振り向けば、光

【カトリック浅草教会】

2016年12月18日 待降節第4主日
・ 第1朗読:イザヤの預言:(イザヤ7・10-14)
・ 第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ1・1-7)
・ 福音朗読:マタイによる福音(マタイ1・18-24)

【晴佐久神父様 説教】

 先ほど、ミサの始まる前に聞いたんですけれども、「今日が人生における初ミサ」という方が、このミサに来ておられるそうです。
 もう毎週のミサに慣れっこになっちゃっている人は、それがどんな思いかってちょっと想像してみたら、少しは新鮮な気持ちになるかもしれませんよ。そもそも、教会に来るのが初めてだって聞きました。
 「人生で初教会、初ミサ」って、どんな思いでしょうか。え~、どこにおられるんですか?(笑) ああ、そちらのかたですね。よくいらっしゃいました。心から、「ようこそ!」と申し上げたいです。「教会って、こんな集いです。神父ってこんなんですよ、これがミサですよ」ってね、申し上げたいです。そして、そんなあなたのためにですね、いつもの1・5割増し、いい説教をしましょう。(笑)
 いや、でも、そういう思いにもなりますよ。みんな悩んでいるし、恐れているし、救いを求めていますから。「生涯初めて」っていうミサに来て、そこで神の愛に出会えて、少しでも安心できたら、こんなに素晴らしいことはないじゃないですか。「今日が初めて」というあなたに、ぜひとも、その神の愛に目覚めてほしい。これはもう、一人のキリスト者としての、真心からの、熱い思いです。
 逆に、「神の愛なんて、よく分かんないな」とか、「教会ってこんなもんなのか」とかって思われたら、こんなに残念なことはない。その意味で、1・5割増しかどうかはともかく、精いっぱい、ある意味、自分の存在意義を懸けて、あなたに神の愛を証ししたいと、そういう気持ちです。だけど、それはもう、信者の皆さんもね、同じ思いでしょう。
 ・・・この教会を初めて訪れてくれた、一人の神の子がここにおります。

 ちょうどそういう日に、この箇所(※1)が読まれたわけですね。
 イエスさまの別名、預言されていたもう一つの名前のことが読まれました(※2)
 「神さまは私たちと共におられる」 (cf.マタイ1:23) っていう、そんな美しい名前なんですね、イエスさまの別名は。
 ・・・「神さまは私たちと共におられる」
 どこにいようとも、何をしていようとも、どんなときでも、生まれた時から、この今も、そして神のもとに召されていくその時まで、神さまは私たちと共におられる。ず~っと共にいて、抱き締めていてくださる。とりわけ、私たちの一番つらいとき、最も救いを求めている苦しいときにこそ、共におられる。その神の愛に気づいているか、いないかは、人それぞれですけれど、とにかく、神さまは、すべての人と共におられるんです。
 だから、「神を信じていいんだ」「もとより何の心配もないんだ」と、そういう信仰に、今日ここで、ぜひ気づいてほしい。そして、今度、何かちょっとつらいときや、何かをひどく恐れたときに、「そうか! 私は一人じゃないんだ。この天地創造の神さまが、この私、この私たちと、共にあり続けているんだ」と思い出してください。神さまにおできにならないことは何一つありませんから、そして神が失敗することも、冷たくすることもあり得ませんから、私たちが、「神が共にいる」と信じるならば、その瞬間、あらゆる恐れと悩みが吹き飛びます。
 今日、人生初ミサという方は、このミサで、そんな信仰に目覚めていただきたい。そして、そんな信仰に生かされている、この仲間たちと出会っていただきたい。
 「そういう仲間、神の愛を信じる仲間がここにいるんだ。これが実は血縁の家族よりも大切な、ホントの家族なんだ。洗礼を受けていようと受けていまいと、今日初めてだろうとなかろうと、神さまが結んだ永遠の家族なんだ。この仲間たちと一緒に信じよう!」と、そんな思いを持ってくれるとうれしいなあと思います。・・・いうなれば、「教会家族」です。

 おとといの、格差の番組、見ました?
 池上彰(いけがみあきら)が、「なぜ世界から格差は無くならないのか」というテーマで、いろんな説明をしている番組(※3)、・・・そこで紹介されてたんですけど、すごいですねえ、今の格差って。ほんのわずかのお金持ちは、ものすごくお金持ちで、貧しい人は、ものすごく貧しくって、大勢いる。全世界の人口70億人を、お金持ちから順に並べると、トップ62人の人の資産の総額が、下から36億人分に匹敵するんですって。もう、想像もできませんけど。
 番組で、その超お金持ちの家族旅行を紹介していました。・・・どんな家族旅行だと思います? 一家でギリシャに行ったそうですけど、かかった費用が51億円ですって。(お~っw(゚o゚*)w)・・・ねえ、・・・想像つきます? 「51億円の旅行」って、いったいどこでどう使ったら、そんなに使えるんだか、もう、想像もつかないですよね。ギリシャの海でクルーザーを借りたそうですけど、その費用だけで8億円。・・・「それ、船買えるじゃん!」って思うんだけど、(笑) まあ、ちょっと我々の想像を超えた世界ですね。
 たまたまお父さんがお金持ちだと、いいですねえ。その家族は、血がつながってるっていうだけで、そんな豪華な暮らしができる。もっとも、それがいいんだか悪いんだかは、別ですけど。・・・その旅行にしても、果たして、楽しかったんですかねえ。あっ、いや、すいません、余計なこと。(笑) まあ、楽しく、仲良く、家族旅行したんでしょう。それはそれで、よかったねっていう話ですが。
 でも、ふと思うに、血縁、・・・片や、たまたま血がつながってるだけで、51億円の家族旅行。一方で、その日の食事もままならない、何億人の人たち。
 先ほど、「教会家族」って言いましたけど、これは、血縁ではなく、信仰でつながってるわけですね。神が結んでくれた家族ってことです。そういう家族観があると、世界の見え方がちょっと変わってくるし、当然「家族旅行」だって、変わってくるはずですよ。世の中には「旅行なんかしたことない」っていう人もいっぱいいるでしょうけど、そんな人も家族として連れて行けますからね。仮に、一人当たり5100円の激安旅行ならば、この51億円出すお金持ちが、「俺たちみんな家族だ! みんなで一緒に行こうぜ」って言ったら、何人つれて行けると思います? ・・・100万人です。100万人の家族と一緒に、楽しく旅行。・・・それ、すごいよね~、もはや、神の国の旅行・・・どんなんだろう。
 血縁だけが家族なら、他の99万9千9百90数人は、関係ない人。たぶん、この格差の問題って、「人類、お互いに、ちょっとは関係あるんだ」「本当は、だれもが、神が結んだ家族なんだ」っていう、そんな「家族観」がちょっとでもあると、だいぶ違ってくるんだろうな、そこが問題解決の秘訣なんだろうなって、そう思わされる。

 そうして、今日のこの福音を読むと、神さまが、イエスさまを、われわれに救い主として送ってくれたわけですけれども、その別名が、「神は私たちと(・ ・ ・ ・)共におられる」 (cf.マタイ1:23/強調引用者) 。これはとっても意味があると思う。・・・「神は私と共におられる」じゃあないんですよ。一人称複数なんです。
 「神は私たちと共におられる」
 われわれ、つい、救いのこととか、喜びを求めること、それこそ「旅行したい」でもなんでも、まずは「私の」話として考えますけれど、これを「私たち」って思ったときに、世界が変わるんですよね。その「私たち」が、3、4人の家族のことなのか、もう少し広い家族のことなのか、それこそ、「今日初めてミサに来ました」という人も家族だといえるような、「神の国の家族」のことなのか、その「家族観」によって、世界はがらっと変わるんですよねえ。
 「神は私たちと共におられる」「だから私たちも家族として共にいよう」
 逆にいうと、「私たちが共にいないと、神さまのことも、よく分からなくなっちゃう」。・・・きっと、そういうことなんだと思う。
 「神は私たちと共におられる」
 私たちも共にいるときに、神さまと共にいることができる。・・・そんな道を探したいなあって思いますよ。

 上野教会で、「まんまカフェ」っていうのを始めましたけど(※4)、来週、クリスマス会をやるんですね。・・・子育て支援です。これなんかは、お母さん、あるいは、生まれたての子どもたち、みんな、共にいようよ、一緒にいようよっていう工夫です。
 先ほどの格差の番組でもやってましたけど、日本でも6人に1人の子どもが相対的貧困なんですね。・・・今の日本ですよ。6人に1人、まともに食べるのも難しい子どもがいる。それで今、「こども食堂(※5)」っていう支援活動が日本全国に広がり始めています。無料で、地域の子どもたちにご飯を食べさせる運動です。週に一度くらいですけど、子どもたちは無料、大人はたとえば300円とかで、ご飯を食べさせるんですね。ボランティアの人が、寄付で集めたお米や野菜を調理して、みんなに食べさせている。これは、私が前にいた高円寺教会でも始まりました(※6)。ぜひ応援してください。普段、ちゃんと調理したものを食べていない子どもたちが集まってきて、素朴な家庭料理を、「わ~! おいしい! こんなの初めて」と、目を輝かせて食べてます。友達もできるし、年配の人とのコミュニケーションは、子どもにも親にも必要です。
 高円寺では、教会のホールを使ってこども食堂をやっていますが、上野の「まんまカフェ」も、信徒館のホールがそのときは食堂になるわけで、こういうのって、「神は私たちと共におられる」っていう名前の救い主を信じる教会としては、まあ、自然な姿ですよね。家族ってことです。
 今月から始まった「まんまカフェ」も、精神的にも、生活的にも、いろいろと大変な思いをしている親子が多いから、「ともかく、一緒にご飯を食べましょう」っていう集いで、その意味では「お母さんとこども食堂」みたいな感じですね。とりあえずは、「まんまカフェ」はお母さんも無料です。
 お米の寄付があったり、いろいろ届き始めてるんで、なんとかやりくりしてやっていこうと思います。先日は2升炊きのお釜も買いましたし、毎回たくさんおむすびを作ってます。もしも、「親子しておなかすかしてる」とか、「母親が精神的に追い詰められている」っていうようなケースを身近に知っておられましたら、ちょっと誘っていただければと思います。毎週木曜日の12時からです。
 そんなふうに、教会って、「み~んな、実は神さまの子どもなんだから、家族なんだ」ということを、ささやかでも、具体的な形にして表す集まりなんです。それを表すのはちょっと大変なこともあるけれど、そういうことをしていると、本当の喜びを味わえるんですね。
 「ああ、神さまは本当に、私たちと共におられたんだ。私は心を閉ざして一人ぼっちでいたけれども、本当は、こんな素晴らしい家族がいたんだ。真の親である天の父が、ずっと一緒にいたんだ」
 これに気づけたら、どんなに安心か。それに気づいてほしいと、どんなに願っているか。そういう情熱を持ってるんですよ、教会っていう所は。それをね、今日初めてという方にも、知ってもらいたいし、手伝ってもらいたい。

 私は、そういう情熱をちゃんと示すのが大事だということを、いつもお話ししてきました。
 今年の2月に長崎の浦上天主堂で四旬節の黙想会の指導をしたんですけど(※7)、これが、三日間かけてやるんですね、長崎の黙想会は。地元では、「教会の黙想会にちゃんと出ないとお葬式が出してもらえない」っていう噂が広まっていて、(笑) まさかそんなことはないと思いますが、ともかく大勢来るんです。
 信者が7千人だかいるってことで、3回に分けてやるんです。・・・3日ずつ、3回ね。3日で5講話なんで、3回で計15講話してくれって頼まれて、私、行って、情熱込めて福音を語りまくりました。みんな救われる、いやもう救われているって。それで、そのとき、参加者に、「ほかの人も連れて来てほしい」って、私、頼んだんです。
 「福音を、こうやって信者が聴くだけじゃもったいない。むしろ、信者じゃない人、信者でも普段聴けない人にこそ聴かせたい。三日間あるんだから、明日、だれでもいいから連れて来てほしい。私も、だれか連れて来るから」
 すると、長崎の人、まじめですから、みんなちゃんと連れてきたんですよ。だから、毎日、人が増えていった。それは、みんな驚いたし、とても幸せな体験でしたけれど、私も「だれか連れてくる」と言った手前、やらないわけにいかない。それで、次の講演の始まる前に、浦上天主堂から、ず~っと坂降りていって、外の交差点の所で、「だれか来ませんか~!」って。(笑) ウロウロしたんですけど、なかなか難しい。ローマンカラーしてたけど、声掛けてくれる人もいない。で、ふと見たら、教会の門のところにキリスト教の本とか売ってる売店があって、のぞいたら、一人の若い女性がいたんで、私、声を掛けたんです。
 「私、東京から来た神父です。ぜひ今晩の黙想会の講話にいらしてください。心込めて福音語ってます」って。
 その方、信者ではなかったんで、驚いてましたけど、困った顔で、「いえ、今日はちょっと用事があるんで・・・」って。(笑)
 それで、「何の用事ですか?」(笑)
 「友達とビールを飲みに行くんです」
 「何時から?」
 「5時からです」
 ・・・5時からビールって、なかなか気合い入ってますけど、(笑)
 「なら、間に合いますよ。 講話は7時からです。遅れてもいいから、ぜひいらしてください。あなたのためにお話しします」って言ったら、
 「・・・はあ・・・(^_^;)」って、苦笑いして行っちゃった。
 だから、その日の夜の講話で、「ぜひ皆さん、明日も、だれでもいいから連れてきてください。私もさきほど誘いましたよ。でも来てくださったかどうか。・・・ちなみに、さっき売店でお招きしたかた、来ておられますか~?」って聞いたら、なんと、一番後ろで、「ハーイッ!!\(*^▽^*)/」って答えてくれたんですよ、両手をあげて、手を振って。(笑) なんでそんなにハイなのかといえば、ビールを飲んできたからです。(笑) 講話の後で聞けば、なんと、一緒にビール飲んだ友達も連れて来ていて、二人して、とてもいい話が聞けたと言って喜んでました。もちろん、その友達も信者じゃありません。
 それどころか、三日目は、今度はご主人まで連れて来た。「この話をぜひ聞かせたい」って、そう思ったって。
 神さまは、ホントに、私たちと共におられるし、今日も働いておられるし、今も語りかけてくださっているってことですよ。
 「あなたを愛している。気づいてほしい」
 そんな神のことばを聞いた者は、信者でなくても、ほかの大切なだれかに聞かせたいんです。だから、連れて来る。
 なんで2月の話をしてるかというと、実は、先週の上野の入門講座に、この人が来たんですよ。長崎の、ビールの人。「用事があって東京に来たので、お寄りしました。あの時の神父さんのお話を、どうしても、もう一回聞きたいと思ったんです。飛行機の時間があるので最後までいられないかもしれませんが、ぜひ聴かせてください」って。
 だから私、その長崎での出会いの話を、集まっていた入門講座の皆さんにもお話しして、申し上げたんです、「この方が、今日、どうしていらしたか分かりますか? どうぞご本人が、お話ししてください」。
 そうしたら、本人が、こう話してくれました。
 「私、売店で声かけられて最初は驚いたけど、あんなに熱心に誘われると、その気迫に押されて、(笑) その気になりました。ビール飲んだ後に、それじゃあ行ってみようかと」
 そういうことなんですよ。「ちょっと用事があるんで・・・」って言われたとき、「ああ、そうですか。じゃあしょうがないですね」って引き下がったら、もうその後がないんです。でも、ホントに、福音を伝えたいと願って、真心こめてお誘いすれば、人の心って動くんですよ。そして、本質的には、それをやっているのが、実は神さまだっていうことなんです。
 つらい思いをしている人々に、「私はあなたたちと共にいるんだ!」って、なんとか伝えたいという気迫、「わが子イエスを十字架につけてでも救いたい!」っていうその必死な思い・・・。ぼくらはある意味、それに心を動かされちゃったんですよ。神さまが、そこまで、自分の愛を表したい、自分の愛を伝えたい、自分の愛に目覚めてほしいと思っているという、その気迫に心動かされて、「そこまで言うなら、信じます」って。
 イエスはその気迫の目に見えるしるしですし、キリスト教は、この情熱そのものなんです。でも、それがあったら、人を救えるんです。それを、ぜひ、この教会家族でやってこうじゃないですか。

 先週の日曜に、上野の入門講座に来た30代男性なんですけど、悩みを抱えていて、暗い顔をしてたのが、その週の木曜夜の浅草の入門講座に来たら、すっかり明るくなっていたということがありました。もう、すっかり、顔つきが違うんです。で、みんなにその理由を報告してくれました。
 先週までは、真っ暗な気持ちだったんだけれど、日曜の入門講座で、すべての人を救っている神の愛の話を聴き、人はその愛に目覚めるために生きているのだと知り、ビックリもしたし、「ホントにそうなんだ!」と思って、すごくうれしかったそうです。で、その2、3日後に、私の著書の『十字を切る(※8)』を読んでいて、そこには、だれもがもうすでに、初めから神の愛の中を生きていることが書いてあるわけですけど、そのうちに突然、神秘的な光の体験をしたんですね。
 自分の背後から、強烈な光があたっていることに、気づいたんです。それまで、闇の中にいると思っていた。でもそれは、目の前の闇を、真っ暗な気持ちで見ていただけだった。だけど、ハタと、入門講座で聞いたように、本で読んだように、「私は、実は今、光の中にいるんだ」と気づいたんですよ。自分の背後から、強い光がバーン! と当たってるという体験として。それで、彼は言うんです。
 「自分は今まで、暗い、暗いと思って前を見てたけれど、それは自分の影だった」
 ・・・すごい気づきじゃないですか?
 闇と思っていたのは、実は自分の「影」を見ているだけだった、と。
 考えてみると、影があるということは、自分が存在するってことですね。しかも、光の中に存在するってことです。光がなければ、影もない。存在しなければ、影もない。つまり、心に闇を抱えているということは、それ自体が光の中に自分が存在していることのしるしなんですよ。
 目覚めて振り向けば、まばゆい光。彼は、それが、初めから、ず~っと自分を照らしていたことに気づいたわけです。それで、「今は心に喜びが満ちています。この喜びを伝えたくて、今日は参りました」って、入門講座の仲間たちの前で証ししてくれました。
 実は、「振り向けば、光」。
 これ、み~んなに教えてあげたくないですか?
 抜け出せないつらい現実、消えることのない暗い気持ち、自分は闇だと思い込んで見つめてきた、その闇は、実は、自分の影にすぎない。振り向けば、光に満ち満ちている、と。私たちみんな、その光の中にいるんだ、と。
 それに目覚めるときこそは、救いのとき。
 「神は私たちと共におられた」と気づくとき。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「この箇所」
この日、2016年12月18日(待降節第3主日)の福音朗読箇所のこと。
 朗読箇所は、以下のとおり。
  マタイによる福音1章18~24節
  〈小見出し:「イエス・キリストの誕生」1章18~25節から抜粋〉
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※2:「イエスさまの別名、預言されていたもう一つの名前のことが読まれました」
===(聖書参考箇所)===(朗読箇所から部分抜粋)
「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。 」
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
 その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 (マタイ1:21-23/赤字引用者)
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※3:「池上彰が、「なぜ世界から格差は無くならないのか」というテーマで、いろんな説明をしている番組」
 番組タイトル: 金曜プレミアム 『池上彰緊急スペシャル なぜ世界から格差はなくならないのか?』
 放送局: フジテレビ
 放送日時: 2016年12月16日(金)19時57分~22時52分
 解説: 池上彰
 内容: ジャーナリストの池上彰氏が、注目のニュースを独自の視点で解説する人気番組、『池上彰緊急スペシャル』の第2弾。(第1弾は、同年2月放送の「なぜ世界から戦争がなくならないのか」)
 今、世界ではどんな格差が生じ、その格差はなくすことはできるのか。資産1100億円以上のアメリカのビリオネア、資産優遇措置のあるシンガボール、総中流社会と言われた日本で広がる格差などを紹介し、問題提起や解説を行った。
(参考)
・ 「金持ちは独立!子供が危ない!を徹底解説 金曜プレミアム『池上彰緊急スペシャル なぜ世界から格差はなくならないのか?』とりたてフジテレビフジテレビ) など
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※4:「上野教会で、『まんまカフェ』っていうのを始めましたけど」
 「まんまカフェ」は、カトリック上野教会で2016年11月末にスタートした集い。孤立しがちなお母さんのための子育て支援が目的。毎週木曜日の12時から集まり、神父さんのお話を聞いたり、お祈りしたり、一緒にご飯を食べたりして、交流を図っている。スタッフには、ベテランママさんもいて、頼もしい。
 「福音の村」では、2016年12月4日の説教「安心の涙の予感」の、ちょうど中ほど(上から5段落目)>この辺から紹介されています。
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※5:「こども食堂」
 現在、急増している「こども食堂」。全国で300カ所以上が確認されているという。
 「こども食堂」の名付け親、近藤博子さんによると、「こども食堂とは、子どもが一人でも安心してこられる無料または低額の食堂」とのこと。子どもに、お父さんやお母さんが一緒じゃなくても、「あなたが一人で来ていい場所なんだよ」と歓迎する。
 しかし、「こども食堂」の「こども」は、貧困家庭の子どもに限定しているわけではない。「子どもだけ」の、また「子どものための専用食堂」でもない。子どもが一人ぼっちで食事をするということのないよう、さまざまな人たちとだんらんを共にする場として考えられている。一人暮らしの高齢者や、疲れた母親、父親、障害のある子どもや大人、外国籍の子どもや大人など、より多くの人がそこに居場所を見出せるようにというイメージもあるという。
(参考)
・ 「名づけ親が言う 『こども食堂』は『こどもの食堂』ではない」(湯浅誠|社会活動家・法政大学教授 2016/7/24 8:56記事
・ 「子ども食堂に関するトピックス」(朝日新聞DIGITAL
・ 「こども食堂ネットワーク」 など
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※6:「私が前にいた高円寺教会でも始まりました」
 カトリック高円寺教会では、月2回、第1、第3土曜日12時から14時まで実施している。(2016年12月現在)
  場所: カトリック高円寺教会 地下「マイエホール」。
  住所: 〒166-0033 東京都杉並区高円寺南2-33-32
      (JR高円寺駅から徒歩15分、東京メトロ 東高円寺駅出口2から徒歩10分)
  問い合わせ先:「高円寺・こども食堂」の会
  ☆ スケジュールや問い合わせ先の詳しいご案内などは、以下をご覧ください。
(参考)
・ 「高円寺 こども食堂」(高円寺 こども.ネット)
・ 詳細 (ご案内、場所、活動スケジュール、問い合わせ先)
・ 活動日記
・ 2017年メニュー
・ ご予約コーナー
・ 2016年 活動実績・2016年メニュー
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※7:「今年の2月に長崎の浦上天主堂で四旬節の黙想会の指導をしたんですけど」
 その時のことは、本気で誘えば本当に来る」  (「福音の村」2016/2/28説教)の>この辺からお読みいただくことができます。
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※8:『十字を切る』既出
◎ 『十字を切る』 (出版社:女子パウロ会)

 著:  晴佐久昌英
 単行本: 218ページ
 ISBN: 978-4-7896-0716-2
 発売日: 2012年10月25日
 価格: 1,404円(税込)
 紹介: 「特に今、つらい思いを抱えている方、病床にある方、魂の救いを求めている方にこの本が届き、この世に十字の祈りが一つでも増えるならば、何よりの喜びです」(晴佐久神父:「あとがき」から)
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以前、「福音の村」でも、別途目次などを含め、ご紹介したことがあります。>>> こちらです。
(参考・お求め)
・ 『十字を切る』 (Amazon)(ショップパウリーネ) 他
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2016年12月18日(日) 録音/2016年12月29日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英