真の利益に目覚める

2015年10月11日年間第28主日
・第1朗読:知恵の書(知恵7・7-11)
・第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ4・12-13)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ10・17-30)

【晴佐久神父様 説教】

 ご存じのとおり、私には同居人がおりまして、もう4年になるんですね、もうすぐ。・・・この彼が昨日、10月10日に二十歳(はたち)の誕生日を迎えました。
 16歳のときに、この教会にやって来て、1、2週間預かるつもりが、もう、はや4年。皆さんには、感謝しております。「彼を受け入れてくださって、ありがとうございます」ですけれど、もう4年になるんですね。17歳、18歳、19歳ときて、昨日、二十歳の誕生日だったんですよ。・・・もう、「パパ、感無量!」っていう感じ。(笑) 節目のときですね、二十歳。たかが節目、されど節目。
 私の父が、よく子どもに、「二十歳までは親の責任として面倒見るけれど、成人したら、(あと)は自分で生きて行ってくれ」とか、「子どもたちを成人させたら、自分たちはそれぞれ修道院に入るんだ」とか言っておりましたけれども、まあ、修道院に入らずにですね、私の父は、下の息子が二十歳になった、その三日後に死んじゃいました。
 先週、その父の命日だったんです。10月6日に、50歳で、私の父、死にました。実は、私の同居人の父親は、その翌日の10月7日に、同じく50歳で死んでるんですね。この教会に来て半年後のことでした(※1)。で、父親を亡くしてから、ご存じのとおりうつ病になって、もう3年、苦しんでおります。元気だったのは最初の半年。あとは次第に悪くなって、去年、ピークでしたかねえ。本人、もうそのころの記憶がないっていうくらい。・・・今はだんだんよくなって、なんとか抜け出せそうなところまで来ているってところですね。
 私、この4年、このひとりの若者の成長というものを、ずっと見守ってまいりましたけれども、ホントに感心することというか、感動することがあるんです。それはですね、人間の魂には、本質的に生きる力が備わっているということです。
 もう、いつも身近に見てますから分かるんですけど、彼の体験している、これほどの苦しみ、これほどの闇、これほどの虚無感、・・・それこそ、自分は意味がない、もう死んでしまいたいとまで思う、そういう絶望感を抱えながらもですね、やっぱり、そこから抜け出そうとする力っていうものが、確かにあるんですよ。本人も知らないような力。・・・それが、確かにあるんです。これはやっぱり、すごいですね。
 おそらく、誰の中にでも与えられている、・・・何ていうんでしょうね、・・・まさに神さまが与えてくれた命の一番「核」の所に備わっている力、神を求める思い、救いに向かう力、試練の中でなおも、本物に、最も価値あるものに、真実に向かおうとする、最後の振り絞るような一滴の力っていうのが、み〜んなの中にあるんだなっていうこと。
 私自身は、あそこまでの苦しみっていうのを体験したことがありませんけれども、あの、闇の底でなおも光を求め続ける秘められた力を見ていると、やっぱり、人間っていうのは神に愛されてるんだなっていうのが、つくづく分かる。

 ひとりの若者がですね、イエスに尋ねます。まあ、今日読んだマルコの福音書(※2)では、「ある人」とだけありますけれども、マタイ福音書では、「若者」だったと、そうありますね(※3)、おそらく青年だったんでしょう。その青年が、イエスに走り寄って、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(マルコ10:17)
 「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいか」って、そう尋ねてますけれども、彼は「永遠の命」が何であるかを実はよく知らないと思うんですよ、この本人は。でも、本能的にっていうか、命の核心の所にある「求める心」が、これ、求めざるを得なくしてるんですね、この青年を。自分が何を求めてるのかもよく分かってない。しかし、最高のもの、永遠なるものをイメージして、どうしてもそれが欲しいと。この求める気持ちこそが、尊い出発点でしょう。
 お金持ちなんですね、たくさんの財産を持っていたと。ルカの福音書では議員だったとある(※4)。金も名誉も権力も持ってるわけですよね。それでも、さらに、「これだけじゃない。一番のものを求めるんだ!」っていう、その思い。・・・これは、人の中にあります。私はそれに感動する。
 だから、それを眠らせちゃいけないんですよね。「これでいいや・・・」って思っちゃいけない。「こんなもんだ。もう終わりでいいや・・・」って思って終わらせちゃいけない。その、誰の中にも与えられているはずの、「神が与えてくださる最高の恵み」をこそ望む力、これをやっぱり、発見しなきゃならないし、それをこそ育てなきゃならないし、また、誰の中にもそれが与えられてあるんだと、互いに信じて向かい合わなきゃいけない。
 目の前のこの人の中にも、その「永遠なるもの」を求める思いが秘められている「秘密の部屋」が確かにあって、それはまだ開いてないかもしれないけれども、その求める力こそが、その人にとって一番大事なものだと、そういう思いで、お互いに向かい合わなきゃいけない。
 求めることがすべての始まりですから。

 4年間、この「永遠なるもの」「本当のもの」を、必死にこう、求めつつ、あらゆる試練、闇を超えていく、彼のそういう姿に寄り添ってですね、・・・共に過ごすことができたのは、私にとっても大きな喜びでしたし、よい体験でありました。
 昨日はだから、ホントに、感無量でね。仲間たちが集まって、夜、パーティーをいたしましたけれども、青年会主催のパーティーっていうことで青年会も大勢来ましたが、後期青年会も大勢来て、さらには、末期青年会(笑)みたいなのも大勢来て、「いや〜、幅広い年齢層から支持されてるな、こいつは 」と、感心いたしました。2階のホール、いっぱいでしたからね。
 みんな大好きなんですよ、彼のことを。精いっぱい生きてる姿っていうのが、やっぱりちょっとこう、初々しいというか、まぶしいというか、応援したくなるんですね。

 第1朗読(※5)、ちょっともう一度見ていただきたいんですけれども。
 知恵の書が読まれました。「知恵こそが最高なんだ」と。
 ・・・何の「知恵」か。
 「知恵に比べれば、富も無に等しい。どんな宝石も、それにはまさらない。知恵の前では金も砂粒。銀も泥。健康や容姿の美しさ以上に、知恵が大切。知恵の輝きは消えることがない。知恵の中に量り難い富がある」(cf.知恵7:8〜11)
 ・・・この「知恵」、何ですか?
 まさにそれが、人の一番真ん中に、神さまから与えられて、備わってるものですね。この「知恵」、その「知恵」が、神を(・ ・ )求めるんですよね。この、神を求める知恵がなかったら、神を知る知恵がなかったら、もうあと何が揃っていても、人は虚しい、と。そういうことでしょう。
 この知恵は、神を(・ ・ )知る知恵、神の愛を受ける知恵、「神は愛だ」ということを知って、目覚めて、その神の愛の中を生きていく知恵。
 この知恵さえあればですね、あとは何もいらない。・・・「富も無に等しい」(知恵7:8)

 数年前に、宇部っていう所で講演会をしたときに、ちょうどその頃話題になっていた、宇部の宝くじのチャンスセンター(※6)の話をしました。講演会の話のまくらに使ったんですよ。「宇部といえば、有名なチャンスセンターがありますね」と。・・・ホントにすごいんですよ、そこ。何億っていうのが次々当たるチャンスセンター(※7)
 で、そんな話をしたことを主催者のひとりが覚えてて、今年の夏の初めに、「そこで買いました」って言って、宝くじを送ってきたんです。サマージャンボを10枚。
 「神父さまがいつか講演会で、わが街のチャンスセンターの話をしてくれた。ずっとそれを覚えていて、いつか送ろうと思ってましたけど、神父さまが、最近、いろんな活動をしていて、募金などもしていると聞きました。つきましては、これを当ててお使いください」(笑)とまあ、そういうことのようですけど、当たってるかどうか、・・・見ましたよ、(笑) 一応ね。もちろん、はずれてるわけですね。連番でしたから、1枚だけ、300円っていうのが当たってましたけど。でも、まあ、別に残念とも思いません、宝くじですから、まあ、そんなもんだと。
 ところが、つい先日、また、その方からお手紙が来て、「このたびは、残念でした」(笑)っていうようなことが書いてある。「なんで、はずれたって分かってんだろう・・・?」と思いましたけど、たぶん連番の番号を記録してあるんでしょうね。(笑) で、「今回、リベンジです」と、なんと、オータムジャンボが10枚入ってる。(笑) いやはや。これ、まだ発表になってないですよ。・・・発表になったら報告しますね。(笑) 報告がなかったら、あっ、当たったな・・・と、(笑)思ってください。
 それにしても・・・ねえ、「億」だって。財産って、なんでしょうね。
 何か活動するために金が要る。そりゃあそうだ。生きてくためには金が必要。そうです。働かなければならない。それもそうです。われわれは、どうしても金が必要。何かするために、そして自分を守るために、「財産」っていうものが、どうしても必要。
 「どうしても必要」・・・なんだけれど、もしも、それ以上に必要なものがあるって知っちゃったら、人って、変わるんですね。
 たとえば、今日の福音書の箇所を読んで、「金持ちが神の国に入るのは、なんと難しいことか」(cf.マルコ10:23) なんて聞いてね、「じゃあ、財産を手放さなきゃならないな」とか、「もっと質素に暮らさなきゃならないな」とか、「じゃあ、貧しい人にもっと寄付しなきゃならないな」とか、ともかく「何かしなきゃならないな」っていう気持ちになるとしたら、ぜんぜん、それは聖書を読んでることにならないですね。
 これ、「しなきゃならないな」の話じゃないんです。「永遠の命の喜びを知っちゃったら最後、たとえ何億あっても砂に等しい、泥に等しい、そう思っちゃうよ」っていう話なんです。
 だから、それが分かってないこの若者に、イエスは慈しみのまなざしを向けます(cf.マルコ9:21)。それはこう、「お前はそれじゃ救われない。すべて手放さなきゃならないのだ」っていう厳しい目じゃない。
 「あなたはまだ、永遠の命の素晴らしさ、神から与えられる美しい恵みそのものである、このわたしの素晴らしさ、それをまだ知らない。目の前にいるのに、見ていない。このわたしについて来れば、これ以上ないっていう最高の神の国が見れるのに・・・。あなたの中に、それを求め、それを受け入れる力がちゃんとあるのに、まだそれが働いていない・・・。まあ、今はまだ若いから、これからね。だ〜んだんでいいよ」みたいな、そういうまなざしなんですね、イエスさまの、この慈しみのまなざし。
 イエスのまなざしは、その人の一番奥を見ています。
 これ、「見つめて言われた」ってありますけど(cf.マルコ10:21)、「見つめる」っていったって、相手の顔を見つめてるんじゃないんですね。ギリシャ語原典で、この「見つめる」は、「中を見る」っていうことです。イエスは、その人の中、その人の一番奥を見る。その人自身も知らない一番奥に神を知る力があること、それがまだ発揮されていないことをちゃんと見てるんですよ。
 だから、ある意味この若者に対しても、安心してるんですね。この人も、やがて本当に神の愛を知り、神に愛されていることを知ることが最高の財産であり、それを知ったら他のものは砂粒、泥に等しいと、そう気づくときがだんだん来るよっていうことを、イエスはちゃんと見ておられます。

 第2朗読(※8)なんか、すごいですよ。
 「神の御前(みまえ)では隠された被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです」(ヘブライ4:13)
 何も隠しようがない。神は、すべてを(・ ・ ・ ・)見てます。
 その人の弱さ、自分で自分を救えないその限界、最高の恵みを知らないその現実を見ます。
 と同時に、ご自分がお与えになった救いの恵み、それに目覚めていく力が、すべての人の内にちゃんと備えられていることも、神さまは、しっかりと見ておられます。
 ・・・私たちが見てないんですよね、自分の弱さと、自分の中にある恵みの世界を。
 やがて、ホントに神さまのみ前に出て、私たちは、すべてを神さまにお委ねしなければなりませんが、今、ここでですね、神さまの愛に目覚めて、「ああ、私はホントに救われてるんだ」という、その救いの日の先取りをしなければ、この試練の世を生きてくこと、できないじゃないですか。
 財産、財産っていうけれど、それを、「キリスト者はもっと清い生活をし、手放さなきゃならないな。そんなこと、俺にはできないなあ・・・」なんて思ってるとしたら、そういう思いでいるうちは、「まだ、本当に神の国の喜びを知らない」っていうことだけなんですから、今からでも、少しずつ知っていきましょうよ。

 「リベラルアーツ」の研修会ってのがあって(※9)、去年もそこに行ってお話ししましたけど(※10)、超一流企業のエリートたちで、やがてリーダーになっていく人たちを養成する研修会ですね。もう、何十万円もする研修会なんですよ。会社がお金を払って、養成したい人を送り込んでくるんですよね。有名な一流企業です。私もそこの商品にはお世話になってます、みたいな。そんな一流企業の人たちを前に、私はお話をするわけです。
 「リーダーたる者、かくあるべし」みたいな、そういう研修なわけですから、私はもう、世界で最も大きなチームである、12億人というカトリック教会の、そのトップ、リーダーが、どのような人であるか、どのようなリーダーシップをとり、どのように尊敬されて、どのように実りをもたらしているかという話を、・・・まあ、お分かりでしょ? (笑) 意気揚々といたしましたよ。
 事実、ローマ教皇フランシスコの話をすればね、これ以上のリーダーはいないんだから、「これに見習え」っていう話ですよね。で、まあ、あの方の範を垂れるね、まず自分からやるとか、一番小さなところ、一番弱いところを大切にするとか、それこそがチーム全体を生かすものだ、みたいな話を夢中になってしました。まあ、その手の話はお手の物ですから。
 みんな目を丸くして聞いてましたけど、質問コーナーでね、まあ、これも正直な質問ですけど、ある方が聞いたんですよ。
 「お話はよく分かるし、感動いたします。しかし、企業には『利益』という神がいる」と。
 要するに、企業はこの「神」に従わなきゃならない。利益を上げなければ、もう、これは、企業としてやってけないんであって、「弱い人のため」とか、「小さな者を受け入れる」なんてね、言ってる場合じゃない現場がある。そんな中で、どうしたらいいでしょうっていう質問。
 だから私はもう、即答いたしました。
 「あなたが今言っている『利益』っていうのは何ですか? ホントの利益って、考えたこと、ありますか? 上半期の利益だの、この部署の利益だの、今の役員会の利益だの、それを利益っていうなら、それは、その場では利益だ。でも、ホントの利益は、もっと先にあるはず。もっと広く大きく、もっと超越的な利益があるはず。その利益のための、今の利益なんじゃないですか?」と。
 実際、上半期の利益を目標通りに上げるために、丸一つ増やして報告しちゃいましたなんてことがありますでしょ。・・・どこの電機メーカーの話っていうわけじゃないですけど、(笑)そんなことしたら、会社、つぶれちゃうわけですよ。会社がつぶれちゃったら、利益も何もないじゃないですか。それ、ホントに利益を求めたことになるんですか?
 さらには、つかの間、会社が栄えたとしても、やがて時代が変わり、本当に人々が幸いに生きていくために、みんなが奉仕して、この社会を成り立たせていくっていう時代が来たときには、もはや、ただ競争でね、「隣よりもゼロが多い。それが利益だ」っていっているようなことは、もう成り立たなくなる。「今の、この現場での利益」「今の、この短い時間の利益」、そんなものを求めているようでは、真の利益につながらない。
 たくさんの財産を持っているから、悲しみながら肩を落として去っていった、この一人の若者、彼にとって、やがて「真の利益」に目覚めるプロセスが始まったんでしょうね。イエスさまは、この人が、やがてそれを見つけていくことを知っています。
 ・・・中を見てるから。
 必ずこの人も見つけられる、と。この人が後のマルコだとかね、言われたりもしてますけれども、この人、間違いなく、やがて、イエスの弟子になったはず。まだ、二十歳そこそこでは混乱の中でしょうけれども、やがて見つけていくはず。

 先週、お話しした若い彼が、今日、来てくれました。ありがとう。
 あなたの話をしたんです、先週。精神科に入院してるあなたが、私が面会に行ったら4人の仲間を連れて来てくれたっていう話を、先週したんですよ、実は(※11)。すいませんね、本人がいないと、いろんな話をされちゃってるわけですけど、(笑) 今日は外出許可ですか? ああ、まだ入院中なのね? ・・・外出許可をもらって来てくれたんですね。
 4人のお友達を、私に会わせるために、喫茶コーナーまで連れて来てくれたこと、ホントにうれしかったんですよ。だから、先週の説教で、みんなにも報告しました。
 今日、あなたは入院中なのに、永遠の命の喜びを求めて、ここに来ました。その求める心がすべてです。今日、ここで、この話を聴いているあなたには、「知恵」があります。この世の、どんな大企業のリーダーよりも、知恵があります。
 神の愛を知る、
 「神に愛されている」という喜びを知る、
 この知恵に勝る富は、この世界にありません。
 それを知っているあなたは、この世で、大金持ちですよ。
 「この世で、最高の恵みを得ている。そして(のち)の世では、永遠の命を受ける」(cf.マルコ10:30)
 ・・・そんなイエスさまのお約束を聴いて、今日は安心して病院にお帰りください。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1:「この教会に来て半年後のことでした」
(参考)
・ 「親父代わり」(「福音の村」2012年10月7日説教)
  >>> 説教一番下の段落をお読みください。その時の様子が語られています。
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※2:「今日読んだマルコの福音書」
本日(2015年10月11日〈年間第28主日〉の福音朗読箇所)
 マルコによる福音書10章17〜30節、または10章17〜27節
  〈小見出し:「金持ちの男」10章17〜31節から抜粋〉
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※3:「マタイ福音書では、『若者』だったと、そうありますね」
本日の福音朗読箇所(「※1」参照)の並行箇所は、
 ・ 「マタイによる福音書」19章16〜30節 (小見出し:「金持ちの青年」)  
 ・ 「ルカによる福音書」 18章18〜30節 (小見出し:「金持ちの議員」)
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※4:「ルカの福音書では議員だったとある」
この場面に出てくる同じ人を、各福音書では、以下のように呼んでいる。
マルコによる福音書」(小見出し:「金持ちの男」)
  「ある人」(17節)、「彼」(20節、21節)、「その人」(22節)
マタイによる福音書」(小見出し:「金持ちの青年」)
  「一人の男」(16節)、「男」(18節)、「この青年」(20節)、「青年」(22節)
ルカによる福音書」(小見出し:「金持ちの議員」)
  「ある議員」(18節)、「議員」(20節、24節)、「その人」(23節)
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※5:「第1朗読」
本日(2015年10月11日〈年間第28主日〉の第1朗読箇所)
 知恵の書7章7〜11節
  〈小見出し:「知恵の値打ち」7章7〜22節から抜粋〉
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※6:「チャンスセンター」
◎チャンスセンター
 宝くじ売り場のこと。多くがこう呼ばれている。
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※7:「『宇部といえば、有名なチャンスセンターがありますね』(中略)何億っていうのが次々当たるチャンスセンター」
 山口県宇部市の「宇部琴芝チャンスセンター」。メディアでもよく取り上げられるとのこと。
 当選実績は、「ジャンボ宝くじ」で、以下ととおり。
  2009年年末ジャンボ宝くじ: 1等×2本、2等4本で、合計6億円、
  2010年年末ジャンボ宝くじ: 1等1本
  2011年年末ジャンボ宝くじ: 1等(2億円)、前後賞(5千万円)合せて3億円
  2012年ドリームジャンボ宝くじ: 1等1億円
  2012年年末ジャンボ宝くじ: 2等3000万円 など。
(参考動画)
・ 「宝くじ奇跡の売り場に年末大行列。山口県宇部市『宇部琴芝チャンスセンター』」(YouTube)
(参考)
・ 「宇部琴芝チャンスセンター」(「LOTO6マニア」)
・ 「宝くじ当てるならここへ行こう! 宇部市の当選確率が凄すぎる!」(NAVERまとめ)
・ 「ふるさと納税」お礼はなんと『7億円』!…が当たるかもしれない宝くじ―山口県宇部市」(NAVERまとめ)
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※8:「第2朗読」
本日(2015年10月11日〈年間第28主日〉の第2朗読箇所)
 ヘブライ人への手紙4章12〜13節
  〈小見出し:「神の民の安息」3章7節〜4章13節から抜粋〉
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※9:「『リベラルアーツ』の研修会ってのがあって」
 「リーダーのためのリベラルアーツ講座」といい、「一般社団法人 日本能率協会(JMA)」の教育教育機関、「JMAマネジメント・インスティチュート」が主催している。
 将来の幹部候補や、ビジネスリーダーとしての活躍が期待される人などを対象に、「哲学・歴史・思想等に触れて、ものの見方、考え方を豊かにし、他社、他者との対話や思考を鍛錬することを通じて、リーダーとしての必要な要素を醸成する」のが目的で開かれている講座。(「コース概要」より )
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 晴佐久神父はその中の1回を担当し、セッションテーマは「宗教・社会」。
 他、この講座では、「リベラルアーツを学ぶ意義」「哲学」「世界と日本」「日本文化」「日本人の価値観」・「歴史」「国際社会」「人間学」「大局観」などのセッションテーマがある。
講師には、株式会社ニチレイ相談役の浦野光人(うらの・みつど)氏、東京医科大学哲学教室教授の西研(にし・けん)氏、東京大学名誉教授で政治学者の姜尚中(かん・さんじゅん)氏、国際日本文化研究センター名誉教授で宗教学者の山折哲雄(やまおり・てつお)氏など、各界を代表するような著名人が講師として招かれている。
(参考)
・ 「第3期 リーダーのためのリベラルアーツ講座」(JMAマネジメント・インスティチュート
   >「コース概要」「プログラム」「パンフレット(PDF)
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※10:「去年もそこに行ってお話ししましたけど」
(参考)
・ 「神さまは意地悪か?」(「福音の村」2014年10月5日説教)
  >>> 説教上から2段落目(この辺〜)をお読みください。
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※11:「精神科に入院してるあなたが、私が面会に行ったら4人の仲間を連れて来てくれたっていう話を、先週したんですよ、実は」
・ 「神さまと懐かしく交わる」(「福音の村」2015年10月4日説教)
  >>> 説教最後の段落(この辺〜)をお読みください。
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2015年10月11日 (日) 録音/2015年10月18日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英