あなたに会いに来てくれる

2013年11月24日 王であるキリスト
・ 第1朗読:サムエル書(サムエル下5・1-3)
・第2朗読:使徒パウロのコロサイの教会への手紙(コロサイ1・12-20)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ23・35-43)

【晴佐久神父様 説教】

 いつものように、先週体験したあれやこれやをお話しつつ、皆さんと福音を分かち合いたいと思うわけですが、私にとって一番、うれしかったというか、感動したのは、ポール・マッカートニーのコンサートに行ってきたことであります(※1)。(笑)
 ご存じ、知らぬ人はいないスーパースターですけれども、なんと、71歳なんですよ。
 これ、チョッと負けてられないねっていう気持ちになりますよ、やっぱり。ぼくも、「あと15年で71か〜。70過ぎても、こんなにキラキラと、こんなにピュアな思いで、みんなを喜ばせる活動をしていられるだろうか・・・」って思うと、何ていうんでしょうかねえ、・・・励まされました。だって、実際に、それを目の前でやってるんだもん。すごいですよ。


 言うまでもなく、ギネス記録ずくめの人で、そもそも今回のツアーだって、新しいアルバム出して回ってるわけで、71歳でアルバム出してトップセールスとか、それだけでもギネス記録なんですよね(※2)。作曲家としてのギネス記録っていうのも、すごいですよ。ナンバーワンになった曲の数だとか、ともかく、「世界で最も成功した作曲家」っていうギネス記録を持ってるんです(※3)。その人が、71歳。現役。記録更新中。
 「他にこういう人は誰もいないし、これからもこの人を超えることは無理」という、もはや神話の域の人なんですけど、その彼がこのたび11年ぶりに日本に来てくれたんですよ。ぜひナマ(生)のポールに会いたいっていうことで、私はナマポールは2度目なんですけど、東京ドームに行ってまいりました。今、日本全国を公演して回ってます。世界ツアーの一環として(※4)
 考えてみたら、公演ひとつやるだけでも大変なことですよ。それを、各地まわって、楽しそうにやっているんです。まだまだ歌声は衰えず、3時間、30曲以上歌いっぱなし。すごいですよ。確かに、ピアノの弾き語りした後、立ち上がってピアノに肘ついて、ふぅ〜っていう顔して、みんなを笑わせたりしてね。かつてのようにステージを走り回るって感じじゃないですよ。でも、あれだけのコンサートをやるのには、大変なエネルギーがいります。そりゃあ、半端じゃないエネルギーが必要でしょう。
 彼の、そのエネルギー、モチベーションはどこから来るんだと思います?
 あの人ね、もう、お金なんかいらないんですよ。「イエスタデイ(Yesterday)」一曲で一生食ってけるっていうのに、「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」も「レット・イット・ビー(Let It Be)」も、ぜんぶあの人の曲。他にもどれだけのヒット曲があるか。今はもう、もっとお金が欲しいなんて、かけらも思ってないと思う。あるいは名誉だってね、成功だってね、もう全然欲してないと思う。全世界の人から尊敬されて、これ以上名誉がほしいだなんて、そんなんじゃない。
 おそらく、ぼくはあの人、ただ、みんなの前で歌いたいんだと思う。
 みんなに会いに出かけていって、歌って喜ばせ、みんなと心を通わせたいんだと思う。
 見てれば分かりますよ。もう、うれしそうに一生懸命歌ってね、歌の前後にはユーモアたっぷりに、日本語でね、・・・日本語でですよ、一生懸命覚えた日本語でMC(※5)したりしてる、その姿。何度もアンコールに応えながら、「どうしてもあれ歌いたい」「これも歌いたい」「これ歌ったら、みんな喜ぶだろう」「これだけは歌わなきゃならんだろう」って、大サービスで名曲の数々を歌うあの感じを見ててつくづく思ったのは、この人おそらく、子どものころから変わってないんだろうなってこと。
 父親の影響で楽器を始めた頃、きっとホントに楽しかったんだろうと思う。ピアノを弾き、ギターを習い、曲を作って、それをみんなの前で歌って演奏する喜び。みんなが聴いてくれて、喜んでくれて、ああ、みんなと心がつながったっていう、その喜びを味わって以来、彼は1ミリもぶれずに、おんなじことをやり続けてるだけなんです。
 もちろん、才能があって、どんどん有名になっちゃいました。大変な騒ぎにもなりました。でも、人の原点ってそんなにコロコロ変わるもんじゃない。非常にシンプルな、その人らしいモチベーションによって人っていうのは頑張っていくもんであって、あの人は71歳になっても10代の頃と何も変わってないんだなっていうのを、私は今回すごく感じて、うれしいというか、うらやましいというか、ますますファンになっちゃいました。
 ジョン・レノンと出会ってね、ビートルズつくってね、リバプールの地下のちっちゃなライブハウスで最初のライブやったとき、あんまり客も来なかった。でも、来てくれた人たちがすごく喜んで、盛り上がってくれてね、ああ、みんなとつながれた!っていう、喜びを味わった。それさえあれば、もうそれで一生やり続けられるんです。彼にとっては、ちっちゃなハウスもドームも一緒のはず。そうでなかったら、70過ぎてわざわざ日本にまで来ませんよ。ツアーって大変なんだから。
 彼、来日前のインタビューで言ってましたけど、「自分はホントに、ただもう、自分の歌を日本のファンに聴いてもらいたい。それだけです」と。そうなんだろうな、と思う。・・・だから、迎える側としては、「ポール、ありがとう、また来てくれて、ありがとう」っていう気持ちでした。
 私も、立ちっぱなし、歌いっぱなし、叫びっぱなしで、疲れ果てましたけれど、(笑)でもねえ、彼も休みなし、立ちっぱなしですからねえ。・・・叫びまくりましたよ。「サンキュー、ポール!!」(笑)いや、実際、客席からは、この声が一番多かった。「ありがと〜う!!」って。
 11年前に来たとき、もう還暦だったんですよ。いくらなんでも、もう来ないだろうと思ってたら、また新しいアルバム引っさげてやって来てくれたんです。しかも今回は、ビートルズのナンバーを歌いまくり。耳に馴染(なじ)んだ曲が次々と惜しげもなく並んでいて、これ、「ありがとう」っていう気持ちにもなりますよ。ホント、「来てくれて、ありがとう」ですよね。
 もちろん向こうはこっちを知らないけれども、こっちはよく知ってるし、そこでは、みんな思いは一つで、しっかりつながってるんです。何よりポールの想いが、そこにいる人たちみんなを喜ばせ、一つに結んでるのを見て、つくづくと思いましたよ、「くそ〜! 負けないぞ〜!!」って。(笑)
 私だいたい、嫉妬深いタイプだから、ああ、これいいなあって思うと、やりたくなる。もちろん、「ワ〜ッ!!」なんて騒がれたいからじゃなくって、彼のようなピュアな思いを忘れずにずっとやり続けて、いくつになっても、みんなを喜ばせるため、一つに結ぶために出かけて行きたい、ちゃんとやっていきたいっていう思い。

 まあ、もっとも私もですね、それでいうなら、先週、頑張りましたよ。
 講演会の「地方巡業」で各地まわって、喜ばせて、ポールに負けないくらいだった。(笑)ぼくの場合は、音楽ではなく福音で励ますわけですけど。
 札幌で講演して、1泊して次の日、札幌から富山空港に行って、特急で金沢に行って1泊して、そこで講演会とミサをして、昨日小松空港からから羽田に帰ってきて、そのまま、あきる野教会(※6)で開かれている青年たちの合宿に向かったんです。・・・札幌から、富山、地方空港から地方空港に飛ぶなんて、巡業でしょ。
 富山といえば、「富山の薬売り」じゃないですか。まさにね、魂を癒やす福音というお薬持って、みんなのところを回って歩く営業マンみたいな感じで。いや、正直、ポールにかなうはずはありませんけど、でも、ともかく信じて出かけて行けばね、みんな喜んでくれるし、そこで実際つながれたっていう喜びがあるんですよ。これはやっぱり、かけがえのないこと。
 私も若い頃にいろんな活動をしましたけど、たとえば、雑誌をつくったり、影絵劇団をやったりとか、それで、誰かを喜ばせることができる、それで、みんなとつながれるっていう喜びを味わったんですよ。人の原点って変わらない。結局はその延長で、神父なんかやってるようなところもあって、こういう地方巡業みたいなのは、喜びですね。実は結構、出不精だったりする部分もあるんですけど、でも、頑張って出掛けていくと、みんなが顔を輝かせて喜んでくれて、そして、何かがつながる。・・・やめられない。
 「ああ、神さまがこういうかたちで人を結び合わせて、神の国に導いてるんだろうな」っていう、「自分も神のわざの現場に奉仕できてるのかな」っていう、そういう思いがあって、これはやっぱり、かけがえのない喜びですね。

 今の教皇さまが神父たちに、「司祭館にこもっているな。外に出て行け、人々と交われ」ってよく言うんですけど、それなら、私、褒められていいと思いますよ。ただ、教皇さまがそう言うのは、別に珍しいこと言ってるんじゃなくて、すごく当然の主張なんです。「まさに、それがキリスト教だから」っていうことなんです。・・・出て行って、誰かに触れる。だってそれ、イエスがやってたことですから。イエスはただただ、町から村と回ったわけでしょ。行かないでくれと引き止められても、「わたしは、いつまでもここにいることはできない。別の町や村に行かなきゃならない」(※7)、彼はそう言って、せっせ、せっせと回って歩いた。どこでも出かけて行った。
 「ザアカイ、今日はぜひ、お前の家に泊まりたい」(※8)
 これなんか、ほとんど突撃みたいな感じですよね。でも、そうして「ぜひに」と出掛けていって、関われば、そこに真実なるつながり、心が結ばれる瞬間が生まれて、神の国がチラッと実現する。
 自分の部屋の中でじ〜っと祈っているのも悪くはないけれども、やっぱり、もう一人の誰かと出会って何かが通じる瞬間とか、通じるための工夫とかっていうのが、神の国のために大きく役立っているわけだし、これ、部屋の中にいたんじゃ、誰とも出会えない。だから「出て行け!」って教皇は言うわけですよね。

 実際、行けば思いもよらない出会いがある。
 札幌は、北海道のカトリック校の教師たちの研修会っていうことで、校長や副校長も来てましたし、なんと、私の父の母校の先生がたも来てました。「札幌光星」っていう学校です。もう70年も前の話ですけど、「その節は、父がお世話になりました」って、お礼を申し上げました。(笑)いや、でも、そのご縁もあって父は洗礼を受け、それで私も洗礼を受けたたわけですからね。恩返しというか。
 そこで私は、ほとんどただ一つのことを申し上げてきました、「生徒たちを信じてくれ」と。
 「ともかく生徒を疑うな、生徒を恐れるな、信じて同じ目線で向かい合えば、必ずつながる。それが教育っていうことであって、疑って恐れて、ただ管理したり、命令したり、時には切り捨てたりしてるだけでは、何もつながらない。あなたたちは、つなげる仕事をしているのであって、そのためには、ひたすら生徒を信じるしかない。信じればつながり、疑えば切れる。周りが信じられないと言い、何度裏切られたとしても、それでも、生徒に関わり続け、信じ続けてくれ。それが教師の仕事でしょ?」と、それだけを、先生たちに申し上げてきた。
 職員室にこもって自分の仕事だけしてるんじゃなくって、やっぱり、出掛けていって、一人ひとりと向かい合って、信頼関係をつくる。それは、イエス・キリストがしたことだし、「カトリック校」っていうんだったら、先生が信者であろうとなかろうと、そういうことに憧れて、チャレンジして、いっぱい喜びを生み出してほしい。生徒たちは「こんなぼくを信じてくれた!」っていう喜びで生きていけるんだから。ちょうど先週も、亡くなった早副穣(はやぞえじょう)神父の話をしましたけど、まさに私がそうであったように、信じられることで成長していくっていうのは真実です(※9)。 そのためにも、教師は、生徒の心のなかへと出かけていかなければならない。信じるために。

 金沢では教皇さまのお話をしました、「教皇さまが、自ら、・・・自ら、一人ひとりにね、関わっていこうとするその姿勢、あれこそまさに、キリストの代理者です」と。
 金沢の講演は、名古屋教区の信徒の研修会っていうことで、なんと名古屋からバス借り切って来てる人たちもいたんですよ、何十人もで。こっちは札幌からでしょ。札幌と名古屋から金沢で落ち合ったって形ですけど、はるばる出かけて行って、そして、はるばる来てくれた。お互いにそう思って、感謝して、そして、つながる。・・・そういうのありますよね? わざわざ来てくれた、その振る舞いで、真実の想いが伝わるってこと。今日もこのミサに、遠く九州から来ている方がおられますけど、そうすると「遠くからはるばる来てくれてありがとう」って思うし、そこで、何かがつながるわけでしょ?

 さて、これは何の話か。イエスは、はるばる、この私に会いに来てくれたって話です。
 まず私、今日のこの福音を読んでいて一番感じたことは、この犯罪人、イエスから声を掛けていただいた犯罪人、ホンットに幸せだねってことです。
 幸せだと思いますよ。生涯の最後、主と共にある。一番不安で、一番つらく苦しいときに、すぐ隣りに、誰よりも近くに救い主がいて、その救い主に「わたしを思い出してください」って、真心から語りかけたとき、「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」っていう、これ以上ない幸いな宣言を聞くことができた。
 こんな幸いなこと、ないですよ。だれだって生涯いろいろあるけれども、最後の最後、ホントに死の恐れと、苦しみが襲ってきているその現場で、一番近くに救い主がいて、しかもその救い主が自分と同じ苦しみを背負って、自分と一緒に死んでくれるわけですから。
 イエスと生前、会って話した人は大勢いますけども、イエスが実際亡くなって天に上げられていくその瞬間、一番近くにいて、最後の会話を交わし、イエスと一緒に死んだ人なんですよ、この犯罪人。これ、全人類の中で、イエスの死という救いの神秘の一番最高の瞬間を、一番近くで共有した人なんですよね。まあ、聖母マリアもすぐ下に立ってたとは思いますけれども、同じ十字架上ってことだったら、ホントに、この犯罪人は、選ばれて、恵まれていたんじゃないですか?
 まあ、きっと、悪い環境に生まれて、ある意味やむなく犯罪人になっちゃったんでしょう。荒んだ人生を送り、運悪く捕まり、死刑判決を受けて、今、殺されていく。運が悪いっていえば、ホントに運が悪い人生を生きてきた。でも、その人が、史上最高に運のいい瞬間を迎えることができる。これぞ大逆転っていうか、「犯罪人でよかったね」っていう話ですよ、これ。だって、死刑になってなければ、こんな恵まれた瞬間に立ち会えない。
 この二人、別に親しいわけでも何でもないでしょ? 言葉を交わすのは「初めまして」って感じじゃないですか? だけど、イエスがどういう人かは知ってるわけですし、救い主であると信じて、「主よ、救い主よ、あなたの御国(みくに)においでになるときには、わたしを思い出してください」と言ったんです。
 「こんな、虫けらなような自分。愛を知らず、真の喜びを知らない人生。人からも受け入れられず、自分でも受け入れられず、どうしようもない人生を生きてきた。このわたしの生涯は何だったんだろう。苦しんで、裁かれて、こうして殺されて、ただ終わりなんだろうか。主よ、せめて、こんなわたしを忘れないでください。あなたがいつも教えて来られた、その『御国』という所においでになるなら、チラリとでも、私を思い出してください」と、心からそう願ったら、即答したんですよ、イエスが。
 「思い出す? そんな程度じゃない、あなたは今日、わたしと一緒にそこにいる。いや、もうあなたはその楽園にいる。なぜなら、わたしがここにいて、あなたはわたしを信じているから」

 ぼくは、この犯罪人、羨ましいなと思うし、同時に、自分の最後のときもそうなんだろうなっていう信頼、希望を持ちます。なぜなら、イエスは、この犯罪人の所に来てくれたんです、わざわざ。わざわざ(・・・・)来てくれたんです。救うために。
 イエスは、十字架の上に、いやいや引っ張ってこられたんじゃないですよ。わざわざ来たんです。「どうしてもエルサレムに行きたい」って、ガリラヤから出てきたんです。「いや、あんなとこ行ったら殺されるよ」って言われても、「いいや、わたしはあそこに行く。どうしても行かなきゃならない」って言って、やって来たんですよ。で、よせばいいのに神殿で説教始めてね、当然捕まってね、そのまんま死刑判決でしょ。
 この後の奉献文で、「パンをとり、感謝をささげて」って言うところがありますよね(※10)。 その直前に、「イエスは進んで受難に向かう前に」って言いますでしょ? 「進んで」十字架に向かってきたんです。彼は、わざわざ来たんです、そこに。そして、一緒に釘づけにされた犯罪人の、誰よりもそばに来て、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と宣言してくれた。こんな親切な話ないですって。つまり、イエスは、この犯罪人に会うために、十字架の上まで来たんです。

 それが私たち全員に起こることだって、聖書は語っています。
 この犯罪人が体験したことが、全人類において起こる。それこそが、「主の復活」っていうことですから。
 皆さんも、ベッドの上で亡くなるのか、畳の上で亡くなるのか、路上なのか、どこなんでしょう、わかりませんけれども、どこであれ、そこに、救い主はやって来ます。いや、正確に言うと、洗礼受けた人は、もうすでにイエスがずっと一緒にいることに目覚めているはずなんですけどね。でも、特に不安なとき、試練のときに、救い主は、「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」って宣言してくださる。そんな希望に支えられて、今日一日、明日一日を生きていこうじゃないですか。
 ただ、そう言ってもらうためには、やっぱり、言わなきゃならないですよ、主に。「助けて!」と。「救って!」と。「忘れないで!」と。それはやっぱり、信仰ってことですよね。今日、信仰年の最終日ですけど、何を信じるかって言ったら、それはもう単純な話です。主を信じるんです。
 主はあなたに会いに来てくれる。必ずそこにいてくださる。すぐ隣に。もし病院のベッドだったら、隣りのベッドに。それを「救い主」っていうんじゃないですか?

 ナマポールに会って、私すごくうれしかったですけど、金沢に行ったら、「ナマ晴佐久だ!」って感動されましたよ。(笑) でも、考えてみてください。やがて私たち、御国に行って、ナマキリストですよ。・・・(笑)
 それがどんな状態か喜びか、どんな感動か、想像もつきませんけど、イエスは確かに約束してくださった、「わたしと一緒に楽園にいる」って。
 そんな希望さえあったら、今日一日の苦労なんて、たいしたもんじゃないですよ。


【 参照 】

※1:「ポール・マッカートニー」
・ ジェームズ・ポール・マッカートニー (Sir James Paul McCartney)1942-
イギリスのミュージシャン。シンガーソングライターであり、世界屈指のマルチプレーヤーでもある。1960年代、ザ・ビートルズのメンバーとして、ジョン・レノンとともに数多くの楽曲を作詞・作曲した。2013年現在でも、現役ミュージシャンとして活動している。(ウィキペディア<フリー百科事典>:「ポール・マッカートニー」より)
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※2:「新しいアルバム出して・・・」
・ 新しいアルバム:『NEW』 (2013年10月14日発売)
 ( UCCO-3048 2600円<税込> 日本盤のみボーナストラック3曲収録 )
(参考)
  UNIVERSAL MUSIC JAPAN (記事): ポール・マッカートニー日本公式サイト
  Musicman-NET (記事) :
   「新作も好調なポール・マッカートニー、日本向けインタビュー&海外舞台裏映像公開
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※3:「世界で最も成功した作曲家っていうギネス記録」
・ 『ギネス・ワールドレコーズ』(ギネス世界記録)に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定されている。他に、「ゴールドディスクの最多保持者」「最多レコード売り上げミュージシャン」としても認定。(ウィキペディア<フリー百科事典>:「ポール・マッカートニー」より)
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※4:「今、日本全国を公演して・・・」
・ポール・マッカートニー 「アウト・ゼアージャパン・ツアー」 ( 公式ホームページ
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※5:「MC」
・ MC(エムシー) ≪master of ceremonies≫ 司会者。進行係。式場係。また、転じて、ロックコンサートなどで、曲と曲の間での演奏者のおしゃべり。(デジタル大辞泉より)
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※6:「あきる野教会」
・ カトリックあきる野教会
住所: 東京都あきる野市伊那1
ホームページ: カトリック東京教区大司教区 「あきる野教会
フェイスブック: 「あきる野教会
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※7:「わたしは、いつまでもここにいることはできない。別の町や村に行かなきゃならない」
・ (参照) ルカ4章42〜44節
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。 しかし、イエスは言われた。『ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。』そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。」
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※8:「ザアカイ、今日はぜひ、お前の家に泊まりたい」
・ (参照) ルカ19章5節
「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』」
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※9:「ちょうど先週も、亡くなった早副穣神父の話をしましたけど」
・ 「早副穣神父」 : 広島教区司祭 フランシスコ早副穣神父(1926年5月3日〜2013年11月8日)
・ 2013年11月17日(年間第33主日)説教「見とれるな」、および
   2013年11月10日(年間第34主日)説教「晴佐久君を信じよう」 参照
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※10:「奉献文」
・ 「感謝の祈り」を意味するラテン語prex eucharistica に由来。ミサでパンとぶどう酒を聖別し、神に感謝と賛美をささげる際に司式者が唱える祈りであり、ミサ全体の頂点かつ中心となる祈り。
 【 第二奉献文 】の中の該当箇所
  「主イエスはすすんで受難に向かう前に、
   パンを取り、
   感謝をささげ、
   割って弟子に与えて仰せになりました。
   『皆、これを取って食べなさい。
   これはあなたがたのために渡される
   わたしのからだである』」
(参照)
 ・ 「奉献文」(『キリスト教辞典』2008、岩波書店)
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2013年11月24日 (日) 録音/2013年11月29日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英