれば、神さまご自身も喜んでいるわけです。オキシトシンじゃないですけど、みんなを喜ばせてるときに、神さまご自身もすごく満足なさってる。なんかそういう直感があったんです。「神の喜び」、それを私たちは分かち与えられて、私たちも誰かを喜ばせる。そうすると私たちも、その神の喜びに(あずか)って、まあオキシトシンだか聖霊の働きだか、何と呼んでもいい、ともかく私たちの脳と魂の中にワクワクと喜びがあふれてきて、そこに生きる力、元気がもたらされる。
 ・・・ってことはですよ、私たち、もっともっと人を喜ばせることを工夫したらいいんじゃないですかねえ。特にわれわれキリスト者はもう、経験もあるし、人脈もあるし、資金もあるし、場所もある、さまざまな情報もある、そして何と言っても信仰がある。あとはちょっと、工夫とモチベーションさえあれば、いっぱいいろんな人を喜ばせられるんじゃないですか。どうですか、皆さん。サプライズなんて大変なことまでやらなくても、ちょっとささやかなプレゼントするとか、「♪あ〜りがとう、はれれ♪」ってね、工夫して伝えるとか、ひと言電話でお礼を言ってあげるとか、なんかそんなことひとつで、この世の中が、どんどんどんどんオキシトシンであふれ、神の国の喜びでいっぱいになってくる。
 さっきの第2朗読のヤコブの手紙で、金の指輪した人に「どうぞ、どうぞ、いいお席へ」って案内して、貧しい身なりの人には「あんた、そこに立ってなさい」って言うとしたら、それおかしいだろうってありましたね。
 もしもですよ、逆に金の指輪の人には「ああ、どうも、いらっしゃい」と言ってそのへんに座らせて、貧しい身なりの人には「どうぞ、どうぞ、こちらへ〜!!」って上席に座らせて、特別にもてなしてご馳走をサービスしたら、サプライズですよね。貧しい身なりの人、ビックリして、「ありがとう!」って嬉しくなって、おもてなしする方もオキシトシンいっぱい出て、双方幸せになって。
 そういうことって、サプライズじゃないですか。皆さんも、普段とらわれていることからいったん、自由になって、解放されて、「今、ここで、この小さな魂が感動することのために、何ができるだろう」、「今、ここで、このつらい思いをしている人に、どうやったら真の喜びを与えられるだろう」、そんな工夫っていうのをいつもいつも考えて、チャレンジしてほしいなあと。そういう仲間たちがここでね、「よし、やろう」と思って、たとえ今日一日でも誰かを喜ばせるなら、ここに100人いるとしたら100の喜びを生み出せるわけで、神の国、だいぶ近くなるんじゃないですか?

 イエスさまが「開け!」って言った(マルコ7:34)。「開け!」って言ったからには、何かが閉ざされてたんでしょう。たぶん、今の私たち、そういうようなことが閉ざされてるんじゃないですかねえ。「そういうようなこと」っていうのは、神さまの喜びを神さまご自身が与えようとしているのを、ちゃんと受け止めること。そして、私たちも互いに喜ばせあおうとすること。そこが閉ざされちゃってる。でも、イエスさまがもう「開け!」って言ったんだから、開かれちゃってるわけで、こうして教会は始まるし、ミサは始まるし、こんな説教は話されるし、皆さんの閉ざされている何ものかが、もう開き始めていて、喜びがワクワクと溢れてくる。
 イエスさまに開いていただきましょう。やがては究極のサプライズ・パーティー、天の宴が待っていて、それがもうチラッと見え始めてるっていう段階ですから、われわれ的にはですねえ、どんな驚きが待ってるだろうって思いながら、このちょっと面倒な準備期間を希望をもって歩んでいこうじゃないですか。確かに準備は面倒。「わ〜!」って喜べる時までは、なかなか大変だけれども、「それがあるからこそ」っていうのは力が出ますもんね。
 オキシトシンなんていうのが脳に湧いてくる仕組み、これ、神さまがつくったわけですから、やっぱり神さま、基本的に「何かお互いに喜ぶことをやろうよ!」って、人類に呼び掛けてるんじゃないですか。

 さっき、私もちょっとは褒められたいなんて言いましたけど、ま、この世であんまり褒められちゃいけないんでしょうね。「サプライズ・神の国」に行ったら、神さまご自身が「ありがとう」って言ってくれるっていうたとえを、イエスさま、話してましたもんね。「え? 私、いつそんなことしましたか?」って言ったら、「あの時、サプライズ・パーティーやってくれたのは、私にしてくれたことなんだよ」って言ってもらえるような、そんな日を夢見ます。
 天の国の喜びに向かって、新しい出発をいたしましょう。



※: 2012年3月4日(四旬節第2主日)説教 「苦しむあなたの近くに行きたい」
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2012年9月9日 (日) 録音/9月14日掲載
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