日本一のおもてなし教会

2014年12月21日待降節第4主日
・第1朗読:サムエル記(サムエル下7・1-5、8b-12、14a、16)
・第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ16・25-27)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ1・26-38)


【晴佐久神父様 説教】 

 今日が21日ですか? 22、23、24、あと三日でクリスマス、降誕祭を迎えます(※1)
 よい準備をしてまいりましたが、総仕上げということに致しましょう。イエスさまを迎える総仕上げとしてのひと言は、今日はこれですね。何といっても、
 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)。(※2)
 こんなに美しい言葉を、もう私たちは聞きましたし、口にしましたし、これをもって、最高の準備と致しましょう。
 「主を迎えるために、何があってもこれを言う」ってことですね。
 これを言ったら、そこから素晴らしい救いの出来事が始まるという、まあ、「魔法のひと言」というか、「奇跡のひと言」というか、これ以上の言葉は、人の口から出てこないというような美しいひと言、これを言う。これを準備と致しましょう。
 ・・・「何があっても、これを言おう」と。

 実はこれ、もう皆さん、口にしたんですよ。さっき、アレルヤ唱(※3)で、そう歌ったはずです。「え? 私、そんなこと歌った? 覚えてません」って言わないでくださいよ。(笑) 現実に、口にしたんです。
 「わたしは 主の召し使い おことばどおりに なりますように」って。
 (歌う)♪ソ〜ファ〜ミ〜レ〜♪っていう音階でね。
 (歌う)♪〜わたしは〜♪↘主の召し使い〜♪↘おことばどおりに〜♪↘なりますように〜♪
 これ、神さまから、独り子イエスという恵みが降ってくる下降音なんでしょうね。
 「―♪(ド)」っていう解決音(※4)は、三日後のクリスマスまでのとっておき。
 (歌う)♪〜わたしは〜♪↘主の召し使い〜♪↘おことばどおりに〜♪↘なりますように〜♪
 皆さん、もう言っちゃいました。その口で確かに言ったんです。もう、言ったからには本当にそうすべきです。イヤだったら言わなければいい。(笑)でも、皆さんはもう、口にしました。
 「わたしは 主の召し使い おことばどおりに なりますように」
 聖母が確かにこう言ったから、その先のすべてが始まりました。救い主が生まれ、弟子たちは主と共に生きて神の国を体験し、聖霊に満たされたキリストの教会が始まり、そして今日、ここに私たちが集まっているのも、三日後に大勢の人で主の降誕を喜び祝うのも、この謙遜のひと言から始まったわけですよ。
 これを言えば、すべてが始まる。これを言わないと、何も始まらない。その聖なるひと言を、私たちは口にしたのです。

 普段、僕らが口にしてるのは、もっと傲慢な、「私が主人だ」って感じの言葉でしょ。「わたしは主の召し使い」じゃなくて、「私が主人だ。私の思いどおりになるように」って、いつも私たちはそういうことばっかり思っているし、言っているし、まあ、それはある意味、人間の本性なんだけれども、せめてこの三日間は、そんな思いを鎮めて、この謙遜なる、奇跡のひと言で準備します。
 「私は主の召し使い。神さま、あなたのお言葉どおりに、この身に成るように」
 だいたいですね、この「私」の思いどおりになんかなったら、ろくなことにならないんですね。「私が」、「私の」幸せを願って、「こうなったらいい」、「こうしたい」っていうわけですから、しょせん身勝手で、ろくなもんじゃないんです。現に、自分の思いどおりになってみたら、いろんな地獄が始まるってこと、僕ら、経験してるはずでしょう。
 「こんな貧しい私の考えとか、こんな貧しい私の言葉なんか、実現しませんように」って、むしろそう祈るべきじゃないですかね。こんないい加減な「私」の思いなんかは、脇に置いといて、今は、「聖なる神さま、あなたの偉大なお言葉こそが、この身になりますように」と願います。
 神のお言葉を退けてはいけません。聖母マリアが、ガブリエルの申し出を辞退してたら、今日のこの集まりさえないのだと思うと、心から感謝もしますし、私も同じように、この口の端に、なにか素晴らしいことの始まりとなる、承諾の言葉を乗せましょうと、そういう気持ちになる。
 先週話した、あのナントカ功労賞(※5)っていうのは、辞退しましたけどね。「辞退させていただきます」って電話したんですけど、もうちょっと引き留めてくれるかと思ったら、(笑)あっさりと「それは残念です、いっそうのご活躍を」って。まあ、この世のものは辞退することができますけど、神さまのお言葉は、受けなければなりません。辞退はありえない。どんなに受け入れがたくても、「あなたのお考え、あなたのお言葉どおりに、この身になさってください」って、意地でもね〜、言いたい。

 実はつい昨日、私はこれ、言いました。
 昨日、病院に行ったんですけど、あらかじめ、「お言葉どおりにこの身になりますように」って言おうって、覚悟して行ったんですよ。
 東京教区司祭は、毎年10月に定期健診っていうのをします。で、その結果が11月にくる。毎年何事もなかったんですけど、今年はその健診の結果に、「腫瘍マーカー」(※6)の値がポ〜ンと出たんですよ。ご存知ですか? これ、どっかにがん(・ ・)があるっていうしるしですね。要精密検査ってことです。
 ちょうどその知らせが届いた時、司牧準備会があったんで、皆さんに「こんなのきちゃった〜」って見せたら、「これは、病院に行かなきゃ」とか、「そんなのほっといて平気ですよ」とか、みんな、いろんなことを言うんですよ。
 私、実を言うと・・・っていうか、もうご存じでしょうけど、すごく「気にしい(※7)」なんですよね、臆病なんです。あれやこれやと案ずるくせに、病院に行くのも、なんか怖いっていう。さっさと検査に行くタイプの人もいるんでしょうけど、検査すると悪いこと起こりそうで、病院行きたくないっていう、これ、分かる人、います? 私だけじゃないと思うんですけど。
 でも、忙しさにかまけて検査を後回しにしておきながら、気になって気になって、しょうがない。しかも、落ち込むってほどじゃないですけど、だんだん元気がなくなってく。「もう終わりなのかな」とか。そうすると、なんだか、世の中がきれいに見えるんですよ。(笑) 会う人もみんな、すごくいい人のような気がしてくる。(笑) 今まで、いろいろありがとう・・・なんて。
 このままじゃよろしくないなって決心して、この夏に入院してたときの主治医のところに、相談に行ったんです。若い先生でね。「こんなの来ました」って、健診の検査結果の紙を見せて、その時どんな顔するかって、じ〜っと顔を(うかが) ってたんですけど、「う・・・ん」とかって黙っちゃってね。で、「出ちゃいましたか〜」って言うんですよ。
 「これ、どうしたらいいんですか?」って聞いたら、「まあ、ともかく、もう一度ちゃんと検査してみましょう」ということになって、検査を始めたんですね。
 その検査の結果が、昨日の昼過ぎに出るっていうんで、病院に行ったんです。で、ちょうどその前日の金曜日の聖書クラスで、今日の福音の箇所を読んだところでしたから、「白」と言われようが「黒」と言われようが、このひと言を言おうと、決心して行ったわけです。私は、神さまから望まれて生まれてきたんだし、神さまが愛をもってすべてを支配しておられるんだし、「お言葉どおり、この身に成りますように」って、言うしかないわけですから。
 だから、「晴佐久さ〜ん」って呼ばれて、診察室に入っていくときに、十字切って言いました。「お言葉どおり、この身に成りますように」って。
 ところが、椅子に座ったら、先生がその話をしないんですよ。夏の入院のときの話なんかしててね、「その後、どうですか」とかね、「お薬は効きましたか」とか、「症状は、その後出ませんか」とか、前の話ばかりで、なかなか検査の結果の話をしないんです。
 私はもう、(あ〜あ、これはもう、先生、言いにくいんだな)って思い込んで、がっくりしてたら、最後に思い出したように、再検査結果の紙をピラッと出して、
 「あ、こちらは何でもなかったです」って言うんです。(拍手)
 ・・・いや、そんな、これ、拍手いただくようなとこじゃないです、(笑) すいません。
 医者が言うには、これこれこんな理由でこういう値がポンと出ることがあるけれども、再検査をしたら、値が元に戻っているし、もしがん(・ ・)があったら、値が下がることはないってことでした。
 「だいじょうぶです。まあ、検査は毎年、続けたほうがいいですよ」
 で、終わり。
 「・・・それだけですか? もう来なくていいんですか?」
 「はい、もういいですよ」
 「先生、でも、あの、・・・時々お会いしたいです」(大笑)
 いや、っていうのは、すごく安心したし、また不安になりたくなかったんで。先生、苦笑いして、
 「じゃあ、半年後くらいに、また検査しましょうか?」って言うから、
 「ぜひ、そうしてください」
 「じゃあ、半年後にいらしてください」

 帰り道、げんきんなもんですね、すごく晴れやかな気持ちでした。ただその夜、土曜日の夜のミサで、そのことを説教でお話ししましたけど、話しながら、つくづく思った。
 (もし、「黒」って言われてたら、どういう説教しただろう。・・・それでもやっぱり、同じ説教するべきなんだろうな。「お言葉どおり、この身に成りますように」、って。
 それは、どんなに受け入れられなくても、言わなきゃいけない言葉。
 ・・・でも、こうして、そう言える信仰があるって、なんて素晴らしいことなんだろう!)
 つまり、僕らはですね、「白」と言われようが、「黒」と言われようが、幸いなことに、もうこの言葉を知ってるんです。・・・知らない人って、何て言うんだろう。そういうとき、どうするんだろう。
 僕らは、受け入れられようが、られまいが、ともかく知ってるんです。このひと言、聖母マリアのこのひと言を。そこから救いの歴史が始まり、神の国が始まったこと、われわれが、もうそれで救われていること、それをもう、僕らは知ってるんです。
 ちゃんと言えるか言えないかは、別ですよ。私みたいな臆病な人間は、なかなか言えない。
 結構気にしてね、「落ち込むってほどじゃない」とかってさっき言いましたけど、・・・ちょっと落ち込んでたかもしれない。(笑) そういえば、この前、グキッてね、ぎっくり腰やっちゃったんですよ。1週間くらいで治ったんですけど、そのときなんか、(ああ、もう腰の骨に転移してるんだな・・・)って、(笑) 思ったですもん。(笑) ホントにそう思ったんです。
 でも、たとえそんな状態でも、言える言葉を知ってるんですね、僕らは。
 ただ、こう言えばいい。
 「わたしは主の召し使い。お言葉どおり、この身に成りますように」(cf.ルカ1:38)
 ・・・そう言えばいいんです。
 皆さん、もう覚えましたね? この言葉、覚えといてください。
 「この身に」が肝心なんで、お忘れなく。
 「わたしは主の召使いです。お言葉どおり、この身に(・ ・ ・ ・)成りますように」
 ・・・こういう言葉を知ってるって、幸せですよ。
 だってね、「白です」って言われたところで、やがては、「今度は黒です」ってことだってあるわけでしょ。そんなとき、そして、ホントにいよいよの、いまわ(・ ・ ・)のときには、こういう言葉を知らない人はみんな、何て言うんだろう。
 イエスは、「み心が行われますように」(マタイ6:10)と祈り、「わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)と言って亡くなりましたけど、われわれも、「お言葉どおり、この身に成りますように」って、・・・変な言い方ですけど、ウソでも言えるんですよね。ありがたいと思うね。
 そして、ウソでも言ってみたら、ホントになるんです。奇跡が起こるんです。いろんな素晴らしいことが、そこから始まる。だからこれが、一番の準備なんです、神の国を始めるためのね。
 聖母は、それをやりました。神の国の始まる準備。
 「わたし、男の人を知りませんのに、子ども、生むんですか? でも、わたしは主の召し使いですから、わたしの理解、わたしの都合、わたしの要求、そういうものは、一切口に致しません。
 あなたの(・ ・ ・ ・)お言葉どおり、この身に成りますように」
 そう言ったら、こ〜んな素晴らしいことが起こったんですよ。
 ・・・おかげで今、世界中のキリスト者が、どれほどの喜びに満たされてることか。

 おとといもひとり、洗礼志願者が誕生しましたけれど、うれしかったですよ。私、洗礼面接で、彼の洗礼許可証にサインしました。
 この方なんかも、ず〜っと「私」の考え、自分の思いにとらわれて、他人を恨んだりとかしてました。そういうのを見かねた親しい友人が、市ヶ谷での癒やしのミサ(※8)、・・・昨日もやりましたけど、そこに連れて来たんですよ、その彼を。
 彼、その面接で言ってました。「私、ホンットに宗教嫌いだったんです」と。で、「いやいや、しぶしぶ、癒やしのミサに連れて行かれた」と。
 だけど、そのミサに出た瞬間に、(ああ、知らなかった!)と、思ったそうです。
 自分は、こういう世界を知らなかった。神を信じて礼拝することって、こういうものだって知らなかった。結局は、自分が勝手に思い込んでたものを、勝手に嫌ってるだけだった。これまでは「宗教の儀式とか、そういうのはいいよ」って思ってたけど、親しい友人から「あなたのため」と、無理やり連れられて来てみたら、そこには、まったく知らなかった世界、小さな自分をはるかに超えた大いなる神の世界があり、救いを求めてる人たちが真剣に祈っていた。
 ・・・まあ、特に癒しのミサは、みんな真剣ですからねえ。闇の中で「もう、自分の力ではどうすることもできません、あとは、あなたのお言葉を信じ、すべて委ねますから、お救いください」って必死に祈る、そういう人たちが集まってるミサですから、まさに目には見えない神の気配が満ちてるんです。
 そこで彼は「気づいた」んです。これ、彼の信仰のキーワードです。
 「気づいた」
 面接の間、20回くらい言ってましたよ、「気づいたんです」、「気がついたんです」って。「いや〜、気づいてなかった」、「ホントに気づいてなかった」って、繰り返し言ってました。
 びっくりしたんですね。自分がその年になるまで知らなかった、神さまの世界。そのみ心(・ ・)を信じた者の、平和の世界。信じる人が集まって祈って、神の国を待望しながら、あらゆる試練を乗り越えている、ミサという美しい集い。・・・もう、ぜんぜん知らなかったんです。それをもう、「気づいてなかった」、「気がつけてよかった」、「ホントに気が楽になった」って。
 で、その後もミサに通うようになり、多摩教会の入門講座にも通い出しました。そのころ彼は、私との面談でも、恨んでる人のことを延々と話してたましたけど、それがおとといの面談では、
 「いやもう、ホントに気が楽になって、今となっては私、その人をなんで恨んでたのかも、よく思い出せません」
 って、言ったんです。
 ・・・すごいでしょ? あんなに恨んでたのに、その理由すら忘れちゃったって。ある意味その人を支配していた恨みなんでしょうけど、それがぜんぶ消えちゃった。
 強烈ですよね、「気がつく」って。・・・神さまのみ心に目覚めて、それを受け入れること。
 この方がですね、おもしろい言い方をしてました。
 「私は神さまの世界に気づけてよかった。でも、気づいてみたら、周りの人がみんな気づいていないことに気づいた」
 ・・・いい言い方ですよね。
 私なんかはね、まあ、こういう仕事をずっとしてるから、世の中のみんなが神に気づいてないのは当然というか、よく知ってるわけですよ。だけどこの人は、自分が気づいていなかったから、みんなも気づいてないってことを知らなかったけど、気づいてみたら、「みんなが気づいてない」ってことに気づいた。だから、「みんなホントに、ぜんぜん気づいてないから、なんとか知らせてあげたくなりました」って。
 ・・・これがキリスト教でしょうね。
 イエスに出会って神のみ言葉を知った者、イエスを信じて心に平和をもたらされた者は、まだ気づいていない人に、気づいてないっていうことをなんとか知らせてあげたい。

 そういう意味でも、クリスマスはチャンスですね(※9)。ぜひ、気づいてない人を、連れて来られたらどうでしょうか。「祈りと聖劇の夕べ」(※10)とか、いろんな機会がありますよ。「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」(※11)も、25日にあります。
 ミサに連れて来ただけでも気づいちゃって、来年の春は洗礼式に並びますよ、もう。
 今日のミサ前も聖堂入口に案内係が立ってましたけど、先週からすこ〜し気合入ってるの、分かりますか? 新たに、大きな(ふだ)持って、立ってましたでしょ、「初めての方、声かけてください」って。
 あれ、先々週、私が文句言ったからなんですよ。
 初めてきた方で、案内係が見落として声をかけそびれ、ミサ後そのまま帰ろうとした人がいたんです、3週間前に。室蘭から来た方でね、インターネットで私の説教を読んだりして、「多摩教会、そんなにいい所なのか。一度、行ってみよう」って、はるばる室蘭から来たわけですよ。
 で、「ああ、いいミサだった。来てよかった」って帰ろうとして、門出る前にチラッと見たら、信徒館で大勢の人が、楽しそうにガヤガヤしてる。
 (・・・何してるのかしら?)って(のぞ)いたら、みんなで一緒に食事してるわけですよ。軽食サービスですね、うちは週替わりで、地区の担当者が80食ですか、お昼ご飯作ってふるまってますから。
 (あら、いいわね〜、これ♡ 私も食べれるかしら)って勇気を出して入ってみたら、「どうぞ、300円です」っていうことで、食べることにしたんですね。だけど、満席で座るとこがなかったので、部屋の隅に置いてあった椅子に座って、(ひざ)の上にお盆のせて食べてたんですよ。
 私、聖堂外での皆さんとのあいさつ終えて、信徒館に入ったら、見慣れない人が、ひとりぼっちで、膝の上にお盆のせて食べてるから、
 「どちらから来られました?」って声かけたら、
 「室蘭です」
 「ああ、そんな遠くからですか」
 「ホームページ見て、一度来てみたいと思って、来ました」
 っていうんで、私、10人掛けのテーブルに「ちょっと詰めてくださ〜い」ってお願いして11人にして、その方を座らせたんですよ。おかげでね、その方、みんなとおしゃべりして、親しくなり、その後の入門講座にも出て、結局、暗くなるまで教会にいたんです。みんなとおしゃべりしながら。
 ・・・ミサ後、すぐに帰るとこだったんですよ、彼女。だれとも話さず。そうしたらたぶん、それっきりだったはず。
 で、私、ちょっと「これはまずい」と、天下の多摩教会がこんなことではいかんって、案内係に文句言ったんです。絶対スルーさせずに、初めて来た人をつかまえてほしい、そしてミサ後の軽食まで案内してほしいって。ただですね、案内しておいて、「さあ、300円出して飯食え」って言うの、押し売りじゃないですか。だから、「初めて来た人には、『軽食無料サービス券』を渡してくだいよ」とお願いしたら、早速作ってくれました。そのこと、12月号の『多摩カトリックニューズ』にも書きましたので(※12)、ぜひ皆さんも、覚えといてください。もしも案内係がつかまえ損ねた方を発見したら、「無料サービス券」の用意がありますから、渡してあげてください。
 これ、先週、運用を開始して、早速、岡山の人が、一緒に食事してくれたんですよ。
 この方、案内係が声をかけ、渡されて、「軽食無料サービス券」を使用した第1号ですね。喜んでましたよ。食事の後で入門講座にも出てくれて、みんなの前で話してくれました。
 「うわさに聞いていた多摩教会、こんなに歓待してくれるとはさすがです、ホントに感激しました」って言ってくれたんです。私はもう、(よしきた〜!)ってね、(笑) うれしかったねえ。
 こうなったら、多摩教会、日本一のおもてなし教会をめざしましょうよ。もてなして、神さまの世界に気づいてもらうために。そのうち、ミシュラン教会版ができたら、(笑) 三ツ星確約ですね、うちは。・・・そういう誇り、持ちましょうよ。
 だってこれ、本来は「神さまが」もてなしてるわけだから。教会はそのしるしなんです。
 さらには、われわれは、「神さまを」もてなしてるわけだから。神さまのお言葉を。
 「お言葉どおり、この身に成りますように」
 神にもてなされ、人をもてなすところこそ、教会です。

 私、昨日、病院から晴れやかな気持ちで帰ってきて、ミサでつくづくと祈りました。
 神さまは私に、「もう少し働け」と言ってくださった。
 神さまが私をもてなしてくださっている。
 私も、ちゃんともてなそう、と。


【 参照 】(ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがありますので、ご了承ください)

※1:「あと三日でクリスマス、降誕祭を迎えます」
***カトリック多摩教会のクリスマス、降誕祭のミサ***
12/24(水)、25(木)クリスマスミサ (ご案内:カトリック多摩教会ホームページ)
クリスマスミサ
(画像はクリックすると拡大表示されます)
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※2:「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」
この聖母マリアのひと言を含めた、本日(2014年12月21日〈待降節第4主日〉)の福音朗読箇所は、
 ルカによる福音書 1章26〜38節
  〈小見出し:「イエスの誕生が予告される」〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※3:「アレルヤ唱」
 キリストは、ミサにおいて、共におられる。それは、
 ① 教会共同体のうちに
 ② 司式司祭のうちに
 ③ 聖体の秘跡のうちに
 ④ 聖書朗読のうちに(特に「福音朗読」のうちに)。
 上記④の、「福音朗読」によって各々に語りかけてくださる主を迎えるために歌う歌を、アレルヤ唱(または詠唱)と呼んでいる。(四旬節は、「アレルヤ」は唱えず、章句のみの歌唱となるので、「詠唱」といわれる)。
 これは、自らの信仰表明の意味もあり、ふさわしく主を迎える心を準備する。
 「アレルヤ」は、もとはヘブライ語の「ハレルヤ」からきており、「主をほめたたえよう」という意味がある。
*****
本日(2014年12月21日〈待降節第4主日〉)のアレルヤ唱の歌詞は以下のとおり。
 「アレルヤ アレルヤ
  わたしは主の召し使い おことばどおりになりますように
  アレルヤ アレルヤ」
(参考)
・ 「ローマ・ミサ典礼書の総則 (暫定版)」〈pdfファイル〉 (カトリック中央協議会)
・ 「ミサ曲」(ウィキペディア)
・ 「待降節第4主日(B年)」〈聖書と典礼 2014.12.21〉パンフレット p.5(オリエンス宗教研究所) 他
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※4:「解決音」
 西洋音楽の調性音楽理論において、不協和音(不安定な響き)から協和音(より治まりがよく安定した響き)へ移行すること、また、その協和音のこと。緊張が弛緩する。
(参考)
・ 「解決」(ウィキペディア)
・ 「解決進行」(ニコニコ大百科) ほか
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※5:「先週話した、あのナントカ功労賞」
先週(2014年12月14日〈待降節第3主日〉)の晴佐久神父の説教は、
 「神さまからの栄誉は『とってき』」(「福音の村」)でお読みになれます。
*****
「ナントカ功労賞」(ナントカ文化功労賞)の話は、説教後半、上から4段落目(下から2段落目)からです。
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※6:「腫瘍マーカー」
 がん(悪性腫瘍)の目印となる特定の物質のこと。
 体内に腫瘍ができると、健康なときにはほとんど見られない酵素、たんぱく、ホルモンなどの物質が大量につくられ、血液や尿の中に見られるようになる。
 そこで、検査で、これらの物質が基準値以上だったときは、がんがあることが疑われる。
 ただ、この「腫瘍マーカー」は、早期発見のためのスクリーニング(ふるい分け)検査として用いられているものの、まだ決定的な指標となるわけではなく、陽性だからといって必ずがんがあるわけでも、陰性だからといって完全にがんが否定できるわけでもない。
(参考)
腫瘍マーカー.com
腫瘍マーカーは「がん」の存在を示す目印です(病院の検査の基礎知識)
腫瘍マーカー(ウィキペディア)
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※7:「気にしい」
 大阪弁。心配性、神経質。何かと気にしすぎる人(引用元:全国大阪弁普及協会)
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※8:「市ヶ谷での癒やしのミサ」既出
 いやしのためのミサ「おかえりミサ」
 東京、信濃町の援助修道会で、2001年から続いている、晴佐久神父司式のミサ。
 誰でも参加可能だが、特に、事情があって教会に行けない方、体や心の病などで癒やしを必要とする方、キリスト教に興味のある未受洗の方などを主な対象とし、癒やしの恵みを祈り求める。
***** Information *****
・ 日時 : 毎月第3土曜日(8月はお休み) 
        15時〜(途中参加可): 祈り
        16時〜 : ミサ
・ 場所 : 援助修道会 聖堂
・ 住所 : 東京都新宿区市谷田町2-24
・ 電話 : 03-3269-2405 (問い合わせは17時まで)
・ メール: auxijapon@live.jp (件名に「おかえりミサ問い合わせ」と入れてください)
・ HP : 援助修道会
****************
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※9:「クリスマスはチャンスですね」
***カトリック多摩教会のクリスマスご紹介***(ご案内:カトリック多摩教会ホームページ)
12/23(火)〜25(木)までのスケジュール
2014クリスマス☆スケジュール
(画像はクリックすると拡大表示されます)
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※10:「祈りと聖劇の夕べ」
***カトリック多摩教会の「聖劇」(今年はミュージカル!)***(ご案内:カトリック多摩教会ホームページ)
12/23 火・祝「祈りと聖劇の夕べ」)
聖劇「あぶう ばぶう」
(画像はクリックすると拡大表示されます)
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※11:「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」
***特別なクリスマス会***
12/25 木 「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」:通称「ここクリ」(ご案内:カトリック多摩教会ホームページ)
2014ここクリ
(画像はクリックすると拡大表示されます)
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※12:「12月号の『多摩カトリックニューズ』にも書きましたので」
該当記事 >>> 「三ツ星」の教会をめざして (『多摩カトリックニューズ』12月号 主任司祭巻頭言)
*****
☆『多摩カトリックニューズ』
 カトリック多摩教会の月報。毎月1回、通常第3土曜日に発行している広報誌。
 主任司祭の巻頭言にはじまり、司牧評議会議事録、信徒による連載コラム、各地区や委員会、例会などの活動報告、教会学校だより、受洗者、転会者、転出入の方々のお知らせなどが掲載されている。
 その中で、主任司祭巻頭言、連載コラム、例会報告の一部は、教会ホームページにも掲載してありますので、宜しければご覧ください。
(参考)
『多摩カトリックニューズ』最新号
『多摩カトリックニューズ』バックナンバー発行年表(目次)
晴佐久神父巻頭言集(『多摩カトリックニューズ』)一覧表(目次)
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2014年12月21日 (日) 録音/2014年12月24日掲載
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