私は今年、もう少し優しくなります

2015年1月4日「主の公現」
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ60・1-6)
・第2朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ3・2、3b、5-6)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ2・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 いいお正月でしたでしょうか。のどかな三が日をお過ごしになれましたか。私は、なんだかやることがいっぱいあって、ちょっとお正月っぽい感じがしなかったですが。
 でも、毎年恒例の箱根駅伝(※1)は、大好きですから、きっちり、2日、3日と見ましたよ。ああ、お正月って感じでね。今年は、観戦ガイドブックっていうデータ満載のやつまで手に入ったので、各選手のデータなどを分析しつつ、(笑) 夢中になって見ました。
 青山学院大学、強かったですねえ。ああいう明るいチームも、気持ちいいですね。デッドヒートも面白いけど、笑顔でぶっちぎりで、気持ちよかった。箱根駅伝、今年で91回目なんですけど、たぶん、キリスト教系大学の優勝は初じゃないですかね。まあ、そこはひいき(・ ・ ・)目というか。(笑) 他にね、仏教系の駒澤大学とかね、神道系の國學院大學とか参加してましたけど、ついつい、「青学がんばれ!」ってね、ひいきしちゃいました。日ごろ、普遍主義だとか言いながら、(笑) どうかっていう気もしますが。・・・ともかく、さわやかで楽しいレースだったと思う。

 駒大と青学の逆転劇がカギでしたね。駒大は、4区まではトップだったんですよね。だけど、5区(※2)、山登りで逆転されて。
 ・・・あれも不思議な競技ですよね。往路は最後、山登りさせるんですから、小田原から芦ノ湖まで。小田原が標高10メートルで、国道1号の最高点が874メートルっていうんだから、おおよそ860メートル以上駆け上る。 高尾山(※3)が600メートルありませんからね。 しかも、登山口は結構高い標高から登るでしょ。たぶん、高尾山二つ分くらい走り登るって感じだと思いますよ。
 それをね、青山学院の「新・山の神」(※4)神野大地(か み の だ い ち)くん(※5)()さまの()原に、()きな()面って書くんですよ。「神の大地」なんて、もう、創世記かっていうような、(笑) 名前ですけど、これがすごい小柄でね。トットコ、トットコ登ってくんですよ。腕をこんなに元気に振って、まるで平地走ってるみたいに。次々追い抜いてってね~。以前の、東洋大学の柏原くん(※6)の記録も抜いて、今まで最速。いやあ、あの5区を1時間16分十数秒でしたか、・・・考えられない。驚異的というか、新時代が訪れたっていう感じで。また、さわやかな顔で走り切って、ケロッとしてるんですよね~。神野くんのこの活躍もあって、その後、青山学院はトップのまま大手町に戻ってまいりました。

 優勝候補だった駒大にとっては、あの山登りは、逆にね、かわいそうでした。
 馬場くん(※7)、・・・馬場翔大(しょうた)っていう選手が、途中で低体温症になったんですね。確かみんなTシャツ着てる中で、彼は肩出してた記憶がありますけど、なにしろ前日の雪が残ってる山でね、標高800メートルですから、下から登っていったら、一気に冷たかったんだと思う。で、体温を奪われて、意識がもうろうとなり、フラフラする。しまいに転ぶ。・・・見てられなかったですよ。最後の1キロ、フラッフラでね、スピードも全然出ないし、後ろで監督さんが乗ってる車から、「だいじょうぶだ! 必ず行ける!!」みたいに励ましてるんだけど、もう痛々しくってね。だけどこれ、棄権できないんですよ。個人競技だったら棄権するとこですね、当然。でも、たすきをつながなきゃならないから。
 今まで4人走ってきた。これからあと、5人につなぐ。いや、それどころじゃない。駒大なんていったら、今まで何十年も、何百人も走ってきた。それがずっとつながっているのを、伝えてかなきゃならない。やめるにやめられない。痛々しいというか、手に汗握るとは、このことでしょう。ホントに蛇行してるんだもん。フラフラ、フラフラ。最後の芦ノ湖の、往路のゴール直前なんか、何度も地面に手をつくんですよ。みんな励ましてましたけど、本人はもう、何も聞こえてないでしょうねえ。ああなったらもう、ただ本能みたいな感じで、ヨロヨロ、ヨロヨロってゴールに向かう。
 見てる方もね、「もういいよ、死んじゃうよ。そこまでがんばらなくていいよ」っていう気持ちと、ここで棄権しちゃったら、この彼は生涯そのことを悔いるだろうと思うと、「ともかくテープのとこまで行ってくれ」っていう気持ちと、もう両方でね。・・・ああいうの、ドラマですね。まあ、見てる方はね、あったかい部屋でぬくぬくと、お餅かなんか食べながら低体温症を励ましてるわけですけど。

 ともかく、感動しました。駅伝の面白さってね、改めて思ったんですけど、やっぱり「伝える」っていうところにあるんですよね。ああいう、順に伝えていく競技、他にないんですよ。結局は個人競技でしょ、みんな。自分が練習して、自分が責任を負って、自分が結果を出す。
 サッカーみたいな団体競技っていうのもあるけれど、全員同時に戦ってますしね。体操団体とかだって、個人競技を合わせたようなもんでしょ、点数を最後足すっていう。まあ、水泳の団体メドレーがあるけど、一瞬の勝負で、「伝える」って感じじゃない。
 あの「駅伝」っていう競技は、私は面白いと思う。個人じゃないから。何かを伝えてかなきゃならないっていうことの、本質的な感動があるんですよ。
 変な競技っていったら変な競技ですよ。往路100キロ、復路100キロ、5区ずつに分けてね、10人で往復して山登って下りてきますってだけです。だけど、なんかすごく原始的な感動があると思う。最近世界でも有名になって来ていて、「EKIDEN」っていうのが、世界中で通用するようになってるようですけど、それこそ、オリンピック競技にしたらいいんじゃないですか。日本なんかは、ああいう「たすきをつなぐ」みたいなの、お家芸で強いんじゃないかなあ。

 「大切なものを伝える」・・・。
 去年も、このお正月の説教でね、「たすきを伝える」っていうことで、「信仰を伝えよう」っていう話をしたのを思い出しますけれど(※8)、われらがキリストの教会は、「伝える」宗教ですからね。
 では、伝えてる信仰とは、何か。
 第2朗読(※9)でですね、パウロが、「ついにキリストにおいて、秘められた計画が現れた」(cf.エフェ3:3b)と。今日、ご公現の主日(※10)ですから全世界でここが読まれるんでしょうけど、神さまの秘密が、ついに人類に現れた、と。何が現れたのか。これはもう、この箇所の最後にありました。
 「すなわち、異邦人が」・・・まあ、つまりは「全世界すべての人」ですよ、
 「人類すべてが福音によって」、つまり、「神の愛による救いの(わざ)によって」、
 「キリスト・イエスにおいて、約束されたもの」、つまり、「神の国」「永遠の命」「神さまと一つになる喜び」、それを、
 「一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となる」、
 こんな究極の神の愛が現わされた。(cf.エフェ3:5-6)
 ・・・これを伝えてるんです。これはもう伝えなきゃならないでしょう、最高の福音を。
 私たちがこうしてミサを捧げているのも、それを伝えるためでもあるんですね。皆さんは一人でミサに与ってるわけじゃない。無数の先輩たちが二千年間、伝え続けてきたんだから。・・・すごいことですよね。
 駅伝と同じ日に、奈良のお祭りの番組やってましたけど、1300年伝わっている世界文化遺産だとかって話でしたが、それ言うんだったら、カトリック教会のこの「感謝の祭儀」、ミサなんか、世界文化遺産じゃんって思いましたよ。二千年、ほぼおんなじことをず~っと続けてきて、今も受け継いで、こうしてみんなで守ってるんだから。ただそれは、単に「儀式」を守ってるんじゃないんです。儀式を守ることで、「福音」を守ってるんですね。福音を、後々に伝えようとしてるんです。
 「み~んな、神の愛の中を生きてるんだ」
 「もう、キリストにおいて、すべての人に救いが及んでるんだ」
 「だから、あなたは、泣きながらでも幸いなんだ」
 「そんなに苦しんでいるけれども、こんなにつらいけれども、神の愛を信じてほしい。あなたは救いの恵みに与ってるんだ」
 そんな福音を、なんとか伝える。それはもう、「たすきをつなぐ」どころじゃない。私たちがこの手にご聖体を握りしめるのは、それを伝えるためなんです。これは、「ここで棄権」っていうわけにいかないんですよ。フラフラでも倒れてでも、伝えてかなきゃ。殉教者たちなんかは、命がけで伝えたわけですからね。
 この「伝えていく」っていうのには、感動があるし、使命感があるし、やりがい、達成感、「それになら命を捧げてもいい」というような、生きる満足感がある。私たちは、それを持っているんです。・・・その「たすき」をね。これはうれしいことでしょう。次の世代に福音を伝えるために、何ができるか。どんな奉仕ができるか。神さまの愛を、次の世代に、ちゃんと伝えていくために、チームで訓練し、個人技を磨く。
 まあ、それで言うなら、ミサはその中心ですけれども、日々やらなきゃいけないことは、毎日毎日、愛と優しさを実践すること。それによって、次の世代に伝えていく。・・・これが使命でしょうねえ。

 昨日、私の30年来の友人が、作曲もする友人ですけど、曲のプレゼントを送ってきたんですよ。おっきな封筒に楽譜を入れて。「この曲を神父さんにお捧げします」なんつってね。私は、楽譜見ても、どんな曲なのかよく分かりませんけれど、うれしかったですよ、その気持ち。で、手紙にいろいろ書いてあったんですけど、ある一節がすごく心に響いたんです。
 「今年は、ますます小さくなって、狭き門をくぐり抜けることができるよう祈ります」
 「約束された復活の栄光を忍耐強く待ちたいと思います」
 そう書いてあった。・・・こういうことを書くやつなんですよ。それだけ頑張ってるんです。
 というのは、20年くらい前に、心の病を発症してから、ず~っともう、ホントに忍耐強く闘病生活を続けていて、まあ、その忍耐たるや、「こいつはこう言っていいだけの資格あるな」って言えるだけの忍耐強い日々を送ってきました。「約束された復活の栄光を忍耐強く待ちます」って、お前が言うことが、どれほど尊いか・・・。だって、そう思えるような闘病生活を続けてきてるんです。その彼が、「今年は、ますます小さくなって、狭き門をくぐり抜けることができるよう」って。・・・私、すごく、教えられた。
 ・・・「狭き門をくぐり抜ける」って、分かりますね、マタイの7章です(※11)。イエスさまがみんなに言うんですね。
 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は広く、その道も広々して、そこから入る人が多い。命に至る門は何と狭く、その道はどんなに細いことか。それを見出だすものは少ない」(cf.マタイ7:13~14)
 そう言うんです。まあもっとも、この「滅び」というのは、「永遠の滅び」というよりは、その「狭き門」を見つけられない者の闇の状態のことを言ってるんですけれども、いずれにしても、イエスさまは、「狭い門から入れ」って言う。じゃあ、その「狭き門」っていうのは何かって言うと、もちろん、まことのいのち、神の国に至る門ですけれども、その直前で、イエスさまはこうも言ってるんです。
 「自分がしてほしいと思うことは何でも、人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(cf.マタイ7:12)
 つまり、「愛」の話なんです。「優しさ」の話なんです。「自分がしてほしいと思うことを、人にもしなさい」という、愛の普遍性のこと。そう言った後で、「狭き門から入れ」って言ってるんです。「自分がしてほしいと思うことを、人にもする」。・・・「愛」ですね。「優しさ」ですね。この「優しさ」は、簡単なようで、難しい。まず相手のことを思うっていう普遍主義は、狭き門なんです。
 それに対して、ついつい、「自分がしてほしいと思うことを、人にさせる」みたいなこと、すなわち「押しつけ」や「裁き」の方向に流れてっちゃうんですよ。自分の主張ばかりで相手のことを考えていない原理主義、これが「広々した道」で、みんなそっちにいっちゃう。
 そんな中、「自分のことは置いといて、この人のために何かしよう」とか、「今、自分は忍耐して、この人に優しくしよう」とか、そんな思いがいかに尊いか。それこそは、すごく狭い道です。・・・できそうで、できない。「毎日10回チャレンジして、9回負けてます」みたいなことを、われわれ、いつもやってるんですよ。実は、毎日の「狭い門」なんですね。そこをなんとか1日1回でもくぐり抜けて、命の喜びに至る、その幸いの道を歩んでほしいっていうのが、イエスの思い。友人は、その思いをすごく分かっているからこそ、自分も愛を生きる「狭き門」をくぐりたいと書いたんでしょうけど、それにあたって、彼はこう言うんです、「今年はますます小さくなって」。
 これに、ぼくはすごく教えられた。つまり、彼は狭い門をくぐるために「小さくなって」くぐりたいって言ってるんです。言われてみると、そうなんですね。狭いんだから、小さくならないと入れないんですよ。大きな自分のままじゃ、通れない。自分がやりたいことやって、自分が大きな存在になって、自分が偉くなって・・・とかってやってるとね、それこそ、ヘロデ王みたいなものでしょう。どんどんデカくなっておきながら、狭い所くぐろうったって無理。入りたかったら、削らなきゃなんない。「自分はこうしたい」「ああでなきゃならない」「もっとこうしてほしい」、・・・そんな、いろんな自分の欲望を、一つ、また一つと削ってかないと、通り抜けられないんじゃないの?
 どうですかね、皆さん。心、肥満してません? お正月太り、だいじょうぶですか? クリスマスにケーキ食べ、年末は年越しそばを食べ、お正月はお餅を食べ。・・・たぶん、2.2キロくらい、(笑)増えてると思いますよ。もし、黒豆と伊達巻(だてまき)と栗きんとんも食べてたら、2.8キロ。(笑)
 どんどん膨らんでいくと、くぐれなくなるんです。これ、体のことだったら、見れば分かるし、量れば0.1キロでも分かる。だけど、心は見えないし、量れないから、ものすごいことになってるんじゃないですか、巨体になって。心が見えたなら、この聖堂が相撲部屋みたいだったら、(笑) どうします? 巨体のまま「狭い門から入りたい」って言ったって、それじゃ入れないよって話。削っていきましょうよ。
 ・・・身軽になる。そうしないと、優しくもなれないし、喜びもない。優しくなろう、なろうって、自分の欲求はそのままで、そう「なろう」としても無理なんだって、私、この一文で、ハッと気づかされた。あいつに、「ますます今年は小さくなって」って言われると、頭下がるというか。彼は、ぼくなんかより、ず~っと先の細い道を、自分を削りながらせっせと登ってるんです。「約束された復活の栄光」に向かって。

 あの神野大地くんなんかね、43キロですってよ、体重。データブック見たら、ほとんどの選手が50キロ台なんですよ。たま~に40キロ台もね、数えるほどはいるんだけど、みんな40キロ台後半で、もう全エントリー選手の中で・・・走ってない選手も含めてですよ、1番軽かった。・・・身長164センチで、体重43キロ。で、トットコ、トットコ。
 考えてみたら、そうですよね。だって、軽いぶん楽ですから。高尾山に子どもたちと登ったときなんか、「あ~、もうすぐ頂上だ!」なんてとこになると、さっきまで、「まだ~? 疲れた~」なんて言ってた子たちが、「わ~い!」って走って登りますもんね。軽いから、簡単なんですよ。
 神野くん、高校時代は30キロ台で、どんなズボンもサイズが合わず、ベルトで縛るようにして恥ずかしかったそうですけど、でも、そういう身軽さが、さわやかに登る秘密なんですよね~。彼の言葉ですけど、「ぼくはたった43キロしかないけれど、53キロの選手たちは、10キロのダンベルを余分に持って走ってるようなものだから、意に介さない」って。
 ・・・なんかこう、今の自分に余分に付け加えていく話じゃなくって、軽くなる話がいいですよね。軽くなれば、自然に優しくなるんです。でも、なかなか私たち、自分が重いって気づかない。気づけない。

 1月1日の説教(※12)でも、「今年は優しくなろう」って申し上げましたし、その後の信徒館での新年のパーティーの席では、皆さんに実際にそう宣言してもらったんですよね。いつものようにその場の思い付きで、なんか変なことさせちゃいましたけど、乾杯の音頭とってくれって言うから、「毎年毎年、何も変わらずに、なんとなく乾杯するんじゃなくって、今年は優しくなるんだって、決意してちゃんと宣言してくださいよ」ってことで、「『私は今年、もう少し優しくなります!』、さあ、そう言ってください。そう言ったら乾杯します」。で、「さん、ハイッ!」って言ったら、みんな、渋々かどうか知りませんけど、(笑) ちゃんと声を合わせて言ってくれました。
 ・・・ちょっと、ここでも、やっときましょうか? 「私は、今年、もう少し優しくなります!」ですよ。優しくなりたくない人は、言わなくていいです。(笑) ・・・いきますよ、さん、ハイッ♪
 (会衆全員で)「わたしは、ことし、もうすこし、やさしくなります!」
 あ~あ、言っちゃったね。(笑) ・・・優しくなりましょう。「もう少し」でいいから。

 ただね~、いくらそれを言ってもね、狭き門なんです。
 そのパーティーの後で、前日のカウントダウンの時の年越しそばの残りをみんなで食べたんですけど、そば食いながら、ある夫婦がね、おもしろかったんですよ~。どうやら妻が旦那に、なんだか文句があるらしいんですね。で、旦那に何か言ってるんですけど、旦那もボソボソ言い返したりして。そしたら、妻がこう言ったんです。
 「さっき、神父さまに言われて宣言したでしょう? 『私は今年、もう少し優しくなります』って言ったじゃない!」
 私、もう、思わず妻に突っ込みました、「お前がなれ!」って。(笑)
 ・・・気がつかないんですよ。自分もそう言ったっていうこと。これが「広い道」、原理主義なんです。結局相手に要求するばかりで、自分が削って小さくなる道に気づかない。ほんと、「狭い門」っていうのは、狭いんです。みんな、まず自分のことしか考えないから、気がつかない。自分がいかに滑稽(こっけい)なことしてるかさえ、気づかない。

 もう少し目覚めて、身軽になって、狭い道を、トットコ、トットコ、登っていきましょう。身軽だったら、登れますよ。軽ければ、天国、すぐそこですよ。トットコ、トットコ、今年、優しい心でどこまでも登っていけたら、気持ちいいんじゃないかなあ。


【 参照 】(ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがありますので、ご了承ください)

※1:「箱根駅伝」
 「東京箱根間往復大学駅伝競走」の略。
 今年(2015年)は第91回
 例年、1月2日と3日の二日間にわたって行われる、大学駅伝の競技会。1987年、日本テレビが全区間の生中継を開始後、正月の風物詩となった。
  ☆ 主催: 関東学生陸上競技連盟/☆ 共催: 読売新聞社
  ☆ 参加数: 
   ・ 出場校( 20校〈 20チーム 〉
     ・・・関東学連加盟校のうち、
        前年大会でシード権を獲得した大学10校+予選会を通過した大学10校
   ・ 関東学生連合チーム1チーム )・・・オープン参加(2015年以降の編成)
   ・ 関東インカレ成績枠( 1チーム
     ・・・ 第95回(2019年)以後の5年ごとの記念大会では、
        関東学生陸上競技対校選手権(関東インカレ)5年間の総合成績の累計が
        最も多い大学に出場権が与えられる。
  ☆ コース: 
   ・ 東京都千代田区大手町・読売新聞東京本社ビル前と、
      神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖の往復。=中継所(鶴見、戸塚、平塚、小田原)=
   ・ 東京⇒箱根〔往路/1区〜5区〕107.5km、箱根⇒東京〔復路/6区〜10区〕109.6km、計217.1km。
   ・ 1月2日に往路、3日に復路を、各チーム1区間1名ずつの競技者で走る。
(参考)
・ 「東京箱根間往復大学駅伝競走」(ウィキペディア)
・ 「箱根駅伝公式Webサイト
・ 「第91回箱根駅伝」(日本テレビ)
・ 「箱根駅伝
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※2:「5区」
 往路(1月2日)の最終区間。小田原中継所から芦ノ湖までの23.2キロ(最長区間)。
 俗に「山登り(山上り)の5区」と呼ばれている。標高差864mを一気に駆け上がり、最後の4.5キロは逆に下るという難コース。
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※3:「高尾山」
 東京都八王子市にある標高599メートルの山。
 東京近郊で交通アクセスもよく、登山道も整備され、ケーブルカーやリフトなども利用できることから人気があり、高尾山総合案内によると、年間登山者数は約260万人を超え、世界一を誇っている。
 山の中腹(標高470メートル付近)までは、ケーブルカーやリフトで登ることができる。
(参考)
・ 「高尾山」(ウィキペディア)
・ 「高尾山公式ホームページ」(高尾登山鉄道)
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※4:「山の神」
 第81回(2005年)、5区走行の順天堂大学、今井正人選手が、山登りで11人抜きを達成した際、「山の神が降臨しました」と実況された。これは当時同じ5区を担当した日体大の北村聡選手が、「今井さんは神様のような存在」と言ったことに由来する。
 その後、第85回(2009年)、同じく5区の柏原竜二選手が、今井選手を越えた区間新記録を出し、「山の神を越える山の神童がここに誕生」と言われ、さらに第86回(2010年)で自己記録を10秒縮め、2位に3分38秒差を付けて、「新・山の神」と呼ばれるようになった。
 今年(2015年)、第91回からの新コースでは、青山学院の神野大地選手が、さらに24秒上回るタイムで完走。3代目「山の神」となった。
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※5:「神野大地くん」
 青山学院大学3年。箱根駅伝5区の走者。1位の駒大に46秒遅れて小田原中継所をスタート。10キロ過ぎでトップに躍り出る。ハイペースのまま、1時間16分15秒のタイムで登り切った。
 5区で区間新記録の区間賞、同時に、MVP(金栗賞)も獲得。
(参考)
・ 「第91回箱根駅伝往路 (1月2日)」(スポニチ)
・ 「箱根駅伝 雑学」 (箱根駅伝)
・ 「神野大地のwikiと彼女について!白鷺の姉御と中学は?」(「一歩抜きん出る生き方」個人ブログ) ほか
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※6:「東洋大学の柏原くん」
 柏原竜二選手。東洋大学OB。在学中、箱根駅伝5区を走り、順天堂OBの今井正人選手の初代「山の神」に続き、2代目「山の神」とされ、有名になった選手。
 東洋大学の往路4連覇に大きく貢献した。大学1年からの4年間連続で、山登りの5区に出場し、4年連続で区間賞、そのうち3回は区間新記録。
 柏原選手の区間記録最速のタイムは、1時間16分39秒。(2012年)
(参考)
・ 「柏原竜二」 (ウィキペディア)
・ 「柏原竜二」 (ニコニコ大百科)
・ 「箱根駅伝 雑学」 (箱根駅伝) ほか
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※7:「馬場くん」
 馬場翔大選手。駒澤大学2年。箱根駅伝5区の走者。
 「力みがあった」と解説された馬場選手。首位でたすきを受けたが、10.5キロ過ぎで青学の神野選手に抜かれ、その後は低体温症になって、22キロ手前で急速にペースダウン。明大に抜かれ3位となり、22.7キロで東洋大にも抜かれ4位に後退。
 ゴール直前では足が止まり、両手をつきながらも懸命に前に進み、足をふらつかせながらゴール。青学には7分25秒遅れる結果となった。
 「ランニングシャツで挑んだのが裏目」と報じられている。
(参照)
・ 「【箱根駅伝】「強すぎる」青学大はこうして生まれた」 (web Sportiva)
・ 「速報【箱根駅伝】2位は明大! 駒大がまさかの4位後退」(スポーツ報知)
・ 「【箱根駅伝】駒大・馬場ランニングシャツが裏目で失速」 (livedoor News-東スポWeb) ほか
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※8:「去年も、・・・思い出しますけれど」
 昨年(2014年1月5日〈主の公現〉の説教、「決して冷えさせてはならないもの」をお読みください。
 該当箇所は、上から4段落目からです。)
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※9:「第2朗読」
 本日(2015年1月4日〈主の公現〉)の第2朗読箇所は、
  エフェソの信徒への手紙3章2節、3b節、5~6節。
   〈小見出し:「異邦人のためのパウロの働き」より抜粋〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※10:「今日、ご公現の主日ですから」
◎「公現の主日」既出
 「公現の主日」は「公現の祭日」ともいわれる。この日は、キリストの人類への顕現の秘儀を祝う祭日で、本来、1月6日に祝われる。しかし、日本のようにキリスト教国でない国では、1月2日から8日までの間の日曜日に移して祝われている。
 エジプトで冬至に当たる1月6日に祝われていた太陽神の祭りやナイル川での祭りに起源があるとされる。
 2~3世紀から、この日にキリストの降誕、洗礼、カナの婚礼などを記念するようになった。
 4世紀以降、西方教会と東方教会(正教会)との間の交流が進み、12月25日に主の降誕を祝う西方教会の習慣が定着すると、東方教会でもこれに従うようになった。
 西方教会では東方教会の影響を受けて、1月6日を全世界に対するキリストの顕現を記念する日とし、イエスの洗礼とともに東方3博士の来訪(マタイ2:1-12)を記念することが一般的となった。
 また、8世紀には、その8日目にイエスの洗礼を記念するようになった。
(参考)
・ 「公現の主日」(『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
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※11:「『狭き門をくぐり抜ける』って、分かりますね、マタイの7章です」
 「マタイによる福音書」7章13~14節
 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」
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※12:「1月1日の説教」
該当(2015年1月1日〈神の母聖マリア〉)の晴佐久神父の説教は、
 「ほんの一瞬の優しさで」(「福音の村」)でお読みになれます。
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2015年1月4日 (日) 録音/2015年1月10日掲載
Copyright(C) 2011-2015 晴佐久昌英