【カトリック浅草教会】
2016年6月26日 年間第13主日
・ 第1朗読:列王記:(列王記上19・16b、19-21)
・ 第2朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ5・1、13-18)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ9・51-62)
【晴佐久神父様 説教】
昨日、釜石から帰ってまいりました。
被災地を訪問して、もう5年になります。最初のころは、塩釜から始まって、気仙沼、南三陸、釜石、
最初、震災後ふた月目でしたか、あの辺りを回り始めたときは、もう、・・・なんていうんでしょう、・・・無力感があって。特に神父なんて、正直言って、がれきの現場や避難所では役に立たないんですよ、あんまり。だけど、行くとですね、みんなとても喜んでくれるんですね。だからまあ、「じゃあ、行けばいいか」と。「何ができる、できない」じゃなく、ともかく、この苦しんでいる人たち、救いを求めている人たちと、ず~っとつながっていようと、まあ、そう決心いたしました。
というのも、どこの現場でも、「初めのうちはみんな来てくれるけど、だんだん来なくなるんです」って言ってたので、それじゃあ、と意地を張って、「一生行くぞ!」と決心して、通っております。
まあ、役に立たないとは言っても、神父は福音を語れますし、何よりも、ミサを
要するに、人を救うのは神ですから、神と人がつながらなきゃならないんですよ。私が被災地につながり続けようと思ったのは、「神と人をつなぐために奉仕する」と、そう決心したからです。神と人がつながっていれば、人がどれほど被災していようと、どれほど悲惨な状況であろうと、何も怖いことはない。神は宇宙の創造主ですから。・・・すべての愛の源ですから。・・・永遠のいのちを与えてくださる方ですから。
「実は被災地にあって、一番必要とされているのは福音だ。最ももたらすべきは希望だ。神の救いに目覚めるミサだ」と、そういう思いもあって、今回も、ベースのみんなに福音を語り、希望のミサを捧げて帰ってまいりました。
現場とつながり続けていると、いろいろと、つながり続けているからこそ役に立つっていうこともあります。
かつてね、「車が足りない!」って言うから、ワゴン車2台ね、プレゼントしましたよ(※2)。東京に帰ってきて、みんなに寄付を呼び掛けて。あるいは、釜石ベースに新たに建物を建てるっていうとき、そういう話って、結果的には予算の1割くらい足りなくなるものだから、「総工費の1割を集めてくる!」と豪語したり。・・・私ねえ、カッコつけるんですよ。(笑) なんかね、まず言っちゃうんですよね~。で、あとで、「ど~しよ~ ( ̄◇ ̄;) 」みたいなね。だけど、「総工費1割、なんとしても集める!」って言っちゃった手前、・・・集めましたよ(※3)。なんであれ、現場に行ってないと、つながってないと、援助もなかなかできないという意味では、ちゃんと「つながってる」っていうのがどれほど大切かって思う。
その意味では、あのカリタス釜石で働いている人たち、ホントに、それこそ神さまと人をつなぐ仕事をしてるんですね。それは特定の宗教というよりも、もっと透明な意味で、愛である神と、苦しむ人をちゃんとつなぐ仕事をしている。そこに、私は敬意を表します。
カリタス釜石のキャッチフレーズが、「よりそい、つなぐ、いのち」っていうんです。まずは、つらい思いをしている人に「よりそって」、そして、「つなぐ」。で、この「つなぐ」っていうのは、人と人をつなぐ、あるいは、被災地とそうでない地をつなぐもあるんでしょうけど、そこに秘められている一番の本質は、やっぱり神さまと人を、「つなぐ」なんです。それは「洗礼を受けろ」とか、そういうことじゃないですよ。まずは、今最もつらい人、希望を失っている人に「よりそう」ことで、透明な神さまの透明な愛を伝えて、新たな希望を持たせること。・・・神さまと人を「つなぐ」。それこそが、まことの「いのち」なんですよ。これはやっぱり尊いと思うし、私が今、あそこを精いっぱい応援している理由の一つです。
あそこで、わかめを販売してるんで(※4)、今度取り寄せて、皆さんにお配りしますね。・・・「お配りします」っていっても、タダで配るわけじゃないですよ。(笑) あの、「協力してくだされば」という。「さんりくわかめっ!」っていって、カリタス釜石が販売してるんです。おいしいですよ。これ、宣伝じゃなくて、ホントにおいしいんです。(笑) 私、朝、インスタントみそ汁に、戻したわかめをね、塩蔵わかめなんですけど、チョンチョンってはさみで切って入れて食べてます。
・・・つながること、つなげることで、何かが生まれる。
浅草教会は、守護聖人がパウロということで(※5)、今日は本当は違うんですけども、使徒ペトロ・パウロの祭日として、このミサを捧げております(※6)。朗読箇所もそれに合わせた箇所で(※7)、お手元の『聖書と典礼』(※8)はペトロ・パウロの祭日バージョンのものです。私も洗礼名が「ペトロ」なんで、特別な思いでこのミサを捧げております。
イエスさまが、ペトロにこう言うんですね。
「あなたはペトロ」。ペトロって「岩」っていう意味ですけど、「このペトロの上にわたしの教会を建てる」と。「
これはホントにありがたいお言葉です。私たち、こうして教会を生きておりますけれども、私たちの教会は、「陰府の力も対抗できない」んです。すごいですよね。だから、どれほどの被災地に行っても、福音を語り、ミサを捧げ、新たな希望を語ることができる。なぜなら、どんな恐ろしい力も、この教会には「対抗できない」んだから。イエスがそのように宣言なさって、私たちと神をつないでくださっているから。これは、もはやイエスそのものが、神と人をつなぐ力ですから、それを私たちは信じて教会を生きていけるわけですね。
私のイメージでは、イエスさまが十字架上で、こう、両手を大きく開いてますけど、あれは、右手では神さまの手をつないで、左手では私たちの手をつないで、で、「絶対離さない!」みたいな、そういうシンボルのイメージがあります。神であり人であるイエスっていうのは、そういう恵みを十字架上でもたらし、復活の主として私たちに宿ってる。
で、最初にそのイエスさまの左手を、本気で信じて握ったのが、ペトロだっていうことになるんじゃないですか。イエスさまが、「あなたがたはわたしを誰だと言うのか」って言うと、真っ先にペトロが、「あなたは生ける神の子です。救い主です」と答える (cf.マタイ13:15-16) 。それは、「あなたの手を握っていれば、必ず救われる」という信仰であり、だからペトロは、右手でイエスさまの手を握って、今度は、左手で、救いを求めている誰かの手をつなぐ。
・・・教会って、そういうことでしょう。人々が神さまとつながれるように。神さまとつながっているイエスさまとつながれるように。神さまと=つながっている=イエスさまと=つながっている=ペトロと=一人ひとりがつながっているようにと、「ペトロとのつながり」という確かな「岩」の上に、つながるための教会を建ててくれた。そして、そのつながりこそが天国なんだってことを、イエスさまは言ってるんです。
よくペトロが鍵を持ってる御像とか絵がありますでしょ(※9)? あのイメージは、天国に門があって、その門の鍵はペトロが預かっているみたいな、まあちょっと子どもっぽいイメージで、それでも悪くはないんですけど、よく読んでみると、ぜんぜん「天国の扉」だとか「門」だとかって言ってませんよね。イエスさまが言ってるのは、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」(マタイ13:19)です。
これ、素直に読めば、この鍵って、「秘訣」のことじゃないですか。・・・「謎を解き明かす鍵」みたいなね。クロスワードパズルで、「縦の鍵」とかありますでしょ。「これによって天の国に入るんだ」「これによってこそ、天の国が現れるんだ」「その秘訣を、ペトロ、おまえにきちんと伝えておくよ」と、そう言ってるんです。
じゃあ、「その秘訣」とは、何か。イエスさま、そのあとで、何て言いましたか?
「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」 (マタイ16:19)
「解く」って、別の言い方をすれば、「あなたが地上でつながなかったことは、天上でもつながれない」っていうこと。まあ最終的には、すべての人は天上につながれていくんですけれども、まずは地上でつないであげないと、その天上の「つながり」に目覚められず、孤独で苦しんだままじゃないかと。
「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる」(マタイ16:19)
私は、この宣言を信じます。私がこの地上で、ちゃんと人と人をつなぐ。神と人をつなぐ。イエスさまの手に、ちゃんとつなげてあげる。そういう奉仕をすると、その人はまさに天上とつながって救われる。・・・「教会」っていうのは、そういう所です。
私はその奉仕のために司祭になり、30年間その奉仕を続けてきて、せっせ、せっせとつないでまいりました。最近はもう、それ以外にキリスト者がするべきことってないよねっていう気持ちで、日々そのことを心がけてます。・・・特に最近は、あまりにもみんなバラバラになり始めているから、もはや、「臨戦態勢」なんですね。私、誰かに会ったとき、「その人に、福音がどうやったら伝わるか」「この人と神さまをどうやってつなげるか」っていうことを、まず第一に思います。・・・誰であれ。
上野教会の裏に「昭和通り」っていう通りがあるんですけど、その通りにトルティーヤ(※10)を売るちっちゃ~いお店があるんです。ホントにちっちゃいお店。ソフトトルティーヤって、メキシコ料理ですか? 薄い小麦粉を焼いた皮で、レタスやら鶏肉やらを、チーズなんかと一緒に包んで食べる。なかなかおいしいんです。そこのお店を何週間か前に見つけて、時々寄ります。・・・教会のすぐ近くですから。おなかが空くとそこに行って、「トルティーヤください」って。
最初に行ったときに、バイトの女の子がいて、とても愛想がよくって、私、心の中で、「ぜったいこの子を教会に呼んでやる!」と。(笑) なにしろ臨戦態勢ですから。「どうやったらこの子を教会に結び付けることができるか・・・」って、一瞬のうちに、頭ん中でスーパーコンピュータみたいにダーッと話題の検索かけて。(笑)
で、面白い絵が描いてあったりしたんで、まずは絵の話をしたら、なんと、上野の芸大で油絵を勉強してる、と。「キタ――(*゚∀゚*)――!!」と思ったね。(笑) 「私も美術の学校に行ってたんですよ」 って話をつなぎ、「好きな画家は?」とか、無理やり画家の話に持っていき、「モネです」って言うから、「ぼくも大好きです!」とかね、(笑) 「実は、すぐ裏の教会の神父なんだけれど、広いし、ギャラリーとかできるんじゃないかな~」とか、興味を示してくれそうな、いろんな話をした。
そうしたら彼女、とっても興味を持ってくれたし、「私、いつか教会に行ってみたいって思ってたんです。実は、以前も、すごくつらい気持ちで苦しんでいたことがあり、ともかく絵を描いてつらい思いを吐き出すことで、なんとか保ってたんです」とか言うし、「ここだ!」というタイミングで、「教会においでよ~」って誘ってみたら、なんと、次の日曜日に来たんですよ、上野教会のミサに。
先週、そのお店に行ったら、「神父さんの説教、おもしろかった」って。そのうえ、「私、南の島が好きなんです」とかって言うから、また、「キタ――v(*゚∀゚*)v――!!」と思ってですね、(笑) 「実は毎夏、南の島でキャンプしてて、今年の夏も行くんだけど、参加しない?」って誘ったら、「行きたい!」って言いだして、結局、今度、上野教会でやる、そのキャンプの準備合宿に参加することになりました。もう、こうなったら、無人島の浜で洗礼授けちゃおうかな~。(笑)
先週行ったのは夜でした。そこは夜はワインやカクテルが飲めるんで、寄ったんですね。面白いお店なんですよ。ホントにちっちゃいうえに、間口が全部サッシの引き戸で、それを全開にしてるんで、道からすぐに入れるんです。だから道からは丸見えだし、逆に店からは道行く人が丸見え。
そこのソファに座ってワイン飲んで、その彼女とおしゃべりしてたら、道行くサラリーマン風の人が、・・・まあ、常連さんらしいんですけど、歩道から彼女に声をかけたんですね。
「やあ、元気? いいなあ、ぼくも飲もうかな~」とかって。
と言っても、もう明らかに、本人も飲んでるんですよ。正直、「ああ、めんどくさい酔っ払いが来たな」とか思いましたけど、それこそ、臨戦態勢ですから、私、次の瞬間、「この人を絶対に教会に呼んでみせる!」(笑)。
それで、「まあ、一緒に飲みましょうよ、どうぞ、どうぞ、さあ、座って、座って」って言ったら、「え~、いいんですかぁ~?」って。・・・まあ、私の隣に座ったが百年目。(笑) 私、ず~っと信仰の話、教会の話をしました。
というのも、彼はキリスト教系の学校を出ていて、ず~っと教会のことが気になってたんですよ。お祈りとかも覚えてるし、カトリックのこと、プロテスタントのこと、いろいろ疑問もあったりして、信仰のことがずっと気になってて、でもこれまで、きっかけがないままにきている。だから、もう質問攻めでしたよ、逆に。で、私はどの質問にも、もう徹底的に、福音の心で、希望を伝える思いで、答え続けました。そうしたら、本当に感銘を受けたようで、もっと話を聞きたいって言ってくれましたよ。
「いや~、今日はいい話を聞いた。ホントにいい話を聞いた。これはいい出会いだった。今度ぜひ、会社の帰りに、その入門講座っていうのに行くから」って。で、こうも言いましたよ。
「神父さん、その上野教会に、あと何年くらいおられるんですか?」(笑)
それって、もしも洗礼受けたりすることになるなら、その間にっていうことじゃないですか?
キリスト者なら、ちょっと昭和通りを歩いて、小さなお店に立ち寄れば、一週間で二人教会に呼ぶことができます。この今も、昭和通りをどれだけの人がキリスト教を求めて通り過ぎてると思います? やっぱりキリスト者には、神と人をつなぐきっかけをつくる、「つなぐ義務」っていうのがあるんじゃないですか。それは本当に幸いな奉仕ですけれども、そこはやっぱり、「臨戦態勢」じゃないと、なかなか難しい。
そんな態勢の人って、ちょっと変わった人のように思うとしたら、それは違うと思う。キリスト者っていうのは、そういう人たちなんです。皆さんも、そういうキリスト者につないでもらった人たちでしょう。間違いなくそうです。天から神が直接語り掛けたわけではありません。・・・誰か、具体的なキリスト者が、勇気を持って、愛をもって、精いっぱいつないでくれたんです。ペトロも、パウロも、命がけでつないでくれたんです。それによって天国が現れるんです。
先週の月曜日に、学校でいじめられてつらいっていう男子高校生が訪ねてきました。
「いじめられて、みんなから悪口を言われて、苦しい。ご飯も食べられない。眠れない。学校にも行きづらくなって、ホントにつらい」と。
いじめが始まったのは、ほんの2、3週間前なんですね。「それまでは友達が大勢いたのに、その友達がみんな一斉にぼくの悪口を言い始めて、ホントにショックを受けて、苦しい」と。本人は全く悪くないんだけど、あることがきっかけで、一斉に攻撃対象になってしまったようです。実は、いじめる方は、自分が対象にならずにすんでホッとしてますし、かばったりしたら今度は自分が攻撃対象になることを恐れてるんですね。だから、みんなの悪口に乗っかって、一斉に攻撃し始めたりするわけです。
私はもちろん福音を語りまくりましたし、その体験がどれほど貴重で価値があるか、それによって逆に本当に素晴らしいことが始まるよって言いましたし、教会に本物の友達がいる、素晴らしいつながりを体験できるって励ましました。彼にも夏のキャンプの話をしたら、「絶対行く!」と言ってくれて、その彼も、キャンプの準備合宿に来ることになりました。きっとこの夏、最高の仲間たちと、最高の体験をすることでしょう。
では、その彼が、なんでこの教会に来たか。
実は、二人で来たんですけど、彼の友達が連れて来たんです。その友達は同じ学校の高校生で、私が信仰に導いた高校生です。かつては不登校で、大人を信じず、人生に投げやりだった彼を、福音に救われて洗礼を受けた青年たちに出会わせ、夏のキャンプで教会体験をさせたら、彼は立派な「キリスト者」になりました。今は、休まず学校に通い、教会の青年会のメンバーとして、毎週ミサに通っている高校生です。
その彼は、友達がいじめられるようになったときに、こう思ったんですよ。
「ぼくは、キリスト者だから、友達をいじめたりしない。たとえ自分も攻撃されることになっても、彼の味方をする。決して悪口を言ったりしない。むしろ、彼を救ってあげたい。・・・自分も、教会の仲間に救ってもらったんだから」
で、私に電話してきた。
「ど――― しても会ってほしい人がいる。神父さんに会えば必ず救われるって信じてるから、連れて行きたい」
なかなか会って話を聞く時間が取れそうになかったんですけど、「ど――― しても」って言う、その熱い思いが伝わってきたんで、「じゃあ、月曜日はお休みにしてるんだけど、連れておいで」と、お答えしました。・・・会ってよかったですよ。いじめられた彼は、すっかり元気になりましたし、もうだいじょうぶです。・・・もう、だいじょうぶ。
どんな悪の力も、教会には対抗できません。
ただ、私がホントに感動したのは、私のところに友達を連れて来た彼のことです。彼はまさに、人と人をつなぎ、神と人をつないだんじゃないですか。
いじめられたその彼が、言いましたよ。
「今回、友達って何なのかが、よく分かった。今まで、友達って普通にいるもんだと思ってたけど実はそれは、友達じゃなかった。もう、ぼくには、こいつがいるだけでいい」
そう言って、キリスト者を指さしました。
【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)
※1:「カリタス釜石」
◎カリタス釜石
岩手県釜石市。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)をきっかけに設立。 震災直後から、がれき撤去やボランティアの受け入れ、仮設住宅の見守り訪問など、地域に密着し、被災者の方々に寄り添って支援を続けてきた。
2013年3月には、釜石市からNPO法人として認証され、現在は同敷地内のサロン活動、社会福祉協議会からの要請を中心に、より活動の幅を広げ、地域社会の中でさまざまに活動している。
(参考)
・ 「カリタス釜石」(オフィシャルサイト)・・・2016/06/27現在メンテナンス中
・ 「カリタス釜石」(Facebook)
・ 「カリタス釜石」(Youtubeチャンネル)
・ 「カリタス釜石」(Google +)
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※2:「かつてね、『車が足りない!』って言うから、ワゴン車2台ね、プレゼントしましたよ」
2013年3月、カリタス釜石の「中古ワゴン車が1台必要」という要請に応え、晴佐久神父が前任地の多摩教会で募金を呼び掛けた。「1カ月後までに180万円」という目標だったが、教会や「福音の村」の読者の方々、その他の方々のご協力も含め、目標額を大きく超えて、245万円を集め、結果、2台のワゴン車をプレゼントすることができた。
(参考)
***募金前***
・ 「釜石ベースのために、中古ワゴンを贈りたい!」(カトリック多摩教会『多摩カトリックニューズ』2013年3月号、主任司祭巻頭言)
・ 「3回『もうだめ!』って叫んだら」(「福音の村」2013/3/24説教)/終わりから3段落目(>> この辺)
***募金後***(画像は2013年5月末入手)
・ 「一緒にいるよ」(カトリック多摩教会『多摩カトリックニューズ』2013年5月号、主任司祭巻頭言)
・ 「愛を、かたちで表す」(「福音の村」2013/4/28 説教)/終わりから3段落目)
・ 「ワゴン到着!(5月下旬)」(「福音の村」2013年5月)
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※3:「『総工費1割、なんとしても集める!』って言っちゃった手前、・・・集めましたよ」
活動当初から、間借りしつつ活動を続けていたカリタス釜石だったが、2013年、ようやく自立した拠点(新ベース)を建設することになった。翌年4月の開所予定だったが、総工費(5千万円)のうち、500万円が不足しており、晴佐久神父の呼びかけで、募金の協力をお願いすることになった。このときも、晴佐久神父前任地の多摩教会、「福音の村」の読者の方々はじめ、さまざまな方がご協力くださり、目標額を上回る金額、643万8千円をお渡しすることができた。
(参考)
***募金前***
・ 「カリタス釜石の新センター建設資金援助のお願い」(カトリック多摩教会『多摩カトリックニューズ』2013年12月号、主任司祭巻頭言: 晴佐久昌英)
・ 「『もう1枚』をお願いします」(「福音の村」2013/12/8説教)/最後の段落
***募金後***(画像は2014年5月末入手)
・ 「とっても尊い『今現在』」(「福音の村」2014/6/1説教)/説教中ほど(>> この辺 です)
・ 「カリタス釜石からの感謝状」(「福音の村」2014/6/3)
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※4:「あそこで、わかめを販売してるんで」
◎「さんりくわかめっ!」
2014年、カリタス釜石では、東日本大震災によって痛手を受けた地元の産業を活性化させると共に、支援活動継続のための自己資金の調達をしようと、わかめの販売に乗り出した。
教会や学校、バザーなどでも「おいしい!」と大好評で、通信販売も受け付けている。
★☆★商品名:「さんりくわかめっ!」(湯通し塩蔵わかめ)★☆★
330g 800円+送料500円/ミニ(120g)+送料500円 他
お申し込みは >>> こちら
(カリタス釜石「さんりくわかめっ」ご購入申し込みフォーム)
(参考)
・ 「カリタス釜石」(オフィシャルサイト)・・・2016/06/27 現在メンテナンス中 : 問い合わせ先表記あり。
・ 「『さんりくわかめっ!』お届けします!!NPO法人 カリタス釜石」[PDF](「カトリック仙台教区 カリタスジャパン 東日本大震災救援・復興活動ニュースレター」58号 2014年9月30日 p.2)
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※5:「浅草教会は、守護聖人がパウロということで」
◎守護聖人・守護天使
カトリック教会で、聖人や天使は、キリスト者を守護するとされる。聖人は、信仰の模範、先達であり、守護を求めて祈ると、そのとりなしが神に通じるとされ、天使はキリスト者一人ひとりに付き添い、悪を避け信仰の守護となるとされている。
この信心には、「聖徒の交わり」の考え方が背景にある。守護の対象は、個人、職業、国、都市、聖堂などに及ぶ。
浅草教会は、聖パウロが守護聖人として選ばれており、その場合、教会堂名も「聖パウロ」となる。
(参考)
・ 「守護聖人・守護天使」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008)
・ 「カトリック浅草教会」(東京大司教区>教会案内)
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※6:「使徒ペトロ・パウロの祭日として、このミサを捧げております」
カトリック教会では、1年の各々の日付に特定の聖人が記念されるカレンダー、「聖人暦」があり、聖人それぞれが、重要かつ普遍性の高い順に、大祝日(祭日)、祝日、義務の記念日、任意の記念日に分類され、記念されている。
聖ペトロと聖パウロは、最も重要度の高い「大祝日(祭日)」として、毎年6月29日に祝われている。
このミサのあった6月26日(日)は、「聖ペトロと聖パウロ使徒」の祭日に最も近い主日にあたるので、浅草教会では、守護聖人の聖パウロを記念するミサとなった。
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※7:「朗読箇所もそれに合わせた箇所で」
通常、この日は、C年の「年間13主日」として定まった朗読箇所があるが、「聖ペトロと聖パウロの祭日として」のミサを捧げたので、それに合わせた朗読箇所に変更したということ。
この日、朗読された箇所は以下のとおり。
◎ 第1朗読: 使徒言行録12章1節~11節
〈小見出し:12章1~5節「ヤコブの殺害とペトロの投獄」、6~27節「ペトロ、牢から救い出される」から抜粋〉
◎ 第2朗読: テモテへの手紙二4章6~8章、17~18章
〈小見出し:3章10節~4章8節「最後の勧め」、9節~18節「個人的指示」から抜粋〉
◎ 福音朗読: マタイによる福音書16章13~19節
〈小見出し:16章13~20節「ペトロ、信仰を言い表す」から抜粋〉
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※8:「聖書と典礼」
『聖書と典礼』(発行:オリエンス宗教研究所)は日本のカトリック教会共通の小冊子で、主日のミサ、また、一部の祝日のミサのときに用いられる。
B6版のものと、少し大きめのB5版のものがあり、通常は8ページ程度から成る。
ミサは典礼書に従って進められるが、聖書の朗読箇所や、答唱詩編、アレルヤ唱、共同祈願などは、ミサのたびに異なるので、この小冊子が会衆(参加者)に配布され、それに添って進んでいく。
表紙には、その日の典礼に合わせた、美しい絵画やイコンなどが載っている。〉
(参考)
・ 「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所)
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※9:「よくペトロが鍵を持ってる御像とか絵がありますでしょ?」
以下は例です。クリックし、拡大してご覧ください。
① ヘンドリック・テル・ブルッヘン「悔悛する聖ペトロ」(1616年)ユトレヒト・セントラルミュージアム
② ペルジーノ「聖ペテロへの天国の鍵の授与」(1481-1482)システィーナ礼拝堂
③ 聖ペトロ像(バチカン/サン・ピエトロ大聖堂前)
④ ピーテル・パウル・ルーベンス「初代教皇ペトロ」(1611)プラド美術館
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※10:「トルティーヤ」
「トルティーヤ」は、すりつぶしたトウモロコシから作る、メキシコ、アメリカ南西部、中央アメリカの伝統的な薄焼きパンのこと。現代では、小麦粉から作られたものもトルティーヤと呼ばれている。本来は「料理」というより、具材を巻いたりはさんだりする生地のこと。
「ブリトー」は、このトルティーヤ(小麦粉製)を使って、米や豆、チーズや野菜をはさんだり巻いたりしたもでボリュームがある。
「タコス」は、トルティーヤ(トウモロコシ製)で、野菜や肉をはさんだり巻いたりしたもの。
「ラップサンド」は、ブリトーやタコスの延長線上にあって、トルティーヤにサラダなどを巻いたサンドイッチ感覚のもの。
ただ現在は、この説教のように、トルティーヤを使った上記のような料理全般のことをすべてまとめて「トルティーヤ」という風潮もある。
以下は、トルティーヤ、ブリトー、タコス、ラップサンドの例です。
(参考)
・ 「トルティーヤ、ブリトー、タコス、ラップ…全部一緒じゃなかったエスニック料理」(MERY)
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