これが家族だ

2012年12月24日 主の降誕
・第一朗読:イザヤの預言(イザヤ9・1-3,5-6)
・第二朗読:使徒パウロのテトスへの手紙(テトス2・11-14)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ2・1-14)

【晴佐久神父様 説教】

 ようこそ、神さまのみもと(・ ・ ・)へ。「もうここまで来ればだいじょうぶ! 安心だ!」という神の家に、ようこそ、ようこそ。
 2012年もあれやこれやと、いろいろあったけれども、12月24日、典礼の暦
(こよみ)で言えば、もう日没と共に25日が始まっているこの夜、ここに、キリストの家族、神の結んだ家族が集まりました。「初めまして」っていう方もお隣におられるかもしれませんが、これは、神の家族、ここがあなたの本当の家です。
 「いや、自分の家から教会にやって来た」と思ってますでしょうけど、そして家に帰ったら家族が待っていると思っているでしょうけど、実は、ここに集められた私たちこそがまことの家族なんです。大家族。いい仲間じゃないですか。素晴らしい出会いじゃないですか。信頼して、無条件に受け入れ合って、祈り合って、何かあったら助け合って、もう神の国がここに来ているっていうような、最高の家族になりましょうよ。
 なかなか忙しくて普段は教会に来られないっていう方も、こうして「クリスマスくらいは」と言って駆けつけます。ちょうど日本では「お正月くらいは」と家族が集まるように、今日はみんな勢ぞろいですよ。ま、もっとも、この聖堂に全員は入りきれませんから、このあと9時からもミサがあって、そこにも大勢の人が来ますけど。ホントは一度でできるといいんですけどね〜。なんでしたら、みんなでお金出し合って建て直しましょうか?(笑)
 家族がみんなで集まって、一緒にいるって、どんなに素晴らしいことか。とりわけ神の家族ならどんなに安心なことか。そう思って、集まるためのいろんな工夫をいたしましょう。今日はこの後パーティーもありますから、そこではお互いに紹介し合ってください、やっと会えた家族として。
 そういえば今日の午後、たまたま相談に来た、教会は初めてっていう青年がいたんですけど、せっかくですから私、ご相談を聞いた後で引き留めました。「今日はクリスマスだし、ぜひ、ミサにも参加していってくださいよ」って言ったら、それじゃあって、今、このミサに出ています。本人はミサのこと知らないし、出るつもりもなかったんですけど、今日初めて教会に来て、そのまま引き留められて、こうしてミサに参加している。しかも、先ほど同世代の青年たちを紹介したら、すっかり仲良くなって、今日はこのままみんな一緒に教会に泊まっていくらしい(笑)。いいですねえ、家族。そうしてひとりの人の人生に、2012年12月25日という恵みの時が実際にあって、私たちはまことの家族に目覚めていきます。

 皆さんの中に、もしも今、悩んでることがあるとか、恐れていることとかがあるなら、この家族で、お互いのために祈り合いましょうよ。家族に祈られるって安心でしょ? 無条件で無償の家族の祈りが一番じゃないですか。祈ってほしいこと、ありますでしょう? もちろんその内容は、お互いに知りません。隣の人が何に悩んでいるか、何を求めているか。でも、誰もが必ず、祈りを必要としてるわけでしょ? 右隣の人、今いろいろ不安なこと抱えてますよ。左隣の人、今日もイヤなことがあって悩んでますよ。でもそんなことは、こうしてこのまことのわが家に帰って来て、神の家族として安心して共に祈り合えば、もう不安も不満も吹っ飛んじゃう。ご覧ください、これがそんな、祈り合う家族です。イエスさまのお始めになった神の家族って、こういうことです。

 よくぞ集まってくださった。おかげでこうして、お互い本当の家族に会えました。恵みのひとときです。神さまはそうしてこの家族を、出会いによって、だんだんだんだん、永遠なる天の家族として育ててるんです。ですから、お隣の方とは名も知らぬ仲であり、「初めまして」という偶然の出会いのようでいても、「この出会いは神が結んでくれた出会いなんだから、私たちには特別なつながりがあるんだ」と、そういう信仰に支えられて、この夜を過ごしてみましょう。ま、いうなれば天の家族の練習ですね。天国行ったら、どうせみんなホントに天の家族になるんですから。
 みんなみんな、神の子として天の国に迎えられるんですよ。そして、神さまが結ぶ最高の家族をちゃんと味わうんですけど、その家族になる練習を、今すでに始めてるんです。この世の家族は、天の家族のための準備の家族なんです。準備ですから、不完全でもあり、うまくいかないこともあるけれども、そりゃ当然。まだ完成してないんですから。皆さんの家族はまだ完成してない準備段階の家族なので、問題がある。それはそれで別に構わない。というか、問題があるからこそ完成形の天の家族に憧れるわけで、いいじゃないですか。これから素晴らしい家族をつくっていこうっていう、そんな希望にワクワクして、このバラバラな、真っ暗な世の中で完成形を信じて、ニコニコして、家族づくりをやっていく仲間になりましょうよ。それが教会家族です。教会家族は、天の家族の先取りなんです。天の家族は、いつか完成します。必ず完成します。もうすぐ世が滅びるとかなんとか、そんなもの信じちゃいけません。
 昨日、よかったですねえ。滅びなかったですねえ。(笑)12月23日。マヤの暦がつきるとかで、世の終わりが来るという噂が広まりましたけれど、そんなこの世のことばを信じてはいけません。そのことで、あのプーチン大統領がインタビューでコメントしてたのがおもしろかったですよ。「もうすぐ世の終わりが来るという噂
(うわさ)が広まってますが」って記者が聞いたら、まじめ〜な顔で、「いいえ。滅びません」って言い、記者が「じゃ、いつ滅びるんですか?」って聞いたら、「約45億年後です」って、(笑)大まじめに答えてましたけど。まあ確かに、およそ45億年後には地球の寿命が来るといわれてますが、45億年後の心配をするのはおかしいでしょう? でも、明日の心配をするのも同じくらいおかしいって気づくべきです。全宇宙をつかさどっているのは神のみ心なんだから。
 私たちは今、神さまからいただいた恵みのときを生きているんです。ちゃんと、着々と、神さまがおつくりになる天の家族の完成に至るまで、今、「完成への途中」を生きているんですよ。それを信じて協力することこそが、人の生きる意味なんであって、皆さんのささやかな忍耐とか工夫とかが、そういう家族をつくる上で、どれほど尊いか。
 やっていきましょう。法律上の家族がすべてじゃない。法律上の家族は、法律が変われば変わっちゃう。それはそれで悪くはないけれども、完全なものじゃない。生物上の家族も、絶対じゃないですよね。それはそれで大切とはいえ、もっと大切な神さまの家族、霊によってつながってる家族、永遠なる天の家族・・・。そんな喜びに憧れて、これから、どんどんそういう家族を先取りして、具体的につくっていったらいいじゃないですか。
 だんだん年を取って、家族を亡くしてひとり住まいになって、昔はにぎやかでよかったなあなんて寂しい思いでいるとしたら、それは違う。教会は、むしろ、そんなふうにバラバラで暮らしていても、「でも家族は一緒だ」ってニコニコしている、安心してつながってる喜びの家族なんだから、ひとりで暮らしていても霊的に一致して、励まされて、安心している。私たちキリスト者は、祈りのうちに、ちゃんとつながって結ばれてるんだから、それを信じてくださいよ。

 今日も洗礼志願した方が大勢来ておられますが、昨日、「この教会に来て救われた〜!」っていう方の洗礼志願の動機書を紹介しましたでしょう。・・・(会衆席で目の前に座っている方に)あなたの動機書ですが、初めてこの教会に来たとき、福音に触れて、ああ、これが救いだ! と感動し、帰りに川向うで振り向いて教会を見たら、声が聞こえたような気がしたんですよね? 「今までよくがんばったね、よく生きてきたね。でも、もうだいじょうぶ。これからのあなたにはここがあるよ!」っていう声が聞こえたようだったって。それはホントに神さまの声ですよ。聖霊の導きですよ。それこそ、まさに天の家族に出会った瞬間なんです。
 「あなたには、ここがある。他ではつらかったかもしれない。でも、ここがある!」
 皆さん、2012年もいろいろあったでしょうけど、ここがあるじゃないですか。今年、ご家族を亡くした人が、ここにもいっぱいいる。ここにもいる、そこにもいる。でも、ここがある。永遠の家族、神の家を、神さまが用意してくださってるんです。
 小さな小さな神のひとり子、幼子イエスを神さまが私たちに与えてくださったのは、みんなを家族にするためなんですよ。ちょうどほら、小さな弱々しい赤ちゃんがひとり生まれると、家族はいっそう家族になりますでしょう? 夫婦がふたりで愛してるのなんのって言ってるときもいいけど、ふたりの間に小さな弱々しい家族を与えられると、いっそう家族になるでしょう?
 きっと、イエスさまを神さまが与えてくれたのは、みんなを家族にするためなんですよ。そんな幼子イエスが皆さんのうちに、今日宿りました。それでみんなもう、ひとつの霊的な家族になっています。それを信じていれば、いろいろこの世でうまくいかなくっても、それは準備中だっていう信仰で、何でもなく乗り越えていくことができる。教会はそのことを実際に目に見えるしるしとなって表そうと思って、一生懸命、工夫してるんですよ。
 今日のこの集まり自体が、私たちが天の家族であることの、目に見えるしるしです。不安なことはいっぱいありますけれど、「この家族が祈ってくれてるからだいじょうぶ」、そう思って、お互いのために祈り合いましょう。
 今日きた何本かの電話の方にも、「だいじょうぶです! 今晩のミサで、あなたのために祈ります」「あなたの息子さんのために祈ります」って、申し上げました。「今日の夜のミサでお祈りしますよ」と。皆さんはその方々の事情を知りませんけど、ぜひ、救いの喜びをお与えくださいとお祈りしてください。みんなで祈りますからと申し上げました。
 事情を聞けば、ホントにつらい。だからこそ、やがて天の家族に入っていくっていう、その喜びを知ってほしいし、それを希望にして、祈り合いながら、家族は歩んでいきます。お互いに知らない人でも、家族として祈ってください。

 かくいう私も、この前の健康診断で、「要精密検査」って出たんで、大腸内視鏡検査っていうのをつい先週やったんですよ。・・・おもしろいですね、あれ。(笑)自分の腸の中、見るんですよ、ホントにおもしろかった。先生が「もう少し先、小腸もちょっとだけ見てみましょう」とか言って、小腸までのぞいてみたりして、繊毛みたいのがびっしり生えてて、ユラユラしてて。いや〜、ちょっと感動しましたよ。
 で、結果はきれいな腸で、大きな問題はなかったんですけど、ちっちゃいポリープが二つ見つかって、「これ、どうします? 悪いもんじゃなさそうですけど、取りますか?」って言われたんです。「来年、また来てからでもいいんですよ」って言われたんですけど、なんだか気にしながら過ごすのも嫌だったんで「取っちゃってください」って言って、その場で取ってもらいました。あれもおもしろいね。内視鏡の先についている輪っかの電気メスで、その場で切り取るんですよ。モニターで見ながら私、お医者さんには言いませんでしたけど、心の中でやっぱり、上手にやってよ〜って(笑)思いましたよ。この取ったものは、検査して悪いものでないってお墨付きを得るのは、まだあと何日か後なんですけど、まあ、たぶん良性だとは言ってましたが・・・そうは言ってもやっぱりすこ〜し不安なんで、家族の皆さん、どうぞお祈りください〜って感じです。
 結局、人って生身の体抱えて生きてるわけで、そうは言ってもいっつも不安なんですよ。人は弱い生き物です。体のこともそう、人間関係もそう、社会の仕組みも、お金のことも、いっつも不安ですよ。み〜んな不安なんですよ。誰ひとり不安じゃない人、いないんです。だからこそ、そんなときに、信じあえる家族がいて、手を握ってくれて、祈ってくれて、「だいじょうぶ♪」って言ってくれたら、こんな安心なことないでしょう? 私たちが、そんな家族、これがその家族なんですよ。ステキじゃないですか。そんな祈り合う家族を、この冷たい世の中でちゃんとつくれたら、私たち、素晴らしいメンバーなんじゃないですか? この世で最高のチームになれるんじゃないですか? もうお互いに「かんぱ〜い!」って感じですよ。この、私たち天の家族で、このミサの後もパーティーやりますから、ぜひ残って、祈り合う家族として「メリークリスマス!」って乾杯してください。
 乾杯といえば、私、今日から晴れてワインを飲めるんです。お医者様が、「ポリープ取った後は、1週間は、お酒は禁止です。24日まで飲めません」って。(笑)「24日」。・・・つまり、今日、解禁なんです。ただね、私、昨日の夜思ったんですよ。これ、午前0時過ぎたら24日だな、と。(笑)そうでしょ? 間違いじゃないですよね? 0時になったら24日。で、昨日の夜、0時になったら飲もうと思って待ってたんですけど、思ったんですね。「1時間や2時間早くても、たいした違いはないだろう。だいたい、トンガ諸島辺りは、もう24日になってるはず」(笑)・・・で、3時間早く、飲んじゃいました。(大笑)「かんぱ〜い!」って。なんだか少し不安な気持ちの中で。(笑)
 でも、不安な中でも、ちょうど昨日は仲間たちが一緒にいたし、今は同居人もいて、教会家族で十字切って一緒に祈ってくれて、乾杯に付き合ってくれました。こういうのって、いいですね〜。仲間と一緒に乾杯。天の家族で乾杯。なんか、安心でした。やっぱりひとりじゃだめですね。みんな不安なんだから・・・祈り合って、家族をやってきましょうよ。

 実は今日、この聖堂で、ご葬儀ミサがありました。まさにこの祭壇前に、ご遺体があったんですよ、ついさっきまで。お母様を亡くした息子さんが、泣いておりました。とってもお母様思いでね。戦後の大変な時代に、息子を一生懸命育ててくれたお母様なんです。4、5年ですかね、入院していて。体調が悪くなると息子さんから「神父さん来てください!」って連絡が来て、病院で何度お祈りしたか。もう長く意識はなかったんですけど、お祈りすると、なんか分かっているような気配があって、息子さんはいつも一生懸命話しかけてました。「母さん、分かる? 神父さま、来てくれたよ! よかったね。お祈りしてるよ。だいじょうぶだからね、安心してね」って、声をかけてね。そんな姿をいつも見てきたから、亡くなったと聞いて、息子さんがどれほどつらい思いをしてるかって思うと、胸が痛みました。
 昨日、ご自宅でのお通夜を司式したんですが、息子さん、ポロポロ泣いて、「母には、何の恩返しもできてないんです!」って言ってました。息子としての、偽らざる気持ちでしょう。・・・「何の恩返しもできてない!」
 でも、私、息子さんに申し上げました。「子どもは親に恩返しなんかできませんよ」と。「恩返ししてほしいと思ってる親もいませんよ」と。
 私たち、子どもたちは、ただただ愛されて生まれてきて、身を削るような親の恩の中で、なんとかここまで大きくなったんです。それは、どんな親であれ同じです。生んでくれた。育ててくれた。そしてさまざまな犠牲を捧げてくれて、そして先に亡くなっていく。恩返しなんか、できっこない。でも、そうして、親の犠牲の下に生まれてきて生きているこの私が、次の世代の素晴らしい家族をつくっていけたら。今度は自分が身を削って、次の世代にささやか〜な奉仕ができたら、それこそが、何よりの恩返しになるんじゃないか。
 実をいえば、そもそもすべての初めに、神さまがそうしてくださったんです。まず、神さまが私たちを生んで、親心で育てて、あらゆる犠牲を払って救ってくださっている。主イエス・キリストの生涯を見ればそれが分かる。それに対して私たちは、何ひとつ恩返しができないし、そんなものを神は求めていない。神はただただ、わが子である神の子たちがみ〜んな喜んでくれればいい。わが子が、生れてきてホントによかったと思ってくれれば。同じ神の子である兄弟たちが互いに出会って、互いに祈り合い、家族として助け合ってくれれば。そうして次の世代のために、何かささやかな奉仕をしてくれれば。・・・それが神の喜びとなるし、何よりの恩返しになる。
 神はそう思って神の子たちを生み、そのことを教えたくて主イエスを送り、私たちを天の家族にしてくれました。昨日も息子さんに、そういうお話をしまして、励ましました。
 「明日、クリスマスに葬儀ミサができる。それは神さまからの大きな恵みであり、家族への大きな励ましです。お母さまは今、天に生まれて行って、神さまのみもとで、ホントに喜んでおられる。これこそまことの家族だという、天の家族に迎え入れられて、『ああ、ホントに良かった。精いっぱい生きてきたことはすべて尊い恵みの出来事だった。これからは天で、息子のことを、真心込めて、守り導き、愛していこう』と、そう思っておられますよ」。

 「今日、あなた方のために、救い主が生まれた」と、天使は告げました(cf.ルカ2:11)。「あなた方」というのは、私たちです。神の子たちです。神さまの家族です。私たち、みんなやがて、神の国に生まれていきます。そして、そこで知ることになるんです。こんな素晴らしい家族がいたと。でも、そこで初めて知るんじゃあ、この世の生があまりにもったいない。
 だから、イエスさまが生まれてきて、私たちに教えてくれたんです。・・・「これが家族だ!」

2012年12月24日 (日) 録音/12月29日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英