天の言葉に耳を澄ます

2015年3月8日四旬節第3主日
・第1朗読:出エジプト記(出エジプト20・1-17)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント1・22〜25)
・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ2・13-25)

【晴佐久神父様 説教】

 昨日、新潟での講演会を終えて帰ってきたんですけれども、ま〜た、やっちゃったんですよ〜、「遅刻」・・・。(笑) もうねえ、50過ぎてホントに、・・・なんなんでしょうね。どうして直らないんだろう。まあ、もうこの(とし)まできたら、この後も変わらないだろうから、もういいやって開き直ってるんですけどね。
 遅れたといっても5分くらいですけど、ホテルから会場の教会まで、すぐ近くだと思い込んでたんですよ。だから、タクシーの運転手さんに「20分以上かかりますよ」って言われて青くなって、「急いでください」って言ったら、「何かあるんですか?」って聞くんで、「講演会なんですよ」って言ったら、「ああいうのは、最初のうちは挨拶とかですから大丈夫ですよ」って。(笑)
 「いえ、私がしゃべるんです」って言ったら、「そりゃ大変だ!」(笑)
 会場の教会の神父も、心配して電話かけて来たんで、タクシーの中で、「すいませんっ! もうすぐ着きます!!」って謝ったんですけど、親しい神父なんで、「代わりにしゃべっといてよ。『神は愛だ!』って言うだけだから。だれが言っても同じでしょ」なんて冗談言って電話切ったら、聞いてた運転手さんが笑ってね、「いやあ、それはやっぱり、しゃべる人によるでしょう」(笑)って。
 この運転手さんには、降りる時に誘っておきました、「この教会、いい教会ですよ。いつかぜひ、『神は愛だ』って聞きに来てくださいね」って。

 実際、講演会っていっても、結局は「神は愛だ」っていう、それだけなんです。
 「あなたは、生かされている」
 「あなたは、守られている」
 「あなたは、救われている」
 ・・・「だれでもが、そうして愛されているんだ」っていう、もう、ホントにそれのみ。
 ただ、「やっぱり、しゃべる人によるでしょう」って運転手さんが言うのは、まあ、確かにそうだと思う。「神は愛だ」っていう本質からブレずに話すのは、簡単なことではないから。
 神の愛を感じられず、信じられないからこそ、みんな苦しんでるわけですよね。「私は汚れている」とか「罪深い」と思い込み、「私は幸せになれないんじゃないか」とか「救われないんじゃないか」と恐れる。・・・なんか、もうみんな、そう思い込んで苦しんでます。
 しかし、誰がどう思っていようとも、神さまの側は変わらない。
 「わたしはあなたを愛している」
 「あなたを救っている」。
 だから、その神の側と、苦しむ人の心をつなぐ仕事が必要なんですよね。もう、答えはあるんです。皆さんが、どれだけ悩もうと、どんなに疑おうと、答えはすでに決まってるんです。
 「皆さんはすでに愛されているし、必ず救われる。もう、救われ始めている」
 ・・・そこをまっすぐに語るのは、簡単ではない。しかし、すでに神の思いはあるわけですから、それさえちゃんと聞いて、信じて、語ればいいという意味では、そんなに難しい話でもない。私の言い方で言うならば、「天の言葉」を、「地の言葉」にすればいい。
 「天の言葉」、これはもう、すごく神秘的で透明な神の言葉ですから、何語っていうんでもないですね。ヨハネ福音書の冒頭の「はじめに(ことば)があった」というような、根源の言葉です。その言葉を感じて、信じて、現実に生きている現場で使う人間の言葉、すなわち「地の言葉」に「翻訳」して語る。それがまあ、私なんかの仕事ってことになる。・・・まあ、ある意味、翻訳家なんですよね、こういう仕事っていうのは。自分の思想を語ってるんじゃないんだから。
 実際、天の言葉をみんな聞いてないし、聞いてないからこそ、神の愛を受け止められないで苦しんでいる。だから、講演でも、説教でも、「皆さん、心の中を清めて、天の言葉に耳を澄ませて、ちゃんと神の愛に生かされましょう。神は、あなたを、愛しています!」と宣言するわけです。

 イエスさまが、「宮清め」ってのをやってますね、今日の福音書の箇所ですけども(※1)、みんなを追い出してるでしょ。「すべて境内から追い出し」(ヨハネ2:15)ってあります。これ、何を追い出してるかっていうと、神殿は神と人とが出会う場なのに、それをじゃまするものがいっぱいあるから、それを追い出してるんですね。皆さんの心ですよ、神と人が出会う場。神は、もうすでに語りかけてます。でも、皆さんの中にじゃまがあって、この世のことで頭がいっぱいで、神の声が聞こえていないから、それを「追い出す」。
 「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2:16)
 「父の家」って、神さまと出会う場所でしょ。神の愛に包まれて、神の言葉に生かされて、ゆっくりとくつろぐ。これが「父の家」ですよね。まことの親である神の、救いの恵みに心を開いて、安心して手足を伸ばす。・・・わが家ですから。
 その安心すべきわが家(・ ・ ・)が、まあ、商売に忙しく、この世の利益、自分の満足だけを考えてる人たちでいっぱいで、喧噪(けんそう)(うず)だったわけです。その「商売の家」を清めて、「父の家」にする。
 皆さんの心から、余計な思いと言葉を追い出して、し〜んとさせて、天の透明な言葉に耳を傾ける。自分の乱れた心の声、自分でつくりだした恐れとか苛立(いらだ)ちとかを鎮めて、耳を澄ます。
 ・・・すると、天からの声が聞こえてくる。
 その時になって天が語り始めたんじゃないはず。天はずっと語ってるんです。ただ、この世がうるさいから聞こえない。そういうことですね。
 今、私、電気自動車に乗ってるんですけど、エンジンの自動車に乗ってたときは聞こえなかった音が聞こえるんですよね。交差点なんかで止まると、夜、静かなときなんか、虫の声がチチチチって聞こえてくるんですよ。モーターが止まったら、ホントに何の音もしませんから。それはでも、以前から虫は鳴いているんだけれども、聞こえていなかったってことです。周りがうるさいから。心が騒がしいから。それを鎮めると、聞こえてくる。
 神さまは、あなたが生まれる前から、ず〜っと、語りかけてるんですよ。今も、いつも。
 「愛してるよ」
 「だいじょうぶだよ」
 「恐れるな」
 ・・・でも、それが聞こえていない。四旬節は、それに耳を澄まします。

 「みみをすます」(※2)っていう有名な詩集がありますけれど、作者の谷川俊太郎(※3)さんっていう詩人を、皆さん、ご存じですか? 有名な詩人ですね。おそらく、日本一有名な、口語自由詩を書く詩人でしょう。もう60年以上、詩を書いていて、今、83歳です。
 私にとっては、「詩人」イコール「谷川俊太郎」ですから、私淑(ししゅく)してきたつもりですし、大変尊敬している、一人のファン・・・いや、「ファン」っていうより、もう「恩師」みたいな感じですね。
 中学3年の時に、職員室にあった『谷川俊太郎詩集』を借りて読んで感動して、もうそれ以来です。ぼくはビックリしたんですよ、それを読んで。
 これはぼくの用語ですけど、「あの感じ」っていうのがあるんですね。これ、まあ、到底言葉にできず、まさに「あの感じ」としか言いようのない感覚があるんですよ、ぼくの中に。あえて言えば、目に見える世界の向こうの、目に見えない世界の気配を感じている時の感覚です。すごく透明感のある、ちょっとドキドキするような感覚で、何かこう、自分が、とてつもない神秘と向かい合っていて、私は確かにそれを感じてるんだけれども、うまく表現できない、もどかしいような、「あの感じ」。・・・もう、小学校の高学年から、それがありました。
 ところが、その、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」(※4)っていう詩集にね、その、「あの感じ」が書いてあるんですよ。「まさにこれだ!」と、「同じこと感じてる人がいるんだ!」と。「『あの感じ』って、表現できるんだ!」と。
 ・・・これは、その後の私の表現者としての第一歩だったと言っていい。励まされたというか、勇気づけられたというか、「すごい! 『あの感じ』を書いてる人がいる!」っていう発見は、共感したというか、うれしかったというか。
 それ以来、私は、たいした才能がなかったんで、「詩人」と呼べるようなものにはなれませんでしたけれど、それでも、人前で、「この世界の向こうの世界」を語る表現者として生きてこられたのは、彼のおかげですし、恩師だと言っていいんじゃないですか。
 そういういきさつ(・ ・ ・ ・)もありますから、実は先週、その谷川さんに会うことができて、本当にうれしかったんですよ。それは、自分の人生でも特別に感動すべき出来事でしたし、ちょっと忘れられない一日になりました。
 谷川俊太郎さんのご自宅で、対談をしたんです。
 『谷川さん、詩をひとつ作ってください』っていう映画に、日本カトリック映画賞を差し上げたんですけど(※5)、授賞式・上映会に、ぜひ谷川さんからのビデオメッセージが欲しいっていうことで、私がインタビュアーになって撮影をしたんです。
 私、ご自宅に着いて、撮影前に、もうまず真っ先に、10代のころから大切にしている谷川俊太郎の詩集に、「サインしてください!」ってね。(笑) まず、そこからです。「2015年3月4日」っていう数字の入った、「谷川俊太郎」のサイン。いやあ、谷川さんに会ってお話して、ご自宅でサインもらって・・・なんて、夢にも思わなかったから、ホントにうれしかった。「対談」っていっても、私、舞い上がってしゃべりまくっちゃってね。(笑) 谷川さんが、「ぼく、あんまりしゃべれなかったけど、いいの、これで」って、(笑) 後で言ってましたけど。

 5月5日午後1時からの、中野ゼロホールでの授賞式・上映会で、そのときのビデオも一部流れますので、ご覧いただきたいと思うんですが、彼、面白いこと言ってました。 カトリックの幼稚園を出てるんですね、聖心学園幼稚園。実は私、今、そこの理事やってるんですですよ。ご縁を感じますが、彼の自宅が南阿佐ヶ谷ですから、この高円寺の幼稚園まで、青梅街道の都電に乗って通ってたそうです。
 で、「何か思い出ありますか?」って聞いたら、「怖かった」って言うんですね。幼稚園の先生が、壁に掛図を掛けて教育したそうですが、そこに、天国と地獄の絵が描いてあったんですって。その真ん中に大天使がいて、天秤(てんびん)を持ってる。死んだらその天使の前に行って、生前の良いこと、悪いことを乗せるんでしょう。で、地獄の方に傾いたら地獄に、天国の方に傾いたら天国に行ける。それが怖かったって。
 ・・・幼稚園生にそういう教育したんですね。80年近く前の話ですよ。ですから私、もう、即座にその場で謝りました。「申し訳ありませんでした」と。
 「その当時は、中世以来の善悪二元論的な教えというものが中心になっていて、それは一面の真理は(はら)んでいるものの、そのような教えの表現様式は、あまりにも、本来のイエスの、『すべての人が神の子だ。神は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)。むしろ、罪びとほどかわいがってくださる神さまだ』という、本来の教えから遠かった。そこは謝ります。ごめんなさい」と申し上げ、「今は、すべてのわが子を救ってくださる、天の父の愛を強調しているんです」って言ったら、ホントに、即座に、真顔でですね、真剣に問い返されました。
 「どんな罪びとでも(・ ・)ですか?」
 もちろん、「どんな罪人もです」そうお答えしましたけど、その真剣さは、どこかにその怖さが残ってたのかな、と思わせるような真剣さでした。後年、彼の中にね、そんな神はおかしいだろうっていうような反発もあったんじゃないか。
 彼の詩は、「天国と地獄」みたいな二元論を超えた、ほんとうに普遍的な、真の宗教性から生まれてくる詩です。すごく透明感があって、「人間の不自由な言葉を超えた、ほんとうの言葉をこそ語ろう」っていうような思いが、ひしひしとにじみ出てくる詩ばかりで、谷川さんの詩ほど、それこそ狭い意味での宗教すら超えた、何か超越的なものを感じさせる詩はないと思って、私はもう、いつも感動してたわけです。きっと、谷川さん自身、無自覚的に、この世の善悪とか、この世の理屈とかに縛られない、最も普遍的な何かを求めて詩を書いてきたんじゃないでしょうか。天の言葉に促されて。
 「・・・じゃあ、親鸞さんと一緒だね」って言うから、私も、「つい先日、そういう普遍主義の話をしてほしいと頼まれて、浄土真宗のお寺でお話してきたんですよ」って申し上げ、「今のカトリック教会は、原点に立ち返って、そういう普遍教を目指してるんです」って、まあ、フォローしたというか、弁解したというか。

 谷川さん、すごく機械が好きでね、ラジオとか、模型飛行機とか、小さな頃から夢中になって作ってたわけですけど、たまたま私が電気自動車に乗ってるって話になったら、すごく興味を持って、「乗せてくれ」って言うんですよ。
 で、「どうぞ」って助手席に乗せて、「どこに行きましょう」って言ったら、「どこでもいい」って言うんで、とりあえず青梅街道を走って、高円寺陸橋で「どっちに行きましょう」って言ったら、「環七に行こう」って言うから、環七を走って。私、「オレはなんで今、谷川俊太郎を乗せて環七走ってるんだろう・・・」って(笑) 不思議な気持ちになりましたけど、永福のあたりで、「ここでいい。ここから電車で帰る」って言って降りちゃった。だいじょうぶかなあ・・・って、ちょっと心配しましたけど、その後、何のニュースもないんで、(笑) ちゃんとお帰りになったと思うんですけど。
 なんだか、あの方も、ちょっと私に似てるとこあって、すごく親近感わきました。注意欠陥障害系とでもいいますか、一人遊びが好きで、「ほっといて」って感じで、思いついて夢中になると周囲が見えなくなって。学校とか、ダメだったんですよ、あの人。なんか似てるなあ・・・と思った。
 お話ししてて、特にそのことを感じたのは、なんで詩を書いてきたかって話で、「自分は詩人になろうなんて、ゆめゆめ思ってなかった」って言うんですね。「他にすることがなかったから」「他のことでは生きていけそうもなかったから」と。とりあえず詩はね、父親の谷川徹三(※6)さんの縁もあって、もう10代で詩集が出ちゃったから(※7)、これで少しはやってけるかなあと思って、それ以降60年以上、ひたすら注文商売をこなしてきたんですよ。頼まれて書いて、頼まれて書いて。だからどこかに、「自分は詩人なのかねえ・・・」みたいな本音がある。でも、そんな彼のことばを、世界は求めてたわけです。だから、私、「谷川さん、それ、『召命(しょうめい)』っていうんですよ」と、お話ししました。
 「私も一緒です。自分はどうやって生きていこうかと思っていた時に、『神父なら生きていける』と。若い頃から、ぼくが誰かに語ったり、手紙を書いたりすると、みんなすごく喜んで、励まされたとか、安心したとかって言ってくれる。だから、自分がきちんと言葉を語っていけば、みんなの役に立てるかもしれないっていう思いはあったし、でもそんな職業、神父くらいしかなくって、神父なら生きていけるかもって。それ、実は本人が選んだんじゃなくって、神が召して、神が命じたからであって、それをカトリックでは『召命』って言うんです」って。
 実際、来てくれって言われれば、新潟まで行って、「あなたはホントに愛されてる」って語りますし、そうやって何十年も生きてきた。だから、「なんか、そっくりです。私、それ、よく分かります」って言ったし、さっきの「あの感じ」の話をして、「自分が人前で話してるのは、その『向こうの世界』に語らされているようなもんです」って話してたら、「ぼくと、感性、似てるね」って言ってくれました。
 ・・・谷川俊太郎に、「感性似てるね」って言われたんです〜♪(笑)
 もういいや、人生、これで。(拍手) ・・・ああ、いやこれ、拍手するとこじゃないですから。(笑)
 谷川さんにいろいろ話してたら、彼、謙遜なんで、「それは誉めすぎだよ」とか言ってましたけど、私、申し上げました。
 「谷川さんの感性、すごく宗教的ですよ。悪い意味でじゃなく、ホントの意味での宗教ですよ、普遍的な意味での。だからこそ、たくさんの人が、何か本当のところを感じて、感動するんです」
 それについては、もっともっと、谷川俊太郎の宗教性について語りたいし、できたらそれを本にしたいなっていう思いも出てきました。実はそのことを、たまたま昨日連絡があったある出版社に話したら、「ぜひ、そういう対談集、出しましょう」って言ってましたけど、どうなりますか。

 いろいろ言っても、皆さん、案外、谷川さんの詩を知らないでしょう? 昨日のミサでは朗読したんですよ。今日はもう長くなるから止めようと思ったんですけど、やっぱり読みたくなっちゃった。(笑)
 (そばにいる侍者に向かって)「香部屋のバッグの中に、分厚い白い本があるから、ちょっと持ってきてください」。(笑・拍手)・・・すいません、思いついちゃうと、もう・・・。実はその本、昨日、谷川さんご本人から送られて来て、届いたんです。私、どうも気に入られたみたいです♪ (笑)
 ・・・この本なんですけど、こんなに分厚い730ページの本。『ぼくはこうやって詩を書いてきた』(※8)っていうタイトルで、ある編集者との対談の本なんですね。ちゃんとサイン入りで、送ってきてくださいました。なんで送ってきたのかな?と思って、一気に読んだんですけど、それこそ幼稚園の頃のこととか、谷川俊太郎の詩の宗教性についてとかも出てくるので、ああ、なるほど、それで送ってきたのか、と。ある意味、「これを読めばもっとぼくが分かるよ」っていうような、谷川さんの思いが感じられて、うれしかったです。
 その編集者が88の詩を選んで、それについて谷川さんと対談してるっていう本なんですけど、一番最後のところで選ばれている詩を読みます。わりと最近の詩です。二十歳(はたち)になる青年に向けて書いた詩なんですね。谷川さんは、すごく素朴な普通の言葉と、透明な世界の本質を、スポンとつなげることができる「宗教性」を持ってるんですけど、この二十歳の青年に宛てた詩も、まさにタイトルが実に素朴で、「ありがとう」なんです。(※9)
 四つの「ありがとう」が出てくるんですけど、短い詩ですから、聴いてください。

 (朗読する・・・著作権の関係で割愛)

 ね、いい詩でしょう?
 一連目は「空 ありがとう/今日も私の上にいてくれて」で始まり、
 二連目の冒頭では「花 ありがとう/今日も咲いていてくれて」と語りかけ、
 三連目では「お母さん ありがとう/私を生んでくれて」とくるわけですが、
 四連目に、思いもよらぬ「ありがとう」が現れる。

「でも誰だろう 何だろう
 私に私をくれたのは?
 限りない世界に向かって私は呟く
 私 ありがとう」

 ・・・もう、宗教でしょ、これ。ホントに、こういう詩っていうのは、下手な神学より神さまに近いですよ。何かこう、この世の貧しい言葉で宗教の本質を汚したり、この世のつまらない言葉で争いを起こしたりしているのを救うのは、ほんとうの言葉だと思うんですよ。・・・詩の言葉。
 「私たちが苦しんでいるのは、言葉が貧しいからだ」
 私、谷川さんに、そう言いました。彼が、ぼくに、真剣に質問してきましたから。ぼくが、真の宗教は普遍的だって話したら、ちょっと怖い顔で聞いてきたんです。
 「じゃあ、どうして世の中にはこんなに争いがあるのか」
 私、即答しました。
 「言葉が貧しいからです。ほんとうの言葉を語っていないからです。貧しい言葉で傷つけ合い、つまらない言葉にこだわるから、対立し、争い合うんです。ほんとうの言葉、詩の言葉こそ、世界を救うんじゃないですか」
 「天の言葉」を、「地の言葉」で美しくきちんと語ること。これこそは、究極の普遍主義であるキリストの教会の使命だと思う。

 今日、これから、洗礼志願者のためのお祈りをしますけれど、洗礼を受けるからには、まずは自分の中の「貧しい言葉」「つまらない言葉」を鎮めて、何をおいても、「天の言葉」に耳を澄ます。キリスト者になるってことは、キリストはもちろん、今はもう天国にいる聖なる方たちが、今、語りかけてくる言葉に耳を澄ますことじゃないか。それを、自分の言葉で語り始めることじゃないか。
 ・・・洗礼志願者のための祈りをいたします。洗礼志願者はお立ちください。


【 参照 】(ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがありますので、ご了承ください)

※1:「『宮清め』ってのをやってますね、今日の福音書の箇所ですけども」
 本日、2015年3月8日〈四旬節第3主日〉の福音朗読箇所は、以下のとおり。
  ヨハネによる福音書 2章13〜25節。
   〈小見出し:「神殿から商人を追い出す」「イエスは人間の心を知っておられる」〉
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※2:「みみをすます」
詩集『みみをすます』収録の詩。
 ◆詩集『みみをすます』
  著 者: 谷川俊太郎、イラスト:柳生弦一郎
  単行本: 184ページ
  出版社: 福音館書店
  発売日: 1982/6/30
  内容紹介: 「みみをすます/きのうの/あまだれに/みみをすます」すべての人の心にそっと入りこむ和語のしなやかなリズム。日本ではじめての暗誦に耐えうる長編平仮名詩集。(出版社内容紹介文より)
(参考)
・ 『みみをすます』(Amazon)
・ ♪「みみをすます」〈谷川俊太郎さん朗読〉(ほぼ日刊イトイ新聞
 ・・・<お聞きになりたい方は、Flash Playerをインストールしていただく必要があります。Flash Playerをお持ちでない方はこちらをクリックしてください>
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※3:「谷川俊太郎」
谷川俊太郎さん ©深堀瑞穂
 1931年東京生まれ。詩人。
 1952年第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。 1962年「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大賞作詞賞、 1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、 1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、 1993年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、 2010年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。 詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など幅広く作品を発表。 近年では、詩を釣るiPhoneアプリ『谷川』や、 郵便で詩を送る『ポエメール』など、 詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦している。(公式サイト「谷川俊太郎*com」より)
(参考)
・ 「谷川俊太郎*com」(公式サイト)
・ 「谷川俊太郎@ShuntaroT」(公式ツイッター)
・ 「谷川俊太郎」(ウィキペディア)
・ 「谷川俊太郎」(伝記ステーション
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※4:「二十億光年の孤独」
詩集『二十億光年の孤独』(谷川俊太郎初めての詩集、1952年刊行)収録の詩。
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◎詩集『二十億光年の孤独』 (初めて文庫化され、英訳がつけられたもの)
 著 者: 谷川俊太郎、翻訳:川村和夫、W.I.エリオット
 文 庫: 251ページ
 出版社: 集英社
 発売日: 2008/2/20
 内 容: ひとりの少年が1対1で宇宙と向き合い生まれた、言葉のひとつぶひとつぶ。青春の孤独と未来を見つめ、今なお愛され続ける詩人の原点。(「BOOK」データベースより抜粋)
(参考)
・ 『二十億光年の孤独』(Amazon)
・ 「二十億光年の孤独」〈全文〉(ポエトリージャパン)
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※5:「『谷川さん、詩をひとつ作ってください』っていう映画に、日本カトリック映画賞を差し上げたんですけど」
◎「カトリック映画賞」
 カトリックの国際的な団体であるSIGNIS(世界カトリックメディア協議会)の日本組織、SIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会、会長・千葉茂樹氏)が、毎年、前年の12月から11月までに、日本国内で制作、公開された映画の中から、カトリックの世界観と価値観に、最も適った作品を選んで贈る賞。晴佐久神父は、同組織の顧問司祭。

◎『谷川さん、詩をひとつ作ってください』
 2014年の「第39回日本カトリック映画賞」に決定。
 杉本信昭監督作品。「詩人、谷川俊太郎さんの創作の現場から、様々な土地で暮らす人々が発するかけがえのない言葉を追っていくドキュメンタリー映画」(SIGNIS JAPANプレスリリース資料より)
 来る5月5日(火・祝)午後1時から、「なかのZERO小ホール」(東京都中野区中野2-9-7/JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分)にて、授賞式および上映会を開催。(>>> 交通アクセス
 チケットは、3月10日(火)より、聖イグナチオ教会案内所、スペース セント ポール、サンパウロ書店(四ツ谷駅前)、高円寺教会「天使の森」にて販売。
(参考)
・Youtube予告編 (YouTube.comで見る
 
・ 『谷川さん、詩をひとつ作ってください』(公式サイト)
・ 『谷川さん、詩をひとつ作ってください』(ツイッター公式アカウント)
『谷川さん、詩をひとつ 作ってください。』谷川俊太郎&杉本信昭監督インタビュー(YouTube)
・ 「詩のちから。映画のちから。」谷川俊太郎さん×杉本信昭監督トークショー〈前編〉〈後編〉(YouTube)
・ 「第39回 日本カトリック映画賞 決定」(SIGNIS JAPAN カトリックメディア協議会)
 パンフレット(表) パンフレット(裏)
  (クリックすると、それぞれ拡大表示されます)
 ※拡大表示より、さらに大きくご覧になりたい方は、シグニスジャパンのサイト内、pdfファイルでご覧ください。
    >>> こちら です。
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※6:「谷川徹三」
 1895〜1989年。哲学者。評論家。
 愛知県知多郡常滑町(のちの常滑市保示町)生まれ。第一高等学校(のちの東京大学教養学部)を経て、京都帝国大学哲学科卒業。同志社大学、法政大学などで教鞭をとり、法政大学の総長に選出(1963-1965)。現・国立博物館次長なども歴任。
 ヒューマニストで、カントをはじめとする翻訳、文学、哲学、美術、宗教、思想など、幅広い知識と穏やかな意見を持ち、評論活動や、数多くの著作を発表した。また、宮沢賢治の研究家としても知られる。日本芸術院会員。文化功労者。
 戦後は世界連邦運動に共鳴、理論の研究・啓蒙に活動したが、1989年9月27日、虚血性心不全のため死去。
妻・多喜子との、多くの恋文が残されており、多喜子が残した一部を、長男の谷川俊太郎が、1994年、『母の恋文』(新潮社)として出版。
 主な著作は、「生活・哲学・芸術」(1930)、「日本人のこころ」(1938)、「東洋と西洋」(1940)、「茶と美学」(1945)、「生の哲学」(1947)、「芸術の運命」(1964)、「人間であること」(1972)など。
(参考)
・ 「谷川徹三」(ウィキペディア)
・ 「谷川徹三」(はてなキーワード)
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※7:「父親の谷川徹三さんの縁もあって、もう10代で詩集が出ちゃったから」 
 谷川俊太郎は、17歳(1948年)頃から詩作や発表をはじめ、19歳(1950年)には、父、徹三の知人であった三好達治の紹介で『文学界』に「ネロ他5編」が掲載される。
 21歳(1952年)で、処女詩集『二十億光年の孤独』が刊行。
(参考)
・ 「谷川俊太郎」(ウィキペディア)
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※8:『ぼくはこうやって詩を書いてきた』
 書 名: 『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』
 著 者: 谷川俊太郎、山田馨
 編 集: 川口恵子
 単行本: 736ページ
 出版社: ナナクロ社
 発売日: 2010/6/26
 内 容: 日本でもっとも有名で、 もっとも知られていない詩人のすべて。半世紀以上にわたる創作の過程で、詩は、谷川俊太郎は、どう変遷してきたのか。名作誕生の裏側、三度の結婚と離婚、人生のあれこれ。最も信頼している編集者を相手に、詩と私生活について、本人が余すことなく語りつくした待望の一冊。未発表詩から「二十億光年の孤独」「私」「トロムソコラージュ」まで、34冊の詩集から88篇を収録。(Amazon内容紹介より)
(参考)
・ 『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』(ナナクロ社)
   ・・・リンク先では、「目次」(8ページ)や、「第2章 青春の詩(30ページ)を、pdfファイルで読むことができます。
・ 『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』(Amazon)
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※9:「ありがとう」
 詩、「ありがとう」は、上記『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』(2010)の最終章「Ⅷ*いのちの草むらを歩く」の中の、最終節「子どもたちの遺言(2009)「ありがとう」「うまれたよ ぼく」に収録。
 また、手ごろなところだと、2013年1月に発売した『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)にも収録されている。この本は、作者自身が、二千数百におよぶ全詩から173篇を厳選したもの。
(参考)
・ 『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)-2013/1/16(Amazon)
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2015年3月8日 (日) 録音/2015年3月15日掲載
Copyright(C) 晴佐久昌英