本気で誘えば本当に来る

2016年2月28日 四旬節第3主日
・第1朗読:出エジプト(出エジプト3:1-8a、13-15)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント10・1-6、10-12)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ13・1-9)

【晴佐久神父様 説教】

 この園丁は、「それでもだめなら、切り倒してください」(ルカ13:9)とは言ってますけれども(※1)、まあ、このたとえ話の流れでいうなら、たとえ来年実らなくても、また言うと思います。
 ・・・「もう1年、待ってください!」
 「それが神のいつくしみですよ」っていう福音を伝えるためのたとえ(・ ・ ・)ですから。
 だいたい、考えてみたら、このいちじく、ただ生えてるだけですからね。自分じゃ何もできないんですよ。実らないからといって、いちじくを責めるのも変な話です。誰かがちゃんと水をやったり、肥糧をやったり、時には風よけのビニールハウスくらい作ってあげないと、実るわけがない。自分からでは何にもできないんですもん。いちじく自身が、「さあ、実るぞ!」って、いくら「う~ん・・・」と(うな)っても、無理でしょう。
 実りというのは、神の恵みのうちにあって、その忍耐、その尽きせぬ愛のうちにあって、初めて実るものなんであって、私たちは、ただただ、その神さまの愛に、すべてを信頼して、「私のような、実らないいちじく(・ ・ ・ ・)だけれども、神さま、あなたはこんな私を、守り、導き、生かしてくださっておられます」と感謝する。これが信仰生活ってことです。

 今日、共同回心式(※2)っていうことで、ミサの1時間ほど前からゆるしの秘跡(※3)を聴いておりましたけれども、皆さんそれぞれ、「もっとこんな立派な自分になりたい」「もっとこんなダメなところは直したい」っていう、その思いは尊いんですが、・・・まあ、こんな言い方はなんですけど、ちょっと高望みかな、と。まずは、「自分には無理だ」「自分はこんなもんだ」って、まずは現実を謙遜に受け入れていただきたい、と。
 そんなに立派な人になってどうするの?・・・というか、どうせなれないのに。ゆるしの秘跡を重ねて立派になっていく人、見たためしがない。(笑) まあ、いちじく、1年待っても、10年待っても、いちじくでしかないんですよ。
 むしろ、「立派になれない私を、それでも、神さまは愛し続けてくださっている」
 ・・・そこに目を向けるんです。
 だから、イエスさまもさっき、「悔い改めなければ」って言ってますけど(ルカ13:5)、「悔い改め」って、回心ですよね。で、「回心」っていうのは、神に(・ ・)心を向けることです。自分を見つめることじゃないんですよ。・・・分かります?
 皆さん、悔い改めるっていうと、「自分はこんな悪かった」「自分はこんなに間違ってる」「自分はこんなに足りない」って、自分を一生懸命に見ますけど、いくら見たって変わんないですよ。・・・もともと「無理」だし、「こんなもん」だからです。そんなもの、いくら見たってしょうがないというか、単に、神さまからいただいた自分がそこにいるだけ。
 ・・・私たちが見るべきは、神さまなんです。
 神さまを仰いで、本当に愛である神、本当に優しい神、本当に忍耐強い神、その神さまを仰ぎ見て、「こんな私を、この神さまが愛してくださってるんだ!」ってね、感謝する。
 ゆるしの秘跡の時、「(つぐな)いとして、今日のミサで、神の愛の目に見えるしるしとして、しっかりと御聖体をいただいてくださいね」って、私、よく言いますけれど、それは、「自分を見つめる暇があったら、まず、神さまの愛を見つめてほしい」っていうことです。回心って、そういうことですね。神よりも自分を見つめるなんて、それこそ傲慢でしょう。
 神さまを仰いでたら安心ですし、希望が湧いてきますし、心ふさがないですよ。自分を見てたら不安になるし、絶望もするし、心ふさいでくる。・・・当たり前ですよね。
 回心のときは、まず、愛の神を仰ぎ見ていただきたい。その時、実はもう、「わがいちじくは実っていた」ってことに気づくのです

 さっき読まれた第1朗読(※4)で、神さまがご自分の名前のことを話してますでしょ。モーセが神さまから語りかけられたときです。「あなたを(・ ・ ・ ・)遣わす」ってね(cf.出エジプト3:10/強調引用者)(※5)
 神さまは愛ですから、ご自分の愛を人々に現したくって、モーセを遣わすわけですね。で、モーセは、「いや、遣わされるのはいいけれど、みんな、『それ、どこの神だ?』と、『いったい、どういう神だ?』と、あれこれ聞くんじゃないか。私、どう答えたらいいでしょう」って尋ねるわけですよ(cf.出3:13)
 そうすると、神さまの答えは面白いです。
 「わたしの名前だとか、わたしがどんな性質の神だとか、そんなことをいちいち説明する必要はない。わたしは、わたしだ。わたしは、この世界をつくったし、あなたたちを愛している。あなたたちは、つくられた側だし、愛される側。いわば神の子なんであって、子どもであれば、ただ愛されて、ただ信じていればいい。『お父さん、あなたのお名前は?』とか、『お母さん、あなたはどんな方ですか?』とか、そんなこと、聞く必要がない。あなたたちを生み、育て、愛しているのはわたしだ。確かに『わたしはある』だ。ちゃんと共にいる。ごちゃごちゃ言わないで、『わたしはいる』んだって、みんなにちゃんと伝えなさい」(cf.出3:14-15)
 まあ、言うなれば、そんなような返事をしているんです。
 子どもって、初めは親の名前なんて知りませんでしょ? 母が、赤ちゃんのぼくに向かって、「私、晴佐久晏子(やすこ)です」って一生懸命教えたわけじゃない。まあ、いずれはね、名前くらい教えることになりますけど、最初っからそんな話するわけじゃない。最初は、その原点は、ただただ、「おお、かわいい、かわいい♪」「ああ、いい子だ、いい子だ♡」って言ってるだけで、赤ちゃんの側も、その声の主に向かって、「ママ~」なんて呼んだりもするわけです。大事なことは、そこに確かに「親がいる」っていう事実であって、母は何という名前か、母の愛とはどのようなものか、そんなことはどうでもいいんですよ。
 ・・・まず、事実があるんです、だれも否定できない「事実」が。
 われわれは、もう、神さまから生まれている。・・・「事実」です。
 われわれは、もう、神さまに愛されている。・・・「事実」です。
 われわれは、もう、神さまに救われている。・・・「事実」です。
 神さまは、その「事実」を、みんなに現したい。それに目覚めて喜んでもらいたい。
 「わたしは、あなたを生かしている、生ける神である」
 モーセを通して、神さまは、何とかみんなにそれを伝えようとしてるんです。だからモーセが、「どう説明したらいいでしょう?」「どうお伝えしたらいいでしょう」なんて心配しているときに、「いいから、余計な説明はしなくていい」と。
 「わたしは確かにいる。あなたがそこにいるのと同じくらい確かに『わたしは、ある』。その究極の事実だけを、まっすぐに、あなたは伝えなさい」
 その意味では、イエスさまこそが、最高の預言者ですね。神さまそのものを、私たちに伝えて、目覚めさせてくれたんだから。

 先週一週間、長崎に行ってまいりましたけど(※6)、もうまさに、この「神は愛だ!」「ここに神はおられる!」っていうことを、私、語りまくってまいりました。
 「神から遣わされて、私はあなたたちに、福音を宣言します。神は、『ホントにわたしはいるんだ。ホントにあなたたちを愛してるんだ』って語っておられます。このように、あなたたちも神から遣わされた者として、目の前の人に福音を宣言しましょう」って。
 長崎の黙想会って、三日間あるんですよ。しかも浦上教会(※7)だったので、信者は6千人もいる。だから、一度にはできないっていうことで、3グループに分けるんですね。第1グループは、日、月、火の夜のグループ、第2グループが、月、火、水の午前のグループ、第3グループが、水、木、金の夜のグループ。だから、夜は、日、月、火と、水、木、金と、毎晩あるわけです。
 1グループ三日間に5講話するということで、計15講話しました。それどころか、「せっかく神父さま来られてるんだから、他の講演もお願いします」っていう依頼もくる。「いや私、午前も夜もいっぱいです」って言ったら、「午後が空いてるでしょ?」って。(笑) で、午後も講演会しました。
 それ見てて、浦上の主任神父がね、「晴佐久神父さん、タフですねえ」って言うんですよ。頼んどきながら。(笑) でも、タフもなにも、むしろ私、この一週間の黙想会で、すごく励まされて、元気になっちゃいました。まあ、出掛ける前は、いろいろあって、ちょっとしょげてるようなところもあったりしたんですけどね。一週間、大勢の人に福音語りまくって、「福音聞かせたい人を、みんな誘っておいで~♪」って招きまくって、聖霊が怒涛(どとう)のごとく浦上天主堂の中を吹き荒れて、私、励まされました。元気になっちゃった。福音を語るって、すごいですよ。語る方も元気になる。
 宣言してきた内容の本質は、ただ一つ。
 「神は、ホントに愛だ。そして私たちは、今、愛されている。そのことをみんなにも伝えよう!」
 非常にシンプルな、それだけなんですけれど、それは、浦上の皆さんにとっては、すごく大きな刺激になったようです。「晴佐久ショック」みたいな感じでしたよ。(笑)

 司祭館のシスターがビックリしてたんですけど、三日間の黙想会、大抵、最初の日は大勢来て、だんだん人が減っていくんですって。なのに、今回はだんだん人が増えていった。最後の日なんか、ほとんどいっぱいでしたから。千二百人くらい座れるって聞きましたけど、毎日、どんどん増えてくんですよ。しかも、三日間聴いたら終わりのはずなのに、次のグループに、前のグループの人がまた来てるんです。こんなこと、今までなかったって、ホントにビックリしてました。
 でも、聞きたいっていうその気持ちはね、すごくよく分かる。みんなホントに、心から求めてるんですよ、福音を。・・・心から。
 私、最初の日に、「神はあなたを愛している」と語り、「それを聞いている今、ここに救いがある」と宣言し、「私たちはこうして、キリスト者として選ばれてるんだから、ここに、もう一人誘ってきてほしい」って言ったら、みんな、聖霊の火が燃えちゃったんですね。それで、「いいから聞きにおいでよ」って招くから、次の日に人が増える。
 私も、ただ「招け」って言うだけってのもなんですから、「私も招きます!」って宣言して、翌日の午後、浦上教会の坂を下りてって、信号の所で、「今晩、私の話を聞きに来てくださ〜い!」ってやろうと思ったけど、(笑) なんだか皆さんお忙しそうだし、声を掛ける勇気もなく。でも、ふと見たら、あそこに売店があるんですね、キリスト教書籍なんかを売ってる。そこに入ってって、ここの客ならいいだろうと思って、そこにいた女性に語りかけて、「私、黙想指導で来ていて、毎晩お話ししてるんです。『神さまは、あなたを本当に愛してます』っていう話です。ぜひ、今晩7時、聴きに来てください。ここでお会いしたのも、神さまのご縁でしょうから、あなたのためにも話します」ってお招きしたんです。その方、信者さんじゃなくて、その売店に時どき寄ってるという方でした。
 でも、残念ながら、その方、「ええ、まあ・・・。ぜひ伺いたいんですけど、すみません、私、これから友達とビール飲みに行くんです」って言う。(笑) それで、「そうですか。でも、ビール飲むのに、何時間もかからないでしょう。7時までには飲み終わるでしょ? (笑) 飲み終わったらぜひ、またこの坂を上がってきて、話を聴いてくださいよ」って言ったら、「・・・はあ・・・」 とかって、ニコニコ笑ってました。
 それで、その日の午後7時からの講話のときに、ふと、聞いてみたんです。
 「あの~、先ほどお招きした方、来られてますか? 来てくださってるとうれしいんですけど。下の売店でお誘いした方、いらしてますか~?」って言ったらね、一番後ろでね、こうやって両手を上げてね、元気に「ハーイッ!!\(*^▽^*)/」って手を振ってるんです。(笑) すっごくうれしそうに。で、なんでそんなに元気かっていうと、ビール飲んでるからですね。(大笑)
 「ビール飲まれてきたんですか?」って聞いたら、頭の上で両手を丸くして、うんうんって(うなず)いてるんですよ。(笑) それ見て、聖堂内の人たちもみんな笑ってね。
 だけど、それで皆さん、気がつくんですよ。
 「この神父、本気だ。ただのきれいごと言ってるんじゃない。この人、ホントに福音を話したいんだ。ホントに伝えたいんだ。そして、その気持ち、その情熱さえあれば、ホントに人って来るんだ。私たちも、見習わなくっちゃね」
 ・・・そう思ってくれたと思いますよ。

 私、何度も言いました。
 「『信仰』っていうのは、頭の話じゃない。まずは体験なんだ。
 今、この浦上教会に晴佐久神父がやって来て、こうして、福音を夢中になってしゃべっている。これは、何か正しい教えや、立派な信仰を理解(・ ・ )するためじゃない。皆さんは、福音を、実際に神から語り掛けられているという体験(・ ・ )をしている。・・・この、体験が大事。その体験に励まされて、私たちも実際に、誰かに語り掛けることができる。
 こうして、私は皆さんに、たくさんの福音を語り、皆さんは、ホントに救われた気持ちになり、こんなに開かれた気持ちになった。だったら、こんどは、今もつらい思いをしている人、教会から離れている家族、この人にこそ福音を聴かせたらいいと思うあの人、この人を、連れて来てください。こんなチャンス、滅多にないですよ。ぜひ明日、だれかを連れて来てください!」
 二日目にもまた、そう言うと、翌日、三日目には、ホントに大勢来てくれた。
 あの浦上教会の周りの広い駐車スペースの、一番奥まで、車がぎっしり止まって、「こんなこと滅多にない」って、先ほどのシスターが言ってました。
 ・・・聖霊が働いたんですよ。うれしかったです。どんどん人が増えていくのを目の当たりにして。
 多摩教会の信者さんは、私が「連れて来い、連れて来い」って言っても、なかなか連れて来てくれないですけど、(笑) 長崎の方、真面目ですよ、やっぱり。言われたら、ホントに精いっぱいやろうとする。

 長崎にいる間にさっそく、分厚いお手紙もいただいたりしてね。何人もの方が手紙をくださった。
 ある手紙には、「私は生まれながらの信者で、それを当たり前と思って生きてきた。何十年もミサを大切にして、お祈りも欠かしたことがない。それでも、キリスト教を人に伝えたいとか、誰かを教会に誘おうとか、正直言って一度も思ったことはなかった」って書いてあった。ちょっと驚きですね、熱心にミサに通い続け、何十年も祈り続けていても、「誰かに福音を伝えよう」「誰かをこの恵みの体験に招こう」って、一度も考えたことがなかった。
 ・・・いやあ、でも、それじゃあキリスト教、終わっちゃいますよね。
 でもその方、「この三日間の黙想は私の光となりました。すぐには正直難しいけれども、これから生まれ変わった気持ちで生きていきたい」って書いてました。

 誰かが誘ってくれたから、こうして私たち、ここにいるんであって、だから私たちもまた、誰かを誘う。当たり前の話ですね。その当たり前のことを、・・・「晴佐久ショック」でね、長崎の方々、気づくことができたみたいです。近隣の教会からも大勢来てました。五島から、船に乗って来てた方もいた。熊本から来てた方もいた。大勢の方が浦上教会に集まって、「目が開けた思い」って、皆さん言ってくださった。すごくうれしかった。私、やっぱり、特に長崎の方たちに、神さまの愛を、ゆるしを、希望を伝える、その喜びをね、体験してほしいと思ったんです。
 勇気を持って実際にやってみたら、奇跡のようなことがいっぱい起こっちゃう。それでまた、「ホントに、聖霊は働いてるんだ」「ホントに、口を開いて福音を語るって素晴らしいことだ」って気づいて、さらに勇気づけられる。・・・このいい循環が始まればと。

 第2グループも、一日目、二日目、三日目と増えていく。第3グループも、一日目、二日目、三日目と増えて行きました。第3グループのときはね、午後時間が出来たので、外海(そとめ)に行ったんですね。行けば、いろいろな人に会うじゃないですか。たまたまいた信者さんとか、記念館で出会った人とか。当然、みんな誘いまくりました。「ぜひ、聴きに来てください」「聴きに来てください」って。
 ド・ロ神父さま(※8)の「ド・ロ神父記念館」(※9)ってご存じですかね。そこに行って、受付の女性に、「私、東京から黙想会に来てるんです。浦上教会でお話ししてるんです。ぜひ聴きに来てください」って言ったら、「ああ、それはいいですねえ・・・」って、ニコニコしてる。あっ、この人は来ないな・・・って。(笑)
 それから、近くの「旧出津(きゅうしつ)救助院(※10)」っていう、ド・ロ神父さまがおつくりになった所も見学して、そこの受付にはシスターが二人いて、そのシスターもお誘いした。シスターも、「ありがとうございます」ってニコニコして。あっ、このシスターも来ないな・・・って。(笑) ただそのシスターが、「先ほど、今日の午前の黙想会に五島から来たという方が数名ここに立ち寄って、『晴佐久神父さんの話がホントによかったんです~!』って、もう、感動して、お帰りになったところです」って報告してくれました。
 それから、その近くの「遠藤周作文学館」(※11)っていう所に行って、そこにも受付に女性がいて、その方とお話しできたので、「東京から黙想会に来てるんです。ぜひ、お話を聴きに来てください。浦上教会で、今晩7時からです」って誘ったら、「そうですか。参ります」って言う。・・・ヒット!(笑) ようやく一人。
 だからその夜ね、「記念館で声をおかけした方、いらっしゃいますか~?」って言ったら、「はい!」ってね、前の方に座っていて、手を挙げてくれた。・・・それを、みんな、見てるわけですよ、黙想会の参加者が。そして、目が開かれるんです。「ああ、本気で誘えば、本当に来るんだ」って。
 ・・・車で4、50分はかかるとこですよ。遠藤周作文学館って、長崎の市街地から。でも、誘えば来るんです。そして、福音に出会い、神の愛を体験し、私たちの教会家族が増えていく。

 まあ、長崎で、多摩教会の自慢話、しまくりましたから。(笑)
 「先週の信徒総会では、今年のスローガンとして、『一瞬の勇気で、一生の家族』ってのが、紹介されたんですよ~」とかね、そんなお話をしたら、皆さん、すごくね、喜んでくれて。「私も勇気を出して、明日の講話に誘います」って、皆さん口々に言ってくれて、ホントに誘ってくる。最終日なんかね、「晴佐久神父さんを囲んで写真撮らせてください」とかっていうときに、皆さん、「チーズ!」じゃなくて、「一瞬の勇気~!」って言ってた。(笑)
 長崎の地で、聖なる霊が働きました。多摩教会でのさまざまな恵みを紹介したら、「私たちもやろう!」って思うようになってくれた。

 さあ、ご本家、うかうかしてられないですよ。
 多摩教会の上にいつも注がれている、この聖なる霊の働きを、信頼いたしましょう。そして、ご本家、多摩教会、「誰かもう一人、福音を求めている人を、お誘いする、お招きする」という思いを、それによって「神さまの国を本当につくっていこう」という決心を新たにしていただきたい。
 特に洗礼志願者の方、今日は洗礼志願者のための典礼ですから、「自分が恵みをいただいたのは、恵みを告げ知らせるためなんだ」という、福音宣言の喜びを新たにしていただきたい。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1:「この園丁は、『それでもだめなら、切り倒してください』(ルカ13:9)とは言ってますけれども」
2016年2月28日(四旬節第3主日)の福音朗読箇所
 ルカによる福音書13章1~9節
  〈小見出し:13章1~6節「悔い改めなければ滅びる」、7~9節「実のならないいちじくの木」のたとえ〉
************
説教中の「この園丁」は、7~9節で、イエスが語るたとえ話に登場する。
【 あらすじ 】
 ぶどう園にいちじくの木を植えておいた人が、実を探しに来たのに見つからない。そこで、園丁に、「3年も、実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。もう切り倒せ」と命令する。
 しかし、園丁は、次のように答える。
 
「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください」(ルカ13:8~9)
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※2:「共同回心式」〈英:communal penance〉既出
 現在のカトリック教会で、罪のゆるしを受けるために、信者が共同で行う回心式。
 式には以下の2つの方法がある。
*******
 ① 信者が司祭のもとへ個別に行って、罪を告白し、赦免(ゆるし)を受ける。
 ② 定型文によって共同で一般的な罪を告白した後、司祭を通して全員に赦免(ゆるし)が与えられる。しかし、この場合、その赦免(ゆるし)を受けた人が大罪を犯している場合は、少なくとも1年以内に、司祭のもとへ行き、個別に告白しなければならないという条件がある。
*******
 どちらも、「回心を呼びかける神の言葉に、共に耳を傾けて聴いて準備し、ゆるしを求め、その後、共同で神に感謝をささげる」という点では、共通しており、個人の罪(自らの罪)はもとより、キリストの体として一つに結ばれている共同体としての罪を考える場ともなる。
(参考)
・ 「共同回心式」
   『岩波キリスト教辞典』(岩波書店、2008年)
・ 「ゆるしの秘跡の挙行」
   『カトリック教会のカテキズム』(カトリック中央協議会、2002年)
    「ゆるしの秘跡の挙行」1480番~1484番。「共同回心式」については1482番~1483番
・ 「ゆるしの秘跡」(ウィキペディア)
・ 「ゆるしの秘跡」(「キリスト教豆知識」<ラウダーテ
・ 「昔と今の告解の違い、並びに共同回心式について
   (「司祭からのメッセージ集」小林陽一神父<中和田カトリック教会
・ 「【9】共同回心式の良い準備について」(「マルシリオ神父の5分間ミニ講座」<カトリック下井草教会
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※3:「ゆるしの秘跡」(既出)
 カトリック教会で、七つの秘跡(洗礼、堅信、聖体、
ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻)のうちの一つ。
 洗礼以後に犯した罪を、教会の司祭を通してゆるし、罪びとを神に和解させる秘跡。
 現代の「ゆるしの秘跡」には、個別の「ゆるしの秘跡」と、「共同回心式(※2)」がある。
 ただ、これだけが罪のゆるしを得られる道ではない。祈り、善行、愛の業、また、聖体や病者の塗油の秘跡を受けることなどによっても、神のゆるしを受けることができると、教会は教えている。福音は、神の無条件のゆるしを説いているのであり、人が神への回心を何らかのかたちで示すとき、ゆるしが実現する。
(備考)
 「秘跡」とは、イエス・キリストの制定によるものであって、神の恩恵を示し、キリストの働きによってそれを与えるしるしのこと。(『カトリック要理(改訂版)』中央出版社、1979年)
(参考)
・ 「ゆるしの秘跡」(『カトリック要理(改訂版)』中央出版社、1979年)
     第3部「秘跡と祈り」-第35課「ゆるしの秘跡」p.190~198
・ 「ゆるしと和解の秘跡」(『カトリック教会のカテキズム』カトリック中央協議会、2002年)
    「ゆるしと和解の秘跡」1422番~1498番
・ 「ゆるし」-【秘跡】(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
・ 「ゆるしの秘跡」(ウィキペディア)
・ 「ゆるしの秘跡」(「キリスト教豆知識」<ラウダーテ
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※4:「第1朗読」
2016年2月28日(四旬節第3主日)の第1朗読箇所
 出エジプト記3章1~8a節、13~15節
  〈小見出し:3章1~22節「モーセの召命」の抜粋〉
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※5:「モーセが神さまから語りかけられたときです。『あなたを(・ ・ ・ ・)遣わす』ってね」
 神は、ご自分の民、イスラエルの人々がエジプト人に圧迫されている有様を見、彼らの叫び声を聞いて御心を痛められ、モーセを遣わして、エジプトから救い出そうとされた。その際、モーセに呼び掛けられた言葉の中にある(cf.出エジプト3:7~10)
 ただし、ミサに用いる朗読箇所には、抜粋が掲載されているため、この言葉は抜けている。
 聖書では、この箇所は、以下のようになっている。
 
「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」(出エジプト3:10/赤字引用者)
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※6:「先週一週間、長崎に行ってまいりましたけど」既出
 先週(2016/2/21)の説教(「壁を壊して、橋をかける」の下から3段落目)中にもあったとおり、カトリック浦上教会では、2月21日(日)から26日(金)まで、四旬節の黙想会が行われ、今年は晴佐久神父が、黙想指導の司祭として招かれた。
 カトリック浦上教会のホームページ内、「お知らせ」にも、掲載されている。
 2月21日(日)から26日(金)までの「年の黙想会」。
 ① 夜の部(1回目18:30): 2/21(日)、22(月)、23(火)
 ② 昼の部(9:00): 2/22(月)、23(火)、24(水)
 ③ 夜の部(2回目18:30): 2/24(水)、25(木)、26(金)
(参考)
・ 「今週のお知らせ」(カトリック浦上教会)
・ 「壁を壊して、橋をかける」(「福音の村」2016/2/21説教/下から3段落目
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※7:「浦上教会」既出
カトリック浦上教会。長崎市本尾町にある、「浦上天主堂」の名前で有名な、歴史あるカトリック教会。
(参考)
・ 「浦上天主堂」(長崎教区カトリック浦上教会)
・ 「浦上教会」(「壁を壊して、橋をかける」「福音の村」2016/2/21説教の【参照※8】)
・ 「カトリック浦上教会」(ウィキペディア) 他
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※8:「ド・ロ神父さま」
◎ マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz)
 1840年(天保11年)3月27日-1914年(大正3年)11月7日
 フランスの宣教師。(パリ外国宣教会)
 フランスのノルマンディー地方、ウォスロールに生まれ、1865年(慶応元年)司祭叙階。
 1868年(慶応4年)、プティジャン神父(大浦天主堂での信徒発見で知られる)の求めに応じ、石版印刷の技術を学んで来日。長崎で、キリシタン書の新たな出版(プティジャン版)、宗教版画制作、旧ラテン神学校の設計施工、医療救護活動を行う。
 1879年(明治12年)、外海町出津(そとめまち・しつ)に赴任。35年居住し、信仰教育と共に、生活の自立を目指した。
 1882年(明治15年)には、出津教会を建設。
 1883年(明治16年)に救助院開設、織物、染色、フランス種小麦、トマトなどの栽培、そうめん、マカロニ、パン、綿布などの製造技術を教えて現金収入の道を開いた。
 その他、私学開設、農業、県道工事の指導、出津・大野教会、鰯網(いわしあみ)工場の設計施工、信徒家族の田平へ開拓移住などを、私財を投じて行った。
 長年、神と人々に仕え、大変な生活を強いられていた人々の魂、肉体、生活を救うために、尽力し続け、「ド・ロさま」と慕われた。長崎で病没(享年74歳)。出津の教会墓地に葬られた。
(参考)
・ 「ド・ロー(De Rotz, Marc Marie)」(2008年 『キリスト教辞典』岩波書店)
・ 「ド・ロ神父記念館
・ 「マルク・マリー・ド・ロ」(ウィキペディア)
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※9:「ド・ロ神父記念館」
◎ ド・ロ神父記念館
 場所: 長崎県長崎市西出津町2633 (地図は参照一番下をご覧ください)
 (長崎駅前から車で約50分)(バスで約1時間6分+徒歩5分)
 ド・ロ神父ゆかりの記念館。遺品を集め、偉業、遺徳を永久に顕彰することを目的として建てられた。1968年(昭和43年)11月設置。
 建物は、1885年(明治18年)に、ド・ロ神父設計施工によって建てられた鰯網工場を用いている。この建物は、1967年(昭和42年)に、県指定文化財となったが、老朽化のため、修理、修復、および展示改修を行い、2002年(平成14年)新たに開館した。
 1883年(明治16年)に、ド・ロ神父が創設した旧出津救助院の施設の一つとして、2003年(平成15年)、国指定重要文化財となった。
(参考)
・ 「長崎市ド・ロ神父記念館」(長崎市・観光案内>博物館・美術館など
・ 「ド・ロ神父記念館」(写真)
・ 「旧出津救助院鰯網工場(ド・ロ神父記念館)」(おらしょ‐こころ旅
・ 「ド・ロ神父記念館」「出津教会」(個人ブログ「長崎旅行」)
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※10:「旧出津救助院」
◎ 旧出津救助院
 場所: 長崎市西出津町2696番地1 (地図は参照一番下をご覧ください)
 1883年(明治16年)、ド・ロ神父が地域住民の窮状を救うために私財を投じて設立した。この救助院は、特に女性の自立支援のための作業場として用いられ、明治初期の授産・福祉施設として貴重な遺構になっている。織物、縫物、素麺などの食品加工などを行った。
 現在、複数の資産で構成されており、修復を重ねながら、大切に保存されている。
【旧出津救助院施設】
・ 授産場(国指定重要文化財)
・ ド・ロ塀(国指定重要文化財)
・ マカロニ工場(国指定重要文化財)
・ 製粉工場(長崎県指定史跡 ド・ロ神父遺跡)
・ 薬局(長崎県指定史跡 ド・ロ神父遺跡)
(参考)
・ 「旧出津救助院」(ホームページ)
・ 「旧出津救助院について」(ホームページ)
・ 「旧出津救助院」(おらしょ‐こころ旅
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※11:「遠藤周作文学館」
◎ 「長崎市 遠藤周作文学館」
 場所: 長崎県長崎市東出津町77番地
  (長崎駅前から車で約40分)(バスで約1時間)
 遠藤周作の小説『沈黙』の舞台であり、かくれキリシタンの里でもある長崎外海地区に建っている。氏の没後、約3万点にも及ぶ遺品・生原稿・蔵書等の資料が展示され、収蔵資料の調査研究、情報発信の場となっている。
(参考)
・ 「長崎市 遠藤周作文学館」(ホームページ)
・ 「外海(そとめ)キリシタンの里探訪」(長崎さるく)

 
【 ド・ロ神父記念館、遠藤周作文学館、周辺地図 】
(下の画像をクリックすると、拡大のGoogleMapが開きます)

【 ド・ロ神父記念館、旧出津救助院 】
(下の画像をクリックすると、拡大のGoogleMapが開きます)

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2016年2月28日 (日) 録音/2016年3月5日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英