「ここから」始まる

2012年4月8日復活の主日・日中のミサ
・第一朗読:使徒たちの宣教(使徒10・34a,37-43)
・第二朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント5・6b-8)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ20・1-9)

【晴佐久神父様 説教】

 2012年の復活の主日を迎えました。ご復活、おめでとうございます。
 洗礼を受けた方々、今、前から3列目まで座っておられますけれども、おめでとうございます。昨日ゆっくりと、一人ひとりに「おめでとう」って言う余裕がなかったですけど、今日改めて、皆さん一人ひとりの顔を見てですね、「ホントにおめでとう!」と、そう申し上げたい。

 今日はいろんな意味で「おめでとう」の日でしょう。皆さんの中には4月から何か新しい出発をした人もいるんじゃないですか。今年は4月8日のご復活祭ですから、ちょうどそんな感じの巡り合わせでしょう。新しい学校に入りましたとか、新しい職場に行きましたとか、そういう方もいるかもしれない。また、さまざまな理由で、まったく新しい気持ちでこの4月を始めた、そんな巡り合わせの方もいるかもしれない。でも今日は、すべての人のうちに神様がまったく新しい業(わざ)をお始めになったという、その神秘を深く味わう日です。2012年の復活祭。もうすでに皆さんの中に、まったく新しい何かが始まっているという、その喜びを、今日このミサで大切にいたします。
 何が始まってるんでしょうね〜、それぞれ。それはまだ自分ではよく分かっていないことかもしれないですよ。皆さんの中で新しく始まっていること。まだまったく気づいてないことかもしれない。でも、主が復活されてすべての人が救われたという復活祭の喜びは、まさに私たちのあらゆる想像を超えた神様のみ業が実現するっていう喜びですから、私たちのどんな想像をも超えた何かが始まってるって、そんな信仰、そんな喜びを今日大切にしましょう。
 今日は年配の方も大勢おられますけれども、年をとっていくと、何だかいろんなことがだんだん終わっていくみたいな感じになりがちです。昨日も、ある芸能人がテレビのインタビューで「最近は老眼になるし、シミも増えてくるし、何か新しい元気が欲しいです」みたいなことを言ってましたけど、われわれキリスト者はですね、この世の年齢とかこの世の老化とかに関係ないんですよ。だって、新しいことが「ここから」始まるんですから。そうなんです。「ここから」なんです。復活を信じた途端、もう今までのことが、ぜんぶ単なる準備段階に変わっちゃう。「ここから」って、そういうことでしょ。
 「受験して合格して、この4月から新しい大学に行きます」。そういう人だったら、「ここから」っていうのが分かりやすいですね。それまで一生懸命勉強して、準備してきてね、そしてついに合格して、「今日から、ここから、新入生として新しい人生が始まる」。それは、よく分かるイメージじゃないですか。でも、私たちも同じこと、それ以上のことですよ。復活祭の時くらいは、いくつになっても「ここから」っていうイメージを持ってくださいよ。主が働き始めたんだから、もう今までのことは、全部準備だったってことです。
 なんかこう、毎年、毎年、おんなじことやって、いつも変わらない自分を抱えていると、もう新しいことなんかないように思うかもしれないけれども、いつだって神の業は「ここから」始まるんです。「ここから」!・・・昨日までの、2012年4月7日までのことはみんな準備だった、さあ、今日から始まるぞ!・・・復活って、そういうことですよねえ。まったく新しいんだから。
 弟子たちの復活体験は、そうでした。もう、その復活体験をする前には、主が復活するなんて、
カケラも想像してなかった。「さあ、そろそろ復活だぞ〜」とか「復活してくれたらいいだろうな〜」とか、そんなことすら思ってなかったんですよ。復活は、イキナリです。そしてすべては「そこから」始まった。キリストの教会が。救いの歴史が。
 皆さん、いくつになろうが、今どんな状況だろうが、実際、救いのない八方ふさがりって状況の人も今ここにいるかもしれないけれども、2012年4月8日から始まるんですよ・・・弟子たちの「そこから」は、私たちの「ここから」です。「ここから」すべてが始まるっていうことを、それを今日の喜びとしましょう。復活ってそういうことなんです。その復活を信じるならば、今までのすべてが復活の準備になる。

 昨日電話があった新入学の大学生は、去年のあの3月11日に一緒に新宿のサザンテラスで食事していた友人です。中学生の時に私が洗礼を授けたんですけど、去年は高3で、受験に失敗して絶望的な気分だったんですね。将来ロボット工学をやりたいとかで、ある大学を目指して頑張っていたんだけど、受からなかったんですよ。「ダメだった」って、暗い声の電話がきたので、「じゃあ、何かおいしいものでもごちそうしよう、励ましてあげる」ってことで、新宿で待ち合わせをしたんです。
 それこそ、もう人生終わっちゃったような顔をして現れてね、で、私もいろいろ言って慰めて一緒に遅いランチ食べてたら、グラグラと揺れ始めて。また、あのとき、長かったですもんねぇ。しまいに天井から何かがバラバラ落ちてきて。彼に「行くよ」って促してね、みんなどうしようって上を見上げてる時に、真っ先に・・・私、逃げ足速いですから、(笑)二人でビュ〜ッと逃げ出して・・・。で、駅前で別れてそれっきりになっちゃってた・・・、励ますつもりがねぇ、散々な日になった。
 でも、その彼から昨日電話がきて、「合格しました。大学生として新たな人生を始めます」っていう電話でした。まあ、いろいろ大変だったみたいで、どうも口ぶりだと第一希望ではなかったみたいですけど、明るい声で新しい人生を始める決意を口にしてくれて、とってもうれしかった。それで、「よし。じゃあ、お祝いの食事をしよう。どこにしようか・・・そうだ、
あそこがいい。あそこに行こう。あそこからやり直しだ」。(笑)ってことで、例の店にまた行くんですよ。(笑)え〜、サザンテラスのイタリア料理ですけどね。まさか、もう揺れないと思いますけど。(笑)

 彼にしてみたら、あの真っ暗な気持ちだったあの時から1年間、つらい勉強を頑張って、彼なりにいろいろあって、・・・そして成長したわけです。「あれからいろいろあったけど・・・細かいことはぜんぶ、会って報告するから」なんて言ってましたけど。1年間、いろいろつらいことがあって、でもその先にまったく新しい人生が始まったんです。1年前のその日、暗〜い気持ちで飯食ってて、そのうえ地震まであって命からがらみたいな、その受難の日には想像もしなかった、そんな1年後がちゃんとある。1度そういう復活体験を体験すると、たとえまた何か「こりゃ〜まいったな」とか「もう終わりだな」とか、そんな気持ちになることがあっても、「ちょっと待てよ。あの時も絶望的だったのに、ちゃんと復活できたじゃないか」って、そう思い起こす。起こせる。・・・これってすごいことでしょう?
 洗礼を受けた皆さんはですね、もうこの先、二度と闇に閉ざされることがないんです。だって、主はもう復活なさったんだから。洗礼を受けてその復活に与かったんだから。今後また闇に閉ざされそうになっても、今日のミサを思い起こしてください。
 「そうだ! あの時、私の人生に新しい扉が開かれたんだ。2012年4月8日、前夜洗礼を受け、初めてカトリック信者としてミサに与って、お説教で福音を聞いた。あの復活の朝、まったく新しい朝が来て、私はそこから出発したじゃないか。だから、今日、確かにこれはつらい出来事だし、もうすべて終わったというような状況だけれども、あの時復活を体験したように、いやそれ以上に、今、神様が新しいことを始めてくださっている。だからわたしは、恐れない」。・・・皆さんはそう信じられるんですよ。洗礼を受けてキリスト者になるっていうことは、それこそ、もう世界が変わっちゃって、今までの自分、今までの準備期間、今までの世界とまったく違う、新しい
復活の時代を始めたっていうことなんだから。ここから先の人生はもう、皆さんにとっては、後は天の国の完成を、本当に心から待ち望むばかりという・・・。

 一人ひとりのことを昨夜もお話しましたけれども、どうですか? 新しい朝。今朝のお天気、すがすがしかったですねえ。ちょっと風は冷たいけれど、非常にすがすがしい朝だったじゃないですか。2012年の4月8日の朝は、皆さんにとって、新たに生まれた最初の朝です。もはや死はありません。墓は空(から)なんですよ。
 マグダラのマリアが墓に行ったら、もう空だった。それはそうでしょう、墓はもはや、過去の世界なんです。墓は今までの世界、復活前の死の世界。そこにはもう、何もない。空っぽ。今、新しい世界が始まって、イエス様は復活の主としてガリラヤで生きておられる。今日から私たちはそのガリラヤを生きていきます。そこはイエス様が働かれる所。イエス様と共に生きていく所。どんな試練がこの先あるか分かりませんけれども、すべて勝ち戦ですよ。そりゃあまだ、いくつかの怖い出来事とか、うまくいかないこととか、あるかもしれないけれども、いずれももう、大したことじゃないです。
 まあ、確かにね、つらい出来事が起こった瞬間は、「ああ!」って、こう、何て言うんでしょう、落ち込んだり「やっちゃった〜」って思ったり、「もう駄目か」と思ったりするでしょう。やっぱりこの世の体を抱えて生きているうちは、そんな感じ。だけど、そういう暗い気持ちを3日も4日も引きずることないですよ。いやいやいや、3時間も引きずることないですよ。いやいやいや、達人になると3分?(笑)いやいや、もし、本当に信じるなら3秒?(笑)たとえ、どんな恐ろしいことが起こっても。もちろん、最初は一瞬、恐れや絶望が来ますよ。「ああ!」って。でも・・・ワン・ツー・スリー!(笑)「そうだ!私は復活してるんだ。もう永遠の命を生きてるんだ。神様がすべてを死から命へ変えてくださるんだ。恐れることはない。あの朝のように、また新しい一歩を踏み出そう」。・・・そう思ってくださいよ。だって、そんなつらい思いするの、3日より3時間の方がいいでしょう? まあ、落ち込むのが好きだって言うんなら、どうぞお好きなだけって言いますけど、いや〜な気持ちを、恐れる日々を、そんなに引っ張ることない。3分、3秒でいい。それで十分。さっさと乗り越えて、やがて1週間に一度は主の日が来るわけですから。そうしてまた復活の主のミサに来て、そのつらかったこと、抱えた試練を、ぜんぶ神様に委ねて、永遠の命の糧であるキリストの体を頂いて、新しい喜び、新しい希望に満たされます。皆さんは、そんな勝ち戦、信仰生活を始めたわけですよ。
 え〜、これからはね、ずっとそのような「希望の人」として、皆さんが顔を輝かせていれば、それが何よりの宣教、福音宣言になります。皆さんのその信じる姿が。もちろん、人それぞれの個性がありますから、いつもニコニコしているタイプの人もいれば、まあ、ちょっと奥ゆかしいというか、いつももの静かな人もいます。でも、もの静かな人が、すこ〜しほほ笑むと、そのほほ笑みは、とても大きな力を持っている。皆さん、「希望の人」として、キリスト教を証ししていってください。皆さんに使命がね、新たな使命が与えられました。「希望の人」となる。そうして今度は、仲間を招く番ですよ。

 新受洗者の皆さんの中に、もう10年も前に初めて教会に来て、そのとき教会で受け入れられたからこそ、今回、洗礼を受けることになったっていう方がいます。その方、そのころ興味があって、初めて「教会」っていう所に来たわけですね。で、聖書講座っていうのをやってるっていうんで、それに出てみようと、信徒館の部屋を覗(のぞ)いたんです。恐る恐るドアを開けて、そ〜っと覗いた。そうすると、もう講座は始まっていて、向こうに神父さんがいて、信者さんたちが座っていた。で、ドアをガチャンって開けたら、みんなこっち向くじゃないですか。で、「あ、知らない人だ」っていう顔をした。当然ですね、初めて覗いたんだから。で、みんなまた、顔を元に戻した。(笑)・・・で、それっきり。ドアを開けた彼は、「どうしよう。入っていいのか、悪いのか」と迷って、「いや、これはちょっと入っていけないなぁ」と思って、ドアをまたそ〜っと閉めようとしたら、ひとりの信者さんがタタタッてやって来て、ドアを開けて「どうぞ、どうぞ、お入りください」って言って、スリッパ並べてくれて、椅子用意してくれて、「お座りください、どうぞ」って勧めてくれた。まあ、そんな光景、時折見かけますけど、問題はですね、その時のことを私に話してくれたとき、彼はこう言ったんですよ。
 「あのとき、あの人が、私に声をかけてくれなかったら、私は二度と教会ってとこに行かなかったでしょう」。・・・コワい言葉ですねえ。「二度と行かなかったでしょう」・・・
 でも、彼はその人のおかげで、教会ってとこに行くようになったわけです。もっとも、その時は何カ月かその講座に通ったんですけど、いろいろあって教会から離れてしまいました。けれども10年近くたって、またいろいろあって「やっぱり教会に行こう」って思ってこの教会に来て、そして昨日、洗礼を受けました。
 ドアを開けてくれた・・・それ、天国のドアですよね。まさに今日のこの復活の栄光、この喜びの日がその先に待ってるドアなんですよ。そのときは一瞬、そのドアを閉めかけた。閉めたかと思ったら、開けてくれた人がいた。「どうぞ、どうぞ」とスリッパ用意して、椅子を出す。簡単なこと。・・・でも、そんな簡単なことで、今日ここにいる新受洗者の皆さんも、そういういろんな方々のスリッパのおかげで、ひとつの椅子のおかげで、ここに座っているんですもんね。入門講座に初めて現れた時のこと、覚えてますか。入門係とかね、みんな親切だったでしょう? そのひと言で、その一杯のお茶で、皆さんは今日を迎えることができました。「ここから」始まる日を迎えることができた。それは、神様のみ業です。神様の招きなんです。
 ですからここから先、新受洗者の皆さんは、お茶出す側ですよ、ここからは。スリッパ揃える側です。ひとりたりとも見失わないように。「ああ、あの背を向けて去って行こうとしているのは、昔の私だ!」そう思って、追い掛けていってくださいよ。それが皆さんの使命です。
 キリストの教会は、イエス・キリストという最高の奉仕者が、ちゃんとお仕えしている教会です。ホント言うと、ドア開けて呼んでるのも、スリッパ揃えてるのもイエス様なんだけど、誰かが、その手となり足となり、目に見える印となってちゃんと招いてくれないと、私たちは、今日ここにいることができない。私もそう。みんなそう。

 さあ、新しい1年を始めましょう。私はいつも、復活祭にこうして新受洗者に「おめでとう!」っていう時に、その気持ちはすでに来年の復活祭に飛んでるんです。さあ、来年に向かって新しい出発です。もう受洗した皆さんは相手にしないっていうんじゃないですよ。(笑)ここからは、皆さんは仲間だって言ってるんです。一緒にやっていきましょう。
 来年の復活祭、またさらに仲間が増えるでしょう。今は・・・この2012年の4月8日はまだ真っ暗な気持ちで過ごしている、まだ知らないあの人、この人。やがてある日、ふっと入門講座に現れます。暗い顔で、「ここに入っていいのかしら」って顔で、覗きに来る。その一人ひとりのことを、私は今から想像します。そして、その人の顔が輝く時を想像するんです。その人を囲んでみんなが、「去年の私みたい」って思いながら「洗礼おめでとう!」って喜んでいる顔を思い浮かべるんです。

2012年4月8日 (日)録音/4月15日掲載
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