どうぞ何でも盗んでいってください

2013年12月25日 主の降誕(夜半のミサ)
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ9・1-3、5-6)
・第2朗読:使徒パウロのテトスへの手紙(テトス2・11-14)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ2・1-14)

【晴佐久神父様 説教】

 こうして拝見しますと、同じクリスマスの夜のミサですけど、先ほどの5時のミサと、この9時のミサでは雰囲気がガラリと違いますね。
 まあ、人数も、さっきのミサは大変な人だったのが、少し落ち着いたというのもありますが、なによりも、お仕事帰りでお疲れさまという方が結構いらっしゃいますね・・・。大変でした、今日も。ご苦労さまでした。
 先ほどのミサは、さすがにウィークデーの5時ですから、もう仕事は関係ないっていう人たちばっかりで、(笑)リタイアした方たちとか、若い人とか、主婦とか。その点、9時は、こうして見ますと、黒いカバン抱えたりしてて、今日も働いてこられたんでしょ? お疲れさまです。本当に大変な毎日でしょうね。試練があり、悩みがあり、嫌なこともいっぱいある。でも、クリスマスの夜、なんとか仕事を終えて夜道を歩いて来ると、こうしてミサが始まり、ろうそくに火を灯して共に歌を歌い、そして天使が言うんです。
 「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった!」(cf.ルカ2:11)
 ・・・よかったですねえ。これこそが「福音」ですから。
 生きていれば大変なことばかり。しかし、だからこそ、神がこうして、「恐れるな! あなたがたに大きな喜びを告げる。今日、今、あなたがたの中に、救い主が宿った。神のひとり子がお生まれになった。もうだいじょうぶだ」という福音に励まされます。
 そしてまた、明日もお仕事ですか? ご苦労さまです。行ってらっしゃい。でも、もう救い主はあなたのうちに宿っています。何があっても、何を奪われても、「もう恐れることはない!」と思ってください。

 お仕事といえば、さっき、5時のミサに出ておられた方ですけど、ミサ後のパーティーの席で、私に質問なさいました。
 職場の上司が横暴というか、独裁的というか、ともかくその職場を支配しようとするんで、下の人たちがもうみんな困っちゃってるって。で、信者としては、「神の国を信じて、福音を信じて、キリスト者として生きていきたい」って思うんだけど、現実の職場に行くと、到底そんな、「神だ」「福音だ」じゃ太刀打ちできない上司がいる。どうしたらいいでしょう?・・・っていうようなご相談。
 パーティーの席ですから、ゆっくりお話できませんでしたけど、いつも思っていることをお返事申し上げました。
 「仲良くなればいい」
 普通だったらね、部下たちも力をつけて団交するとかね、さらに上の上司に訴えて争うとか、そういうことするのかもしれないけど、力に力で対抗するっていうのはキリスト教的じゃない。そんなことで、うまくいくとも思えない。仲良くなっちゃうのが一番。・・・これがキリスト教なんですよ。
 「そんなこと無理!」って言うかもしれない。でも私は、「まず信頼関係をつくれ」と、そう申し上げました。
 支配しようとしている上司、怖いわけですよ、嫌いなわけですよ。でも、その人と仲良くなるのが一番です。争うんじゃなく、対抗するんじゃなく、信頼関係をつくるんです。
 聖書にも、何か問題があるなら、「まずその人の所に行って、二人で話せ」って、書いてある(※1)。信頼関係さえつくれたら、あとは、そこに必ず何かいいことが生まれます。問題解決の最高の方法です。
 いや、でも、あの人とは無理!!って、そう思うわけでしょ? ところが、それが可能だっていうのがキリスト教だし、不思議な(わざ)が起こるっていうのがわれわれの信仰だし、実際に、そのような奇跡がいっぱい起こって、神の国の目に見えるしるしとなったっていうことがいっぱいあるっていうのが、われわれの希望なんです。
 やってみなさいって。仲良くなるために会いに行けばいい。その人に、「なにしに来たんだ?」って思われるかもしれないけどね、「一緒に食事しましょう。仕事の話抜きで。私はあなたを大切に思っている。あなたと争うのではなく、信頼関係を作りたい。仲良くなりたいんです」って。
 相手もびっくりするかもしれませんが、やってみたらいい。で、ホントに仕事の話なんかしないんですよ。・・・仲良くなればいいんです。愚痴聞いてあげましょう。励ましてあげましょう。・・・それで、いいじゃないですか。

 「右の頬をたたかれたら、左の頬も出せ」って、イエスさま、そう言った(※2)
 右の頬たたくやつに、「赦すな〜っ!!」ってみんなで集まって団交して、「あいつは俺をたたいた! 倍返しだ、謝らせろ!!」って、それ、普通の世の中、みんなやってるじゃないですか。「たたき返せ!」って。しまいには、「たたかれる前にたたけ!」って。
 キリスト教はおもしろいですよ、なんと「左の頬」を差し出すんです。わが身を削って、「善をもって悪に打ち勝つ」(※3)
 やっていきましょうよ。実は、やってみたら、難しいことじゃないんです。ただ、やられてりゃいいんだから。何かこう、対抗する力を持って戦う必要がないんです。戦うのは大変ですよ。地獄が待ってます。・・・安倍さんに、誰か言ってあげなさい。(笑) 「大変なんだよ」って。「戦う準備自体が、もう戦ってることなんだよ」って。
 力で力に対抗するっていうのは、終わりがない。やめたらいい。キリスト教は、常に武装解除を目指します。「剣をさやに納めなさい」(※4) と。「どうぞ。殺したいなら殺せば?」と。「それでも、私はあなたを愛している、あなたと信じ合いたい」と。
 ・・・イエスはそう言って殺されました。そこから、真の平和が始まった。
 救い主がこの世界の来られたっていうのは、そんな、とてつもない愛の業が現れて、この世界を神の国に変えていくっていうことなんですよ。われわれ、そういうやり方でやっていきませんか? それは、時にはとっても怖いことかもしれないけど、エイッとやっちゃえば、簡単なんです。

 昨日の23日の子どもたちの聖劇は、それこそ、「恐れに打ち勝って、一歩踏み出す」っていうテーマの聖劇で、素晴らしかった(※5)
 スライドの映像でね、たとえば、スキーの場面とか、水泳の様子とかを映してですね、ナレーターが言うんです。
 「スキーで最初に滑りだす時は怖い。水泳で最初に泳ぎだす時は、顔を水につけるのも怖い。でも、滑りだしてみたら、『あ、滑れた〜!』 泳ぎだしてみたら、『あ、泳げた〜!』」
 もちろん、怖い時はそんな先の喜びのことなんて、カケラもわからないですよ。まだやってないんだから。「滑れるようになって、ああ、うれしい」なんていう気持ちは、想像もできない。ただ怖いだけ。初めて自転車をこぎ出す時とかね。とっても怖い。転んだらどうしようって。でも、ふっと気がついたら、父さん、後ろで押してないんですよね。だまし討ち、みたいな。おかげで恐れを乗り越えて、こげるようになる。・・・やればできるんです。
 たぶん、始める前のその「恐れ」っていうのが、悪霊なんですよね。悪霊はいつでも、「できっこないよ」「どうせ無理だよ」って言うわけでしょ。それに負けると、その先の喜びがぜんぶ消える。
 ちょっとのことなんです。ほんのちょっとの勇気なんですよ。でもみんな、失敗が身に沁みついてるし、みんなから笑われて、もう二度とこんなことするまいって思ってるし、だから、もうできなくなっちゃって、年取れば取るほど保守的になり、「まあ、ささやかだけれども、これを守って生きていくか・・・」みたいなことになる。みんなそうじゃないですか。せっかくキリスト者になったんだから、カッコよく生きましょうよ、少し意地張って。
 「みんなはできなくても、私にはできる。イエスが付いているから」、そう信じて、恐れに打ち勝つ。

 先日も紹介しましたけど、聖劇で、新曲の()を書いたんですよ。「子どもたちが一歩踏み出すのを励ますような、聖劇のための詞を書いて欲しい」っていう注文で。
 『やったるで〜音頭』(笑)
 「始めるときは いつもこわい。失敗したらどうしよう。いじわる悪魔が来てささやくよ。きみには無理だ。できっこないよ。どうせみんなの笑いもの。そこへイエスさまあらわれて、恐れるな、信じなさい。わたしが共にいる。アソーレ ソレソレソレソレ やったるで〜、やったるで〜。信じて愛してやってくで〜。やったるで〜、やったるで〜。信じる力でやったるで〜!!」
 子どもたち、昨日、歌ってくれました。元気いっぱい(※6)。大人たちも、励まされた。
 大人たちは、「やろうと思ったけど、できなかった」とか、「恐れてあきらめて、その先の天国が消えちゃった」とかっていう人生を、いっぱい経験してきましたから。そんなぼくらを励まそうとして、イエスさまがお生まれになって、「わたしが共にいる」って励まし、「こうやって愛するんだよ」って、模範を示してくれたんです。・・・ほんとに「おかげさまで」ってことですよ。
 怖いことはいっぱいあるのは事実ですけど、せっかくのクリスマスですからね、イエスさまから力をもらって、来年あたりからちょっと「やったるで〜!」っていう思いで、何か始めてくださいよ。必ず、そこに神さまが、素晴らしい実りを「必ず」与えてくれる。
 ・・・と、あなたが信じたときが、もう神の勝利のときなんでしょうね〜。悪霊が「まいったな〜」と消えていくとき。ブラックスワン(※7)が、「そんなとこからっ!!」と言って、(笑)あわてて去っていきますけど、まさに、われわれが恐れているときこそ、天からの援軍が来てくれるときですよ、「私が付いている」と。

 実は、その昨日の聖劇に、初めて教会に来て、さらには今日、初めてミサに参加している大学生がここにいるんです。ようこそ、君とは、もう私、親友です。昨日初めて会ったんですけどね。・・・私、初めて会った日から親友になるとかっていうの、超得意なんですよ。(笑)
 でも、なんか、うれしかったなあ。昨日の聖劇、目的は福音を広めるためですから、近隣の方が来てくれるとうれしいし、わりと年配の方が多い中、大学生が来てくれたっていうのも、うれしかった。
 聖劇の後のパーティーで、いろいろ話を聞いてたんですけど、どうして教会に来たかってことを話してくれました。子どものころから、家族のことでつらいこと、さみしいことがいっぱいあって苦しんできたんですけど、特に17歳で母親を亡くしてからはどん底だったそうです。その後も次々、兄弟や親しい人を亡くすなどいろいろあって、去年あたりからはまったく心を閉ざしてしまった。人間関係をすべて断ち切って、ただもう死にたいとだけ考えていた。
 でも、今年になって、何かが変わり始めた。
 大きなきっかけになったのは、映画の『レ・ミゼラブル』です。それ聞いて、うれしかった。『レ・ミゼラブル』って、ぼくも大好きなミュージカルですから。皆さん、映画、観ました(※8)? 泣かされたでしょう? あの映画を観て、すごく励まされたそうです。それまで、つらいことが多くって苦しんでいたし、これからも苦しみだけだって思い込んでたけど、あの映画の主人公は、人生の苦しみを乗り越えて、恨みを捨て、人を愛する人生を生き始めたわけですから、自分もそうできるかもって思い始めたんです。
 実際、主人公のジャン・バルジャンはものすごくつらい人生を生きてたわけですよね? パン1個盗んだだけで、19年でしたっけ? 刑務所に入って虐待を受け、ホントに苦しんで、苦しんで。だけど、仮釈放の後、あることをきっかけに、彼の人生はまったく変わっちゃった。それまでは世の中に対する恨みしかなく、もう俺に幸せはないと思っていたその人生が、まったく変わってしまいました。
 それは、教会に行ったからです。
 まあ、たまたま、通りすがりの教会でしょうけど、一夜の宿を求めたら、司教さんが助けてくれたわけですよね。でも、せっかく温かい食事でもてなされ、助けてもらったのに、深夜、銀の食器を盗んで逃げちゃった。ところが、すぐに捕まって、取り調べのために教会に連れて来られたら、司教が「盗んだな! ひどい奴だ。返せ」とか言わず、「この食器は差し上げたものだ。これも差し上げたのに、君は忘れていったね」って、銀の燭台まで渡した。それで彼は釈放されて、回心し、自分も愛に生きようと決心する。
 これ、銀の食器を取り返しちゃったら、「右の頬たたかれて、たたき返した」みたいな話になっちゃうでしょ。・・・そうじゃない。「右の頬をたたかれて」、つまり、銀の食器を持ってかれたら、銀の燭台も渡しちゃう。それこそが、「左の頬も差し出す」こと。
 ここなんですよ、キリスト教のおもしろいところは。真逆をやっちゃうんですよね。
 普通はね、取り返すものはしっかり取り返した上で、まあ、せいぜいね、「でも、ゆるしてあげるよ」くらい言うかもしれない。でもそんなの、どこにでもいる親切な人の話。キリスト教は、そうじゃない。「これも持っていけ」って言う。この愛とゆるしの行為で、ジャン・バルジャン、まったく変わっちゃったんですよね。まさに大逆転。奪われてきた人生、だから奪いかえすっていう人生から、与える人生、だからこそ与え返される人生に。・・・これは決定的ですよ。

 君が、そのミュージカルに感動して、自分もジャン・バルジャンのように、教会に行ってみようって思ったという、そのひらめきは素晴らしい。
 それで、どこの教会に行こうかってネットで探してたら、最近、晴佐久神父の言葉がツイッターで、いっぱい流れてるんですよ。ご存じですか? ツイッターで、晴佐久神父のありがたいお言葉が、(笑)常に流れてる。
 彼は、そこに行き当たったんですね。で、「ああ、いいこと言ってるなあ。この人の教会に行ってみようかな・・・」って調べたら、多摩教会はすぐ近くで、しかも教会ホームページに「祈りと聖劇の夕べ」のことが載っていたので、昨日来てみたという次第。
 君が『レ・ミゼ』の話なんかするもんだから、「じゃあ、飯でも食いながら一緒に見よう♪」みたいなノリでね、早速その夜、一緒に見たんですよね。一緒にワインとか飲みながら。コンサートバージョンですけど、また泣かされました。

 改めて観ましたけど、いい話ですよね。ジャン・バルジャンが最後、天に召されるとき、迎えに来るじゃないですか、ファンテーヌが。「あなたに永遠の愛を与えます」なんて言いながらね。
 すると、ジャン・バルジャンがこう言うんですよ。
 「私は心に刻もう。語り継がれる真実を。誰かを愛することは、神の顔を仰ぎ見る喜びだ」
 これが最後のセリフで、後は「民衆の歌」で大団円ですから、この映画が、そして作者のヴィクトル・ユゴーが言いたいのは、これなんです。
 「誰かを愛することは、神の顔を仰ぎ見る喜び」
 ・・・いいですねえ。
 それ、やりません? それをちゃんとやって、やってから死にません?
 ジャン・バルジャンは、そうして誰かを愛した。だから、死ぬに死ねるんですよ、あの人は。与えるだけ与えた。自分のせいで誰かが冤罪で捕まっちゃったとき、正直に名乗り出るでしょ? 逃げる人生から、向かい合う人生にいったわけだ。そして、名乗り出て、「自分は捕まってもいい」と。
 これはもうホントに、犠牲です。彼は、犠牲を払って愛することで、「神の顔を仰ぎ見た」んです。・・・そういう喜び、これが一番の喜びなんじゃないですか。それこそ、争って勝ち取る職場の平穏なんかより、ずっと、ず〜っと素晴らしい喜びでしょう。
 「神の顔を仰ぎ見る喜び」のために、「誰かを愛する」。

 一緒に観た後でね、君が言ってくれたました。
 「自分も、本当に信じる人生を、本物を生きる人生を生きたいんだ。愛されなかったっていう悔しさとか、失った、奪われたっていう恨みとかはもう終わりにして、与える人生にしたいって、そう思って教会に来た。今日は聖劇で、『信じて、愛して、やってくで〜!』って聞いて、元気づけられた」
 うれしかったですよ。ああ、これは間違いなく、聖霊の導きだと思ったし。だから、昨日はもう、集中攻撃だったでしょ? 神父、ワイン飲みながら、ずーっと福音語り続けて、君を福音漬けにしたでしょ。ああいうのを「洗脳」っていうんですよ。(笑) 福音をダ〜ッと浴びせかけられて、福音漬けにされて、「もし洗礼を受けるんだったら、晴佐久神父さんから受けたいです」まで言いだしたんでうれしかったですけど、そのまま終電逃して、帰れなくなって教会に1泊して、(笑)今朝になったら、「来年、洗礼受けたいです」って言いだして、ついには、今こうして、初めてのミサに与かっている。不思議ですよね・・・たった1日の話。
 そういえば、言ってたよね、昨日の夜。食事して、泊まることになったときに。
 「これって、ぼく、ジャン・バルジャンと一緒だね」って。
 だから、言いました。
 「どうぞ、何でも盗んでいってください」(笑)
 それが教会です。その教会に出会って、もう君は、変わってしまったんです。この先はもう、「与える人生」を生きていくしかないんですよ。まさにそれが神の望みだし、教会がやってきたことだし、君と一緒にやって行きたいこと。
 皆さん、「やったるでー!」って思っていただきたい。ぜひ「誰かを愛して」くださいよ。相手は身近にいるはず。明日現れる人のことじゃないと思いますよ。今一番困っているあの人、一番迷惑なあの人、一番愛せないあの人のことじゃないですか?
 司教は、目の前の人を愛しました。そのおかげで、ジャン・バルジャンも、出会う一人ひとりを愛して生涯を捧げた。それはぜんぶ、イエス・キリストから始まったことです。

 今日、あなたがたのうちに、その救い主がお生まれになりました。
 もう、あなたのうちに始まってるんです。
 ・・・これ以上、大きな喜びの知らせはありません。


【 参照 】

※1:「聖書にも、何か問題があるなら、『まずその人の所に行って、二人で話せ』って、書いてある」
・ マタイによる福音書 18章15節
 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。」
・・・< 文中へ戻る

※2:「右の頬をたたかれたら、左の頬も出せ」って、イエスさま、そう言った。
・ マタイによる福音書 5章39節
 「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
・・・< 文中へ戻る

※3:「善をもって悪に打ち勝つ」
・ 使徒パウロのローマの信徒への手紙 12章21節
 「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」
・・・< 文中へ戻る

※4:「剣をさやに納めなさい」
・ マタイによる福音書 26章52節 「剣をさやに納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」
・ ヨハネによる福音書 18章11節 「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」
・・・< 文中へ戻る

※5:「昨日の23日の子どもたちの聖劇」
・ カトリック多摩教会で行われた「祈りと聖劇の夕べ」のプログラムのひとつ。(2013年12月23日)
・・・< 文中へ戻る

※6:「子どもたち、昨日、歌ってくれました。元気いっぱい」
下の画像は元気いっぱい歌う聖劇の子どもたちです。
(それぞれの画像は、クリックすると、少し大きくご覧いただくことができます)
  聖劇1聖劇2
・・・< 文中へ戻る

※7:「ブラックスワン」
・ 生命保険会社のCMに登場する黒いアヒルのキャラクター。前向きな気持ちをなにかと邪魔しようとする。
<参考>
・ 「ブラックスワンのささやき:オフィス編」CM(30秒)<YouTube>
  
・・・< 文中へ戻る

※8:「『レ・ミゼラブル』って、僕も大好きなミュージカルですから。皆さん、映画、観ました?」
・ 映画『レ・ミゼラブル』(原題:Les Misérables )<2012年12月21日公開>
イギリス、ワーキング・タイトル・フィルムズ製作のミュージカル映画。
ヴィクトル・ユゴーの同名小説を原作として、1980年代のロンドン上演後、ブロードウェイを含む世界各地でロングランされていたミュージカルの映画化作品。
<参考>
 ・ 『レ・ミゼラブル』(2012年の映画)<ウィキペディア(フリー百科事典)> 
 ・ 映画『レ・ミゼラブル』公式サイト
 ・ 映画『レ・ミゼラブル』予告編CM(30秒)<YouTube>
  
 ・ 「神さまが、ナマで語っている」(「福音の村」2013年1月27日説教)
・・・< 文中へ戻る

2013年12月24日 (火) 録音/2014年1月3日掲載
Copyright(C) 晴佐久昌英