「高度福音成長時代」の幕開け

2011年12月25日 主の降誕(日中のミサ)
・第1朗読: イザヤの預言(イザヤ52・7-10)
・第2朗読: ヘブライ人への手紙(ヘブライ1・1-6)
・福音朗読: ヨハネによる福音書(ヨハネ1・1-5、9-14または1・1-18)

【晴佐久神父様 説教】

 クリスマス、おめでとうございます。
 2011年、こうしてクリスマスを迎えることができました。感謝しましょう。この日を迎えられなかった人のことを思いましょう。2011年は、私たちの人生において忘れられない年となりました。大きな災害がありましたし、またそれぞれ個人的にも大きな試練があったかもしれない。そんな2011年が終わります。今年は今日12月25日が日曜日なので、次の日曜日は1月1日なんですね。それで、今日が今年最後の主日ミサってことになります。今年一年を振り返る日でもあります。日々はどんどん過ぎちゃって、何でも忘れ去られていきますけど、振り返りましょう。この一年、自分がどんなふうに恐れたか、どんなふうに祈ったか。それに対して神がどのように応えてくださったか。そしてそれらの日々に連なる今、この2011年12月25日という日に、神がこの私にどれほどの慈しみを注いでいるか。この一年を思い起こし、改めて今日に感謝し、今日という日をいただけたことを大切にしたい。

 今ここで、私も個人的に、この1年を振り返ります。やっぱり「3・11」、びっくりしました。生涯忘れられない映像をいっぱい見ました。呆然とするような、無力感に苛(さいな)まれるような、そんなつらい思いもいたしました。しかし、私はキリスト者ですから、ここが勝負どころだってやっぱり思ったわけですよ。ですから、この「3・11、12、13」の頃、「今、神は、何を私に語っているのか。今、神はこの社会に、どのように語りかけているのか。それが分からないようだったら、キリスト者なんかじゃない」。そう思って、必死に祈って、聖書を開いて、信仰の目で考えて、やっぱり、今こそ私たちは、み言葉に目覚める時だと確信したのです。それこそ、今日の聖書の福音書の言葉でいうなら、「言(ことば)の内に命が」あるのであり、「言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿られた」のであり、この世の言葉や人間の欲得ではなく、神の言(ことば)を信じ、神の言(ことば)に生きるしかないと。私たちは、「肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」ものでありたい。そのような確信は、あの「3・11」を乗り越えるためには、どうしても、私には必要でした。こう…、弱い人たちほど流されていくとか、誰にも守ってもらえない小さな命が被爆していくとか、そういう様子を見れば見るほど、「肉の欲」とか「人の欲」とかいうものが今の現代の社会を覆っていることに改めて気づかされるし、私たちキリスト者は、み言葉に目覚め、み言葉を信じてこの現実から新たに出発しなさい、そう呼びかけられたと思うのです。
 昨日の新聞記事だったかで読んだんですけど、今度の震災で障害者が大勢亡くなられているんですよね。そういう社会なんですよ、われわれの社会は。ホントは逆じゃなきゃいけないんでしょ。被災地で亡くなられた方の割合は、一般の住民だと0.9%なんですね。約1%。しかし、障害を持っている方の死亡率は、高いところでは7%超えてるんですよ。石巻では、肢体不自由の方が300人近く亡くなられていて、目の見えない方が30人近く、耳の聞こえない方も30人近く。元気な人は、パッと逃げられますけどね。「津波てんでんこ」(注)って言葉があって、やっぱりまずは、自分の命を助けるためにそれぞれ逃げろと、まあ、それはそうなんでしょう。だけどなんかこう、わざわざ言わなくてもこの社会全体が、最初っから「利益てんでんこ」みたいな感じじゃないですか。「不況の中、自分の財産だけは守る」と、「人のことなんか考えていられません」と、まあ、経済原則ってやつですよね。そういう社会の中で、「一番弱い人たちが、まず流されました」って象徴的ですよね。7%って、7倍ですからねえ。
 私、この震災の時代にあって「ああそうだ、やっぱり人を救うのは神だから、神の言葉をもっとちゃんと語ろう、特に一番弱いところにこそ、み言葉を届けよう、それが自分に与えられた使命なんだ」と、そう思って、あの日からず~っと、いつにも増して、「神はあなたを愛している」「神はあなたを救う」「神の愛を信じよう」「愛されている神の子同士、助け合おう」、そう語ってきましたし、書いてまいりましたし、今年はそういう年になりました。

 多摩教会でも、「悪からこそ善が生まれるんだ」という話を、震災後、ずっと続けてまいりました。入門講座でも、ミサでも「恐れるな」とお話してまいりました。そして震災後、不安な気持ちを抱えて教会を訪ねてくる方が増えたのを見て、「やっぱり教会は、みんなが、特に弱っている人が、安心して集まれる場所であるべきだ」と、それまでにも増して、工夫もしてまいりました。
 「おやつの会」も、思えばこの「3・11」がきっかけで生まれたものですけど、どうか皆さん、覚えといてくださいね。先月から「おやつの会」っていうのが、始まりました。毎週木曜日、一年中すべての木曜日の午後3時、おやつの時間に教会に来ると、おやつが出ている。ただそれだけの集まりです。べつに誰でもいい。信者でもそうでなくても、元気でも悩んでても、誰でもいい。ともかく来れば、お茶とおやつがあって、家族同然っていう仲間がいる。特に、不安とか恐れとかにとらわれて孤立している人に来ていただきたい。試練のとき、元気な人、恵まれている人はなんとか助かっても、心身の元気がない人、環境的に恵まれてない人は、ホントに不安になって絶望的になっていく。そんな人にこそ、み言葉が必要なんだから、教会という、それこそ生きた神のみ言葉があふれる現場にね、みんな集まれ、あなたはひとりじゃないっていうのが、この「おやつの会」。
 まあでも、ホント言うと、皆さんの家がね、キリスト者が住んでるすべての家が「おやつの会」をやるべきなんですよ。「3時にはおやつを出しますから、誰でも来てくださ~い」っていうようなキリスト者の家であってほしいですけどねえ。取りあえずは、そのシンボルとして、わが多摩教会はすべての木曜日の午後3時、そこに来ると家族のような仲間がいて、「ああ、私は神さまに愛されてるんだ」「神さまが私に『だいじょうぶ!』って語りかけてくれている」、そんな気持ちになれるような、そういう教会になっていきたい。事実、多摩教会は「3・11」以降、やっぱりその役割が、以前よりも圧倒的に増していると思いますよ。その役割を果たそうじゃないですか。来年、2012年、本当にこの多摩教会が、み言葉を語る教会としてこの地に輝くように、ここに集まった私たちで、新たにやっていこうじゃないですか。
 「高度経済成長時代」っていうのがありましたけれど、私たちは「人の欲の話」じゃなく「神のいのち(・ ・ ・)の話」を語る教会として、まあ、標語として言うならば「高度福音成長時代」、そういう時代を始めましょうよ。もう「高度経済成長時代」は終わりました。もういいでしょう。そこそこ頑張ったんだから。2位でも3位でもいいじゃないですか。今、われわれは、一番弱いところにちゃんと助けの手が、一番つらいところにちゃんと救いの言葉が届けられる、「高度福音成長」を目指したい。2012年、できるはずですよ。神が望んでるんだから。イエスが働いてるんだから。それが、この多摩教会に求められてるんじゃないでしょうか。

 今年は私、その福音を携えて、全国を走り回りました。講演会も多かった。震災の話してくれっていう注文も多かった。プロテスタントの教会、プロテスタントの牧師の集まり、そういう所から呼ばれることも多かった。プロテスタントの牧師先生方の全国大会とか研修会でも話してますし、プロテスタントの信徒大会でも2カ所講演しています。やっぱり、みんな、この「高度福音成長」を求めてるんですよ。それを目指すキリスト者たちの熱い思いが高まってるってことです。私はいつも「福音!」「福音!!」「福音!!!」って福音のことばかり強調してきたので、「ああ、今こそあの神父呼ぶと、福音が聞けるぞ」って、やっぱりそういう引き合いが多かったですよ。
 被災地も、ずいぶん回りました。被災地での顔、顔、顔、思い浮かびます。いろんなエピソードがあったし、いろんな出会いがあった。そして、やっぱり一人一人が一番求めているのは「福音」なんだってことを、確信しました。もちろん、着る物も必要、食べ物も必要。でも、イエスの言葉を借りて言うなら、「人はパンのみにて生きるにあらず」なんですよ。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」、ホントにそうだって確信しました。なのに、パンは配られても、神の言葉はなかなか配られません。そういう現場がいっぱいあります。何も被災地でなくとも、皆さんの身近にも救いのみ言葉、福音を必要としている人が大勢います。単に口から出る福音だけじゃなく、そっと差し出す手に込められている言葉でもいい。イエス様から溢(あふ)れてくる福音を、イエス自身である福音を、2012年はどんどんと伝えていきましょう。大勢の人が、それを求めてるんだから。
 いただいたクリスマスカードに、被災地からのカードもありましたよ。「神父さまにはお会いできませんでしたけども、私の町に来てくださったと聞いただけで励まされました」っていう見知らぬ人からのカードもありました。どれほど求めてるかってことですよ。福音を伝えたいっていうこちらの思いが、ちゃんと伝わってるっていうことでもあります。励まされますよ。
 あの〜、宮古からね、盛岡に帰る途中、車で走ってたら、私の車とそのもう1台前の車と、2台抜きで追い抜いて行った車があるんですよ。バンみたいな車でね。すっごい勢いで。2台抜きって、非常に危険です。怖くて私もやったことない。で、私と一緒に乗ってた盛岡教会の方と、話題にしたんですよ。「いや~、急いでるねえ、危ないね~」と。「あれ、絶対営業マンだよ。納期があって焦ってる30代男性だね」とかね。(笑)で、宮古から盛岡に行く途中は一本道で休むとこないんですけど、一カ所だけ「やまびこ館」っていう峠越えのドライブインがあるんで、そこに寄ったら、さっきの追い抜いて行った車が止まっていて、その横に数名のご婦人が立っていて、私に向かって「ああ、神父さまぁ!」って手を振るんですよ。なんとその方たち、私に会うために宮古から車で追っかけて来て、この道の車をずーっと追い抜いていけば(笑)、「やまびこ館」で待ってれば会えると思ったって。びっくりでしょ。いい年のご婦人でしたよ。(笑)私、だから、まあその熱い気持ちは分かるけど、命大事にしましょうねって諭しました。(笑)ホント危なかったから、見ててねえ。でも、その必死な気持ちはよく伝わってきたし、それでその「やまびこ館」のガーデンテラスみたいなとこに、祭壇みたいにテーブル囲んでイス並べて、そこで「福音」を語りました。神の愛について。ホントに喜んでくれて、「ああ、福音が聞けた、福音が聞けた」って言ってねえ。
 今、被災地もそうですけど、この経済だけの世の中で、何をみんなが心の底から求めているかっていえば、明らかなんですよ。その求めているものを、教会は持っている。私たちは、もうそれを知ってるんです。「高度福音成長」ですよ。2012年はそういう時代にしましょう。求めている人に、ちゃんと福音が、命のみ言葉が届くように。

 その意味では、メディアの活用もやっぱり大事です。もちろん直接の、「生(なま)」のかかわりが一番大事だとも思うからせっせと出かけるわけですけど、メディアも大事。それで、インターネットをちゃんと活用しましょうっていうことになって、え~、多摩教会のホームページ、リニューアルしました。パソコンをお持ちの方、ぜひ今日帰ったら覗(のぞ)いてみてください。必ず。年内宿題です。(笑)簡単ですから。「カトリック多摩教会」って打ち込んで、「検索」すればいいんです。私たちの教会のホームページです。とっても見やすくきれいになってますよ。そして、福音がちゃんと載ってます。このホームページをみんなにも伝えてあげてください。年賀状、まだ書いてない方、多摩教会のホームページアドレスを載せてくださいよ。あれっ(笑)?「え~っ」って感じですね…(笑)。載せてくださいよ。「私の行っている教会です」と。「ちょっと覗(のぞ)いてみてください」と。
 もう一つ。「福音の村」というホームページも宣伝してください。ひと月前から、熱心な信徒有志グループによって始まりました。毎週の主日説教のテープ起こししたものが載ってます。以前もそういうページあったんですけど、今回はなんと、その週の説教が、その週のうちに載ってます。これは新たなチャレンジです。この「福音の村」を受け入れたのも、ホームページを新しくスタートさせようって言ったのも、「3・11」があったからなんですよ。「こうしちゃおれん」っていう気持ち、それは神からのものです。その気持ちがやっぱり何かを変えていきます。そうして「ほら、悪は善を生んでるじゃないか」って、みんなにそう思ってもらいたいんですよ。
 この説教をラジオで放送するっていうのを引き受けちゃったのも、「3・11」のせいです。ずっと断ってきたんです。説教の放送だけは勘弁、だってこのまんま「生(なま)」で流れちゃうわけでしょう? 校正きかないじゃないですか。「それは勘弁、無理、無理」って言ってたんですけど、ある方に「神父さま、被災地ではラジオしか聞けない人がいるんです」って言われて。それで折れました。「そりゃ、そうだ」と。何か恐れてる場合じゃない。怯(ひる)んでる場合じゃない。恥ずかしがってる場合じゃない。今こそ福音に信頼して、福音で復興するときが来ているのです。
 多摩教会のホームページとリンクしている「福音の村」のホームページ、ぜひ皆さんに宣伝してください。これが「わが教会」だ、「わがキリストの言葉」だと。第2朗読にあるように、神はこの時代にあって、御子イエス・キリストによって私たちに語られたのです。そのイエスが「万物をご自分の力ある言葉によって支えておられる」のです。神の言葉だけが世界を救います。「みんな大丈夫なんだ、心配しないで」。「どんな恐ろしいことがあったって、神の愛はそれ以上なんだよ」って、イエスさまに成り代わってみんなに教えてあげてください。そんな福音のおかげで、2012年、大勢の人が救われます。間違いなく救われます。

 23日の聖劇でね、私の絵本「あぶうばぶう」の聖劇を教会学校の子どもたちがしてくれましたけど、素晴らしかったですよ。「神父さん、イエスさまが『だいじょうぶう』って言うとこを読んでください」って言われて、「いやあ、練習の時に顔を出せないから」って断ったんですけど、結果オーライで、かえって良かった。ち~いさな女の子がやってくれたから。ほんとに優しい、かわいい声で、「だいじょうぶぅ」って言ってくれたんですよ。これが良かった!「あぶぅ、ばぶぅ、だいじょうぶぅ」。ちっちゃい声でね、かわい~い声で。イエスさまの声ですよ。いっちばん弱いところ、いっちばん小さいところで、ほんっとに「だいじょうぶ!」、そうささやいてくれる、あったかいイエスさまの声。この声をみんなに聞かせたい!
 2012年、私はこの一年にも増して、福音を本気で伝える工夫をやっていこうと思います。「3・11」からやがて一年。さあ、巻き返し。福音の復興だ。覚悟しといてくださいよ。多摩教会に大勢人を集めますからね。今までちょっとサボってました。なんかまだまだ、半端だった。
 2012年を「高度福音成長時代」の幕開けとして、「福音復興の年」を宣言いたします。

 (注) 「津波てんでんこ」=三陸地方の言葉で「てんでんばらばらに」の意味。津波が来たら他人にかまわず、それぞれに必死に逃げよという教え。

2011年12月25日 (日) 録音/2011年12月29日掲載
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