透明に光る道

2016年2月7日 年間第5主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ6・1-2a、3-8)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント15・1-11)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ5・1-11)

【晴佐久神父様 説教】

 「世界病者の日」(※1)を前に、今日、病者のためのミサを捧げております(※2)。ご病気の方の上に、神の特別のいつくしみが示されるように、共に祈りたいと思います。
 ・・・と言っても、そう聞くと普通は、「神さまのいつくしみによって、病気が治りますように」と祈るとお思いでしょう。もちろん、そう祈ります。苦しむ人を前にして、当たり前のことですね。しかし、この病者のミサで、それと同時に祈るのは、
 「(やまい)という神秘を背負っている一人ひとりが、自らの病の意味を見出し、
 試練の中にあってなお、神さまの限りないいつくしみに目覚め、
 すべての神の子に注がれる、神さまの愛を固く信じて、
 病の日々を、希望のうちに乗り越えていくことができますように」
 ・・・そのように祈る。これが、今日のミサにおける、私たちの祈りです。
 「病気が治るように」と、もちろん祈りますよ。しかし、それと同時に、それ以上に、その病気に耐える信仰、すなわち、「どれほどの試練であっても、神さまの愛はそれ以上なんだ」という信仰を、お互いに祈り合う。
 今日ここに、ご病気の方も大勢来られています。皆さんには、後ほど、「病者の塗油(とゆ)(※3)の秘跡をお授けしますが、こうしてミサに出て来られる人は、一部です。この聖堂に来られない方も、大勢いる。まずは、そういう方たちのために、祈りましょう。さらに言うならば、私たち、実はみんな病んでおります。体の病、心の病、社会の病、・・・いろいろな意味で、私たち、病気のうちにあります。ですから、その意味では、病んでいる人類全体が、その「病」を乗り越えて行けるように、その病の意味を知り、神さまの愛を深く知ることができるように。・・・そのように、私たちは祈ります。

 先ほど読んだ福音書(※4)でも、大勢の人が、イエスさまの周りに詰めかけておりました。それでイエスさまは、舟を出して、沖から人々にしゃべった(cf.ルカ5:3) 。そうしないと、押しつぶされそうになっちゃうから。その人たちの熱~い思いがお分かりでしょう。みんな、体の病、心の病、社会の病、いろいろな病の中で苦しんでいる人たちです。その試練の中で、必死に救いを求めている人たち。もちろん、「病を治してくれ」と、そんな思いも持っていることでしょう。
 しかし、今日のところを読むと、人々は、「神の言葉を聞こうとして(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)、その周りに押し寄せて来た」(cf.ルカ5:1/強調引用者)と、そう書いてあります。「病気を()やしていただこうとして」とは、この箇所では書いてない。・・・「神の言葉を聞こうとして」(ルカ5:1)、です。
 もちろん「癒やしてくれ」と願っていますけれども、同時に、「たとえ今、奇跡のような癒やしがなくても、この私は、神さまの愛のうちに生きている。体の病も、心の病も、すべては神さまの恵みのうちにあるから、生きて行けるんだ」という信仰をこそ、願っています。そんな、救いのみ言葉(・ ・ ・)を必要としているから、詰めかけてきているんですね、この人たち。だから、イエスは舟を出して、そこから群衆に「教え始められた」(ルカ5:3)と、そうあります。
 手を伸ばして、「エイヤ―!みんな治れ!」って、やろうと思えばできるんですよ、イエスさま。でも、そうじゃない。もっと大切なことを、「教え始められた」んです。・・・何を教えたか。
 「あなたたちの、その苦しみは、必ず、喜びに変わる。・・・必ず(・ ・)、変わる」
 「その試練に意味がある。その尊いプロセスに意味がある」
 「この病によって私たちは、いたわりを知り、神に目覚め、お互いに結ばれて、『神の国』という最高の恵みに向かって歩み続けることができる」
 そう、教えた。・・・確かに、なんの病気もない、なんの苦しみもない、なんの悲しみもない世界、私たちはそれを願っていいんですけど、それが今ここに、突然現れるわけじゃないっていうことも、分かっているはずです。それは、やがて天の国に生まれていったとき、やがて神の国が完成するときのことであって、今は、そこに「向かっている」途中であり、神秘なる恵みのプロセスなんです。
 その意味では、現実をそのまんま、神からの恵みとして受け入れて、その中で、なおも神の愛を信じ続けるという、最高の「信仰の(・ ・ ・)喜び」の日々を私たちは願われているし、それを生きることができるんだという、その希望を、今日のミサで神さまから頂くのです。
 ・・・イエスさまが教えてくださった、「信仰の喜び」です。

 「殉教者の叙唱」(※5)というのがあります。奉献文(※6)の中で読まれるお祈りですね。つい先日は、「日本二十六聖人」(※7)の祝日に用いました。その中に、美しい言葉がある。
 「弱い人間の中にあなたの偉大な力が示され、十字架の道を行く者の中に、人の知恵をはるかに超えるあなたの愛が輝き出ます
 ・・・美しい言葉です。弱い人間の中にこそ、神の偉大な力が示される。十字架の道を行く者の中にこそ、人の思いをはるかに超えた、神の愛が輝き出る(※8)。・・・これこそは、神秘です。
 でも私たち、思っちゃいますよね。「そんなこと言わないで治してくださいよ。『弱い人間の中』とか『十字架の道』とかじゃなく、『強い人間』とか『楽な道』をくださいよ」っていう本音はあります。
 でも、もしもですよ、強くて、楽な道があるけれども、その道を行ったら「神に目覚められない」とか、「本当の愛を知ることができない」のであったら、それでもそっちに行きますか?
 「弱い人間の十字架の道」が、神さまに目覚め、真の愛を知る道であり、片や、「強い人間の楽な道」があるけれど、それは神の愛を知らず、真の一致も体験できない道だとするなら・・・。仮に、この二者択一だったら、皆さん、どっちを選びますか?
 なかなか、(ひる)むものがありますけどね、弱さを選ぶのは。ちなみに、「強い人間で、楽な道で、なおかつ神の愛を知る道がいい」ってのは、なしです。(笑) まあ、そうも言いたくなりますけどね。
 でも、「人の思いをはるかに越える愛」(cf.エフェ3:18-21)によって、神さまはこの「十字架の道」を備えてくださった。それこそが、復活の栄光、神の愛を知る、喜びの道なんだということを、キリストの十字架、復活が、私たちに示しているのです。私たちは、それを「信じます」と、そう宣言した仲間たちでしょう。一人で苦しんでるんじゃない。一人で歩んでるんじゃないんです。みんなで一緒に信じましょうよ。

 先週、2月1日に、佐藤初女(はつめ)さん(※9)が亡くなりました。
 私、親しかったこともあって、今日はその報告をしなきゃならない。・・・先週の月曜日です。
 ご存じのとおり、佐藤初女さん、弱い人、病んでいる人、心に苦しみを抱えている人を、無条件に受け入れて、寄り添って、おいしいものを食べさせて、癒しを祈り、共にあるという、そういう奉仕を生涯し続けた方です。
 私は20年前からのお付き合いです。何度もお会いしましたけど、お互い忙しくてゆっくりお話する機会が少なくて、会うたびに、「お互い離れていても、テレパシーで通じ合ってますよね」みたいな話を、よくしておりました。
 佐藤初女さん、なんで、それほどに苦しんでいる人、病んでいる人のために奉仕をし続けたかといいますと、彼女自身が病んでいるときに、リジューのテレジア(※10)と出会ったからです。洗礼を受けたのも、その影響です。
 佐藤さん、女学校の3年生のときに胸を(わずら)いました。結核ですね。「血を吐き吐き、学校に行った」こともあるそうです。ふらふらになりながら電柱につかまって、次の電柱までそろりそろりと行って、またつかまって・・・それで学校まで行った。学校では、保健室みたいな所で寝てるわけです。
 カトリックの学校だったんですけど、ある日、看護師のシスターが、枕元にそっと1冊の本を置いて行った。・・・『小さき花のテレジア』という本です。ぜひ、読んでいただきたいと思う(※11)。テレジアのこと、今日帰ったら、いろいろ調べていただきたい。
 テレジアも、同じように若くして病気になって、24歳で亡くなりました。15歳で修道会に入ったけれども、結核で苦しんで、そして、若くして亡くなった。でも、その彼女は、自分の弱さ、小ささを、神さまからの恵みとして、ぜんぶ受け入れて、神さまを愛してすべてを委ねて、信仰のうちに生涯を捧げた。・・・その単純さ、小ささ、「私のこのち~いさな犠牲を、ち~いさな忍耐を、神さまにお捧げします」と、そう言って、神さまに一日、一日、ぜんぶ捧げきった。そういう聖女ですね。
 苦しかったと思います。最期の頃は、ホントにつらかったようですね。魂の中までも闇に覆われそうになるほどに苦しみましたけど、最後の最後は、息を引き取る前に、手に握った十字架を見つめながら、「神さま、あなたを愛します」と、そう言いながら、亡くなった。
 初女さんは、この聖女と出会って、「自分もそのように生きたい」「自分はこんなに弱くて苦しんでいるけれども、自分も人の役に立ちたい」と、そう憧れて、やがて洗礼を受けたときに、洗礼名を、「小さき花のテレジア」とした。カトリックでは、「幼きイエスのテレジア」っていう言い方の方が一般的ですけれども、このテレジアを洗礼名に頂いて、以降、佐藤初女さんは、ひたすらテレジアのように生き抜いて、そして、94歳まで病んでいる人たちを受け入れ続けた。
 初女さん、言ってました。「私は、若いころ、ホントに病気で苦しんだから、今、病気で苦しんでいる人の気持ちが分かるんだ」と。「その意味で、私は、ホントに病気に感謝している」と。・・・これは、彼女の信仰でした。だから、たとえば、「心の病で苦しんでいる人に、『そんなの甘えよ』とか、『もっと気を強く持って』とか、そういうふうに言う人もいるけれども、私は絶対にそういうことは言わない。ともかく、その苦しみ、そのまんまに、私は受け止める」と。
 ・・・彼女のその信仰は、考えてみたら、われわれキリスト者の信仰の本質であるべきです。

 私も、考えてみたら、初女さんと知り合ったのは病気のおかげでもあるんですね。20年ほど前に、病気でちょっと苦しい思いをして、築地のがんセンターに入院したんですよ。手術の結果、がんではなかったんで良かったんですけど、退院したら、佐藤初女さんから、宅急便が届いたんです。それまで一度も会ったことがないんですよ。話したこともない仲です。でも、彼女は、晴佐久神父が病気でつらい思いをしてると聞いて、宅急便でおむすびを10個、送ってきたんですよ。タオルで包んで、籠に入ってた。黒々と海苔で巻かれたおむすび。・・・それがご縁です。
 病気でつらい人がいると、ともかく、なんとかしてあげたい。そう思っちゃうんですね。・・・もちろん、彼女は病気を治すことはできません。医者じゃないからね。でも、真の癒やしをもたらすことができる。これは、キリストと結ばれているキリスト者の「(ほま)れ」ですね。
 「病気なんか、ない方がいい」って思いたいけれども、でも、病気がなかったら、佐藤初女さんの活動もないし、彼女との出会いもない。こうして病者のために祈る、今日のミサもない。・・・それでいいのか。
 なぜ病むのか、それは「人の思いをはるかに越えている」(cf.エフェ3:19)ので分かりませんけれども、やっぱり私たちキリスト者は、「病気を治してください」と同時に、祈るべきです。
 「病気を通して、神さま、あなたの愛に出会いたい。この『(やまい)』という十字架によって、人の思いをはるかに超えたあなたの愛が輝き出ますように」
 ・・・私たちは、そう祈りたい。
 それこそはキリスト者の「使命」ですよね。第1朗読(※12)で、最後に、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザヤ6:8)ってね、預言者は言ってますけれども、やむなく病になったときに、そう言ったらいいですよ。
 「主よ、この病を引き受けます。み心ならば癒やしてください。しかし、まず、この病によって、私を遣わしてください。この弱い私を、あなたのみ心のために、役立ててください」
 病んでる人の祈りっていうのは、元気な人の祈りよりも効き目があるんじゃないですか?
 聖テレジアは、「天国に行ったら、苦しんでいる人のために、バラの雨を降らせましょう」って、そう言った。たぶん、私が今、こんな説教をしてるのも、そんなバラの花びらのひとつなんでしょうね。

 目の前に妹さんがおられるから、そのお姉さんの話もしたくなりましたけれど、今、大変重篤な状態で、病院に入っておられます。都内の大きな病院です。先日病院をお訪ねしたら、不思議なことを言ってました。
 ご主人が亡くなって、その後お一人で暮らしてたんですね。一人といっても、愛犬と一緒に暮らしてた。だけど、倒れる、ホントに直前に、・・・彼女が倒れちゃったら、ワンちゃん、生きてけないですから、その意味ではまったく運よくですが、直前に、犬を預かるサービスをしている友人がやって来て、彼女の顔を見て、「調子悪そうよ。体調、悪いんじゃないの? ワンちゃん、預かってあげる」って言って、預かっていったんですって。そのすぐあとで倒れちゃった。
 だから、安心して入院していられるわけですけど、「あの友人は、天国の夫が遣わしてくれたんだ」って言ってました。病気のときって、神さまが近くなるんですね。
 で、これはぜひ皆さんにもお伝えするべきだと思ったんですけど、こんな話もしてくれました。
 倒れて、病院に運ばれて、夢うつつなのかはともかく、「はっきりと、あるビジョンを見た」そうです。・・・酸素不足になって、意識を失って、一線をさまよったわけですけども、そのときに、はっきりと見た。
 目の前に、すごく美しい道、輝かんばかりの、透明に光る道が延びていて、それが右の方にスーッと曲がってるんですって。で、その先が、どうなってるのか、見ようとした。そのとき、神さまを感じたそうです。・・・「ああ、この先に、神さまがおられる!」と分かった。だけど、その右に曲がった道の先に行きたいんだけれども、行けなくて、「どうしようか・・・」って思ってるときに、目が覚めたというか、戻ってきちゃった。・・・と、そう話してました。
 私、思わずね、「行けばよかったのに~!」って、(笑) 言いたかったけれど、まあ、それもなんだな・・・と思って、「いや~、まだ、行かなくてよかったんじゃないですか?」と言ったけれど、内心、うらやましくもあった。
 いずれ、みんな、・・・「みんな」ですよ、その道を行くんじゃないですか? 右の方に行ったら、どんな世界なのか。それは、この世で病をかかえているうちは、まだ知ることのできない世界でしょう。でも、病をかかえているからこそ、そんなビジョンを見れるんだし、やっぱり病の時は、恵みのときでもあるはずです。だってね、彼女、はっきりとこう言いましたよ。
 「私、晴佐久神父さんから、『ホントにみんなイエスさまによって救われるんだ。必ず天の栄光の世界に入るんだ。それを知らないこと、信じられないことが闇であり、苦しみなんだ。だから、信じてほしい。本当にあなたは、神さまの世界に招かれているし、そこに受け入れられるんだ』と、そういう話を、いっつも聞いていたけれども、ああ、そうなのかな~とは思っていても、まあ、ある意味、半信半疑というか、ホントに信じてたわけじゃなかったと思う。
 でも私、今回、ホントに分かった。神父さんがおっしゃってたことが、本当なんだっていうことをはっきり知った。とっても苦しかったけど、あの道を見てから、この世のどんな悩みも、もう、どうでもよくなった」
 ・・・そう言いましたよ、「もう、どうでもよくなった」と。
 彼女は、今日も病を背負って苦しんでおられます。当然、「その病が治りますように」とも祈りますけれども、「その病を通して、神さまの栄光の世界に目覚められますように」とも、私たちは祈ります。・・・どちらも大切でしょう? それどころか、「特別に神の恵みの内にある、病の人に導かれて、私たちも神の愛に目覚めることができますように」とも祈ります。
 美しい、透明に光る道を、私たちもいつの日か歩んでまいります。
 そういえば、イエスさま、「わたしは道だ」と、そう言っておられた (cf.ヨハネ14:6)(※13)
 どれほど苦しくとも、十字架の道を行く者の中に、人の思いをはるかに超えた神の愛が輝き出ますように。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1「世界病者の日」既出
 「世界病者の日」は、教皇ヨハネ・パウロ2世によって定められ、1993年、「ルルドの聖母」の記念日でもある2月11日から始まった。以降、歴代教皇は毎年、この日に寄せて、メッセージを送っている。
 この日は特に、心身に苦しみ、病を持つすべて人が、ふさわしい援助が受けられるよう、また、その苦しみの意味や価値を信仰の光に照らされて受け止めることができるよう祈り、また、そのための諸活動を見直す。
 それは教会関係者だけにとどまらず、広く一般に呼びかけるよう勧められている。
(参考)
・ 「第24回 『世界病者の日』教皇メッセージ2016/2/11(カトリック中央協議会)
・ 「世界病者の日/ルルドの聖母の記念日」(カトリック中央協議会)
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※2:「今日、病者のためのミサを捧げております」
(参考)

【 画像説明 】(左から順に)
: 多摩教会の一人ひとりが、親しい病者の方の名前をカードに記し、それをひとまとめにして袋に入れ、ミサの始めに司祭が奉納。その方々のために共に祈った。
中央左: ミサ中、祭壇前で、「病者の塗油」の秘跡が行われた。
中央右: 祈る司祭(晴佐久神父)
: 「病者の塗油」後の信徒
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※3:「病者の塗油」〈もう少し詳細は既出
 七つの秘跡(キリストによって制定され、教会に委ねられた、秘められた神のわざを示す感覚的しるし)の一つ。司祭が病者に油を塗って祈る式、また、その秘跡のこと。(文中へ戻る
===(もうちょっと詳しく)===
 重病あるいは高齢のために困難があるとき、死の危険が迫っているときに、病人の額と手に司祭が祝福された油を塗り、神の癒やしといつくしみ、聖霊のたまものを祈る。
 12世紀ごろから次第に臨終の病人のみに限られるようになり、「終油の秘跡」と呼ばれるようになっていったが、第二バチカン公会議を経て、現在では臨終の時に限らず与えられ、「病者の塗油」という名称に改められている。
 教皇フランシスコは、2014年2月26日の一般謁見演説の中で、この「病者の塗油の秘跡」について言及し、「人間に対する神のあわれみに、手で触れることを可能にしてくれる」と述べ、改めて「この秘跡が、イエスが病者や高齢者に寄り添ってくださることを確かなものとすること、また、65歳以上の人ならだれでも受けることができること」を伝え、「慰めと、前に進むためのイエスの力を与えて」もらうようにと勧めた。
(参考)
・ 「第24回 『世界病者の日』教皇メッセージ2016/2/11(カトリック中央協議会)
・ 「病者の塗油の秘跡」(『カトリック教会のカテキズム』カトリック中央協議会、2002)1500~1532番
・ 「病者の塗油」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008)
・ 「病者の塗油」(ウィキペディア)
・ 「病者の塗油の秘跡」(キリスト教マメ知識>ラウダーテ)
・ 「病者の塗油の秘跡」: () () (この秘跡を受ける者、授ける者) (この秘跡執行の効果)
   (カテキズムを読もう>ラウダーテ)
・ 「ためらわず『病者の塗油』を2014/3/6(カトリック新聞オンライン)
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※4:「先ほど読んだ福音書」
2016年2月7日(年間第5主日)の福音朗読箇所
 ルカによる福音書5章1~11節
  〈小見出し:5章1~11節「漁師を弟子にする」〉
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※5:「殉教者の叙唱」
◎「殉教者の叙唱」 (赤字引用者)
 聖なる父、全能永遠の神、
 主・キリストによっていつもあなたをたたえ、感謝の祈りをささげます。
 聖○○○○はあなたの恵みに強められ、
 いのちをささげて御子キリストをあかししました。
 
弱い人間の中にあなたの偉大な力が示され、
 十字架の道を行く者の中に、人の知恵をはるかに越えるあなたの愛が輝き出ます。

 み前で栄光をたたえる天使の声に合わせ、ここに集うわたしたちも感謝の賛歌を歌います。

(参考)
・ 『ともにささげるミサ 改訂版〔ミサ式次第 会衆用〕』(オリエンス宗教研究所、2006)
・ 「ミサで用いられる叙唱」(「スヌ校長のお部屋」/カトリック荻窪教会の教会学校の校長室)

*******
◎「叙唱」 〔ラテン語:praefatio〕〔英語:preface〕
 ミサは、「開祭」→「ことばの典礼」→「感謝の典礼」→「閉祭」と進んでいくが、ミサの中心部は、「感謝の典礼」で、「最後の晩餐」でのキリストの言葉と行いを忠実に再現する。
 
叙唱は、この「感謝の典礼」中に唱えられる奉献文(感謝の祈り)の始め、感謝の賛歌(「聖なるかな」の歌)の前に司祭が唱える祈りのことをいう。〔『ミサ典礼書』には73種(または75種)ある〕
 この祈りで、聖人、天使を含む広い意味での教会共同体の中で、創造を含む神の救いのわざの歴史を総括的に述べ、これらの中心であるキリストの自己奉献を思い起こす。そして、捧げられたパンとぶどう酒の感謝と結ばれて、神への賛美と感謝となる。
 また、次に歌われる「感謝の賛歌」を介し、奉献文の中心部分と密接に結ばれている。
 一般的な叙唱に対して、祭日固有の叙唱が発展したため、教会暦に応じて、さまざまな祈りが唱えられ、奉献文全体をより具体的な感謝の祈りとする役割を果たしている。
 「
殉教者の叙唱」も、教会暦に応じて唱えられる叙唱で、さまざまな殉教者の記念日に用いられる。
(参考)
・ 「叙唱」(『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2008)
・ 『ともにささげるミサ 改訂版〔ミサ式次第 会衆用〕』(オリエンス宗教研究所、2006)
・ 〔pdf版〕「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」(カトリック中央協議会、2004)
・ 「ミサと御聖体③」(カトリック六甲教会)

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※6:「奉献文」
◎「奉献文」
 「感謝の祈り」を意味するラテン語prex eucharisticaに由来する。ミサでパンとぶどう酒を聖別し、神に感謝と賛美をささげる際に司式者が唱える祈りであり、ミサ全体の頂点かつ中心となる祈り。
(参考)
・ 「奉献文」(『キリスト教辞典』岩波書店、2008)
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※7:「日本二十六聖人」
◎ 「日本二十六聖人殉教者」

【 画像説明 】(左から順に)
(画像)
:「日本二十六聖人記念館」(長崎市西坂町)の前、西坂公園に立つ記念碑。等身大のブロンズ像(船越保武、1962年建立)
中央左:記念碑の中央上の文字は、「Laudate Dominum omnes gentes/すべての民よ、主を賛美せよ」(詩117)。日本二十六聖人が身をもって証ししたメッセージとして刻まれている。
中央右:聖パウロ三木の像(イエズス会「長崎黙想の家」:正面玄関前)。聖パウロ三木はイエズス会士で、強い信仰と熱意ある宣教、説得力のある説教が有名だった。殉教に際し、磔にされた十字架上での最後の説教は胸を打つ。(>「十字架に付けられたパウロ三木の説教」)
:聖パウロ三木の肖像画(イエズス会「長崎黙想の家」:大聖堂)
*******
 日本二十六聖人殉教者は、1597年2月5日、豊臣秀吉の命によって長崎で磔にされ、殉教した26人のカトリック信徒。
 26人の中には、聖パウロ三木(1564~1566)を始めとする日本人20人のほか、スペイン、メキシコ、インドの出身者もいる。1862年教皇ピオ9世によって列聖。祝日は2月5日。ローマの規範版では、「聖パウロ三木と同志殉教者」の名称になっている。1962年には、列聖100年を記念して、処刑の地、長崎の西坂に、日本二十六聖人記念館が建てられた。
(参考)
・ 「日本二十六聖人記念館
・ 「日本二十六聖人」(ウィキペディア)
・ 「聖パウロ三木と住吉教会」(カトリック住吉教会HP)
・ 「聖霊に聞き従って」(「福音の村」2014/5/4説教)
・ 「キリシタンの信仰に学べ」(「福音の村」2014/2/2説教)
・ 「なすべきことをしたまでです」(「福音の村」2013/10/6説教)
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※8:「人の思いをはるかに超えた、あなたの愛が輝き出る」
(参考)
「また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン 」(エフェソ3:18-21/赤字引用者
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※9:「佐藤初女さん」既出
 1921年10月3日-2016年2月1日 青森市生まれ。カトリック信者(1954年受洗)。
 小学校教員、ガールスカウト団体代表、家庭科の短大講師などを経て、
 1979年には、弘前染色工房をオープン。
 1983年には、老人ホームの後援会や弘前カトリック教会での奉仕活動を母体に、自宅を改装し、悩み苦しんでいる訪問者の受け入れのために、「弘前イスキア」開設。
 1992年から、同様の目的で、青森県岩木山麓に「森のイスキア」を主宰し、自然で素朴な、心を込めた手料理でもてなしながら、こころとからだに、癒やしの場を提供。「おむすび講習会」は、常に満員の盛況ぶり。
 1995年、龍村仁(たつむらじん)監督の【地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第二番】に出演。その活動が全世界で紹介され、国内外での講演会を行う。
 アメリカ国際ソロプチミスト協会賞 国際ソロプチミスト女性ボランティア賞、第48回東奥賞受賞。
 2013年11月の「世界の平和を祈る祭典 in 日本平」において、キリスト教代表で登壇。
 チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ法王と初対面。その際、おむすびをふるまう。
 著書は、『おむすびの祈り』(集英社)、『朝一番のおいしいにおい』(女子パウロ会)、『愛蔵版 初女さんのお料理』(主婦の友社)、『「いのち」を養う食』(講談社)など多数。
 2016年2月1日、弘前市内の病院において乳がんのため帰天。享年94歳。
(参考)
・ 「佐藤初女」(ウィキペディア)
・ 「佐藤初女さんが死去 青森で『森のイスキア』主宰2016/2/1(「朝日新聞DIGITAL」)
・ 「天上での宴の始まり」(「福音の村」2015/4/9説教)中盤 > この辺
・ 「復活という霊的ビッグバン」(「福音の村」2015/3/22説教)終わりから2段落目> この辺
・ 「皆さんが居場所になるんです」(「福音の村」2014/9/28説教)最後の段落 > この辺
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※10:「リジューのテレジア」
◎リジューのテレジア(テレーズ) (本名:マリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタン)
 1873年1月2日-1897年9月30日 
 フランスのカルメル会修道女。修道名は、幼きイエズスと尊き面影のテレーズ
 フランス・ノルマンディーのアランソンで生まれ、敬虔な両親のもとで育った(両親ともに昨年2015年10月18日に列聖)。4歳のとき、母が帰天し、9歳で母代わりの姉が修道会に入会したことなどが原因のひとつになったせいか、心身共に非常に苦しい時期を過ごす。その後、15歳で、終生囲いの中で祈りと苦行の生活をする観想修道会のひとつ、女子カルメル会に入会。「小ささ」を愛し、主への愛と、その心を証しする行いを重ねつつ、修道生活を生きた。23歳で結核に侵され、翌年、24歳の生涯を閉じる。
 死後に発表された自叙伝から、その名が知られるようになり、影響力も大きく、1925年、死後わずか28年で列聖。 1997年には教皇ヨハネ・パウロ2世により、「教会博士」に加えられた。(教会博士は、現在35人/女性はアビラの大聖テレジア、シエナのカタリナ、ビンゲンのヒルデカルト修道院長、そしてこのテレジアの4人)。
 マザー・テレサも、この聖女を愛し、修道名の「テレサ」は、このリジューのテレジアからいただいている。
(参考)
・ 「聖テレーズの略歴」(「St.Therese St.Padre Pio」/個人ブログ)
・ 「リジューのテレーズ」(ウィキペディア)
・ 「列聖:聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・ゲラン夫妻」(バチカン放送局/2015/10/19)
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※11:「『小さき花のテレジア』という本です。ぜひ、読んでいただきたいと思う」
 佐藤初女(1997/5) 『おむすびお祈り ‐〈いのち〉と〈癒し〉の歳時記』(PHP研究所)という本に、そのあたりのことが、書かれています。電子版で読むことができるので、ご興味のある方は、>> こちら でお読みください。
 なお、同じ『小さき花のテレジア』の本は、絶版ですが、リジューの聖テレジア関係の本は、以下などを参考になさってください。
 「リジューのテレーズ」(amazon リスト)
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※12:「第1朗読」
2016年2月7日(年間第5主日)の第1朗読箇所
 イザヤ書6章1~2a節、3~8節
  〈小見出し:6章1~13節「イザヤの召命」から抜粋〉
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※13:「イエスさま、『わたしは道だ』と、そう言っておられた」
(参考)
「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない』」 (ヨハネ14:6/赤字引用者
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2016年2月7日 (日) 録音/2016年2月13日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英